夕食の時間迄、まだ30分程時間が有ります。
温泉に入るには、ゆっくり出来る程の時間ではないので、ホテルの近くの日光街道沿いを散策し、お土産とレトロな建物をを探しに出掛けました。
小高い丘の途中に建つホテルを出て、坂を下って 金谷ホテルベーカリー の建物脇を抜けて日光街道へ出て、JR日光駅 方向へ100m程進むと見えて来たのは モルタル造形の看板建築 と 出し桁造り の商店建築です。
日光の那須のラスク屋さん 菱屋
日光の那須のラスク屋さん 菱屋
日光の那須のラスク屋さん
設計者 / 不詳
建築年 / 昭和初期?
所在地 / 栃木県日光市上鉢石町1039
端正で品の良いシンメトリーな立面の建物ですが、残念ながらこの建物についての情報は、まだ見付けられていません。
コルニス ( 軒蛇腹 ) の下の フリーズ 、コーナーの柱型の装飾は、彫は浅いものの、しっかりと施された モルタル造形の建物 です。
菱屋
2階の軒は出し桁造り、国道に面かる2階の窓には、千本格子が施され、1階の店舗は2階よりもは三尺程道路側に延ばして、その部分にも出し桁造りの庇を載せています。
1階屋根の中心当りには、菱型の縁取の中に居るは 眠り猫 の様です。
平屋の飲食店を挟んで、更に レトロな建物 が並びます。
左端の店舗は、今は営業はしていないようです。
その右の真壁の建物は 理髪店
その右の 出し桁造りの建物 は 吉田屋酒店 ( ここでお土産に地酒を買いました )
更に右隣は
麻屋亀田本店
設計者 / 不詳
建築年 / 不詳
所在地 / 栃木県日光市上鉢石町1046
軒から上部の寺院の様な立派な 入母屋屋根 は 和風 を感じますが、
モルタル塗りのオレンジ色外壁など、軒から下の部分は 和風 にも 洋風 にも 中華風 にも見えなくもない不思議な建物です。
更に50m程、日光街道 ( 国道119号 ) を日光駅方向に進むと、またしても立派な屋根の建物が見えて来ます。
吉田屋羊かん本舗
日光は 湯葉 羊かん が名物みたいです。
蔵造りの建物。切妻平入りの店舗です。
腰部分には なまこ壁 も見られます。
設計者 / 不詳
建築年 / 不詳
所在地 / 栃木県日光市中鉢石町903
日光街道沿いのレトロな街並み はまだ続きますが、夕食の時間が近くなって来たので、ここらでホテルに引き返します。
国道の挟んだ反対側にも レトロな造りの羊かん屋さんが在りました。
三ッ山羊羹本舗
創業は1895年 ( 明治28年 )、田母沢御用邸 で静養される皇族方への献上品として、二荒山神社 の御用品としても納められていたそうです。
現在の建物が建てられたのは昭和初期。当時としては非常にモダンな建物だったとか。
設計者 / 不詳
建築年 / 昭和初期
所在地 / 栃木県日光市中鉢石町914
構造も不詳ですが、店舗を見る限り木造か?
ホテルの近くまで戻って来ました
日光物産商会
一見すると、入母屋造り のオレンジ色の大きな屋根が目を引く和風の建物ですが、妻壁に木の構造体 ( 柱・梁・筋交 ) を表した ハーフティンバー の様な部分も見えます。
設計者 / 不詳
建築年 / 1905年 ( 明治38年 )
所在地 / 栃木県日光市上鉢石町1024
国指定有形文化財 / 平成8年指定
創業時は 日光金谷ホテル の土産品店で、伝統工芸の日光彫や木工品、漆器などの製造・販売・輸出を手掛けていました。
昭和3年に 日光金谷ホテル から独立し、土産販売店・飲食専業となり、金谷ホテル の宿泊客の為のパンが評判となり、金谷ホテルベーカリー神橋店 も出店しています。
金谷ホテル へ向かう坂道側は、一階の後方が道路に埋まっている様に見えます。
こちらの妻壁は ハーフティンバー 風のデザインではなく、火灯窓 の頂部の凸凹を省略した様な窓が開いています。
私達が宿泊したホテルも、この坂道を登った所に在るのですが、最後に 神橋 の写真を撮ってからホテルに向かいます。
神橋
「かみはし」と読むのかと思っていましたが、一般には 「しんきょう」、日光名所図会には 「みはし」と読むと記されています。
大谷川 に架かるこの朱塗りの橋は、今まで見て来た東側の商店街 ( 東町 ) と、西側日光山内 ( 西町 ) を結んでいて、橋を渡ると 東照宮 へ続く参道に繋がります。
しかし、昔は将軍や山伏渡るとは出来ず、現在も有料です。
「渡る橋」と言うよりも「眺める橋」とも言われているそうです。
808年に勅により架けられたのが始まりらしく、以後16年に一度架け替えられたらしいです。
1629年 ( 寛永6年 ) と1636年 ( 寛永13年 ) に、日光東照宮の造営に伴って架け替えが行われ、現在の姿になっています。
日光星の宿
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- 2023/09/08(金) 15:32:00|
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日光真光教会 の見学の後も、直ぐにはホテルには向かわず、ホテルの在る辺りを通り越して
JR日光駅 へ向かいました。
JR日光駅舎
日光駅 は 日本鉄道 の支線の終着駅として、1890年 ( 明治23年 ) に開設したのが始まりです。
1906年には 日本鉄道 が国有化。
初代の駅舎は平屋建てだったらしいのですが、1912年 ( 大正元年 ) に現在の二代目の駅舎が完成しています。
検索すると
「歴史ある国際的な観光地にふさわしい 白亜の洋館」
「ハーフティンバー様式 が用いられた木造二階ての ネオ・ルネサンス建築」
等の文言で紹介されています。
ハーフティンバー と言うよりは、真壁造り と言った方がしっくりする気がします。
設計者については長らく不明でしたが「F・L・ライト ではないか?」と言う噂から、2007年に天井裏で見つかった軒札から、鉄道員技手-明石虎雄 設計者説が有力となってますが、前回紹介した 日光真光教会 の設計者でもある J・M・ガーデナー 説も根強く存在し、未だ確定はされていないようです。
建物のデザイン面から見て F・L・ライト は有り得ないとして J・M・ガーデナー も違うような気がします。
設計者 / 明石 虎雄 ?
建築年 / 1912年 ( 大正元年 )
所在地 / 栃木県日光市相生町115
シャッター扉ではなく、今でも木製の折戸扉が使われているようです。
閉まった所も見てみたかったです。

残念ながら見ていませんがが、このこのクラシカルな木製階段を上がった2階には、旧国鉄時代に
一等旅客専用特別待合室 として使われていた
ホワイトルーム と呼ばれるホールがあり、豪華なシャンデリアも見られるようです。
豪華なシャンデリアを見損なったのは残念でしたが、私が興味が有るのは 階段手摺の親柱 の方ですね。シンプルなデザインながら味わいが有ります。
※この記事の説明文は「Wikipedia」「トラベルjp」「andE」を参照・参考して作成しています。
- 2023/09/02(土) 17:26:00|
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日光の建物散策 も
日光輪王寺の建築群 ⇒
日光東照宮の建築群 ⇒
日光田母沢御用邸 の誰でも知っている様な有名建築の見学を終え、日暮れまでの時間を利用して、お土産探しを兼ねた
レトロな建築を散策 します。
田母沢御用邸 から車でホテルへ向かう国道沿いに、鐘塔の在る質素で石積みの教会が建っています。
車を止めることが出来るか不安でしたが、丁度隣が 日光カステラ本舗 のショップ だったので、妻と母がお土産を選んでいる間に撮影しました。
日光真光教会礼拝堂
この礼拝堂が建てられる以前、1899年にアメリカ人建築家で教育者でもあった ジェームズ・M・ガーティナー の設計により、西参道付近に木造の教会が建てられました。
1914年に、同じ ジェームズ・M・ガーティナー により、現在の教会堂が建てられ、1916年に 日光真光教会 として聖別・献堂されています。
外観の第一の特徴は、荒々しい岩肌の外壁でしょう。
近くを流れる 大谷川 や 稲荷川 から採れた 安山岩 の乱石積-こぶ出し仕上。
石は表面に張っただけの 張りボテの建物 ではなく、石を積み上げた本物の組積造の建物です。
急勾配の切妻屋根も目を引きます。
下の説明プレートには 「石積スレート葺 の ゴシック式建築」 と記されていますが、ずんぐりしたシルエットの 鐘塔 など、ロマネスク の特徴も感じられます。
設計者 / ジェームズ・M・ガーティナー
建築年 / 1914年 ( 大正3年 )
所在地 / 栃木県日光市本町1-6
栃木県指定有形文化財 / 1982年
近くによると、教会と言うよりも、要塞に見紛うような重量感です。
入口へ
国道から入って奥 裏側はゴツサ倍増
国道を渡って撮る
鐘塔
説明プレートによると
「内壁は鹿沼石の平張り。東壁面上部のキリストの変容を描いた桜花形のステンドグラスと、西壁面上部の12面のステンドグラスが唯一の彩りで、簡素な中にも清楚な落ち着きを持つ洋風建築物である。」と記されています。
- 2023/08/27(日) 12:47:00|
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田母沢御用邸 の第四回目です。
日光田母沢御用邸記念公園H.Pより

今回紹は、主に 南側庭園 からの外観を紹介します。
二つの地図共に、通常の地図とは異なり、上が南に描かれてるので、上が北の地図を見慣れているので混乱してしまいます。
よって、地図の上が庭園になります。
靴を脱いだ 御車寄 に戻り、庭園出入口から建物の東側を回って庭園へ向かいます。
正面に見えているは 謁見所 在るです。
南東の池越しに見た全景
写真を上手に撮る技術が備わっていれば、このアングルがベストポジションだと思うのですが残念です。
謁見所
上図の■色の赤坂離宮・花御殿 ( 江戸中屋敷 ) 部
三階建ての部分は 御座所
御学問所 の丸窓を庭から見るとこんな感じです。
御食堂 ( 赤坂離宮・花御殿 ( 江戸中屋敷 ) 増築部 )
庭園に突き出すように配置されています。
枝垂桜が咲く頃に、出来ればもう一度来てみたいですね。
左奥にの二階建ての部分は 女官詰所
御湯殿 ( 明治33年~大正6年増築部 )
庭園東南に在る池
今回で 日光田母沢御用邸 の紹介は最終回になります。
- 2023/08/23(水) 12:29:00|
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田母沢御用邸 の第三回目です。
日光田母沢御用邸記念公園H.Pより

今回紹介するのは、主に 御座所 など、上図の■色の赤坂離宮・花御殿 ( 江戸中屋敷 )
■色の赤坂離宮・花御殿の増築部 を紹介します。
謁見所 を出ると、御学問所 へ向かう廊下の突き当りに丸窓が見えます。
御学問所 の丸窓
天皇陛下の書斎に当たる部屋で、写真は撮っていませんが、壁に梅の木が描かれている事から、梅の間 とも呼ばれています。
旧徳川紀州家中屋敷 当時の姿を伝える部屋であり、移築前は現在みられる姿よりは、かなり華やかなデザインの部屋だったそうです。
丸窓の中央に見えるのは 御食堂
少し角度を変えてもう一枚。
数週間後には、この丸窓から美しく咲き誇るの枝垂桜の大木が見られる筈です。
この丸窓が気に成り過ぎて、引いて撮るのを撮り忘れてしまいました。
御学問所 の他の部分の写真はこれだけ。
格天井 が力強く、武家屋敷らしさを感じます。
岩二波舞鶴 ( いわになみまいづる ) 遠坂文雍
板戸を開けると、御次の間 + 御座所 と庭を繋ぐスペース へと繋がります。
御座所 を見学する前に2階へ上ります。
写真左側、階段室から一段上がったホールの更に左に、劔璽の間 と 御寝室 次の間 が並びます。
桜二滝 ( さくらにたき ) 山本 伊球
劔璽の間 に繋がる木戸
劔璽の間 ( けんじのま )
写真の右側には、手前から 次の間、御寝室 が並びます。
劔璽 とは 三種の神器 の内の 天叢雲剣 ( あめのむらくものつるぎ ) と 八尺瓊勾玉 ( やさかにのまがたま ) を合わせた呼称で、ここには剣の複製と勾玉が置かれていました。
奥の部分の三畳ほどの広さの剣と勾玉の安置所。
肉眼では分かりませんでしたが、画像を拡大してみると、もっとも格式が高い畳縁の畳が置かれている事が分かります。
次の間 を通して 御寝室 を見る。
床の間 は豪華ですが、他は素木と白を基調としたシンプルで落ち着いたデザイン。
御寝室 だけは電気の照明ではなく、燭台 を使用していたそうです。
自信は有りませんが、たぶん 次の間 と 御寝室 の北側の一間巾の畳敷きの通路
奥に見える木戸には、松の樹の下で舞う天狗を描いた日本絵が見えます。
左から 表御食堂 ⇒ 御玉突所 ⇒ 謁見所 の屋根を見る。
御日拝所
天皇家の祖先を遥拝する為のスペース。
階段を下りて再び1階へ戻ります。
自信は有りませんが、階段室 北側の洋風扉。
この建物では、他では引戸でない洋風扉を見た覚えが有りません。
奥の引き違い木戸を開くと、 表御食堂 に繋がる廊下に出ると思います。
御座所
御次の間 を通して 御座所 を見る。
天皇陛下が日常的な公務を行う場所であり、居間に当たります。
欄間の竹格子には、水に浮かぶ扇子が施されています。
旧紀州徳川家当時は、格式を必要としない個人的な場所であり、壁・天井・襖には、装飾を排した白くシンプルな仕上げとなっています。
とは言え 床の間 は例外か?
御座所 北側の廊下から、大きな中庭 を通して 休憩所 を見る。
御次の間 ・ 御座所 と庭の繋ぐスペース。
御次の間 を通して 御食堂 ( 赤坂離宮・花御殿の増築部 )
内謁見所 ( 大正期大規模増築部 )
内謁見所 から 休憩所 南側の 大きな中庭 に面する廊下に出て、御車寄 の在る入口に戻ります。
廊下の窓から初回に紹介した 大きな中庭 を眺めながら進みます。
御座所 の在る3階建ての部分
御座所 を撮った位置から、左に振って撮る。
右端に写っているのは 表御食堂
出入口に向かって進み 休憩所 前の縁側を見る。
同じ位置からの見返し
写真中央が 表御食堂 右端は3階建ての 御座所
次回庭園から見た、建物外観を紹介します。
※ この記事の説明文は、「日光田母沢御用邸記念公園H.P」「Wikipedia」「日光東照宮・御朱印」などを参考にさせて頂きました。
- 2023/08/22(火) 12:46:00|
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田母沢御用邸 の二回目です。
日光田母沢御用邸記念公園H.Pより
今回紹介するのは、主に 表御食堂、御玉突所、謁見所 など、上図の■色の大正期大規模増築部 を紹介します。
上図左中頃、左右の 渡り廊下 と 御玉突所 と 展示室 に囲まれた小さな中庭
展示室 を出た廊下から中庭を通して 御玉突所 方向を見る。
上の写真右側の 渡り廊下 を進み
渡り廊下 の窓から、上と同じ 小さな中庭 を見る。
同じ窓から左手を見返す 展示室 ( 二つ上の写真を撮った窓 ) を見る。
渡り廊下 の反対側の窓から 上図左の大きな方の中庭 を通して 表御食堂 ( 画像左端 ) を見る。
同じ窓から右手を見返し前回中庭を見た 休憩所 前の 縁側 を見る。
渡り廊下 を進み
表御食堂 ( 大正期大規模増築部 )
右手の 表御食堂 を見る。
表御食堂 は天皇陛下が臣下や来客と食事をした部屋。壁と天井は和風ですが、床は洋風の 寄木貼り。
照明器具は 休憩所 のものよりかなりゴージャスな感じです。
表御食堂 と 御玉突所 の間の廊下の窓から、小さな中庭を通して 展示室 方向を見る。
御玉突所 ( 大正期大規模増築部 )
当時の皇室にとってのビリヤードは、娯楽と言うよりは諸外国との交遊を目的とした嗜みの一つだったようです。
壁と天井は和風ですが、床は洋風の 寄木貼り。
台はポケットの無い四ツ玉用。
廊下の壁に設置されたボタン? 恐らく照明のスイッチだと思います。
謁見所 隣の 前室 前の 縁側 ( 大正期大規模増築部 )
前室 から 謁見所 を見る ( 大正期大規模増築部 )
謁見所 ( 大正期大規模増築部 )
天皇陛下が公式の来客と面会する為の部屋です。
床の間
書院
床の間 や 書院、天井は格式の高い 格天井 ですが、特別に豪華な装飾は有りません。
床も畳敷きの上に英国製の絨毯が敷かれています。
表御食堂 の照明器具と似ていますが、中央が少し違っています。
謁見所 から 御学問所 へ向かう 渡り廊下 に在る 手洗い+ 厠 ?
謁見所 から 御学問所 へ向かう 渡り廊下 から、見取り図で見ると 左上の小さな中庭 を見る。
写真奥は 表御食堂 前の廊下、向かって右側は 御玉突所。
重なり合う軒先が、なんとも美しい。
次回は 御座所 を中心に紹介します。
※ この記事の説明文は、「日光田母沢御用邸記念公園H.P」「Wikipedia」「日光東照宮・御朱印」などを参考にさせて頂きました。
- 2023/08/21(月) 18:29:00|
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東照宮 の見学を終え
東照宮法物館 のベンチで一息ついた後、まだ時間に余裕がっが有ったので、ホテルには戻らず、車で
田母沢御用邸 へ向かいました。
東京の自宅を出発 ⇒ 輪王寺 見学 ⇒ 明治の館 で昼食 ⇒ 東照宮 の見学 のスケジュールをこなすには、夕方まで掛かってしまうのではないかと思っていたので、田母沢御用邸 の見学は二日目に回そうと思っていました。
この日は朝から首都高の渋滞に巻き込まれなかった事、東照宮 の駐車場にスムーズに車を止められた事、明治の館 のNO1の整理券を全く並ばずにゲット出来た事、輪王寺 に観光客が殆ど居なかった事など、時間短縮に繋がる要素ばかりが重なり、田母沢御用邸 を見学する余裕が出来たのです。
東照宮 の駐車場から 田母沢御用邸 までは車なら10分と掛からず、徒歩でも20分程度で行けると思います。
地図の下部にある駐車場に車を止め、国道を渡って 田母沢御用邸 へ
日光田母沢御用邸 は1899年 ( 明治32年 )に、当時は皇太子だった 大正天皇 の御静養地として建てられた建物。
日光出身の銀行家 小林年保別邸 に、赤坂離宮・花御殿 の一部を移築した部分と新たに造営した部分を加え、その後も小規模な増改築を重ね1918年~1921年 ( 大正7~10年 ) の大規模な増改築を経て、現在の姿になっています。
日光田母沢御用邸記念公園H.P より 
研修室入口
戦後は博物館や宿泊施設、研修施設として利用され、修復・整備が行われた後に、2000年 ( 平成12年 ) からは 日光田母沢御用邸記念公園 として生まれ変わっています。
建築年 / 1899年 ( 明治32年 )
設計者 / 宮内省内匠寮 木子清敬
改修年 / 1921年 ( 大正10年 )
設計者 / 宮内省内匠寮 木子幸三郎
所在地 / 栃木県日光市本町8-27
重要文化財 / 2003年指定
御車寄 ( 赤坂離宮・花御殿増築部分 )
東宮御所-花御殿 に、明治22年に増築された 唐破風形式 の玄関 を移築したもの。
御車寄 で靴を脱ぎ、先ずは大きな広間の並ぶ 休憩所 + 展示室 のエリアへ
上の図左側の ■色の 明治期造営時新築部 です。
休憩所 ( 明治期造営時新築部 )
広い部屋が続いているので分かり難いかもしれませんが、天井高さは3mを超えていると思います。
室内は品良く美しい照明器具以外は、極力装飾を排したシンプルなデザイン。
中庭に面する 縁側 に出てみましょう。
縁側 から、中庭越しに見る奥座敷の絶妙の配置に見とれてしまいます。
どんなに才能溢れる設計者の手によるデザインだったとしても、何もないゼロからの状態から、頭の中や机上で想像するだけでは、このような絶妙な空間を創造するのは無理なのかもしれません。
何度も、何代もに渡って増改築を繰り返し、試行錯誤の末、この様な絶妙な配置が完成するものなのかも知れません。
正面奥 向かって左側 表御食堂 ( 大正期大規模増築部 )
正面奥 向かって右側3階建部分 御座所 ( 大赤坂離宮・花御殿部 )
御座所 は 赤坂離宮・花御殿 として使われていた 紀州徳川家江戸中屋敷 の一部
表御食堂 ( 大正期大規模増築部 )
視界に庇や板敷の床を意識して見ると更に美しくなり
更に引いて障子越しに見ると奥行きも感じられます。
金色の照明も品良く豪華です。
展示室
この辺りは 明治期造営時新築部 が 大正期大規模大規模増築部 を取り囲むようにして一体の部屋に改修されています。
写真右奥の明るい部分は、見取り図左端の 小さな中庭 を囲む廊下です。
表御食堂 ・御玉突所 に向かう 渡り廊下 へ続きます。
次回は 表御食堂 謁見所 御玉突所 などを紹介します。
※ この記事の説明文は、「日光田母沢御用邸記念公園H.P」「Wikipedia」「日光東照宮・御朱印」などを参考にさせて頂きました。
- 2023/08/18(金) 17:39:00|
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日光東照宮 の5回目は、
陽明門 を入った内側、
御本社 周りの建物を紹介します。
陽明門 を潜ると直ぐに、正面に ⑯ 唐門 と その後方には ⑰ 御本社 の屋根が見えます。
写真左側の 唐破風 を持つ門は ⑯ 唐門
⑯ 唐門 の後ろに見える 千鳥破風 の建物は ⑰ 御本社
御本社 は 拝殿・幣殿・本殿 の三つの部分から成り立っていて、
前面の屋根が見えている部分が 拝殿
最奥部の御本尊をお祀りしてある部分は 本殿
拝殿 と 本殿 を繋ぐ中間地点を 幣殿 と言います。
写真右端の建物は ⑬ 祈祷殿
⑯ 唐門 を正面から見る
唐門 は 日光東照宮 の 本殿 を守護する為の最終の門となります。
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 四方唐破風造り
屋根 / 銅瓦葺
国宝 ( 1951年指定 ) 重要文化財 ( 1953年指定 )
唐門 正月や例大祭以外の時期のみ解放される門で、普段は神職でも通ることは出来ません。
江戸時代では、勅使・幕臣・大名などの将軍に拝謁出来る程の身分高い者だけが潜ることが許されたそうです。
唐門 から左右に伸びる 玉垣 は総延長160m。 以前は 御本社 をロの字型に取り囲んで造られていましたが、現在は本殿の背後の塀は撤去され、コの字になっています。
塀全体に透かし彫りが施されている事から 透塀 ( すきべい ) とも言われています。
透塀 の 欄間部分 には鳥や植物の彫刻、腰羽目部分 はに水鳥や波の彫刻が飾られています。
この門の第一の特徴は、正面だけでなく、四方に 唐破風 が施された 四方唐破風造り
唐門 の柱には 地紋彫り の龍が彫られています。
左右の 唐破風 の頂部にも龍が乗っています。
正面 唐破風 の頂部には唐獅子 が見えます。
向かって左側の柱「降龍」 向かって右側の柱「昇龍」
左右の柱に施越された、地紋彫りの龍だけでなく
正面唐破風の下には 611体 もの彫刻が施されています。
こけらの彫物は、胡粉でコーティングされていて、金色とのコントラストに新鮮さを感じます。
( 胡粉とは 陽明門 の所でも紹介した貝をすり潰して作った白色の塗料 )
唐門 + 透塀 の後方に見える屋根は 御本社-拝殿
拝殿
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、平入り、正面千鳥破風・唐破風付向拝
屋根 / 銅瓦葺き、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
見えているのは 拝殿 の屋根だけで、後方の本殿は見えません。
手持ちの資料に 全体の断面図が有ったので紹介します。
本殿 石の間 ( 幣殿 ) 拝殿
御本社 は 拝殿・幣殿・本殿 の三つの部分から成り立っていて、
前面の屋根が見えている部分が 拝殿
最奥部の御本尊をお祀りしてある部分は 本殿
拝殿 と 本殿 を繋ぐ中間地点を 幣殿 と言います。
権現造り は 本殿 と 拝殿 を結合する 石の間 ( 幣殿 ) が特長であることから、石の間造り と呼ぶことも有るそうですが、東照宮 の 石の間 は、現在は畳敷きになっていました。
石の間 ( 幣殿 )
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、両下造り
屋根 / 銅瓦葺き
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
本殿
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、背面向拝付き
屋根 / 銅瓦葺き、入母屋屋根
御祭神 / 東照大権現 ( 徳川家康 ) 相殿 / 豊臣秀吉、源頼朝
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
勿論、本殿 の内部には入れません。拝殿 と 石の間 と呼ばれる幣殿 までなら参拝可能ですが、残念ながら撮影は禁止なので写真は有りません。
このアングルの 唐門 は散々撮影していましたが、誰も居なくなったのでもう一枚。
⑭ 神楽殿 前から、陽明門 越しに ⑫ 神興舎 を見る
⑫ 神興舎
陽明門 を入って 唐門 の前に立ち、左手に建つ神輿を収納する為の建物です。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 唐様 ( 禅宗様 ) + 和風 の「折衷様」
妻入、正面軒唐破風付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
説明文にある、唐破風 下に施された 家康 の干支である虎の彫刻が、長押の上部の彫刻は「鳳凰」や「鶴」。
欄間左側
欄間右側
⑫ 神興舎 に収められた 徳川家康 の神輿です。
陽明門 を挟んで、⑫ 神輿舎 の反対側に、ほぼ同じ大きさの ⑭ 神楽殿 が在ります。
写真左側が ⑬ 祈祷殿 右側が ⑭ 神楽殿
⑫ 神輿舎 ⑬ 祈祷殿 ⑭ 神楽殿 は反りのある 入母屋屋根 で規模も三間四方と同じなので、アップの写真だけだと見分けるのが難しいです。
⑬ 祈祷殿 ( 上社務所 )
創建年 / 1635年 ( 寛永12年 )
様式・型式 / 平入り、前面・背面 向拝付 ( 正面:1間・流れ向拝 )
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
創建当初は、輪王寺 の 護摩堂 として建てられました。
明治期に入り、神仏分離令 により、社務所として利用されています。社務所は既に存在していたので、それまでの社務所は 下社務所、この建物は 上社務所 と命名されました。
東照宮 を詳しく紹介するサイト「日光東照宮・御朱印」には、
「神楽殿 や神興舎 と比較すると若干、全体的に 唐様 ( 禅宗様 ) が強めになっている」
「中備え は 詰組 を用いながらも、間に 蟇股 を挿入れるなど、和風 の一面も醸す。」
「組物 は 禅宗様 の 尾垂木1本付き の 二手先斗栱 を用い、屋根は 入母屋造り、平入り、正面向拝 は流麗な色彩が施された1間の 流れ向拝。」
「柱の間を 頭貫・虹梁 を通し、向拝柱 に対して 海老虹梁 などの横架材を用いない。角柱上部には 金襴巻 を施す。」
と記されています。
⑬ 祈祷殿 の正面向拝下の彫刻
欄間中央には 蟇股。左右には波間を泳ぐ鯉の姿が見られます。
⑬ 祈祷殿 を側面から見ると、背面の 向拝 が分かります。
側面にも多くの彫刻が飾られていて、中でも鳥の彫刻が目立ちます。
端部の彫刻は牡丹。牡丹は平和の象徴らしいです。
左端 / 神楽殿 建物の間に見える / 御本社 右側 / 神興舎
有名な 眠り猫 は、上の写真 神興舎 の更に右側、奥院に向かう坂下門 前の 東廻廊 の 蟇股 に施されています。
小学校修学旅行の際に見ていたので、驚きはしませんでしたが、とても小さく目立たない彫刻です。
左 甚五郎 の作かどうかは、今もはっきりと分かっている訳では無いそうです。
坂下門 を潜って長い階段を登って 奥院 を見学しようと思いましたが、1/3位上ったところでギブアップ!
諦めて 坂下門 へ戻りながら、重なり合う東照宮境内建物群の屋根を撮影。
この後、鳴き龍 で知られる 日光輪王寺-薬師堂 も見学していますが、内部の撮影は禁止で、外観も良い写真が撮れなかったのでストリートビューから外観だけ。
日光輪王寺-薬師堂
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
再建年 / 1963~68年 ( 昭和38~43年 )、修繕年 / 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 平入り、向拝付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
御本尊 / 薬師如来像
鳴き龍作者 / 左甚五郎 か?
薬師堂 の前から 陽明門 と 鼓楼 を見る
※ 「日光東照宮⑤ 」の関連の記事の説明文は「日光東照宮・御朱印」「建築史 / オーム社」を参照・参考させて頂きました。
- 2023/08/14(月) 16:37:00|
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日光東照宮 の4回目は、 ⑪
陽明門 を紹介します。
先ずは、二の鳥居 を通しての正面遠景から
陽明門 ( 陽明門 の建つ地盤レベルより二段下のレベルから )
二の鳥居 の在るレベルから石階段を登り
鼓楼 と 鐘楼 の中間辺りから撮る
左右の入母屋屋根の建物は 廻廊

陽明門 前の石階段の下から正面見上げ
創建年 / 1617年 ( 元和 3年 )
棟梁 / 中井大和守正清
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、1973年 ( 昭和48年 )、2017年 ( 平成29年 )
棟梁 / 甲良豊後守宗弘
彫刻・色彩 / 狩野探幽
総指揮 / 南光坊天海
様式・型式 / 八脚・楼門、四面唐破風付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )、国宝 ( 1951年指定 )
現在の 陽明門 は、1636年に 三代将軍 徳川家光 によって大改修された際のものです。
陽明門 と言う名前は 京都御所 の12ある門のうち、東の門 ( 陽明門 ) の名を朝廷から頂いたもので、
「一日見ていても、飽きずに日が暮れてしまう程美しい」事から、別名で 日暮し門 とも呼ばれているのは有名な話。
陽明門 には、建築・彫刻・工芸・絵画 など 江戸文化の全てが詰め込まれていると言えるでしょう。
他に類を見ない、鮮やかで豪華賢覧な装飾を拡大して見てみましょう。
「金」と「黒」そして 龍馬 と 唐獅子 の彫刻に塗られた「白」の三色が基調になっています。
龍馬 や 唐獅子 等、508体もの美しい彫刻が 陽明門 を飾ります。
金色の 唐破風 の頂部を飾る 鬼瓦 にも、金に着色されています。
巴紋軒瓦 や 唐破風、棟の側面に 葵の御門 が施されています。よく探すと他にも 葵の御門 が見付けられます。
「東照大権現」と書かれた 勅額 ( ちょくがく ) の文字は 後水尾天皇 の書を元に造られています。
上下に二に列施された白く塗られた動物の彫刻は、
上列 は 龍 と 龍馬 で 下列 には 唐獅子 です。
上列の 頭貫 中央に施された 龍 の浮彫は、陽明門 の中央にあるので 目貫の龍 と呼ばれています。
目貫の龍 の左右に施されているのは 龍馬 。
下列の 頭貫 の先端に取付けられた 唐獅子 の上半身像は階段の下方向を見下ろすようです。
龍馬・唐獅子 共に、口を開けたものと閉じたものが並んでいるのは「阿吽」を表しているだと思います。
白の着色は、全て白色の胡粉で塗られていますが、江戸時代後期以降から塗られ始めたもので、それ以前は欅の素地を唐木風に色付けしてそうです。見た目の印象が今とはかなり違っていたかも知れません。
更に前へ
南東方向から見上げ
南西方向から見上げ
上の写真を拡大し、彫刻を上から調べてみました。
通路西側上部
縁 の 高欄 に施されているのは、唐子遊び ( 中国の子供が遊んでいる様子 ) を描いた彫刻。
組物拳鼻 にも 唐獅子 が施されています。
頭貫 の上、組物間 に施された人物の彫刻は 聖賢・仙人 。
頭貫 と 頭貫鼻 に施されているのも 唐獅子
通路中央上部
通路東側上部
正面 ( 南面 ) の軒下を見上げる
丸桁 を支える 組物 から突き出した 尾垂木 にも、霊獣 の彫刻が施されたています。
似ているので見分けはつき難いですが、上は 龍、下は 息 ( いき or そく ) の彫刻です。
こうして画像を拡大すると分かりますが、肉眼だと、下の 頭貫鼻 の 唐獅子とも見分けがつきません。
南東角の見上げ
南東角の詳細
上から 風鈴、隅尾垂木 ( 上・龍 ) ⇒ 隅尾垂木 ( 中・雲 ) ⇒ 隅尾垂木 ( 下・息 ) ⇒ 頭貫鼻 ( 龍馬 ) ⇒ 唐子遊び
南西角の見上げ
正面 ( 北側 ) の 唐獅子 は、階段の下方向を見ている。
中央の通路の左右の 脇の間 には、弓矢を帯びた 随身 と呼ばれる、警護と威儀を兼ねる近衛府の官人が、守護神として安置されています。
東側 脇の間 の 随身
西側 脇の間 の 随身
通路の天井を見上げると
北側の天井には 昇り龍
南側の天井には 降り龍 が描かれています。
龍の絵は、元は 狩野探幽 が描いたものとされていますが、昭和の大修理で 羽石光志 の複製画に、平成の大改修では、日光社寺文化財保存会の 澤田了司 技師の複製画に取り換えられています。
通路を通り抜け、門北側の 脇の間 は 狛犬 が護ります。
東側 脇の間 の 狛犬 ( 西側の 狛犬 は撮り忘れました )
北側面 の4本の柱のうち、通路脇の向かって右 ( 西 ) 側の柱だけは、地紋 ( グリ紋 ) が他とは上下が逆さに彫られています。
魔除けの逆柱
陽明門 を北西方向から見る
北西角詳細
北面にも、南面同様に 唐獅子 が並びますが、南面 ( 正面 ) の 唐獅子 が下を向いているのに対し、首をもたげています。
陽明門 を北東方向から見る
北東角詳細
記念撮影
- 2023/06/11(日) 16:39:00|
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日光東照宮 の3回目は、⑧
二の鳥居 ( 唐銅鳥居 ) と
二の鳥居 前後からから見た
陽明門 の風景。
そして、⑨ 鼓楼 と ⑩ 鐘楼 を紹介します。
三猿 で知られる 神厩舎 前から、振り返って 石階段 の上の 陽明門 を見る。
左端に ⑧二の鳥居、右端に 上神庫 が見えています。
陽明門 遠景。左端に在るのは ⑨ 鼓楼。
⑧ 二の鳥居 を通して 陽明門 を見る。
向かって左が ⑨ 鼓楼、右が ⑩ 鐘楼。
左右二つの塔が 陽明門 とその後ろの 本殿 を護っているようです。
ここからのアングルが、一番絵になる気がします。
⑧ 二の鳥居 ( 唐銅鳥居 )
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
奉納者は 三代将軍 徳川家光
日本で造られた初の青銅製の鳥居で、高さは約6mあります。
⑨ 鼓楼
創建年 / 1635年 ( 寛永12年 )
様式・型式 / 楼閣造り、袴腰形式
屋根 / 銅瓦葺、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
⑨ 鼓楼 とはその名の通り、太鼓を収納しておく為の建物です。
⑨ 鼓楼 と ⑩ 鐘楼 の共通の特徴は、豪華賢覧で煌びやかな装飾や、楼閣建築 の特徴の一つである 袴腰 は勿論、四隅の軒裏にも有ります。
⑨ 鼓楼 の右奥に在るのは 薬師堂
薬師堂 前から 陽明門 と ⑨ 鼓楼 を見る
五重塔 の所でも触れましたが、社寺建築 では主流である、垂木を真っすぐ平行に配する 平行垂木 - 和様 ではなく、垂木を放射状に配した 隅扇垂木 - 唐様 を用いています。
⑨ 鼓楼 に寄り添うように配された 八角形の建物も気になります。
オランダ燈籠 ( シャンデリア釣燈籠 ) 覆屋
日本との貿易を独占しようと、オランダが親善を兼ねて 徳川家康 の霊廟である 東照宮 に奉献したものの一つ。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 八角円堂
屋根 / 銅瓦葺き
⑩ 鐘楼
⑨ 鼓楼 と殆ど同じ形状ですが、撞木 ( しゅもく ) とよばれる 鐘つき棒 と棒を振る為の開口が有るか無いかで見分けるそうですが、確認出来ませんでした。
輪王寺 大猷院 の 鐘楼・鼓楼 とも立面は酷似していますが、大猷院 の物は、周り縁 を支える 斗組 ( ますぐみ ) が黒一色だったのに対し、こちらは色とりどりの着色です。
陽明門 向かって右側の 廻廊 と ⑩ 鐘楼
廻廊
朝鮮鐘 ( 鐘楼側 )⑩ 鐘楼 と ⑨ 鼓楼 の間には、オランダ燈籠 の他にも 左右に一個づつの銅製の鐘が有ります。
1643年 ( 寛永20年 ) に、後の 四代将軍徳川家綱 の誕生を祝して 朝鮮通信使 により贈られたものです。
朝鮮鐘 ( 鼓楼側 )
四角に飾られた動物の装飾は 獏 だそうです。
- 2023/05/30(火) 11:11:00|
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日光東照宮 の2回目も、表門 から 中鳥居 のあるレベルに建つ建物を紹介します。
先ずは 上神庫 の妻面の向にに在る

⑤ 神厩舎 ( しんきゅうしゃ )
東照宮 の境内唯一の 素木造り の建物なので、つい通り過ぎてしまいそうな地味な印象の建物ですが、ご覧の様に人だかりが出来ています。
創建年 / 1636年 ( 元和3年 )
様式・型式 / 素木造、前切妻-流造
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
流造 の形状が分かる全景を撮っていなかったのでストリートビューから
神厩舎 とは 神馬 ( しんめ ) と呼ばれる神に仕える馬の家のこと。
ただ、実際にこの場所で 神馬 が生活して居た訳では無く、実際の馬小屋は別に在ったらしいです。
向かって左側の土間部分が 馬立場 ( うまたてば ) と呼ばれる馬の為の空間で、右側の 濡れ縁 の在る部分は畳敷きで、馬を扱う武士の為の詰所です。

しかし、この質素な造りの建物に観光客が集まっているのは、神厩舎 を見る為と言うよりは 三猿 ( さんざる ) と呼ばれる猿の彫刻を見る為でしょう。
三猿 をとは、猿の一生をもって人間の生涯を風刺した、8面の彫刻の中の一つで、子供を悪事から遠ざけるべきこと教える「見ざる言わざる聞かざる」のこと。
長押の上部に飾られた猿の彫刻は、正面妻壁に5面、西側桁壁に3面あり、全部で16匹の猿の生涯が描かれています。
正面妻壁の5面の彫刻
西側桁壁の3面の彫刻
「赤子の時期」 親猿が子供の将来を見つめる ( 妻壁左端 )
手をかざし、遠くのビワの実と朱色の雲を見る母猿は、「バラ色で実り豊か」な子供の未来を表現しています。
「幼少の時期」見ざる言わざる聞かざる - 三猿 ( 妻壁左から2番目 )
子供のうちは、純真で周囲の影響を受けやすいので、世の中の悪事は見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良い物だけを与えよ。この時期に、良いものを身に付けて置けば、悪いものに触れても正しい判断が出来る。
「青年の時期」 一匹の座った猿 ( 妻壁左から3番目 )
孤独に耐えつつも、将来を考えている。未だ立ってはいないが、やがて立ち上がれば「自立・一人立ち」する。
「大人の時期」青雲の志 ( 妻壁左から4番目 )
希望をもって上を見上げる青春期のイメージ。
「青雲の志」を抱いた若い猿。
御遺訓に言う「上を見な・身の程を知れ」
「大人の時期」仕事の悩み ( 妻壁左から5番目 )
左側の二匹の猿は、岩の上に居る。下を向く猿の背中にもう一匹が手を当てて慰め、または励ましている様子。
「大人の時期」結婚の悩み ( 桁壁左端 )
右側の座って正面を凝視している猿は、結婚の決心を固めているが、左側の猿は決断を迫られ迷っている様子。
「大人の時期」パートナーを得る ( 桁壁左から2番目 )
腕組みをして波にもまれる猿に、頭上に赤い雲のかかった右側の猿が、長い腕を差し出している。
二人で力を合わせれば「人生の荒波」も乗り越えられる。
「大人の時期」親になる ( 桁壁左から3番目 )
結婚した二人が協力して荒波を乗り越え、平安な家庭環境を整え、子宝に恵まれ、子供が生まれれば、親となり、最初の面の子育てへと辿る事となり、永遠の生命が受け継がれていく。
⑥ 御水舎
三本一対の白御影石の角柱を四隅に配し、唐破風造 の重そうな屋根を支えています。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 十二脚、妻入-唐破風造
屋根 / 銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
御水舎 の向かって右隣り、上神庫 の向に在るのが
⑦ 輪蔵 ( 経蔵 )
経蔵 とは、経典を収納する為の蔵の事で、別名で 輪蔵 と呼ばれるのは、8角系の回転式の本棚が設置されていたからだそうです。
回転式の本棚が設置されていたから、平面が正方形なんですね。
経蔵 の内部には、この様な本棚を考案した 傳大士の親子の像 が安置されていて、子供の方の像が笑顔を浮かべていることから、 笑い堂 とも呼ばれているそうです。
輪蔵 には仏教の聖典が収められていたと言われていますが、本来なら 経蔵 は、寺院の境内にある施設の筈ですが、神仏習合 の名残りだそうです。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 重層方形造、一重もこし付
屋根 / 銅瓦葺 方形屋根
重要文化財 / 1908年指定
裳階 ( もこし ) があるので二階建てに見えますが、内部に2階部分の床は無く、1階建ての建物です。
裳階 ( もこし ) がは寺院建築ではよく見られる建築様式で、雨除けの為だけてなく、建物を豪華に見せる役割も果たしています。
- 2023/05/26(金) 15:42:00|
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早目の昼食を
明治の館 でとり、午後は50年振りの
東照宮 を見学します。
①表門
東照宮拝観券受付所 でチケットを購入し、最初の階段を登って 表門 へ
日光東照宮 表門 は、神社にも関わらず 仁王像 が護っています。
その為、創建当時は 仁王門 と呼ばれていたそうです。
「神仏分離令」により、明治4年に一時 輪王寺大猷院 に移されていましたが、明治30年に戻されています。
1636年 ( 元和3年 ) に三代将軍の 徳川家光 が行なった 東照宮再建 の際に建てられました。
阿形 ( 向かって右側 )
吽形 ( 向かって左側 )
境内側は 唐獅子 が護っています。
創建年 / 1636年 ( 元和3年 )
様式・型式 / 八脚門
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化財 ( 1908年指定 )
阿形の唐獅子 ( 向かって右側 )
吽形の唐獅子 ( 向かって左側 )
表門 の四角を護るのは聖獣 獏。
通路の四隅にも 金色に塗られた 獏
獏 は邪気を祓い、邪気を食べる聖獣と言われています。
軒の上の白っぽい動物の彫刻は ヒョウ。
花の様な彫刻は 牡丹 でしょうか?
表門 を潜って直ぐ左側には、赤い木塀に沿って燈籠が並んでいます。
①表門 を潜って右側には ②下神庫、正面には ③中神庫 、中神庫 の左隣には ④上神庫 が並びます。
3棟の 神庫 を総称して 三神庫 と呼ばれています。
神社の宝物を納める為の倉庫で、通常は 宝物殿 と呼ばれる建物。
②下神庫
下神庫 は工事中でシートが掛かっていたのでストリトビューから
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
向かって左側が ③中神庫 、右側が ②下神庫
この画像もストリートビューから
向かって左側が ④上神庫 、右側が ③中神庫
③中神庫
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重、向拝付
屋根 / 銅瓦葺き-入母屋屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
④上神庫 の左に 銅鳥居 と 輪蔵 が見えます。
中紳庫 は 入母屋屋根 ですが、この 上神庫 と 下神庫 は 切妻屋根。
上神庫 のこの面だけが、参道に面して 妻面 を見せた配置となり、派手な装飾が施されています。
葵の御門 の施された金色の 破風 や 下魚 も鮮やかですが、狩野探幽 が下絵を描いた向かい合う二頭の像の彫刻は 想像の像 と呼ばれ、三猿 や 眠り猫 と共に 東照宮 の見所の一つです。
このアングルだと、2個目の階段の上に 鼓楼 と僅かに 陽明門 も
石階段の上に 陽明門 と 鐘楼 が見えます。
上神庫 右奥が 中神庫
上神庫 の妻部詳細
上神庫
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重、向拝付
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
三神庫 は 外壁を木材を井桁に組んで積み上げて造る 東大寺-正倉院 に代表される 校倉造 で建てられています。
- 2023/05/25(木) 10:50:00|
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90分程掛けて
輪王寺大猷院 の見学を終え、ランチの整理券1番をゲットしてある
明治の館 へ向かう途中、まだ少し時間に余裕が有ったので
日光二荒山神社 の境内を、やや急ぎ足で散策して来ました。
二荒山神社 の 大鳥居 は大猷院 常行堂 の前に在り、二荒山神社 へと続く階段に続いています。
二荒山神社 大鳥居 ( 別名:良い縁鳥居 )
二荒山神社 は縁結びの神様である 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) を祀っていることから、西参道の富士観光センター方面に続く緩い坂道は 良い縁坂 と呼ばれ、この 大鳥居 は 良い縁坂 の終着点に在ることから 良い縁鳥居 とも呼ばれています。
鳥居に向かって左側の、鳥居の足元には 良い縁打ち出の小槌、右下には むすび大国 が置かれています。
階段の途中 ( 写真に写っていない右側 )に、縁結びの御神木 も有ったみたいです。
写真を撮り忘れたのでストリートビューから
杉 に 楢 が宿り木として生えているので「スギ ナラ ば一緒に」という事らしいです。駄洒落なんですね。
神門
木造・四脚・切妻屋根 / 昭和52年建立
神門 から覗き見えているのは 拝殿
拝殿
神門 を潜ると、正面に間口5間大きな構えの 拝殿 が在ります。
素人目には、神社と言うよりは寺院の様な雰囲気です。
拝殿 前に置かれた金色の像は 良い縁うさぎ
創建年 / 1619年
再建年 / 1645年 ( 正保2年 )
様式・型式 /
屋根 / 銅瓦葺き-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
神門 から境内に入って左側には、手水舎 と神楽殿 が在ります。
手水舎 ・ 良い縁うさぎ ・ 神楽殿
手水舎
屋根 / 銅板葺き- ( 反り有り ) 切妻屋根
神楽殿
屋根 / 銅板葺き- ( 反り有り ) 入母屋屋根
神楽殿 の右側に写っている 神苑拝観受付 より奥がが有料の 神苑エリア 。
今回は時間が無いので 神苑エリア の見学は諦め、無料エリアのみの見学です。
神苑エリア には 本殿 も含め、見どころが沢山在り、見学出来ないのは残念です。
昨年9月、二荒山神社 の新しい名物として登場したのが
良い縁うさぎ
両手で持っているのは幸福と成功をもたらすと言われるラピスラズリと言う鉱石で、勝道上人 が 男体山 山頂に神を祀って1240年を記念したもの。
古事記の「因幡の白うさぎ」の中で、大國主命 と 八上姫 の縁を結んだとされています。
二荒山神社 には、縁結びにちなんだ御神木が彼方此方に
神門 を潜って右側の二本の杉の大木は
夫婦杉
主祭神の 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) は 縁結びの神様。
妃神の 田心姫命 ( たごりひめのみこと ) も祀られています。
親子杉
根を一つにした三本杉の御神木。
主祭神の 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) と、妃神の 田心姫命 ( たごりひめのみこと ) の他に子供の神様である 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)も祀られています。
社務所
二荒山神社 の建物は、朱色の着色 が基本の様です。
輪王寺 大猷院 を見学する前に見た 楼門 を潜って 東照宮 に向かいます。
※ この記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「読売新聞オンライン-2022.09.01」「トラベルJP」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/15(月) 18:46:00|
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輪王寺・大猷院 の四回目は、いよいよ 唐門 から 拝殿・本殿、皇嘉門 のエリアに入ります。

拝殿 の内部は見学は出来ますが撮影は禁止、勿論
本殿 の内部は非公開です。
唐門
この写真だと、門と言うよりも、お堂の入口の様に見えます。
唐門 + 袖塀 と後ろの 拝殿・相の間・本殿 とは、一体の建物ではありません。
袖塀 は 正面だけでなく、拝殿・相の間・本殿 の四方を、ぐるりと囲んでいます。
ここまで見て来た3つの門と比べると、小さな門と言えますが、一段と精密な彫刻と惜しみなく使われた 金の透かし彫り飾り が輝く 黄金の門 です。
金の材質や加工技術は 東照宮 を超えるとも言われているそうです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 二脚門
屋根 / 向唐門唐破風付
重要文化財 ( 1908年指定 )
豪華な金細工の合間に施された繊細な彫刻。
軒の直ぐ下には左右に鶴。マグサの上には白い竜の彫刻が飾られています
唐門 を入った所で靴を脱ぎ、拝殿 で参拝出来ます。
拝殿 内の撮影は禁止来なので、パンフレットから
拝殿 正面の軒を伸ばした 向拝 を横から見る
拝殿 横の 皇嘉門 へ続く通路
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 権現造り
屋根 / 向唐門唐破風付
重要文化財 ( 1908年指定 )
拝殿 出角部の彫刻
寺社建築 で良く見る 周り縁 ( お堂周りの外廊下の部分 ) は、通常は束立ですが、ここ 輪王寺・大猷院 では 斗組 ( ますぐみ ) で支えられています。
通路を進み、相の間 と 本殿 を見る
本殿 は 三間四方、屋根の下にもう一段の屋根を設ける 一重もこし付 の 禅宗様仏殿風建築 です。
学生時代に買った手持ちの資料に、立面図が載っていました。
通路の突き当りの右の門を出ると 皇嘉門
通路の右側の木塀は、唐門 両脇から繋がる 袖塀 の続きです。
袖塀 の内側は、装飾も着彩い地味な仕上げです。
突き当りから、通路を見返す。
この門の正面が、いよいよ 皇嘉門 です。
皇嘉門
皇嘉門 は 三代将軍徳川家光 の墓所である 大猷院 奥院 への入口。
中国明朝建築 の 竜宮造り で、別名 竜宮門 とも言われています。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 竜宮造り、楼門造り
屋根 / 銅板葺き 切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
入口でもらったパンフレットの表紙
奥院 も非公開なので、ここから引き返します。
通って来た通路ではなく、袖塀 の外側の通路を通って 唐門 前に戻ります。
袖塀 は本堂側とは打って変わって、彫刻 や着彩で飾られています。
夜叉門 と 唐門 の間の、沢山の燈籠が並ぶ広場に戻って来ました。
唐門 の前と
夜叉門 の前での記念撮影もお忘れなく。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/11(木) 16:00:00|
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輪王寺・大猷院 の三回目は、夜叉門 前後のエリアを紹介します。
二天門 から
夜叉門 へ至る長い石階段を登ると、踊り場の辺りから
鐘楼 と
鼓楼 に挟まれて
夜叉門 が見えて来ます。

向かって左側が 鼓楼、中央が 夜叉門、右側が 鐘楼 です。
夜叉門
出来ればこの位置から、左右の 鼓楼 と 鐘楼 も同じフレームに収めたかったのですが、レンズを広角に変えてもこれが精一杯。
スマホで撮ってもほぼ同じでした。
夜叉門 の 斗組 ( ますぐみ ) は、金色の着色。
軒裏部分は、主に朱色と金色の塗装がされた木部に金細工も施されています。
中央のむくり部分には 唐獅子 の彫刻が見られます。
徳川家の葵の御門が施された、金色の破風は眩いばかりです。
斗組 の間には牡丹の彫刻も見られます。
夜叉門 は 三代将軍 徳川家光 の霊廟を守護する為に建てられた門。
左右に連なる側廊、そして鼓楼・鐘楼 を含めたこの景観は、重要文化財 及び 世界文化遺産 に指定されるに相応しいものです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・形式 / 八脚門
屋根 / 表裏軒唐破風付 切妻屋根、銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
三棟一緒は無理なので、せめて 鼓楼 と 夜叉門 をフレームイン
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・形式 / 楼閣造り、はかま腰形式
屋根 / 入母屋、銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
鼓楼
夜叉門 に向かって左側に建つ 楼閣。
その名の通り太鼓を収納しておく建物です。
鐘楼 はよく聞きますが、鼓楼 は聞いたことがありませんでした。
鼓楼・鐘楼 共に、袴の様に下層の裾の広がった 袴腰形式 。
袴腰形式 は、法隆寺東院鐘楼 にも見られる形式で、中世以降の 鐘楼建築 の主流となった形式です。
鐘楼
黒漆の垂木に、色とりどりのに着色された 斗組 ( ますぐみ ) の取り合わせは 夜叉門 ではなく 二天門 に近いデザインです。
袴腰 の上、手摺の在る 周り縁 を支える 斗組 ( ますぐみ ) には、 夜叉門 とは異なり、黒漆だけで金の縁取りがなく目立ちません。金の縁取りが有るか無いかでかなり印象が違うようです。
夜叉門 に戻ります。
仁王門 、二天門 そして 鼓楼・鐘楼 とも異なり、垂木には黒漆ではなく、朱色が塗られています。
夜叉門 には 家光 を始め、歴代の徳川家の将軍達が眠る 大猷院 を守護する4体の 夜叉像 - 四夜叉像 が安置されています。
毘陀羅 ( ひだら )
阿跋摩羅 ( あばつまら )
犍陀羅 ( けんだら )
鳥摩勒伽 ( うまろきゃ )
夜叉門 を潜ります。
夜叉門 には、牡丹の花模様 と 唐草模様 の彫刻が彫られており、別名 牡丹門 とも言われています。
唐門 の前から 夜叉門 を見る。
内側も外側と同じデザインに見えます。
夜叉門 の周りの多くの燈籠は、江戸時代の大名達が奉納したもの。
平日とは言え、既に11時近くになっています。
大河ドラマの影響で「徳川ブーム」だと聞いていたので、こんなにゆったりと見学出来るとは思いませんでした。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/11(木) 10:56:00|
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輪王寺・大猷院 の二回目は、前回紹介した 仁王門 を潜り、 二天門 前後のエリアを紹介します。
仁王門 を潜り境内へ入ります。
御水舎
仁王門 を潜ると正面に在るのが、この 御水舎 です。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 十二脚
屋根 / 銅瓦葺、前後軒唐破風付 切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
黒漆に金細工を施した華麗で豪華な屋根は、手水舎 の屋根としては少し重々しく見えます。
三本一対の白御影石の角柱を四隅に配し、その重そうな屋根を支えています。
普通は 手水舎 と呼ばれる手や口を洗い清める場所ですが、ここ 輪王寺 大猷院 では 御水舎 と呼ばれています。
水は背後の岩場から湧き出る聖水を集め、龍の口から流れ出したもの。
上の写真を龍を拡大
こちらの方は何方でしょう?
仁王門 を潜って左側には
宝庫
その名の通り 大猷院 に伝わる宝物が保管されています。
普通の寺社建築なら、この建物の装飾だけでも見る価値がありそうです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 校倉造
屋根 / 銅瓦葺、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
御水舎 の前から 二天門 を見る。
2つ上の写真の右奥を見る。
輪王寺 大猷院 龍光院 へ続く石灯籠の並ぶ石畳の通路
立ち入り禁止なので、ここより奥には入れません。
二天門
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 八脚楼門
屋根 / 銅瓦葺、前後軒唐破風付 入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
上部の軒桁を支える 斗組 ( ますぐみ ) は、緑・青・朱等の色とりどりに着色され、下部の回廊を支える 斗組 は黒漆に金の縁取りがされた、やや落ち着いた塗装です。
この門には186個もの彫刻で飾られているそうですが、とても数え切れません。
四角の 枓栱 ( ときょう ) に施された彫刻や着色は一段と目を引きます。
持国天
増長天
雷神
風神
風神・雷神象 は傷みが激しかったことから、2019年の改修時に 宝物殿 で補修塗装が施され、そのまま 宝物殿 に展示されてり、この 風神・雷神象 はレプリカだそうです。
二天門 を潜ると、左と正面は苔の生えた石垣で塞がれ、左手には燈籠、右には直ぐに石階段があります。
足元には 幡の礎石 と言われる半球常の石が有ります。
門を潜ってからの見返し。正面と同じデザインです。
石段を登ります。
石階段は20段程上ると踊り場が在り、左に90度曲がります。
その踊り場辺りから、振り返って 二天門 を見返す。
側面の意匠もきらびやかです。
下から見上げた 二天門 はかなり雰囲気が違って見えます。
踊り場から 輪王寺 大猷院 龍光院 を見る。
踊場から、更に数段石段を上がった所から、もう一度 二天門 を見る。
振り返れば、長い石段の上に 夜叉門 が見えます。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/09(火) 18:03:00|
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日光の世界遺産と言えば、何と言っても 徳川家康 を祀る 日光東照宮 が有名でしょう。
私が小学校の修学旅行の行先は日光でしたが、日光東照宮 ( 特に 陽明門 や 眠り猫 ) は覚えていますが、輪王寺 を知ったのは割と最近の事で修学旅行の時に、輪王寺 を見学したかどうかも覚えていません。

これから紹介する 輪王寺・大猷院 は、三代将軍徳川家光 の霊廟であり、東照宮 に隣接し、東照宮 と見紛う程の豪華絢爛な装飾が施され、世界遺産 であるにも関わらず、東照宮 と比べると訪れる人は少ないのが不思議な気がします。
輪王寺・大猷院 の最大の見所は、仁王門、二天門、夜叉門、唐門、皇嘉門 の5つの門。
東照宮 とは趣が違うらしいので、じっくりと見学したいと思います。
先ずは、最初の門である 仁王門 の手前に在る二棟の御堂から。
常行堂 
右奥に 法華堂 が見えています。
日光山の開山 は8世紀後半。
この地で修業を重ね括約した 勝道上人 が、766年 ( 天平神護2年 ) に、現在 神橋 の在る川岸に 草庵 を建て、修行中に紫の雲がたなびく石 ( 紫雲石 ) の近くに 紫雲龍寺 ( 現 四本龍寺 ) を創建したのが 日光山の開山 と言われてるそうです。
829年~833年 ( 天長6年~10,年 ) には、円人 ( 慈覚大師 ) が入山し、天台密教 を布教します。
その影響を受けて創建したのが 日光山輪王寺・常行堂 です。
現存する 常行堂 は、1649年 ( 慶安2年 ) に再建されたものです。
今回は内部の見学はしていませんが、創建時の様式を残すように意識して再建したそうです。
創建年 / 848年 ( 嘉祥元年 )
再建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 和洋、向拝付 宝形屋根
屋根 / 銅板葺き-宝形屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
常行堂 と 法華堂 を繋ぐ 渡廊
円仁 は 比叡山延暦寺・にない堂 を模して、阿弥陀如来 を本尊とする 常行堂 と 普賢菩薩 を本尊とする 法華堂 の2棟の御堂を 渡郎 で繋ぐことにより「 法華と念仏が一体である と言う比叡山の教えを体現した」と言われています。
創建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 前後軒唐破風付 切妻屋根
屋根 / 銅板葺き-切妻屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
法華堂
法華堂 の 法華 とは、仏の周りを歩いたり座禅をしたりする「法華三昧」と言う修行をするお堂であることから名付けられました。
創建年 / 1100年代 ( 平安時代後期 )
再建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 唐様 ( 禅宗様 )、向拝付 宝形屋根
屋根 / 銅板葺き-宝形屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
常行堂 と 法華堂 の 建築様式 は
常行堂 = 純和風
法華堂 = 純唐様 ( 禅宗様 ) と記しました。
「法華堂 の造りは、屋根に強い反りのある 純唐様 ( 禅宗様 ) 」と記された資料がありましたが、外観からはどちらの御堂も反りがあり、私には違いが分かりませんでした。
ここまでは無料見学出来るところでしたが、以降は有料のエリアに入ります。

仁王門
仁王門 を潜る前に、この辺りの燈籠や石橋や石垣と、それに生える苔を撮ってみました。
⇑ この画像は、階段を上がり 仁王門 を潜って右側
いよいよ 仁王門 に至る、最初の石段を登ります。
仁王門
仁王門 は 日光輪王寺・大猷院 の正門で、1653年の 大猷院 造営の際に建てられました。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 八脚門
屋根 / 両妻流破風造り・銅瓦葺き
重要文化財
門を潜ると、左右の 仁王像 が出迎えてくれます。
左右2体の 仁王像 が置かれていることから、仁王門 と呼ばれています。
密迹金剛力士 ( みっしゃくこんごうりきし )
向かって右側は、口を開けた 阿形 の 仁王像
那羅延金剛力士 ( ならえんこんごうりきし )
向かって左側は、口を開けた 吽形 の 仁王像

まさに「阿吽の呼吸」で門を守っています。
軒桁より下部は、朱色を基調とし
垂木等の軒裏部は、黒漆の黒を基調に金飾りが施されています。
各柱の頭部を守る、金に塗られた獅子の彫刻が眩しいです。
軒桁の上の 蟇股 に彫られているのは、何の彫刻でしょうか?
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/08(月) 17:43:00|
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直ぐにで階段を登って
東照宮 を見学したいところですが、昼食までにそれほど時間が無いので昼食後にたっぷり見学することにします。
先ずは 五重塔 と 東照宮拝観券受付所 の間の 日光二荒山神社 へ通ずる 上神道 を通って 輪王寺 大猷院 へ向かいます。
上新道 ( うわしんみち )
上新道 は 石鳥居と表門の広場 から 日光二荒山神社 楼門 へ通づる約200m程の道で、例大祭の際には神輿が通る神聖な道です。
37の燈籠は古いものではなく、1966年の 日光東照宮350年記念祭 の際に奉納されたものだそうです。
道の両側に樹勢する杉の大木も、神聖なる道の雰囲気を造ります。
石垣を覆う苔も同様です。
塀越しに見えるのは 東照宮境内 日光輪王寺薬師堂 の屋根でしょうか?
日光東照宮陽明門 や 輪王寺 の拝観を前に、逸る気持ちを盛り上げる最高のプロローグです。
日光二荒山神社 楼門
この門を潜ると 日光二荒山神社 の境内ですが、日光二荒山神社 の見学は後にして、門は潜らずに左に曲がり、駐車場を通り抜けて 輪王寺大猷院 へ向かいます。
- 2023/05/04(木) 12:12:00|
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明治の館 から車を止めた駐車場を抜け、武徳殿 へ至る階段を登り、武徳殿~日光宝物館 の横を通って道幅の広い 東照宮正面の参道 へ出ます。
石鳥居 ( 一の鳥居 )
一の鳥居 を通して 表門 が見えて来ました。
一の鳥居 を潜り、直ぐ左手をみると
日光東照宮 五重塔
日光東照宮 五重塔 は 36m 東日本で最高、日本全体では6番目の高さを誇ります。
現在の 五重塔 は、1818年 ( 文政元年 ) に、若狭小浜藩第十代藩主-酒井忠進 の寄進によるもので、初代の塔は、1650年 ( 慶安3年 ) に、当時4代将軍家綱の時代に大老でもあった、若狭小浜藩初代藩主-酒井忠勝 の寄進したのが始まりでした。
初代の塔は1815年 ( 文化12年 ) に落雷により焼失。
そこで、寺社奉行、京都所司代、老中を歴任した 酒井忠進 は、若狭小浜藩御用達の江戸神田の 大工-大久保喜平次 を棟梁とし、現在の 五重塔 を再建しています。
創建者 / 初代 - 酒井忠勝 再建 - 酒井忠進
棟梁 / 初代 - 再建 - 大久保喜平次
建築年 / 初代 - 1650年 再建 - 1818年
所在地 / 栃木県日光市山内2301
国指定重要文化財 ( 1908年 )
この断面図を見ても分かるように、塔の中心を貫く 心柱 と呼ばれる一本柱が、4層部分から吊り下げられています。
これは 懸垂式 と言う工法で 心柱 を振り子の様に左右に揺らすことで、地震時等に起こる振動を緩和する免震機能で、東京スカイツリーの 制振システム( 心柱制振 )にも応用されているそうです。
1層目から4層目までは垂木がまっすぐ平行に配された 平行垂木 - 和様。
5層目だけが垂木を放射状に配した 隅扇垂木 - 唐様 にしたのは、陽明門 の 逆さ柱 と同様に、「建物は完成したときから朽ち始める、完成していなければ崩壊は起こらない」と言う思想に基づくものと推測する人も居る様です。
ご覧の様に、軒下の垂木は密に施されている場合は 繁垂木 と呼び、反対に垂木の数が少ない場合は 疎ら垂木 と呼ぶそうです。
また、二重の垂木が屋根を支えていますが、内側の垂木は 地垂木、外側の垂木は 飛燕垂木 呼ぶそうです。
初層軒下の 蟇股 には、名工・後藤正秀 が手がけた十二支の彫刻が配されています。
- 2023/05/02(火) 12:30:00|
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3月31日 と 4月1日の二日間 、
日光~中禅寺湖~桐生 へ行って来ました。
車の運転はあまり好きではないので、東武線を利用しようかと思いましたが、グーグルマップを眺めているうちに、中禅寺湖 へ行くなら車の方が便利なうえに、神子内川~渡良瀬川 沿いの道をドライブしながら 足尾~桐生 に抜けるル-トが有ることを知り、車で出掛ける事にしました。
出発は当初7時を考えていましたが、友人に「年度末の週末は首都高が渋滞するのでは」とアドバイスされたので6時に変更。お陰様で首都高の渋滞に、ギリギリのタイミングで引っ掛かる事なく東京を出ることが出来ました。
東北自動車道 と 日光宇都宮道路 も渋滞することなく順調で、高速から見える桜を楽しみながら10時前には 日光 に到着しました。
先ずは、予約していたホテルで手続きを済ませつつ混雑等の情報を収集。
最近の 日光 は、外国人観光客が戻り、大河ドラマの影響で日本人観光客も押しかけていると聞いていたので、東照宮 近くの駐車場は既に混んでいるかもしれないと思っていました。
ホテルの駐車場に車を止めて置くつもりでいましたが、まだ混雑の様子は無かったので、車で 東照宮 近くの駐車場へ向かいました。予想通り 東照宮大駐車場 はガラガラでした。
駐車場から、ネットでの事前調査で、「是非ここで昼食を」と思っていたレストラン 明治の館 が見えたので、「10時から整理券の発券開始」と聞いていた発券機の位置を確認しておこうと、庭の掃除をするスタッフに声を掛けると「入口を入って右側です。もう大丈夫(発券している)ですよ」と教えてくれました。
10時からと聞いてたので驚きましたが、お陰様で1番の整理券をゲットすることが出来ました。
勿論、写真撮影も
明治の館
明治時代末期に 日本コロンビア の前身である 日本蓄音機商会 の創設者 F.W.ホーン の別荘として建てられました。
第2次世界大戦終戦時には、当時の外務大臣 重光葵 が一時疎開し、ここから降伏文書の調印式に向かったらしいです。
1978年 ( 昭和53年 ) に「西洋料理 明治の館」としてオープン。
2006年( 平成18年 )には 登録有形文化財 に指定されました。
設計者 / 不詳
建築年 / 明治末期
所在地 / 栃木県日光市山内2339-1
登録有形文化財 ( 2006年 )
この建物の特徴である石張りの外壁は、日光稲荷川産 の 日光石 を使用し、日光の石工 相ヶ瀬森次 により施工された 乱れ石積み 。
切妻 の左右に1本づつの煙突を持つ屋根は、銅板葺き か?
18世紀に流行した ジョージアン様式 の建物です。
上下の画像は逆光
ここで一度 明治の館 を離れて 輪王寺 へ向かいました。
ここまでの画像はスマホで撮影したものです。
この後の画像は昼食時に撮影したもので、陽射しの方向が変わり、デジカメで撮影しているので雰囲気が異なります。同じようアングルの画像ですがアップします。
レストラン内部
それ程豪華な内装とは言えませんが、味わいの生るレストランでした。
ネットで検索したランチメニューで一番人気の オムライス
デミグラスソースの海に浮かぶ、海老がたっぷり入ったフワフワ卵に包まれたチキンライスは絶品です。
- 2023/04/30(日) 15:20:00|
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山梨文化会館 の斜向かい。JR甲府駅北口前の
アシスト エンジニアニング よっちゃれぱ広場 内にある洋館です。
アシスト エンジニアニング よっちゃれぱ広場
甲府市藤村記念館 ( 旧睦沢学校校舎 )
睦沢学校 は明治8年に現在の甲斐市亀沢 ( 旧睦沢村 ) に建てられました。
昭和41年に 武田神社 境内に移築復元され、藤村記念館 として甲府市に寄贈され、平成22年に現在の場所に移転され、交流ガイダンス施設として生まれ変わっています。
この建物は 山梨県令藤村紫朗 が、積極的に奨励したとされる 擬洋風建築 と呼ばれていた様式で建てられています。
市内には明治初期とは思えぬほどの官舎・学校・商家などの洋風建築が建てられ、藤村式建築 と呼ばれているそうです。
設計者 / 不詳
建築年 / 1875年 ( 明治8年 )
所在地 / 山梨県甲府市北口2-2-1
国指定重要文化財 ( 1967年 )
山梨文化会館 の西側、アシスト エンジニアニング よっちゃれぱ広場 の北側に建つ図書館。
山梨県立図書館
設計者 / 久米設計
建築年 / 2012年
所在地 / 山梨県甲府市北口2-8-1
おまけ
中央高速から見た富士山。
何時も見ている、東京からの富士山や、東名高速や新幹線から見る富士山とは一味違う気がします。
- 2023/04/28(金) 11:38:00|
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一昨年 ( 2021年 ) の12月に山梨に私用で出掛けた時に、少し回り道をして撮影した
山梨文化会館 の画像を紹介します。
山梨文化会館
直径5mの16本の円柱が支える構造体は、この建物の外観デザイン上の特徴であり、1960年代の建築運動「メタボリズム」の思想を具体化させた数少ない モダニズム建築 と言えるでしょう。
設計者 / 丹下健三
建築年 / 1966年 ( 昭和41年 )
所在地 / 山梨県甲府市北口2-6-10
円柱は構造的な役割だけでなく、内部は螺旋階段、エレベーターシャフト、トイレ、空調設備等の機械室に充てられ、機能面でのコアスペースにもなっています。
コアとなる円柱と梁によって自由となった内部空間は、垂直と水平方向に移動可能な小さな立体都市を造り出しています。
黒川紀章 氏が設計した 中銀カプセルタワー が、そのコンセプト通りには新陳代謝を行えなかったのに対し、メタボリズム の思想そのままに、完成後も 山梨文化会館 はコンセプト通りに新陳代謝を繰り返し、6期に及ぶ改修工事を行います。
2000年に行われた第4期改修工事の際には、老朽化の進んだ外壁や手摺をアルミダイキャストに張り替え軽量化が図られています。
裏側に回って見ましょう。
香川県庁舎 を思わせる木造の梁組の様なデザインですが、山梨文化会館 の方が、遙かに重々しくゴツイ感じです。
シャフト・梁の詳細 / 石目調吹付け塗装
- 2023/04/26(水) 19:05:00|
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お土産を探して
箱根湯本駅前通りを、
環水楼 の在る温泉街に向かう途中で見付けた
モルタル造形 の建物。
正面から見た立面は左右非対称。
コ―ニス 迄届く オーダー柱 は向かって左側の角だけに施され、鈍角の角地に面する右側は、切り落とされた様に見えます。
右奥の裏側に回って見た立面。
建物の詳細は分かりませんが、ちもと のH.Pを見ると「箱根にのれんを出して約70年」と書かれているので、少なくとも戦後 ( 1945年 ) 以降に開店していることになります。
ただ、この建物の様な モルタル造形 の建てられたのは、殆どが関東大震災 ( 1923年 ) 以降~太平洋戦争開戦 ( 1941年 ) 前までが殆どですので、少し時期が合致しません。
竣工時は ちもと の店舗として建てられたのではないのかもしれません。
オーダ柱 とは言っても、それ程繊細なデザインでありません。
一応 アカンサス の様なので、 コリント式 なのだと思います。
簡略化した 歯飾り ( デンティル ) も施されています。
店舗と茶房の間には、更に簡略化された1階分の高さの 半円柱 が施されています。
設計者 / 不詳
建築年 / 昭和初期 ( ? )
所在地 / 神奈川県足柄下郡箱根町湯本690
- 2023/04/10(月) 09:45:00|
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環翠楼 の五回目 ( 最終回 ) は 階段・廊下・窓 などを紹介します。
玄関の写真を撮り忘れてしまったので、環翠楼のHP と 以前に撮影した画像から。
① 玄関玄関ポーチ
② 玄関ホール ( 2階 )
各階平面図
2階平面図
ここからは 階段・廊下 特集
③ 玄関玄関ホール前の階段
④ 2階廊下 右側が応接室
④
④ 廊下から廊下から応接室を見る
⑤
⑤
⑤ 2階廊下
⑥
⑦ メイン階段 ( 2階 )
⑧ メイン階段 ( 1~2階 踊り場 )
3階・4階平面図
⑨ メイン階段 ( 4階 ) 4階広間前ホール
⑩ メイン階段 ( 3~4階 踊り場 )
⑩ メイン階段 踊り場親柱
⑪ メイン階段 ( 3階 )
⑫ メイン階段 ( 2~3階 踊り場 )
⑬
⑭
味わいのあるガラスです。
- 2023/04/07(金) 08:00:00|
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環翠楼 の四回目は4階の大広間と各室を紹介します。
本館北棟は ( 大正8年 )、本館南棟は ( 大正13年 ) に建てられ、
国の登録有形文化財 です。
4階平面図
折り上げの格天井が目を引きます。
折り上げは一段ではなく二段施されています。①
下の段は天井と言うよりも、木部を現した塗り壁の真壁造りなので壁に含まれ、
上の段は下段では塗り壁の部分が天井面と同じ板張りなので天井に含まれた感じがします。
格天井も正方形の繰り返しでなく、中心部は八角形と正方形組み合せたデザインです。
② 床の間 も見事
左右の床柱は、黒褐色なのは同じでも、かなり形状が異なります。
床柱 の知識は乏しいので、樹種が異なるのか、加工が異なるかは分かりません。
③ 床脇
床脇 側の床柱は、原木の形状を活かして枝をざっと落とした感じ。
( 檜出節丸太 or ムロシャレ木 ? )
やや細めで上部は落し掛け迄。
天袋から、三段の 違い棚 を吊っています。
④ 書院
書院 側の床柱は太めの絞り丸太。
地袋と、背面と方側面には繊細なデザインの障子が施されています。
① 大正末期に 仙田菱畝 によって描かれたと言う襖絵も見事です。
⑤
万象閣
⑥ 万象閣 には舞台が在ります。
⑦
⑥ 万象閣 も折り上げの格天井ですが、 格天井 は長方形と三角形を組み合わせたデザインで、中心部ノミもう一段折り上げています。
2階平面図
⑪ 応接間
1階平面図
今回宿泊した ⑧ あじさい
1階で早川に面する部屋だったので、縁側から出て露天風呂にも直接行く事が出来ます。
⑨ 右側の竹垣の内側に樽風呂があります。
⑩ 庭に面して部屋風呂も付属しています。
⑫ レトロな洗面スペース
鏡に映った「キリンレモン」の文字を読ませようと、左右逆に書かれています。
⑬
次回は階段・廊下・窓などを紹介します。
- 2023/04/05(水) 14:04:00|
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環翠楼 の三回目は、離れ-洗心亭 と、早川を臨む 露天風呂 を紹介します。

宿泊したのが早川沿いの1階だったので、露天風呂へは専用の出入口を通らなくても、縁側から行き来する事も出来ます。
1階平面図
①
1階が専用の出入口
②
② 狭い通路を通り、階段を上がったり下がったり
昼間は足元が見えるので怖くありませんが、陽が落ちると明かりは足元灯だけしかないのでかなり暗いので慎重に歩く必要があります。
③
④ 洗心亭
⑤ 正面が 洗心亭、右の白壁は 露天風呂
⑤
⑤ 露天風呂
⑥
露天風呂からは早川の風景を満喫出来ます。
室内風呂 にも入りました。
⑦ 岩風呂
3階平面図
こちらは3階の ⑧ 家族風呂 です。
- 2023/04/03(月) 08:00:00|
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今回は
環翠楼 の近辺、
早川 の風景と、
早川 側から見た庭と
環翠楼 の近景を紹介します。
環翠楼 と 早川 沿いの遊歩道は、1階客室に面していて、部外者は入って来れないエリアなので、宿泊客は清流を満喫することが出来ます。

ラッパの様に上部が広がった 手摺の親柱 の天端には、まるで盆栽の寄せ植え様にコケやシダ類が植えられていて、各々に箱庭のような小世界を造り出しています。
次回は 離れ洗心亭 と 露天風呂 の在るエリアを紹介します。
- 2023/04/01(土) 08:00:00|
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昨年の11月に出掛けた時の画像です。
環翠楼 に宿泊したのは2012年12月以来、2回目となります。
10年前にも沢山撮影し、かなり詳しく紹介していますが、素晴らしい建に接すると、撮影せずにはいられないのは、建築好きの性の様です。
環翠楼 は箱根湯本駅から箱根登山鉄道に乗り替え、1駅目の塔ノ沢駅から数分歩くか、箱根湯本駅からバスかタクシーを利用しても10分足らず距離です。
先ずは外観から
箱根駅伝でもおなじみの国道一号線と早川の交わる好立地です。
国道一号側は交通量が多いことが気になりますが
エントランスは日本の木柱に支えられた入母屋屋根。
頭部にはむくりが、軒先には僅かに反りが見られます。
繊細な軒先の造りの割には、鬼飾りは重々しい感じがします。
早川側の風景は、国道の騒がしさを早川の流れの音がかき消してくれて、まるで別世界です。
樹木に隠れて外観が上手く撮れなかったので、環翠楼 のパンフレットから
国道一号側の棟と奥の棟では屋根の色と形状が異なっているのが分かります。
航空写真で見るとこんな感じです。
早川とは反対側の西側から見た屋根
どちらも銅板葺きなのではないかと思いますが、奥の棟は緑青が現れています。
緑青の屋根の方が少し繊細さを感じます。
銅は錆で赤や赤褐色になる事もありますが、ペイントなのかもしれません。
次回は早川の風景と早川側からの近景を紹介します。
- 2023/03/30(木) 11:56:00|
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途中、1年間の中断が有ったので、2021年秋に出掛けた際の
大阪散策 の紹介は、開始から1年4ヶ月も経過してしまいましたが、今回がついに最終回となります。
2021年秋の散策時に撮影した画像だけではなく、2012年や2015年に撮影した画像も紹介出来て良かったと思っています。
今回の画像も全て 2012年6月1日 ) に撮影したものです。
旧大丸心斎橋店本館
つまり2016年に行われた建替え以前の画像となります。
設計者 / ウィリアム・メレル・ヴォーリズ ( ヴォーリズ建築事務所 )
建築年 / 1922+1925+1933年 ( 大正11+大正14+昭和8年 )
所在地 / 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-7-1
この御堂筋側のファサードは、ネオ・ゴシック様式 に分類される事が多いですが、特に アメリカン・ゴシック・スタイル の好例と記された資料もあります。
心斎橋筋 側のファサードは、ネオ・ルネサンス様式 の筈なのですが、画像が有りません。多分アーケードが邪魔で撮れなかったのだと思います。
工事は、1期 / 心斎橋筋側南、2期 / 心斎橋筋側北、3期 / 御堂筋側 の三期に分けて行われました。
1945年の大阪大空襲の際に5階以上を焼失してしまいますが、戦後に復元。8階以上は後の増築です。
上層部と低層部のテラコッタの装飾が目を引きます。
内装のデザインは美しくゴージャスな アール・デコ様式。
天井や柱頭に施された 照明+ステンドグラス は一見の価値ありです。
時間があれば、もっと彼方此方見て歩きたかったのですが、新幹線の時間が迫っていたので諦めました。
2016年に行われた建て替え工事では、歴史的価値の高いこの旧館のデザインと共に風格のある街並みを継承する為、ヴォーリズ の設計が現存している御堂筋側と南北の大宝寺通側、清水町通側の4スパンの外壁を保存し、内部建物は解体され、地上11階建の新本館が建設されています。
解体時に採取・保存したパーツには洗浄・修復・下地補修などを施し、1階メインフロアを中心に、天井やエレベーターホール、階段などに再利用されているそうです。
大阪散策 の最後は梅田駅前から見た
大阪中央郵便局 と 梅田スカイビル
大阪中央郵便局
設計は 東京中央郵便局 と同じ 吉田鉄郎 ( 逓信省 )。東京中央郵便局 と同様に、鉄筋コンクリートで日本建築の 真壁造り を思わせる、柱と梁を強調するデザイン手法を採っているにもかかわらず、当時総務大臣だった 鳩山邦夫 の「重要文化財になるものはそんなにない。重要文化財でなくすのは、トキを焼き鳥にして食べるような話だ」と言う発言により、解体を回避され、キッテ に生まれ変わった 東京中央郵便局 とは異なり、あっけなく解体されてしまいました。
東京中央郵便局 がファサード保存された事は評価できますが、有楽町の 三信ビル や、この 大阪中央郵便局 が、建築界からの保存の要望にも関わらず、議論もそこそこに次々と解体されてしまったことを考えると、日本の建築文化遺産への理解の低さを嘆かずには居られません。
設計者 / 吉田鉄郎 ( 逓信省 )
建築年 / 1939年 ( 昭和14年 )
所在地 / 大阪府大阪市北区梅田3-2-4
梅田スカイビル
設計者 / 原広司 ( アトリエ・ファイ建築研究所 )
建築年 / 1993年 ( 平成5年 )
所在地 / 大阪府大阪市北区大淀中1
オフィス、空中庭園、ホテル、多目的ホール、商業施設を含む複合施設からなる、2棟の地上40階建てのビルを空中庭園で繋いだ画期的デザインの建物。
梅田スカイビル の竣工直後だったでしょうか? 子供達がまだ小さかった頃、当時大阪に住んでいた義父母と一緒に、一度だけ空中庭園に上ったことがあります。
- 2023/03/13(月) 08:00:00|
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新町1丁目交差点 に戻り、
南北線 と直交する
新町通 を西に進んで
府道41号線 を渡ったところで左 ( 南 ) に曲がり、
新町南公園 の手前を右 ( 西 ) に曲がると、ビルの合間に赤煉瓦のレトロな建物が現れます。
大阪屋 ( 旧新町演舞場 )辰野式 を思わせる 赤煉瓦と白御影のコントラスト が目を引く外観で、一見な小振りな銀行建築に見えますが、これは竣工時の建物の一部分に過ぎず、元は1922年 ( 大正11年 ) に 吉木久吉 の設計で建てられた、演舞場-新町座- の玄関部分だったようです。
旧新町演舞場 ( 新町座 )
芸妓たち総顔見世の「浪速踊」が演じられた「住民の誇りと拠り所となる新町を象徴する建物だった」そうです。この小場所は元は花街だったらしく、上記した「住民の誇りと拠り所となる新町を象徴する」と言うくだりには、時代を感じずにはいられません。
昭和に入ってからは 日本出版配給(株)大阪支店 として利用され、1945年の大阪大空襲により損傷してしまいます。
終戦後の1949年からは、大阪屋 が取得しました。
演舞場の玄関付近だけを保存・活用して、周りを囲む様に新社屋を建築。
本社屋の一部として利用されて来ました。
大阪散策-31 から後の画像は全て、2012年6月1日に撮影したものです。
今回10年振りに紹介するにあたって、改めて当時の足取りをグーグルマップで辿るに当り、この区画の建物が全て解体されている事を知りました。
大阪屋 は2014年に解体され、現在はタワーマンションに建替えられています。
新町演舞場跡地 碑
石碑に残されているのは、この窓下のレリーフです。
設計者 / 吉木久吉 ( 片岡建築事務所 )
建築年 / 1922年 ( 大正11年 )
所在地 / 大阪府大阪市西区新町2-5-5
⇓の画像も10年前に、現在はタワーマンションになっている区画の裏側辺りを撮ったものです。
ちょうど演舞場入口の右側の壁を延長した当りです。
当時は全く別の建物だと思っていました。
赤煉瓦が使われていないので印象が違いますが、2~3階間の装飾と、2階窓上の横帯のデザインもがエントランス付近と同様です。
⇑ 裏側
⇓ エントランス当り
新町演舞場 の一部だったとは驚きました。
さて 難波・心斎橋 近辺の散策 もいよいよ大詰め。
最後の目的地 大丸心斎橋店 に向かう途中、隈研吾 氏が設計した建物を見掛けました。
LVHM大阪 ( エトワール心斎橋 )
設計者 / 隈研吾
建築年 / 2004年
所在地 / 大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-9-17
Dior、FENDY、CHAUMET などの店舗が入居しています。
ガラスと石を使用した、フラットな外壁が目を引きます。
- 2023/03/11(土) 08:00:00|
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