アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ローマ散策-32 パラティーノの丘

長い列を一時間ほど並び、ついに、フォロ・ロマーノの敷地内に入ることが出来ました。
直ぐにでもフォロ・ロマーノを見学したいところでしたが、この後の行程を考えて、フォロ・ロマーノへの道を左に曲がり、先ずはパラティーノの丘へ向かいます。

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ティトゥスの凱旋門マクセンティウス ( コンスタンティヌス ) のバシリカの中間辺りから見たパラティーノの丘

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チルコ・マッシモから見たパラティーノの丘
( ローマ散策 - 10 ) で紹介済み

パラティーノ丘は、古代ローマの政治経済などの中心であるフォロ・ローマノに隣接することから、古代ロマーの住宅地のなかでは、最も高級な住宅街であり、共和政時代はキケロ等の財を成した元老院達住み、帝政に移行した後は、初代皇帝アウグゥストゥスが居を構えたことから、以後、皇帝達の住宅となったのです。

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スタディオン
第11代皇帝ドミティアヌスが、東側に隣接するドムス・フラウィアドムス・アウグスターナーと同時期に建てた施設です。
ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に、ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられました。
 
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スタディオンは競技場ではなく、皇帝の私庭 ( 庭園 ) として使われていたようです。
地面に楕円形の建物跡が残っていますが、これは東ゴート王国初代国王テオドリックの時代 ( 6世紀 ) に造られたアンフィテアトルム ( 円形闘技場 ) の跡です。


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ドムス・アウグスターナ 
ドムス・アウグスターナ皇帝公邸として使われていました。
パラティーノの丘の中央部のほぼすべてを占めており、アウグストゥスティベリウスネロ等が建てた建物群を撤去した跡に建てられました。

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泉のある半地下の庭ペリスティリウム

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目線を変えれば、この辺りからは、チルコ・マッシモを一望することが出来ます。

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チルコ・マッシモを見る。


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ドムス・フラウィア 
ドムス・フラウィア皇帝官邸としての機能を持っていました。
ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に建設され、その後約300年間、ローマ帝国皇帝の官邸として利用されています。


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  1. 2016/08/26(金) 15:07:04|
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ローマ散策-31 コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオの直ぐ隣りに在るコンスタンティヌスの凱旋門は、高さは21m、幅25.7m、奥行きも約7.4mもあり、ローマにある凱旋門では最大の規模を誇っています。

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コンスタンティヌスの凱旋門

当時、西ローマの副帝だったコンスタンティヌスムルヴィウス ( 現ミルヴィオ ) 橋の戦いにおいて、正帝マクセンティウスに勝利したことを記念して、315年に建てられました。

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3つの門を有する構成は、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門のものを踏襲したもので、中央の門は高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さは約7m、幅3mです。
フォロ・ロマーノ内に残る二つの凱旋門と比べても、規模・装飾共に一際立派なコンスタンティヌスの凱旋門ですが、永く栄華を誇ったローマ帝国も、この頃には度重なる北方蛮族の浸入や、キリスト教の隆盛により衰退する一方で、その立派な装飾の殆どは200年前の五賢帝の時代の建物から移設した ( 剥しとってきた ) ものなのです。

五賢帝の時代の建物から移設したレリーフや彫像を列記すると、
南北両面共に 
コリント式オーダー柱の上部に立つ彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリアス帝時代
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代

南面 右側
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上部の彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリアス帝時代 / 演説する皇帝 ・ 犠牲の場面
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 熊狩り ・ ディアーナ神犠牲

南面 左側
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上部の彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリアス帝時代 / 皇帝がゲルマン人と引見する姿 ・ 捕虜を見分する姿
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 出陣 ・ シルヴァヌス神犠牲

基礎と下部構造は石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、円柱は黄色大理石、それ以外は白大理石から構成されています。
装飾は南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から
最上層の8枚のパネルは176年に建設されたマルクス・アウレリウス帝の凱旋門から
同じく最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トラヤヌス帝が建設したトラヤヌスのフォルムからの転用材と考えられています。
8本の黄色大理石の円柱も、どこかの建物からもたらされたものと考えられ、これら以外の彫刻だけが、コンスタンティヌス帝の時代のものなのです。

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近年では、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌス帝はこれを改変しただけであるとする説も提唱されているそうです。

中世以降の教皇達が、信ずる神を同じくせず、ある時は自分達を迫害もしたローマ帝国時代の建物から、装飾や彫刻等を奪い去り、新しく建てる教会等に転用する行為は、現代の文化財保護的視点から見れば、如何なものかと思わざるを得ませんが、古代ローマ時代とは比べるべくないほど、国力も技術も衰退してしまった現実を考えると、仕方がないことなのかもしれません。
しかし、コンスタンティヌス帝は末期とは言え、同じローマ帝国皇帝でありながら、偉大なる先人達を称え祀った記念碑を破壊し、自らの凱旋門を造ってしまう神経には、とても共感出来ません。
  1. 2016/08/21(日) 16:41:26|
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ローマ散策 -30 コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )

ローマでの3日目 ( 最終日 ) は、朝食を早めにとり、チェックアウトを済ませたホテルにスーツケースを預けて、ローマでの最終日を満喫すべく、早々に街へ出ました。
初日に訪れた時には、大聖堂の前に出来ていた行列を見て、中に入るを諦めたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見学し、その後、ついに念願のコロッセオへ向かいました。
( サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は第一日目のところで紹介済みです。)

地下鉄の駅を出た時には、少し強めの雨が降っていたので、外観の撮影は後回しにして、雨宿りも兼ねてチケット売り場へ
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コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )
チケットの列に並んでいる間に、雨はすっかり上がり、青空さえ見えていて、競技場の中は蒸し暑い程でした。

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私がコロッセオを初めて知ったのは、子供の頃にテレビで観たオードリー・ヘップバーン「 ローマの休日 」か、中学1年の時に大ブームだったブルース・リー「 ドラゴンへの道 」だったかもしれません。

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コロッセオローマの七つの丘のうち、パラティーノ、チェリオ、エスクイリーノの三つの丘に囲まれた谷の中央に在り、ネロ帝ドムス・アウレア ( 黄金宮 ) の庭の人口湖の在った場所に建てられました。
ヴェスパシアヌス帝の治世だった紀元72年に着工し、8年の歳月を掛けてティトゥス帝治世の80年に完成し、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、観客席の最上層部と天幕が完成します。
コロッセオヴェスパシアヌス帝からティトゥス帝ドミティアヌス帝までのフラウィウス朝の皇帝達が建設者であることから フラヴィウス円形闘技場 が本来の名前になります。

この巨大な競技場の長径は188m、短径は156mの楕円形で、周囲の長は527m、高さは48mもあり、約5万人を収容出来たと言われています。
最上階の周囲には日除けの天幕が張られていたらしく、現在の競技場建築の原型と言えるでしょう。

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コロッセオでは、宗教的な祝祭や凱旋式などの祝い事、演劇等の他、映画 「 グラジエーター」 でも描かれているような剣闘士同士の戦いや、猛獣狩り、罪人の処刑までもが見世物として行われていました。
水を張って模擬海戦までも行ったと言うのですから驚きです。

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アリーナの地下には控室や倉庫、通路が配置され、現代の劇場の奈落のように昇降機も備えられていて、そこからアリーナ上に猛獣登場させたり、舞台装置を地上へ運ぶのにも使われました。
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写真のように、今はアリーナの 1/4 程にだけ復元された木製の床が張ってありますが、本来のアリーナの面積は、長径76m × 短径46m あって、木製の床の表面には砂を撒いた舞台が設置され、剣闘士同士の戦いや、猛獣達との戦いも繰り広げられたのです。

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コロッセオの主要な構造材はローマン・コンクリートと言われる火山灰を利用したコンクリート。
煉瓦を積んでいるように見えますが、煉瓦はコンクリートの型枠として用いられ、そのまま取り外されることなく、コンクリートと一体化して建物の構造体の一部になっているのです。

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どの写真を見ても分かるように、コロッセオローマンコンクリートによるアーチ構造で構成されていると言えます。
ローマンコンクリートと共に、ローマの土木建築を支えたのがアーチ構造で、水道橋や橋、凱旋門等でも見られる構造です。
これはエトルリア人から受け継いだ技術で、ローマ独自の技術ではありませんが、ローマにより大いに活用され、また発展させたと言えるでしょう。

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6世紀に修復の記録が残っていることから、古代末期までは競技場として使用されていたと分かっていますが、外壁を覆っていた美しい白大理石は、中世を通じて教会等の建築材料として流用され続け、コロッセオの一部は、サン・ピエトロ大聖堂にも使用されています。
今のコロッセオの姿は、永い年月、風雨にさらされた風化した後の姿ではなく、取り外せる物は全て持ち去られ、身ぐるみはがされた後の痛々しい姿なのです。

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この辺りは、かなり修復されているようです。

さて、ここからは外観です。
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競技場は4層構成の建築物で、1層から3層のアーチ構造アーチのにはそれぞれ1体ずつの彫像が飾られていました。
1階の周囲には80のアーチがめぐらされ、化粧付柱にはドーリス式、2階はイオニア式、3階はコリント式のオーダーが施され、最上部までの高さは48mもあります。

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4層部分はドミティアヌス帝の時に増築した部分だと思います。
4層部だけはアーチ構造ではありません。
化粧付柱も、1~3層が半円形であるのに対し角柱で、オーダーはコリント式です。

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1階のアーチの上部には番号が刻まれていて、観客はチケットの番号とアーチの番号を確認しながら、自分の観客席に向かう仕組みになっていたそうです。
今とほとんど変わらないシステムだったんですね。

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反対側は2層しか残っていません。

少しづつ右に回って行きます。
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この辺りは改修が進んでいるように見えます。

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最後にもう一度地下鉄の駅の出入口あたりから
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さてこれからついに フォロ・ロマーノ に向かいます。
  1. 2016/08/13(土) 12:10:58|
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ローマ散策 -29 マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )

カピトリーニ美術館の見学を終えた頃には、時計はすでに夕方の5時を少し回っていたでしょうか? 
ローマの日没時間を事前に調べていなかったのですが、そろそろ陽が暮れる時間に近づいているようです。
次は、既に紹介済みのサン・タンジェロ城の夜景の撮影をする為に、テヴェレ川沿いの道へ向かう途中、コロッセオを一回り小さくしたようなマルチェッロ劇場に立ち寄りました。

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マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )
マルチェッロ劇場カエサルが、宿敵であり親友でもあったポンペイウスが建てた、ローマで最古の恒久劇場である、ポンペイウス劇場に対抗するかのように計画した石造の恒久劇場です。
しかし、カエサルは暗殺された為、完成は紀元前10年頃。
初代皇帝アウグストゥスの時代に規模を拡大して完成します。

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質実剛健を旨としたローマでは、ギリシャ的な演劇は軟弱と嫌う風潮から、劇場は木造の仮設的なものが利用されていました。

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アポロン神殿の円柱
ギリシャ文化を踏襲し、取り入れてきたローマ人にしては興味深い傾向ですが、軟弱との批判をそらす為に、ポンペイウス劇場にはウェヌス・ウィクトリクス神殿が、マルッチエロ劇場アポロ神殿に隣接して建てられています。

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マルチェッロ劇場の直径は111m。
収容観客数は当初11000人とも15000人とも言われています。

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アーチを多用した半円形の大構造で、オーダーの様式は1層がドーリア式、2層がイオニア式
一番上の3層はコリント式の円柱があったと思われますが、中世に修理された際に、最上部の客席や円柱が除去されたため、詳細は不明です。

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ローマ帝国崩壊後は廃墟となり 、中世初期にファビウス氏族が要塞として使用します。

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この写真でも分かりますが、3層より上階には現代的な窓がはめ込まれています。
これは16世紀に、バルダッサーレ・ペルッツィが設計したオルシーニ家の住居として改築されたもの。
現在では、上層階はアパートに分割されていて、人が住んでいるそうです。
古代の遺跡がアパートになっているなんて驚きです。

この後バスを利用してサン・ンジェロ城で夜景を撮影し、二日目の予定は全て終了です。
  1. 2016/08/11(木) 15:00:19|
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ローマ散策 -28 カピトリーノ美術館 パラッツォ・ヌーボー館

地下通路を通ってコンセルヴァトーリ館からパラッツォ・ヌーボー館へ移動し、先ずは中庭に出てみましょう。

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パラッツォ・ヌオーヴォの中庭の噴水

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マルフォーリオ
川の陰喩か、海の神ネプチューンを表したものではないかといわれています。
16世紀、フォロロマーノで、噴水の一部となっている花崗岩の巨大な杯と一緒に発見されました。

2階に上がると、そこはリアルで美しい彫像で一杯です。
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パラッツォ・ヌーボー館の館内も、ローマ期の彫像が一杯です。

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ファウヌス神の像
ティヴォリで発見された赤大理石の彫像

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瀕死のガリア人
ギリシャ人 プラクシテレスが紀元前3世紀に作成した彫刻をローマ時代に模索したもの

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この彫像のモデルの情報は見付けられませんでした。

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狩りをするセウェルス帝
3世紀に造られた、大理石の彫像です。

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負傷した戦士
紀元前460年のミローネ作の「円盤投げの選手」の胴体部分を使い、紀元1世紀に「負傷した戦士」として、造りかえられた作品です。

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カピトリーニのヴィーナス
この彫像もギリシャの彫刻を、ローマ時代に模したものです。


  1. 2016/08/01(月) 00:00:37|
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ローマ散策 -27 カピトリーノ美術館 コンセルヴァットーリ館

カピトリーノ美術館ローマの7つの丘の1つで、古代ローマ時代以来、もっとも神聖な地であったカピトリーノの丘に建つユピテル神殿が在った場所に建てられた美術館で、一般市民に公開された美術館としては世界最古のものと言われています。
1471年教皇シクストゥス4世は、長らくラテラノ宮に保管されていた古代ローマ時代のブロンズ像などをローマ市民に返還しました。
建物内部が美術館として公開されるようになるのは1734年、教皇クレメンス12世の時のことでした。

先ずはコンセルヴァットーリ館の中庭に置かれている
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コンスタンティヌス帝頭部
フォロ・ロマーノマクセンティウス帝のバシリカから発見されたものです。

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コンセルヴァットーリ館の天井
恐らく、1階の階段室付近だったと思います。
バチカンで色鮮やかな天井を嫌と言うほど見た後なので、なんだかほっとします。

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見覚えのある顔です。 恐らく ハドリアヌス帝の胸像 だと思います。

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ホラティウス
エトルリア浸入の際、ローマを救った英雄の姿を描いています。

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ウルパヌス8世の像 ベルニーニ作

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イノケンティウス10世の像
この美術館には、主に古代ローマ時代の彫像が展示されている筈なのですが、上の二体の彫像はこの日の午前中に訪れたバチカンサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂で見て来た聖人の彫像ですね。

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この彫像はローマの皇帝でしょうか? 頭は薄い様ですがカエサルではないし?

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棘を抜く少年
この部屋の天井はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に似ています。

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棘を抜く少年
紀元前二世紀のギリシャ彫刻を、100年後のローマでコピーしたものだそうです。

あっ!! これです!! これが見たかったんです。
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ロムルスとレムスに乳を与える雌狼
狼の乳を飲む二人の子供は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟ロームルスレムスです。
伝説では狼によって育てられたとされていて、同じ場面をモチーフとした像はローマの彼方此方で見ること出来る上に、お土産にもなっています。
雌狼像は紀元前5世紀のもの。
ロムルスと双子の兄弟であるレムスの像が付け加えられたのは15世紀だったとは知りませんでした。

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メデューサ像 ベルニーニ作 1630年作成

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バロック芸術の巨匠であるベルニーニの作品で、メデューサはギリシア神話に登場する髪の毛が蛇の怪物。
何とも言えないメデューサの表情は、首を切られ殺される自分の最期を知った瞬間のメデューサを表現しているそうです。

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ソクラテス

2階のどこかだったと思いますが、ガラス張りの広いアトリウム空間に出て来ました。
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アトリウムの中央にオリジナルの マルクス・アウレリウス帝の騎馬像 があります。

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コンスタンティヌス帝の頭部
ここのはブロンズ像ですね。

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馬を襲うライオン
ヘレニズム時代に造られた作品で、見ていてドキドキするほど迫力があります。
この像の構図が、ごく最近テレビドラマ ( 竹野内豊出演「ベストパートナー」 ) の冒頭シーンで再現されていました。

アトリウム近くに展示してあった彫像で、特に気になったものは
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マルシュアース
アポロンと音楽を競い敗北し、生きたまま皮剥ぎとられる何とも痛々しい場面ですが、そのリアリルさは見事です。


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金箔のヘラクレス像

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ヘラクレスの化身たるコンモドゥス
写真中央に映っている獅子の被り物をして棍棒を持っているのは、コモドゥス帝の胸像です。
コモドゥス帝哲人皇帝とも言われた五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝の息子でありながら、即位後しばらくすると、実姉による暗殺未遂をきっかけに暴君化してしまい、自ら剣闘士の試合に出場して「剣闘士皇帝」と言われたりもします。
コモドゥス帝は、31歳の時に側近に暗殺され、 死後元老院により「記録抹殺刑」を処され、彼の全ての記録は消し去れてしまったのです。
かなり史実とは異なるものの、映画「グラジエーター」では、その姿を見ることが出来ます。
映画の中では父親であるマルクス・アウレリアス帝に愛されず、父殺しを行って帝位を奪うと、直ぐに暴君と化しますが、実際のコモドゥス帝は父親に溺愛され、治世の当初は善政と言って政治を行っています。

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たぶんここから3階です
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洗礼者ヨハネ
16世紀の巨匠カラバッチョの作品です。

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ロムルスとレムス
ルーベンス

  1. 2016/07/31(日) 11:12:00|
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木の香りがする家-Ⅱ ⑤ 各階プラン

木の香りがする家 第二段は、構想十年温めに温めた提案です。

ポスターa-1

設計工房アクトデザインが提案する アーバンフォレストシリーズ 第二弾は、第一段よりも更に多くの国産の杉材をふんだんに使用。
手の込んだ木組みを間近で見て、直接手で触れることで、天然木と手造りの温もりと香りを感じられるデザインとしています。
室内は暖炉のある吹抜けを中心にしたワンルーム形式で、ウッドデッキから庭へと繋がります。
見せる木組みで「都会の森」をイメージした、懐かしさと新しさを併せ持ったレトロ・モダンハウスです。
外に向かって視界と動線が広がる扇型平面が特徴で、郊外住宅セカンドハウスにも適しています。

2F平面図
2階平面図
2階は階段室吹抜けを中心に据え、左右両翼に配置した個室を、バルコニーへと広がるキャットウォークで繋いでいます。

1F平面図
1階平面図
1階は暖炉を中心に据えたワンルーム形式で、水回り以外は扉は設けていません。
ウッドデッキの中心にバーベキュウ台を設置すれば、LDK~ウッドデッキ~庭まで続く、パーティー空間が出来上がります。
  1. 2016/07/30(土) 00:00:58|
  2. 木の香りがする家-Ⅱ
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木の香りがする家-Ⅱ ④ 2階内観

設計工房アクトデザインが提案するアーバンフォレスト ( 都市の森 ) シリーズ第2弾 「 木の香りがする家-Ⅱ 」 は、国産の杉材をふんだんに使用し、直接手に触れることで、天然木の香りと温もりを感じられるデザインとしています。
2階は階段室吹抜けを中心に据え、左右両翼に配置した個室を、バルコニーへと広がるキャットウォークで繋いでいます。
見せる木組み 「 都会の森 」 を表現した、懐かしさ新しさを併せ持ったこの住宅は、郊外住宅セカンドハウスにも適した住宅です。

2F平面図
2階平面図

寝室から吹き抜け 2a
主寝室からアトリウム ( 吹抜け ) を見る。
左側 / 階段室、  中央奥 / 子供室、   右側 / キャットウォーク
       中央下 / ダイニングスペース

キャットウォークから吹き抜け 右
キャットウォークからアトリウム ( 吹抜け ) を見る。
左側 / 階段室、  中央奥 / 子供室、  右側 / キャットウォーク
見せる木組みを最も意識的にデザインした部分

キャットウォークから吹き抜けba 2
キャットウォークからアトリウム ( 吹抜け ) を見る。
左側/主寝室、 中左/階段室、 中右/子供室、 右側/キャットウォーク

キャットウォークから吹き抜け 4
キャットウォーク中央部からアトリウム ( 吹抜け ) を見る。
左側 /主寝室、     中央 / 階段室、      右側 / 子供室

主寝室 A
主寝室
主寝室の天井も勾配天井ななっています。

主寝室 C
主寝室
吹抜け側は壁にするか建具を入れる事も可能でしたが、基本プランでは住宅全体に一体感を持たせる為にあえてオープンにしています。

主寝室 B
主寝室

子供部屋2
子供室

2階廊下から階段 1
ホールから階段室を見る。 左に見えるのは子供室

階段から吹き抜け 3
階段室からアトリウム方向を見る。
階段を更に上ると物見窓のあるロフトがあります。
物見窓は換気用として、夏場は特に有効で、アトリウムの上部に溜った熱気を自然の力で換気出来ます。


  1. 2016/07/29(金) 00:00:09|
  2. 木の香りがする家-Ⅱ
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木の香りがする家-Ⅱ ③ 1階内観

設計工房アクトデザインが提案するアーバンフォレスト ( 都市の森 ) シリーズ第2弾 「 木の香りがする家-Ⅱ 」 は、国産の杉材をふんだんに使用し、直接手に触れることで、天然木の香りと温もりを感じられるデザインとしています。
1階は暖炉を中心に据えたワンルーム形式で、、水回り以外は扉は設けていません。 
見せる木組み「 都会の森 」 を表現した、懐かしさ新しさを併せ持ったレトロ・モダンハウスです。

1F平面図
1階平面図

リビング-7
コーナー出窓のあるリビングスペースから暖炉のあるアトリウム方向を見る

リビングB 2
リビングスペース ベンチコーナー出窓方向を見る

ホールからリビング A 4
アトリウムから暖炉越しにリビングスペースを見る

ホール
アトリウム
左から リビングスペース  暖炉 ( 階段室 ) ダイニングスペース ( キッチン )

ホール 見上げ
アトリウム
キャットウォークしたから階段室を見上げる

ホールからリビング B 1

ホ-ルからキッチン A1
キャットウォークを支える木組みは特に特徴のあるデザインとしています。

廊下 5
廊下
玄関ホールと階段室の間辺りから、リビングスペース方向を見る
  1. 2016/07/28(木) 00:00:41|
  2. 木の香りがする家-Ⅱ
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木の香りがする家-Ⅱ ② 外観

設計工房アクトデザインが提案するアーバンフォレスト ( 都市の森 ) シリーズ第2弾 「 木の香りがする家 -Ⅱ」 は、国産の杉材をふんだんに使用し、直接手に触れることで、天然木の香りと温もりを感じられるデザインとしています。
外に向かって、2方向に視界と動線が広がって行く扇形プランが特徴です。

鳥瞰9 a 南
南西 鳥瞰パース

遠景9 a 南
南西 外観パース 

外壁は天然木下見板張りを想定していますが、建設地の防火指定敷地条件によっては、防火認定の取れている窯業系サイティング金属系サイディングを採用するか必要があります。

鳥瞰10 a 南南東
南南西 鳥瞰パース

遠景10 a 南南東
南南西 外観パース 

ウッドデッキの中心にバーベキュウ台を設置すれば、LDK~ウッドデッキ~庭まで続く、パーティー空間が出来上がります。

鳥瞰1 a 南東
南 鳥瞰パース

遠景1 a 南東
南 外観パース


鳥瞰2 a 東南東
南南東 鳥瞰パース

遠景2 a 東南東
南南東 外観パース


鳥瞰3 a 東
南東 鳥瞰パース 
羽を広げた親鳥が自分達の巣 ( 住み家 ) を守るような屋根のデザイン。

遠景3 a 東
南東 外観パース
長く張出した庇とバルコニーは夏の日差しを遮るります。

鳥瞰4 a 北東
東 鳥瞰パース

遠景4 a 北東
東 外観パース


鳥瞰5 a 北
北東 鳥瞰パース

遠景5 a 北
北東 外観パース


鳥瞰6 a 北西
北 鳥瞰パース
南北の軸を中心に、玄関とリビングのコーナー出窓以外は、全てシンメトリー ( 左右対称 ) のデザイン

遠景6 a 北西
北 外観パース


鳥瞰7 a 西
北西 鳥瞰パース

遠景7 a 西
北西 外観パース


鳥瞰8 a 南西
西 鳥瞰パース  

遠景8 a 南西
西 外観パース
  1. 2016/07/27(水) 00:00:29|
  2. 木の香りがする家-Ⅱ
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木の香りがする家-Ⅱ ① 木軸フレーム

設計工房アクトデザインが提案するアーバンフォレスト ( 都市の森 ) シリーズ第2弾 「 木の香りがする家 」 、国産の杉材をふんだんに使用し、直接手に触れることで、天然木の香りと温もりを感じられるデザインとしています。

木軸3d 南西-1
南西 木軸フレーム 外観パース

木軸3d 南西鳥瞰-1
南西 木軸フレーム 鳥瞰パース

扇型のプランには正方形や長方形の矩形だけの建物にはない面白みがあります。

木軸3d 南南西-1
南南西 木軸フレーム 外観瞰パース

木軸3d 南南西鳥瞰-1
南南西 木軸フレーム 鳥瞰パース

扇型の平面は、2方向に視界と動線が広がって行くデザインです。

木軸3d 南-1
南 木軸フレーム 外観パース

木軸3d 南鳥瞰-1
南 木軸フレーム 鳥瞰パース

南北の軸を中心に、玄関とリビングのコーナー出窓以外は、全てシンメトリー ( 左右対称 ) のデザイン

木軸3D 西-1
西 木軸フレーム 外観パース

木軸3d 西鳥瞰-1
西 木軸フレーム 鳥瞰パース


  1. 2016/07/26(火) 10:21:21|
  2. 木の香りがする家-Ⅱ
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ローマ散策 -26 カンピドリオ広場

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂を左てに見ながら後に回ると、広場を見上げる緩やかで長い、まるで坂道のような階段の下に出ます。
カンピドリオ広場ローマの七つの丘の中の最も高い丘に在ります。 
現在では16世紀半ばにミケランジェロが設計したバロックの広場として有名ですが、古代ローマ時代には、ユピテル神殿の在るローマで最も神聖な聖域だったのです。
ミケランジェロの設計したカンピドリオ広場は、建築史上初めてバロック的広場を創案したと言われていますが、古代ローマファンの私には、古代ローマの面影を全く残していない現在の姿は、少し悲しくもあります。

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長い階段の下からカンピドリオ広場を見上げる
もっと目立つ広場かと思っていましたが、階段の下からでは、広場の様子は窺い知ることは出来ません。

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階段を上ると左右に馬を従えたギリシャ神話に登場するカストルとポルクスの双子の神の像が迎えてくれます。

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階段を上がり切り、カンピドリオの丘に立つと、今度はマルクス・アウレリウス帝の青銅製の騎馬像が見えてきました。

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カンピドリオ広場と言えば、複数の異なった形の建物をひとつの明快な対称軸線上に統合したバロック的なデザインと床に描かれたモザイクの床の模様で知られています。
なんとかモザイクの床の模様を写真に撮ろうと試みたのですが、高い所に上らない限りどうやら無理な様です。

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カンピドリオ広場のもう一つの目玉がマルクス・アウレリウスの騎馬像

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この像はレプリカで、本物はカピトリーノ美術館内に展示してあります。

多くのローマ皇帝達の彫像は、帝国滅亡後にキリスト教徒によって破壊されたり、テヴェレ川投げ捨てられる運命を辿りますが、この彫像はキリスト教を公認した皇帝コンスタンティヌスの騎馬像と間違えられ破壊を免れたのです。
長く郊外の邸宅の庭に放置されていたものを、ミケランジェロが再び表舞台に復帰させたのです。

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マルクス・アウレリウスの騎馬像の後、広場の正面奥に在るのは市庁舎
広場からは左右対称に見える両側の建物は、右側がコンセルヴァトーリ宮殿、左側はパラッツォ・ヌオーヴォ(新宮殿)が建っています。
現在では前者はコンセルヴァトーリ館、後者はヌーボー館として利用されています。
二つの建物は地下通路で結ばれており、両館合わせてカピトリーノ美術館と呼ばれていて、一般に公開された美術館としては世界最古の美術館です。

地上から撮った写真だけでは広場の雰囲気が伝わらないので
航空写真
手持ちの資料から
  1. 2016/07/25(月) 18:16:30|
  2. イタリア旅行記
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ローマ散策 -25 コンソル通りの建物とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂

ロトンダ広場の一角在る店で、パンティオンを見ながらピザとホカッチャを食べ、コンソル通りを南下してヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂を目指して歩いて行きます。
ポポロ広場からヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂まで続くコンソル通りにでると、通りの両側には思わずシャッターを押したくなる建物が並んでいます。

先ず初めに目に留まった建物は
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建物の詳細は分かりませんでしたが、バロックの教会だと思われますが、地図にはS. Marcello al Corsoと記されています。

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ドーリア・パンフィーリ宮殿
奥にはサンタ・マリア・イン・ヴィラ・ラタ教会が見えます。

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この宮殿は現在、美術館として公開されています。


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オデスカルキ宮殿

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隣の建物も、名前こそ分かりませんが、素敵な建物です。


ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の前の楕円形の広場 Piazza Venezia に出て来ました。
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イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の為の記念堂であり、無名戦士の墓としての役割も兼ねた建物です。

設計者 / ジュゼッペ・サッコーニ
竣工年 / 1925年
所在地 / ローマ ヴェネツィア広場


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カピトリーノの丘に聳え立つ新古典主義の建築物は、幅135m、屋上に設置されたビィクトリア像まで含めた高さは81mの巨大建築物です。
屋上からはローマ市街を一望することもでき、海外からの観光客にとっては首都ローマを訪れた際に訪れる名所として一般化していますが、地元のローマっ子からは建設当初から、古代ローマ中世時代の建物が入り乱れるローマにおいては浮いた存在であり、景観を乱す建物として、「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていたそうです。

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建物全体に大理石が貼られ、コリント式の円柱、噴水、大きな階段が特徴です。
建物上部には2体の勝利の女神ヴィクトリアの彫像が置かれ、建物正面には国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が設置されています。
  1. 2016/07/24(日) 16:13:16|
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ローマ散策 -24 ナボーナ広場

サン・タンジェロ城を見学を終え、1日目にはミサの為に内部の見学が出来なかったパンティオンに向かう途中、ローマで最も美しいバロック様式の広場として知られる、ナボーナ広場に立ち寄りました。

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南北に約250m、東西は約50mの楕円形のこの広場は、元は紀元85年頃にドミティアヌス帝が造らせたドミティアヌス競技場が在ったところを、17世紀にバロック様式の広場に整備したため、かつてのトラックの形が、そのまま広場の形状として残っています。

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広場の中央近のバロック様式ドームのある建物はサン・タニェーゼ・イン・アゴーネ聖堂などの、周辺の建物と調和したデザインの3つの噴水とチルコ・マッシモから移築したオベリスクが広場を飾ります。

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3つの噴水のうち、中央の四大河の噴水は、1651年に完成したベルニーニの作品。
ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を擬人化した像に守られるように、中央に聳え立つのがチルコ・マッシモから移築されたオベリスクです。

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広場北側に在るネプチューンの噴水

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広場南側のムーア人の噴水

南北の二つの噴水は19世紀に造られたものです。

この後、パンティオンの内部を見学してからロトンダ広場に面したトラットリアで遅い昼食をとり、予定を変更してカピトーリノ美術館へ向かいました。
  1. 2016/07/16(土) 00:00:00|
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ローマ散策 -23 サン・タンジェロ城

塩野七生さん著のローマ人の物語ファンの私としては、サンタンジェロ城と言うよりも、ハドリアヌス廟としての思いの方が強いのですが、14世紀以降のローマ教皇達によって、要塞として改造し強化された、現在のカステル ( 城 ) としての姿も、長い歳月の中でローマの顔となっています。

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ハドリアヌス廟五賢帝の一人で、建築家としても知られるハドリアヌス帝が、自分を含めた以後のローマ皇帝の永遠の霊廟として紀元135年に建設を始め、次期皇帝アントニウス・ピウス帝の時代に変った139に完成しました。

ハドリアヌスの霊廟
霊廟復元模型

ハドリアヌスの霊廟復元図
霊廟復元図

4世紀の歴史家プロコピウスは、以下のようなローマ帝国時代の霊廟の描写を残しています。
「 四角形の基壇の上に巨大な塔が建ち、ドーリス式の円柱や彫像で飾られ、埋葬された皇帝達の墓碑が並んでいる。
頂上には4頭立て戦車を引くハドリアヌス帝の青銅像が設置され、壁面と言う壁面には白大理石が貼られている。
この霊廟はコロッセオと並んで、古代ローマを代表する素晴らしい建物である。 」

建設当時のハドリアヌスの霊廟は、現在の要塞のような厳しい姿ではなく、白亜の神殿と言えるような、優美で美しい姿だったのです。

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しかし、皇帝の霊廟としての役割は、217年のカラカラ帝の埋葬が最後となります。
ローマ帝国末期の403年には、アウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられ、軍事施設としての使用が始まります。

590年、教皇グレゴリウス一世が、ローマを襲ったペストの終息を祈願している時に天使が現れ、その後ペストは納まり、直後に礼拝堂が建てられ、以後サン・タンジェロ ( 聖天使 ) 城 と呼ばれるようになったのです。

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円筒形の直径は64m。 横から見た姿は、トーチカのようにも戦車のようにも見えます。

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14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞とされ、また同時に牢獄や避難所としても使用されたのです。
1527年、教皇クレメンス七世は、あの忌まわしいローマ略奪の間、皇帝カール5世率いるドイツ人傭兵の手から逃れる為、要塞化されていたサン・タンジェロに立て籠もったのです。

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このアングルから見ると、霊廟としての面影はなく、まさに要塞です。

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17世紀前半には教皇ウルバヌス八世がさらなる強化をすすめ、17世紀後半には教皇クレメンス九世は、ベルニーニサンタンジェロ橋の装飾を依頼。
欄干には、ベルニーニ作の2体の彫像を含む10体の天使像が飾られています。

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サン・タンジェロの名前の由来は上で触れました。 
16世紀にラファエロ作の大理石の天使像が頂上に設置され、1753年からは青銅製の像に変えられています。

時間の余裕がなく、サン・タンジェロ城の内部の見学は諦めましたが、夜景が綺麗だと聞いていたので、二日目の最後に、夜景を撮影する為に戻ってきました。
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本当はもっと暗くなるまで待ちたかったのですが、3月半ばのローマは寒い割には陽が長く、なかなか暗くなりません。

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残念ながら疲労と寒さに耐えられなくなり、この写真を最後に夜景の撮影は諦めて、ホテルに戻ることにしました。
  1. 2016/07/15(金) 00:20:00|
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ローマ散策 -22 サンピエトロ大聖堂 ④

バチカン美術館で古代からの芸術品の数々を鑑賞し、サンピエトロ大聖堂内では、ルネッサンス期の建築技術と芸術を満喫して、この頃にはかなり疲れていましたが、この後も見学の予定がビッシリです。
大聖堂の中には休憩する場所も時間もないので、後ろ髪を引かれながらも聖堂の外へ。

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聖堂の正面にはブロンズ製の扉の5つの出入口があり、聖なる扉が有名ですが、どうやら違う扉を撮ってしまったようです。

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スイス衛兵
派手な衣装で有名なスイス衛兵は、1505年にユリウス2世によって設置された私的衛兵隊です。1507年のローマ略奪の際には最後まで教皇を護衛したことで、今もスイス人が従事しています。
服のデザインはミケランジェロによるとの説もあるそうです。

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聖ペテロ像
聖堂の前には聖ペテロの像聖パウロの像が建っています。
キリストから授かった天国への鍵を持つ聖ペテロの像は、1847年に設置されました。
聖堂正面の屋根の上には、キリスト、洗礼者ヨハネ、ペテロを除く十一使徒の像が並びます。

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ミケランジェロの設計ではパンティオンのような列柱のファザードでしたが、マデルノによる設計変更により現在の通廊式のポルティコ ( 玄関廊 ) に変更されたことで、古代建築の正面のような、奥行きのあるデザインではなくなっています。

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サンピエトロ広場には椅子が並べられていて、残念ながら聖堂の正面には入れません。

普段、建物の写真を撮る場合は、最初は遠目に見えて来て、だんだん建物に近付いて来るものですが、この日は勝手が違うので、なんだか変な感じです。

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古代、エジプトから運ばれ、カリギュラとネロの円形競技場に置かれていたオベリスクは、旧サン・ピエトロ大聖堂が在った時代には、聖堂脇に置かれていましたが、1586年に現在の場所に移されました。

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聖堂に向かって左の噴水はベルニーニの噴水
向かって右側はマデルノの噴水です。

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ここまで離れて、やっと聖堂を正面から見ることが出来ました。

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シンメトリーな設計なので、左右どちらから見ても、大した違いはないのでしょうが、とにかくやたらとシャッターを押しまくりました。

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かなり聖堂から離れましたが、航空写真でもない限り、聖堂と広場を一体として写真に収めることは不可能の様です。

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大柱廊
ア教皇アレクサンデル七世の命により、ベルニーニが設計した広場を囲む大柱廊
屋根に居並ぶ140体の聖人像の高さは3.2mもあるそうです。

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長径240mもある楕円形の広場をぐるりと囲む柱廊には、4列で284本のドーリス式の円柱が並んでいます。

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このアングルは、かなり建物全体を捉えられた一枚だと思います。

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紀元64年、カリグラ帝が建てた競技場において、当時の皇帝ネロによって、帝都ローマへの放火の罪を擦り付けられた、多くのキリスト教徒が、残酷な方法により、見世物にされて殺害されます。
十二使徒の筆頭だった聖ペテロも、この時に逆さ十字架にかけられたのです。
324年、聖ペテロが殉教し、埋葬されたこの地に、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によって建てられた、バシリカ式で五廊式の聖堂が、現在のサン・ピエトロ大聖堂の前身です。
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旧サン・ピエトロ大聖堂カリギュラとネロの円形競技場

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旧サン・ピエトロ大聖堂

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最後は夜景です。
  1. 2016/07/11(月) 00:43:00|
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ローマ散策 - 21 サンピエトロ大聖堂 ③

今回はサン・ピエトロ大聖堂を飾る彫像等、美術品の数々を紹介します。

拝廊から聖堂内に入り、向かって右側の側廊から聖堂内の彫像を見て行きましょう。

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ピエタ像  ミケランジェロ作  1498年

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悲しみの表情を浮べ、十字架から降ろされたイエスの亡骸を抱く聖母像は、聖堂内の数ある美術品の中でも、恐らく一番有名な美術品でしょう。
ミケランジェロ、若干24歳の作品と言うのがまた驚きです。
昔は直に見られたのですが、1972年に精神を病んだ地質学者に鉄鎚でを叩かれると言う事件が起こり、修復の後は防弾ガラス越しの鑑賞しか出来なくなってしまいました。

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ピエタ像に向かって右側、聖なる扉の欄間部

この後は右側廊から反時計周りに聖堂内を見学していきますが、あまりの数の多さと混雑、そして平面が複雑に入り組んでいる為に、順番が前後していると思います。
詳細が分かったものだけコメントして行きます。

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聖セバスティアヌスの殉教   
サン・セバスティアーノ礼拝堂のモザイク画です。

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教皇グレゴリウス13世の墓碑

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聖ヒエロニムスの聖体拝領  ドメニキーノ
マデルノにより延長された部分の右側廊の奥、突き当り部

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もはや何処かははっきりしませんが、聖ペテロの像の後辺りだと思います。

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聖ペテロ ( ピエトロ ) 像
ここは側廊ではなく、身廊の右壁です。
聖ペテロの足に触ると、何やら御利益があるらしく、皆さん触っていましたが、私は異教徒なので御利益は無いと止めておきましたが、妻はちゃっかり触ってました。
13世紀の彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオの作品と言われていましたが、近年では4世紀頃の無名の作家と言う説もあるそうです。

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大天蓋の右側、右翼廊側の側廊

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大天蓋の右奥、右翼廊側の側廊 最奥部


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大天蓋の左奥、左翼廊側の側廊最奥

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教皇アレクサンデル7世の墓碑  ベルニーニ
位置をロスしていましたが、ここはどうやら左側廊の様です。

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無原罪の御宿り  ピエトロ・ビアンキ

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天使像

出入口まで戻ってきました。
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キリストの洗礼  カルロ・マラッタ

沢山の彫像や絵画の写真を撮りましたが、あまりの美術品の多さに、恐らく半分も撮影出来ていないと思います。
  1. 2016/06/24(金) 23:11:16|
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ローマ散策 - 20 サンピエトロ大聖堂 ②

高さ29mの大天蓋の周りを見てみましょう。

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大天蓋の後側、内陣には黄金に輝く聖ペテロの司教座が置かれています。
この司教座もベルニ-ニの作品で、沢山の天使が鳩をとり囲むように配されています。
教皇ウルバヌス八世は 「 ベルニーニはローマの為に生まれ、ローマはベルニーニ為に在ったのだ 」 と言って称えています。

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大天蓋の置かれている、ラテン十字の縦軸と横軸の交差する部分 ( クロッシング ) から、入口から見て右側の翼廊をみる。   

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こちらは左側の翼廊
元々が十字型集中式プランの聖堂なので、両翼廊内陣側のデザインは全く同じです。

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教皇ユリウス二世により決定したサン・ピエトロ大聖堂の建替え計画は、1506年に建築設計競技によってドナト・ブラマンテが主任建築家に任命されます。
ブラマンテ
ブラマンテの設計案
ブラマンテの案はギリシア十字の集中式プランで、1512年に内陣部分の構造が完成したところで、ユリウス2世は1512年、ブラマンテは1514年にそれぞれ死去してしまうので、彼らが成したものは4本の柱とアーチだけでした。
次の教皇レオ十世ラファエロを起用します。 
ラファエロは新教皇の希望により、身廊のあるラテン十字形プランに変更しますが、工事は殆ど進行しないうちに、1520年にラファエロが、1521年にはレオ十世が亡くなり、次の教皇ハドリアヌス六世が「芸術は虚飾だ」と嫌ったことや、ルターの宗教改革、1527年にローマを襲う ローマ略奪 ( サッコ・ディ・ローマ ) により、この時期、大聖堂の建設はほとんど進みませんでした。
教皇パウルス三世の時代なると、工事は再開されますが、財政が好転したわけではないので、免罪符の発行により資金を集めたり、石材をフォロ・ロマーノから切り出すなどの暴挙も行われ、古代ローマの遺跡破壊をもたらします。
ラファエロの死後、主任建築家はサンガッロジュリオ・ロマーノに引き継がれ、ついにミケランジェロに白羽の矢が立つことになります。
ミケランジェロは、ラテン十字のプランブラマンテの計画した集中式プランに戻すとともに、サンガッロの設計で完成していた2/3を破壊するまでして規模を縮小し、コストを切り詰めただけでなく、無給で晩年の17年間を大聖堂建築に捧げます。
現在のサン・ピエトロ大聖堂は、後の計画変更で追加されたファサードを除けば、基本的な部分はミケランジェロによるものです。
ミケランジェロ
ミケランジェロの設計案
頑強な精神と肉体の持ち主だったミケランジェロも、1564年大クーポラの完成を見ることなく亡くなります。
以後の工事はピッロ・リゴーリオを経てジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラに引き継がれますが、トルコとの戦争による出費により、またも工事の進行は鈍くなります。
しかしいっこうに進まなかった大聖堂の工事は、グレゴリウス十三世からシクストゥス五世が教皇の時期に活発になり、1593年、主任建築家のジャコモ・デッラ・ポルタにより、ついに頂塔 ( ランタン ) まで完成します。
1606年には大聖堂の最終的な建築計画がコンペティションで競われた際、集中式プランに対する欠点が指摘され、その結果、カルロ・マデルノに対してミケランジェロのプランを変更する命が下されます。
マデルノはに出来上がってる聖堂の身廊を延長させ、礼拝堂や聖具室など実用的な空間も加え、列柱だけのファザードも通廊式のポルティコ ( 玄関廊 ) に変更しました。
サンピエトロ大聖堂図

1608年から始められたこの工事は、1612年に完成します。
大クーポラの内側をモザイク装飾に変更する工事も、1612年に完成したのです。
マデルノによる設計変更により延長された身廊ヴォールト屋根も1614年に完成。
献堂式はついに1626年、ウルバヌス八世によって行われたのです。

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カルロ・マデルノにより延長された身廊から、大聖堂の入り口方向を見る。

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大天蓋の前辺り、クロッシング部から、身廊と左側廊を隔てる柱壁を見る。
巨大な建築物を支える為に、巨大なスケールにせざるおう得なかった柱壁は、角に角柱の装飾を施し、合間にニッチを設けて聖人達の彫像で飾ることで、あまりの重々しさを和らげられています。

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縦軸と横軸交わるクロッシング部 ( 翼廊 ) より、一つ入り口側の通り。

180度振り返り右側を見る
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翼廊の前後の通りの両脇には、聖堂中央の大クーポラに次ぐ大きさの、中クーポラがあります。

翼廊側の側廊
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更に奥 へ
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大天蓋の左側奥の中クーポラ

翼廊側の側廊
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更に、集中式プラン身廊を延長し、側廊も付け加える計画変更により、側廊と共に、その天井に楕円形のクーポラも付け加えられます。
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側廊の見どころは、いかにもバロック的なデザインの楕円形のクーポラだけではなく、各クーポラ間のアーチボールト天井は眩いばかりの装飾で飾られています。

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側廊

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側廊 サン・セバスティアーノ礼拝堂
美しいアーチペディメントを支える、コリント式の大理石の円柱や様々なレリーフで飾られた角柱の付け柱の装飾も見事です。

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側廊 奥を見る

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側廊 奥を見る

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側廊

しかし、あまりの巨大さと度重なった設計の変更に加え、華美を通り過ぎた豪華な装飾は、宗教建築に必要な厳粛さ神性さには、やや欠ける気がするのは、私だけではないと思います。

次回大聖堂内を飾る、彫像や絵画を紹介します。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」「建築学建系5西洋建築史」 を参照しています。

  1. 2016/06/20(月) 14:59:33|
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ローマ散策 - 19 サンピエトロ大聖堂 ①

システィーナ礼拝堂の見学を終え、サンピエトロ大聖堂へ移動します。

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システィナ礼拝堂の見学後、一旦屋外へ出ます。
階段を降りながら、サンピエトロ大聖堂との間の空間を見る。

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このアーチを潜ると大聖堂の拝廊の筈です。

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拝廊の天井

いよいよ大聖堂の内部へ入ります。
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1506年に教皇ユリウス二世より着工されたカトリックの総本山は、120年の歳月を費やし、1626年に完成します。
息を呑むような、眩いばかりの聖堂の奥行は何と216m。

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身廊の幅は25mもあるのです。
6万人を収容出来る聖堂内には、11の礼拝堂と45もの祭壇があります。

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高さ29mの大天蓋ベルニーニが10年の歳月を掛けて完成させたもので、ブロンズ製の4本の柱は、旧サン・ピエトロ大聖堂のパーゴラに使われていた円柱を再現したもので、巨大な大聖堂の中にあっても、その存在感は絶大です。
しかし、この大天蓋の作成に当たり、パンティオンから青銅製の扉やペディメントのレリーフ、外壁の銅板等が持ち出されると言う悲劇は、ここでも繰り返されてのです。

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ねじれた柱は月桂樹の葉とオリーブの枝が絡みついたデザイン。

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大天蓋の上には教皇の象徴である冠、鍵、聖書、剣を持つ天使が立っています。

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更に大天蓋の上部に目を移すと、クーポラの高さは驚くなかれ132.5m。
日本初の超高層ビルである霞が関ビルの高さが147mなのですから、その高さには驚愕です。

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クーポラは16に区切られ、窓からは光が差し込みます。

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中央の再頂部には天使に囲まれた神の姿が描かれているらしいのですが、あまりの高さに床レベルからでは確認出来ず、望遠レンズもこの通りです。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/06/19(日) 16:20:18|
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木の香りがする家 Ⅱ

木の香りがする家 の第二段を作成しました。
第二段とは言え、実は構想の開始は十年以上さかのぼる、温めに温めた提案です。

ポスターa-1

2階平面図
2階平面図

1階平面図
1階平面図

設計工房アクトデザインが提案する アーバンフォレストシリーズ 第二弾は、第一段よりも更に多くの国産の杉材をふんだんに表して、天然木の香りと温もりを感じられる家にしました。
室内は暖炉のある吹抜けを中心にしたワンルーム形式で、ウッドデッキから庭に繋がります。
見せる木組みで「都会の森」をイメージした、懐かしさと新しさを併せ持つこの家は、外に向かって視界の広がる扇型平面が特徴で、郊外住宅別荘建築にも適しています。

木軸3d 南南西鳥瞰-1

木軸3D 西-1

木軸3d 南西-1

木軸3d 南鳥瞰-1
  1. 2016/06/18(土) 00:00:00|
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ローマ散策 - 18 ヴァティカン美術館 ④ ラファエロの間

美術館の全てを見学したわけではないので、残すはラファエロの間システィーナ礼拝堂ノミとなりました。

ラファエロの間は一つの部屋ではありません。
ラファエロとその弟子達の作品のある、4つの部屋の総称なのです。

先ずは4つの部屋の中で、一番大きなコンスタンティヌスの間から紹介しましょう。
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左 / ミルヴィオ橋の戦い        右 / コンスタンティヌス帝の洗礼
天井 / キリストの勝利

壁・天井いっぱいに、コンスタンティヌス帝の生涯が描かれ、4面の壁は「コンスタンティヌス帝の洗礼」「ミルヴィオ橋の戦い」「十字架の出現」「コンスタンティヌスの寄進状」が飾ります。
ラファエロの死後、ジュリオ・ロマーノなどの弟子達が、師の構想をもとに描いたものです。

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左 / コンスタンティヌス帝の洗礼      右 / コンスタンティヌスの寄進状 

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ミルヴィオ橋の戦い


ヘリオドロスの間
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左 / ボルセーナのミサ     右 /  アッティラと大教皇レオの会見
天井画はラファエロ作 / 燃える柴・ヤコブの梯子・ノアの前に現れる神・イサクの犠牲

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左 / ヘリオドロスの追放     右 / ボルセーナのミサ


署名の間
この部屋は教皇ユリウス2世の書斎です。
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壁画も天井画も全てラファエロ自身の手による作品です。

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聖体の論議

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アテネの学堂
哲学をテーマに描かれたこの作品は、ラファエロの作品の中で、もっとも有名。
古代ギリシャの賢人達が議論する様子を描いていますが、中央のプラトンレオナルド・ダ・ヴンチをモデルとして描いているのは有名な話。
大理石の台に方杖をつき、何かを描いているのはミケランジェロをモデルにしたヘラクレイトス

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黒い帽子の若者はラファエロ自身と言われています。

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パルナッソス
ダンテやペトラルカらしき人物も見受けられるとか。


火災の間
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ボルゴの火災

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左 / オスティアの戦い     右 / ボルゴの火災 

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左 / ボルゴの火災        右 / カール大帝の戴冠

残念ながらシスティーナ礼拝堂の内部は、写真撮影禁止なので手持ちの資料から
最後の審判
最後の審判 ※「週刊ユネスコ 世界遺産」より
ミケランジェロが4年半をかけて完成させた除幕式、人々は 「 神のごとき、ミケランジェロ 」 と声を上げて天才を称えます。

天井画①
天井画②
システィーナ礼拝堂の天井画  
※「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」より
天地創造からノアの箱舟までの、旧約聖書の創世記の物語が描かれています。

天地創造
アダムの創造 ※「週刊ユネスコ 世界遺産」より

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「わがまま歩き29 イタリア5都市イタリア旅行記 ヴァチカン美術館」 「ROMAの休日」「早春のイタリア旅行記」「を参照しています。
  1. 2016/06/17(金) 09:40:43|
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「 石神井台の家 」 を 「 WORKS ( 作品紹介 ) 」 のページにアップしました。

石神井台の家 」 を 「 WORKS ( 作品紹介 ) 」 のページにアップしました

なかなか施主の要望をとらえきれず、A ・ B ・ C ・D ・ E案 の5案を提示し、6案目のF案で、ようやく計画を先に進めることになりました。

白黒②修正 南東
F案 提案当初の外観パース

施主の希望は子育ての終わった老後のついの住かとして、使い易さを重視した家を建てること。
更に、明るく開放的で、高級感がありながら、奇をてらわない普通の家 であること、そして高い耐震性も求められていました。
普通の家とは言っていても、勿論施主はどこにでも在る平凡な家に住みたい訳ではありません。

あ3 南東
F案 最終形の外観パース
打ち合わせの際に、施主から提示される参考写真は、いつも出先で撮ってきた高級建売住宅の写真やチラシばかりでした。
施主の希望を取り入れながら、過度な装飾はせず、建売住宅には見えないように、品の良いデザインに仕上げる為に、設計には相当に時間が掛かってしまい、長期優良住宅の認定 を受けたいとの希望も加わり、予算も手間も増えてしまいました。

p4152155-表紙f

P4152166 のコピー

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明るく開放的なリビングとする為に、3つ連続する出窓を設けました。
出窓は床面積に含まれないので 建ぺい率や容積率に余裕がない場合に有効です。
出窓は特注の3連窓にすることも考えましたが、予算だけでなく、省エネ性能と防犯性能も考慮し、既製品の断熱アルミサッシを採用しています。

耐震等級3 を実現する為、下の写真の筋交いの部分を耐力壁として計画していましたが、施主から 「 窓が小さ過ぎる 」 「 LDKをもっと明るく開放的にして欲しい 」 という要望がありました。
通常の木造在来工法の建物では、開放性能を高くすることは耐力壁が少なくなることに繋がり、よって耐震性能は低くなってしまいます。
そこで、筋交いを表した3連の出窓を提案し、内観パースや以前に設計した実例写真も見てもらいましたが、施主からGOサインはもらえず、最終的には筋交いをステンレス製ブレース ( コボット ) を採用することで耐震性能を維持しながら、更に開放性を向上させることで、ようやく納得してもらうことが出来ました。

下の写真は
上 / 木製筋交いを表した場合 内観パース
中 / 金属ブレースを表した場合 内観パース
下 / コボットを採用した 竣工写真
LDK内観①A
LDK内観①B
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LDK内観②A
LDK内観②B
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LDK内観③A
LDK内観③B
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何度も打ち合わせを重ねて、設計に予想以上に時間が掛かってしまいましたが、完成時にはとても喜んでもらえました。


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ステンレス製ブレース コボット 詳細
特に手間が掛かり、大工さん泣かせだった化粧棚出窓のカウンター
おかげさまで一体感のあるLDKとすることが出来ました。

建物の内外共に特別高価な材料は使っていません。
今の世の中の流れには多少逆行しているのかもしれませんが、高級感は材料ではなく、手間の掛かる木工事で表現しています。

フレーム南東パース
フレーム南西パース
石神井台の家 」 は 「 木の香りがする家 」 のコンセプトを元に設計をはじめました。

木の香り チラシ
プランは全く変わり、柱や梁などの構造材としての木材を表す 「 真壁造り 」 も、LDスペースと和室の部分的なものになってしまい、構造材よりも化粧材を多用したとは言え、室内に限っては木の温か味を感じられる家に仕上がりました。
  1. 2016/06/07(火) 18:10:56|
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ローマ散策 - 17 ヴァティカン美術館 ③ ピーガの間、燭台のギャラリー、地図のギャラリー等

ピオ・クレメンティーノ美術館のどこかにブラマンテ階段と言われる、教皇ユリウス2世が16世紀にブラマンテに造らせた階段が在る筈なのですが、残念ながら見学することが出来ませんでした。

ギリシャ十字の間
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再びギリシャ十字の間に戻って来ました。

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階段を上がり、ピーガの間
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部屋の中央には古代ローマ時代二頭立て戦車 ( ビーガ ) が展示されています。

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燭台のギャラリー
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教皇クレメンス13世が、シモネッティに造られたもので、通路の両側に燭台の彫刻と彫像が置かれています。

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タペストリーのギャラリー
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地図のギャラリー
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ヴォールト天井と壁一杯に、教皇グレゴリウス13世天文学者イニャーツィオ・ダンティの下絵に基づいて描かせた40点のフレスコ画の地図が飾られています。

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地図のギャラリーの出口にあるバチカンの紋章。


ソビエスキ王の間?
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写真の順番と美術館内の道程から考えるとソビエスキ王の間辺りのはずなのですが、この部屋の名前になっているジャン・マテフコ作の17世紀のポーランドの王ソビエスキが、オスマン・トルコ軍に包囲されたウィーンを救った姿が描かれているタペストリーを撮らずに、天井だけを撮ってしまったのではっきりしません。
恐らく違う部屋ではないかと思うのですが、まだ調べがついていません。


インマコラータの間
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無原罪(インマコラータ)の御宿り、つまり、聖母マリアの処女懐胎を描いています。

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祭壇の中央に置かれているのはマリア像です。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市イタリア旅行記 ヴァチカン美術館」 「ROMAの休日」「早春のイタリア旅行記」「を参照しています。
  1. 2016/06/05(日) 19:00:01|
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ローマ散策 - 16 ヴァティカン美術館 ② エジプト美術館、ピオ・クレメンティーノ美術館

シモネッティの階段を上ってエジプト美術館ピオ・クレメンティーノ美術館

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ギリシャ十字間から円形の間方向を見る
床のモザイクアテネの胸像です。

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エジプト美術館を通ってピオ・クレメンティーノ美術館へ向かいます。
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たぶんこの辺からピオ・クレメンティーノ美術館だと思います。
ピオ・クレメンティーノ美術館には、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻が飾られています。
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パンティオンに似たドーム天井

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シモネッティ設計の八角形の中庭へ出ました。

八角形の中庭は周囲に回廊が巡らされ、そこに沢山の彫刻が飾られています。
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チグリス川像

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ラオコーン像
沢山の彫刻の中で、一番有名なのはこのラオコーンだと思います。
古代ギリシャ時代の作品で、ロードス島の彫刻家により制作されたもので、16世紀にローマで発掘され、ミケランジェロルネサンス期の芸術家に影響を与えた作品です。

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ベルヴェーレのアポロン像
紀元前330年頃にアテネに置かれていたブロンズ像を、130年後に模して彫られた大理石像。 
古代芸術の中でも最高峰の作品と言われています。

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再び室内へ
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ムーサ達の間

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天井にはトンマーゾ・コンカ作のフレスコ画が描かれています。

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ベルヴェデーレのトルソ

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円形の間
このドーム天井もパンティオンに似ています。
18世紀にシモネッティによって設計されたこの部屋は、部屋の周囲にぐるりと壁龕を配し、ブロンズや大理石の彫像が置かれています。

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中央に置かれた巨大な杯は、希少な赤大理石の一枚岩で造られ、床のモザイクウンブリアのオトリコーリ浴場モザイクの床だったとか。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市イタリア旅行記 ヴァチカン美術館」 「ROMAの休日」「早春のイタリア旅行記」「を参照しています。
  1. 2016/06/04(土) 12:51:13|
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国立西洋美術館

昨日、上野の国立西洋美術館で開催されているカラバッチョ展を見に行って来ました。
元々絵画にそれ程興味が有った訳ではないのですが、今回のイタリア旅行で、各都市の世界屈指の美術館で絵画や彫刻の芸術品に触れ、この歳になって絵画にも興味を持つようになったのです。
カラバッチョ展チケットは、4月には手に入れていたのですが、混雑しているとの報道が有り、しばらく様子を見ている間に、国立西洋美術館世界遺産に登録されると言うニュースが飛び込んできました。
ただでさえ人気のカラバッチョ展に美術館の世界遺産登録が重なってしまったので、混雑が予想される週末の訪館は諦め、平日の午後に出掛けた訳です。

国立西洋美術館2
国立西洋美術館
本館の設計はル・コルビジエが、弟子の前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が実施設計と監理を行ったと言われていますが、実際にコルビジェはコンセプトやスケッチを提示しただけなので、前川、坂倉、吉阪の弟子達の共同作品と言えるのではないでしょうか?
新館は前川國男が設計しています。

国立西洋美術館3

国立西洋美術館4

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基本設計者 / ル・コルビジェ
実施設計社 / 前川國男、坂倉準三、吉阪隆正
竣工年 / 1959年 ( 本館 )、1979年 ( 新館 )
所在地 / 東京都台東区上野公園7番7号

世界文化遺産に登録 国立西洋美術館を含む7か国17資産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品」として登録 ( 2016・5・17 )
重要文化財指定 築50年以内の建物としては初めての指定 ( 2007・12・21 )


世界遺産ファンてである私の個人的な感想としては、この建物が世界遺産に登録される程の建物とは思えません。
外観にコルビジェらしさはあまり感じられず、コルビジェが描いたコンセプトも実現出来ていないと思います。
世界遺産の登録基準は、もっとハードルを高くしてもいいのではないでしょうか?
商業主義に陥っているとしか思えません。

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平日の午後と言うことで混雑はなく、すんなりと入館することが出来ました。

カラバッチョ展を見終わって喫茶室で一休み
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喫茶室から中庭越しに新館を見る。

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カラバッチョ展のチケットで見ることが出来たので、常設展示も見てきました。
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美術館の中心部で吹き抜けとなったホールは、コルビュジエによって「19世紀ホール」と命名され、ロダンの彫刻が展示されています。

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ホールにはトップライトからが自然光が降り注ぎます。

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2階の常設展示室へは、ホールに展示されたロダン彫刻を見ながら、ジグザグにスロープを上がって行きます。

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2階は中央の吹抜けのホールを囲むように常設展示室が配されています。
回廊状の展示方法は、コルビジエによる「無限成長建築」というコンセプトに基づくもので、将来拡張が必要となった際に、外側へと建物を継ぎ足していける構造です。
本館正面に向かって右側にある外階段は、本来出口として設計されたものですが、立入禁止になったまま、一度も使用されていません。
写真の天井高が低くなっている部分は、自然光を取り入れ、明りを調整する為に設置されたものでしたが、現在では蛍光灯を使用しています。

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コンセプトには企画倒れのものが多いものの、デザインでは見るべきものが沢山あります。

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だだし、コルビジェの作品に見られる、コンクリート打ち放しによる荒々しい彫刻のようなものではなく、いかにも日本的な肌理細かく施工された肌合いのコンクリートによるものです。

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    コンクリート打ち放しの円柱のアップ

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新館から中庭越しに本館を見る。
  1. 2016/06/03(金) 12:42:28|
  2. 建物探訪
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ローマ散策 - 15 ヴァティカン美術館 ① ピナコテカ、ピーニャの中庭

ローマでの二日目はヴァティカン美術館から紹介します。
宿泊しているホテル近くのテルミニ駅から、地下鉄でオッタヴィアーノ・サン・ピエトロ駅まで移動。
地下鉄は東京のラッシュ時間並みの大混雑で、終始すし詰め状態なのには驚きました。
9時に予約をしていましたが、美術館を取り巻くような大行列が出来ていて、何処に並んでいいのか分からなかったので、とりあえず入口まで行って、係員らしき人にチケットを見せると、予約時間の30分も前だったのにも関わらず、館内に入ることが出来ました。
大変ラッキーだったのですが、急いでいたのと、あまりにすんなり入館出来てしまったので、入り口付近の写真を撮る機会を逸してしまいました。

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エジプト美術館の入り口辺り
チケット売り場を通り、エントランスホールのある階から階段とエスカレーターで上階へ上ると、中庭のようなところ、恐らく屋上なのだと思われる場所に出られます。

トイレに探してミュージアムショップの方へ行くと
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ジョゼッペ・モーモの螺旋階段
1932年にジョゼッペ・モーモがデザインした華麗な螺旋階段です。
降りてみようかと思いましたが、誰も人が居ないのと、時間がないので諦めました。
メインの同線とは外れた場所に在ったので、トイレに行こうと思わなければ、見逃してしまうところでした。

先ずはピナコテカ ( 絵画館 )
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18の展示室があり、中世からルネサンス期の絵画やタペストリーが展示されています。

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第8室

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第8室にはラファエロの作品が並んでいます。
「フォリーニョの聖母」 「キリストの変容」  「聖母の載冠」

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「キリストの変容」は上下構成の作品
上部 / キリストが神の子であると告げられ3人の弟子がひれ伏す場面。
下部 / 悪魔に取り憑かれた少年に奇跡を起こす場面。

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「聖ヒエロニムス」
第9室のレオナルド・ダ・ヴィンチ作の未完成のも必見です。

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他にも沢山の名画が展示されていますが、絵の写真を撮っているときりがないので、次はピーニャの中庭
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ピーニャの中庭
中央に置かれた 直径4mのブロンズ製の球体のオブジェは、1990年に制作されたアルナルド・ポモドーロ作の球体のある球体(Sfera con sfera)

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ピーニャとは松ぼっくりのこと
巨大な壁龕に、ブロンズ製のピーニャが設置されています。
1~2世紀に噴水の吹き出し口として作られ、旧サン・ピエトロ大聖堂の中庭に移設、1608年に現在の位置に設置されました。

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ピーニャのある壁龕と対面部

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市イタリア旅行記 ヴァチカン美術館」 「ROMAの休日」「早春のイタリア旅行記」「を参照しています。
  1. 2016/05/29(日) 15:14:55|
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ローマ散策 - 14 アウレリウス城壁 と サン・ジョバンニ門、ラテラノ宮殿

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノとは「ラテラノに建つ聖ヨハネに捧げられる聖堂」と言う意味になるのだと思います。
大聖堂の前の広場の名称は、ガイドブックやサイトによって、ラテラノ広場と記載されているものもあれば、サンジョバンニ門広場と記載されているものあります。

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アウレリアヌス城壁とサンジョバンニ門
アウレリアヌス城壁は北方からの異民族の侵入を防ぐ為、3世紀後半に皇帝アウレリアヌスによって建てられた城壁です。
この門はアッピア新街道からのローマへの出入口として造られました。

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皇帝アウレリアヌスは、全長19Kmにも及ぶ城壁を、僅か5年 (271~275年 ) で造らせました。
パスクロマーナ ( ローマによる平和 ) を謳歌したローマ帝国も、この頃には蛮族の侵入に脅かされていたんですね。

ラテラノ広場からの写真は撮り損ねてしまったので、大聖堂を撮った写真から
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ちょっとしか写っていませんが、サン・ジョバンニ・ラテラノ大聖堂の右隣に接して建つ黄土色の建物がラテラノ宮殿です。

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ラテラノ宮殿

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宮殿の中は見学していませんが、ラテラノ宮殿は、これも世界史の教科書に出てくる、アヴィニョン捕囚(1309年)まで教皇庁として使用され、歴代の教皇はここを住居としていました。
アヴィニョン捕囚以降、荒れ果てていたこの聖堂と宮殿は、16世紀、教皇シクストゥス5世によって修復されますが、元は一体化していたラテラノ大聖堂ラテラノ宮殿はこの時切り離されます。
また、近代においても、1929年にこのラテラノ宮殿で、教皇とムッソリーニとの間でラテラノ条約が結ばれて、ヴァティカン市国が誕生することになった歴史的場所なのです。
ラテラノ宮殿は現在では教皇庁立博物館となっています。

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サンジョバンニ門をくぐって、地下鉄の駅に向かう前に、サン・ジョバンニ門広場の中心から、最後にもう一度夕陽をバックにしたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見てみました。
 
この後地下鉄でテルミニ駅まで移動しましたが、もはやレストランを探す元気は残っていなかったので、駅に隣接するスーパーでお酒と食料を買ってホテルへ帰りました。
寝る前に万歩計を見てみると、初日の歩数は32000歩になっていました。
これでローマでの初日は終了です。

※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/28(土) 22:23:00|
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ローマ散策 - 13 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 ②

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の二回目です。
前回は外観と拝廊、身廊、側廊、クロッシング部の教皇専用の祭壇などを紹介したので、今回は翼廊、中陣、後陣と聖堂内を飾る彫像を紹介します。

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祭壇の後ろのクロッシングから、内陣越しに半円形のアプス部 ( 後陣 ) を見る。

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アプスの半円球上部に描かれた神と天使のモザイク画は4世紀のもので、その下の部分は13世紀のもの。

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向かって右側の袖廊 ( 翼廊 )。 この天井の装飾も豪華です。

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19世紀の改修時に造られたオルガンだそうです。

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これは向かって左側の袖廊 ( 翼廊 )

近くに寄ってみると
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ドームの乗った黄金の聖堂のミニチィアのようなものがありますが、これは何なのでしょう?

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左側袖廊 ( 翼廊 )礼拝堂

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祭壇の後から、クロッシング内陣との境界部分の天井を見上げる。


両脇の側廊にある、7つの礼拝堂の一つ。
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見事な彫刻です。


身廊側廊を分ける列柱には1本おきにニッチを設け、12使徒の彫像が置かれています。
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身廊中央辺りから、入口方向を見る。

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反時計回りに、祭壇に向かって右側の彫像から見て行きます。

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ここからは祭壇に向かって左側の彫像です。
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何とも豪華で華麗な聖堂でした。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/24(火) 08:00:00|
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ローマ散策 - 12 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 ①

イタリア旅行のローマでの一日目の締めくくりに、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に向かいました。
カラカラ浴場から宿泊しているテレミニ駅近くのホテルに帰る途中に在るので、歩こうかとも思いましたが、万歩計の数字は既に3万歩近くになっていたので、ローマパスを使ってバスで移動することにしました。
イタリア語の分からない私でも、なんとかサン・ジョバンニと書かれているらしきバス停でバスを降りると、そこはオベリスクの在る広場でした。
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中央にオべリスクの立つサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場
後で調べてみると、ローマでは最も背の高いでオベリスクで、エジプトから運びこまれた最後のオベリスクだと分かりました。

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このオベリスクは、紀元前14世紀にトトメス4世によって建てられたテーベのカルナック神殿に在ったもので、357年にエジプトから持ち出され、チルコ・マッシモに設置されました。
ローマ帝国滅亡後、競技場は廃墟と化して永く放置されますが、1587年に3つに壊れたものが発見され、翌年この場所に移されたのです。

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広場に面して教会らしき建物がありましたが、事前に調べてあった外観とは少し違う気がします。
とりあえず中を覗いてみようかと思いましたが、扉は閉まっていて中に入れる様子はありません。
疲れていたこともあり、諦めて地下鉄でホテル帰ろうと、建物の裏側に歩いてゆくと、裏側にも広場 ( サン・ジョバンニ門広場 ) があり、何とそちらが教会の正面でした。

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サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
この教会もローマ四大教会の一つで、バチカンに教皇庁が移る1377年までは、カトリックの総本山だった大聖堂なのです。
ローマの4大聖堂とは サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂です。

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ローマ帝国末期の313年頃にコンスタンティヌス帝によって教皇に寄進され、世界史の教科書にも載っている、ミラノ勅令よってローマ帝国はキリスト教を公認しました。
正式な献堂式は324年に行われ、ローマで最大の聖堂であることから、世界の母なる聖堂と称され、聖堂の中の聖堂としての栄誉を受けます。
聖堂正面の銘文には「ローマ、そして世界の聖堂の母」と記される世界で最初に建てられたキリスト教の聖堂なのです。

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バチカンサン・ピエトロ大聖堂に、どことなく似た雰囲気の正面のデザインですが、屋根には15体の巨大な聖人達の彫像がのっています。
教会内部の大改修は、17世紀にボッロミーニの設計によって行われていますが、正面のファサードは、1735年にガリレイの設計により、現在見ることが出来る、聖人達が立ち並ぶ外観が完成しています。

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このファサードの改修によって、教会の正面に残っていたローマ帝国時代のバジリカ聖堂の面影は全て失われたと言われています。

コロッセオバチカントレビの泉真実の口のような人気の観光地ではないので、すんなり教会内部も見学出来ると思っていたのですが、何と200人近い大行列が出来ていて、セキュリティーチェックもやっていて、中に入るまでには相当時間が掛かりそうです。
この日は諦めてホテルに帰ったので、実際に内部を見学したのは、二日後のローマ滞在の最終日になりました。
なのでこの後の写真は、二日後のものです。

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先ずは聖堂の前のポーチ部分、拝廊から。

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この日の朝、最初に訪れたサンタ・マリア・マジョレー大聖堂にも勝る荘厳な聖堂内部の装飾。

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特に、16世紀に改修された、黄金に輝く各天井の豪華さは圧巻です。

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表側 ( 外側 ) から撮り忘れてしまいましたが、この大きな扉はフォロ・ロマーノ元老院から持ち出されたものです。

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地震や火災により、何度も改修が行われたこの教会は、17世紀にボロッニーミによって大改修が行われ、現在のバロック様式に整えられました。
それでも五廊式、十字形平面構成の室内からは、全体の空間構成をはじめ、ところどころに古代ローマ建築の残像見ることが出来ます。

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コスマーティ模様の床モザイクもその一つ。

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側廊 ( 身廊の両隣り )
五廊式とは、聖堂内を縦に5つの廊下で区画したもので、祭壇と対峙する中央の幅の広い区画を身廊と言い、身廊の外側の2列の区画を側廊と言います。

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側廊 ( 更に外側 )

身廊に戻ります。
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十字型平面中央のクロッシングと呼ばれる部分には、1367年に造られたジョヴァンニ・ディ・ステーファノ作の祭壇があります。

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教皇ウルバヌスの為に造られたゴシック様式の祭壇は教皇専用のもので、一面に3枚ずつ、計12枚のフレスコ画で飾られています。

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祭壇内部 ( たぶんこの部分 ) には、聖ペテロ聖パオロの頭蓋骨の一部が収められているらしいです。

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祭壇の前には地下に降りる階段があります。

長くなったので次回に続きます。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/23(月) 14:30:00|
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浅草文化観光センター

イタリア旅行の後と言うこともあり、今年のゴールデンウィークは特に遠出をすることもなく、出掛けたのは二日に浅草に行っただけでした。

勿論、浅草の近辺は何度も散策したことはありましたが、今何かと話題の隈研吾さんが設計したこの建物を見る為です。
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浅草文化観光センター

設計者 / 隈研吾
竣工年 / 2012年
所在地 / 東京都台東区雷門2-18-9


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最近、さんが多用している木製ルーバーがこの建物でもふんだんに使用されています。

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見る人によっての好き嫌いはあるのは当然ですが、私は好きなデザインです。

ゴールデンウィークなので、中は国内外の観光客でごった返していると覚悟していましたが、それ程の混雑ではありませんでした。
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中央に吹抜けがあり、内部階段で繋がれてている1・2階は観光案内所。
室内にも垂木風に木材がふんだんに使われています。

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階段を上った中2階には窓際にベンチを置いたスペースがあります。
ベンチは少ないですが、階段を上がってくる人は殆どいないので、ここで一休みすることが出来ます。

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いい感じのスペースだと思うのですが、利用している人は私を含めて2組 ( 4人 )だけ。

更に上階へ上ってみましょう。
階段で上るには、ここからは一般の利用客の使用は想定していないような、窓のない狭い階段を利用することになります。
3階は事務所、4・5階は会議室と研修室で、窓のない鉄の扉が閉ざされていて、途中でエレベーターに乗ることも出来ません。
閉所恐怖症とまでは言いませんが、窓のない閉ざされた空間が苦手な私にはちょっと辛い時間です。
外観のデザインから、勝手に各階ともが案内所や土産物の販売や飲食店か休憩所になっていると思っていたので、階段を利用したことをちょっと後悔です。

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6階まで上るとやっと扉があいていて、多目的スペースが在りました。
浅草の紹介らしき映像が上映されていましたが、だれも見ている人はいません。

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7階の展示スペースはには伝統的な人形などの展示があり、ここには10人以上の人が居ました。
鉄骨の外部階段を上って最上階へ

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8階の展望テラス
冬場はともかくとして、眺めは抜群、他の3シーズンには涼しくて気持ちの良いスペースです。
抜群の眺望と居心地にも拘らず、ここも人が少なくて吃驚です。
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覗いてみると、一組しか客が居なかったので展望テラスの直ぐ隣にある喫茶店にも入ってみました。
折角なのでビールも頼んじゃいました。

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喫茶店からの眺め
雷門、仲見世通り越しに浅草寺を見る。 

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杉集成材のルーバー
雨が直接当たり難い場所なので、変色は僅かです。
たぶん特殊な処理がされているのだと思います。
  1. 2016/05/16(月) 12:33:51|
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