三休橋筋 を7ブロック 中之島 方向へ戻った ( 北上した ) 交差点に、東京駅 を思わせる外壁デザインを施した建物が在ります。
旧日本教育生命保険 ( 2021.10.30 撮影 )
殆どの資料が 大阪教育生命保険 記載していますが「間違いなく 日本教育生命保険 である」と、断言している資料が有りましたので、ここでは 日本教育生命保険 を採らせて頂きます。( 2012.06.01 撮影 )
最初の画像は去年の秋、直ぐ上の画像は9年に撮影したものです。建物自体に変化は見られませんが、写真左に当たる北側道路のプランターのま有無の他、道路に電柱と電線が無くなっているのが分かります。随分と街がすっきりと綺麗に見えたのは、電線の地下埋設が実施されたからだったようです。ご覧の通り、この建物も角地の立地条件を活かし、左右対称のデザインかと思っていましたが、良く見ると、北側道路側にだけドーマーウィンドゥが有ったり、両端部の窓や屋根飾りに違いがあるようです。三休橋筋 ( 西 ) 側立面
( 2012.06.01 撮影 )
「東京駅を思わせる外壁デザイン」と記しましたが、設計者は 東京駅 の設計を手掛けた 明治期の日本建築界の第一人者である 辰野金吾 です。
赤煉瓦に白御影石で水平ボーダーと窓周りを飾る手法は 辰野式 と言われるものです。
1階は装飾を排した縦長窓、2階の窓には白御影石で縦枠と窓台+ペディメントの装飾を施し、等間隔で並べています。
設計者 / 辰野片岡建築事務所
建築年 / 1912年 ( 明治45年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区高麗橋2-6-4
日本教育生命保険本社ビル は、1912年に 辰野金吾 の設計により建てられ、日本教育生命保険 ⇒ 大正生命保険 ⇒ 大中証券本社 等オフィスビルとして使用され、フレンチレストランの シェ・ワダ高麗橋店 を経て、現在は オペラド・メーヌ高麗橋 として再生利用されています。
西立面の右上 ( 南端部 )、軒の端部に施された装飾は アカンサス でしょうか?
( 2012.06.01 撮影 )
( 2021.10.30 撮影 )
北側道路に面する屋根には4つのドーマーウィンドゥが並んでいます。( 2012.06.01 撮影 )
西側立面との違いは、ドーマーウィンドゥ )の有無の他、東 ( 左 )端の窓が、2窓が1体のデザインになっている事と角部の煙突 ( ? ) です。( 2012.06.01 撮影 )
繰り返しになりますが、この建物も角地に建つ敷地条件を活かしたデザインとなっていますが、竣工時の写真を見ると、コーナー部のデザインが現況とは全く異なり、塔状 だったことが分かりました。
現在のコーナー部は 1/4円 程度のアール壁ですが、竣工時は両翼の矩形部が左右とも60~80cm程度短く、アール壁は 1/2円 以上あって矩形部との接点は深く切り込まれいるので、塔が自立して建っているかのように見えます。ティアラの様に頂部を飾るペディメントは無く、屋根から筒状に突き出して3階が乗り、ぐるりと小窓が配されて、上にはパーティーの時に被るトンガリ帽子のような円錐形の屋根が載っていたのです。気になる方は「鈴木商店記念館⇒鈴木商店のあゆみ」から探してみて下さい。・
2階コーナー部の縦長窓も、竣工時は3ヶ所あったようです。
エントランス周りの装飾は、硝子の庇以外変わっていないと思います。
小川香料大阪支店 の在るから、1ブロック南の 淡路町通 に在るこの建物は、レトロな外観もさることながら、正面中央に開かれたエントランスを一歩入ると、建物奥に見える、細長い吹抜けを通してふり注ぐ採光に驚かされます。船場ビルディング ( 2012.06.01 撮影 )
この他の建物にも今回は立ち寄っていないので、画像は9年前のものですが、ストリートビューで確認したので、少なくとも最近までは、取り壊さていないと思われます。手堅いデザインの外観から、昭和初期 ( 戦前 ) の竣工かと思いましたが
設計者 / 村上徹一 ( 村上建築事務所 )
建築年 / 1925年 ( 大正14年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区淡路町2-5-8
登録有形文化財
予想より少し前の竣工だったようです。
何時もなら、外観の写真だけを撮って次の目的地に向かうのですが、エントランスの奥に外光が見え、招き入れるような雰囲気に誘われてに中へ入ってみました。エントランスホールの奥に細長い中庭が在り、上空から外光が降り注ぎます。
お洒落中庭の周りの、店舗は素敵ですね。
吹抜けを取り囲む回廊も、何とも魅力的な空間を造り出しおり、多くの店舗や事務所、住居もあるようです。
淡路通 から2ブロック南の 備後町通 と 三休橋通 との交差点に面して、100年前のアメリカのオフィスビルのようないで立ちの建物が現れます。綿業会館 ( 2021.10.30 撮影 )
大阪を中心に活躍した建築家 渡辺節 の最高傑作とも言われる アメリカン・ボザール ( アメリカン・ルネッサンス ) 風 外観。設計には独立前の 村野藤吾 も関わっています。
1931年に日本綿業倶楽部の施設として建設され、迎賓館として、国際会議場としても利用され、戦前は日本外交の舞台となりました。戦後は一時アメリカ軍に接収されますが、1952年に返還され、再び社交クラブとして利用されています。
者 / 渡辺節
建築年 / 1931年 ( 昭和6年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区備後町2-5-8
国指定重要文化財 ( 2003年 平成15年 )
5階の壁面は少しセットバックしているので、増築のように見えますが、竣工当時からこの形状です。
4階は縦長窓の四方枠を回しています。
2・3階の縦長窓は、タイル張りの壁面より凹ませて設置し、アーチを設けて上下の窓を一体化させ、2階の窓は3階よりも更に後退させて、壁面ラインには手摺を設けています。
1階の外壁は石張りの壁に半円アーチの縦長窓を連続させています。
外壁のタイルはスクラッチタイルとも異なる独特なものです。
三休橋通 側に開くエントランス( 2012.06.01 撮影 )
内部は様々な様式が混在し見所満載らしいので、毎月第4土曜日に開催している館内見学会に次回は是非とも参加したいと思います。
ハリウッド映画に出て来そうな階段です。
綿業会館 の在る 備後町通 から更に1ブロック南の 安土町通 沿い、 三休橋通 との交差点1軒入ったところに在る筈の 鹿児島銀行大阪支店 は残念ながら新しいビルに建て替わっていました。旧鹿児島銀行大阪支店 ( 2012.06.01 撮影 )
設計者 / 渡辺節建築事務所
建築年 / 1952年 ( 昭和27年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区安土町2-5-11
戦後の建物なので、レトロと言う程古いものではありませんが、渡辺節建築事務所 設計した建物です。
レトロな洋風建築が建ち並ぶ 堺筋 を離れ、西側に南北に平行して走る 御堂筋 との中間辺りの 三休橋筋~堺筋 のレトロな建物を紹介します。去年の秋 ( 2021.10.30 ) だけでなく、9年前に撮影した画像も合せての紹介です。今回は訪れなかったも含まれます。
先ずは、藤中橋筋 と 中橋筋 の間 北浜線 に面した小さな事務所ビル。中村健太朗法律経済事務所 ( 2012.06.30 撮影 )
村野藤吾氏が独立直後に設計した建物です。「近代建築散歩-京都・大阪・神戸編」には「一見何の変哲もなさそうだが、通常タイル面より外に出張る窓額縁を内側に収めたところなど、村野好みが随所に見られる小佳作。」と紹介されています。村野ファンの私でも、知らなかったら見過ごしてしまいそうです。
設計者 / 村野藤吾
建築年 / 1938年 ( 昭和13年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区北浜2-4-10
次は 中橋筋 と 道修町通り の交わる角地に建つ、ちょっと地味な印象もある煉瓦色のタイル張りの建物。田道修町ビル ( 旧武田長兵衛商店本店ビル ) ( 2012.06.30 撮影 )
1928年に武田長兵衛商店 ( 現武田薬品工業 ) の本店ビルとして建てられ、1991年まで本社として使われていました。竣工時は3階建 ( 一部2階 ) で、少し後方の4・5階は増築されたものです。
上の9年前の画像では、建物と道路の僅かな空地に、隙間なくプランターが置かれ、ツツジのような低木が植えられいましたが、去年の画像では歩道が設置されています。( 2021.10.30 撮影 )
設計者 / 松室重光 ( 片岡建築事務所 )
建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区道修町2-3-6
外壁の殆どは煉瓦色のタイル張りですが、1階の窓枠、1階窓下の腰壁、2・3階の縦長窓の窓台部分の薄茶色の部分はテラコッタかと思いましたが、画像を拡大してみると石張りかもしれません?
装飾は少な目ですが、北側の道修町通りに面する1階部は、古典的デザインの付柱が施されています。竣工時はここがエントランスだったのかも知れないですね。
他に目に付くのは、角部とコ―ニス部の装飾でしょうか?
この辺りから受ける印象は、クラシカルなだけでなく、モダンデザインの要素も感じられます。
次は 道修町通 を1ブロック南へ進み、三休橋筋 と 中橋筋 の間
各階の4つ並ぶ矩形の窓を、両上にアール付けたボーダーで囲み、一つの開口部のように見せ、窓上から50cm位の高さに横に貫く庇と相まって、水平線を強調するデザインとしています。
今回はこの建物は見に行かなかったので、上の画像は9年前に撮影したものです。
現存しているか、ストリートビューで確認したのが下の画像4階建てだった階数が3階建てになり、1階両側の開口部が壁になり、残った中央開口部デザインがアーチに変わっています。減築して建物の重量を減らし、合わせて1階に耐力壁を増やすことにより、耐震補強を下のではないでしょうか?
個の開口部のは、今は塞がれてしまった、向かって右側の出入口です。この画像では分かり辛いですが、欄間部ステンドグラスが美しかったそうです。
設計者 / 本間乙彦 ( 竹中工務店 )
建築年 / 1930年 ( 昭和5年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区平野町2-5-5
堺筋 を更に南に向かって2ブロック進むと、褐色のスクラッチタイルを施した アール・デコ様式デザイン のレトロな建物が見えて来ます。生駒時計店 ( 生駒ビルヂング ) ( 2021.10.30 撮影 )
この建物も水平線を強調したデザイン。窓の上下と中間部にも窓台と庇を兼ねたようなモールを設けているので、実際には鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建ての建物ですが、立面からは階数が分かり辛いです。
建設当時は民間レベルでは類を見ない規模と、アール・デコ様式の外観と相まって街の注目を集めまたそうです。
角地の敷地条件を最大限に生かしたデザインですが、完全なシンメトリーではないようです。
設計者 / 宗建築事務所 ( 原案:大倉三郎、実施:脇永一雄 )
建築年 / 1930年 ( 昭和5年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区平野町2-2-12
登録有形文化財 国指定1997年
建物頂部のコーニスにはOとWを組み合わせた様な凝った意匠が施され、隅切り部のパラペットはコ―ニスと共に迫上げられ、中央にはアカンサス ( ロータス or アンテミオン かも? ) のレリーフが施され、その下には施されているのは生駒時計店の「生」の字でしょうか?( 2012.06.01 撮影 )
水平ボーダーを貫くように、隅切部中央に縦に連続する出っ張り部には、ボーダー毎に異なるレリーフが嵌め込まれています。
1・2階の開口部にボーダー状の窓枠を連続させ、1・2階を貫く大アーチに見せています。上下階中間部の庇兼窓台には、アールを付けて彫像を乗せています。( 2012.06.01 撮影 )
( 2021.10.30 撮影 )
鷹 or 鷲 でしょうか?
堺筋 ( 東 ) 側 時計台 ( 2021.10.30 撮影 )
時計店の本社ビルらしい、斬新で可愛らしいデザイです。時計下の出窓と丸窓は、振り子を表しているそうです。
堺筋 を更に2ブロック程南へ進むと、建ち並ぶ中高層のビルが途切れて青空が開ける場所が現れます。
大阪散策 - 14 旧小西家住宅 ( 旧小西儀助商店 ) ( 2021.10.30 撮影 )
ビルの建ち並ぶ堺筋で一際異彩を放つ表屋造りのこの建物は、1903年 ( 明治36年 ) にコニシ株式会社の社屋として建てられました。堺筋側の黒く塗られた土壁がつくり出す迫力は圧倒的です。
設計者 / 不詳
建築年 / 1903年 ( 明治36年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区道修町1-6-10
国指定重要文化財 ( 2001年 平成13年 )
堺筋 を挟んで 高麗橋野村ビルディング の向に古典主義建築の見本の様な、ジャイアントオーダーを持つ、堂々たるクラシカルな銀行建築が建っています。
三井住友銀行大阪中央支店 ( 2021.10.30 撮影 )
設計者 / 曽禰中條建築事務所
建築年 / 1936年 ( 昭和11年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区高麗橋1-8-13
堺筋側には4本のイオニア式のジャイアントオーダー柱が並び、中央にペディメントを冠した出入口が開きます。
堺筋と直交する通りに面する南側立面は、堺筋 ( 西 ) 側の奥行きのある円柱のジャイアントオーダーと比べると彫りの浅い角柱の付柱が施されています。
堺筋 を更に南に進むと 新井ビル側の沿道に、水平線と曲線を強調した表現主義的デザインのレトロな建物が見えて来ます。
設計者 / 安井武雄 ( 安井建築事務所 )
建築年 / 1927年 ( 昭和2年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区高麗橋2-1-2
設計者の安井武雄は関西を中心に活躍した建築家で、当時としては珍しい鉄筋鉄骨コンクリート造 地上6階建ての建物でしたが、7階部分は1964に増築されました。
堺筋に面する間口に対し敷地の奥行きは極端に少ないので、見た目に反して1フロアーごとの床面積は、それ程広くないと思われます。
堺筋側から見ると、巨大なビルに見えますね。( 2021.10.30 撮影 )
水平線を強調するように各階に一定間隔で並ぶ縦長窓間の上下の越壁を斜めに迫出させ、洋風瓦を施した外観は、両サイドの曲線壁、褐色の外壁と相まって、東洋的にも南欧風にも見える、不思議なデザインに仕上がっています。
三日月を乗せたオブジェも目を引きます。三日月部分は照明らしいです。
中之島から難波橋を渡り、大阪証券取引所 の前を通り堺筋を2~3分南へ向かって歩くと、小振りながら歴史様式を建物の彼方此方に散りばめたレトロな建物が見えて来ます。
新井ビル ( 旧報徳銀行大阪支店 ) ( 2012.06.01 撮影 ) 今回も9年前と去年の秋に撮影した画像を織り交ぜて紹介します。
1階は粗い石積 (ルスティカ ) の外壁、2階以上は小口のタイルが張られています。( 2021.10.30 撮影 )
1階の中央には古典様式のトスカナ式オーダーにデロス風フルーティングを混ぜてアレンジした様な化粧柱を4本並べ、銀行らしさを演出していますが、この後紹介する 三井住友銀行大阪中央支店 の様なジャイアントオーダーではないので重々しく威圧感の在るデザインではありません。( 2012.06.01 撮影 )
( 2012.06.01 撮影 )
建物の両サイドに開く出入口は、向かって左側は1・2階は店舗用 ( 元は銀行用 ) 右側は3・4階の貸事務所へ続く階段が配置されているようです。
設計者 / 河合浩蔵
建築年 / 1922年 ( 大正11年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区今橋2-1-1
国指定登録有形文化財
設計者の河合浩蔵は神戸・大阪竣を中心に活躍した建築家で旧小寺家厩舎、旧三井物産神戸支店 ( 現海岸ビル )、旧三井物産神戸支店 ( 現毎日新聞神戸ビル ) は「神戸散策」の際に紹介しています。
竣工後わずか5年、禁輸恐慌により報徳銀行は倒産し、1932年に現オーナーの先代がこのビルを買い取り、全館が貸しビルとなったそうです。
建物中央頂部、パラペット立上りのレリーフもこの建物の大きな特徴です。 (2021.10.30 撮影 )
2階~4階部の縦長窓周りのデザインも素敵です。( 2021.10.30 撮影 )
( 2012.06.01 撮影 )
9年前の画像では、建物前に大きな街路樹が写っていますが、今は無くなっているのが分かります。
堺筋を通り、北浜~中之島~西天満 を結ぶ 難波橋。橋を守るかのように橋四の隅に ライオン像 が鎮座しています。
難波橋 北浜岸、向かって左側のライオン像 ( 2021.10.30 撮影 )
難波橋 向かって右側のライオン像 ( 2012.06.01 撮影 )
左側のライオンの口は「阿」、 右側は「吽」になっています。
石造のライオン像は天岡均一氏作。橋の四隅の親柱に阿形と吽形が各2体ずつ飾られていることから ライオン橋 とも言われているようです。
橋中間部の親柱
ギリシャ神殿のペディメントの様な意匠が施されています。ライオン像、親柱、欄干等の装飾以外は1975年の改修工事によるものです。
設計者 / 大阪市 + 宗兵蔵 ( 意匠 )
建築年 / 1915年 ( 大正4年 )
改修年 / 1975年 ( 昭和50年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区北浜1・今橋2~北区西天満1
大阪証券取引所 ( 旧市場館 ) ( 2021.10.30 撮影 ) この画像のみが去年撮影したものです。青空以外は変化無しに思えましたが、9年前には無かった 大阪取引所 の文字が2021年の画像には映っています。
設計者 / 長谷部竹腰建築事務所
建築年 / 1935年 ( 昭和10年 )
増改築年 / 2004年 ( 平成16年 )
所在地 / 大阪市中央区北浜1-8-16
角地に面して放射線状に並ぶ角柱を見れば古典建築を踏襲しているのが分かりますが、角柱のオーダーだけでなく、その上の本来は上から「コ―ニス+フリーズ+アーキトレーヴ」から成るエンタブレチュアは一体化され、装飾は一切省かれています。皇居前の第一生命保険本館 ( 設計者 / 渡邊仁 ) のデザインを思わせます。( 2012.06.01 撮影 ) 扇状に並ぶ角柱間の縦長窓詳細。シックで繊細なデザインの面格子が設置されています。
土佐堀通りを少しだけ天神橋側に進むと北浜レトロビルヂング ( 2012.06.01 撮影 )
設計者 / 不詳
建築年 / 1912年 ( 明治45年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区北浜1-1-26
金の夜間のオブジェ兼看板が可愛いです。伝統的な英国風ティールームをイメージしたと言うカフェらしいです。
今回はこちの建物の前は通らずに、堺筋を南に向かったので、9年前の画像のみです。ストリートュ―で現存していることは確認しました。
中之島には色々な新旧様々な名建築が存在しますが、旧の方では既に紹介した 大阪市中央公会堂 ・ 大阪府立中之島図書館 と並んで、この 日本銀行大阪支店 ( 旧館 ) が、間違いなくビックスリーだと思います。日本銀行大阪支店 ( 旧館 )
堂島川と土佐堀川の中間地点、御堂筋に面した 大阪市役所 の向に建つ、クラシカルで堂々たデザイン。新古典主義のネオルネサンス様式の建物で、ベルギーの国立銀行をモデルにデザインされたそうです。
設計者 / 辰野金吾
建築年 / 1903年 ( 明治36年 )
復元・改修 / 1982年 ( 昭和57年 )
所在地 / 大阪市大阪府北区中之島2丁目1-45
御堂筋側のファサード ( 中央のエントランスポーチ・ペディメント・ドーム + 両サイドのペディメント ) は、大阪の中心地であるこの地域のランドマークにもなっていると思われます。
以下の画像は2012年に撮影したものです。2021年10月に撮影した画像に写っている後方のビル ( 新ダイビル ) は、2012年当時には、まだ建てられていなかったようです。
淀屋橋を通って土佐川を渡り御堂筋と土佐堀通りの交差点辺りから撮影。
設計者 / 大谷龍雄 + 大阪市
建築年 / 1935年 ( 昭和10年 )
所在地 / 大阪府大阪市北区中之島1丁目~北浜3丁目
大阪市指定文化財
淀屋橋 越しに見えるのは、御堂筋を挟んで 日本銀行大阪支店 と向かい合って建つ 大阪市役所
以下の画像は再び 日本銀行大阪支店エントランスポーチの屋根を支えるイオニア式オーダーが施された柱は、角部は角柱で他は円柱です。バロック的な雰囲気を感じさせます。
堂島川 ( 北 ) 側の外観も南側と同じデザインなので、御堂筋側のエントランスを中心に、南北にシンメトリーなデザインの様です。
1982年 ( 昭和57年 ) に建物の老朽化と地盤沈下に対応するための改修工事が、建設当時のクラシカルな無雰囲気を残しつつ行われており、建設当時の外壁は、煉瓦壁に花崗岩を積んだものでしたが、現在は煉瓦を除去し、RC壁に改修されています。
中之島中央公会堂と背中合わせに隣り合って建つのが大阪府立中之島図書館 ( 2021.10.30 )
ギリシャ神殿の様な正面西側立面と中央階段ホール上のドームが外観の特徴です。
プログにアップする機会の無かった、2012年6月1日に撮影した画像も織り交ぜて紹介します。( 2012.6.1)
設計者 / 野口孫市
建築年 / 1904年 ( 明治37年 )
所在地 / 大阪府大阪市北区中之島1丁目2-10
国指定重要文化財( 2012.6.1)
( 2021.10.30 )
正面のペディメントを支える4本の柱にはコリント式オーダーが施さています。正面の出入口は出口専用になっているので、右下の半地下の出入口から入館し、階段かエレベーターで1階に上がると、この建物の最大の見所である優雅なエントランスホールを見ることが出来ます。( 2012.6.1)
( 2021.10.30 )
1904年に野村孫市の設計により ネオ・バロック様式 で建てられ、1922年に日高絆の設計で両翼が増築され、その際に建物中央の階段ホールのドーム天井に天窓が設けられました。
その後は大阪大空襲などの戦災も免れ、幾度かの書庫の増築を経て現在に至っています。
1974年には、本館と両翼が共に重要文化財に指定されました。
曲線を基調とし左右対称の優美で豪華なデザイン。これ程美しい階段ホールを持つ図書館が他にあるでしょうか?( 2012.6.1)
ホール周りの二階廊下を支える柱の柱頭にはイオニア式オーダーが施されています。
名建築が多く建つ中之島の中でも、一際目を引く建物がこの 大阪市中央公会堂 でしょう。
( 2021.10.29 撮影 ) 先ずは夜景から
( 2021.10.30 撮影 ) 翌日の午前中に撮影
(2012.06.01 撮影) いい機会なので、9年前に撮影した未公開画像も紹介します。
( 2021.10.30 撮影 ) 昼と夜の両方に来られたのはラッキーでした
(2012.06.01 撮影)
通称:中之島公会堂として親しまれている 大阪市中央公会堂 は1918年 ( 大正7年 ) に、設計コンペにより選ばれた 岡田信一郎 の設計原案を 辰野金吾・片岡安 が実施設計を行って完成しました。
岡田信一郎 は丸の内の 明治生命館 の設計者。辰野金吾 は明治建築界の重鎮であり、東京駅舎 の設計者です。
地下1階地上3階建て鉄骨煉瓦造。デザインは バロック的な要素を併せ持つ、ネオ・ルネッサンス様式を基調としています。
設計者 / 岡田信一郎 ( 原案 ) + 辰野片岡建築事務所 ( 顧問・実施 )
建築年 / 1918年 ( 大正7年 )
所在地 / 大阪府大阪市北区中之島1-1-27
国指定重要文化財
( 2021.10.29 撮影 ) 昼間と夜景ではかなり雰囲気が変わります。
( 2021.10.29 撮影 ) とてもいい雰囲気だったので、もう少し暖かければ、水割りでも楽しみたいところです。
( 2021.10.29 撮影 )
正面のデザインとの大きな違いは、中央に大アーチが無い事だけなのですが、正面とは受ける印象は全く異なります。
警備員の人に尋ねたところ、ホールは貸しホールとして使用されているので、ホールの利用者以外の立ち入りは出来ませんが、レストランの在る地下の一部だけがは、通行可能なエリアがあるとの事でしたので、少しだけ見学させもらいました。コンクリートの構造体に煉瓦が貼られているのが分かるようになっています。
右側に見える木柱の様に見えるものは、創建時に基礎下に打ち込まれた木杭です。
階段手摺の親柱
腰壁に貼られた大理石も美しい
残念ながら見学可能なエリアは階段と廊下だけでしたので、見どころはこんなものでしょうか。
住吉大社 を見学した後、通天閣 を横目に 新世界辺りを散策しようかとも考えていましたが、まだ陽があるうちに 浪速組本社ビル が見られるかも知れないと考え、通天閣 は南海本線の車窓から眺めるだけで我慢することにして、そのまま南海本線で難波まで行き、心斎橋を早足で目当ての建物に向いました。地念入りな下調べが功を奏し、道に迷う事はありませんでしたが、辿り着いた時には日が暮れていて、夜景の撮影になってしまいました。( 大阪散策-Ⅰで紹介済み )
道頓堀近くで串揚げとお好み焼きを食べて、予約してあった北浜駅近くのホテルへ向かいます。チェックインを済ませた後、歩いて数分の夜の中之島へ行ってみました。
難波橋から土佐堀川 ( 栴檀木橋方向 ) の 梅田ビル群 を見る
堺筋を通り、難波橋で土佐堀川を渡り中之島へ
コロナ禍の去年の夏に竣工した、安藤忠雄氏が設計した子供の為の図書館です。
設計者 / 安藤忠雄建築研究所
建築年 / 2020年
所在地 / 大阪府大阪市北区中之島1-1-28
エントランス前に置かれた青リンゴのオブジェ
壁面に飾られた中之島の模型
予約が必要なので、内部の見学は出来ませんでしたが、同じく安藤忠雄氏設計の 司馬遼太郎記念館 の本の展示方法や表参道ヒルズのスロープを彷彿とさせるデザインになっているようです。
住吉大社 の中心に位置する4棟の本宮の建つエリアの一番奥に配置されているのが、この 第一本宮 その 第一本宮 を中心に、右 ( 南 ) 側には
南瑞籬門
配置は左右対称、デザインも同じで朱塗りの柱梁に銅板葺きの屋根を載せた、風格を感じさせる門塀です。
このエリアの北側には 北西の角に建つ ( 幸壽門 の向かって左手 ) 幸禄門から 祈祷殿 ( 御守授与所 ) ⇒ 神楽殿 ⇒ 矛の御所 ⇒ 祓殿 ⇒ 北瑞籬門 が配置されています。幸禄門 ⇒ 祈祷殿 ( 御守授与所 ) ⇒ 矛の御所
南側には南西の角に建つ ( 幸壽門 の向かって右手 ) 幸福門 から 楯の御所 ⇒ 侍者社 ⇒ 南瑞籬門 が配置されています。
幸福門を入って直ぐ左に翡翠で作られた 住吉神兎 も置かれています。住吉神兎
手水舎の所でも触れましたが、住吉大社 が鎮座したが 幸卯の年 (211年) の 卯月 の 卯日 であったことから、ウサギ は 住吉大社 の 神使 (しんし) とされています。楯の御所
夫婦円満 や 縁結び を祈願する人々が訪れているそうです。
幸福門 を潜りこの中心部のエリアを後にします。龍社( たつしゃ )、灯篭の並ぶ道、幸福門
境内の南東に当たるこのエリアには 摂社 の 船玉神社 と 末社 の 市戎大国社 が在ります。船玉神社
上で紹介した 矛の御所 や 楯の御所 に大きさやデザインが近いです。船玉神社 は 船玉神 をお祀りする神社であり、御祭神は 天鳥船命 ( あめのとりふねのみこと ) と 猿田彦神 。
住吉の荒魂 とも言われ、海外渡航の前に参拝する人も多いそうです。
御祭神 は えびすさん と だいこくさん で 住吉の戎神 として親しまれているそうです。五月殿
このエリアには灯篭が沢山並んでいます。
ひと廻り大きい灯篭も
このエリアからは 反橋 がひと際美しく見えます。
中央の参道には戻らず、南脇参道から境内を出ます。南脇参道角鳥居
沢山の石灯籠も 住吉大社 の見どころの一つだと思います。
兎の手水舎 の所まで戻り、正面の階段を見上げます。階段を上り、石の角柱で造られた 角鳥居 と、その後ろの 幸壽門 の下を潜って 第一、第二、第三、第四本宮 の在るエリアへ向かいます。四角柱の鳥居は大変珍しい古い様式で、4つ在る本殿と拝殿の間に在る、木造朱塗りの鳥居が原形となっているそうです。
第三本宮 の右隣には全く同じデザインに見える 第四本宮 が在ります。
向かって左が 第三本宮、右が 第四本宮
第三本宮、と 第四本宮 がツインになっているところが住吉大社の大きな特徴です。4棟の本殿は1810年 ( 文化7年 ) に建てられた物で、住吉造 と称し、神社建築史上最古の様式 の一つと言われ、国宝建造物に指定されています。
屋根は桧皮葺、妻入式切妻造。室内は外陣と内陣の前後二間に分かれ、回廊は有りません。柱は朱(丹)塗、壁は胡粉塗と言う牡蠣などの貝殻を磨り潰した塗料が塗られています。朱と白と黒を中心に彩られ、金の金具がその華やかさをいっそう際立たせています。
なお平面構成は、天皇の大嘗祭(だいじょうさい)で造営される大嘗宮という神殿と類似した構造をしているとも言われています。
第四本宮 だけは 反橋⇒幸壽門⇒第三本宮⇒第二本宮⇒第一本宮
と一直線上に並ぶ軸線とは外れた位置に配置されています。第三本宮 と 第四本宮 の間を進みます。
第三宮 本殿 越しに 第三宮 の真後ろに建つ 第二宮 を見る
第三本宮 と 第四本宮 の 本殿 を斜め後ろから見る。
切妻屋根に載った重なり見える、千木 と 鰹木 が美しい。
第二本宮 は 第三本宮 の真後ろに在り、造りは第三・第四本宮 と同じに見えます。
第一本宮 は 第二本宮 真後ろに在り、基本的な造りは 二・三・四本宮 同じに見えますが、拝殿の間口はやや幅広です。
四棟の本宮の配置は、角鳥居・幸壽門・第三本宮・第二本宮・第一本宮が
一直線に並び、第四本宮だけが軸を外れた位置に配置されているのが分かります。
第一本宮
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第二本宮
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第三本宮 第四本宮
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幸壽門
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角鳥居
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反橋
大阪訪問の一日目、午後2時過ぎに家内の実家の用事を済ませ、南海本線を途中下車し住吉大社へ行って来ました。
西大鳥居前の紀州街道から見る
住吉大社を訪れたのは、今回で4回目になりますが、いつも駆け足の参拝で、じっくり境内を歩いたことはありません。今回も充分に時間はとれませんが、それでも今までよりは多少はゆっくり出来ました。
紀州街道沿いには沢山の石灯篭が並んでいます。
西大鳥居
西大鳥居の先に見えるのが有名な反橋です。
西大鳥居を潜り、反橋までの参道で、最初に目にする建築物。
反橋
神池に架けられた神橋と言うのが正式名称で、住吉大社の象徴であり太鼓橋とも呼ばれています。
池の水面に映り込む朱色が絵になります。長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度。
その急勾配故の渡り難さから「反橋を渡るだけもおはらいになる」と言われているそうです。
勾配が急なので、上るのは意外に大変ですtが、下りるのは怖いくらいです。川端康成は小説「反橋」の中で「反橋は上るよりもおりる方がこわいものです」と記しているとか?
反橋の袂を守る狛犬
良く龍の口から水が出る手水舎は見掛けますが、兎の手水舎は初めて見ました。神功皇后が住吉大神を祀って住吉大社を建てたのが「辛卯の年 ( 西暦211年 )」と言われており、更に神功皇后を御祭神として祀った日が、「卯歳」の「卯月」の「卯日」であったことから、兎と縁が深いと言う事らしいです。
源頼朝の寵愛を受けた丹後局 ( たんごのつぼね ) が後の島津忠久を、この場所で出産したと伝えられています。
ここにも霊験あらたか感みなぎるご神木が在ります。
今回の大阪訪問は、妻の実家の用事によるものでしたが、以前から次に大阪に行く機会があれば、是非 太陽の塔 を見学したいと思っており、日帰りも可能なところ、あえて一泊して1970年の大阪万博以来、51年振りに 太陽の塔 からあふれ出るようなパワーを全身に浴びて来ました。
宿泊していた堺筋線の北浜駅近くのホテルを昼前にチェックアウトして、堺筋線~阪急千里線~大阪モノレールを乗り継いで、太陽の塔 が在る 万博記念公園 へ向かいます。
山田駅から万博記念公園駅まで一駅だけモノレールに乗ると、車窓から並行して走る大阪環状線越しに、50年振りの 太陽の塔 が見えて来ます。
太陽の塔
意匠設計者 / 岡本太郎
構造設計者 / 坪井善勝他
建築年 / 1970年
所在地 / 大阪府吹田市千里 万博記念公園内
構造は鉄骨鉄筋コンクリート構造、鋼管シェル構造。
高さは70mあり、言わずと知れた1970年に開催された 大阪万国博覧会のメイン会場 お祭り広場 の中心に、丹下健三氏が設計した大屋根 スペースフレーム の屋根を貫いて建てられた、まさに大阪万博の象徴その物だったのです。
万博開催時にはあったスペースフレームが無いからでしょうか? 子供の頃の印象よりも大きく感じます。
黄金の顔 ( 第一の顔 )
鳥の顔の様にも、仮面の様にも見えます。
万博当時は、黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器が取り付けられ、万博開催中は特別許可を得て点灯していました。未来を表す黄金の顔は、直径10.6m。投光器が取り付けられた目の直径は2mもあるそうです。黄金の顔は軽量化の為にガラス繊維強化プラスチックで造られています。
現在を表す太陽の顔は直径約12m。塔全体を人体に例えるなら、正面の胸部 ( 左右に広げた腕の付根 ) 辺り。この顔は第一・第三の顔と違い、人の顔の様に見えます。
赤い稲妻模様と黒い太陽のコロナ部分は硝子モザイク製。黒い太陽の顔の部分は信楽焼の陶器製です。
黒い太陽 ( 第三の顔 )
背面に描かれた黒い太陽は、過去を表し直径は約8mです。塔の高さ約70メートル、基底部の直径約20メートル、腕の長さ約25メートル。
造船技術を用いた鉄骨鉄筋コンクリート構造で造られています。
さあいよいよ内部の見学です。スロープを下った地下から中に入ります。
内部の見学には予約が必要です。空いている日時なら、当日でも予約出来そうですが、今後は人出も増えそうなので、事前予約をお勧めします。
岡本太郎のスケッチスケッチに記された日付が興味深い。2ヶ月掛かって大分最終形に近付いている事が分かります。
地底の太陽 ( 太古の太陽 ) ( 第四の顔 )
直径3m、全長11mの第四の顔は大阪万博終了後に行方不明となり、海洋堂の協力を得て、写真や関係者からの聞き込みを基に復元したものです。
高さ45mの生命の樹は、生命を支えるエネルギーの象徴であり、未来に向かって伸びてゆく生命の力強さを表現しています。
下部からアメーバーの様な単細胞生物に始まり、上部に行くに従って「原生類時代」「三葉虫時代」「魚類時代」「両生類時代」「爬虫類時代」哺乳類時代」へと進化する生物の過程を模型で表現しています。
大阪万博当時の生命の樹には、292体の模型が取り付けられていたそうですが、大多数の模型は散逸してしまい、153体は新規に作成、29体は修復して、現在展示されているのは183体です。
当時はエスカレーターに乗って見学出来ましたが、軽量化の為にエスカレーターは取り外され、階段を利用しての見学に変わっています。耐震性を向上させる為に、壁厚も内側に200mm厚くしているそうです。
写真撮影は最下階ノミOKで、階段の途中や上階からは禁止なので、同じような写真ばかりになってしまいました。
太陽の塔のフィギアは、10年程前に東京で購入した海洋堂製の物。
右側の縦帯中の「お勧めショッピング」から購入出来ます。⇒ ⇒ ⇒
太陽の塔の見学は今回の大阪散策の最終目的地でしたので、この後は万博公園内のコスモス畑等を見学して、モノレール~私鉄~地下鉄を乗り継いで新大阪駅に向かいました。初日に訪れた住吉大社や二日目の午前中に散策した大阪城・中之島・淀屋橋近辺の建物は、紹介が前後しますが、2012年に大阪に来た時に撮影した未公開の画像も含め、この後引き続き紹介して行きます。
今回の大阪行きは、建物探訪が目的ではなく、観光でも仕事でもない私用による大阪行きです。かと言って折角の大阪行きなので、通り道近辺だけにはなりますが大阪の名建築やレトロな建物を見ずに帰る訳には行きません。朝早く のぞみ で東京を出発し、昼前には新大阪に到着。難波から南海本線に乗る為に先ずは梅田へ。難波へ行くにはJR環状線を利用する手もありますが、梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換えるのが最短です。梅田での乗り換えを利用して、ちょっとだけ寄り道です。
設計者 / 村野・森建築事務所(村野藤吾)
建築年 / 1963年
所在地 / 大阪市北区曾根崎2丁目
大阪市地下街ホワイティ梅田の為に建てられた換気施設で、大阪駅前のランドマーク的なオブジェと言う事です。学生時代から村野ファンだったので、分厚い品集を2冊所有していますが、そのどちらにも載ってい建物なので、今回の大阪訪問の前に、大阪を中心に活躍した村野氏の建物で、見学出来る物はないかと検索して、たまたま見付けることが出来たのです。シルバーメタリックな外装と、村野さんのデザインらしい地面から這い出た様な自由曲線を駆使した近未来的なデザインは、東京オリンピックの前年で、高度成長期真下に大阪の中心地梅田のランドマークとして、相応しくも驚きをもって受け入れられたのではないかと思われます。
今では超高層ビルの足元に生える、キノコの様に見えなくもありませんが、宇宙的で未来的な印象は今でも健在です。
南海本線沿線での私用を済ませ、帰り道で住吉大社にも立ち寄りましたが、そちらの紹介は次回に回すとして、難波駅近くの大阪新歌舞伎座跡地へ。ホテルロイヤルクラシック大阪
設計者 / 隈研吾
建築年 / 2019年
所在地 / 大阪市中央区難波4丁目
1958年に 村野藤吾 氏の設計で建てられた 大阪新歌舞伎座 は2015年に解体され、2019年に旧建物の意匠を継承した レプリカ・ファサード保存 ととでも言えば良いのでしょうか? 結婚式場とホテルの複合施設に生まれ変わりました。
以下の画像は解体直前の2012年に大阪に来た時に撮影した 大阪新歌舞伎座 の画像です。大阪新歌舞伎座
設計者 / 村野・森建築事務所(村野藤吾)
建築年 / 1958年
所在地 / 大阪市中央区難波4丁目
ご覧様に一目見ただけで歌舞伎座と分かる目を引くデザイン。しかし以前には連続唐破風のデザインは前例がなく、斬新なものだったそうです。内装の華やかデザインも合せて村野氏の真骨頂と言ってもよいデザインの建物です。
難波から戎橋商店街を歩き、道頓堀川を渡りって10分ほどのバーやスナックが建ち並ぶ裏道に、もう一棟の初めて見る村野藤吾氏設計の建物が在るのです。
設計者 / 村野・森建築事務所(村野藤吾)
建築年 / 1964年
所在地 / 大阪市中央区東心斎橋2丁目
この建物も今回の大阪訪問の直前に、検索して知りました。この建物も私の所有している写真集には年表にさえ記載がありません。浪花組とは1922年創業の左官業社です。浪花組は村野建築の左官工事に多く関わっていますが、クライアントでもありました。社長の中川氏は数寄屋造の自邸、経営に関わっていた心斎橋プランタン、各地の本支店など、生涯に8つの建物を村野氏に依頼したそうです。
昨日、千駄ヶ谷の新国立競技場に、ラクビー大学選手権決勝戦 早稲田大学 vs 天理大学 を観戦して来ました。
昨年の10月に、JR千駄ヶ谷駅から東京メトロ 外苑前駅 迄散策した際に、外観だけは見学したことはありましたが、コロナさえ無ければ、東京オリンピックが終了して2ヶ月も過ぎている時期にも関わらず、何故か新国立競技場の周りの仮囲いは撤去される事は無く、まるで工事中の様な状態でした。
天気が悪かったせいもあり、デザイン上の売り物である木や植栽の緑の見栄えは今一です。法隆寺五重塔をモチーフにしたデザインだと聞いた覚えがありますが、この部分の外観は確かに5層に見えますが、五重塔には見えないですね。
仮囲いを撤去しないのは、今年のオリンピック開催を見越してのテロ対策課か何かなのでしょうか?
スノコ状に軒天に取り付けられた木材は、想像していたよりも小さな断面の部材の様で、残念ながら取って付けた感は否めません。
塗装の為に木の部分が少し灰色がかっているように見えます。完成直後にも関わらず、木部の色の変色が始まっている訳では無いようです。
テレビで良く見る五輪のオブジェは競技場の南側、ジャパンスポーツオリンピックスクエアの前の広場に在りました。
五輪のオブジェの他にも、この広場には
近代オリンピックの創始者 ピエール・ド・クーペルタン
第18回 1964年 東京オリンピック競技大会 聖火台
第11回 1972年 札幌オリンピック競技大会 聖火台
18回 1998年 長野オリンピック競技大会 聖火台
ここからは昨日 2021年1月11日の大学ラクビー選手権決勝戦の新国立競技場の風景です。
スタンドは3層式。座席は3階席だったので、ラクビーを観戦するには少し遠目になりますが、スタジアムを見るには特等席かも知れません。
フィールドを囲むスタジアムは地下2階・地上5階建て。広さは約350m×約260mです。
カラマツと杉の木材が屋根トラスの下弦材の鉄骨を被覆するように取り付けられ、ラチス材の下側にも取り付けられています。
鉄骨のジョイント部分は露出されているので、やはり取って付けた感は否めません。コストを抑える為にほぼ同断面の部材を使用したそうですが、先端部が重々しくなってしまい、構造的な安定感や構造美が損なわれてしまっている気もします。
昨日の決勝戦は最大60,000人収容可能なスタジアムですが、コロナの影響で昨日の観客数は17,000人でした。スタンドの空席が目立たないのは、木漏れ日をイメージしたアースカラーをモザイク状にマバラに配置しているからです。
アップにすると、このエリアは9割程が空席な事が分かります。
芝生の緑も綺麗に整備されています。
ハーフタイムには、一昨年のラクビーワールドカップのマスコットも登場しました。
結果は天理大学の圧勝でしたが、楽しく観戦させてもらいました。
スノコ状の木材の裏側には、鳥が侵入するのを防ぐ為でしょうか? ネットが張られているようです。
未だに工事用の仮囲いや仮設用のプレファブ事務所が置かれたままです。
設計者 / 隈研吾
建築年 / 2019年
所在地 / 東京都新宿区霞ヶ丘町10-1
久し振りに目黒区役所に法令現調へ行って来ました。
目黒区役所は1966年に故村野藤吾氏が、千代田生命保険本社ビルとして設計したもの。
2000年に千代田生命は経営破綻しますが、2003年からは目黒区役所として利用されています。
今回はこの後の予定がありましたので、久し振りの訪問を楽しむことは出来ませんでしたが、何時の間にか庁舎機能を移転してしまった同じ村野藤吾氏が設計した横浜市役所の例もあるので、近いうちにまたやって来たいと思います。
以前の記事は ⇒ 《 こちら 》
公私ともに何かと忙しく、またも更新に時間が空いてしまいました。
今日、先ず紹介するのは
三井物産横浜ビル
レトロなビルではありますが、古い建物の多く建つ横浜では、それ程目立つデザインの建物ではありませんが、近代日本建築史においては大変重要な位置付けの建物なのです。
三井物産横浜ビルは1911年に遠藤於菟の設計により日本初の本格的鉄筋コンクリ-ト造のオフィスビルとして建てられ、現在も現役のオフィスとして使用されています。
設計者 / 遠藤於菟、酒井祐之助
建築年 / 1911年 ( 明治44年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区日本大通14
一見普通の建物にも見えますが、ア-ルをとった建物角のコ-ニスや柱型の柱頭部の装飾には、ア-ルヌ-ボ-やゼセッション様式が取り入れられています。
構造とデザインのみならず、機能面においても現代オフィスビル建築の模範ともなっているそうです。
次に紹介するのは
ラ・バンク・ド・ロア ( 元警友病院別館・旧露亜銀行横浜支店 )
2006年にこの辺りを散策中に、この建物を偶然見つけた時には廃墟のような状態でしたが、2010年から外壁改修と耐震改修を行った後、2011年に結婚式場のラ・バンク・ド・ロアとして使用されています。
設計者 / バ-ナ-ド・マイケル・ウォ-ド
建築年 / 1911年 ( 大正10年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区山下町51-2
横浜市指定文化財
この建物は1921年に露亜銀行横浜支店として建設されますが、露亜銀行が1926年に日本から撤退した為、事務所やドイツ領事館、横浜入国管理事務所等として使用され、警友病院別館となった後、1996年からは使用されずに廃墟のようになっていたのです。
小ぶりな建物ではありますが、彫りの深いイオニア式のオーダー柱やペディメントがバランス良く施された、バロック様式の優れたデザインの立面です。
狭い路地に面する立面にも、通りと同じ意匠が施されています。
見えない裏側に迄、全く手を抜いていないことには感心します。
以前の記事は ⇒ 〈 こちら 〉
今日は書類を受け取りに、神奈川県庁に行って来ました。
平日とは言え、コロナウイルスの影響か、横浜観光を楽しむ外国人の姿も少ないような気がします。
時間に余裕があれば、午前中から出掛けたいところでしたが、残念ながら事務所を出たのが2時を回っていたので、散策は日本大通り付近だけになりました。
先ずは
横浜市開港記念館 ( 横浜ジャック )
みなとみらい線の日本大通り駅から出ると目の前に優雅な姿を見ることが出来ます。
設計者 / 佐藤四郎、山田七五郎、福田重義 ( コンペ案 )
建築年 / 1917年 ( 大正6年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区本町1-6
横浜開港50周年記念事業のコンぺの福田重義の当選案を山田七五郎らが実施設計を行ったものです。
外壁は当時辰野金吾氏が多用し、辰野様式とも呼ばれた赤い煉瓦と白花崗岩によるストライプとジャック塔と呼ばれる塔が特徴です。
神奈川県庁本庁舎 ( 横浜キング )
スマートな印象のジャックと比べ、堂々たる印象の神奈川県庁本庁舎はキングと呼ばれるに相応しい重厚な外観です。
設計者 / 佐野利器、神奈川県、小尾嘉郎 ( コンペ案 )
建築年 / 1928年 ( 昭和3年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区本町1-6
この建物も小尾嘉郎のコンペ当選案を、当時日本建築界の重鎮だった佐野利器が軍国主義・国粋主義などの時世の流れに乗って帝冠様式で実現したものです。
建物全体のデザインが武骨なのは、佐野利器の専門が意匠ではなく、耐震構造の先駆者であり、震災直後に建設されたことからも、構造重視は仕方ない事かもしれません。
そう言えば放映中のテレビドラマ「検事と刑事」でも、ロケ地になってますね。
横浜地方簡易裁判所 ( 旧横浜地方裁判所 )
1階中央の車寄せの部分はルスティカ積。
2・3階はスクラッチタイル貼りのレトロな雰囲気を漂わすデザインではありますが、ジャックやキングのようなクラシカルなデザインではなく、コーナーに丸みを付けた表現主義的な要素のあるデザインの建物です。
設計者 / 小野武雄
建築年 / 1929年 ( 昭和4年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区日本大通9
この建物も「検事と刑事」でロケ地になっています。
横浜市情報文化センター ( 旧横浜商工奨励館 )
この建物も震災で壊滅状態となったこの地に、一年足らずの突貫工事で建てられましたが、そのデザインの完成度はなかなかの物です。
設計者 / 山田七五郎 ( 横浜市建築課 )
建築年 / 1929年 ( 昭和4年 )
所在地 / 神奈川県横浜市中区日本大通11
古典様式とアールデコの要素も見られるデザインのこの建物は、昭和初期の横浜を代表する建築と言われています。
凛太郎の本業のHPです
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Author:凛太郎
猫が大好きな一級建築士です
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