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アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

三角地の家 竣工写真 - 外観

前面道路が二項道路で後退工事は市が行った為、日程の調整で最後の犬走りコンクリート打設までに時間が空いてしまいました。

結果として、同じようなアングルでも、色々な天候や時刻によって、表情の違う竣工写真を撮ることが出来ました。

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階段室の2連の縦長窓は型板窓なのですが、予想より日差しが強い事と、階段を上り下りする時に、窓に近付き過ぎると外からシルエットが思ったよりもはっきり見えてしまうと言う事で施主がカーテンを設置しました。

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外壁の色は「白」「グレー」「黒」とかなり悩んだうえで、施主自身が決定しました。

当初は白も有力でしたが、後ろのビルとの関連を考慮したものです。

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このアングルだと家と言うよりも船舶の様です。

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二項道路側の立面

見る角度によって、全く違う建物にも見えます。

屋根形状は道路斜線や北側斜線の関係で、かなり複雑なものになりました。

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デザインの仕事に永年従事していた施主は鉄骨のデザインには特に詳しく、何度も図面上の検討を繰り返しました。

鉄骨は施主の知り合いの職人さんに発注したものなのですが、場所が場所だけに想定通りに取り付けられるか心配でした。

工務店さんの検討もあって、上手く納まり幸いでした。

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この綺麗な円形の柱台の型枠を作った職人さんに拍手です。


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  1. 2020/04/01(水) 10:55:00|
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姫路城-Ⅶ

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地図-5.PG

大天守の見学を終え、出口へと向かいます。

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出口へ向かうには、先ず1階に降りて、武者走りの北東に在る「イの渡櫓への扉」から階段を下ります。

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出口までの通路には瓦などの展示が多数ありましたが、残念ながら今回はじっくり見る時間が無いのでスルーします。

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この通路が何処かと言うと、恐らく「大天守」1階から

「イの渡櫓」⇒「東小天守」⇒「塩櫓」を反時計回りに歩き、入り口と同じ辺りから外に出たと思います。

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この部屋で靴を履きました。

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「水の山門」辺りからの見上げ、左が「乾小天守」中央が「西小天守」、その後ろに「大天守」

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「西小天守」、その後ろに「大天守」

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姫路城は遠目で見た姿が美しいですが、間近から見上げた姿も迫力があります。

ここらで姫路市のホームページ内にある「世界遺産姫路城」の中の年表から、姫路城の変遷を簡単にピックアップしてみます。

1333年 姫山に初めて砦を築いたのは赤松則村

1346年 赤松貞範が姫山に本格的な城を築城

1441年 赤松満祐父子が自害し、山名持豊が姫路城を治る

1467年 赤松政則が領国を回復し本丸、鶴見丸を築き、その後、

    小寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる

1580年 羽柴秀吉の中国攻めの為、黒田孝高が城を秀吉に献上

1581年 秀吉が3層の天守閣を築く

1600年 関ヶ原の戦いの後、池田輝政が城主となる

1601年 城の大改築を開始し、1609年に完成

1617年 本多忠政が城主にとなり、三の丸、西の丸、その他を増築

1869年 明治維新により、姫路城は国有に

1931年 天守閣が国宝に指定される

1951年 戦後、新国宝に指定される

1956年~1964年 「昭和の大修理」

1993年 ユネスコの世界文化遺産に登録される

2009年~2015年 「平成の修理」


この年表を見る限り、1601年から1609年に掛けて、当時に城主だった池田輝政によって行われた大改修工事によって、現在もみられる姫路城の大部分が出来上がっていたと言えそうです。

地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られるそうです。

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備前丸から「西小天守」と「大天守」を見る。

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「大天守」

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南東角から見上げ

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「石落とし」

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「大天守」南東角の石垣

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「備前門」を潜ったところ

左端に写っているのは「井郭櫓」

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この辺りは瓦を止める漆喰がまだ真新しくて真っ白です。

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右は「帯の櫓」

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洗い出しと瓦を埋め込んだ舗装に遊び心が伺えます。

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「切腹丸」前の石垣

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「切腹丸」側の漆喰壁に空いた鉄砲穴から城下を望む

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「リの門」を抜けて「リの門」と「太鼓櫓」を見返す

手前の井戸は「お菊の井戸」

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「リの一渡櫓」は明治・昭和・平成の鯱が展示されています

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「ぬの門」

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「ぬの門」を潜り、門を見返す

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「ぬの門」の門扉

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「ぬの門」前の石垣

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「るの門」続きの漆喰塀

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「二の丸」跡

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「ろの門」

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「いの門」

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「菱の門」

とうとう有料エリアの入り口の「菱の門」に戻って来ました。

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「三国堀」越しに「天守」を見る

名残惜しいので、直ぐには外に出ずに、更に撮影

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きりが無いので、ここらで門を出ますpa310876-1.jpg

「菱の門」を出ました

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この写真で天守の写真も終わりにします

おまけ

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姫路城の猫達

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あとはお土産を物色しながら、ぶらぶらと駅へ向かいました

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JR姫路駅

この建物の2階に上がると大手前通りの先に、姫路城の天守が望めます

  1. 2020/01/13(月) 12:34:00|
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旧李王家邸

今日は国土交通省、経産省、環境省によるZEH等に対する合同の説明会があったので、朝から永田町の砂防会館に行っていました。

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      砂防会館

説明会の終了後、折角なので近くの旧李王家邸を見て来ました。

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旧李王家邸

現在は解体されてしまいましたが、丹下健三氏の設計した赤坂プリンスホテルには、何度か訪れたことはありましたが、何故か旧館と呼ばれていた旧李王家邸は、今までちゃんと見たことはありませんでした。

今回も外観だけの見学になってしまいましたが、レストランになっているようなので、何時か食事がてら見学したいと思います。

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朝鮮併合後には日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として造営された、肌色に近い外壁と濃い茶色の木部の対比が美しいチューダー様式を基調としたデザインの建物。

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敗戦後は、建物の大部分は参議院議長公邸などとして使用された後、1952年に現在のプリンスホテルが取得し、1955年赤坂プリンスホテルとして開業していました。


設計者 / 宮内省内匠寮の北村耕造権藤要吉

建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )

所在地 / 千代田区紀尾井町1-2

東京都指定有形文化財

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この鹿のオブジェは何なんでしょう?

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  1. 2019/03/05(火) 16:54:00|
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リーフレットのデザインを変更しました。

設計工房アクトデザインリ-フレット デザインを変更しました。

2つ折り 表紙
表紙 と 裏表紙

2つ折り P-2-新
見開き

A4版 二つ折りです。
以前の三つ折のリーフレットと比べ、写真の数を減らして見易さを重視しました。
  1. 2014/10/17(金) 18:26:40|
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土佐の 「 おきゃく 」

森の声がきこえる家 を紹介してくれたTOTO高知の山田社長が、昨日も東京にやって来ました。
20年以上も年賀状だけの付き合いだったのに、去年の秋に再会してから2ヶ月ごとに会ってることになります。
僕の禁酒はまだ続いているので、またもやノンアルコールビールでの飲み会です。

「新しい名詞だけど」と言って差し出された名刺には高知県観光特使の肩書が付いていました。

そして是非高知に遊びに来てくれとも・・・

土佐のお客①

3月5日に開幕する 志国高知 龍馬ふるさと博 に合わせ
                5日~13日までの9日間
                 高知市の中心街などで
             土佐の おきゃく 2011 
                  が開催されるのです

土佐のお客③

土佐のお客②

高知では宴会のことをおきゃくと言うそうですよ。

詳しいことは山田社長にではなく

土佐の「おきゃく」事務局へお問い合わせください
               ⇒ http://www.tosa-okyaku.com/

ちなみに僕は、勝手に宣伝しているだけですので、お間違いないようにお願いします。

3年前に行った四国建築ツアーの時は、時間が無くて高知には立ち寄ることが出来なかったので、今年こそは高知に行ければと思っています。

テーマ:高知(土佐) - ジャンル:地域情報

  1. 2011/01/22(土) 11:03:07|
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航空母艦赤城を作る

凛太郎の実兄の作る、旧日本海軍の軍艦模型シリーズ第三弾航空母艦赤城です

第一弾の戦艦大和は、雑誌の付録による木と鉄による模型でしたが、今回の航空母艦赤城は第二弾の戦艦長門と同様に、プラモデルです
プラモデルと言っても、簡単にチャチャっと出来上がってしまう様な代物ではなく、今回も長門の時と同様に、別売りのパーツも組み合わせての、製作日数も半年以上費やした力作です

赤城①
この写真だけはクリックすると拡大します

赤城②
航空母艦赤城は全長260.67M、排水量36,500Tの巨大空母で、その全長はあの戦艦大和と比べても、遜色はありません

赤城⑦
旧日本海軍の航空母艦は、米国の航空母艦と比べると、艦橋が小さいのが特徴です

赤城⑤
甲板の乗っているのはゼロ戦です

赤城⑥
他にも九九艦爆九七艦攻も搭載されています
赤城の搭載機は常用で66機
この搭載機数は他の主力航空母艦、加賀翔鶴瑞鶴より少ないそうですが
赤城は機動部隊の旗艦であり、あの真珠湾攻撃ミッドウェー海戦にも参加しましたが
そのミッドウェー海戦において撃沈してしまいました

話を模型に戻します
赤城⑧
僕も子供の頃、1/450の赤城のプラモを作った事がありますが、この模型の細部のこだわりには恐れ入ります

赤城③
特に船尾の部分は細かいですね

赤城④
立体トラスの細部まで、作込まれているのには、恐れ入りました

兄の次回作ですが、僕は安土城を勧めているのですが、本人は「建物なら薬師寺東塔、でもやっぱりゼロ戦かな?」と言っていました

テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

  1. 2009/08/17(月) 09:00:00|
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戦艦長門を作る

以前僕の兄の作った、戦艦大和の模型を紹介しましたが、今度はその兄が戦艦長門の模型を完成させました。
今回兄が完成させた長門の模型は、前回の大和のような木から造る物ではなく、かなり精密とは言えプラモデルなので、大和程の手間と時間は掛かってはいませんが、それでも大和製作の時に培ったテクニックを駆使して大幅に改良を加えた力作です。

戦艦長門1

戦艦長門2

戦艦長門7

戦艦長門は日本初の純日本式戦艦として大正9年に竣工しました。完成当時は艦橋もこのような姿ではなく、煙突も2本でしたが、何度も改造され、模型は開戦当時を再現したものです。
長門の主砲である41CM砲は完成時には世界最大のものでした。
開戦時には連合艦隊の旗艦だった長門でしたが、大和の完成後は旗艦の座を大和に譲りはしましたが、終戦まで沈まなかった日本海軍唯一の不沈艦だったのです。

戦艦長門5戦艦長門4

戦艦長門3

戦艦長門6

戦艦長門8

日本海軍の誇った大和や長門の巨砲が、対戦艦相手にその威力を発揮する事は、ついにありませんでした。戦艦対戦艦の時代の終らせ、航空機の威力を証明したのは、真珠湾を攻撃した日本海軍だったことは、実に皮肉な話です。

さて、戦艦大和と戦艦長門を完成させた兄の次の目標は、重巡妙高か空母赤城になりそうです。
あまり軍艦ばかり作っていると靖国神社の遊就館の様になってしまうので、「薬師寺にしようか?」とも言っています。
どちらにしろ、次回作にも期待できそうです。

テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2008/07/12(土) 01:01:16|
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戦艦大和を作る

今日が12月8日だからと言う訳ではありませんが、今日は戦艦大和の話です。
2005年の秋に「戦艦大和を作る」と言う、週刊のクラフトマガジンが全90巻で
創刊されました。
その第一号の表紙がこちら
戦艦大和を作る表紙
全90巻を毎週購入し、付録についているパ-ツを組み立てると、表紙にあるような大和が完成すると言うのですが、付いているパ-ツはプラモデルのように、張り合わせるだけで出来るというような簡単なものではありません。
そのパ-ツと言うのは
作り方パ-ツ-1
作り方パ-ツ-3.
主砲のパ-ツはまだしも、船体はこんな板のパ-ツを木工用ボンドで曲げながら貼り付け
カッタ-や紙ヤスリで形を整え、パテで処理した後、塗装して仕上げると言う、気の遠くなるような作業が必要なのです。
特に木材を曲げるのが大変らしく、水につけたり火であぶったりしながら船体の微妙な曲線を出して行きます。
この大和を2年以上の歳月を掛けて完成させたのは、隣に住んでいる僕の兄なのですが、その根気と細かさは一級建築士の僕でもかないません。
作り方パ-ツ-2.

作り方パ-ツ-4.
甲板の板材などは付録のパ-ツは使わず、もっとリアルにするために、彼方此方の模型店やインターネットで手に入る材料を駆使しています。
他にも彼方此方に、パ-ツにはない作りこみがされています。
完成品はこちらです。
右斜め前

斜め後ろ.

艦橋付近鳥瞰.

艦橋アップ

製作者と大和-ぼかし
製作者の兄とその愛娘です。

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棚も大和がピッタリ納まるようにリフォ-ムしました。

大和の実写

ちなみに、本物の大和が完成したのは1941年12月16日なので、、太平洋戦争開戦時(ハワイ真珠湾攻撃)時の連合艦隊の旗艦は、戦艦長門でした。

テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2007/12/08(土) 11:57:24|
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