今日は国土交通省、経産省、環境省によるZEH等に対する合同の説明会があったので、朝から永田町の砂防会館に行っていました。
砂防会館
説明会の終了後、折角なので近くの旧李王家邸を見て来ました。
旧李王家邸
現在は解体されてしまいましたが、丹下健三氏の設計した赤坂プリンスホテルには、何度か訪れたことはありましたが、何故か旧館と呼ばれていた旧李王家邸は、今までちゃんと見たことはありませんでした。
今回も外観だけの見学になってしまいましたが、レストランになっているようなので、何時か食事がてら見学したいと思います。
朝鮮併合後には日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として造営された、肌色に近い外壁と濃い茶色の木部の対比が美しいチューダー様式を基調としたデザインの建物。
敗戦後は、建物の大部分は参議院議長公邸などとして使用された後、1952年に現在のプリンスホテルが取得し、1955年に赤坂プリンスホテルとして開業していました。
設計者 / 宮内省内匠寮の北村耕造、権藤要吉
建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )
所在地 / 千代田区紀尾井町1-2
東京都指定有形文化財
この鹿のオブジェは何なんでしょう?
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- 2019/03/05(火) 16:54:00|
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設計工房アクトデザイン の
リ-フレットの
デザインを変更しました。

表紙 と 裏表紙

見開き
A4版 二つ折りです。
以前の三つ折のリーフレットと比べ、写真の数を減らして
見易さを重視しました。
- 2014/10/17(金) 18:26:40|
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森の声がきこえる家 を紹介してくれたTOTO高知の山田社長が、昨日も東京にやって来ました。
20年以上も年賀状だけの付き合いだったのに、去年の秋に再会してから2ヶ月ごとに会ってることになります。
僕の禁酒はまだ続いているので、またもやノンアルコールビールでの飲み会です。
「新しい名詞だけど」と言って差し出された名刺には
高知県観光特使の肩書が付いていました。
そして是非高知に遊びに来てくれとも・・・
3月5日に開幕する
志国高知 龍馬ふるさと博 に合わせ
5日~13日までの9日間 高知市の中心街などで
土佐の おきゃく 2011 が開催されるのです


高知では
宴会のことを
おきゃくと言うそうですよ。
詳しいことは山田社長にではなく
土佐の「おきゃく」事務局へお問い合わせください
⇒
http://www.tosa-okyaku.com/ちなみに僕は、勝手に宣伝しているだけですので、お間違いないようにお願いします。
3年前に行った四国建築ツアーの時は、時間が無くて高知には立ち寄ることが出来なかったので、今年こそは高知に行ければと思っています。
テーマ:高知(土佐) - ジャンル:地域情報
- 2011/01/22(土) 11:03:07|
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凛太郎の実兄の作る、
旧日本海軍の軍艦模型シリーズ第三弾は
航空母艦赤城です
第一弾の
戦艦大和は、雑誌の付録による木と鉄による模型でしたが、今回の
航空母艦赤城は第二弾の
戦艦長門と同様に、プラモデルです
プラモデルと言っても、簡単にチャチャっと出来上がってしまう様な代物ではなく、今回も長門の時と同様に、別売りのパーツも組み合わせての、製作日数も半年以上費やした力作です

この写真だけはクリックすると拡大します
航空母艦赤城は全長260.67M、排水量36,500Tの巨大空母で、その全長はあの
戦艦大和と比べても、遜色はありません

旧日本海軍の航空母艦は、米国の航空母艦と比べると、艦橋が小さいのが特徴です

甲板の乗っているのは
ゼロ戦です

他にも
九九艦爆と
九七艦攻も搭載されています
赤城の搭載機は常用で66機
この搭載機数は他の主力航空母艦、
加賀や
翔鶴、
瑞鶴より少ないそうですが
赤城は機動部隊の旗艦であり、あの
真珠湾攻撃や
ミッドウェー海戦にも参加しましたが
その
ミッドウェー海戦において撃沈してしまいました
話を模型に戻します

僕も子供の頃、1/450の
赤城のプラモを作った事がありますが、この模型の細部のこだわりには恐れ入ります

特に船尾の部分は細かいですね

立体トラスの細部まで、作込まれているのには、恐れ入りました
兄の次回作ですが、僕は
安土城を勧めているのですが、本人は「建物なら
薬師寺東塔、でもやっぱり
ゼロ戦かな?」と言っていました
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- 2009/08/17(月) 09:00:00|
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以前僕の兄の作った、戦艦大和の模型を紹介しましたが、今度はその兄が戦艦長門の模型を完成させました。
今回兄が完成させた長門の模型は、前回の大和のような木から造る物ではなく、かなり精密とは言えプラモデルなので、大和程の手間と時間は掛かってはいませんが、それでも大和製作の時に培ったテクニックを駆使して大幅に改良を加えた力作です。



戦艦長門は日本初の純日本式戦艦として大正9年に竣工しました。完成当時は艦橋もこのような姿ではなく、煙突も2本でしたが、何度も改造され、模型は開戦当時を再現したものです。
長門の主砲である41CM砲は完成時には世界最大のものでした。
開戦時には連合艦隊の旗艦だった長門でしたが、大和の完成後は旗艦の座を大和に譲りはしましたが、終戦まで沈まなかった日本海軍唯一の不沈艦だったのです。





日本海軍の誇った大和や長門の巨砲が、対戦艦相手にその威力を発揮する事は、ついにありませんでした。戦艦対戦艦の時代の終らせ、航空機の威力を証明したのは、真珠湾を攻撃した日本海軍だったことは、実に皮肉な話です。
さて、戦艦大和と戦艦長門を完成させた兄の次の目標は、重巡妙高か空母赤城になりそうです。
あまり軍艦ばかり作っていると靖国神社の遊就館の様になってしまうので、「薬師寺にしようか?」とも言っています。
どちらにしろ、次回作にも期待できそうです。
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- 2008/07/12(土) 01:01:16|
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今日が12月8日だからと言う訳ではありませんが、今日は戦艦大和の話です。
2005年の秋に「戦艦大和を作る」と言う、週刊のクラフトマガジンが全90巻で
創刊されました。
その第一号の表紙がこちら

全90巻を毎週購入し、付録についているパ-ツを組み立てると、表紙にあるような大和が完成すると言うのですが、付いているパ-ツはプラモデルのように、張り合わせるだけで出来るというような簡単なものではありません。
そのパ-ツと言うのは


主砲のパ-ツはまだしも、船体はこんな板のパ-ツを木工用ボンドで曲げながら貼り付け
カッタ-や紙ヤスリで形を整え、パテで処理した後、塗装して仕上げると言う、気の遠くなるような作業が必要なのです。
特に木材を曲げるのが大変らしく、水につけたり火であぶったりしながら船体の微妙な曲線を出して行きます。
この大和を2年以上の歳月を掛けて完成させたのは、隣に住んでいる僕の兄なのですが、その根気と細かさは一級建築士の僕でもかないません。


甲板の板材などは付録のパ-ツは使わず、もっとリアルにするために、彼方此方の模型店やインターネットで手に入る材料を駆使しています。
他にも彼方此方に、パ-ツにはない作りこみがされています。
完成品はこちらです。





製作者の兄とその愛娘です。

棚も大和がピッタリ納まるようにリフォ-ムしました。

ちなみに、本物の大和が完成したのは1941年12月16日なので、、太平洋戦争開戦時(ハワイ真珠湾攻撃)時の連合艦隊の旗艦は、戦艦長門でした。
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- 2007/12/08(土) 11:57:24|
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