アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

フィレンツェ散策 -15 ヴェッキオ宮殿 ①

シニョリーア広場に面し建つヴェッキオ宮殿は、1299年から1314年にかけてフィレンツェ共和国の政庁舎として、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計によって建設され、メディチ家(現)ピッティ宮殿へ移るまでの一時期、メディチ家の住居としても使用されました。

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建設当初、この宮殿はシリニョリ-ア宮殿と呼ばれていましたが、メディチ家が住居をアルノ川対岸に移した為、「古い」と言う意味の「ヴェッキオ」宮殿と呼ばれるようになり、現在でもフィレンツェ市庁舎として使われています。

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外観は華麗とは言い難い武骨デザインで、まるで要塞の様です。
鋸壁 ( 鋸型狭間 ) のある張り出した回廊と、建物の中心からずらした位置に設置された、高さ94mの塔が特徴。

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回廊を支えるアーチの下には、フィレンツェ市の9つの紋章が描かれています。

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ダビデ像の横を通って、入口を入ってみましょう。

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ミケロッツォの回廊
門を入ると、直ぐに中庭に出ました。
ゴジモ一世は、息子のフランチェスコ一世オーストリア大公の娘との婚礼に備えて、1565年に建築家ジョルジョ・ヴァザーリ宮殿の大改修工事を依頼します。

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回廊の柱や壁や天井には、美しく繊細なフレスコ画や金粉を使用した殉爛な装飾が施されています。

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中庭の中央に、ヴェロッキオ作イルカを抱いた少年 の複製が置かれている筈でしたが、改修中なのかシートが掛かっていました。

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建物の中に入ると、有名な 五百人広間 が迎えてくれます。
幅23m、長さ54m、高さ18mのこの広間は、共和国時代には、500人が出席する市民会議が開催されたことから、五百人広間 と呼ばれたのです。

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天井にはコジモ一世の載冠の絵を中心に、フィレンツェの成立と歴史上の逸話を描いた48枚のパネルが飾られています。

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コジモ一世の載冠

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広間の後方の2階バルコニーから

左右の壁面には、レオナルド・ダ・ビンチアンギアーリの戦い
ミケランジェロカッシーナの戦い
描く予定でしたが、 ダ・ビンチ新技法に失敗したことで、制作を中断すると、ミケランジェロも戦意を喪失して教皇の招きに応じてローマへ去ってしまったのです。

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ピサへの勝利 ジョルジョ・ヴァザーリ作

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マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い ジョルジョ・ヴァザーリ作

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ヴアサーリが描いたこの絵の下には、ダ・ヴィンチの絵が隠されていると言われており、この拡大部分の中心辺りに、小さく 「 CERCA TROVA 」 ( 探しなさい、さすれば見つかるであろう ! ) と言う、暗号めいた文字が隠されているそうですが、残念ながら狙って撮った訳ではないので確認できません。

次回は2階へ上がります。
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  1. 2016/12/05(月) 18:21:46|
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フィレンツェ散策 -14 ウフィツィ美術館 内部②

3階の展示室 ( 第1室 ~ 第45室 ) までを見学を終え、今回は2階へ下りて、改修中だった展示室の作品と特別展の作品を見学します。
西棟2階の第46室から東棟第84室まで、新設された展示室を見学します。

2階は部屋番号が分からないので、写真を撮った順番にアップして行きます。

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コジモ・デ・メディチの肖像画 ヤコポ・ダ・ポントルモ作 1518~19年頃

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聖母子と幼児聖ヨハネ ヤコポ・ダ・ポントルモ作 1529年 

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聖家族と幼児聖ヨハネ ( パンチャーティキの聖家族 ) 
アーニョロ・ブロンズィーノ作 1540年頃

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ローマ教皇 「 レオ10世の肖像 」 ラファエロ・サンティ作 1512年頃

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自画像 ラファエロ・サンティ作 1506年

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ひわの聖母 ラファエッロ・サンティ作 1507年

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幼いキリストを礼拝する聖母 アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ作
1524-1526年頃

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長い首の聖母 パルミジャニーノ作 1535年頃
マニエリスムを代表する作品の一つと言われているそうですが、聖母マリアの首が妙に長く、聖母に抱かれるキリストも赤ん坊にしては長細く、右下に描かれている小さな男性も変なポーズをとっていて、なんだかとても奇妙な作品です。

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受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1472-1475年
ダヴィンチデビュー作であり、大天使ガブリエルが聖母マリアに、神の子を宿していると告げる有名な場面を描いています。

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玉座の聖母子と天使と聖人たち ドメニコ・ギルランダイオ作 1484年

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ウルビーノのヴィーナス ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 1538年

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メドゥーサの首 ( 自画像 ) ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作 
1598年頃
キャンバスにではなく、円形の盾に描かれています。

最後にウフィツィ美術館の3階から眺めたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂方向の風景です。
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次回はヴェッキオ宮殿を紹介します。
  1. 2016/11/30(水) 17:14:00|
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フィレンツェ散策 -13 ウフィツィ美術館 内部①

予約してあったので、全く並ぶことなく美術館内へ入ることが出来ました。
階段を上がり東棟の3階へ

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階段を上がりきった最初のホールにはローマ皇帝や聖人と思われる彫像が置かれています。
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確信はありませんがトライアヌス像かな?

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こちらはキリスト教の聖人像でしょうか?

ここからは東棟3階の第一回廊 廊下の北端には
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これはケンタウロスがギリシャ神話の神の誰かに、虐められてる場面か?

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第一回廊の階段近くから南側 ( 第二回廊方向 ) を見る
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廊下には展示室側の壁には彫像と絵画が
ウフィツィ広場側の壁には彫像が飾られています。

最初の扉から第2展示室へ入ります。
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荘厳の聖母 マエスタ  チマブーエ作  1279-1280年頃  第2室

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聖母子像 ドゥッチョ作 1285年頃 第2室

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東方三賢王の礼拝 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ作 第6室

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第5室

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聖母戴冠 ロレンツォ・モナコ作 1414年頃 第5室

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幾つかの展示室が改修工事で閉鎖されていて、絵画の展示してある部屋が、ガイドブックに載っている本来のものとは、かなり違っています。
以降は写真に収めた順序通りにアップして行きます。

一旦廊下に出てからトゥリブーナと呼ばれる、8角形のメディチ家秀作コレクションの飾られている部屋へ

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トゥリブーナ 第18室
この部屋には入れず、外から見るだけです。

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天井を真珠貝で飾った美しいトゥリブーナは、ブオンタレンティの設計。

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ウルビーノ公夫妻の肖像 ピエロ・デッラ・フランチェスカ作 1465-1466年 
本来は第8室に展示されている筈の作品ですが、第18室に当たるトゥリブーナの後に撮っているので

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東棟と西棟を結ぶ第二回廊も彫像が並んでいます。

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第二回廊の西端からヴァザーリの回廊ヴェッキオ橋を見る

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第二回廊から西棟の第三回廊を見る。

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聖母子と二天使 フィリッポ・リッピ作 1465年
本来は第8室に展示されている筈の作品ですが第34室辺りに展示してあったと思います。

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西棟第3回廊 第35室の前辺り

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第35室

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聖家族 ミケランジェロ作 1504年頃 第35室

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第38室

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ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェッリ作 1485年 
本来は第10-14室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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ポルティナーリ祭壇画 フーホー・ヴァン・デル・フース作 1476-1478年 
本来は第10室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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 サンドロ・ボッティチェッリ作 1477-1478年
本来は第10-14室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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マニフィカトの聖母 サンドロ・ボッティチェッリ作 1483-85年

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西棟第3回廊 ニオベの間  第42室の前辺り

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ニオベの間 第42室
ニオベとはギリシャ神話に登場し、子沢山を自慢した為に、子供を全員殺されてしまった母親だとか?

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第3回廊の北端
バチカンピオ・クレメンティーノ美術館ラオコーンとそっくりな彫像です。

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フィレンツェ名物のイノシシ像も在りました。

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ここは何処だだったけ?

これで3階の展示室 ( 第1室 ~ 第45室 ) までを見学し終わりました。
次回は、西棟2階へ下りて、改修中だった展示室の作品と特別展の作品を見学します。
  1. 2016/11/29(火) 18:32:00|
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フィレンツェ散策 -12 ウフィツィ美術館 外観

今日はウフィツィ美術館を紹介します。
先ずは外観から。

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ウフィツィ美術館

ウフィツィとは、イタリア語で事務所を意味します。
ゴジモ一世建築家ヴァザーリに設計を依頼した事務所建築として建設されたもので、着工は1560年、完成したのは1580年でした。

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ウフィツィ広場と言われる細長い広場に面する1階部分は、古代ローマの宮殿を思わせるドーリス式の列柱が並んでいます。
2階、3階部分はルネッサンス様式で、建物全体はU字型をしています。

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ウフィツィ広場からヴェッキオ宮殿を見る。

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広場を囲う回廊には祖国の父コジモ・イル・ヴッキオ豪華王ロレンツォ・イル・マニーフィコの彫像が並んでいます。

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祖国の父コジモ・イル・ヴッキオ

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豪華王ロレンツォ・イル・マニーフィコ

コジモ一世の死後、後を継いだフランチェスコ一世建築家ベルナルド・ブオンタレンティを起用し、メディチ家歴代の当主達が蒐集した膨大な美術品を納める為に、1581年に3階を美術品収蔵の場所として改修させたもので、それが今や世界屈指の規模を誇る美術の殿堂となっています。

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アルノ川 南岸からの外観

次回はウフィツィ美術館を飾る、美術品の数々を紹介します。
  1. 2016/11/28(月) 16:45:53|
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フィレンツェ散策 -11 シニョリーア広場

フィレンツェの二日目は、まずはシニョリーア広場を通ってウフッツ美術館 ヴェッキォ宮殿を続けて見学する予定です。

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シニョリーア広場
写真中央の塔のある建物が ヴェッキォ宮殿、向かって右側のギャラリーの様な建物が ランツィの開廊、この二つの建物の間に、少しだけ ウフィッツ美術館 が見えています。
中世以来現在まで、市庁舎として使用されている ヴェッキォ宮殿に面するシニョリーア広場は、1385年に初めて舗装され、中世以来、フィレンツェ共和国の政治の中心であり、重要な式典や集会、演説が行われだけでなく、暴動の悲惨な事件の舞台ともた場所で、1498年に説教者ジロラモ・サヴナローナがし火刑に処された場でもあります。

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しかし、調和を考慮しない増築が続いたため、全体としての統一感に欠けると言われているようですが、多くの彫像や噴水が設置され、訪れる人の目を楽しませてくれています。

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ネプチューンの噴水  1575年 バルトロメオ・アンマンナーティ作
多角形の池の中央で海馬の曳く馬車に立つネプチューンは、この写真だと分かり難いかもしれませんが、相当の巨像であり、なかなかの迫力があります。
池の縁にはシャンボローニャ作ナイアス、トリトーン、サテュロスの銅像も置かれています。

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コジモ一世乗馬像 1594年 シャンボローニャ作

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ヴェッキオ宮殿の入口へ上る階段の両脇にも、巨大な胸像が並んでいます。
向かって左側 ダビデ像 ( レプリカ ) ミケランジェロ
向かって右側  ヘラクレスとカークス像 1533年 ヴァンディネッリ作

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ダビデ像のオリジナルはアカデミア美術館にあります。

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ランツィの開廊
行事の際に、君主 ( シニョリーア ) を屋根の下で迎える為に造られたのでシニョリーア開廊とも、また設計した建築家の名からオルカーニャ開廊とも呼ばれることもあります。
ランツィと言う名の由来は、コジモ一世に雇われたドイツ軍隊ランツケネッキが一時期この建物に駐屯していた事に由来し、広場がフィレンツェの表玄関の役割を担うようになると、開廊に彫刻が飾られるようになります。
広場に面して柱間の広いアーチが3つ並び、アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられています。

開廊の入口である中央のアーチを支える2本の柱の足元にはそれぞれにライオン像が置かれています。
ランツィの開廊5 ランツィの開廊6
向かって右側のライオン像は古代ローマ時代のもの、
左側は1598年に作成されたフラミニオ・ヴァッカが作成したものです。

向かって右側のアーチの下
ランツィの開廊2
サビーニの女たちの略奪 シャンボローニャ作 1583年

向かって左側のアーチの下
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ペルセウス ベンヴェヌート・チェリーニ作 1554年 が置かれています。

開廊中央
ランツィの開廊3
パトロクロスを抱きかかえるメネラウス 
後ろの壁際には6体のローマの女身像が並びます。

開廊の左側
ランツィの開廊1
ポリュクセネーの陵辱 ピオ・フェディ作

開廊右側
ランツィの開廊4
ヘラクレスとネッソス ジャンボローニャ作

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手前の彫像は ヘラクレスとカークス像

次回はウフィツィ美術館に入館します。
  1. 2016/11/24(木) 12:59:58|
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フィレンツェ散策 -10 ドゥオーモ美術館

ミケランジェロ広場からアルノ川北岸に戻り、サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂の東側、ドゥオーモ広場に隣接するドゥオーモ美術館を見学しました。
ドゥオーモ美術館には大聖堂と洗礼堂、そして鐘楼から集められた彫像などの作品の数々が陳列されています。
何も下調べをしないで来たので、何を見るべきなのかも分かりませんでした。
吹抜けの大空間の展示室には、大聖堂の何処かの部分を再現しているようですが、残念ながら分かりません。

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中央上ボニファティウス8世像

分からないものばかりですが、この扉だけは分かります。
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ここにはサン・ジョバンニ洗礼堂天国の門 の本物が展示されています。

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向かって左側はロレンッォ・ギルベルティ  
右側はヴィットーリオ・ギルベルティ ( ロレンッォの息子 )

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こちらの門は北側の扉でロレンツォ・ギルベルティキリストの生涯だと思いますが、確信は持てません。


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ブルネレスキが苦心の末に考案した巨大なクーポラの建築工法を表した展示もあります。
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こちらも詳細は分かりませんが、大聖堂のコンペ時のファサード模型だと思います。

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美術館から見たサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

この美術館にはミケランジェロピエタティカンピオ聖母子像ドナロッティマグダナのマリア像等の見るべきものが多々ありましたが、調べていなかったので特に気にしていなかったので写真は撮っておらず、見たのか見ていないのかもはっきり覚えていません。

まだ、午後の4時前だったのですが、ローマで歩き回った疲れが残っていた上に、この日も朝からジョットーの鐘楼に登ったり、アルノ川南岸の丘の上にあるミケランジェロ広場まで歩いたので、二人とも疲れ切ってしまい、夕食までホテルに戻って休むことにしました。
  1. 2016/11/22(火) 17:21:00|
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会津若松散策ダイジェスト ②

会津若松での二日目は、鶴ヶ城さざえ堂など、会津藩ゆかりの建物を中心に見学します。

先ずは鶴ヶ城へ向かいます。
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會津宮泉酒造
会津には沢山の酒蔵が在りましたが、會津宮泉酒造鶴ヶ城の目の前にあり、建物も特に立派な造りです。

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(株)會津葵本店
まだ詳しく調べていないので、古い建物だとの確信はありませんが、立派な蔵造りの建物です。

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鶴ヶ城のお堀

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鶴ヶ城
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麟閣
麟閣は場内の茶室です。
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鶴ヶ城を後にして、ホテルへの帰り道とホテルの周りを散策します。
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佐治呉服店
城下町だからなのか、会津若松には酒蔵の他に呉服店も目に付きます。

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神窺禧薬館

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旧若松庶民金庫

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松乃園斎藤茶舗

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旧会津実業信用組合

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鈴善漆器店

ホテルに戻り、チェックアウトを済ませてから松平家墓所へ
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松平家墓所
兄に是非にと言われて来てみましたが、辺りに民家はなく人っ子一人見当たりません。
「熊が出没するのでラジオラジオなど音の出るものを携帯してください」と言った趣旨の記された立て看板が在ったので、雨が降ってきたこともあり、残念ながら訪問は取りやめにしました。


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御楽園
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傘を指しながらの散策でしたが、雨の中の庭園の散策はなかなかに情緒のあるものでした。


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さざえ堂
今回の会津若松建築視察旅行での、主目的地の一つです。
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馬肉を使った うまうま丼       名物 ソースカツ丼


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新宮熊野神社
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新宮熊野神社長床

昼食を摂った、さざえ堂近辺で意外と時間が掛かり、ナビが古かった為に新宮熊野神社へ行く道を間違えてしまい、会津藩校日新館の見学は諦め、猪苗代湖畔へ向かいましたが、既にすっかり陽が沈んでいたので建物の見学は諦め、一時の間湖を眺めて帰路につきました。

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猪苗代湖畔

  1. 2016/11/05(土) 11:11:06|
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会津若松散策ダイジェスト ①

今週の月曜と火曜日、会津若松の七日町に点在する、大正及び昭和初期に建てられた、洋風商店建築の視察に行って来ました。
勿論、鶴ヶ城さざえ堂蔵造りの建物も見て来ました。

朝5時に自宅を出発し、東北自動車道を一路福島県を目指して北上します。
直接会津若松にには向かわずに、白川インターで東北自動車道を下り、先ずは甲子道路を通って茅葺き屋根の家並が残る大内宿を目指します。

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甲子道路の途中でトイレ休憩に立ち寄った 道の駅 しもごう から見た秋色に色付いた山並。

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国重要伝統建築物群保存地区に指定されている、大内宿茅葺き屋根の家並
大内宿葱蕎麦が名物なのですが、まだ昼食には少し時間が早かったので、会津若松に向かいます。

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二丸屋武蔵亭
昼食はネットで調べてあった会津若松市材木町の日光街道沿い蔵造りの蕎麦屋で食べました。

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賄い定食 キノコ御飯付山菜蕎麦    鰊山椒漬

二丸屋武蔵亭近くの日光街道沿いの建物
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林家住宅

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醤油醸造元 イケダ醤油 林合名会社

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日光街道沿いの建物。
蔵と洋風デザインが合体しています。

鶴ヶ城近くのホテルへ向かう前に、門田町の古い酒蔵へ寄り道します。
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高橋庄作酒造店

この後ホテルに車を止め、会津若松市役所の周辺と七日町の日光街道沿いのレトロな街並み群を散策しました。
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会津若松市役所

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うなぎ鯉料理 あら池

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鈴木屋利兵衛

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旧郡山商業銀行若松支店

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滝谷建設工業株式会社会津若松店

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白木屋資料館 ( 旧白木屋漆器店 )

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第二塚原呉服店 他

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レオ氏郷南蛮館

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尚信株式会社

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野球工房 バンダイスポーツ七日町店 ( 旧株式会社塚原呉服店 )

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池田種苗店

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渋川問屋

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阿弥陀寺の御三階

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只見線七日町駅 あいづふるさと駅cafe

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水だしコーヒー           会津産ワイン
あいづふるさと駅cafe で一休み

一本南の道を通って会津市役所方向へ戻ります。
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末廣酒造嘉永蔵
酒蔵を見学し、丁寧な説明を聞いた後、美味しい日本酒を何杯も試飲させてもらったので、お土産にお酒を買いました。

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旧黒河内胃腸病医院

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弘竜

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日本基督教団 若松栄町教会

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野口英世青春館・福西本店

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紀州屋

夕食はホテルの近くの出し桁造りの居酒屋で
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ゑびす亭
美味しい会津の日本酒と地元の素材使った料理を頂きました。

  1. 2016/11/04(金) 19:09:25|
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フィレンツェ散策 - 9 ミケランジェロ広場、アルノ川南岸

ヴェッキオ橋を渡ったアルノ川南岸は、北岸に比べると見所は少ないとは言え、時間があればピッティ宮ボーボリ広場位は見ておきたいところでしたが、まだローマ観光の疲れが残っていた上に、朝一でジョットーの鐘楼に上った疲れも重なって、ミケランジェロ広場に行くだけにしました。

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バルディ通り
ヴェッキオ橋を渡った辺りの風景

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日本では絶対に見ることの出来ない風景なので、名の無い路地の風景で絵になります。

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アルノ川岸の道から対岸のを見る
写真中央は、国立中央図書館、茶色の塔はサンタ・クローチェ聖堂の鐘楼

ヴェッキオ橋を渡り、アルノ川岸の道を1キロ程歩き、ジュセッペ・ポッチ広場から右手の丘に向かって、階段と坂道を交互に登ると、15分程でミケランジェロ広場が見えてきます。

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ミケランジェロ広場にも、シニョリーア広場と同様に、ダビデ像のレプリカが飾られています。

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左から ヴェッキオ橋ヴェッキオ宮、写真中央に ジョットーの鐘楼
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂サンタ・クローチェ聖堂
が見えます。
既にかなり疲れていたので、出来ればバスで来たかったのですが、バス乗り場と乗り方が分からなかったので、徒歩で上ってきましたが、この丘に建つと、美しいフィレンツェの街を一望することが出来るので、一時的にしろ、疲れを忘れる気分になりました。

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ヴェッキオ宮を中心にした一枚

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もう少しアップにして、フィレンツェを代表する ヴェッキオ宮サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 を撮ってみました。

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左から ヴェッキオ宮ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ジョットーの鐘楼の左下にメディチ家礼拝堂のクーポラも見えます。

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ヴェッキオ橋

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ヴェッキオ宮

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ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

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サンタ・クローチェ聖堂

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丘を下りる前に、フィレンツェの街の全景をもう一枚

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レナイ通り沿いの街並み

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帰り道は、アルノ川沿いの道は歩かずに、レナイ通りを通り、アッレ・グラツィ橋を渡って北岸に戻りました。

  1. 2016/10/25(火) 15:07:38|
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フィレンツェ散策 - 8 ヴェッキオ橋、ヴァザーリの回廊 他

サン・ロレンツォ聖堂の見学を終え、共和国広場周辺で昼食をとろうと思っていましたが、手頃ないい店が見つからなかったので、シニョリ-ア広場近くのファストフードのピザ店で、安く昼食を済ませました。

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共和国広場
共和国広場と呼ばれる広場は、この広場の他にローマ、ナポリ、トリノにも在り、1946年6月2日にイタリア共和国が成立したことを記念して、この名前が付けられたそうです。
写真中央の凱旋門は、1865年にフィレンツェがイタリア共和国の首都に選ばれたことを記念して建てられたもので、広場の中心建てられた豊穣の円柱と、メリーゴーランドと共に、広場の目印となっています。
広場の周辺には、老舗のカフェや高級レストラン、ブランド店、お土産店などが並んでいます。

この後通ったシニョリ-ア広場周辺の建物 ( ヴェッキオ宮、ウフィツィ美術館 ) は後日紹介することにします。

細長い中庭のようなウフィツィ広場の中程を右折し、細い路地( ランベルテスカ通りジェオルゴフィリ通り ) を通ってアルノ川沿いの道に出ると
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ヴェッキオ橋が見えてきます。
ヴァザーリの回廊の下から撮った写真です。

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この写真は翌日に、ウフィツィ美術館から撮ったもので、右下に写っているのがヴァザーリの回廊です。

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ヴェッキオとは「古い」と言う意味で、フィレンツェでもっとも古い橋なので、この名前で呼ばれています。
洪水により流失と再建が繰り返され、3つのアーチを描く現在の橋は、1345年にネーリ・ディ・フィオラヴァンテの設計により建設されたものです。

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橋の両側には何件もの宝石店が建ち並んでいます。

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16世紀の半ば迄は、肉や野菜を売る商店が、軒を連ねていましたが、橋の2階部分にヴァサーリの回廊が造られると、それらの商店は退去させられ、代わりに金銀細工師の店が集められ現在に至っています。

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橋の両側にはびっしりと建ち並んだ宝石店により、橋と言うよりも、まるで街中の通りの様相ですが、橋の中央にだけは、アルノ川をながめることの出来るスポットが在ります。

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橋の中央に飾られた胸像は、メディチ家の誰かかと思っていましたが、金銀細工師出身のベンヴェヌート・ チェッリーニという彫刻家で、1800年代に金細工師の父を記念して設置したものだそうです。

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ヴェッキオ橋の中央から、ヴァザーリの回廊見る。
さらにその先に、ウフィツィ美術館も見えています。

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アルノ川南岸から見たウフィツィ美術館

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アルノ川南岸からヴェッキオ橋ヴァザーリの回廊を見る。

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最後はアッレ・グラツィ橋からの一枚

この後は歩いてミケランジェロ広場へ向かいます。
  1. 2016/10/22(土) 14:50:00|
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フィレンツェ散策 - 7 サン・ロレンツォ聖堂③

メディチ家礼拝堂メディチ家の墓廟である新聖具室を見逃してしまったことは、前に書きましたが、サン・ロレンツォ聖堂に付属する建築物には、その他にもラウレンツィーナ図書館、回廊、旧聖具室等の見所があります。

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サン・ロレンツォ聖堂の回廊
回廊の屋根越しに、少しだけサンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂大クーポラと、ジョットーの鐘楼の頂部が見えています。

サン・ロレンツォ聖堂に付属する中庭を囲むこの回廊について、言及しているサイトは少なく、一つだけ1475年のマネッティの作と記されているサイトを見付けました。 
また、手持ちの資料の一冊に、この回廊ブルネッレスキの回廊と記載しているものも見付けています。
ブルネッレスキの死後、聖堂建設の指揮はマネッティが引き継いでいるので、どちらも正解と言うことだと思います。

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2層の回廊には、1階・2階共に灰色のイオニア式円柱が施されていますが、シンプルなデザインのアーチで2階の回廊を支える、1階の円柱と比べ、瓦だけが載ったように見える、殆ど見付けのない木組の庇を支える2階の柱は大変細く、木製の柱に塗装したものかとも考えましたが、元画像を拡大して見てみると、やはり石材ではないかと思われます。

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丁寧に刈り込まれ、手入れの行き届いた植込みの中央に植えられている樹木には、オレンジのような果実が実っています。

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2層に巡らされた回廊の上部を見てみましょう。
向かって左側のラウレンツィーナ図書館には、三角やアーチのぺティメントが施されたの窓があり、
右側の聖堂には半円アーチ窓丸窓が加わり、静かな中庭に賑わいを感じさせています。

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実は今回、ラウレンツィーナ図書館も見逃してしまいました。
恐らくこの扉がラウレンツィーナ図書館の入口だった筈なのですが、下調べ不足で見逃してしました。
もしも気が付いてこの扉を開けていたら、目の前にミケランジェロの設計で滝の流れを模したと言われる、図書館への階段が在った筈なのです。


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旧聖具室
ミケランジェロが設計した新聖具室は見逃してしまいましたが、ブルネッレスキが設計した旧聖具室の方は見ることが出来ました。
1419年に依頼を受けたブルネッレスキは、1422年に建設を始め1428に完成させています。
この教会で最も古く、ブルネッレスキが生きている間に完成した唯一の場所で、壁にはドナテッロによる洗礼者聖ヨハネの生涯を描いた 8 つのレリーフが飾られています。

旧聖具室新聖具室は、聖堂メディチ家礼拝堂を中心軸に、左右に対象に造られ、どちらも四角い平面とドーム天井からなる空間構成で、メディチ家礼拝堂と共にメディチ家の代々の墓廟であります。
旧聖具室にはコジモ・デ・メディチ、ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ、コジモ3世・ディ・メディチ墓廟があり、
新聖具室には豪華王と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチと弟のジュリア―ノヌムール公ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチウルビーノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ墓廟があります。

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ジョットーの鐘楼から写した、サン・ロレンツォ聖堂メティチ家礼拝堂

  1. 2016/10/19(水) 00:00:19|
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フィレンツェ散策 - 6 サン・ロレンツォ聖堂②

前回に続き、サン・ロレンツォ聖堂を紹介です。 
今回は聖堂内部に飾られたの絵画の紹介します。

先ずは、この聖堂に飾られた絵画の中で、最も有名だと思われる
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受胎告知 1440~1442年頃 フィリッポ・リッピ作
奥に向かって右側の翼廊左側の礼拝堂に飾られています。

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聖堂中央奥の主祭壇にも、細やかに描かれた、色鮮やかな絵も見られます。

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聖ラウレンティウスの殉教 1569年 ブロンズィーノ作
奥に向かって左側廊の奥の壁に描かれたフレスコ画の大作で、このフレスコ画も多くのサイトで紹介されていました。


この後は、殆ど詳細は分かりませんでしたが、左右の側廊に並ぶ、礼拝堂に飾られた絵画です。
礼拝堂の並び順と、以下の絵画の画像の並びは一致しいません。

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マリアの結婚 フィオレンティーノ作

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  1. 2016/10/18(火) 00:00:00|
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フィレンツェ散策 - 6 サン・ロレンツォ聖堂① 

サン・ロレンツォ聖堂は、メディチ家の依頼でフィリッポ・ブルネッレスキの設計により、1419年から1442年に掛けて改修された教会です。
元は393年に献堂式が行われた、フィレンツェで最も古い教会で、1060年にロマネスク様式の教会として再建されています。

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サン・ロレンツォ聖堂

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二日目 朝日を浴びる サン・ロレンツォ聖堂

教会の後方に二つのドームが見えますが、大きい方のドームメディチ家礼拝堂
小さい方のドーム新聖具室です。

聖堂の後ろ側に回ってみましょう
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メディチ家礼拝堂

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新聖具室

メディチ家礼拝堂サン・ロレンツォ聖堂を拡張して、16世紀から17世紀にかけて建設された礼拝堂で、新聖具室 と共に是非見ておきたい建物でしたが、今回は入口が分からず、内部を見学することが出来ませんでした。

聖堂の正面に戻ります
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サン・ロレンツォ聖堂
ブルネッレスキの死後、メディチ家墓廟である新聖具室図書館聖堂の正面の設計はミケランジェロに委ねられますが、大理石の産地を巡るメディチ家との対立や職人達の作業拒否等により、ミケランジェロの設計案は実現することはありませんでした。
結局正面は未完成のまま、現在に至っています。


聖堂の内部は、未完成の武骨な正面とは見違えるような、端正で細やかな装飾で飾られていました。
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教会の内部は3廊式
水平に張られた格天井ルネッサンス様式が取り入れられ、前方へと視線が集中するようにデザインされています。

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身廊側廊とは、コリント式の円柱に架けられたアーチで仕切られています。
美しい連続アーチ円柱、高窓はブルネッレスキの設計。

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一見すると、木材に灰色の塗装を施したようにも見える円柱アーチは、ピエトラ・セレナと言う灰色の石材が使われていて、派手な色大理石の教会を見慣れていた眼には、とてもシックな落ち着いたデザインに感じられます。

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左右の側廊には礼拝堂があります。

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中央交差部 ( クロッシング : 身廊と翼廊の交わる部分 ) から美しいドーム天井を見上げる。

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フレスコ画ブロンズィーノ作

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正面の祭壇

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中央交差部から右翼廊奥の祭壇を見る

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翼廊左側の礼拝堂

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中央交差部から左翼廊奥の祭壇を見る

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中央交差部辺りから入口方向を見る。

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入口上部の紋章の詳細は不明。

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天井の彼方此方に飾られたメディチ家の紋章です。

  1. 2016/10/17(月) 16:51:01|
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フィレンツェ散策 - 5 サン・ジョバンニ広場⑤ 広場周辺の建物

サン・ジョバンニ広場と、その周辺には、サン・ジョバンニ洗礼堂、ジョットーの鐘楼、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の他にも、見逃せない建物があります。

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先ずは、広場北側のマルテッリ通りを見てみましょう。

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向かって左側の建物は、サン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会
元はゴーリ邸の在った場所に、1351年からは、プロテスタントのサン・ジョバンニのための小礼拝堂が組み入れられた、「 聖人にささげた 小さな教会 」 として知られていましたが、 1557年コジモ1世は、イエズス会の教会として新たに 教会の継承を認め、最終的に1661年に完成した教会です。

右側はメディチ・リッカルディ宮殿

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フィレンツェ・ルネサンス建築の代表格と言われているメディチ・リッカルディ宮殿は、元はコシモ・ディ・メディチの依頼によりミケロッツォ・ミケロッツィの設計で、1460年に完成したメディチ家の邸宅でした。
メディチ家の人々が1540年まで暮らし、1655年にリッカルディ侯爵が買い取ったので、メディチ・リッカルディ宮殿の名で呼ばれており、現在は県庁として利用されています。

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1階の外壁は粗い石積
2階はやや平らな石積
3階は目地が見えない程の平滑な仕上げの石積
と言う3層構造で、この後1世紀以上、この建て方が大流行したとか
外壁から大きく迫り出した軒蛇腹ミケランジェロの設計です。
宮殿の中も見学出来た筈なのですが、今回はスケジュール的に無理だったので諦めました。

広場の南側へ
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サン・ジョバンニ広場カルツァイウォーリ通りの交わる角の敷地に、軒の出の大きな、目に付く建物があったので写真を撮っておきましたが
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ビガッロの開廊
後で調べてみると、この建物は、アルベルト・アルノルディの設計で1358年に竣工した建物だと分かりました。
大きく張出した軒の出の他に、通りと広場に向かって開放した、大きなアーチに支えられた開廊が特徴の建物です。

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向かって右側の広場側のアーチの上には、殉教者ペテロと聖母子、聖ルチアの像が飾られています。

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ジョットーの鐘楼からサン・ジョバンニ広場を見る
サン・ジョバンニ洗礼堂の右上に見えるクーポラメディチ家礼拝堂
左下の茶色の瓦屋根の建物がビガッロの開廊

ビガッロの開廊の前から、カルツァイウォーリ通りを南へ200m程歩くと
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オルサンミケーレ教会


一見しただけでは、教会とは分かりづらい外観なのは、元は1337年に穀物倉庫として建てられ、14世紀に市場の移動に伴って、礼拝堂として利用されるようになったからです。

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教会の周囲の壁には、14体の守護聖人の彫像が飾られています。

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聖トマスの不信

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オルサンミケーレ教会は、たぶん入場無料だったと思いますが、時間がなかったのでこちらも外観だけ・・・。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/10(月) 17:34:00|
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フィレンツェ散策 - 4 サン・ジョバンニ広場④ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 内観

内部空間は外部のド派手な装飾が嘘のような、シックなイタリア独特のゴシック様式

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3万人収容することが出来ると言われる聖堂内は、東西に153m、南北は90m。

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聖堂の構成は、身廊と左右の側廊からなる三廊式
平面の形状はラテン十字のバシリカ型です。
交差ヴォールトの天井も、ローマで派手な天井を見慣れた後なので、ちょっと物足りない感じさえあります。

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一段高くなったクロッシング ( 縦軸と横軸の交差部分 ) の祭壇場の十字架ベネディト・ダ・マイアーノ

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ドラム部の丸窓のステンドグラスは
「 聖母被昇天 」 「 ゲッセマネでの祈り 」 「 キリストの奉献 」 の下絵はロレンツォ・ギベルティ
「 聖母の戴冠 」 の下絵はドナテッロ
「 受胎告知 」 「 降誕 」 「 復活 」 「 昇天 」 の下絵はアンドレア・デル・カスターニョ、パオロ・ウッチェロ

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高さ107m、直径43mの大クーポラの天井には、ジョルジョ・ヴァザーリ作のフレスコ画 「 最後の審判 」 が描かれています。

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180°振り返り、大聖堂の入口方向を見る。

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正面入り口上部のステンドグラス

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ステンドグラスの下部に見える時計は、1443年に画家パウロ・ウッチェロが設計した24時間時計
一辺4.6mの正方形の時計の四隅には、遠近法を駆使した4人の預言者が描かれています。

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フィレンツェの周辺は、良質な大理石の産地として有名だそうです。
幾何学模様が描かれた大理石の床は、1526年から1660年にかけて造られました。

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※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/02(日) 18:00:00|
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フィレンツェ散策 - 3 サン・ジョバンニ広場③ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 外観

フィレンツェの街ので、一際目を引く赤褐色のクーポラは、フィレンツェのランドマークであるばかりでなく、イタリア・ルネサンスのシンボル
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
巨大な美しいクーポラが特徴の大聖堂は、イタリアの晩期ゴシック建築および初期ルネサンスを代表する建築です。

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フィレンツェ 二日目に撮影
大聖堂の全体を捉えるには、私のカメラだと、広角レンズを使用しても、このアングルからこのショットが精一杯。

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サン・ピエトロ大聖堂の円蓋の設計をローマ教皇に依頼されたミケランジェロ 「 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂より美しいもの造れない 」 と語ったと言う話は、この大聖堂の美しさを表す逸話として、あまりにも有名。
この写真でその美しさが伝わるかが心配です。

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白、緑、ピンクの3色の大理石によって装飾された外壁と、内径42mの八角形の大クーポラは、フィレンツェの文化と繁栄のシンボルと言えるでしょう。

1296に建築家アルノルド・ティ・カンピオの設計により始まった工事は、1302年のディ・カンピオの死により中断されます。
1334年、建設責任者にジョットーが指名されますが、ジョットー鐘楼の建設中の1337年に死去します。
1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タランティによって、東端部をディ・カンピオの計画よりも拡張し、現在の形に変更。
1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ部分を残すのみとなりました。
しかし、ここに来て聖堂建設は、前例のない巨大クーポラの建設と言う、大難題に突き当たります。
当時の工法としては、先ず木材でアーチの型枠を組み、その上に石材とモルタルでドームを造るのが一般的でしたが、計画された大天蓋の直径は42m、高さは100mを超える巨大なもので、それ程の巨大な型枠や足場を組むことは、当時の技術では不可能だったのです。
しかし、この難題に挑戦したのが、サン・ジョバンニ洗礼堂扉のコンペギルベルティーに敗れ、彫刻家から建築家へ転身していたフィリッポ・ブルネレスキでした。
1418年に行われたクーポラの設計コンペに応募したブルネレスキは、足場は造らず、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提案し、実現させたのたのです。
この時の設計コンペにはギルベルティも参加しており、ブルネレスキは20年振りに、洗礼場の扉のコンペの雪辱を晴らしたのです。
1434年にはクーポラ頂頭部が完成。
献堂式は1436年に教皇エウゲニウス4世によって行われました。
着工から140年、花の聖母寺はついに完成したのです。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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ファサード ( 正面 ) はゴシック期でもルネサンス期に造られたものではなく、1887年に完成したものです。

この教会の前に立った時の第一印象は、その美しさよりも、3色の色大理石で装飾された、目眩がする程のド派手さです。
まさに開いた口が塞がらないと言う程の驚きで、圧倒されてしまいました。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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どの写真を見ても、大聖堂と鐘塔は一体化した建物のように見えますが、実際には別棟になっていて、数m離れて建っています。

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ジョットーの鐘楼 3層目テラスから
上下どちらの写真も同じようなものですが、どちらか選べなかったので両方アップします。

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ジョットーの鐘楼 頂上テラスから
何処から見ても美しいクーポラですが、ここからのアングルが一番美しいかも・・・?

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大聖堂の裏 ( 西 ) 側から
広場の中央に建っているので、大聖堂の周りをぐるりと見て回ることが出来ます。
正面に劣らず、後側の立面のデザインにも、全く手抜きはありません。

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北側面

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ぐるりと回って再び正面 ( 東側・洗礼堂側 ) に戻ってきました。

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正面玄関

さあ、次回は大聖堂に入ります。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/01(土) 18:31:00|
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フィレンツェ散策 - 2 サン・ジョバンニ広場② ジョットーの鐘塔

ジョットーの鐘塔と呼ばれる、この鐘楼は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に隣接し、大聖堂と同じ赤・白・緑の3色の大理石で彩られた、高さ約84mのゴシック様式の美しい鐘楼です。

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ジョットーの鐘塔
サン・ジョバンニ洗礼堂天国の門の前辺りから見上げる。

この鐘塔サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計者、アルノルフォ・ディ・カンビオの構想に従い、1334年にフィレンツェ近郊出身の建築家(画家でもあった)ジョットー・ディ・ボンドーネの指揮によって建設が始められますが、ジョットーは基壇部の完成しか見ることなく、1337年に亡くなってしまいます。
ジョットーの死後、建設の指揮者は弟子のアンドレア・ピサーノ、フランチェスコ・タレンティと引き継がれ、この鐘楼は1387年に完成します。

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第2層はピサーノ
第3層から5層はタレンティの担当です。

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当初の計画にあった、塔頂部の尖塔は造られず、大聖堂よりも100年早く完成します。

基壇部と2段目には開口部はありませんが、美しい装飾により、重々しさは感じません。

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各層は上部に行くほど高くなっており、躍動感溢れる美しいランセット窓は、大聖堂のクーポラと共に、フィレンツェのランドマークになっています。

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東側の入口から塔の内部に入り、階段を登ってみましょう。

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3層目からの見上げ。

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階段室の壁に開けられた開口から大聖堂を見る。

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5層目に置かれた鐘

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サン・ジョバンニ広場サン・ジョバンニ洗礼堂を見る。

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414段の狭く急勾配の石段を登り切った頃には、もう一歩も歩けないと思う程、足は棒の様になり、疲れてクタクタになっていましたが、屋上のテラスからの眺めは絶景でした。

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東方向 高い場所から眺めるクーポラの何とも美しいこと・・・

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大聖堂クーポラの頂部にも、人影が見えます。
この後、クーポラに登ることも出来たのですが、今の足の状態では今後のスケジュールに係かかわるので、ここはきっぱりと諦めます。

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南東方向 サンタ・クローチェ教会

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南東方向 バルジェッロ美術館、Badia Fiorentina

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南方向 中央にヴェッキォ宮が見えます。

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同方向をアップ

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更にアップ ヴェッキオ宮がはっきり分かります。

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南西方向 サン・スピリト教会

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南西方向 共和国広場

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西方向 サンタ・マリア・ノッベラ教会

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北西方向 メディチ家礼拝堂、サン・ロレンツォ教会


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ジョットーの鐘楼の屋根を見る。
下から見ると陸屋根かと思っていましたが、瓦葺の方形屋根でした。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。

  1. 2016/09/28(水) 12:24:33|
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フィレンツェ散策 - 1 サン・ジョバンニ広場① サン・ジョバンニ洗礼堂

3月15日の夕方、ローマでの3日間の予定を全て終え、ホテルのフロントに預けていたスーツケースを受け取り、テルミニ駅へ急ぎます。

テルミニ駅からイタロを利用すると、約1時間半でフィレンツェの表玄関サンタ・マリア・ノッベラ駅に到着します。  
ホテル近くの中央市場2階のフードコートで食べることが出来るので、フィレンツェでの最初の食事は、ガイドブックにも載っている、出来たばかりの、このフードコートでとることにしました。
ここは安くて早くて美味しいので、我々のような旅なれない初心者にもお薦めです。

一夜明けて、フィレンツェでの1日目。
先ずはサン・ジョバンニ広場へと向かいます。

前日に夕食をとった、中央市場の横を通り、サン・ロレンツォ広場を過ぎると、通りの向こうにサン・ジョバンニ洗礼堂が見えて来ます。
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サン・ジョバンニ洗礼堂

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サン・ジョバンニ広場
写真中央がサン・ジョバンニ洗礼堂、向かって左がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、洗礼堂の屋根の向こうには、ジョットーの鐘塔が見えます。

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撮影位置を変えて、3ショット写真すをもう1枚。
3つの建物を1枚の写真に収めるには、私の腕だと、広角レンズを使ってもこれが精一杯。
しかも、かなり歪んだ写真になってしまいました。

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サン・ジョバンニ洗礼堂を広場北西側から見る
サン・ジョバンニ広場に建つ、フィレンツェを代表する、この3つの建物の中で、先ずは最初に建てられたサン・ジョバンニ洗礼堂から見てみましょう。

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サン・ジョバンニ洗礼堂ジョットーの鐘楼前辺り ( 南東側 ) から見る。

wikipediaには、この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀と記されていますが、手持ちの資料では、創建は恐らく7世紀だと記されています。
現在のロマネスク様式の姿となったのは、11世紀になってからで、内陣は1202年に完成しました。
その後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって改修を行い、大聖堂の洗礼堂として使われるようになりました。
詩人ダンテも、ここで洗礼を受けた一人で、神曲 「 地獄篇 」 に、この洗礼堂が登場します。
また、ディカンピオ、ジョットー、ブルネッレスキ、アルベルティー、ダビンチ、ミケランジェロなどの、フィレンツェ在住のルネサンスの芸術家達に影響を与えたと思われています。

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北側の扉から洗礼堂に入り、正面の南側扉方向を見る。
洗礼堂の内部も外壁と同様に、色大理石で飾った幾何学模様が施されています。

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180°振り返って南側扉方向を見る。

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祭壇
祭壇の後壁には、独特の幾何学模様が施されれ、4本のコリント式オーダーが施された円柱で支えられたアーチ天井には、ビサンチン風のモザイクが施されています。

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モザイクの円の中心に描かれた子羊は、キリストを表しているそうです。

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祭壇の向かって右側、教皇ヨハネス23世の墓

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洗礼堂内には、半円アーチの高窓キューポラ頂部からも外光が差し込みます。

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8角形の天井には、1220年~1330年までの約100年の歳月を費やし、ヴェネツィアとフィレンツェの職人達によって制作された、聖ジョバンニの生涯最後の審判を描いた黄金に輝くモザイク画が飾られています。

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8角形の屋根の頂部の越屋根
キューポラ頂部に見えた明りは、この越屋根からの外光です。

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サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂側 ( 東側 ) から見る。
そして、この洗礼堂で、何と言っても一番有名な見所は、ミケランジェロ天国の門と呼ばれた東門でしょう。

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1401年、世界最初と言われる設計コンペ ( コンクール形式 ) で製作者が選ばれた例と言われており、7人の技師や芸術家が応募し、リアルな作風の24歳の金銀細工師ブルネッレスキと、優美で繊細な作風の23歳の新人ギベルティーが最終選考に残り、長い協議の末、ロレンツォ・ギルベリティーが勝利を手にしました。
「天国の門」は1425年から1452に掛けて制作され、金塗りの10枚のパネルに旧約聖書の神話が描かれています。
但し、この東門はレプリカで、実物はドゥーモ美術館に展示されています。


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こちらは南側扉
1339年頃にアンドレア・ピサーノが作成した、28枚のパネルに描かれた洗礼者ヨハネの生涯です。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/09/24(土) 01:40:00|
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ローマ散策-39 ミケランジェロの回廊

ディオクレティアヌスの浴場の遺構を利用して建設された、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂と隣接した遺構の一角に、ミケランジェロは100本の柱と、それらを結ぶアーチとで構成された、正方形の中庭を囲む回廊の設計も手掛けています。

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ミケランジェロの回廊
広い正方形の中庭を囲む回廊は、ミケランジェロが1564年に亡くなった為、弟子のヤコポ・ドゥーカが師の構想を引き継いで、1565年に完成しました。

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ミケランジェロの回廊は、現在では、ディオクレティアヌスの浴場の遺構と共に、ローマ国立博物館の分館の一つとして利用されています。

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回廊の壁際には、彫像やオーダー柱、大小の石棺? 等が展示されています。

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中庭に出てみましょう。
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中庭の中心部には動物の彫像が見えます。
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貧乏旅行だったので、僕のローマ土産はこれだけで我慢しました。

これでローマでの3日間の全スケジュールを終了しました。
後はスーツケースを預けておいた駅の近くのホテルに戻り、テルミニ駅から電車でフィレンツェに向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/19(月) 08:12:23|
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ローマ散策-38 サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂

ディオクレティアヌスの浴場跡の遺構を利用して建設された教会です。

廃墟になっていたディオクレティアヌスの浴場に修復工事が始まったのは、1561年、建築家パラディオによる、遺跡保存の呼び掛けがきっかけでした。
修復を主導した教皇ピウス4世は、浴場の建設に駆り出された、殉教者天使に捧げる聖堂の建設を、ミケランジェロに依頼し、廃墟となっていた浴場の遺構を活かしたデザインで聖堂を完成させたのです。

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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂
廃墟となった外観をそのまま活かした入り口周りには、味も素っ気ありません。
この崩れかかったような弓形の壁は、ディオクレティアヌスの浴場熱浴室温浴室を隔てたものを、そのままデザインに取り込んだのです。

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ところが、一歩建物の中に足を踏み入れると、一転して古代の美しい装飾が蘇ります。

しかし、ローマでのこの3日間で見慣れてきた教会とは、少し形状が異なります。
前室は円形で、直接中央交差部に繋がり、身廊と呼べるような部分は殆ど在りません。

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前室のドーム天井の頂部には、パンティオンの様な明り取りが在ります。

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中央交差部から、内陣奥のアプス方向を見る。

    図面
  ディオクレティアヌスの浴場の平面図に、現在の地図を重ねた図面

横長だった浴場時代の建物を利用しているので、一般的なラテン十字形 ( 縦長の十字プラン ) とは異なり、身廊方向よりも翼廊方向が長く、横軸と縦軸が入れ替わった、見慣れない横長の十字プランになっています。

恐らくこの場所は、浴場時にはフリギダリウム ( 冷浴室 ) と呼ばれる中央大ホールだった所でます。
天井高は91mもあり、ハイサイドライトから、ふんだんに降り注ぐ外光は、この聖堂の特徴となっています。

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中央奥の祭壇


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中交差部に戻って前室方向を見る


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中央交差部から左翼廊の礼拝堂を見る

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左翼廊の礼拝堂
コリント式のオーダーが施された、緑色の大理石の円柱やその上のペディメントの装飾を良く見てください。
一見しただけでは、分かり難いかとま思いますが、これは壁に描かれた絵なのです。

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天井画を見上げる

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右翼廊の礼拝堂

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翼廊の側壁にも、ルネサンス期に描かれたと思われる、絵画が描かれています。

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この美しい大理石の床が、古代ローマ期の遺構なのか、ルネッサンス期に造られたものかに、言及した資料を見付けることは出来ませんでしたが、今回のローマ旅行で見た、何処の教会の床とも違うデザインだと思います。


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中央交差部から、前室方向のアーチ天井を見る。

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塩野七生さん著の 「 ローマ人の物語 ⅩⅢ 」 には
「 教会の本体は、かつての冷浴室そのものと言ってよい、おかげで、他の教会のような縦長の十字形ではなく、横長の十字形になっている。
内部に建つ8本の柱も、この教会が建設された年から1700年もの歳月、この同じ場所に建ち続けてきた。」

と記されています。
「 ローマ人の物語 」 以外の手持ちの資料には、この教会に関して詳しく解説したものがなく、ネットで検索しても、これ以上のものは見付けられなかったので、何処までが古代の遺構で、何処からがルネサンス期ミケランジェロによって改修されたものかの詳細は分かりませんが、ディオクレティアヌスの浴場想像復元図と見比べてみると、冷浴室だった部分の柱や壁の装飾の多くは古代の遺構で、祭壇周りや壁や天井に描かれた絵は、改修時に施されたものではないかと思われます。

無題-スキャンされたイメージ-01
ディオクレティアヌスの浴場想像復元図


教会内には、こんなものも展示されていました。
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ガリレオの振り子
2008年、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ生誕445周年を記念して、飾られていた作品です。
法王ベネディクト16世は、ガリレオの地動説を正式に認め、この教会において、ガリレオ科学者としての業績を讃えるミサを行ったそうです。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「 ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/18(日) 08:00:59|
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ローマ散策-37 ディオクレティアヌスの浴場

ローマでの3日目も、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂~コロッセオ~フォロ・ロマーノ~フォーリ・インペリアーリ の見学を終え、ネルヴァのフォロの近くのカヴァール通りのレストランで遅い昼食を済ませて、ローマでの最終目的地になる ディオクレティアヌスの浴場サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 へと向かいます。

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ディオクレティアヌスの浴場
ローマには既に10ヶ所の公共浴場が在りましたが、305年に完成したディオクレティアヌスの浴場は、敷地の外郭は370m × 380m、建物面積は45,000㎡、3000人の収容が可能で、カラカラ帝の浴場をも凌ぐ巨大施設でした。

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1/高温浴室、 2/微温浴室、 
3/フリギダリウム (熱い風呂を楽しんだ後に入る、冷水プールがある部屋 )
4/大プール、 5/運動場、 6/入口、 7/エクセドラ

建物の構成は、カラカラ帝の浴場を踏襲したており、フリギダリウムと呼ばれる冷水プールが在る中央の巨大なホールの周囲には、大プールや温浴室や体育施設も備えられていました。

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古代ローマで最後に建設されたこの浴場は、537年にゴート族によって水道の供給が絶たれるまで使用されますが、帝国滅亡後の運命は、他の建物と同様に廃墟となることでした。

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現在は、浴場の一部はローマ国立博物館として利用されています。

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ローマ帝国末期皇帝ディオクレティアヌスのは、最もキリスト教徒を迫害した皇帝としても知られ、浴場の建設には、多くのキリスト教徒が駆り出されたと言われています。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/17(土) 11:09:13|
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ローマ散策-36 フォーリ・インペリアーリ ( 皇帝達の公共広場 )

フォーリ・インペリアーリの建設は、共和政末期には手狭になっていたフォロ・ロマーノを拡張することを目的に、ユリウス・カエサルによって、北側に隣接した土地に、新たな政治・経済・宗教の中心施設を造ることを目的に始まりました。

白黒
最初に建てられたカエサルのフォロは、紀元前54年に建設が始められ、カエサルの死後、後継者のオクタビアヌス(後のアウグストゥス帝)によって、紀元前46年に竣工します。

前回の最後に紹介した写真です。
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元老院の手前、写真右端辺りがカエサルのフォロ ( 公共広場 ) が在ったところです。
この近くにカエサルの銅像も在った筈なのですが、場所を思い違いしていて、カエサルの公共広場の写真も、銅像の写真も撮り損なってしまいました。


約40年後の紀元前2年、カエサルの公共広場の北西側に、ほぼ同面積の公共広場が建設されます。
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アウグストゥスのフォロー ( アウグストゥスの公共広場 )
カエサルを暗殺したブルータスらを打ち破ったフィリッピの戦勝 ( 紀元前42年 ) を記念して、初代ローマ皇帝アウグウストゥスによって建設されました。
広場の両脇には半円形の大ホール(エクセドラ)が在り、そこには彫像が並んでいたと考えられています。

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広場の奥の復讐神マルテ ( マルス ) 神殿 は、美しい色大理石を用いて建てられ、新君カエサルや伝説上の英雄の像が納められていました。

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広場後方の壁の向こう側は、名門貴族でありながら、けして裕福とは言えなかったカエサルの家の在ったスッブラ ( 庶民の暮す下町 ) 地区でした。
スッブラでは度々大火が発生した為、この壁は防火壁の役割も果たしていました。

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アウグウストゥス帝の銅像


紀元75年には、アウグウストゥスのフォロに続いて、ヴァスパシアヌス帝によって、少し離れた東側に平和の神殿と広場が建設されます。
しかし、平和の神殿と広場は現在は道路に埋まっていて、全く見ることが出来ません。

このアウグウストゥスのフォロ平和の広場の間に残った空間にネルヴァのフォロ ( ネルヴァの公共広場 ) が完成すると、フォロ・ロマーノから、増幅するように建設された3つの公共広場に連続性が生まれ、総合公共広場の感を呈するようになります。

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               深緑 カエサルのフォロ
               薄緑 ネルヴァのフォロ
               肌色 アウグウストゥスのフォロ

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ネルヴァのフォロ ( ネルヴァの公共広場 )
広場にはミネルヴァ神殿がありましたが、17世紀にジャニコロの丘の噴水の材料にするため壊されてしまい、現存するのはこの壁だけになってしまいました、

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ネルヴァの銅像

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私も五賢帝の一人だったネルヴア帝の銅像と記念撮影してみました。
背景はアウグストゥスのフォロ ( アウグストゥスの公共広場 )


公共広場の拡張事業は、まだ終わった訳ではありません。

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トライアヌスのフォロ と トライアヌス帝の市場

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黄色 トライアヌスのフォロ
薄オレンジ トライアヌスの市場
濃オレンジ バシリカ・ウルピア

ダキア戦役に勝利をおさめ、ダキアの属州化を祝って、107年から112年に掛けて、ダマスカスの建築家アポロドロスによって建設されたトライアヌスのフォロ一帯の建築物は、皇帝達の公共広場の中でも最大の規模を誇り、全体で縦300m × 横185mと広大なもので、バシリカ・ウルピア二つの図書館に囲まれた場所に、記念柱も建てられました。

広場の周囲は柱廊で囲われ、東西の両脇にはエクセドラと呼ばれる半円形の部分があります。
広場の中央にはトラヤヌス帝の騎馬銅像が置かれ、広場南側の凱旋門の上には六頭立ての戦車に乗ったトラヤヌス帝の銅像も設置されていたそうです。

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バシリカ・ウルピア
トライアヌスのフォロ ( 公共広場 )の北側にはバシリカが建てられ、バシリカの北側に接して、二棟の図書館があり、図書館の間には、高さ40mのトライアヌスの記念柱が聳え建っています。
記念柱の更に北には、神格化されたトライアヌスに捧げられた神殿も在ったようです。

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トライアヌスの記念柱

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ダキア戦役の勝利を記念して建てられた記念柱には、2世紀のダキア戦役の物語が絵巻物のように螺旋状にビッシリと刻まれています。
柱の内部は空洞になっていて、螺旋階段で頂部まで上ることが出来ます。

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トライアヌスの市場
トライアヌスのフォロに沿って造られた、 この半円形の煉瓦造りの建物には、数多くの通路や店舗が機能的に配置されていました。
また、建設に必要な平地を確保する為に、クイリナーレの丘カンピドリオの丘を繋いでいた丘を、切り崩した斜面に沿って建てられたこの市場は、土留めの役割も果たしています。

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※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」等を参照しています。 
  1. 2016/09/11(日) 01:03:52|
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ローマ散策-35 フォロ・ロマーノ ③

前回、前々回に続いてフォほロ・ロマーノの3回目。
ついに今回はフォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 ) の中心である 広場 にやって来ました。

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フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
草の生えている部分が フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
広場の奥にサトゥルヌスの神殿 、フォーカスの記念柱 、ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿 が見えます。
高台の上 ( カンピドリオの丘 ) の建物は カピトリーノ美術館

写真に写っていない広場の左側は バシリカ・ユリア
僅かに写真右端に写っている道は 聖なる道
聖なる道の奥に在るのは セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
聖なる道の右側には バシリカ・エミリア ( 写真に写っていない ) が在ります。

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左端の7本の柱は サトゥルヌスの神殿
1本の巨大な柱は フォーカスの記念柱
その右側、3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
右端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門

写真中央上部 高台の上の建物は カピトリーノ美術館
古代ローマ時代カンピドリオの丘最も神聖な聖域であり、ここにはかつてユピテル神殿が建っていました。
ハリウッド映画でもお馴染みの場面だと思いますが、戦争に勝利し、ローマに凱旋した古代ローマの皇帝や将軍は、市民達の歓喜の中、聖なる道を行進し、最後に勝利をユピテル神殿に報告して凱旋式を終えたのです。

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フォーカスの記念柱
7世紀初頭、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ロストラ ( 演説台 ) の前に建立された記念柱
フォロ・ロマーノに建てたられたローマ帝国による最後の建造物でもあります。
白大理石の基台上の縦溝の彫られた13.6mのコリント式の円柱の上には、金色に輝くフォカス帝の立像が置かれていました。

しかし本来、この円柱はディオクレティアヌス帝に献呈された像を支える為のものであり、銘は削り採られ転用されたと考えらています。

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以下9枚は、前日にカピトリーノ美術館から撮った写真
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写真中央の道の右側 バシリカ・ユリア
道の左側 フォロ・ロマーノ
左上に見える広場の左側の道は 聖なる道

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バシリカ・ユリア
紀元前54年、ガリア戦争の勝利で得た資金をもとに、カエサルが建設を始め、アウグストゥス帝が紀元12年に完成させた為、バシリカ・ユリア ( ユリウスのバシリカ ) と呼ばれています。
5廊式の巨大建築物で、中央広間は82m×16mもあり、周囲を大理石の円柱で支えられた回廊が取り囲んでいました。
バシリカ・ユリアの本来の目的は裁判所の法廷としてのもので、民事法廷等が開設されていましたが、食堂街や官公庁の事務所の他、ローマ市民の会合の場所としてもよく利用され、その為の部屋や店なども設けられていました。

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左から サトゥルヌスの神殿
その右の1本柱は フォーカスの記念柱
その右の緑の広場は フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノの上に アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
フォロ・ロマーノの左上、フォーカスの記念柱 からアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿に続く道が 聖なる道
フォロ・ロマーノの右側の道を挟んで バシリカ・ユリア

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左端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
凱旋門の後ろの切り妻屋根の建物は 元老院
その右の3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右の道は 聖なる道 
聖なる道の奥には アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
写真中央の1本柱は フォーカスの記念柱
写真中央の広場は フォロ・ロマーノ
その右の7本柱 ( 写真では2本に見える )は サトゥルヌスの神殿
その右の緑の部分は バシリカ・ユリア

聖なる道はアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿からセプティミウス・セヴェルスの凱旋門を経由しサトゥルヌスの神殿とヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿の間の坂道を上って、カンピドリオの丘に建つユピテル神殿へと繋がります。

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左端 3本の柱の残るヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右のバロッククーポラの建物 サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会
その右の凱旋門 セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
その右後方 元老院 
右端 サトゥルヌスの神殿

ジグザグに上がって来る坂道が ユピテル神殿に向かう 聖なる道

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セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
セプティミウス・セヴェルス帝パルティア遠征の戦勝記念として、203年に建設された高さ23m、幅25mの白大理石の豪華な彫刻によって装飾された凱旋門です。

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セプティミウス・セヴェルス帝の死後、息子のカラカラゲタは共同皇帝として即位しますが、212年にカラカラは弟のゲタを暗殺した為、ゲタに関する彫刻は全て削り取られています。

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元々はトラバーチンの基礎の上に建っており、地面から階段で昇るようになっていました。
315年に建てられたコンスタンティヌスの凱旋門のデザインに、影響を与えたことは既に記述しましたが、中央のアーチ道と両脇のアーチ道との間に開口部を通じるデザインも、近代の凱旋門に模倣されています。


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元老院
この建物は20世紀に復元されたものです。


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道の左側 フォロ・ロマーノ
道の右側 バシリカ・ユリア
2本の柱は本来は7本在りました。
フォロ・ロマーノの南端にバシリカ・ユリアに平行して並んでいます。

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セプティミウス・セヴエルスの凱旋門の前辺りから、フォロ・ロマーノ越に、カストルとボルクスの神殿パラティーノの丘の方向を見る。


カエサルの神殿の前辺りから、聖なる道越しに見る
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バシリカ・アエミリア

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バシリカ・アエミリアマルクス・アエミリウス・レピドゥスによって、紀元前34年に建設されたバシリカで、建物の大きさは100m×30m。
バシリカ・ユリアと共に重要な裁判が行われ、正面には商店が並び、商取引にも使われていまた。
バシリカ・ユリアと同様に、基礎部分以外、ほとんど消失しています。


バシリカ・アエミリアの遺構の中の通路を通って、出口に向かいます。
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パラティーノの丘の方向を見る

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フォーリ・インペリアーリ通り側の出口辺りから、フォロ・ロマーノを振り返る。
復元作業が進んでいる列柱の右側に元老院、サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会が見えます。

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元老院の手前、写真右端辺りはカエサルのフォロ ( 公共広場 ) が在ったところです。

次は、フォーリ・インペリアーリ に向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/09/08(木) 11:32:30|
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ローマ散策-34 フォロ・ロマーノ ②

前回に続いてフォロ・ロマーノの2回目です。
前回紹介した、ロムルスの神殿前辺りからパラティーノの丘の方向 ( 南南西 ) を見る。

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パラティーの丘の手前に 乙女たちの家 の跡が在ります。
パラティーノの丘の法面と一体化するかのような、3階建てに見える建物は、丘の北西角に建つドムス・ディベリアナ

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アントニヌス・ピウスとファウスティーナの神殿前からパラティーノの丘の方向 ( 南 ) を見る。


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巫女たちの家
写真上半分はドムス・ティベリアナ。 
池の在る中庭を取り巻く基壇だけになっているのが巫女たちの家です。
ここはかまどの女神ヴェスタに仕え、聖なる火を守る巫女たちの住居です。

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巫女たちの家は、池のある中庭を囲む2階建ての建物で、中庭に面した回廊を支える列柱の間には、女神(?)の彫像が置かれています。

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左側 カストルとポルックス神殿
右側 ヴィスタ神殿

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ヴィスタ神殿
205年にセプティミウス・ゼヴェルス帝によって建造されたもので、フォロ・ロマーノで唯一の円形神殿
20本のコリント式の柱で囲まれた神殿の中には、聖なる火が灯されていました。

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カストルとポルックス神殿
紀元前495年、レギッルス湖畔の戦いでローマを勝利へ導いた伝説上の双子カストルとポルックスを称えて建設された神殿。
現存する3本の大理石製のコリント式の円柱は、紀元前12年の火事の後、ティベリウス帝が再建したものです。


この基壇しか残っていない建物は、敬愛するユリウス・カエサルを祀った神殿です。
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カエサルの神殿
紀元前44年3月15日ブルータスらに暗殺された ユリウス・カエサル の遺体が火葬された場所に、カエサルの後継者に指名されたオクタビアヌス ( アウグストゥス帝 ) によって、紀元前29年にカエサル神格化されたことを記念して、神君カエサルの神殿として建設したものです。
フォロ・ロマーノに面して建つカエサルの神殿は、前柱廊下式の以外な程小さな神殿でした。

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基壇の半円形に窪んだ場所には祭壇が残っており、この場所でカエサルの遺体を火葬したと考えられています。
後で分かったことですが、この地を訪れた3月15日は、きしくもカエサルの命日でした。  
カエサルの命日をねらって来ようとしても、日程の都合やら何やらで、そう簡単には実現出来るものではありません。
この偶然には感動せずにはいられませんなでした。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/09/07(水) 11:27:56|
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ローマ散策-33 フォロ・ロマーノ ①

パラティーノの丘の見学も終わり、ついにフォロ・ロマーノにやって来ました。
フォロ・ロマーノとはローマ市民の広場を意味しjます。
フォロ・ロマーノパラティーノ、カンピドリオ、クイリナーレの三つの丘谷間に位置し、広さは東西約300m、南北約100mと小さいながら、約1100年に渡って、古代ローマの政治、宗教、司法、行政の中心であり続けたのです。

コロッセオ ( 東側 ) から見たフォロ・ロマーノ
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ヴィーナスとローマ神殿
中央の10m程高くなった人口地盤の様な緑の部分がヴィーナスとローマ神殿
今ではただの空き地のようにも見えますが、ここには135年にハドリアヌス帝によって建てられた、150本もの円柱からなる回廊に囲まれた巨大な神殿 ( 145m × 100m ) が在ったのです。
ヴィーナスとローマ神殿の西側半分、巨大なアプスの向こう側には、10世紀に建てられた、ロマネスク様式の鐘楼が印象的なサンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂が在ります。
その左側にはティトゥスの凱旋門
右側にはマクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカが見えます。

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巨大なアプスは、実は建物の中心に、背中合わせに二つ在ったのです。

    ヴィーナスとローマ神殿
ヴィーナスとローマ神殿は、ローマの女神神殿ヴィーナス神殿が一つの神殿の中に背中合わせに祀られた、他に例のない形式の神殿だったのです。
現存しているのはヴィーナス神殿アプスです。


こちらは反対 ( 西 ) 側、前日に撮ったカピトーリノ美術館から見たフォロ・ロマーノです。
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中央の7本の柱はサトゥルヌスの神殿
その左、3本(2本に見えるが)の柱がヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿

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左端のバロッククーポラの建物 サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会
その右の凱旋門はセプティミウス・セヴェルスの凱旋門
凱旋門の後ろの切り妻屋根の建物は 元老院
その右の3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右の道は 聖なる道 
聖なる道の奥に アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
写真中央の1本柱は フォーカスの記念柱
写真中央の広場は フォロ・ロマーノ
その右の7本 ( 写真では2本に見える ) サトゥルヌスの神殿
その右の緑の部分は バシリカ・ユリア

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この写真だとサトゥルヌスの神殿の7本の柱が分かります。
手前に上って来る坂道は、ユピテル神殿に向かう聖なる道


ここで、コロッセオ側、ティトゥスの凱旋門の所に戻ります。

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ティトゥスの凱旋門
現存するローマ市最古の記念門
ユダヤ戦争の戦勝記念として紀元81年に建立されたもので、高さは15.4m、幅1は3.5mです。

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アーチの内側にティトゥス帝の勝利のエピソードが刻まれた浮き彫りがあります。


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ティトゥスの凱旋門辺りから、フォロ・ロマーノの中心部方向を見る

ここから右側を見ると
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マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ
マクセンティウス帝が308年に建設を始め、ミルウィウス橋の戦いマクセンティウス帝を破って帝国を再統一したコンスタンティヌス1世が、312年に完成させた為、マクセンティウスのバシリカともコンスタンティヌスのバシリカとも呼ばれています。
見ての通り、古代ローマ時代の伝統的なバシリカ建築とは全く異なるスタイルで、その形態からローマ浴場の形態から着想したのではないかと考えられています。

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バシリカは幅65m×高さ100mの規模を誇り、 身廊は幅25m×奥行き80m×高さ39mと言う巨大なもので、古代ローマ最大の、そして最後のバシリカです。
身廊は4本の巨大な柱で支えられた交差ヴォールトの天井となっており、西端部のアプスには、高さ12mもの巨大なコンスタンティヌス1世像が置かれていました。 ( この巨像はカピトリーノ美術館で紹介済み )
現在残っているのは北側の側廊のみ。

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マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカの前辺りから、、フォロ・ロマーノの中心部方向を見る。

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手前から ロムルス神殿  
その左 アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 

ロムルス神殿はマクセンティウス帝が、夭折した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設した神殿。


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アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 
五賢帝の一人、アントニヌス・ピウス帝が紀元141年に、先逝した皇妃ファスティーナの為に建設した神殿ですが、後にアントニヌス・ピウス自身もここに葬られています。
中世初期にはキリスト教の教会として使われるようになり、11世紀に神殿跡にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ聖堂が建設され、1602年に神殿の一部を再建するかたちで設計しなおされ、現在のような状態になっています。

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高い階段と美しい雲母大理石の列柱が残っています。

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再び、反対 ( 西 ) 側、前日に撮ったカピトーリニ美術館から見た写真です。
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左から アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 
その右 ロムルス神殿
その上 マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ
その右 コロッセオ

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」等を参照しています。
  1. 2016/09/06(火) 19:07:59|
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ローマ散策-32 パラティーノの丘

長い列を一時間ほど並び、ついに、フォロ・ロマーノの敷地内に入ることが出来ました。
直ぐにでもフォロ・ロマーノを見学したいところでしたが、この後の行程を考えて、直ぐにはフォロ・ロマーノへは行かず、左に曲って、先ずはパラティーノの丘へ向かいます。

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ティトゥスの凱旋門マクセンティウス ( コンスタンティヌス ) のバシリカの中間辺りから見たパラティーノの丘

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チルコ・マッシモから見たパラティーノの丘
( ローマ散策 - 10 ) で紹介済み

パラティーノ丘は、古代ローマの政治経済などの中心であるフォロ・ローマノに隣接することから、古代ロマーの住宅地のなかでは、最も高級な住宅街であり、共和政時代はキケロ等の財を成した元老院達住み、帝政に移行した後は、初代皇帝アウグゥストゥスが居を構えたことから、以後、皇帝達の住まいともなったのです。

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スタディオン
第11代皇帝ドミティアヌスが、東側に隣接するドムス・フラウィアドムス・アウグスターナーと同時期に建てた施設です。
ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に、ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられました。
 
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陸上競技のトラックの様な平面ですが、スタディオンは競技場ではなく、古代ローマ時代には皇帝の私庭 ( 庭園 ) として使われていたようです。
地面に楕円形の建物跡が残っていますが、これは東ゴート王国初代国王テオドリックの時代 ( 6世紀 ) に造られたアンフィテアトルム ( 円形闘技場 ) の跡です。


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ドムス・アウグスターナ 
ドムス・アウグスターナ皇帝公邸として使われていました。
パラティーノの丘の中央部のほぼすべてを占めており、アウグストゥスティベリウスネロ等が建てた建物群を撤去した跡に建てられています。

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泉のある半地下の庭ペリスティリウム

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目線を変えれば、この辺りからは、チルコ・マッシモを一望することが出来ます。

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チルコ・マッシモを見る。


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ドムス・フラウィア 
ドムス・フラウィア皇帝官邸としての機能を持っていました。
ドミティアヌス帝就任直後に建設され、以降約300年間、ローマ帝国皇帝の官邸として利用されています。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「ローマ過去と現在」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。 
  1. 2016/08/26(金) 15:07:04|
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ローマ散策-31 コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオの直ぐ隣りに在るコンスタンティヌスの凱旋門は、高さは21m、幅25.7m、奥行きも約7.4mもあり、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門と共に古代の凱旋門では最大級の規模を誇っています。

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コンスタンティヌスの凱旋門

当時、西ローマの副帝だったコンスタンティヌスムルヴィウス ( 現ミルヴィオ ) 橋の戦いにおいて、正帝マクセンティウスに勝利したことを記念して、315年に建てられました。

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3つの門を有する構成は、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門のものを踏襲したもので、中央の門は高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さは約7m、幅3mです。
フォロ・ロマーノ内に残る二つの凱旋門と比べても、規模・装飾共に一際立派なコンスタンティヌスの凱旋門ですが、永く栄華を誇ったローマ帝国も、この頃には度重なる北方蛮族の浸入や、キリスト教の隆盛により衰退する一方で、その立派な装飾の殆どは200年前の五賢帝の時代の建物から移設した ( 剥しとってきた ) ものなのです。

五賢帝の時代の建物から移設したレリーフや彫像を列記すると、
南北両面共に 
コリント式オーダー柱の上部に立つ彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代

南面 右側
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上部の彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 演説する皇帝 ・ 犠牲の場面
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 熊狩り ・ ディアーナ神犠牲

南面 左側
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上部の彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 皇帝がゲルマン人と引見する姿 ・ 捕虜を見分する姿
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 出陣 ・ シルヴァヌス神犠牲

基礎と下部構造は石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、円柱は黄色大理石、それ以外は白大理石から構成されています。
装飾は南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から
最上層の8枚のパネルは176年に建設されたマルクス・アウレリウス帝の凱旋門から
同じく最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トライアヌス帝が建設したトライアヌスのフォルムからの転用材と考えられています。
8本の黄色大理石の円柱も、どこかの建物からもたらされたものと考えられ、これら以外の彫刻だけが、コンスタンティヌス帝の時代のものなのです。

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近年では、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌス帝はこれを改変しただけであるとする説も提唱されているそうです。

中世以降のキリスト教の教皇達が、信ずる神を同じくせず、ある時は自分達を迫害もしたローマ帝国の建てた建物から、装飾や彫刻等を奪い去り、自分達の建てる教会に転用する行為は、現代の文化財保護的視点から見れば、如何なものかと思わざるを得ませんが、古代ローマ時代とは比べるべくないほど、国力も技術も美意識も衰退してしまった中世という時代背景を考えると、仕方がないことなのかもしれません。
しかし、コンスタンティヌス帝は末期とは言え、同じローマ帝国の皇帝です。
偉大なる先人達を称え祀った記念碑を破壊し、自らの凱旋門を造ってしまう神経には、とても共感出来ません。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 等を参照しています。
  1. 2016/08/21(日) 16:41:26|
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ローマ散策 -30 コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )

ローマでの3日目 ( 最終日 ) は、朝食を早めにとり、チェックアウトを済ませたホテルにスーツケースを預けて、ローマでの最終日を満喫すべく、早々に街へ出ました。
初日に訪れた時には、大聖堂の前に出来ていた行列を見て、中に入るを諦めたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見学し、その後、ついに念願のコロッセオへ向かいました。
( サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は第一日目のところで紹介済みです。)

地下鉄の駅を出た時には、少し強めの雨が降っていたので、外観の撮影は後回しにして、雨宿りも兼ねてチケット売り場へ
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コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )
チケットの列に並んでいる間に、雨はすっかり上がり、青空さえ見えていて、競技場の中は蒸し暑い程でした。

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私がコロッセオを初めて知ったのは、子供の頃にテレビで観たオードリー・ヘップバーン「 ローマの休日 」か、中学1年の時に大ブームだったブルース・リー「 ドラゴンへの道 」だったかもしれません。

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コロッセオローマの七つの丘のうち、パラティーノ、チェリオ、エスクイリーノの三つの丘に囲まれた谷の中央に在り、ネロ帝ドムス・アウレア ( 黄金宮 ) の庭の人口湖の在った場所に建てられました。
ヴェスパシアヌス帝の治世だった紀元72年に着工し、8年の歳月を掛けてティトゥス帝治世の80年に完成し、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、観客席の最上層部と天幕が完成します。
コロッセオヴェスパシアヌス帝からティトゥス帝ドミティアヌス帝までのフラウィウス朝の皇帝達が建設者であることから フラヴィウス円形闘技場 が本来の名前になります。

この巨大な競技場の長径は188m、短径は156mの楕円形で、周囲の長は527m、高さは48mもあり、約5万人を収容出来たと言われています。
最上階の周囲には日除けの天幕が張られていたらしく、現在の競技場建築の原型と言えるでしょう。

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コロッセオでは、宗教的な祝祭や凱旋式などの祝い事、演劇等の他、映画 「 グラジエーター」 でも描かれているような剣闘士同士の戦いや、猛獣狩り、罪人の処刑までもが見世物として行われていました。
水を張って模擬海戦までも行ったと言うのですから驚きです。

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アリーナの地下には控室や倉庫、通路が配置され、現代の劇場の奈落のように昇降機も備えられていて、そこからアリーナ上に猛獣登場させたり、舞台装置を地上へ運ぶのにも使われました。
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写真のように、今はアリーナの 1/4 程にだけ復元された木製の床が張ってありますが、本来のアリーナの面積は、長径76m × 短径46m あって、木製の床の表面には砂を撒いた舞台が設置され、剣闘士同士の戦いや、猛獣達との戦いも繰り広げられたのです。

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コロッセオの主要な構造材はローマン・コンクリートと言われる火山灰を利用したコンクリート。
煉瓦を積んでいるように見えますが、煉瓦はコンクリートの型枠として用いられ、そのまま取り外されることなく、コンクリートと一体化して建物の構造体の一部になっているのです。

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どの写真を見ても分かるように、コロッセオローマンコンクリートによるアーチ構造で構成されていると言えます。
ローマンコンクリートと共に、ローマの土木建築を支えたのがアーチ構造で、水道橋や橋、凱旋門等でも見られる構造です。
これはエトルリア人から受け継いだ技術で、ローマ独自の技術ではありませんが、ローマにより大いに活用され、また発展させたと言えるでしょう。

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6世紀に修復の記録が残っていることから、古代末期までは競技場として使用されていたと分かっていますが、外壁を覆っていた美しい白大理石は、中世を通じて教会等の建築材料として流用され続け、コロッセオの一部は、サン・ピエトロ大聖堂にも使用されています。
今のコロッセオの姿は、永い年月、風雨にさらされた風化した後の姿ではなく、取り外せる物は全て持ち去られ、身ぐるみはがされた後の痛々しい姿なのです。

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この辺りは、かなり修復されているようです。

さて、ここからは外観です。
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競技場は4層構成の建築物で、1層から3層のアーチ構造アーチのにはそれぞれ1体ずつの彫像が飾られていました。
1階の周囲には80のアーチがめぐらされ、化粧付柱にはドーリス式、2階はイオニア式、3階はコリント式のオーダーが施され、最上部までの高さは48mもあります。

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4層部分はドミティアヌス帝の時に増築した部分だと思います。
4層部だけはアーチ構造ではありません。
化粧付柱も、1~3層が半円形であるのに対し角柱で、オーダーはコリント式です。

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1階のアーチの上部には番号が刻まれていて、観客はチケットの番号とアーチの番号を確認しながら、自分の観客席に向かう仕組みになっていたそうです。
今とほとんど変わらないシステムだったんですね。

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反対側は2層しか残っていません。

少しづつ右に回って行きます。
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この辺りは改修が進んでいるように見えます。

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最後にもう一度地下鉄の駅の出入口あたりから
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さてこれからついに フォロ・ロマーノ に向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/08/13(土) 12:10:58|
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ローマ散策 -29 マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )

カピトリーニ美術館の見学を終えた頃には、時計はすでに夕方の5時を少し回っていたでしょうか? 
ローマの日没時間を事前に調べていなかったのですが、そろそろ陽が暮れる時間に近づいているようです。
次は、既に紹介済みのサン・タンジェロ城の夜景の撮影をする為に、テヴェレ川沿いの道へ向かう途中、コロッセオを一回り小さくしたようなマルチェッロ劇場に立ち寄りました。

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マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )
マルチェッロ劇場カエサルが、宿敵であり親友でもあったポンペイウスが建てた、ローマで最古の恒久劇場である、ポンペイウス劇場に対抗するかのように計画した石造の恒久劇場です。
しかし、カエサルは暗殺された為、完成は紀元前10年頃。
初代皇帝アウグストゥスの時代に規模を拡大して完成します。

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質実剛健を旨としたローマでは、ギリシャ的な演劇は軟弱と嫌う風潮から、劇場は木造の仮設的なものが利用されていました。

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アポロン神殿の円柱
ギリシャ文化を踏襲し、取り入れてきたローマ人にしては興味深い傾向ですが、軟弱との批判をそらす為に、ポンペイウス劇場にはウェヌス・ウィクトリクス神殿が、マルッチエロ劇場アポロ神殿に隣接して建てられています。

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マルチェッロ劇場の直径は111m。
収容観客数は当初11000人とも15000人とも言われています。

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アーチを多用した半円形の大構造で、オーダーの様式は1層がドーリア式、2層がイオニア式
一番上の3層はコリント式の円柱があったと思われますが、中世に修理された際に、最上部の客席や円柱が除去されたため、詳細は不明です。

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ローマ帝国崩壊後は廃墟となり 、中世初期にファビウス氏族が要塞として使用します。

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この写真でも分かりますが、3層より上階には現代的な窓がはめ込まれています。
これは16世紀に、バルダッサーレ・ペルッツィが設計したオルシーニ家の住居として改築されたもの。
現在では、上層階はアパートに分割されていて、人が住んでいるそうです。
古代の遺跡がアパートになっているなんて驚きです。

この後バスを利用してサン・ンジェロ城で夜景を撮影し、二日目の予定は全て終了です。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」 等を参照しています。
  1. 2016/08/11(木) 15:00:19|
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ローマ散策 -28 カピトリーノ美術館 パラッツォ・ヌーボー館

地下通路を通ってコンセルヴァトーリ館からパラッツォ・ヌーボー館へ移動し、先ずは中庭に出てみましょう。

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パラッツォ・ヌオーヴォの中庭の噴水

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マルフォーリオ
川の陰喩か、海の神ネプチューンを表したものではないかといわれています。
16世紀、フォロロマーノで、噴水の一部となっている花崗岩の巨大な杯と一緒に発見されました。

2階に上がると、そこはリアルで美しい彫像で一杯です。
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パラッツォ・ヌーボー館の館内も、ローマ期の彫像が一杯です。

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ファウヌス神の像
ティヴォリで発見された赤大理石の彫像

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瀕死のガリア人
ギリシャ人 プラクシテレスが紀元前3世紀に作成した彫刻をローマ時代に模索したもの

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この彫像のモデルの情報は見付けられませんでした。

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狩りをするセウェルス帝
3世紀に造られた、大理石の彫像です。

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負傷した戦士
紀元前460年のミローネ作の「円盤投げの選手」の胴体部分を使い、紀元1世紀に「負傷した戦士」として、造りかえられた作品です。

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カピトリーニのヴィーナス
この彫像もギリシャの彫刻を、ローマ時代に模したものです。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「わがまま歩き29 イタリア5都市」「カピトリーニ美術館1・2・3・4」「観るのに5時間かかった圧巻のカピトリーノ美術館の見どころ・主要作品」 等を参照しています。
  1. 2016/08/01(月) 00:00:37|
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