今回で
ヴェネツィア散策の最終回。
ローマ~フィレンツェ~ヴェネツィアと巡った、
イタリア旅行の最終回でもあります。
ムラーノ島からの帰り道は、
サン・マルコ広場には戻らずに、お土産の
ヴェネツィアングラスを置く為に、一度ホテルの在る
サンタ・ルチア駅方面に向かう水上バスに乗船し、
フェローヴィア停留所 の一つ手前の
グリエ停留所 で下船しました。
グーリエ橋 の上
カンナレージョ地区
カナル・グランデ方向を見る。
右に見える鐘楼 /
サン・ジェレミア教会 ( 紹介済み )
鐘楼の下の白い建物 /
ラービア館 ( 紹介済み )

橋の上から180度見返り。

初日の夜に食事をしのは、
グーリエ橋の少し先のレストランでした。
夜とはかなり雰囲気が違います。
ホテルに戻った後、
サン・マルコ広場の近くに在ったレース店を目指して直ぐに出発です。
ホテルからだと、
カナル・グランデの対岸の
サンタ・クローチェ地区は見ていなかったので、地図を頼りにこの地区を散策し、時間を見ながら何処かで水上バスを利用することにしました。
スカルツィ橋 の上
カンナレージョ地区~サンタ・クローチェ地区
スカルツィ橋から、
カナル・グランデを見る。
左岸の鐘楼とドーム /
サン・ジェレミア教会左端には私達が宿泊した
ホテル・プリンチペも見えます。

180度振り返って、
サン・タルチア駅方向を見る。
緑のドーム /
サン・シメオン・ピッコロ教会スカルツィ橋 を渡って、まだ足を踏み入れていない
サンタ・クローチェ地区 へ。
カッレ・ルンガ通り サンタ・クローチェ地区
スカルツィ橋から直線で繋がる
カッレ・ルンガ通りから覗いた路地。
カッレ・ルンガ通りの突き当り方向を見る。
カッレ・ルンガ通りの店舗の看板
マリン川 サンタ・クローチェ地区
突き当りの手前を左折し、橋の上から
マリン川 を見る。
カッレ・ベルガミ・サン・クローチェ通り サンタ・クローチェ地区
サン・シメオーネ・アパートメントサン・シメオーネ教会を通り過ぎ、狭いトンネルの様な路地の途中で、左手に見えた広場の様な空間です。
丁度、
ホテル・プリンチペの対岸辺りの場所に当たる場所だったらしく、広場の向こうに
プリンチペが見えています。
リスタ・バーリ通り サンタ・クローチェ地区
サン・ザン・デコラ川 サンタ・クローチェ地区
サン・クローチェ通りを進むと
サン・ザン・デコラ川に架かる橋に出ました。
橋を渡ると、目の前に広場と教会が見えて来ます。
サン・ザン・デコラ教会 in
サン・ザン・デコラ広場時間は午後5時半を回った頃です。
この辺りはご覧の通り、周りに観光客は殆ど居なくなってしまいました。
サン・ザン・デコラ広場を通り過ぎた後は、急いでいたのと、似たような景色が続いたいたからだと思いますが、写真を撮ってないことが、今にして思うと残念です。
ペスカリア広場 サン・ポーロ地区
リアルト・マーケット魚市場 と
ファッブリケ・ヌオーヴェ館 の間の広場で開かれている市場です。
時間が遅い為かこの時は人けは殆ど在りませんが、青果や野菜、乾物や生花も並ぶ活気ある市場です。
既に6時近くなっていたので、歩いて
サン・マルコ広場に行くのは諦め、近くの
リアルト・メルカート停留所から水上バスに乗ることにしました。
リアルト・メルカート停留所 対岸 /
カンナレージョ地区
左奥の建物 /
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館の右隣の建物 /
カ・ドーロ (黄金の館 )カ・ドーロの右側の薄茶色の建物 /
ペーザロ館 - Hotel Pesaro Palace ( 4つ星ホテル )
ペーザロ館の右側の肌色の建物 /
サグレード館 - Ca' Sagredo Hotel ( 5つ星ホテル )
サグレード館の右側赤茶屋根の小さな建物 /
フォスカリ・ダル・プラ館 ( 4つ星ホテル )
中央から右側の建物群 /
ヴァルメラーナ館 ( 美術館 )
この後は、水上バスからの写真は撮っていません。
サン・マルコ広場の周りに点在する、レース店で最後のお土産を買い、帰り道は水上バスは利用せずに、先ずは
リアルト橋まで歩き、橋を渡ってからは先程歩いた道を通って
スカルツィ橋を目指しました。

(注 : この写真は買い物をした店ではなく、
スカルツィ橋の近くの店の写真です。)
リアルト橋の上と、袂の
ルガ・デイ・オレジ通りで大声で、相手を挑発するように向かい合い、応援歌らしき歌を歌う2つの集団が騒いでいます。
人通りは少なく、すっかり日は暮れていたのでちょっと怖かったですが、どうやら陽気なサッカーのサポーター達だったようです。
さっき通った時には、沢山の商品が並んでいた
リアルト・マーケットも、商品はすっかり仕舞われ、電灯も消されています。
この後は、来た道を戻るとは言っても、道がはっきり分かっていた訳では無く、暗くて狭い迷路のような路地を、ほぼ当てずっぽうに歩きました。
塩野七生さん著の
「聖マルコ殺人事件」 に出てくる、「知らない道でも人の来る方向へ歩けばいい」と言う、
ヴェネツィアの街の歩き方を思い出して、ドキドキしながらも楽しい散策になりました。
リアルト橋では少しだけ怖い思いをしましたが、
イタリアの他の都市と比べると、
ヴェネツィアの治安の良さは各別です。
但し、辺りは真っ暗だったので、街中の夜の写真は撮っていません。
当てずっぽうに歩いた割には、殆ど最短距離を通ったらしく、
リアルト橋から40~50分程度の散策で、
スカルツィ橋に到着しました。

夜景の撮影には自信はありませんでしたが、あまりに綺麗だったので、シャッターを押さずにはいられませんでした。

この夜が、イタリアでの最後の夜です。
夕食は初日に入って、とても感じの良かったレストランに行くことにしました。

好物とは言え、流石にバスタにも飽きていたのでスズキ料理にしてみました。
美味しかったのは勿論のこと、柔らかくて食べやすく、箸がなくても綺麗に食べることが出来ました。


翌日は朝食後に空港に向かうだけだったので、ワインも大瓶を飲んで、イタリア最後の夜を楽しみました。
イタリア旅行に行ってから、丁度一年が過ぎました。
もっと早くに、旅の記録をまとめあげるつもりでしたが、写真を整理したりコメントを書く為の資料を調べるうちに、ついつい時間が掛かってしまいました。
ただ、その作業がまた楽しくて、一年間ずっと旅行を続けていたような気さえしています。
今回で 「イタリア旅行記」 は終了しますが、今後も記事の加筆・修正は続けていきたいと思います。
この旅行は、私達夫婦の 「結婚30年」 を記念した旅行でしたが、この旅行が実現したのは、旅行社の選定をはじめ、料金の安い時期や空いている季節を調べてくれた妻のおかげだと思っています。
永年の憧れだったイタリア、特に ローマ と ヴェネツィア 旅行を実現してくれた妻に、心から感謝しています。
※ この記事は「Google マップ」を参考にしています。
スポンサーサイト
- 2017/03/29(水) 16:42:11|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
カ・ドーロ を見学した後、水上バスで
サン・マルコ・サン・ガッサリア停留所 まで移動し、
サン・マルコ大聖堂 と
コッレール博物館 を見学しました。
サン・マルコ大聖堂 の内部の写真は、外観の写真と一緒に前日に紹介済みです。
コッレール博物館 の内部の写真は撮影禁止だったので撮れませんでした。
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 も見学したいと思っていましたが、友人達へのお土産をまだ買えていなかったので、
ヴェネツィアングラスの島、
ムラーノ島へ渡ることにしました。
ムラーノ島 へ向かう、水上バスからの風景です。
ホテル・ダニエリ
左端に
ドゥカーレ宮殿 と
サン・マルコ鐘楼 が見えます。
写真中央は
ホテル・ダニエリ。

左側のオレンジ色の建物 /
Hotel Savoia & Jolanda ( 4つ星ホテル )
上の建物の右隣りの黄色い建物 /
ホテル パガネッリ ( 3つ星ホテル )
中央右側の白い建物 /
Hotel Londra Palace ( 4つ星ホテル )
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂ジャルディーニ ターミナル 辺り
カステッロ地区
Biblioteca di Studi Adriatici BSA - ISMAR CNR ( 図書館 )
サン・ピエトロ島 を過ぎた辺り
カステッロ地区
アルセナーレ - ヴェネツィア国立造船所 ( 一部現博物館 )
この辺りが、
アドリア海の女王 と呼ばれる程の
ヴェネツィア共和国海軍を支えた、
国営造船所 です。
1104年に
ヴェネツィア共和国により設置された
国立造船所で、
オスマントルコとの戦争状態に入る15世紀頃が最盛期で、2万人もの労働者が勤務していました。
現在は一部が
海洋史博物館として公開されている以外は、
未公開の遺構として保存されています。


水上バスは、半島の様に突き出した
国営造船所をぐるりと左回りに岸沿いを進みます。
倉庫の様な建物も見えて来ました。
アルセナーレ北~チェレスティア停留所 の間
カステッロ地区
Ristorante La Serenissima ( レストラン )
CA Del Console ( ホテル ) + TRANSFORMATIA
ローマでは
頭だけが白い烏を見ましたが、
ヴェネツィアでは
頭だけが黒い水鳥を見付けました。
城壁の様に続く、長い煉瓦の壁が終わると、教会の鐘楼が見えてきました。
チェレスティア停留所 の手前辺り
カステッロ地区
サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会ここまでは、
アルセナーレ造船所跡 を左手に見ながら、海岸線近くを進んで来ましたが、
フォンダメンテ・ノーヴェ停留所 の所で、水上バスは右に90度舵を切り、ここからは真直ぐに
ムラーノ島に向かって進んで行きます。
フォンダメンテ・ノーヴェ停留所 辺りを見る
カステッロ地区
サンタ・マリア・アッスンタ・アイ・ジェズイーティ教会 の鐘楼が見えています。
左後ろを振り返り、本島北部海岸を見る
オルト停留所 辺りを見る
カンナレージョ地区
マドンナ・テッロルト聖堂鐘楼
本島と
ムラーノ島とは、最短距離では数キロ程度しかなく、中間辺りに
サン・ミケーレ島があります。
海とは言え、
ラグーナ ( 潟 ) 内は浅瀬が殆どなので、水上バスの航路は海中に打ち込まれた木杭によって示されています。
かつては、
アドリア海の女王と呼ばれ、世界一と言ってもいい程の海軍力を持った時期もあった
ヴェネツィア共和国ですが、外敵に攻め込まれた時には、この木杭を全て引き抜き、敵の大型艦を座礁させて侵入を防いだのです。
サン・ミケーレ島
サン・ミケーレ・イニーゾラ聖堂 マウロ・コドゥッチ設計 1469年建設開始
サン・ミケーレ島は、
ヴェネツィアの
墓地の島と言われています。
ムラーノ・コロンナ停留所 から
ムラーノ島に上陸です。
ムラーノ島は、大まかに言うと、幅の広い運河によって分割された大・中・小の3つの島から出来ており、更に小運河により7つの島に分かれています。
ムラーノ・コロンナ停留所は、大・中・小の中に当たる島に在り、島全体の南端の先端で、本島に最も近い位置に在ります。
中の島は、小運河で二分され、運河の両側には
ヴェネツィアングラスの工房と店舗がずらりと並んでいます。

店が多いからと言って、同じようなものばかりを置いている訳ではなく、各々の工房で作ったオリジナルグラスを置いているので、一軒一軒見てしまうと、楽しくてなかなか前に進みません。

時計塔 + オブジェ in
サント・ステーファノ広場更に少し進むと、大と中の島を分ける幅広の運河に出ます。

運河に掛かる
ロンゴ橋から、前の写真の
サント・ステーファノ広場の時計塔を見る。

この写真も
ロンゴ橋の上から撮っています。
ロンゴ橋を渡り、一番大きな島の運河沿いの道には、ガラス工房と飲食店も並んでいます。

さほどお腹は空いていなかったのですが、時間は午後2時を回っていたので、橋向こうの散策は程々にして、
サント・ステーファノ広場に在ったレストランに戻ることにしました。
ラビオリとビールを注文しました。ちょっと足りないと思いましたが、パンもついてきたので、十分でした。

食後にオブジェの前で記念撮影し、既に目を付けていた何軒かの店で検討を重ね、
ヴェネツィアングラスのお土産を決めることが出来ました。

後は、ここで購入した
ヴェネツィアングラスの大皿に敷く
レースを求めて
サン・マルコ広場へ戻ります。
レースも
ガラス細工と同様に、
ヴェネツィアの名産物すよ。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」 「海の都の物語」 「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/03/29(水) 12:51:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前回に続き 「
カ・ドーロ停留所 ⇒ サン・マルコ・サン・ガッサリア停留所」 までの、水上バスからの風景の後半で、
カ・フォスカリ川 を過ぎた辺りからの風景です。
前日とそっくりなアングルの写真が何枚もありますが、天候や時間帯による写りの良し悪しがありますので、再度UPしています。
サン・トマ ~ サン・サムエレ停留所 の間 右岸 /
ドルソドゥーロ地区
左端の建物 /
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )上の建物の右隣り建物 /
ベルナルド・ナーニ館上の建物の右隣の建物 /
ジュスティニアーン・ベルナルド館右端の建物 /
ジュスティニアーン館
左端の建物 /
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )中央の建物 /
ベルナルド・ナーニ館右端の建物 /
ジュスティニアーン・ベルナルド館
ジュスティニアーン・ベルナルド館 17世紀
このような設計の建物かと思いましたが、3階の部分は未完のまま現在に至った建物だそうです。
上階には中央に2つの
半円アーチの玄関があり、2階には4セットの
2連の半円アーチ窓が等間隔に並び、3階の完成部分も同じデザインの窓が並んでいます。
ベルナルド・ナーニ館 16世紀
一見シンメトリーな立面に見えますが、
カナル・グランデに面する、1階に2ヶ所ある
半円アーチの玄関うち、一つは中央にありますが、もう一つは右端に開けられています。
上階は中央に露台付の3連の半円アーチ窓を配し、両側に2個づつの
半円アーチの単体窓のあるシンメトリーなデザインです。
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 ) 18世紀
カ・レッツォーニコ停留所 の中辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
中央右側の建物 /
ロレダン・デッランバッシャトーレ館 1470年頃
中央左側の低い建物 /
マイネッラ館左端の建物 /
コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館 17世紀
マイネッラ館 ロドヴィーコ・カドリーン設計 1858年
ピアーノ・ノービレ階レベルには、眺めのよさそうなテラスを、水面レベルの玄関の横には、細長い庭ある19世紀の邸宅。
半円アーチの窓枠飾りと
手摺の面格子は、
大理石製ではなく
テラコッタで造られているようです。
カ・レッツォーニコ~アカデミア停留所 の中間辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
サン・トロヴァゾ川
コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館 17世紀
アカデミア~サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の中間辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
サン・ヴィオ川サン・ヴィオ川 右岸の建物 /
ロレダン・チーニ館 16世紀
バルバリーゴ館 16世紀

右側の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
左側の建物 /
ミュラ・モロシーニ館 15世紀
サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の対岸辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
左側の肌色の建物 / 18世紀の住宅
中央左側の茶色い建物 /
バルバロ・ヴォルコフ館 15世紀半
中央右側の改修中の建物 /
ダーリオ館右端の薄いピンクの建物 /
Casa Artom ( 学校 ) 19世紀

左側の建値 /
バルバロ・ヴォルコフ館右側の建物 /
ダーリオ館
ダーリオ館 ピエートロ・ロンバルド設計 1487年頃
隣の建物と見比べると、右に大きく傾いていることが分かりますが、工事用の足場越しに見ても、そのファサードのデザインの多彩さは、一際目立つ建物です。
1階には、真ん中の開口が他のものより幅広な、3ヶ所の
半円アーチの玄関があります。
2・3・4階はほぼ同じデザインで、右側に
半円アーチの4連窓が、右端には1個の単体窓が配置され、間の壁には、黒電話のダイヤルの様な独特な装飾が、ファサード中の残りの壁部には、ドーナッツ状に穴の開いた大理石が施されています。
色彩豊かで装飾的なモティーフに富んだファサードの
ルネサンス期の特異な建造物です。
また、屋根上の巨大な煙突も目を引く要素です。
サンタ・マリア・デル・ジリオ~サルーテ停留所 の間
左岸 /
サン・マルコ地区

ピザーニ・グリッティ館 ( グリッティ・パレス・ホテル ) 14世紀
ヘミングウェイが愛し、長期滞在したホテルで、その名を冠したスイートルームがあるそうです。
ゴシック様式のこの建物は、14世紀には
ピザーニ家の所有ででしたが、1814年に
グリッティ家が購入しました。
その後売却による所有者の変更を経て、ホテルに改修されています。
2・3階の中央に
5連のオジーアーチ窓を配し、両側には幅広の壁があり、2個づつの単独窓がます。
カナル・グランデに面する立面は、横長で間延びした感がありますが、建物の両側には通りと運河があり、見えていない公園に面した左側面には、多くの窓が開いています。
フランジーニ・フィーニ館 ピエートロ・ベッティネッリ設計 17世紀
カナルグランデに面する
セルリアーナ式の玄関は、右端と中央より左寄りの場所に2ヶ所あり、それぞれの玄関の真上の位置には、中央の窓幅がやや大きい
半円アーチの5連窓と
3連窓があります。
また、
キーストーン等の
アーチ廻りの装飾や
露台の美しい建物です。
この建物は19世紀にはホテルでしたが、現在は右隣の
マノレッソ館と共に、ヴェネト州所有の
州議会となっています。
マノレッソ館 15世紀後半
中心が少しだけ右にズレていますが、シンメトリーと言っても差し支えない立面の建物です。
1階は中央にやや大き目な
アーチの玄関があり、直ぐ左右にもアーチ開口が開いています。
直上階の3連窓は、
ランド・コルネール・スピネッリ館でも見られた、
大きなアーチの中に、2個の細長のアーチと円を組み合わせデザインで
、中世トスカーナの伝統的な窓の意匠を取り入れたものです。
4階は
尖頭アーチの中に人型を描いたように見える
4連の三葉飾り窓。
5階には、
4連の半円アーチ窓があり、各階の連窓の両側には、2個づつの単体窓を開けています。
取って付けたように見える最上階は、最近の増築ではないでしょうか?
コンタリーニ・ファザーン館 15世紀
2階には3連窓、3階には2個の単体窓があり、
イスラム風にも見える、美しい装飾の施された
オジーアーチ窓と、
露台の透かし彫りのデザインが特徴的な美しい建物。
間口は狭いにも関わらず、周りの建物と比べると各階の階高の高いも特徴でしょう。
ヴェニエール・コンタリーニ館 15世紀後半
15世紀後半に建てられた
ゴシック様式の建築。
カナル・グランデに面する1階の玄関は、幅の広いマグサを
イオニア式の2本の
円柱が支える
古典様式。
2・3階中央に
4連のオジーアーチ窓があり、両側に2個づつの
オジーアーチの単体窓を配した、シンメトリーな立面ですが、2階よりも3階の方が階高が高く、窓も大きい不思議な建物です。
3階の窓枠の装飾が豊かで、
長方形の額縁も施されています。

左側の建物 /
ミキエール・アルヴィージ館 17世紀
右側の4階の建物 /
ガッジャ館さあ、そろそろ
サン・マルコ広場 に到着です。

美しい
ヴェネツィア の運河に浮かぶ
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 と
税関、そして
ゴンドラ と・・・。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を背景にした
ゴンドラ。
サン・マルコ広場 とその周りの建物群。


何度見ても、美しい風景です。
既に紹介してしまいましたが、実際にはこの後、
サン・マルコ大聖堂 の内部を見学ました。
その後、
コッレール博物館 を見学 しましたが、写真はありません。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/03/21(火) 08:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・マルコ大聖堂 と
コッレール博物館 の内部を見学する為に、
サン・マルコ広場 へ向かう水上バスに乗ります。
初日に何度も
カナル・グランデを行き来しているので、既に見ていない風景は無い筈ですが、勿論全ての建物の写真を撮れている訳はないので、出来るだけまだ撮れていない建物の写真を撮るつもりでしたが、結局は同じ建物を撮ってしまったようです。
カ・ドーロ~リアルト・メルカート停留所 の中間辺り 左岸 /
カンナレジョ地区
左側の寄棟屋根の建物 /
フォースカリ・デル・プラ館 15世紀後半
中央左側の建物 / 19世紀の住宅
中央右側の建物 /
ミキエール・デッレ・コロンネ館右側のオレンジ色の小さな建物 /
ミキエール小館 17世紀
フォースカリ・デル・プラ館 15世紀後半
1階の
カナル・グランデに面する
尖頭アーチの玄関は、中心よりやや右寄りに、2階の
6連のオジーアーチ窓は左寄りに開かれていますが、3階はほぼ中心に
2連のオジーアーチ窓を、左右に同デザインの1個づつの単一窓を配して、全体としてのバランスを保っています。
1520年には
マントヴァ宮廷の
ヴェネツィア大使官邸だったそうです。

左側のクリーム色の建物 /
ミキエール・デッレ・コロンネ館中央左側のオレンジ色の小さな建物 /
ミキエール小館 17世紀
中央右側の建物 /
ミキエール・デル・ブルザ館右端の白い建物 /
スミス・マンジッリ-ヴァルマラーナ館
ミキエール・デッレ・コロンネ館アントーニオ・ガースパリ改修設計 17世紀末改修
一見して1階の階高の高さが目に付く建物です。
1階は細い柱が狭めの
半円アーチを支える
開廊で、
典型的なビザンテイン商館。
1階から3階まで、建物の中心に
セルリアーナ式の開口を設け、2・3階の左右の矩形の単体窓には張り出した大理石の
露台と窓上には
ペディメント風の飾りが施されています。
17世紀末期に、
アントーニオ・ガースパリの設計でファサードは全面的に改築され、
露台と
窓上部の彫像等の
バロック期の典型的な要素は、この時の改修によるものです。
ミキエール・デル・ブルザ館 1777年
1774年に火事になり、3年後に再建された
ゴシック様式の建物。
( 館名の「ブルザ」 = brusa は 「焼けた」 等の意味があるようです。)
カナル・グランデに面する1階は、規則正しく3個の
半円アーチの玄関があり、2・3階には中央に
露台付の
4連のオジーアーチ窓を、両側には2個づつの同じデザインの窓を配した、シンメトリーな立面の建物です。
スミス・マンジッリ-ヴァルマラーナ館アントーニオ・ビゼンティーニ改修 1743~51年改修
2・3階の
新古典様式のファサードは、改修時のものです。
1階中央の
半円アーチの玄関には
ペディメントを、その上のピアーノ・ノービレ階の
半円アーチ窓には
ティンパヌムを配したシンメトリーな立面を持つ建物。
ノービレ階の両側の単独窓には
ペディメントが施され、窓の両側には、
コンポジット式の化粧柱は、4階のスラブレベルに施された
エンタブラチュアを支えるように並んでいます。
最上階とその下の階は、18世紀末の増築で、
建築家ジャンアントーニオ・セルヴァによって内装も一新されています。
リアルト・メルカート停留所 を過ぎた辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
ファッブリケ・ヌオーヴェ館リアルト橋 の少し手前
リアルト橋 1591年
リアルト停留所 の辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区



中央右側の茶色の建物 /
ラヴァ館 ジョヴァンニ・サルディ設計 1906年
サン・シルヴェストロ停留所 辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
バルズィッザ館 12-13世紀

左側の建物 /
ブジネッロ館 13世紀中頃
右側の建物 /
Lanfranshi 館 18世紀
ピアーノ・ノービレ階とその上階に、左に寄せて
セルリアーナ式窓を
配した、アン・シンメトリーな立面の建物。
サン・シルヴェストロ~サンタンジェロ停留所 の中間辺り
右岸 /
サン・ポーロ地区
右端の建物 /
ベルナルド館中央右側の建物 /
ジュスティニアーン・クェリーニ・デュ・ボワ館中央の白い建物 /
グリマーニ・マルッチェロ館中央左側のオレンジ色の建物 /
カッペッロ・レイヤード・カルネッティ館上の建物の左側の運河に突き出した2階建ての建物 /
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館上の建物の左側建物 /
ピザーニ・モレッタ館
左端の建物 /
ピザーニ・モレッタ館2階建ての建物 /
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館サン・ポーロ川中央右側の建物 /
カッペッロ・レイヤード・カルネッティ館右端の建物 /
グリマーニ・マルッチェロ館
グリマーニ・マルッチェロ館 16世紀初頭
白大理石で造られ、完璧なシンメトリーの立面を持つ美しい邸宅。
1階中央の
半円アーチの玄関の直ぐ左右には
楕円形の窓があり、更に外側には
ペディメントが施され2個づつの矩形の窓があります。
2・3階の中央には、
3連の半円アーチの開口が有り、両側2個づつの窓も
半円アーチ窓が配され、2階の
ロッジアには張り出した
露台が施されています。
また、ファサードの彼方此方に
円形の化粧板が散りばめられ、
コンポジット式オーダーの施された
化粧柱で飾られています。
サンダンジェロ停留所 の向い対岸 右岸 /
サン・ポーロ地区
サン・ポーロ川左岸の建物 /
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館 サン・ポーロ川サン・ポーロ川右岸の建物 /
カッペッロ・レイヤード・カルネッティ館

左側の建物 /
ピザーニ・モレッタ館 右側の2階建ての建物 /
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館
ピザーニ・モレッタ館 15世紀中半-16世紀初頭改修
完全なシンメトリーな立面を持つ、美しい
ヴェネツィアン・ゴシック様式の宮殿。
カナル・グランデに面する階には、中央に2個の大きな
オジーアーチ式の玄関が並び、ピアーノ・ノービレ階とその上階の中央には、美しい
四つ葉状柱頭の装飾の施された6
連のオジーアーチ式窓があり、上下階で
四つ葉状柱頭の形状がやや異なっています。
左右の壁には、2個づつの
オジーアーチ式窓が配され、長方形の枠取りと突き出した
露台が施されています。
この写真だと分かり難いですが、セットバックした最上階があり、前面にはレースの様な透かし彫りの施された手摺壁が見えています。

左側の建物 /
ティエポロ小館右側建物 /
ティエポロ館サン・トマ停留所 の少し手前 右岸 /
サン・ポーロ地区
サン・トマ川サン・トマ川 と サン・トマ停留所 の間 右岸 /
サン・ポーロ地区
ゴンドラの船着き場
出向するのは午後からなのか、まだ殆どのゴンドラが停泊しています。
サン・トマ ~ サン・サムエレ停留所 の間 右岸 /
ドルソドゥーロ地区
カ・フォスカリ川後半に続く
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/03/20(月) 11:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この日最初の目的地、
カ・ドーロ に到着しました。
美しい邸宅が建ち並ぶ
カナル・グランデで沿岸の建物の中でも、
最も美しい と言われる
カ・ドーロ ( 黄金の館 ) の正式名称は
パラッツォ・サンタ・ソフィア ( 聖ソフィア宮殿 ) 、かつては外壁に金箔が施されていたことから、
カ・ドーロ ( 黄金の館 ) と呼ばれています。

設計は
ジョヴァンニ・ボン、バルトロメオ・ボン親子 1428-1430年建設
ドージェ ( 元首 ) を8人も輩出した名門、
コンスターニ家の邸宅として建てられました。

この写真は、晴れていた前日に撮った写真です。
建物正面のデザインは、左側の3/5程の範囲と右側の2/5程の範囲に分かれています。

先ずは、左側3/5の範囲のデザインを見てみましょう。
カナル・グランデに直接面する1階の床レベルは水面ギリギリ、中央の
半円アーチは、両側の二つづつの
尖頭アーチよりもやや幅広です。
2階と3階共に、奥行の深い
ロッジアがあり、壁線には、ややデザインの異なる美しい
四つ葉状柱頭の装飾が施され、
ロッジアの直ぐ両側には、2階は
四つ葉模様の
トレーサリー窓が、3階には
オジーアーチ窓が開けられています。
壁の多い右側2/5は、1階から3階まで通して、左右に
オジーアーチ窓を配し、壁の中心には縁取りのある正方形の窓を開けています。
各階の
オジーアーチ窓の開口面積は同じ位に見えますが、デザインは各々異なります。
また、最上部の
パラペットに施された、
王冠の飾りの様とも、
レースの様な装飾とも言われる装飾が、この建物の
繊細で優美な美しさを際立たせています。

3階の
オジーアーチ窓。
良く見ると、窓周りの装飾や大理石で造られた式台の何とも美しいこと。

2階は何故か左右で
トレーサリーのデザインが異なっています。
上下階ののものより、2階の正方形窓だけは大き目です。
壁の大理石の石肌も美しい。

1階は上部に
オジーアーチ窓、下部に正方形窓を施した
複合窓。

さあ、下船して早速
カ・ドーロ を見学します。

入り口前に置かれたプランターも柱頭の様です。

入口を一歩入ると、美しい
モザイクタイル張りの床が広がっています。
入口付近から、
カナル・グランデ方向を見る。

左側に中庭が見えています。
カナル・グランデに面する玄関辺りから、入って来た入口方向を見る。


今回のイタリア旅行では、多くの美しい教会や宮殿の床を見て来ましたが、ここまで美しい床は、
パンティオンか
テンピエットの大理石の床位だと思います。
モザイクタイル貼りと書きましたが、色大理石とタイルを使っているようです。

美しいのは床だけではありません。
壁は2種類の大理石を市松風に貼ったものの様です。



中庭を見る

この木製の扉から、
カ・ドーロ停留所に繋がる路地に出ることが出来ます。

中庭の中央にも柱頭の様なプランターが置かれています。

中庭から
カ・ドーロ停留所に続く路地に出られる木戸を路地側から見る。
正方形の穴から、中庭を覗くことが出来ます。

19世紀に階段と中庭を見下ろすバルコニーは取り壊されてしまいましたが、1922年に当時の所有者であった
ジョルジョ・フランケッティ男爵から国に譲渡され、大々的な修復が行われ、階段の再建も行われました。
( 改修工事は
ジョルジョ・フランケッティ男爵が所有していた時に行われたとする資料もあります。)



1階の床は水面ギリギリと書きましたが、この時は床は水に浸かっていました。

3階の
ロッジア
3階の
ロッジアから、
カナル・グランデを見る。
かなり霧が晴れてきたようで、青空も見えて来ました。


建物内部の
木製階段
この見事な階段は、元は
アニェッロ家にあったものです。

親柱の彫刻はかなり傷んでいますが、ライオンでしょうか?
フランケッティ男爵の美術コレクション寄贈され、現在は
フラッケン美術館となっていて、
カルパッチョや
ティッツィアーノ等の絵画が展示されています。






残念ながら、絵画個々の詳細は調べられていません。
カ・ドーロ停留所に戻り、水上バスで
サン・マルコ広場へ向かいます。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 等を参考または参照にしています。
- 2017/03/10(金) 16:22:26|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ヴェネツィアの二日目の朝は、濃い霧がかかっています。
この日は
ヴェネツィアでの最終日と言うだけではなく、楽しかった
イタリア旅行の、実質的な最終日で、次の日は朝食後直ぐに空港へ向かわねばなりません。
10日に及ぶ
イタリア旅行の間、幸いにも天候に恵まれ、雨に降られたのは
コロッセオの待ち時間の30分程だけだったのに、最後の最後にこの霧です。

前日の朝の晴天とは打って変わった濃霧です。

昨日は朝は
カナル・グランデを行き交う船がはっきり見えていましたが、広場と運河の境も良くわかりません。

朝早いせいか、広場だけでなく、日中や賑うホテルの前の通りにも、人影はまばらです。

ホテルの桟橋から
対岸の建物は、薄っすらとしか見えません。 前日に沢山写真は撮ったとは言え、この日は水上バスからの撮影は諦めるしかなさそうです。
霧が消えるのことを期待しつつ、朝食は何時もよりはゆっくりと食べて、いざ出発です。
朝食の前よりは、霧が薄くなって来たようです。
フェローヴィア停留所 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
左奥の薄緑色ドームの建物 /
サン・シメオン・ピッコロ教会上のドームの下の白い建物 /
Hotel Antiche Figure ( 3つ星ホテル )
上の建物の右隣のクリーム色の建物 /
Hotel Carlton On The Grand Canal中央左手の茶色と黄土色の建物の前 / Ristorante Da Nino
中央右手の肌色の建物 / 建物の詳細は不明
右端の白い建物 /
Hotel Airone ( 2つ星ホテル )
サン・スタエ停留所 の向い 左岸 /
カンナレジョ地区
左奥の肌色の建物 /
マルチェッロ館 18世紀
中央左の茶色の建物 /
中央の白い建物 /
ソランツォ・ピオヴェーネ館 16世紀
右端の建物 /
エーモ館 17世紀
エーモ館 17世紀
カナル・グランデに突き出した場所に、右隣りの
モリーン・クェリーニ館と共に、
マッダレーナ川との鈍角な角地を利用した建物。
等間隔に窓を配した規則正しい左面ファサードに対し、右面は左端に
セルリアーナ式と呼ばれる
アーチと柱を組み合わせたヴェネツィア風の
開口部を造り、右側には左面ファサードと同じデザインの単独窓を2列配しています。
マッダレーナ川左岸の建物 /
モリーン・クェリーニ館 17世紀
中央やや左手に見える運河 /
マッダレーナ川マッダレーナ川右岸の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
上の建物の右隣りの薄黄色の建物 /
ズリアーン・プリウーリ館 17世紀
上の建物の右隣りのオレンジ色の建物 /
ルオーダ館 17世紀
上の建物の右隣りの一部平屋の建物 /
カーザ・ヴェッルーティ 16世紀建築 - 19世紀改修
右奥の2階建ての建物の左隣の建物 /
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館 ( 裁判所 )
ミケーレ・サンミケーリ設計? 1548-1556年
ノアーレ川右奥の2階建ての建物 /
ダ・レッゼ館 15世紀
右端の建物 /
ボルドゥ・ギーズィ・コンタリーニ館 17世紀
マッダレーナ川左岸の建物 /
モリーン・クェリーニ館 17世紀
マッダレーナ川マッダレーナ川右岸の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
左側の
半円アーチの2連窓の建物と右側の3連窓建物を結合した建物。
中心辺りの結合部で各階にズレが見られます。
左岸に以前に紹介した
サン・スタエ教会が見えて来ました。
サン・スタエ停留所 の横 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
サン・スタエ教会 ドメニコ・ロッシ設計 1709年
サン・スタエ停留所 を過ぎた辺り 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
ジョヴァネーリエ 館 - ホテル・パラッツォ・ジョヴァネーリエ・グラン・カナル ( 4つ星ホテル )
サン・トマ~カ・ドーロ停留所 の中間辺り 左岸 /
カンナレジョ地区
左側の建物 /
ボルドゥ・ギーズィ・コンタリーニ館 17世紀
1階は
粗石積み。
カナル・グランデに面する1階玄関、2階の
露台付の
セルリアーナ式の
開口部、3階の
半円アーチの3連窓は、立面の右端に設けられ、2・3階の
窓は
露台付きで、立面全体に
水平ボーダーが施されています。
中央左の建物 /
コンタリーニ・ピザーニ館 17世紀改築
最近の改修によるものなのか、立面はいたって単純ですが、中央の
半円アーチの3連窓とシンメトリーな全体構成は、
ヴェネツィアでは
見慣れたスタイルです。
また、
ポルティコの右端に残る、
柱頭が大きなゴシック様式の柱は、
建築当初の名残りと考えられています。
中央の建物 /
レーヴィ・モレーノス館 16世紀
カナル・グランデに面する庭と大きなテラス、そして1階に大きな
2連のアーチを持つ建物。
赤っぽい色の建物 /
フォンターナ・レッツォーニコ館 16世紀-17世紀
右端の建物 /
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館
フォンターナ・レッツォーニコ館 16世紀-17世紀
カナル・グランデに面する、大きな
半円アーチの玄関と、2・3階の
半円アーチの4連窓は、中心より左寄りにあり、狭い左側には2個、広い右側には4個の化粧が施された
単体窓が開けられています。
赤っぽい外壁には、白大理石の
水平ボーダーが施され、2・3階の全ての窓に施された
露台と
窓飾りを結んでいます。
カ・ドーロ停留所 の直前 左岸 /
カンナレジョ地区
左側の建物 /
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館 アントーニオ・ヴィゼンティーニ設計 1776年
右側の建物 /
カ・ドーロ ( 現:フランケッティ美術館 ) カ・ドーロ の詳細は次回にまわします。

ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館カナル・グランデに面する1階に交互に設けられた、
半円アーチの大門と、彫像の飾られた
壁龕がこの建物の特徴でしょう。
上階には立面の端から端まで
露台が施されて、最上階には左右の
ペディメントのある円形のニッチには胸像が飾られています。
切り妻屋根の屋根裏部屋もこの建物の特徴と言えるでしょう。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」 「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/03/02(木) 21:25:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
水上バスを降りてから、
サン・マルコ広場を斜めに横切って、
旧行政館の西端の細い通路を抜けると、
オルセオロ・オ・デル・コヴァル川のゴンドラ乗り場が在ります。
オルセロ・ゴンドラ乗り場から
オルセオロ・オ・デル・コヴァル川を見た風景。

この場所は、なかなかの写真スポットだったらしく、なん組かの観光客が後ろで待っていたので、一旦場所をゆずり、しばらく順番待ちをしてから、記念写真をもう一枚!!
来た通路を戻って、旧行政館の1階のショップを覗きながら東へ歩き、
サン・マルコ大聖堂の北・東側へ行ってみると、そこも飲食店や商店で賑わった街区でした。
ヴェネツィア名産のレースやヴェネツィアン・グラスの土産店を物色しながら、あてもなく東へ東へと歩いて行くと、両側に店舗の並ぶ細い通りから抜けて、少し幅の広い
サン・プロヴォイオ川沿いの細長い
サン ・プロヴォイオ広場に出て来たました。
サン・プロヴォイオ川と
サン・セヴェーロ川が交わる
T字部分 カステッロ地区
サン・プロヴォイオ川越に
ホテル・パラッツォ・プリウリを見る。
ホテル・パラッツォ・プリウリは、
サン・プロヴォイオ川に
サン・セヴェーロ川が交わるT字部分に在ります。
サン・セヴェーロ川から2艘のゴンドラが遣って来ました。

実に
ヴェネツィアらしい風景です。

ゴンドラに乗ると彼方此方で写真を撮られるのでしょう!
撮られる方も慣れたものです。
サン・セヴェーロ川を挟んで
ホテル・パラッツォ・プリウリの対岸には、運河を見下ろすテラスのある建物が在りました。
レジデンツァ デ ロズマリン建物の詳細は不明ですが、現在は古い邸宅をホテルとして利用されています。
サン・プロヴォイオ川沿いの細長い
サン ・プロヴォイオ広場をそのまま東へ進むと、
サン・ロレンツォ川が
グレーチ川に名前の代わるT字部分に出ます。
T字部分には大小2つの橋が架かっていますが、大きい方の橋からの眺めも、なかなかのものでした。
サン・プロヴォイオ川、
サン・ロレンツォ川、
グレーチ川が交わる
T字部分カステッロ地区
サン・ジョルジオ・デイ・グレーチ大聖堂 1539年着工-1573年竣工
コンスタンディヌーポリ総主教庁に所属する、
ギリシャ正教会の大聖堂で、
ヴェネツィア軍に仕えていた
ギリシャ人兵士達と、
ヴェネツィアに住んでいた
ギリシャ人の知識人層が中心となって建設されました。

同じ橋の上から
サン・ロレンツォ川を見る。

同じ橋の上から
サン・プロヴォイオ川を見る。
辺りはだいぶん陽が落ちて、薄暗くなり露店には灯りが灯り始めたので、ここらで引き返すことにします。
帰る途中でも、立派なファサードの教会を見掛けました。
ヴィン川と
グレーチ川の中辺り
カステッロ地区
サン・ザッカリーア教会 アントニオ・ガンベッロ、マウロ・コドゥッシ設計 1458年-1515年
洗礼者ヨハネの父と言われるザカリアに捧げれ建設された
ベネディクト派の教会。
当初は
ゴシック様式の教会として建設は進められますが、後にファサードや内部の天井等に
ルネサンス様式を取り入れた為、ファサードは
後期ゴシック様式と
ルネサンス様式が融合された、堂々とした立面になっています。

正面頭部の半円部は貝模様や化粧板で飾られています。
正面出入り口の上の彫像
聖ザッカリア像 A・ヴットーリア作内部には絵画が多数飾られており、特に
ベルニーニの祭壇画が有名です。
今回は内部を見学していないので、手持ちの資料から

祭壇画 /
バラ ジョヴァンニ・ベルニーニ作 《 出典:21世紀シリーズ ヴェネツィア 》
夕食には時間が少し早かったので、
サン・マルコ広場から水上バスで
カナル・グランデをホテルの在る
フェローヴィアまで移動するつもりでしたが、
カナル・グランデではなく、
ジュデッカ運河を通る便に乗ってしまいました。
ただ、既に日が暮れてしまったので、写真を撮れる訳でもなく、それ程時間も変らなかったので、かえって
ヴェネツィアの別の風景を見れたと思っています。
この日の夕食は、
サンタ・ルチア駅前で
ホテル・プリンチぺにも近いレストランに入って、ワインと

御飯が恋しくなっていた妻は 魚介のリゾット を

私は イカ墨のパスタ を食べて、
ヴェネツィアを満喫した一日は終わりました。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/02/27(月) 18:52:12|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・トマ停留所 から
サン・マルコ広場 に向かう途中の、
カナル・グランデ の風景の後半です。
アカデミア停留所 を過ぎた辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
右側の濃いオレンジ色の建物 /
GALLERIA D'ARTE IL CANALE ・ Bar Foscarini中央左側の建物 /
コンタリーニ・ポリニャック宮殿 ( 博物館 )
左奥の白い建物 /
モリーン・バルビ・ヴァリエール・デッラ・トレッツァ館
ブランドリーン・ロータ館
- GALLERIA D'ARTE IL CANALE ・ Bar Foscarini 17世紀
カナル・グランデ側の立面の規模、そして2・3階の開口部の構成が、左隣の
コンタリーニ・ポリニャック宮殿と似ています。
外壁が濃いオレンジ色の塗り壁である点、目立った装飾は無く水平にボーダーが施され、屋根の上には
切妻の小屋裏部屋あり、2本の大きな塔状の煙突が有る点が明確な相違点です。
コンタリーニ・ポリニャック宮殿 ( 博物館 )
ジョヴァンニ設計 15世紀中頃
2・3階中央の
5連の半円アーチを、
イオニア式のオーダー柱が支え、両側の壁には2つの
半円アーチ窓を開けた、
シンメトリーで端整な立面を持つ
ルネサンス建築の典型ともいえる美しい建築。
1・2階は白い大理石張りなのに対し、3階の柄の有る淡いオレンジ色の外壁とした配色や、2・3階に散りばめられた〇をモチーフとした装飾、そして1階の
フリーズ部分に施された彫の浅い装飾も、この建物全体から感じられる
淡く美しいイメージを強調しているように感じられます。
アカデミア~ジリオ停留所 の間 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
中央の白い建物 /
モリーン・バルビ・ヴァリエール・デッラ・トレッツァ館 17世紀
2・3階の中央部には
半円アーチの4連窓があり、両脇には2つづつの
半円アーチ窓が開けられています。
1階正面玄関は3つの
アーチで構成された17世紀の建物で、両側の
粗い石積みのテラスは、1750年以後にが追加されたものです。
外壁は白い塗り壁で、水平にボーダーが施されています。
左側のクリーム色の建物 /
ロレダン・チーニ館アカデミア~ジリオ停留所 の間 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区カナル・グランデ から、右岸の
S・ヴィオ川を見る

運河右岸の建物 /
ロレダン・チーニ館 16世紀
運河左岸の建物 /
バルバリーゴ宮殿
バルバリーゴ宮殿 16世紀
カナル・グランデと
サン・リオ広場の角に建つ
鮮やかなモザイク画の建物。
16世紀の建築ですが、壁面を飾る
モザイク画は
ジュリォ・カルリーニの下絵に基づいて18世紀に制作されたものです。
両脇の四角の区画に、皇帝カール五世がティツィアーノの工房を訪れた時の2人(左)と、フランス王アンリ三世がムラーノ島のあるガラス工場を訪問した時の模様(右)が描かれている。
モザイク画以外は、
16世紀の典型的な古典様式の建物で、中央部の
4連の半円アーチと両脇の2つづつの
半円アーチ窓のうち、内側の窓は4連窓と接近して開けられているので、6連窓の様に見えます。
大理石の
水平のボーダーは
アーチ窓枠のボーダーと結び付くデザインとなっています。

右側の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
左側の建物 /
ミュラ・モロシーニ館 15世紀

右側の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
左側の建物 /
ミュラ・モロシーニ館 15世紀
運河に面する玄関は2門あり、2・3階の中央部の4連窓は
オジー
アーチ窓があり、4階の窓は2・3階よりやや小さめです。
ジリオ停留所 の向い辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
右端に少しだけ見える建物 /
ダーリオ館上の建物の左隣の茶色い建物 /
バルバロ・ヴォルコフ館上の建物の左隣の肌色の建物 / 18世紀の住宅
写真中央のクリーム色寄棟屋根の建物 /
サルヴィアティ館上の建物の左隣の肌色6連窓の建物 / 詳細不明
上の建物の左隣の建物 /
Casa Santomaso 14世紀
ドームの右下のオレンジ色の建物 /
Nani Mocenigo 館 16世紀
ドームの下の肌色の建物 /
ジェノベーゼ館 - 現Centurion Palace ( 5つ星ホテル )
左端に見えているドーム /
サンタ・マリア・デッサ・サルーテ聖堂左端の2階建ての建物 /
サン・グレゴーリオ修道院
バルバロ・ヴォルコフ館 15世紀半
大運河に面する
尖頭アーチの1階玄関の高さが、通常の半分程しかありません。
2階は壁が殆どなく、大きめの
6連の尖頭アーチ窓が開けられています。
この建築の何と言っても特徴的な点は、3・4階の開口部が
アン・シンメトリーなデザインだと言うことでしょう。
サルヴィアティ館 19世紀
サン・トマ停留所 の少し手前 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
右端に少しだけ見える建物 /
Casa Santomaso 14世紀
上の建物の左隣りのオレンジ色の建物 /
Nani Mocenigo 館 16世紀
中央の左の肌色の建物 /
ジェノベーゼ館 - 現Centurion Palace ( 5つ星ホテル )
左端に見えているドーム /
サンタ・マリア・デッサ・サルーテ聖堂左端の2階建ての建物 /
サン・グレゴーリオ修道院
ジェノベーゼ館 トゥリコーミ・マッテーイ設計 1892年
左隣の
サン・グレゴーリオ修道院の一部を壊取り壊し、1892年に古い建物風に建てられた
ゴシック・スタイルの新しい建物です。
サン・グレゴーリオ修道院創建は1160年、14世紀に再建され、1775年には廃止されされてしまいます。
19世紀には、右隣の
ジェノヴェーゼ館に場所を提供する為、一部が取り壊されますが、14世紀の
ゴシック様式の回廊と、表玄関は残されました。
1461年頃の教会の
後陣は、
大運河からも見ることが出来ます。
1805年に
修道院は廃止されています。
サン・トマ停留所 の辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
サンタ・マリア・デッサ・サルーテ聖堂 バルダッサレ・ロンゲーナ設計 1687年
1630年に2度目の猛威を振るった
ペストが終焉したことに感謝し、1687年に完成したこの聖堂は、
ヴェネツィア共和国元老院は聖堂建設を決定し、
健康 ( サルーテ ) の名を冠して聖母マリアに捧げられたもので、
バロック建築の最高傑作と言われています。
朝に通った時に、既に紹介済みですが、朝は水上バスの左岸側に乗っていたので、
サン・マルコ・サン・ガッサリア停留所に停泊する為に、180度転回した時に撮った写真は聖堂の遠景だけでしたが、今回は間近から撮ることが出来ました。

流石に
バロック建築の最高傑作と言われるだけのことはあります。

是非内部も見学したかったのですが、スケジュールの関係で諦めるしかありませんでした。

聖堂内部 出典 : Wikipedia - 「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」

主祭壇 出典 : Wikipedia - 「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」
サルーテ~サン・マルコ・ヴァッラレッソ停留所 の間
ドルソドゥーロ地区 の先端に建つ
税関 越しに、
サンタ・マリア・マジョーレ教会を見る。
サン・マルコ広場の少し手前の
サン・マルコ・ヴァッラレッソ停留所で水上バスを下船して、日が暮れるまでお土産を探しのウインドーショッピングです。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照しています。
- 2017/02/25(土) 18:50:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ヴェネツィア1日目の見学予定は終わったので、
サン・マルコ広場に戻って、辺りをぶらぶらと散策しながらお土産を物色する為に、水上バスに乗り込みました。
水上バスを待っている間、
サン・トマ停留所から対岸を見る
サン・トマ停留所 左岸 /
サン・マルコ地区
水上バスの正面辺りの薄ピンク色の建物 /
コルネール・ゲルトフ館 16世紀
上の建物の右側の建物 /
モチェニーゴ宮殿 群 モチェニーゴ一族の
新モチェニーゴ館、モチェニーゴ館、
古モチェニーゴ館 が並んでいます。
モチェニーゴ家はミラーノ出身で、7人の
ドージェを輩出した名門です。
新モチェニーゴ館 ( カーザ・ヌオーヴァ ) アレッサンドロ・ヴィットーリア設計 1579年頃
元は
ゴシック様式の建物だったと思われますが、16世紀に建て直されました。建物中央部には、
セルリアーナ式と呼ばれる
アーチと柱を組み合わせた ヴェネツィア風の窓式で造られ、両側の開口部の2階には
アーチ、3階には
ペディメントが、2階の壁面の両脇に
大理石の紋章が施されています。
モチェニーゴ館 1500年代末
2番目3番目の建物は双子のように同形の建物が並んでいます。
中央部は
セルリアーナ式で窓の上部にはそれぞれ彫刻が施されています。
右岸の彼方には、既に紹介済みの
ジュスティニアン宮殿 と
カ・フォスカリ宮殿 も見えて来ました。

左岸左端の建物 /
モチェニーゴ宮殿左岸中央の建物 /
古モチェニーゴ館左岸中央右の建物 /
コンタリーニ・ダッレ・フィグーレ館右岸奥に見える建物 /
ジュスティニアン宮殿
古モチェニーゴ館フランチェスコ・コンティーン設計 1625年改修
15世紀に
ゴシック様式で建てられた建物を改修したもの。
コンタリーニ・ダッレ・フィグーレ館アントーニオ・アッボンディ設計 ( 通称スカルパニーノ ) 16世紀改修
ゴシック様式の建物の上に、1504~46年に掛けて再構築されたもので、正面の開口部は
半円アーチで造られていて、2階には
ペディメントが施された端整なファサードが特徴で、特に中央部の4連窓に施された、大きな
ペディメントと、両側の壁に施されたレリーフが目を引きます。
今回は水上バスの右岸側に乗ったので、朝とは反対側の建物を見れました。
カナル・グランデ から、右岸の
カ・フォスカリ川 を見る
カ・フォスカリ川の左岸 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )カ・フォスカリ川の右岸 /
バルビ館サン・トマ~サン・サムエレ停留所の中辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
左 /
ジュスティニアン館 右 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )
ジュスティニアン館
中央の建物 /
ジュスティニアン館 右端の建物 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )
左端の建物 /
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )上の建物の右隣の建物 /
Ca' Bemarda右端の建物 /
ジュスティニアン館この建物も紹介済みです。
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )
カナル・グランデから
S・バルナーバ川を見る
カ・レッツォーニコ停留所 辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
ホテル パラッツォ スルテン ( 4 つ星ホテル )
伝統的な
ヴェネツィア様式の建物を利用したホテル。
カナル・グランデ から、右岸の
マルパガ川 を見る
カ・レッツオニコ~アカデミア停留所 の中辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
左奥の建物 /
コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館中央の小さな建物 /
マイネッラ館中央右側の建物 /
ロレダン・デッランバッシャトーレ館
ロレダン・デッランバッシャトーレ館 1470年頃
小振りな建物ながら、均整の良い繊細で美しい建物。

2階部の
四つ葉状柱頭の装飾を施した4連窓と、その両側のニッチに置かれた
彫像が目を引きます。
カ・レッツオニコ~アカデミア乗り場の中辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館異なる時代の二つの建物が隣接しています。
右側の建物
フランチェスコ・ズメラルディ内装改修 17世紀
後期ゴシックの建物で17世紀に改修。 正面の中央に4連窓がありjます。
ネットで見付けた図面には2階に
四つ葉状柱頭がありますが、現在は埋め
られています。
左側の建物
ヴィンチェンツォ・スカモッツィ設計 1609年
1階は
石積みの壁面で、2階には2本セットの
付け柱が施され、その間に
半円アーチの窓が開かれ、屋根の上には
屋根裏部屋の小塔があります。
アカデミア橋 ウジェニオ・ミオッツィ設計 1854年
最初は1854年に
鉄製の橋が開通しますが、老朽化により、
石造の橋に架け替える為の
コンペが行われます。
しかし、プロジェクトは実現されず、現在架かる
木造の橋は1933年に開通しました。
アカデミア橋は、
リアルト橋、スカルツィ橋 (
ミオッツィ設計 )
コスティトゥツィオーネ橋と共に
、カナル・グランデに架かる四つの橋の一つです。
※ この記事内の説明文は 「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2017/02/23(木) 22:14:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 の内部を紹介します。
13世紀前半に、
ヴェネツィアにやって来た
フランチェスコ会の修道士達は、この地に
サンタ・マリア・フラーリ教会を建築します。
しかし、直ぐに
サンタ・マリア・フラーリ教会だけでは、
フランチェスコ会の教えに共感する民衆を収容しきれなくなり、1340年頃から新教会の建築が始まり、約100年の歳月を費やして、1433年に
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 を完成させたのです。

聖堂の平面は
ラテン十字型の
三廊式で、
側廊には、7つの
礼拝堂が配されています。
12本の円柱が支える
交差ヴォールトの
身廊の先には、
壁に囲まれた聖歌隊席が在り、中央に見える
アーチのその奥には、
ティッツィアーノの絵画が見えます。
聖堂の壁は
煉瓦積みで、床は
ピンク肌色と白大理石のチェック柄。
様式は
ロネスク様式と
ゴシック様式が合体した
ヴェネツィア・ゴシック様式と言えるでしょう。

柱の頭部を繋ぐ木梁は、補強の為に設置されたもなのでしょうか?
今回のイタリア旅行で訪れた教会では、他では見なかったものですが、かえってこの教会の特徴になっている気がします。
聖歌隊席を囲む大理石の彫刻 1475年
ブロンズの十字架像 アンドレア・ヴェロッキオ作聖歌隊席を囲む壁は、
大理石のレリーフや聖人たちの彫像で飾られ、正面入り口の
アーチ上には、
ブロンズの十字架像が載っています。
聖歌隊席内壁の木彫り彫刻 マルコ・コッツィ作 1468年
大理石壁の内側は、一転して木彫りの彫刻です。
聖歌隊席の上段には、木彫りのパネル50枚が嵌め込まれています。

再び、
主祭壇に目を戻しましょう。
聖歌隊席から
主祭壇を見る。
半円形に突き出した後陣は、
ゴシック様式の縦長のステンドグラスから光が降り注ぐ神秘的な空間です。

光の中心には
ティッツィアーノ作 の
聖母被昇天 が鎮座します。
この教会全体が、
ティッツィアーノの最高傑作を展示する為に造ったのかと思える程の舞台設定です。
聖母被昇天 ティッチアーノ作 1518年
完成に2年かかった大作で、躍動的な三階層の構図と色彩構成が、
ティツィアーノを
ローマ以北でもっとも傑出した画家の一人という評価を定着させた
ティツィアーノ代表作。
左袖廊から
中央交差部越しに
右袖廊方向を見る
聖マルコ礼拝堂
祭壇画
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ作 1474年

左
側廊 ペーザロ家祭壇 ( 奥の祭壇 )
聖会話とペーザロ家の寄進者たち ティッツィアーノ作 1519 - 1526年

左
側廊中程

ドージェ ( 1658年~1659年在職 )
ジョヴァンニ・ペーザロの記念碑 1699年
バルダッサーレ・ロンゲーナデザイン
メルキオーレ・バルテル、ベルナルド・ファルコーネ作ヴェネツィア・バロック様式の代表作の一つ。

右
側廊中程


右
側廊中程
ティツィアーノの記念碑 ( 廟墓 ) アントニオ・カノーヴァ作 新古典様式カノーヴァは
ティツィアーノ の弟子。
聖具室
聖遺物の祭壇 17世紀
バロック様式中には、キリストの体から採取したと言われている
キリストの血が納められています。
左のレリーフは
キリストの十字架磔刑、右は
十字架降下、下は
キリストの埋葬 の場面を描いています。
黄金の天使の彫像も目を引きます。
身廊中程から、入口方向をみる。
この後は、水上バスで
サン・マルコ広場へ戻り、辺りを散策がてらお土産を探しです。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」 「北イタリア美術めぐり」等を参考または参照にしています。
- 2017/02/05(日) 16:30:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
水上バスを下船し、
サン・トマ地区を少し散策しながら、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 へ向かいます。
ヴェネツィアの道は、何処も迷路の様です。
道幅が非常に狭く、建物が建て込んでいるので見通しも効かないので、直ぐに自分の今居る場所が分からなくなるのですが、少しウロウロしていると、じきに運河か広場に出くわし、広場には大てい教会が在るので、現在地を確認することが出来るのです。

道に迷っている間でも、土産店のショーウィンドーを見ているだけでも、飽きることはありません。

ほんの10日程前まで、
ヴェニツィア・カーニバルが開催されていたので、
ヴェニツィア中がこれらの衣装をまとった人で溢れていた筈です。

仮面の種類も実に豊富です。


フラリ川路地に面した建物や運河に浮かぶゴンドラを見れば、何処でも
ヴェネツィアに居ることを実感することが出来ます。

広場と教会らしき建物に出くわしましたが、
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 ではないようです。
サン・ロッコ大信徒会堂 - サン・ロッコ学校バルトロメオ・ボン - サンテ・ロンバルド - スカルパニーノ
- ジャンジャコモ・ディ・グリージ設計 1515年 - 1560年
聖ロッコはペストの守護聖人、何度もペストに苦しめられた
ヴェネツィアは、15世紀に
聖ロッコを信仰する同信会を創立させます。
この建物はその同信会の集会場として建てられました。
ヴェネツィアを代表する
画家ティントレットの数十点にも及ぶ絵画、
受胎告知、聖母被昇天、聖ロッコの祝福、羊飼いの礼拝、キリストの磔刑 が有名です。
サン・ロッコ教会 スカルファロットが
ルネサンス様式の旧教会を改修 18世紀
この教会にも、
ペスト患者を癒す聖ロッコ、砂漠の聖ロッコ 等の
ティントレットの絵が飾られています。
教会内には
聖ロッコの遺骨も納められています。
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂広場に背を向けているこの建物が、
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂 です。
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂1340年 - 1433年に掛けて、
フランチェスコ会修道士達によって建設。
質素を重んじる
フランチェスコ派の教会だけあって、外観は煉瓦造りの簡素なデザインでさす。
ヴェネツィアでは、
サン・マルコ寺院の次ぐ高さ80mの
鐘楼は、1396年に完成しています。
ヴェネツアン・ゴシック建築の代表作であり、
ヴェネツィアの中でも重要な教会の一つと言えます。
ゴシック様式と比べ、
ヴェネツィアン・ゴシック様式は、空間・構造共に簡素なのが特徴です。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」 等を参考または参照にしています。
- 2017/02/04(土) 16:40:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「 ヴェネツィア散策 - 20 カナル・グランデ④ フェローヴィア ⇒ サン・トマ 」 の後半です。
写真は水上バスの後部甲板から、後ろ向きに撮影したものと、進行方向に向かって撮影したものがあります。
表記の
右岸 ・ 左岸 は
進行方向に向かっての
右 or 左 です。
サン・トマ停留所~カ・ドーロ停留所 の間 右岸 /
サン・ポーロ地区、サンタ・クローチェ地区 
左端 /
魚市場の一部が見えます。
魚市場の数棟右側に頂部に切り妻小屋のある肌色の建物
/
Hotel L'Orologio Venezia上記の右隣の六連窓の建物 /
モロズィーニ・ブランドリーン館中央の赤茶色い建物 /
ホテル・サン・カッシアーノ・カ・ファブレット ( 4つ星ホテル ) -
ブラガディーン・ファヴレット館右端の白い建物 /
Palazzo Corner della Regina上記以外の建物は詳細不明。

左端 /
魚市場の一部が見えます。
魚市場の数棟右側に頂部に切り妻小屋のある肌色の建物 /
Hotel L'Orologio Venezia上記の右隣の六連窓の建物 /
モロズィーニ・ブランドリーン館 モロズィーニ家の分家によって建てられた建物。
中央の素晴らしい六連窓が残り、3階には入り組んだアーチである。
両脇の
オジーブ式の1面窓は長方形の枠の中に納められています。
写真中辺りの建物の詳細は不明。
右端の赤茶色い建物 /
ホテル・サン・カッシアーノ・カ・ファブレット 
左端の建物の詳細は不明。
中央の赤茶色い建物 /
ホテル・サン・カッシアーノ・カ・ファブレット中央の白い建物 /
Palazzo Corner della Regina右端の白い建物 /
カ・ペーザロ - チヴィチ博物館
左側の赤茶色い建物 /
ホテル・サン・カッシアーノ・カ・ファブレット右側の白い建物 /
Palazzo Corner della Regina
ホテル・サン・カッシアーノ・カ・ファブレット ( 4つ星ホテル )
-
ブラガディーン・ファヴレット館数多い
ブラガディーン家の館の一つである。
ピアーノ・ノービレである2・3階には、
美しい四連窓のある14世紀のゴシックの建物で、
ヴエネト・ビザンティン様式から、より古い建物が存在したことが、ファサード両脇の片面窓の枠取りから覗えます。 現在は
ホテル・サン・カッスィアーノとなっていますが、かつては
画家のジャーコモ・ファヴレットが住み、ファサードにその碑があるそうです。
この写真は後ろ向きに撮影しているので、
左側が右岸 (
サン・ポーロ地区 )
右側が左岸 (
カンナレージョ地区 ) となります。
カ・ドーロ停留所の向い辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
左端の建物 /
ファッブリケ・ヌオーヴェ館中央の2階建ての建物 /
魚市場
魚市場 ドメーニコ・ルーポロ、チェーザレ・ラウレンティ設計 1907年
1階部分は全て
オジーブ式アーチの開廊となっている、
ネオ・ゴシック様式の建物。
新鮮な地中海の魚介だけでなく、野菜や果物なども豊富に並ぶ、ヴェネツィアの台所と言われる現役の魚市場です。
カ・ドーロ停留所~リアルト停留所の中間辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
ファッブリケ・ヌオーヴェ館 サンソヴィーノ設計 1552 - 1555年
カナル・グランデに面して
25ものアーチを連ねた開廊は壮観です。
この写真は後ろ向きに撮影しているので、
左側が右岸 (
サン・ポーロ地区 ) 右側が左岸 (
カンナレージョ地区 ) となります。

右岸 /
ファッブリケ・ヌオーヴェ館左岸奥 /
カ・ドーロ (黄金の館 )カ・ドーロの右側の薄茶色の建物 /
ペーザロ館 - Hotel Pesaro Palace ( 4つ星ホテル )
ペーザロ館の右側の肌色の建物 /
サグレード館 - Ca' Sagredo Hotel ( 5つ星ホテル )
サグレード館の右側赤茶屋根の小さな建物 /
フォスカリ・ダル・プラ館 ( 4つ星ホテル )
右岸中央辺りの建物群 /
ヴァルメラーナ館 - Palazzo Michiel ( 美術館 )
右から3棟目オレンジ色の建物 /
Locanda Leon Bianco ( 2つ星ホテル )
右端の建物 /
カ・ダ・モスト館 - Ca' da Mosto 
左側の建物 /
Calle de Banco Giro 似たデザインの建物ですが、別の建物の様です。
右側の建物 /
ファッブリケ・ヌオーヴェ館この写真は後ろ向きに撮影しているので、
左側が右岸 ( サン・ポーロ地区 ) 右側が左岸 ( カンナレージョ地区 ) となります。
リアルト橋の少し手前 左岸 /
カンナレージョ地区
右岸 /
ファッブリケ・ヌオーヴェ館左岸奥 /
カ・ドーロ (黄金の館 )カ・ドーロの右側の薄茶色の建物 /
ペーザロ館 - Hotel Pesaro Palace ( 4つ星ホテル )
ペーザロ館の右側の肌色の建物 /
サグレード館 - Ca' Sagredo Hotel ( 5つ星ホテル )
サグレード館の右側赤茶屋根の小さな建物 /
フォスカリ・ダル・プラ館 ( 4つ星ホテル )
中央やや左の建物群 /
ヴァルメラーナ館 - Palazzo Michiel ( 美術館 )
中央の小さなオレンジ色の建物 /
Locanda Leon Bianco ( 2つ星ホテル )
中央やや右の白い建物 /
カ・ダ・モスト館 - Ca' da Mosto 右側数棟の建物は詳細不明です。
リアルト橋の下 右岸 /
サン・マルコ地区

写真中央の建物 /
ホテル・アル・ポンテ・アンティコ ( 4つ星ホテル )
Palazzo Civran ( 18世紀 ) +
Casa Perducci ( 15世紀 )
+
Palazzo Ruzzini ( 19世紀 )
右側の白い建物 /
ドイツ商館 ( 現中央郵便局 )
ジロラモ・テデスコ設計 16世紀建設-18世紀改修
リアルト橋を少し過ぎた辺り
リアルト橋 アントニオ・ダ・ポンテ設計 1591年再建
初期の木造橋は12世紀に建造され、現在の橋は1557年に開催された
設計コンペにより選ばれた
単一アーチを提案した
ダ・ポンテの案による
大きな太鼓橋です。
水面からの高さは7.5mあり、これは
大型ガレー船が通れる高さでした。
橋の上には
アーチが並ぶ開廊が造られ、後に左右に商店が並ぶようになります。
リアルト停留所~サン・シルヴェストロ停留所の間 右岸 /
サン・ポーロ地区
左奥の建物 /
Consolato Monaco ( Principato ) ( 外国領事館 )
上記の右隣の建物 /
ホテル オヴィディウス - HoteL OVDIUS中央の白・ベージュ・赤の建物の詳細は不明。
右端の建物 /
マジック・リアルト
左端オレンジ・黄色の建物の詳細は不明。
中央左側の建物 /
Consolato Monaco ( Principato ) ( 外国領事館 )
中央右側の建物 /
ホテル オヴィディウス - HoteL OVDIUS右端の白い建物 /
Bisognini 1844年
サン・シルヴェストロ停留所の辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
左側の薄ピンクの建物 /
コルネール・ロレダン館 ( 現市役所 )
12-13世紀
1階部分は全面が階高のある柱廊で、2階の連続バルコニーの細い柱と
幅の狭いアーチが特徴です。
右側の薄茶色の建物 /
ダンドロ=ファルセッティ館 12-13世紀
左隣の
コルネール・ロレダン館とは、建設時期・規模・デザイン共に、
とても似た建物です。
建設当時、1階部分は全面が階高のある柱廊で、2階も連続バルコニーと
2本で一対の柱と狭いアーチが特徴の典型的な商店建築。
3・4階は増築されたものです。
1343年ドージェに選出された
アンドレーア・ダンドロの住まいで、
1670年に
ファルセッティ家が購入しています。
リアルト停留所~サン・シルヴェストロ停留所の間 左岸 /
サン・マルコ地区
左端のオレンジ色の建物 /
ホテル・リアルト ( 4つ星ホテル )
鐘楼 /
サン・ディッシモ・サルヴァトーレ教会鐘楼の下に見える肌色の建物 /
カ・ルチア - Cà Lucia中央左側の白い建物 /
マニン宮殿中央のオレンジ色の建物 /
パラッツォ ベンボー - Palazzo Bembo ( ホテル )
右端のピンク・赤茶色の建物の詳細は不明。
リアルト停留所~サン・シルヴェストロ停留所 の間辺りから、
リアルト橋方向を見る
ゴンドラがまた通り掛ったので・・・

左端のオレンジ色の建物 /
ホテル・リアルト ( 4つ星ホテル )
鐘楼 /
サン・ディッシモ・サルヴァトーレ教会鐘楼の下に見える肌色の建物 /
カ・ルチア - Cà Lucia中央左側の白い建物 /
マニン宮殿上記
マニン宮殿右隣りのオレンジ色の建物 /
パラッツォ ベンボー - Palazzo Bembo ( ホテル )
上記
パラッツォ ベンボーの右側の建物の詳細は不明。
サン・シルヴェストロ停留所を少し過ぎた辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
バルズィッザ館 12-13世紀
右前部に張り出した4連アーチで支えられたテラスと屋根裏部屋が特徴の建物。
左右の異なる建物が、一体化しているように見えます。
張り出したテラスで隠れていますが、1階には桟橋へ続く大門があり、真上の2・3階に少しズラシて
4連の半円アーチ窓があります。
また、ファサードの右端にも、露台のある
4連の半円アーチ窓か開けられています。
サン・シルヴェストロ停留所~サンタンジェロ停留所の間 右岸 /
サン・ポーロ地区
ブジネッロ館 13世紀中頃に建てられた
ヴェネト・ビザンティン様式の商館。
14世紀以後、何度も改修された後、1600年代に4階を増築し大改修されました。
1階の中央に大きな
半円アーチの玄関を配し、2・3階には張り出した
露台のある、
6連の半円アーチ窓がありは、なかなかに壮観です。
両側には1~4階まで通して、2個づつの
半円アーチの単体窓を配した、シンメトリーな立面を持つ建物です。
パパドーポリ館 - アマンヴェニス ( 5つ星ホテル )
ジャン・ジャコモ・ディ・グリージ設計 1560年頃
屋根上に角のように聳える、
2本の金色のオべリスクが印象的な、
宝石商の館として建てられた
ルネサンス様式の建物です。
リンメトリーな立面の建物で、1~3階を通して中央に
セルリアーナ式の玄関と窓を配し、両側の2個づつの単体窓には、2階は
ペディメントを、3階には
ティンパヌムを施し、
フリーズ部の横長の
楕円形の窓や、壁に飾られた
紋章も目を引く建物です。

中央の白い建物 /
パパドーポリ館 - アマンヴェニス ( 5つ星ホテル )
中央右側の薄茶色の建物 /
ブジネッロ館上記
ブジネッロ館の右隣りの建物 /
Rialto Azzurraサン・シルヴェストロ停留所~サンタンジェロ停留所の間
右岸 /
サン・ポーロ地区
左端のクリーム色の建物
/
ジュスティニアーン・クェリーニ・デュ・ボワ館中央左側の肌色の建物 /
ベルナルド館中央右側のオレンジ色の建物 /
Casa Sicher - 現カ・アンジェリ 19世紀
右端の建物 /
ドナ館 - Ca' Dona` della Madoneta 3階の立面を左右に貫く、8連アーチが特徴の建物。

左側の肌色の建物 /
ジュスティニアーン・クェリーニ・デュ・ボワ館右側の肌色の建物 /
ベルナルド館 
左側の3階建ての白い建物 /
グリマーニ・マルッチェロ館 16世紀初頭
白大理石で造られ、完璧なシンメトリーの立面を持つ美しい邸宅。
2・3階の中央には、
3連アーチの開口が有り、両側の窓も
アーチ窓で、
1階の
ニッチ風の窓には
ペディメントが施されています。
中央左側の肌色の建物
/
ジュスティニアーン・クェリーニ・デュ・ボワ館 16世紀
中央は4連の半円アーチ窓で、両側の単一窓も半円アーチ窓です。
最上階は近年の増築でしょうか?
右側の肌色の建物 /
ベルナルド館 15世紀中半
2階と3階の中央の6連窓がズレているのが不思議です。
3階の連窓には
四つ葉状柱頭の装飾が施されていて、
両側の
オジーブ式の窓には、大理石の枠取りで飾られています。
全体としても美しいデザインですが、特に3階の装飾が美しい建物です。
サンタンジェロ停留所の向い辺り 右岸 /
サン・ポーロ地区
左端の肌色の建物 /
ティエーポロ館左側のオレンジの建物 /
ピザーニ・モレッタ宮殿サン・ホーロ川左岸の2階建ての建物
/
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館中央の運河 / サン・ポーロ川
右側のオレンジ色の建物
/
カッペッロ・レイヤード・カルネッティ館
- Università Ca' Foscari ( 大学・大学院 ) 15世紀

左側の肌色の建物 /
ティエポロ館中央左側のオレンジ色の建物 /
ビザーニ・モレッタ宮殿 大運河に面する2階と3階のファサードに、
ドゥカーレ宮殿を思わせる
四つ葉状柱頭の装飾を施した、連窓を持つ15世紀半ばの
ヴェネツィアン・ゴシック様式の宮殿です。
16世紀初頭にファサードと内部の改修が行われ、1742年には内部の
重要な装飾が完成しています。
中央右側の2階建ての建物 /
バルバリーゴ・デッラ・テッラッツァ館 ベルナルディーノ・コンティーン設計 1568-69年頃

外壁の色と規模は
パラッツオ・ダンドロとも似ていますね。
サンタンジェロ停留所~サン・トマ停留所の間 右岸 /
サン・ポーロ地区
中央左側のオレンジ色の建物 /
ティエポロ小館 15世紀後半 - 16世紀改修
2階の5連窓は
オジーブ式で、大理石の枠取りで飾られていますが、
3階は
半円アーチ窓で枠取りは施されていません。
中央右側の肌色の建物 /
ティエポロ館 16世紀
大運河に接する1階には2ヶ所のアーチの出入口があり、2・3階の
中央部には、4連窓が施されています。
サン・トマ停留所に到着です。
この付近を散策しながら、
サンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂 へ向かいます。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」 「21世紀シリーズ ヴェネツィア」 「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照しています。
- 2017/01/31(火) 16:39:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
リアルト停留所 から水上バスで、対岸の
サン・トマ停留所 迄行くつもりが、方向を間違え、しかも各駅停車ではなく急行便に乗ってしまった為に、
フェローヴィア停留所 まで戻ってしまいました。
水上バスを乗り換えて、
サン・トマ停留所 を目指します。

水上バスに乗るのにも慣れて来たので、今回は後方甲板の真ん中座席に陣取ることが出来たので、右岸、左岸の両方の建物を見ることが出来ました。
サンタ・ルチア駅 対岸 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
カッツィオラ・エ・デ・カ・リッツィ川 運河の奥に見えるのは
トレンティーニ教会
サン・ニコロ・デイ・トレンティーニ教会 ヴィンチェンツォ・スカモッツィ設計 1590年-1595年 ( 1718年建 と記載のサイトもあり )
サンタ・ルチア駅 対岸 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
左端の白い建物 /
Hotel Carlton On The Grand Canal中央のオーニングの所 /
Ristorante Da Ninoサンタ・ルチア駅 対岸 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
サン・シメオン・ピッコロ教会 ジョバンニ・スカルファロット設計 1738年
鉄道で
ヴェネツィアを訪れた時、
サンタ・ルチア駅を降り立って最初に目にする印象的な建物が、
グラン・カナル沿いに建つ緑色のドームが目印のこの教会です。
ヴェネツィアで最初に建てられた
新古典主義様式の建物と言われています。

ナポレオンがこの教会を見た時、「
キューポラを持たない教会は色々見たが、本堂のない
キューポラは見たことがない。」と言ったとか?

教会本堂のサイズに対して、載ってるドームが巨大過ぎるので、見た目の不安定感は否めません。
前面の
ペディメントの柱廊とドームがあるので、不格好な
パンティオンと言ったところですが、インパクトは強い建物なのは確かです。
サンタ・ルチア駅 対岸 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
Palazzo Foscari Contariniスカルツィ橋 を過ぎた辺り 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
左側の白い建物 /
Hotel CANAL GRANDEスカルツィ橋を過ぎた辺り 左岸 /
カンナレジョ地区
プリンチペ - Hotel Principe ( 4つ星ホテル )

格安旅行故に、残念ながら大運河沿いの部屋ではありませんが、私達が宿泊したホテルです。
リーヴァ・ディ・ビアジオ停留所 辺り 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
ヴェネト地区教育省庁舎 ( 地区庁舎 )
前回紹介した建物が、今度は左岸になって見えて来ました。
リーヴァ・ディ・ビアシォ停留所 の向い 左岸 /
カンナレジョ地区
右端の建物 /
フランジーニ館その他の建物は詳細不明。

右端の建物 /
フランジーニ館
左端の建物 /
フランジーニ館2階建てと右側の建物 /
サン・ジェレミア教会

左側のドーム + 鐘楼のある建物 /
サン・ジェレミア教会右側の建物 /
ラービア館
丁度いい具合に
ゴンドラが通り掛ったので、いい写真が撮れました。
サン・マルクォーラ停留所 の向い 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
トルコ商館 - Fondaco dei Turchi ( 自然史博物館 ) 13世紀前半
最初の建物は13世紀前半と言われ
、ジャコモ・パルミエーリが
ヴェネツィアに亡命し建てた館とされています。
ヴェネツィアで良く見られる商人の住居兼倉庫で、
ヴェネト・ビザンチン様式。
運河に面する立面を飾る
鋸壁風のパラペットが外観上の大きな特徴です。
カナル・グランデ沿いの建物の殆どが、荷物の積み下ろしに便利な様に、運河に面して出入口を設けていますが、この建物程
アーチの柱廊を長くとっている建物は少ないと思います。
1381年に
ヴェネツィア共和国がこの館を購入すると、
オスマン・トルコの動向を監視する目的でヴェネチア政府は、1621年~1838年の間、この館を商館 ( fontego )として
オスマン・トルコに貸し出しました。
その時、大規模な工事が行われ、24の店舗と付属する52の寝室と使用人部屋が数室も設けられます。
こうして、この館は
Fontego dei Turchi ( トルコ商館 ) と呼ばれる様になったそうです。
サン・マルクォーラ停留所~サン・スタエ停留所 の間
右岸 /
サンタ・クローチェ地区
建物の詳細は不明です。
カ・トロン川サン・マルクォーラ停留所~サン・スタエ停留所 の間
右岸 /
サンタ・クローチェ地区
左側茶色の建物 /
Palazzo Duodo
サン・スタエ停留所 の少し手前 左岸 /
カンナレジョ地区
中央の建物 /
ヴェンドラミン・カレルジ館 1481年~1509年
右側のクリーム色の建物 /
マルチェッロ館 18世紀
サン・スタエ停留所 の少し手前 左岸 /
カンナレジョ地区
左側のクリーム色の建物 /
マルチェッロ館 18世紀
中央の茶色の建物 /
エーリッツォ・アッラ・マッダレーナ・ジャ・モリーン館 15世紀
右側の白い建物 /
ソランツォ・ピオヴェーネ館 16世紀
右端の建物 /
エーモ館 17世紀
サン・スタエ停留所の横 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
サン・スタエ教会 ドメニコ・ロッシ設計 1709年
ギリシア神殿の様な立面を持つ、白い立面が美しい
バロック建築。
サン・スタエ停留所~カ・ドーロ停留所 の間 右岸 /
サンタ・クローチェ地区
カ・ペーザロ - チヴィチ博物館 バルダッサーレ・ロンゲーナ設計 1659年 - 1710年
ペーザロ家の意向によって建てられた
バロック建築の宮殿。
カ・ペーザロは1902年から、現代美術、東洋美術の美術館 -
チヴィチ博物館 ( 国際現代美術館 ) と呼ばれています。
コリント式のオーダー柱と深く装飾刻まれた
アーチの合間に、沢山の天使が見えます。
キーストーンの施された装飾 ( 動物の彫刻か? ) も稀に見る彫の深さがあります。
実に
バロック建築らしい濃艶な装飾です。
バルダッサーレ・ロンゲーナは17世紀を代表する建築家の一人。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照しています。
- 2017/01/27(金) 15:43:15|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
リアルト橋 の近くのファーストフードでピザ食べ、
サンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ教会 を見学しようと、
リアルト停留所から
水上バスで、対岸の
サン・トマ停留所迄行くつもりでしたが、方向を間違えて水上バスに乗ってしまい、しかも運の悪いことに、各駅停車ではなく急行便に乗ってしまったらしく、
サンタ・ルチア駅前の
フェローヴィア停留所まで戻るはめになってしました。
しかしよく考えてみると、この日の朝には水上バスの奥まで押し込まれて撮れなかった
フェローヴィア停留所~リアルト停留所 までの大運河沿いの建物の写真を撮るチャンスです。
気を取り直して朝とは反対方向の、
リアルト停留所 ⇒ フェローヴィア停留所 方向の水上バスからの風景をお届けします。
今回は水上バスの右甲板に乗ったので、
リアルト停留所 から フェローヴィア停留所 までの、右岸 (
カンナレジョ地区側 ) の建物の写真です。
リアルト橋 少し北側 右岸 /
カンナレジョ地区
左端の建物 /
ヴァルメラーナ館 - Palazzo Michiel ( 美術館 )
中央よりやや左のオレンジ色の建物 /
Locanda Leon Bianco ( 2つ星ホテル )
中央から右側の建物群 /
カ・ダ・モスト館 - Ca' da Mosto 13世紀に建設された
ビザンティン様式の邸宅。
建設当時は平屋の住居兼工房でしたが、16世紀に2階部分が増設され、
19世紀には3階部分が建設されたそうです。
16~18世紀には
ヴェネツィアで最高のホテル
「 レオン・ビアンコ
( 白獅子館 ) 」 として知られていました。

左側の建物 /
ヴァルメラーナ館 - Palazzo Michiel ( 美術館 )
中央の運河 /
S・S・アポストリ川 S・S・アポストリ川の奥に見える塔 /
サンティ・アポストリ教会の鐘楼中央右側のオレンジ色の建物 /
Locanda Leon Bianco ( 2つ星ホテル )
右端の建物 /
カ・ダ・モスト - Ca' da Mosto
サンティ・アポストリ教会 1575年再建-18世紀改修
ジュゼッペ・ペドーロ改修7世紀頃には存在したとされている教会で、1575年に再建。
その後も再建が繰り返され、18世紀に
ジュゼッペ・ペドーロが改修しています。
ファサードは
煉瓦造りで、内部は
単廊式の教会です。
ヴァルメラーナ館 - Palazzo Michiel ( 美術館 )
カ・ドーロ の少し手前 右岸 /
カンナレジョ地区
フォスカリ・ダル・プラ館 ( 4つ星ホテル ) 15世紀後半
伝統的な
ヴェネツィア建築の邸宅。
1521年に
マントヴァ公使館 (
ゴンザガ公爵の公邸 ) となりました。
カ・ドーロ停留所 右岸 /
カンナレジョ地区
左側の建物 /
ペーザロ館 - Hotel Pesaro Palace ( 4つ星ホテル ) 15世紀
ヴェネツィアン・ゴシック建築右側の建物 /
サグレード館 - Ca' Sagredo Hotel ( 5つ星ホテル ) 14世紀末
ヴェネツィアン・ゴシック様式 の特徴と言える
四つ葉状柱頭 が
見られます。
カ・ドーロ停留所 右岸 /
カンナレジョ地区
カ・ドーロ (黄金の館 ) カナル・グランデに面する邸宅で、最も美しいと言われている建物。
次日に訪問するので、詳しくはその時に紹介します。
カ・ドーロ~サン・スタエの間 右岸 /
カンナレジョ地区
右端の建物 /
レーヴィ・モレーノス館 16世紀
カナル・グランデに面する庭と大きなテラス、そして1階に大きな
2連のアーチを持つ建物。
中央の建物 /
コンタリーニ・ピザーニ館 17世紀改築
中央左側の建物 /
ボルドゥ・ギーズィ・コンタリーニ館 17世紀
上の建物の左隣りの3階建ての建物 /
ダ・レッゼ館 15世紀
左端の建物 /
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館 ( 裁判所 )

右側の建物 /
コンタリーニ・ピザーニ館 17世紀改築
最近の改修によるものなのか、立面はいたって単純ですが、中央の
半円アーチの3連窓とシンメトリーな全体構成は、
ヴェネツィアでは
見慣れたスタイルです。
ポルティコの右端に残る、
柱頭が大きなゴシック様式の柱は、建築
当初の名残りと考えられています。
中央の建物 /
ボルドゥ・ギーズィ・コンタリーニ館 17世紀
1階は
粗石積み。
カナル・グランデに面する1階玄関、2階の
露台付の
セルリアーナ式の
開口部、3階の
半円アーチの3連窓は、立面の右端に設けられ、2・3階の
窓は
露台付きで、立面全体に
水平ボーダーが施されています。
左側の建物 /
ダ・レッゼ館 15世紀
前面に庭を持ち、中央よりやや右寄りに
尖頭アーチの3連窓がある、
3階建ての
ゴシック様式の建物。

左側の建物 /
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館 ( 裁判所 )
ミケーレ・サンミケーリ設計? 1548-1556年
2・3階の中心部に
ドリス式の柱で支えられた
露台付の
半円アーチの
4連窓があり、両側には2個づつの矩形の
単体窓を持つ、シンメトリーな
立面の建物。
かつてはファサードに、
ティントレットの花のモチーフと肖像画が
描かれていたとか。
右側の建物 /
ダ・レッゼ館カ・ドーロ~サン・スタエの間 右岸 /
カンナレジョ地区
運河の左側の建物 /
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館 ( 裁判所 )
写真中央の運河 /
ノアーレ川運河の右側の建物 /
ダ・レッゼ館サン・スタエ停留所の対岸辺り 右岸 /
カンナレジョ地区

左端の建物 /
バルバリーゴ館 16世紀
左側のの2連窓の建物と右側の3連窓建物の二つを結合した建物。
中心辺りの結合部で各階にズレが見られます。
中央の薄黄色の建物 /
ズリアーン・プリウーリ館 17世紀
半円アーチの窓数は2個づつで左右同数ですが、中止から左にズレた
位置に、露台付の
セルリアーナ式の開口部があります。
右側のオレンジ色の建物 /
ルオーダ館 17世紀
2・3階の立面の中央に
セルリアーナ式の開口部、両側に2個づつの
矩形の単独窓を持つ、シンメトリーな立面の建物。
右端の白い建物 /
カーザ・ヴェッルーティ 16世紀建築 - 19世紀改修
カナル・グランデ沿い殆どの建物が、総3階か総4階である中、各階が
少しづつセットバックさせたテラスがあり、切り妻屋根の建物。
サン・スタエ停留所の向い 右岸 /
カンナレジョ地区
マッダレーナ川左岸の建物 /
モリーン・クェリーニ館 17世紀
カナル・グランデと
マッダレーナ川との鈍角な角地を利用した
ファサードを持つ建物。
中央の運河 /
マッダレーナ川マッダレーナ川右岸の建物 /
バルバリーゴ館右端の薄黄色の建物 /
ズリアーン・プリウーリ館
モリーン・クェリーニ館 17世紀
カナル・グランデと
マッダレーナ川との鈍角な角地を活かしたファサードの建物。
左面の右側には、
カナル・グランデに面する
半円アーチの玄関が設けられ、2階には簡略化された
セルリアーナ式窓があり、左面の右側には3列、右面には2列の単独窓が配されています。

左端の建物 /
エーモ館 17世紀
マッダレーナ川左岸の建物 /
モリーン・クェリーニ館中央の運河 /
マッダレーナ川マッダレーナ川右岸の建物 /
バルバリーゴ館右端の薄黄色の建物 /
ズリアーン・プリウーリ館サン・スタエ停留所の対岸辺り 右岸 /
カンナレジョ地区
左側の茶色の建物 /
エーリッツォ・アッラ・マッダレーナ・ジャ・モリーン館 15世紀
ファサードの左側、2・3階に
5連窓を持つ
ゴシック建築。
2階の
5連窓には
四つ葉状柱頭が施され、右壁の単独窓も含めて、
窓には四角い縁取りがされています。
右側の白い建物 /
ソランツォ・ピオヴェーネ館 16世紀
カナル・グランデに面する
半円アーチの玄関と共に、2・3階の
3連
アーチj窓を中心に、左側壁面には1つ、右側には2つの
半円
アーチの
単独窓が開けられ、壁の中央にレリーフが施された、アン・
シンメトリーな立面の建物。。
サン・スタエ~サン・マルクォーラの間 右岸 /
カンナレジョ地区
ヴェンドラミン・カレルジ館 マウロ・コドウィッチ設計1481年~1509年
アンドレア・ロレダンの注文により建てられ、ロレダン家の財政が傾いた為、1581年に売りに出され、1638年にはカジノが運営され、かの「
カサノバも足を運んだ」とか。
現在も2階にカジノフロアがあります。
中世ゴシックからルネサンスへ過渡期を代表する堂々たる白い邸宅で、
作曲家のワグナーが
ヴェネツィア滞在中の1883年に、この館で亡くなったことから、一部が
ワーグナー博物館になっています。
ランド・コルネール・スピネッリ館でも見られた、
中世トスカーナの伝統的な窓の意匠を取り入れた、
大きな半円アーチの中に2つの半円と小さな円を組み合わせた窓は、
イオニア式の列柱と共に、この館の大きな特徴となっています。
コーニスには
歯飾りなど三重の装飾が施され、
フリーズには鷲や馬などの彫像も見えています。
リーヴァ・ディ・ビアシォ停留所の向い 右岸 /
カンナレジョ地区
左側のドーム + 鐘楼のある建物 /
サン・ジェレミア教会 13世紀に建てられたものを18世紀に改修。
煉瓦造りのロマネスク様式の鐘楼は13世紀に建設されたもので、
ヴェネツィアで最も古いものの一つです。
サンタ・ルチーア駅建設に当たり、解体された教会に安置されて
いた聖遺体 (
サンタ・ルチーアの遺体 ) を移した教会。
主祭壇の硝子の棺に
サンタ・ルチーアの遺体が安置されています。
右側の建物 /
ラービア館
ラービア館 アンドレーア・コミネッリ設計? 18世紀前半
17世紀中頃に建設が始まり、18世紀前半に完成した豪華な邸宅。
カナル・グランデと
カンナレージョ運河に面した2面のファサードは、華麗な彫刻で飾られています。
1階の外壁は質素な
切り石積ですが、2階は
イオニア式、3階は
コリント式の角柱が、等間隔に並んだ大きな
半円アーチ窓の両側に施されています。
水平方向に関しても、2・3階共に
連続した露台が施され、
コルニスや
フリーズの豪華な装飾も目を引きます。
フリーズ部に開けられた
楕円形の窓の間には、
ラービア家の紋章である鷲の彫刻が施され、2・3階の
半円アーチ窓には
顔型のキーストーンが飾られています。

左側の鐘楼のある建物 /
サン・ジェレミア教会運河左岸の白い建物 /
ラービア館中央の運河 /
右端のオレンジ色の建物 /
エーモ館 ( 現宿泊施設 ) 18世紀

左端の建物 /
フランジーニ館2階建てと右側の建物 /
サン・ジェレミア教会
左側の白い建物 /
フランジーニ館 ジュゼッペ・サルディ設計? 17世紀後半
イオニア式の列柱と
アーチが規則正しく並んだ、
バロック様式の建物。
低層部の
粗い石積も特徴でしょう。
右側の2階建ての建物 /
サン・ジェレミア教会 の一角
フランジーニ館 のファサード詳細。
実に彫の深い重厚な装飾です。
キーストーンには人面の彫像が飾られています。

この後、
フェローヴィア停留所 で下船し、船を乗り換えて
サン・トマ停留所 に向かいます。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照しています。
- 2017/01/24(火) 17:33:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・マルコ広場 を離れ、
ドゥカーレ宮殿 と
サン・マルコ運河 の間の通路を通り、右手に水上を行き交うゴンドラや水上バスを見ながら東へ進みます。

通路と言うより、広場と言っていい程の広さがあります。
溜息の橋 の撮影スポットでもある
パリア橋 を渡って
スキアヴォーニ河岸へ。
パリア橋の上に見える大勢の人達は、
溜息の橋 をカメラに収めようとしている人達です。
パラッツォ・ダンドロ14世紀の後半に、歴代の
ドージェ ( 総督 ) の中でも名高い
エンリコ・ダンドロ一族の邸宅として建てられたもので、1822年にホテルに改築されて以来、
ホテル・ダニエリ として
ヴェネツィア最高級のホテルとして営業を続けています。
濃い肌色の外壁と、
ドゥカーレ宮殿 でも見られる
ヴェネツィアン・ゴシック様式 の特徴と言える
四つ葉状柱頭 が目を引く外観です。

この写真は後日、
ムラーノ島に向かう水上バスから撮ったものです。
私は内部を見学するつもりはありませんでしたが、妻が「ちょっと待ってて」と言い残して、ホテルの制服を着た年配のドアマンらしき人に何か話しています。 ほんの数秒で話はついたようで、年配のドアマンらしき人は、こちらをちらっと見て微笑みながら頷いています。
何と妻が片言のイタリア語で、ロビーを見学していいか聞いてくれていたのです。

出典「ユネスコ 週刊世界遺産2 ヴェネツィアとその潟」
ロビー内には沢山の宿泊客が居たので、写真を撮るのははばかられたので手持ちの資料から
建築当時、豪華さを競い合うように建てられた貴族達の邸宅の中でも、その豪華さは他を圧倒したそうです。
ドージェの邸宅だった当時は、迎賓館としての役割もあり、各国の王侯貴族も滞在しただろうこの建物は、ホテルに改修されて以降は、各国の芸術家や作家などの定宿になっています。
一度
サン・マルコ広場 に戻り
ムーア人の時計塔 の下を潜って
リアルト橋 方向へ

運河を何度も渡り、細い路地を歩いていると絵になる撮影スポットに出会います。
リアルト橋の直ぐ東側に、ちょっとした広場が見えて来ました。
カンポ・サン・ボルトロミオ ( 聖ボルトロミオ広場 )
南北に長細い広場の隅に銅像があります。

いったい何方の銅像なのか? 聖ボルトロミオの像ではなさそうです。
聖ボルトロミオ広場 から
リアルト橋 は渡らず、北方向へ向かいます。

次日に見学する予定の
カ・ドーロ の裏当たりの通り。

道路や広場に面する建物も、運河沿いに建つ建物と同様に、開放的なデザインの建物が並んでいます。
4階部分だけが、階下の窓のデザインと異なるのは、4階部分が増築だからなのかもしれません。
この辺りで手頃なレストランを探しましたが見つかりません。
聖ボルトロミオ広場 に戻り、仕方がないので昼食はピザで済ませました。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「Google マップ」等を参考または参照しています。
- 2017/01/23(月) 13:42:02|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は
サン・マルコ広場 の
ランドマークであるばかりでなく、
ヴェネツィア共和国の象徴でもある
サン・マルコ大聖堂 を紹介します。
サン・マルコ大聖堂 828年創建 11~15世紀にかけて改修
6世紀、
ヴェネト地方に暮らしていた人々は、
アッティラ率いる凶暴な
フン族に続き、
ロンゴバルト族の度重なる侵入に悩まされ、これらの北方から侵入してくる蛮族達が容易に追って来れない、徐々に湿地帯の奥深く、水草の生い茂る
ラグーナの島々に逃げ込んだのです。
地盤と言うよりも沼地に近い地面に、無数の
木杭を打ち込んで造った
ヴェネツィアの地は
浮島と呼ばれています。

その
浮島の上に街を築き、
ドージェ ( 元首 ) を中心に
共和国を設立した
ヴェネツィアですが、長らく
ビサンチン帝国の支配に甘んじる歴史が続きます。
その後、一端の
都市国家と認められる事を目指した
ヴェネツィアは、国民の
精神的支柱と
国家の象徴とする為に、
アレクサンドリアから
聖マルコの遺骸を買収し、その
聖マルコの遺骸の安置する為に
サン・マルコ聖堂の建設を計画します。
その後、
聖マルコの遺骸を無事国内に運び込んだ
ヴェネツィアは、
ナポレオンに占領されるまでの1000年間、
アドリア海の女王 と呼ばれる程の繁栄を続ける
共和国を、松杭で土台を固めた
浮島の上に築いたのです。

初めに
大聖堂と記ししたが、本来の
サン・マルコ聖堂 は
ドージェ ( 元首 ) の為の
礼拝堂であり、
大司教の置かれる
大聖堂なったのは19世紀になってからのことです。
政教分離の政策を徹底した
ヴェネツィア共和国は、国政に教皇の権威が及ばないよう努めた国だったのです。

幾重にも重なる正面の
アーチと、帽子のように見える5つの
ドームが外観の特徴。
現在見られる
ビサンチン様式には、11~15世紀に掛けて改修されています。
ドゥカーレ宮殿 内の
ドージェの中庭 から撮影

アーチの上や
ドームの合間に見え隠れしている尖塔の頂部には、沢山の聖人の彫像が乗せられています。
聖マルコ像 15世紀初頭
中央入口の
アーチの頂部に置かれた
聖マルコ像がは、広場に訪れる人々を見守っているかのようです。
周りには6人の天使と、すぐ下には
有翼の獅子像もあります。

中央の正門上の
モザイク画以外は、
聖マルコの
遺骸が到着するまでの様子を描いています。
この後、向かって左から順に、
壁龕状に窪んだ
アーチのに描かれた絵を見て行きます。

向かって右 (
ドゥカーレ宮殿 側 ) 端のアーチと出入口

この
モザイク画は17世紀作

向かって右から2番目のアーチと出入口


中央入口 ( 聖堂正門 )
栄光のキリスト と
最後の審判 を描いた
モザイク画

向かって左から2番目のアーチと出入口


向かって左 (
ムーア人の時計塔 側 ) 端のアーチと出入口
サン・アリピオ門 上に描かれた
モザイク画は、この「
聖堂に運ばれる聖マルコの遺体」を描いています。 5つの
モザイク画の中で最も古い13世紀に描かれたもので、当時の聖堂の様子が窺えます。
アーチを支えるかのように設置された、様々な色の
大理石の列柱には、
コリント式にも
イスラム様式にも見える
オーダーが施されています。


西 (
サン・マルコ広場 ) 向きだけでなく、南 (
ドゥカーレ宮殿 ) 側にも出入口が在ります。

西南角の見上げ
次の日に内部の見学をしましたが、内部は撮影禁止だったので、手持ちの資料から

出典「ユネスコ 週刊世界遺産2 ヴェネツィアとその潟」
聖堂の内部は眩いばかりの黄金の空間でした。
平面は左右の翼廊方向とと、入口から後陣までの縦方向の距離が同じ
ギリシア十字。
聖堂中心の十字の交差部分と、十字の各辺の上部に5つのドームを冠し、中央の一番大きな
キリスト昇天のドーム の
モザイク画は、
聖母マリアと十二市使徒、天使に囲まれたキリストが描かれた13世紀の作品です。
約4000㎡にも及ぶ壁や天井は、数百年を掛けて
旧約聖書の物語を描いた黄金のモザイク画で埋め尽くされています。
サン・マルコ広場 に面した2階のテラスから、中央入口アーチ上の
ブロンズの馬 を見る。 この像はレプリカで、金箔を施した本物の
四頭の馬 は聖堂内の博物館に展示してあります。
ここからは撮影禁止の
ギリシア十字の聖堂から出た、北側の付属部分




廊下の様な用途の部屋で、小さなドームが連続しています。
天井には黄金のタイルで
モザイク画が描かれ、聖堂内部の雰囲気と似ています。

夕陽を浴びる
サン・マルコ大聖堂 をご覧頂いて、
サン・マルコ広場 をあとにします。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「海の都の物語」等を参考または参照しています。
- 2017/01/22(日) 10:52:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
華麗かつ豪華な
ドゥカーレ宮殿 を見学した後は、恐ろしい牢獄へ移動します。
溜め息の橋 アントニオ・コンティーノ設計 1600年


大理石で造られた格子の隙間から、小運河を通して美しい
グラン・カナル方向の景色を見る事が出来ます。
小運河の対岸に在る牢獄から、囚人達 ( あの有名な
プレーボーイでペテン師カサノヴァも ) は、拷問 or 尋問を受ける為にこの橋を渡る程に 「これでヴェネツィアの美しい景色を見られるのもこれが最後か」 と溜め息と共に渡ったことから名付けられたとか?

白大理石で造られた美しいこの橋は、その残酷な歴史とは裏腹に、
ヴェネツィアでも有数の観光名所になっています。
溜め息の橋の内部
橋は通路の中央が、上り下り斜線の様に、壁で区切られていて、拷問前と後の囚人が、顔を合わせられないような造りになっているかもしれません。


牢獄の廊下も狭いです。

個室? に嵌められた頑丈そうな鉄格子。
鉛の牢獄 ともよばれた牢屋。
中はかなり広さがあり、独房ではなく雑居房だったと思われます。
夏は灼熱地獄、冬は身を刺す寒さで、1755年に捉えられた
プレーボーイでペテン師のカサノバは「これじゃ病気になっちまう。さっさと逃げて。恋愛三昧の生活に戻らねば」と逃亡計画を練り、投獄から3か月で見事に脱獄を果たしたとか?

ベットの展示してある房もあります。 この部屋は壁と床が板張りで、窓まであるので、上の房よりはかなり住み心地はましに見えますね。


木製の扉も頑丈そうです。

牢獄にも中庭が在りました。
中央に井戸が在る以外は、
ドゥカーレ宮殿 の華麗な中庭とは似ても似つかない中庭です。
但し、
ヴェネツィアの井戸は地下水を汲み上げる為のものではなく、中庭に降った雨水を地下に貯め、汲み上げるものです。

最後にもう一度
溜息の橋 をご覧下さい。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「海の都の物語」等を参考または参照しています。
- 2017/01/16(月) 14:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ドゥカーレ宮殿 の八回目です。
大評議会の間 ( サラ・デル・マッジョール・コンシーリオ ) の後も、まだ豪華な部屋が続きます。
投票の間 ( Sala dello Scrutinio )
大評議会の間 の西棟側の出口から、短い廊下を通って直ぐの
投票の間も、幅は
大評議会の間 の2/3程ですが、南北の長さはほぼ同程度の、大変広い部屋です。

黄金に輝く豪華な天井装飾や、天井と壁を飾る絵画も、見劣りするものではありません。

部屋の北 (
サン・マルコ大聖堂 ) 側にある
バロック様式の出入口を出ると、
カルタの門 ( 布告の門 ) の上に位置する階段室です。

南
( 大評議会の間 ) 側の壁

上の画像の拡大
絵の詳細は調べられていません。

東 ( 中庭 ) 側壁、中央向かって左の壁画

部屋の中心に描かれている、楕円形の天井画
華麗かつ豪華な部屋は、この投票の間 ( Sala dello Scrutinio )で終わり、この後は有名な
溜め息の橋 を渡って恐ろしい
牢獄を見学します。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/16(月) 12:44:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ドゥカーレ宮殿 の七回目の今回は、
ドゥカーレ宮殿 最大の
大評議会の間 ( サラ・デル・マッジョール・コンシーリオ ) を紹介します。
大評議会の間 ( サラ・デル・マッジョール・コンシーリオ )
大評議会の間東側と南 ( 大運河 ) 側の壁画と天井画を見る。
大評議会の間は、広さは25m×54mで面積は1350㎡もある、宮殿で最大の部屋。
この無柱の大空間を実現する為に、
世界一の造船大国でもあった
ヴェネツィアの造船技術も一役買ったと聞いています。

天井高15.4mのこの部屋には、最盛期には2000人以上の評議員が一堂に会し、大評議会を行うことが出来ました。
壁と天井は、
ティントレットや
ヴェロネーゼらの、全部で53枚もの絵画で飾られています。

東側壁の壁画 /
天国 ティントレット作 ( 1588~1592年 )
縦7.45m×横24.65mの大きさで、世界でも最大級の油絵です。

南 ( 大運河側 ) ・ 西 ( 広場側 ) コーナーを見る。
他の3面装飾帯には、
ティントレットが
歴代ドーチェの肖像を描いています。

西 ( 広場 ) 側壁を見る。

上の写真中央の壁画のアップ

西 ・ 北 コーナーを見る。

西 ( 広場 ) 側と北 ( 投票の間 ・ 中庭 ) 側の壁画と天井画を見る。

北 ( 中庭 ) 側壁面を見る。

北 ・ 東コーナーを見る。

この部屋の天井も、前回紹介した
元老院の間の様な曲線を多用した
バロック的なデザインで、金色の豪華な装飾の施された
格天井には、
ヴェロネーゼなどの絵画が飾られています。


西側楕円天井画 /
ヴェネツィアの大勝利 パオロ・ヴェロネーゼ遺作 ( 1579~1582年 )

部屋中央矩形天井画

東側楕円天井画
次回は
投票の間 ( Sala dello Scrutinio ) を見学します。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/06(金) 18:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ヴェネツィア ドゥカーレ宮殿 の六回目です。
十人委員会の間 ( コンシーリオ・デイ・ディエチ ) から、
羅針盤の間 ( サラ・デラ・ブッソラ ) へと移動します。
羅針盤の間 ( サラ・デラ・ブッソラ )
司法行政専用の最初の部屋であり、警吏長官の居た部屋です。
部屋の角に置かれている
木製の羅針盤は、
十人委員会の3人の長官と調査官の部屋である
サラ・デイ・トレ・カピ・デル・コンシーリオ・デイ・ディエイチ への扉を隠しています。
また、前記した
ライオン口 ( 密告の口 ) の内側に当たる部屋でもあります。

この部屋の壁と天井を飾るのも
パオロ・ヴェロネーゼ作 の絵画です。
武器庫 ( アルメリア )
アドリア海の女王 と呼ばれた
ヴェネツィアは
優美で女性的なイメージを、お持ちの方も居るかと思いますが、この部屋に展示された多くの武器を見れば、
ヴェネツィア共和国が
軍事大国でもあったことが分かります。
武器庫 ( アルメリア ) は3室から成り、宮殿の南東の角に在ります。



1370年代以降は銃器も生産され始めます。


展示の仕方で、兵器も美術品に見えますね。

欲を言えばですが、
ヴェネツィアは
世界一の海軍力を誇った共和国だったので、当時の
ガレー船の模型なども見たかったです。
この部屋は室名が分かりません。


壁画のアップ
次回は
ドゥカーレ宮殿 最大の
大評議会の間 ( サラ・デル・マッジョール・コンシーリオ ) を紹介します。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/06(金) 15:34:42|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
謁見の間 ( コレッジョ ) は、
元老院の間 ( サラ・デル・セナート )とも繋がっています。
元老院の間 ( サラ・デル・セナート )
この部屋を飾る絵画は、
ティントレット、ヤコポ・パルマなどの作品で、
ドゥカーレ宮殿 や
サン・マルコ聖堂 や
ゴンドラ 等、
ヴェネツィアの観光名所が描かれています。
この部屋の天井も、金色の豪華な装飾の施された
格天井ですが、曲線を多用したデザインで、
バロック的な印象を受けます。




上の写真のアップ


天井画 /
ヴェネツィア称揚 ティントレット作 ( 1584年 )
元老院の間 は、
4つの扉の間 ( クアットロ・ポルテ ) の扉の一つと繋がっていて、一度
4つの扉の間 ( クアットロ・ポルテ ) に戻りってから
十人委員会の間 ( コンシーリオ・デイ・ディエチ ) へ
十人委員会の間 ( コンシーリオ・デイ・ディエチ )
十人委員会とは、
ヴェネツィア共和国における最高意思決定機関、我国での首相官邸と言ったところでしょうか?
この部屋も多くの
ヴェロネーゼの絵画で飾られています。
この部屋の
格天井も、金色の豪華な装飾ですが、楕円と矩形を組み合わせた、幾何学的なデザインです。

天井画 /
パオロ・ヴェロネーゼ作この天井画は、
ナポレオンが戦利品として持ち去ってしまった為に、
ヴェロネーゼがコピーしたものです。
次回は
羅針盤の間 ( サラ・デラ・ブッソラ ) へと続きます。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/05(木) 20:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
四角の広間 に続くこの部屋は、更に重要な部屋に入る前、正式な
控えの間です。
4つの扉の間 ( クアットロ・ポルテ )
4つの扉は美しい大理石の彫り物で装飾されています。

部屋中央の天井画
化粧漆喰細工飾りの格天井 /
ギオバン二・カンビ作絵画もさることながら、天井の
化粧漆喰細工の白色が印象的です。

壁画 /
ヴェネツィアに赴いたハインリッヒ三世
壁画 /
祈りをささげるグリマーニ総督 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 ( 1575~1576年頃 )
4つの扉は
「四角の広場」「控えの間 ( アンティ・コレッジョ )」「元老院の間」「十人委員会の間 」へと繋がっています。
4つの扉の一つを通って、
控えの間 ( アンティ・コレッジョ )へ
控えの間ばかりな気がしますが、
謁見の間 の直前の
控え室になるわけです。
控えの間 ( アンティ・コレッジョ )
天井画

大理石の彫像が施されたベティメントを潜って、更に奥の
謁見の間 ( コレッジョ )へ
謁見の間 ( コレッジョ )
各国大使との謁見や、条約の調印などに使われた部屋です。
窓以外の3面の壁には、
ヴェロネーゼ等の絵画で埋め尽くされています。

レパントの海戦の勝利を感謝するヴェニエル総督 パオロ・ヴェロネーゼ作 (1581~1582年頃 )


上の写真のアップ


天井画 /
パオロ・ヴェロネーゼ作金色の豪華な装飾の施された
格天井にも、
ヴェロネーゼとその弟子による11枚の板絵がはめ込まれています。
更に進んで
元老院の間 ( サラ・デル・セナート ) へ
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/05(木) 18:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
明けましておめでとうございます。
本年も
アクトデザイン凛太郎のブログを、宜しくお願いします。
新年の第一回めは、
ドゥカーレ宮殿の三回目です。
残念ながら
巨人の階段 を上ることは出来なかったので、他のルートから2階の
黄金の階段 を目指します。

中庭の囲む開廊は、4本あるいは5本の細い柱を束ねて
アーチを支えています。
ライオンの口 ( 密告の口 or 真実の口 )これは中庭の壁で見掛けたもので、人の顔に見えますがライオンの顔だそうです。
十人評議会への密告書を受け付ける投函口になっており、
ドゥカーレ宮殿に限らず、共和国の彼方此方に設置してあったそうです。
黄金の階段 ( スカラ・ドーロ )
サンソヴィーノの設計 で1538年に着工し、1559年に
スカルパニーノ が完成させます。
ドージェ ( 元首 ) が公式行事で使用した特別な階段で、高官や判事のみが使用が許された二つの扉があり、
控えの間 と
判事の間 へ通じています。
さあ、いよいよ2階の
開廊から
黄金の階段 を上り、宮殿の室内へ入っていきます。

2階
開廊から見上げ

3階踊り場から見下げ
ヴォールト天井は
黄金色の漆喰と
フレスコ画で飾られています。

4階から3階踊り場を見下げ
この階段は上がる者を威圧し、
ドージェ ( 元首 ) の権力を見せつける役割もあったのです。
四角の広間
天井画は /
公正と平和の寓話を示唆するジローラモ・プリウリ総督 ティントレット作 黄金の階段 を上って直ぐあるのが、この
四角の広間。
四角の広間は、この階の各部屋へ行くまでの
前室の様な部屋に当たり、この後本格的な
控えの間に当たる、隣の
4つの扉の間 ( クアットロ・ポルテ ) へ移動します。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「Google マップ」「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」「酒の一滴は大河の一滴」等を参考または参照しています。
- 2017/01/05(木) 16:34:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
カルタの門 ( 布告の門 ) から
ドージェの中庭 に入ると、正面に
巨人の階段 があります。
巨人の階段 アントニオ・リッツォ作 15世紀
この階段は、
ドージェの就任式の場でもありました。
新
ドージェ ( 元首 ) は最上部の踊り場で
王冠ではなく、
コルノ帽と言う宝石で飾られた帽子を戴き、終身制の
ドージェ ( 元首 ) に就任するのでした。
巨人の階段 を飾る
マルテ と
ネプチューン の像
サンソヴィーノ作
南面と西面壁
南面と西面壁は、共に
バトルロメオ・マノーポラが建設 17世紀初に
巨人の階段 のある 向いの東面壁は
アントニオ・リッツオ設計 1483年の火災後に設計したものです。
ドーチェの中庭 は四面が開廊に囲まれ、
サン・マルコ大聖堂に接する北面の
フォスカリのアーケード には、一部彫像飾る壁龕のある壁が在ります。
見えている
ドームは、お隣の
サン・マルコ大聖堂。
フォスカリのアーケード壁龕や屋根の頂部にも、沢山の彫像が飾られています。

フォスカリのアーケード にある
ロートリング家のフランチェスコ一世像 1587年。

中庭にある
ブロンズ製の井桁も有名です。
ブロンズの井桁 コスティ作 ( 1556年 )

中庭には、もう一つ
アルベルティ作 ( 1559年 ) 井桁もあります。
ドゥカーレ宮殿 の内部の紹介は年明けです。
今年一年、
アクトデザイン凛太郎のブログ をご覧頂きありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」等を参考または参照しています。
- 2016/12/31(土) 20:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
海から
ヴェネツィアに上陸すると、最初に旅人を出迎えてくれるのが、
ドゥカーレ宮殿の優雅な美しい姿です。

ドゥカーレ宮殿
西 ( 広場 ) 側外観
左端に
カルタの門 ( 布告の門 ) が見えています。

3層中央の
尖頭アーチ窓上の彫像は
有翼の獅子 と ひざまづくドージェ:アンドレア・グリッティ 。

南 ( 海 ) 側外観
ドゥカーレ宮殿は
ヴェネツィア共和国の
ドージェ ( 元首 )の官邸 兼 政庁舎だった建物。
9世紀初頭に城砦として建設され、14世紀(1309年)から16世紀にかけて、現在の優雅な美しい姿に改修されました。

華麗に美しく連続する
ゴシック風尖頭アーチ、特に2層のアーチに施された
四つ葉状柱頭は、
イスラム建築の影響が見られる細やかな装飾が施され、
ヴェネツィア・ゴシック様式の最高峰と言われています。

アダムとエバァ
ヴェネツィア・ゴシック様式の特徴と言える
四つ葉状柱頭は、先日紹介した
カナル・グランデ沿いに建ち並ぶ宮殿にも、多く採用されていましたね。
それにしても、薄ピンク色の外壁が何とも美しい。
治安の大変良かった
ヴェネツィアの建物はどれも優美で、外敵に攻められることなど、全く想定していないような造りです。
内乱や政変が続いた
フィレンツェ共和国の政庁舎、
ヴェッキオ宮殿の武骨な外観とは実に対照的です。
カルタの門 ( 布告の門 ) オリジナルの設計者は
ボン兄弟 ですが、1797年に破壊された為、現在見られるものは19世紀に修復したものです。

門の上には、ここでも
ドージェ ( 元首 ) と有翼の獅子 の像のレリーフが施されています。
両側の壁龕には、
上段 /
徳 と
慎重 の像 (
ボン兄弟作 )
下段 /
節制 と
力 の像 (
アントーニオ・リッツォ作 ) が飾られています。
写真右下に写る、宮殿北西角に当たる開廊1層の円柱上には
ソロモンの裁き (
ピエトロ・ランベルティ、ナンニ・ディ・バルトロ作 )
門の奥には
巨人の階段 が見えます。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」等を参考または参照しています。
- 2016/12/31(土) 18:25:05|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・マルコ広場 を囲む建物 の紹介の三回目です
旧行政館その名の通り、
ヴェネツィア共和国の行政官達の官房だった建物で、対面する
新行政官 は、
旧行政官 が手狭になり建てられたものです。
サン・マルコ広場 の北側に建ち、広場に面する全長約150mに及ぶ長い
アーケード には、1775年創業の
カッフェ・クアードリ をはじめ 高級ブランド店やレストラン、ヴェネツィアングラスを売る店が並んでいます。
建物の詳細は調べられませんでしたが、広場に面する3層の壁面には、
アーチを支える
列柱が美しく並びます。
アーケードの柱スパンは、広場を囲む正面の
新行政館 や右隣りの
コッレール美術館 と合わせて造られいるようですが、他の建物と比べると、アーチと柱のデザインはややシンプルです。
2・3階の
アーチの開口幅は、1階の半分ので、柱も細く、繊細な印象を受けます。
広場から見て
旧行政館 の右隣りに見える、
時計塔 のある建物も有名です。
ムーア人の時計塔サン・マルコ広場 の北側の出入り口である、
メルチェリア通りを跨いで建つこの塔は、1499年に
コンドゥッシの設計 によって建てられました。
塔の両側の建物は
P・ロンバルトの設計 で1506年に建てられたもの。

見所満載のこの塔は
上から /
鐘を突くムーア人の像、聖マルコの獅子像、聖母子像、ラニエリ兄弟の大時計 が見られます。
鐘を突くムーア人の像アンブロージョ・ダ・レ・アンコーレ作 ( 1506年 )
正午になると、機械仕掛けの二人のムーア人の銅製の人形が、大きく鐘の音を突き鳴らします。
ヴェネチアのシンボル 聖マルコの獅子像 = 翼を持つライオン像
聖母子像 A・レオパルディ作
ラリエリの大時計 ジャンパオロ・ラニエリ作針は1本だけで、1日掛けて1周します。 ラピスラズリ製の青い文字盤に、金の美しい星座表と、大理石のローマ数字の大時計は、
典型的な中世の天文時計です。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」等を参考または参照しています。
- 2016/12/27(火) 10:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・マルコ大聖堂 のテラスから
サン・マルコ広場 を見る

左 /
新行政館 中央 ( 奥 ) /
ナポレオン翼 右 /
旧行政館
サン・マルコ大聖堂 の正面に見る広場は、3棟の長大な建物がコ字形に配されています。
広場に面する1階に廻らされた
アーケード ( ポルティコ ) の前には、レストランやカフェのテーブルが置かれ、世界一美しい広場を楽しみながら、食事をしたり、一休みする場を提供するとともに、広場の賑わいも増しているようです。
ナポレオン翼ナポレオンが舞踏会などの会場として建てさせた建物なので、この名前が付けられました。
697年の共和国設立以来、
アドリア海の女王と呼ばれた
ヴェネツィア共和国は、1797年に
ナポレオンの侵略によって
共和制は崩壊し、1100年に渡る歴史は幕を閉じた訳ですから、
ヴェネツィアに憧れる者にとっては、今ではこの美しい
サン・マルコ広場の一角を造っているとは言え、
ナポレオン翼と言われるこの建物を、心静かには眺めることは出来ません。
サン・マルコ大聖堂 に対面して広場の西側に建ち、広場から外へ出られる
アーケード内の通路 ( ピロティー部分 ) に
コッレール美術館 の入口があります。
マルチアーナ図書館と酷似したデザインで、パラペットのデザイン以外はそっくりです。
アーチを支える柱には、1階は
ドリス式、2階は
イオニア式のオーダーが施されています。

左 /
新行政館 右 /
ナポレオン翼
新行政官マルチアーナ図書館 と
ナポレオン翼 の間に在る
三層の建物。
この建物も1階と2階のデザインは、両側の建物とそっくりですが、2層の
フリーズ部のデザインは
ナポレオン翼に、3階の
手摺は
マルチアーナ図書館 と似ています。
2階には
コッレール美術館 の
歴史館、3階は
絵画館になっています。
1階の
アーケードには、1720年開業の
ヴェネツィアに現存する最も古いカフェで、
カフェ・ラッテの発祥店として有な
カッフェ・フローリアン が在ります。

カッフェ・フローリアン 今回は写真を撮れなかったので、上2枚の写真は、以前に妻が撮ったものです。



1階
アーケードを支える
アーチと
ドリス式柱の詳細。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「海の都の物語」等を参考または参照しています。
- 2016/12/27(火) 08:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
サン・マルコ広場 を囲む建物を紹介していきます。
先ずは、
広場のシンボルの一つと言える
サン・マルコ鐘楼
サン・マルコ広場 の
ランドマークであるこの
鐘楼が、最初に建てられたのは9世紀までさかのぼります。
何度も倒壊と再建が繰り返された後、1511~1514年に
バルトロメオ・ボンや
ジョルジョ・スバヴェント によって建てられ、現在の形の
鐘楼として完成します。
その塔も1902年に
鐘楼の北側に入ったひびの影響で完全に崩壊してしまい、現存する高さ98.6mのこの
鐘楼は、1912年に再建されたものです。

夕陽を浴びる
サン・マルコ鐘楼
鐘楼の下部6割程は、開口部の殆んど無い、重々しい煉瓦積みの外観ですが、4方に
4連アーチの開口部のある
鐘突堂の付近だけは、白色の石造で、頂部に
大天使ガブリエルを冠した、緑色の
尖った方業屋根と相まって、軽やかなと華麗さを演出しています。
サンソヴィーノの開廊サン・マルコ鐘楼 の足元にあるこの
開廊は、
ヤーコポ・サンソヴィーノ設計。


2本セットの
コリント式の柱間の
壁龕には、彫刻家でもあった
サンソヴィーノの手による、「
アポロ」「
マーキュリー」「
平和」「
ミネルヴァ」の4つの
ブロンズ像が置かれています。
マルチアーナ図書館サンソヴィーノの開廊の左隣りの2階建ての建物。
ドゥカーレ宮殿の向いで大運河に面する位置に建つのは、
サンソヴィーノの開廊と同じ
ヤーコポ・サンソヴィーノが、1536年に
ヴェネツィア共和国に招かれて建てた
図書館です。
ヴェネツィアに現存する最も古い公文書が数多く保存されており、66万点を超える蔵書を誇り、ラテン語、古典ギリシア語の写本、手稿本の豊富さに特徴があるそうです。
マルチアーナとは
聖マルコの事で、
聖マルコの名を冠した、この
マルチアーナ図書館は、イタリア国内だけでなく、
世界で最も重要な図書館の一つです。

ご覧の通りの2階建ての建物で、
アーチを支える
列柱は壮観です。

柱の上部に当たる屋上手摺には、それぞれに
裸体の彫像が乗せられています。
フリーズや
アーチを飾る彫刻も見事です。

1階は
ドリス式、2階は
イオニア式のオーダーが施されています。
今回は内部の見学はしませんでしたが、図書館の中を紹介しているテレビ番組 ( 美の巨人たち ) を見て、見学しなかったことを後悔しています。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」等を参考または参照しています。
- 2016/12/26(月) 12:00:00|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ついに永年憧れた続けた
海の都 とも
アドリア海の女王 とも呼ばれた
ヴェネツィアの海の表玄関 サン・マルコ広場 へ上陸します。

水上バスから見た
サン・マルコ広場 ( 上下の写真は次の日に撮影 )
サン・マルコ広場 付近には3ヶ所の水上バス乗り場があますが、最初の上陸は
サン・マルコ・サン・ガッサリア乗り場から。

旅人を初めに出迎えてくれるのは、
マルチアーナ図書館 と
ドゥカーレ宮殿
その間に建つ 二本の巨大な
円柱、そして
鐘楼 です。
ドゥカーレ宮殿 側の柱の頂上には
、聖マルコを象徴する
有翼の獅子像
有翼の獅子像
マルチアーナ図書館 側の柱には
聖テオドーロ像 が載っています。
サン・マルコ広場 は、イタリア語で書くと
Piazza San Marco 。
ヴェネツィアでは広場は方言で
カンポ ( campo ) と呼ばれますが、
サン・マルコ広場 だけは別格扱いで、
ピアッツァ ( piazza ) と呼ばれています。
かの
ナポレオン に 「
世界で最も美しい広間」 と絶賛されたこの
広場は、9世紀に整備され、12世紀に2倍の広さに拡大されて以来、
ヴェネツィア共和国 の政治の中心である
ドゥカーレ宮殿 や、精神の拠り所である
サン・マルコ寺院 をはじめ、
回廊のある建物に囲まれたこの
広場は、
ヴェネツィア共和国の中心であり続けました。
サン・マルコ大聖堂 のテラスから、
二本の円柱 を見る。 ( 写真は次の日に撮影 )



左 /
新行政館 中央 ( 奥 ) /
ナポレオン翼 右 /
旧行政館新行政館の1階には、18世紀に創業し
カフェ・ラッテの発祥店として有名な
カッフェ・フローリアンがあります。



時計塔旧行政館の更に右側に在る
時計塔。
塔上の
鐘を突くムーア人像 と
聖マルコ獅子像 も有名です。
サンソヴィーノの開廊サン・マルコ鐘楼 の足元にあるこの
開廊は、
サンソヴィーノの設計。
開廊の前には、塔に上る人達の列が出来ています。

左 /
サン・マルコ鐘楼 中央 ( 左 ) /
新行政館 中央 ( 右 ) /
ナポレオン翼 右端 /
旧行政館ナポレオン翼 の前辺りから撮る

左 /
旧行政館 中央 ( 左 ) /
サン・マルコ大聖堂 中央 ( 右 ) /
サン・マルコ鐘楼 右 /
新行政館

夕方にほぼ同位置から
サン・マルコ大聖堂 前で記念撮影。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」等を参考または参照しています。
- 2016/12/24(土) 12:55:55|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ちょっと睡眠不足ですが、時間が惜しいので寝坊などしてはいられません。
ホテルで朝食を済ませ、
サンタ・ルチア駅 駅前の
フェローヴィアと言う乗り場から、
水上バスに乗り込んで、
カナル・グランデ ( 大運河 ) を下って
サン・マルコ広場 へ向かいます。
写真に撮った
カナル・グランデ沿の建物の詳細は、分からないものが多くあります。
ストリートビューと手持ちの地図で調べることが出来た建物名、ネットで調べて分かる範囲で解説を書きますが、写真ノミの建物もあると思いますが、それでも、
海の都ヴェネツィア の雰囲気は味わえるのではないかと思っています。
勇んで
水上バスに乗り込んだものの、初めての乗船で勝手がつかめず、船の中央付近まで押し込まれてしまい、
リアルト橋を過ぎる迄は、写真を撮るどころではありませんでした。
写真には大まかな位置と、水上バスの進行方向に向かっての、「左岸」「右岸」を記入します。
リアルト橋 を過ぎた当たり 左岸 /
サン・マルコ地区
左の白い建物 /
ドルフィーン=マニーン館 ヤーコポ・サンソヴィーノ設計 16世紀
カナル・グランデに面する1階部の大きな
半円アーチが特徴的な、
ルネサンス様式の建物。
1階の階高は右隣りの
ベンボ館 の2層分の高さとほぼ同じに見えます。
右のオレンジ色の建物 /
ベンボ館 ( 現ホテル ) 15世紀
2・3階の中央に開けられた、2対の5連窓が特徴的な、ほぼシンメト
リーな立面を持つ、
後期ゴシック様式の建物。
取って付けたようにも見える5階は、近年の増築だと思います。
リアルト橋 を過ぎた当たり 左岸 /
サン・マルコ地区
リアルト橋 を過ぎた当たり 左岸 /
サン・マルコ地区
中央の薄ピンクの建物 /
コルネール・ロレダン館 ( 現市役所 ) 12-13世紀
右の薄茶色の建物 /
ダンドロ=ファルセッティ館 12-13世紀
1343年に
ドージェに選出された
アンドレーア・ダンドロの邸宅。
1670年に
ファルセッティ家が購入しています。
2棟共に12~13世紀の
典型的な商館邸宅。
サン・ルーカ川 少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
中央左の薄ピンクの建物 /
ダンドロ=ファルセッティ館 中央の薄茶色の建物 /
コルネール・ロレダン館 ( 現市役所 )右の濃いオレンジ色の建物 /
コルネール=マルティネンゴ・ラヴァ館 16世紀
かつては
カヴァッリ家の邸宅だったので、運河や路地に面する壁には
カヴァッリの名前が書かれているそうです。
他の建物と比べると、
カナル・グランデに面する玄関には
アーチも
なく質素な印象です。
上階のデザインは、一見シンメトリーかと思いましたが、右側の壁が
幅広で、窓の並びはランダムです。
中央やや左よりに奥行の浅い
ロッジアがあり、4連の
半円アーチが
施されています。
寄棟屋根の小屋裏部屋は増築かもしれません。
サン・ルーカ川 少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
左側の濃いオレンジ色の建物 /
コルネール・ヴァルマラーナ館 16世紀建設 19世紀改修
16世紀に建設された
ルネサンス様式の建物。
カナル・グランデに面する1階の中央には、
セルリアーナ式の玄関が
あり、両側にも2個づつの
半円アーチの開口が開けられています。
2階の中央の
ロッジアには、
3連の半円アーチが施され、直上にも似た
デザインの3連窓があります。
両側には2個づつの
半円アーチ窓と、壁には彩色された大楯型や
円形の装飾が施されています。
白い水平方向のボーダーが施された、シンメトリーな立面の建物で、
全体的に新しい建物の印象があるのは、19世紀に修復されたから
だと思います。
デザインの異なる最上階はこの時の改修によるもだと思います。
中央右の白い建物 /
グリマーニ館右端の建物 /
コルネール・コンタリーニ・ダイ・カヴァッリ館
グリマーニ館 ( 現裁判所 )
ミケーレ・サンミケーリ設計 1575年
コリント式オーダーの化粧柱と、大きな
半円アーチが目を引く、堂々たる佇まいの
パラッツオで、
ルネサンス様式の傑作です。
設計者の
サンミケーリは、
カナル・グランデに面する
ポルティコに
凱旋門の要素を取り入れ、上階にも同様のデザインを取り入れています。
1階2階を貫く
コリント式オーダーの角柱は、3階の
ロッジアから張り出す
露台を支えるようなデザイン。
3階4階の化粧柱は
、コリント式オーダーの円柱で、3つの大きく開いた
半円アーチは一際目を引き、大きく張出した
軒蛇腹 ( コーニス ) も相まって、堂々たる印象を醸し出しています。
左端に観えるのが
サン・ルーカ川 左岸 /
サン・マルコ地区
左端の運河 /
サン・ルーカ川左側の建物 /
コルネール・コンタリーニ・ダイ・カヴァッリ館 15世紀建設 17世紀改修
カナル・グランデに面する1階の中心には
セルリアーナ式の玄関があり
2階中央部の
ロッジアに6連の
四つ葉状柱頭と、迫り出した
露台が
施された、
盛期ゴシック様式の建物。
ロッジアの両側に施された紋章には、二頭の馬が彫られているため、
dai Cavalli ( 馬の意 ) 館 と呼ばれています。
右側の白い建物 /
トローン館 14世紀前半
2・3階の中央部に
ゴシック様式の4連のオジーアーチ窓を持つ建物で、
最上階は
セルリアーナ式窓が見られますが、1階と4階は後の改修に
よるものです。
サン・ルーカ川 を過ぎた辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
左の細い運河は
カ・コルネール川 左岸 /
サン・マルコ地区
ランド・コルネール・スピネッリ館 マーウロ・コドゥッシ設計? 1490年頃建設 18世紀改修
初期ルネサンス様式の建物。
1・2階の外壁は、
切り石積み、中央に
半円アーチの大きな玄関を配し、左右の壁の凸凹位置に小さな窓が開けられています。
3・4階はほぼ同じデザインで、
大きな半円アーチの中に2つの半円と小さな円を組み合わせた窓が、中央に2連、両側に1個づつ並んでいます。
このデザインは、後で紹介することになる
ヴェンドラミン・カレルジ館の窓にも観られるものです。
フリーズには
花綵 ( はなづな ) 飾りの帯状装飾でが見られます。
頂部に見える、
バロック風なデザインで造られた、小さな神殿の様な屋根裏部屋も特徴でしょう。
この建物は、15世紀の終わりに
ランド家の邸宅として建てられ、1542年に
ジョヴァンニ・グリマーニに持ち主が変り改築されます。
1700年代には
スピネッリ家が借り入れ、1850年には
マリーア・タッリオーニの所有となり、入口の階段脇に手摺が付けられますが、以後
カ・ドーロに移されています。
サンタンジェロ停留所 辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
左端の建物 / 詳細不明
オレンジ色の建物 /
バロッチ館 ( 現サンタンジェロ ホテル ) 19世紀
右隣の肌色の建物 /
サンタンジェロ ホテル 20世紀
少し突き出した白い建物 /
ガルゾーニ館 15世紀
サン・ポーロ川 辺り
サン・トマ停留所 が見える
右岸 /
サン・ポーロ地区
中央右のオレンジの建物 /
ピザーニ・モレッタ館左の細い運河は
カ・グランツォニ川 左岸 /
サン・マルコ地区
ガルゾーニ館 ( 美術館? ) 15世紀
ゴシック様式の建物。
正面の立面は完全なシンメトリー、2・3階の中央部に
4連のオジー
アーチ窓を持つ建物で、両側にも連窓とほぼ同デザインの窓が2個づつ
開けられ、2階の窓にだけ、細く白い矩形の額取りがされています。
ヴェネツィアでは良く見るデザインの建物ですが、1階の
セルリアーナ
式風玄関アーチの左右に、
楕円形窓であることでしょうか?
矩形の窓のある最上階は後世の増築ではないかと思われます。
カ・グランツォニ川 を少し過ぎた辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
左側の建物 /
コルネール・ゲルトフ・アルヴェラ館 11世紀建設-16世紀改修
ゴシック様式の建物を、16~17世紀に改築した建物。
1・2階の中央に
セルリアーナ式の開口があり、3階の中央には
半円
アーチの4連窓があります。
2・3階の両側には、左右対称に2個づつの
半円アーチ単体窓を配して
います。
屋上に
ペディメントと妻壁を見せている、小屋裏部屋が目立っています。
中央から右側の建物群 /
モチェニーゴ館 16世紀
サン・トマ停留所 辺り

右岸 中央の肌色の建物 /
ジュスティニアン館右岸 上の右隣りの肌色の建物 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )右岸 右端の角のある建物 /
バルビ館サン・トマ~サン・サムエレ停留所 の中辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
左 /
ジュスティニアン館 右 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )ヴェネツィアで最も美しいと言われる
ゴシック盛期の様式で建てられています。
古くは
ジュスティニアン家の住居でしたが、政府所有の後は
マントヴァ公、次いで
フランチェスコ・スフォルッツァに贈られ、1452年にドージェだった
フォスカリ家が買い取っています。
サン・トマ~サン・サムエレ停留所 の中辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
中央左の列柱のある建物 /
カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )上の建物の右隣の建物 /
Ca' Bemarda右端の建物 /
ジュスティニアン館カ・レッツォーニコ停留所 辺り 右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
カ・レッツォーニコ ( 18世紀ヴェネツィア美術館 ) 1756年
バルダッサーレ・ロンゲーナが着手し、
ジョルジョ・マッサーリ が1745年に完成した、
典型的な18世紀建築。
バロック様式、ルネサンス様式、パラディオ様式など様々な特色を持つ建物。
カ・グランダ ( コルネル館 ) と似たイメージの建物です。
カ・レッツォーニコ~アカデミア停留所 の中辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
左側の低い建物 /
マイネッラ館右側の建物 /
ロレダン・デッランバッシャトーレ館 1470年頃
3階の中央に
露台のある4連の
四つ葉状柱頭の開口を、4階の
ロッジアには
4連のオジーアーチを施しています。

両側に2個づつの
オジーアーチ窓を配し、3・4階の全ての開口部には、
長方形の
額縁がされています。
シンメトリーな立面をもつ
ゴシック様式の建物です。
また、3階の左右の
壁龕に、
プットの彫像が飾られています。
サン・サムエレ~アカデミア停留所 の中辺り
左岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
サン・サムエレ~アカデミア停留所 の中辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
ファリエール・カノッサ館 15世紀
建物の両側に突出したバルコニー付の
ロッジアと、
カナル・グランデに直接面する前庭が特徴的な邸宅です。
2階の壁面中央に
5連のオジーアーチ窓が見られます。
小さな建物ですが、
カナル・グランデ沿いに建つ建物の中で、一際目を引く建物の一つです。
カ・レッツォーニコ~アカデミア停留所 の中辺り
右岸 /
ドルソ・ドゥーロ地区
コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館異なる時代の二つの建物が隣接しています。
右側の建物 /
フランチェスコ・ズメラルディ内装改修 17世紀改修
3・4階の中央に
4連のオジーアーチ窓があり、両側にも2個づつの同じ
デザインの窓を配したシンメトリーな立面の建物です。
オジーアーチ窓周りの長方形の額縁内に、淡い着色がされています。
ネットで見付けた図面には
ノビーレ階に
四つ葉状柱頭がありますが、
現在は埋められています。
後期ゴシックの建物を17世紀に改修した建物です。
左側の建物 /
ヴィンチェンツォ・スカモッツィ設計 1609年
1階は
石積みの壁面で、2階には2本セットの
化粧柱が施され、その間に
半円アーチ窓が開けられ、屋根の上には切り妻の屋根裏部屋の小塔が
あります。
アカデミア停留所 向い辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
左側のオベリスクのある建物 /
ジュスティニアーン=ロリーン館 バルダッサッレ・ロンゲーナ改修設計 14世紀建設-17世紀改修
中央のオレンジ色の建物 /
チヴラーン・バドエール・バロッツィ館 16世紀建設-18世紀改修
ノービレ階の中央に
半円アーチの3連窓がある建物。
上階は後世の増築されたものです。
右側の庭のある建物 / 建物の詳細は不明です。
アカデミア停留所 を過ぎた辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
グッソーニ-カヴァッリ-フランケッティ館 1565年建設-19世紀改修
グッソリーニ家によって、15世紀末に建てられた
ゴシック様式の建物を、16世紀初頭に
ガヴァッリ家が購入します。
その後、何度か所有者は変わり、19世紀の後半に
フランケッティ男爵の所有となりました。
シンメトリーな立面の美しい建物で、中央の
ロッジアに施された5連の
四つ葉状柱頭は、3・4階でデザインが異なり、3階の
四つ葉状柱頭は
、2スパン分の大きなアーチを組み合わせた極めて美しいデザインです。
中央の5連窓だけではなく、左右の単体窓にも長方形の美しい額縁が施され、特に3階の単体窓はデザインは素晴しく、
欄間飾りの様に
四つ葉飾りで飾られています。
他の開口と比べると一際大きい、
オジーアーチの玄関も目を引く要素でしょう。
アカデミア停留所 を過ぎた辺り 左岸 /
サン・マルコ地区
バルバロ・クルティス館左側 /
ジョヴァンニ・ボン設計 ゴシック様式 15世紀建設-18世紀改修
右側 /
アントーニオ・ガースパリ設計 バロック様式 17世紀
バルバロ家の邸宅であったこの建物は、時代の異なる二つの建物を繋げたものです。
2・3階の長方形の額縁のある
オジーアーチ窓が美しく、ファサードの彼方此方に、主に円形の装飾やレリーフが散りばめられています。
アカデミア~サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の中辺り
左岸 /
サン・マルコ地区
ピザーニ館 17世紀建設-18世紀改修
カナル・グランデに面する1階には、中央に
半円アーチの玄関を配していますが、2階以上は中央は壁で、左右に2連の窓を開けています。
3階の開口だけが、
化粧柱が施された
半円アーチ窓で、
露台も見られます。
アカデミア~サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の中辺り
左岸 /
サン・マルコ地区
左側の建物 /
ベンゾーン・フォースコロ館 17世紀
2・3階の中央に3連窓、両側に2個づつの単独窓を配し、2階は窓枠に
化粧柱と
半円アーチの縁取りと、
露台を施しています。
中央の建物 /
ピザーニ館右側の建物 /
スッチ館 17世紀
シンメトリーに見えますが、微妙に左右のデザインは違っています。
1階の玄関とノビーレ階の窓にだけ、
半円アーチの縁取りがされ、
ノビーレ階の3連窓には
露台が施されています。
サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前
左岸 /
サン・マルコ地区
カ・グランダ ( コルネル館 ) ( 現県庁 )
ヤコポ・サンソヴィーノ設計 1556年
通称の
カ・グランダとは
「立派な造り ( 大居館 )」 の意味。
堂々たる3層構成のファサードを下から見てみましょう。
1・2階は中央に縦長の
3連アーチのある荒壁造り。
左右の窓は、他の建物では低層部は質素な造りのものが多いなか、大変凝った重厚な装飾がなされています。
3階には
イオニア式、4階には
コリント式の
オーダーが施された、2本対の
化粧柱が、重厚な装飾の7個の
半円アーチを挟む様に並び、大きく張出した
エンタプラチュアを支えています。
特に最上階の
フリーズに開いた、
バロック風の楕円の窓も目を引きます。
サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
左側の白い建物 /
カ・グランダ ( コルネル宮殿 )右側のオレンジの建物 /
ミノット館 15世紀
3階の中心から右に少しずらした位置に、
3連のオジーアーチ窓があり、
左側に2個、右側には1個の単体窓が配されています。
この階の窓にだけ、矩形の額縁が施されています。
サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
左端のオレンジの建物 /
ミノット館 緑のテントの建物 /
バルバリーゴ館 17世紀
中心に計画されることの多い
セルリアーナ式開口を、建物の左半面に
1階から3階まで通して配置し、右半面の広い壁面との対比させて
います。
中央右側のクリーム色の建物 /
ヴェニエール・コンタリーニ館 15世紀
ゴシック様式の建物。
カナル・グランデに出入り出来る1階に玄関は設けられていません。
露台のある2・3階の
ロッジアは、建物の右端に寄せて造られています
が、2階の
4連の半円アーチと、3階の
4連のオジーアーチの開口は、
少しズレています。
最上階の
4連の三葉飾り窓は、大きく左にズレて開いていて、ファサード
のバランスを壊しています。
屋上に小屋のある建物 /
マニーン・コンタリーニ館 16世紀
建物のほぼ中心に、
露台を施した3連窓がある、シンメトリーに近い
立面をもつ建物です。
トラゲット停留所前の茶色の建物 /
ピザーニ・グリッティ館
( グリッティ・パレス・ホテル ) 14世紀
ヘミングウェイが愛し、長期滞在したホテルで、その名を冠したスイート
ルームがあるそうです。
ゴシック様式のこの建物は、14世紀には
ピザーニ家の所有ででしたが、
1814年に
グリッティ家が購入しました。
その後売却による所有者の変更を経て、ホテルに改修されています。
2・3階の中央に
5連のオジーアーチ窓を配し、両側には幅広の壁があり、
2個づつの単独窓がます。
カナル・グランデに面する立面は、横長で間延びした感がありますが、
建物の両側には通りと運河があり、三方に開いたデザインになって
います。
サンタ・マリア・デル・ジリオ~サルーテ停留所 の中辺り
左岸 /
サン・マルコ地区
中央の建物 /
フランジーニ・フィーニ館 ピエートロ・ベッティネッリ設計 17世紀
カナルグランデに面する
セルリアーナ式の玄関は、右端と中央より
左寄りの場所に2ヶ所あり、それぞれの玄関の真上の位置には、
中央の窓幅がやや大きい
半円アーチの5連窓と3連窓があります。
また、
キーストーン等の
アーチ廻りの装飾や
露台の美しい建物です。
この建物は19世紀にはホテルでしたが、現在は右隣の
マノレッソ館と
共に、
ヴェネト州所有の
州議会となっています。
中央右側のクリーム色の建物 /
マノレッソ館 15世紀後半
中心が少しだけ右にズレていますが、シンメトリーと言っても差し支え
ない立面の建物です。
1階の玄関は中央がやや大き目な
3連の半円アーチが開いています。
直上階の3連窓は、
ランド・コルネール・スピネッリ館でも見られた、
大きなアーチの中に、2個の細長のアーチと円を組み合わせたデザイン
です。
4階は
尖頭アーチの中に人型を描いたように見える
4連の三葉飾り窓。
5階には、
4連の半円アーチ窓があり、各階の連窓の両側には、2個
づつの単体窓を開けています。
取って付けたように見える最上階は、最近の増築ではないでしょうか?
間口の狭い建物 /
コンタリーニ・ファサン館 15世紀
イスラム風にも見える、
美しい装飾の施されたオジーアーチ窓と、
露台のデザインが特徴的な美しい建物。
間口は狭いにも関わらず、周りの建物と比べると各階の階高の高いも
特徴でしょう。
右側茶色い建物 /
コンタリーニ館 15世紀
右端の建物 /
ミキエール・アルヴィージ館 17世紀
サン・マルコ停留所 の少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
左のクリーム色の建物 /
バドエール・ティエーポロ館 17世紀
中央左のオレンジ色の建物
/
バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館中央右の茶色い建物 /
ホテル・バウアー・グリュンバルト 上の建物の右隣の茶色い建物 /
ジュスティニアン館 左端の白い建物 /
ホテル・モーナコサン・マルコ停留所 の少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
右端のオレンジ色の建物 /
バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館中央右のクリーム色の建物 /
バドエール・ティエーポロ館中央左のクリーム色の建物 /
ウェスティン・エウローバ&レジーナ-ホテル 19世紀
上の左隣のオレンジ色の4階の建物 /
ガッジャ館上の左隣のオレンジ色の3階の建物 /
ミキエール・アルヴィージ館上の左隣の肌色の建物 /
コンタリーニ館 15世紀
上の左隣の間口の狭い薄茶色の建物 /
コンタリーニ・ファザーン館左奥のクリーム色の建物 /
マノレッソ館左端の建物 /
フランジーニ・フィーニ館
バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館 17世紀

右側の建物 /
バドエール・ティエーポロ館 17世紀
左側の建物 /
ウェスティン・エウローバ&レジーナ-ホテル 19世紀

右端のオレンジ色の4階の建物 /
ガッジャ館上の建物の左隣りの建物 /
ミキエール・アルヴィージ館 17世紀
上の左隣の肌色の建物 /
コンタリーニ館 15世紀
上の左隣の間口の狭い薄茶色の建物 /
コンタリーニ・ファザーン館左奥のクリーム色の建物 /
マノレッソ館サン・マルコ停留所 の少し手前 左岸 /
サン・マルコ地区
左端の建物 /
ホテル・バウアー・グリュンバルト ジョヴァンニ・サルディ設計 19世紀
古い建物に見えますが、19世紀に
ヴェネツィアン・ネオ・ゴシック様式 で建てられた建物。
中央右の足場の掛かっている建物 /
ジュスティニアン館 15世紀建設-19世紀改修
15世紀後半に建てられたこの建物は、17世紀に内部が改修され、
1820年頃にホテルとなり、
ジョヴァンニ・サルディーによって、
ヴェネツィアン・ネオ・ゴシック様式に改修されています。
鐘楼の下に見える白い建物 /
ホテル・モーナコ 19世紀
サン・マルコ広場の鐘楼が見えてきました。


左から /
鐘楼 マルチアーナ図書館 ドゥカーレ宮殿サン・マルコ乗り場辺りから対岸 ( 右岸 ) を見る。

ドームのある聖堂 /
サンタ・マリア・デッサ・サルーテ聖堂 1687年
先端の三角地帯に建つ建物 /
税関 1677年
税関 1677年
ドルソ・ドゥーロ地区の先端に、水面ギリギリの土地に、矢のように突き出す様に建っています。
15世紀以降、オリエントから来る船は、ここで関税検査を受けました。
現在の建物は1677年に建てられたもので、先端に小さな塔のある柱廊があります。

塔の上の、二人の奴隷が支える金の玉には
幸運の女神像 が載っています。
風向きによって向きを変えると言う女神の姿は、海洋貿易に生きた
海の都 ヴェネツィア の繁栄の象徴です。
サン・マルコ運河越しに
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を見る。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂さあ、いよいよ
サン・マルコ広場 に上陸です。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産 ヴェネツィアとその潟」「21世紀シリーズ ヴェネツィア」「イタリア、とりわけヴェネツィア」「Google マップ」等を参考または参照にしています。
- 2016/12/21(水) 12:59:18|
- イタリア旅行記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
次のページ