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アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

パリ旅行記 - 38 ( 三日目 ) サン・シュルピス教会

忙しにかまけて パリ旅行記 の更新が前回から2ヶ月以上も空いてしまいました。

先ずは前回の最後に引き続き 教会前の広場から観た サン・シュルピス教会 の外観から。

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左右の鐘塔のうち、向かって左側の塔が僅かに高く見えます。

塔の高さは34ⅿ。

深く考えずにこの教会を見ると、左右に鍾塔のシルエットから、ノートルダム大聖堂の様なゴシック教会かと思ってしまうかもしれませんが、よく見てみると一層目はドリス、二層目はイオニア式の古典的なオーダー柱を施したローマ式コロネードを用いた重々しいデザインの新古典主義様式の教会であることが分かります

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高さが違って見える鍾塔は、デザインも左右で異なります。

向かって左側の鍾塔は、4方に三角のペディメントを設けた、正方形の小神殿風の下部層に、イオニア式の半円形の付柱を施した、下部層よりも一回り小さな円形の上層が載っています。

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向かって右側の鍾塔は、下部層は4角の面をとった8角形の平面で、ペディメントは半円形になり、上層の付柱が、やけにあっさりとした物足りない仕上がりなのは、未だに未完成だからだという事です。

建設は1646年にのルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュの命により、ルイ・ル・ヴォーを中心に設計が始められます。正面はロココを得意とする建築家メソニエによって1726年によってデザインされますが、後に古典主義様式ジャン・ニコラ・セルヴァンド-ニの案が採用されます。工事は何度も中断されながらも、1745年に完成しますが、1762年には火災、1770年には落雷により正面が破損され、最終的にはシャルグランによって修復されたそうです。何故右側の鍾塔の最上部が、未だに未完成なのかに言及する資料は見付けられませんでした。

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A. 出入口の両側の壁龕には、二人の聖人と思われる凛々しい彫像が置かれています。写真は向かって右側の彫像です。

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B. 中央出入口辺りから身廊を通して中央祭壇方向を見る。

聖堂の奥行きは最長部で113ⅿ、幅は58mあり、パリではノートルダム大聖堂に次ぐ大きさです。

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2. 聖堂内部の平面構成は身廊の両側に側廊を配した3廊式。 短い翼廊的な部分があるので、十字型プランと言えそうです。 

   サン・シュルピス平面図-3

側廊の外側に大中小づらりと祭室 ( チャペル ) が並んでいます。どの写真がどの祭室か分かる範囲で、写真に上の図面の番号を記入してゆきます。

先ずは入り口から側廊を時計回りに進んで行きます。

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24.

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J.

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22.

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20.

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20. キャンドルの光に浮かび上がった彫像が美しいのでアップでもう一枚。

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C. 左側歩廊を見る

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D. 中央祭壇 の上部見上げ

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D. 中央祭壇

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キリスト像

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19. ぺテロ像 ?

左側翼廊部に置かれているのは ぺテロ像 でしょうか?

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19. ローマのサン・ピエトロ大聖堂内のペテロ像に、顔が似ている気がしますが真偽は分かりません、ただ、右足の足先だけが光っているのは、サン・ピエトロ大聖堂と同じで、皆が触っているからだと思います。

ペテロ像らしき彫像の隣には、この教会が再注目されたきっかけになったものがあります。

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19. グノモンの日時計

サン・シュルピス教会 がにわかに再注目されたのは、2003年に出版され、トム・ハンクス主演で映画化もされた ダン・ブラウン作ダ・ヴィンチ・コード の中で、この白い大理石で造られたオベリスクとその足元から一直線に伸びる真鍮製の子午線ローズ・ライン と呼ばれて、劇中で重要な要素として登場してからです。

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ダン・ブラウンは大好きな作家の一人なので、映画化されていないものも殆どを読んでいるので、ちょっと興奮しました。

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17. 中央祭壇の後方の周保廊を時計回りに進みます。

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16.

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15.

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13. 教会内で最奥部にある礼拝堂

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13. 光に照らされた美しい 聖母子像 が目を引きます。

ジャン・バティスト・ピガール作

美しい模様が現れるコリント式の大理石柱はローマ時代の遺跡だそうです。

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13. 天井画は 聖母被昇天 フランソワ・ルモワール作 

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13.

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12. 12・11・10・9 は自信がありませんが前後からたぶん・・・。

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11.

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10.

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9.

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8.

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E.

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F. 右側翼廊辺りから中央祭壇を見る。

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6.

説教壇

H. 説教壇

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G. 説教壇

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G. 中央祭壇方向を見る

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G. 出入口方向を見る パイプオルガン

1862年にアリスティド・カヴァイエ・コルによって製作されたもの。

パイプオルガン


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5.

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4.

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3. この彫像も サン・ピエトロ大聖堂 にあった ミケランジェロ作ピエタ に似た雰囲気です。調べてみると、やはり題材はミケランジェロと同じ ピエタ でした。

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3. ピエタ オーギュストクレシンガー作

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3. 有名な彫像ではないようですが、悲しくも優しい表情が印象的です。

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1. 内部の最大の見どころは ドラクロワ のフレスコ画だと思います。

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悪魔を撃つ大天使ミカエル ( 天井画 )

天使とヤコブの戦い ( 壁画 )

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悪魔を撃つ大天使ミカエル ( 天井画 )

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天使とヤコブの戦い ( 壁画 )

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I. の位置から前室を見る

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B. 中央出入口扉

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J.

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柱頭部はドリス式見えましたが、足元はオニア式のような・・・?

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サン・シュルピス教会 の右に見える噴水はヴィスコンティ作の 四人の枢機卿の噴水

ヴィスコンティの噴水 とも呼ばれているそうです。

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サン・シュルピス教会 の前から広場ヴィスコンティの噴水 見る。

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  1. 2020/10/24(土) 16:07:00|
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パリ旅行記 - 37 ( 三日目 ) パンティオン 他

オペラ・ガルニエ の見学を終え、この日本来なら昼食をとりがてら散策をする予定だった、カルチェ・ラタン方面に向かうことに。メトロ-オペラ駅からメトロ-7号線に乗り、はっきりとは覚えていないのですがシャトレ駅辺りで下車し、サンミッシェル通りを通ってエドモン・ロスタン広場辺りまで、路線バスを利用して南下したのだと思います。

カルチェ・ラタン地域で最初に向かったのは パリの パンティオン です

エドモン・ロスタン広場からスフロ通りに入ると、正面に パンティオン が見えて来ます。

パンティオン遠景

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パンティオン ( 旧サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂 )

入口に近付くと建物から出てくる人はいますが、中に入ろうとしている人は警備員に制止されているようです。どうやら入場は17時45分までだったらしく、既に閉館時間だったのです。残念!!

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パリの パンティオン は、1744年に瀕死の病床から回復したルイ15世が、回復を神に感謝し、パリの守護神である聖ジュヌヴィエーヴを祀る為の聖堂を建設したものです。1755年に設計コンペが行われ、設計者はパリの国王の建築物の監督官だったジャック・ジェルマン・スフロに決定しました。しかし、資金不足や構造的な不備 ( 1778年にドームを支える主ピアに亀裂が見つかり、スフロの死の後、外壁の開口部は塞がれています。) などで完成が遅れ、竣工したのは1792年でした。完成が遅れたことで、フランス革命の波に飲み込まれ、革命政府が聖堂の建築を好まなかったことから、修道士の墓所となる予定だった地下納骨堂は、革命の英雄たちを祀ることとなり「フランス史における自由の時代に活躍した偉人を祀る万紳殿 = パンティオン 」とすることが決められたのです。

万紳殿 として造られた ローマのパンティオン が、キリスト教の聖堂に変えられることでキリスト教徒からの破壊を逃れた歴史とは、逆のケースと言えそうです。

パリのパンティオン には、ジャン・ジャック・ルソー、ヴォルテール、ヴィクトール・ユゴーキュリー夫妻が埋葬されています。ナポレオン政権下では一時聖堂としての役割を回復したことも有った様ですが、現在は「フランスの為に尽くした功労者の為の廟所」に落ち着いています。

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ペディメントに施された浮彫は、フランスを表す女神が偉人たちに月桂樹を与える姿が描かれているそうです。フリーズ部に刻まれた文字は「偉大なる人々に祖国より感謝を」と記されています。 

設計者 / ジャック・ジェルマン・スフロ

建築年 / 1792年

所在地 / パリ5区 パンティオン広場

建築様式 / 新古典主義

以下の画像は、パリを案内してくれた友人が、先月パンティオンを訪れた時の画像です。パリのバンティオン3

広間

真上に地上80mのドームを頂く広間は奥行き110mあり、平面形状や縦横の大きさの割合などは全く異なるものの、どことなくローマのパンティオンの雰囲気を感じさせる内部空間です。

パリのパンティオン1

フーコーの振り子

ドームの真下はフーコーの振り子の実験が行われた場所で、一日を刻む振り子が設置されています。

パリのパンティオン2

地下納骨堂

残念ながら パンティオン の内部の見学が出来なかったので、パンティオン広場に面する酷似したデザインの二棟の建物の写真を撮ってみました

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パリ5区 区役所

パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて左側。

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ソルボンヌ大学

パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて右側。

よく見ないと、同じ建物を撮影したかと勘違いするほど酷似した二棟の建物です。

時間は既に18時を回っていたのでじきに暗くなる筈です。急いで来た道 ( スフロ通り ) をエドモン・ロスタン広場まで戻りバス停を探します。カルチェ・ラタン辺りで見たかった建物は パンティオン 以外に サン・ジェルマン・デ・プレ教会、サン・シュルピス教会、リュクサンブール宮殿と公園 など幾つも在りましたが、全て廻る時間も体力も残っていません。

サンミッシェル通りをでバスに乗ったのは確かなのですが、パリ在住の友人と合流した後は、着いて行くだけで何処に向かっているのか分からなくなっていました。友人が乗るバスを間違えたのか、バスの窓からリュクサンブール公園を見学出来るようにしてくれたのかは分かりませんが、バスはサンミッシェル通りを南へ向い、モンパルナス通りを右折、次はラスパイユ通りも右折して、リュクサンブール公園を大きく回ってヴォージラール通りとの交差点辺りまでやって来ました。途中でバスを乗り継いだのか、所々歩いたのかははっきりとは覚えていません。

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写真に撮ったこの街並みが何処なのか、全く分からなかったのですが、時間を掛けて記憶をたどり、ストリートビューを駆使して探し回り、ラスパイユ通りヴォージラール通りとの交差点辺りだと分かりました。この後はヴォージラール通りに入り進んで行くと。

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パリ・カトリック学院

赤煉瓦と白い石のツートンカラーの外壁に

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窓下のデザインが目を引きます。

ヴォージラール通りリュクサンブール宮殿 方向に進み、アッサス通りとの交差点には、ついシャッターを押したくなる建物が並んでいます。

アッサス通り2

アーサーベルネ医院 

斜向かいのこの建物の赤煉瓦と白い石のツートンカラー。

アッサス通り3 

この建物の装飾も見事です。

更にヴォージラール通りリュクサンブール宮殿 方向に進むと左手に

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サン・ジョセフ・デ・カルム教会

この教会にはベルニーニ作の「聖母子と幼子」が在るそうです。p2241810-1.jpg

残念ながら今回はスルーしました。

更に直進してギヌメ通りとのT字路には 

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Crédit du Nord ( 金融機関 )

この建物も見事な装飾とデザインの建物です。

右手にはリュクサンブール公園が見えて来ました。

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リュクサンブール美術館

1750 リュクサンブール宮殿 の東棟内に設置され、当初は、ルーベンスレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロヴェロネーゼティツィアーノレンブラントといった王室コレクションを展示していましたが、ルーヴル美術館 に移管され、1818年リュクサンブール美術館は 生存する芸術家のための美術館となり、アングルドラクロワの作品が展示されます。現在の建物は、元老院リュクサンブール宮殿と庭園 の管理をすることになった1886年にを建築されました。1937年に国立近現代美術館が建設されると閉館されますが、1979年に再び公開され、2000年らは再び元老院が管理を行なっています

リュクサンブール美術館 の前で、左折してフェルー通りにを1~2分進むと、お目当ての サン・シュルピス教会 が見えて来ました。

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サン・シュルピス教会

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次回は サン・シュルピス教会 の内部を紹介します。

  1. 2020/08/13(木) 15:43:00|
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パリ旅行記 - 36 ( 三日目 ) オペラ・ガルニエ ③

オペラ・ガルニエ の三回目です。

グラン・ホアイエ の見学を終え、太陽の間 へ向かいます。

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太陽の間 ( SALON DU SOLEIL )

太陽の間は小さな円形のサロンで、天井には夜空に光る星空のようにも見えますが、太陽の間 と言うからには、太陽が描かれているのでしょう。( 今回は見学していないのですが 月の間 と言う対の間が在るようです 。)

( GALERIE DU GLACIEL ) を通って

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グラシエの間 ( SALON DU GLACIER )

と比べると、広い円形の グラシエの間 は、淡い色使いとぐるりと周囲に配された窓の為に明るい空間です。

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ジョルジュ・クレラン作の天井画は酒の神であるバッカスの巫女などが描かれているそうです。

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シャンデリアや天井の装飾も見事です。

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オペラ座図書館・博物館

フランスのオペラやバレーの楽譜など、貴重な資料が収められているそうです。

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アヴァン・ホワイエ ( AVANT FOYER )

アヴァン・ホワイエ 大階段 の吹抜けに面し グラン・ホワイエ との間に位置します。p2241770-1.jpg

左に見える吹抜け空間が、大階段 の在る吹抜けです。

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アヴァン・ホワイエ のバルコニーから 大階段 の吹抜けを見る。

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アヴァン・ホワイエ のや大階段廻りの回廊にはオペラやバレーの衣装が展示されています。

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階段を下りながら、大階段 の詳細と吹抜けの周りをじっくりと見て回ります。

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大階段 の側面。

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このフロアレベルにも色々な衣装や覆面が展示されています。

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大階段 の裏側も改めてじっくり見てみましょう。

人も少ないし 裏側は見応えのある場所です。 

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最初に見た ピュティアの泉 です。

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もう一度 大階段 の前に戻って来ました。 

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最後にイジドール・ピウス 作の天井画アポロンの勝利エントランスホールの美しい大理石の床を紹介して オペラ・ガルニエ を後にします。

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  1. 2020/08/10(月) 15:43:00|
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パリ旅行記 - 35 ( 三日目 ) オペラ・ガルニエ ②

オペラ・ガルニエ の二回目です。

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観客席を見学出来る、1階のバルコニー席に向かいましょう。

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バルコニー席は升席の様に個々に仕切られているので、各々に専用の扉があります。

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床はモザイクタイル貼り

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左端の開いている扉から客席を見学出来るようです。

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早速客席に入ってみましょう。

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劇場内はい座席と金色の装飾で眩いばかりの豪華さです。

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観客席は奥行き巾共に31m。高さは20mです。

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夢の花束マルク・シャガール作

現在の天井画はシャガールによるもので古典的なものではなく、1964年にオペラ座エッフェル塔、凱旋門等のパリの名所が描かれています。以前はジュール=ウジェーヌ・ルヌヴーによって描かれたものでした。

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中央のシャンデリアの重量は7tと記されている資料と8tと記されているものも有ります。1896年には落下事故も起こったそうです。

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ドーム天井を支える2本で一対の柱の頭部を飾る黄金の装飾のは、目を引かずにはいられません。

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座席だけでなく隣との仕切り壁の赤い布クロスも豪華さを強調しています。赤い壁ってあまり見たことはありません。

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もう一つの見どころ グラン・ホワイエ に移動する前に オルセー美術館 にあった オペラ・ガルニエ の断面模型をご覧ください。

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グラン・ホワイエ は写真向かって右端の縦長の吹き抜け空間で、正面出入口の直上に当たります。

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ホワイエとは劇場建築において、エントランスホールと観客席の中間地点に位置する人溜まりのスペースで、公園時間の前後や休憩時間に、観客が休憩する為の空間です。

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勿論、この グラン・ホワイエ は他に例を見ない豪華な装飾が施され、まるで ヴェルサイユ宮殿の鏡の間 を彷彿とさせる空間で、広さは幅13m、長さ54m、高さは18mあり、ミューズ達が描かれた天井画や、2本で一対のコリン式の双子柱をはじめとした、黄金に彩られたスタッコ装飾で飾られたネオ・バロック様式の空間です。

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天井画は観客席と同様の シャガール の作品。

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息を飲むような美しく豪華な装飾です。

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  1. 2020/07/26(日) 11:11:00|
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パリ旅行記 - 34 ( 三日目 ) オペラ・ガルニエ ①

セント・シャペル コンシェルジュエリー の美しさを満喫したところで、この日も仕事を終えた友人が施設の前に来てくれました。午前中に行く予定だった カルチェラタン辺り を散策し、サン・ジェルマン・デ・プレ教会 パンティオン を見学しようかとも考えましたが、妻と友人と相談のうえ オペラ・ガルニエ へ向かうことにしました。

サンジュ橋を渡り、シャトレ駅からメトロ-7号線に乗車、オペラ駅で下車すると オペラ・ガルニエ の目の前の広場に出ます。

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オペラ駅宿泊しているホテルから、メトロ-3号線で乗り換え無しで直通で来れるので、この場所から オペラ・ガルニエ を見るのは三度目でしょうか?

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同じ場所から ルーブル美術館 方向を見る。

ルーブル美術館 に真っすぐ続くオペラ大通りは、19世紀後半にセーヌ県知事オスマン男爵によって行われた、都市改造計画の一環として造られたものです。

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半円アーチの出入口の間に有名作曲家の胸像が並びます。中央がモーツアルト胸像、その向かって左はベートーベンの胸像です。

半円アーチに支えられる2層レベルのバルコニーには、2本一対のコリント式のジャイアントオーダーに一回り小さなコリント式のオーダー柱が添えられています。

日程に余裕があれば、安い座席も在るのでオペラ観劇を勧められたのですが、日程に余裕は無く、建物の見学だけで諦めました。 

オペラ観劇の場合は、この正面からの入場になりますが、見学ツアーは西側の出入口からの入場になります。

オペラ・ガルニエ外観-1

西側立面は中央のバロック調のドームが印象的です。

建物の中心の大ドームが少しだけ見えています。大ドームの背後の切妻の頂上に立つアポロンの像も少しだけ見えます。

オペラ・ガルニエ外観-2

小さくて分かり難いですが、左右の斜路の中心に設置されているのは、設計者の シャルル・ガルニエ の銅像です。

オペラ・ガルニエ銅像

西側出入場口から入場する前に、北側の立面も見てみましょう。

オペラ・ガルニエ外観-3

北側の立面は、正面 ( 南側 ) ・側面 ( 西・東側 ) とは全く違うデザインで、巨大な切妻は迫力満点です。 

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西側の入り口を入るとチケット売り場の窓口があり、その奥に 円形ロビー( ロンド・デ・サンテ ) が現れます。このホールは建物の中心にある大ドームの真下、また観客席の直下に当たる場所で、車で直接乗り付けられるので、上流階級の為の特別室でもあります。

大階段の在る建物正面の玄関ホール方向へ進みます。

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ピュティアの泉

美しい大理石で造られた左右の階段を上ると玄関ホールです。この天井は 大階段 の裏側に当たります。 

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向かって左側の階段 

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向かって右側の階段を上って玄関ホールへ 

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見どころばかりの オペラ座 ですが、 大階段 は一・二を争う見事な空間です。柱・壁・天井の全てに見事な装飾が施されていますが、色彩がシックなので、意外にやり過ぎ感はありません。  

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 大階段 ( GRAND ESCALIER )  

階段を上った踊り場状のレベルに、観客席に向かう出入口が在ります。そこから左右に分かれる階段の構成が、この美しい 大階段 の特徴です。

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この絵は オルセー美術館 に展示されていたものです。

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大階段 の吹き抜けの高さは30mあるそうですが、圧倒的な迫力の前に、私にはそれ以上に感じました。

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大階段 を上がります。

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カリアティードの門

踊り場の正面には、悲劇と喜劇を表す美しい彫像が支えるペディメントをくぐり、観客席に向かうことになりますが、もう少し 大階段 の周りを見学します。 

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踊り場から登って来た階段 ( 正面玄関 ) 方向を見返す。

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トップライトと天井画に飾られた大天井は、連続する半円アーチとそれを支える2本または4本一対で、大理石で造られたイオニア式のオーダー柱で支えられています。

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天井画は イジドール・ピウス 作の アポロンの勝利

オペラ・ガルニエ は1989年に、バスティーユ広場に面して建てられた 新オペラ座 ( オペラ・バスティーユ ) に対し、旧オペラ座 または単に オペラ座 、または設計者の シャルル・ガルニエ の名前から オペラ・ガルニエ と呼ばれています。

1860年に ナポレオン3世 の発案により行われた設計コンペに寄せられた171案の中から、若干35歳の シャルル・ガルニエ が採用されたのです。バロック様式から新古典主義までが混在する建築様式を設計者の ガルニエナポレオン3世様式 と言ったらしいです。

 

設計者 / シャルル・ガルニエ

建築年 / 1875年

所在地 / パリ6区 オペラ広場

  1. 2020/07/21(火) 12:25:00|
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パリ旅行記 - 33 ( 三日目 ) コンシェルジュエリー

今回は コンシェルジュエリー を紹介します。

サント・シャペル の見学を終えて パレ・ド・ジュスティス の前へ出て来ました。

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パレ・ド・ジュスティス ( パリ司法宮 )

パレ・ド・ジュスティス は、かつての王会( 国王顧問会議 )の建物で、元はカペー朝時代の王宮 ( シテ宮 ) 。コンシェルジュエリー サント・シャペル など、様々な王宮当時の遺跡が残っています。

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サント・シャペル パレ・ド・ジュスティス 

コンシェルジュエリー1 

パレ・ド・ジュスティス コンシェルジュエリー  

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コンシェルジュエリー

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元はフィリップ4世の宮殿 ( シテ宮 ) として14世紀に創建。その後シャルル5世よって放棄され、1370年からは牢獄として使われました。フランス革命時には隣接する革命裁判所で2780名に死刑判決が下され、多くの王族・貴族が投獄されます。「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれる恐怖政治の象徴でした。1793年にはマリー・アントワネットも投獄されています。第一帝政期になっても牢獄として使用されますが、1934年に牢獄としての機能は停止され、現在はパリの パレ・ド・ジュスティス( 司法宮 )の一部として、観光名所となっています。

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ジャンジュ橋から見る

コンシェルジュエリー2

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シーザーの塔と銀の塔

コンシェルジュエリー の名は、旧王宮の司令官、守衛(コンシェルジュ)がいた場所からとったものです。

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衛兵の間

ゴシック様式で造られた衛兵の間は兵士達の食堂としても使われました。床面積は1800㎡もあり、4つの広間から出来ています。

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高さが8.5mあるリブヴォールトの天井が、柱頭部の照明によって美しく浮かび上がります。

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死刑執行準備室を再現したものです。

当時の牢獄は有料だった為、払った額に応じて監房にはランクがあり、最も貧しい者は「わら族」と呼ばれ、藁が敷かれた雑居房で寝かされ、非常に不衛生だったそうです。中流層の囚人の房には簡単なベッドが在り、4~5人で使用。富裕層や著名人の房は家具の在る独房だったとか。

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この部屋では、死刑執行のための準備が行われました。

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囚人用の礼拝堂

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ここが死刑囚達が断頭台へ向かう荷車を待つ場所だそうです。

コンシェルジュエリー の見学を終えたところで、この日も友人が施設の前に来てくれました。サン・ジェルマン・デ・プレ教会 に行こうかと思っていましたが、相談のうえ オペラ・バスチーユ へ向かうことにしました。

  1. 2020/06/16(火) 08:00:00|
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パリ旅行記 - 32 ( 三日目 ) サント・シャペル

今回は サント・シャペル を紹介します。

当初の予定では、この後はカルチェラタン辺りを散策しがてら昼食をとり、サン・ジェルマン・デ・プレ教会 を見学する予定でしたが、 アンヴァリッドオルセー美術館 の見学に時間をとり過ぎたので、予定を大きく変更して サント・シャペル へ向かうことにしました。

 オルセー美術館 前のミュゼ・ドルセー駅からRER-C線に乗り、サン・ミシェル・ノートルダム駅で下車し、サン・ミシェル橋を通ってシテ島に渡ります。

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サン・ミシェル橋から、修復工事中の ノートルダム大聖堂 を見る。

サン・ミシェル橋を渡り、そのままパレ通りを進んで サント・シャペル

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サント・シャペル

パレ・ド・ジュスティス の門前から サント・シャペル を見る。

サント・シャペル は現在は パレ・ド・ジュスティス の一部となっています。

高さ75mの尖塔は、落雷や革命の為に何度も倒壊し、現在の尖塔は19世紀に再建されたものです。

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サント・シャペル とは「聖なる礼拝堂」という意味で、ルイ9世ラテン帝国皇帝から譲り受けた「キリストの荊の冠」と「磔刑の十字架の断片」の聖遺物を安置することを目的に建てれた礼拝堂で、ゴシック建築の傑作として知られる建物です。

昨年発生した火災により ノートルダム大聖堂 の内部の見学が出来ない今回のパリ旅行では、この サント・シャペル が最も見てみたい建物と言えるでしょう。

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サント・シャペル は、1239年から1248年の10年間に、巨額の建設費を投じて建設されますが、王が聖遺物を手に入れる為にラテン帝国皇帝に支払った金額の1/3だったとか。

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さあ、いよいよ内部の見学です。

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下部礼拝堂

先ずは1階の 下部礼拝堂 から見てみましょう。

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宮廷の廷臣や使用人だけでなく、一般庶民も利用出来る礼拝堂であり、上部礼拝堂 と比べ天井高は7mしかありませんが、眩いばかりの美しい礼拝堂です。

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この小さな通路から 上部礼拝堂 へ登って行きます。

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上部礼拝堂

天井高さは20m。「キリストの受難」「黙示録の書紀者聖ヨハネ」「キリストの幼少時代」時代などが描かれたステンドグラスは、ゴシック建築の最高峰と言っても言い過ぎではないと思います。

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息を飲むような美しさです。

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15世紀にシャルル8世が献上したバラ窓には「黙示録の主題」が描かれています。

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  1. 2020/06/12(金) 16:30:00|
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パリ旅行記 - 31 ( 三日目 ) オルセー美術館、

今回は オルセー美術館 を中心に紹介します。

アンヴァリッド広場からサン・ドミニク通りを通って オルセー美術館 へ向かいます。サン・ドミニク通りブルボン宮殿 裏口の在るユニヴェルシテ通りの一本南側の通りです。

休日の官庁街だからか、時折車が通るだけで殆ど人は歩いていません。そんな静かなサン・ドミニク通りを歩いていると、右手に小さな公園が在り、その奥に高さ69メートルの2つの尖塔バラ窓を持つゴシック教会見本の様な教会堂が聳えています。

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サント・クロチルド教会

設計者 / フランツ・クリスティアン・ガウ

建築年 /  1857年

所在地 / パリ市7区

フランツ・クリスティアン・ガウはパリにおけるゴシック復興に尽力したドイツ出身の建築家で、サント・クロチルド教会 はパリ市で最初のネオゴチック建築です。

ガウの設計・監理により、1846年に着工されますが、病気の為にテオドール・バリューが監理を受け継ぎ1857年に完成します。

もしもう一度パリを訪れる機会があれば、是非内部を見学してみたい教会堂です。

更にサン・ドミニク通りを東に進み、左手に在るジャック・バンヴィル広場を通り抜けます。

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国防省 ?

ジャック・バンヴィル広場サンジェルマン通りの角地に在る時計塔

ソルフェリーノ通り北に進み、リール通りとの交差点を右折すると

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レジオン・ド・ヌール勲章博物館

リール通り沿いに在る、まるで 凱旋門 のような入口の両側には、イオニア式オーダーを施した列柱が配されています。

サルム館 として18世紀に建設され、1804年にレジオン・ドヌール勲位局に制定され、以来 レジオン・ドヌール館 となっています。

設計者 / ピエール・ルソー

建築年 /  18世紀

所在地 / パリ市7区 

レジオン・ドヌール勲章とは、ナポレオン1世により制定され、国家に功績をもたらした人に与えられる名誉ある称号です。館内には歴史ある多くの勲章が展示され、フランスのみならず世界各国の勲章も見ることが出来ます。

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オルセー美術館 ( 西南西側立面 ) が見えて来ました。

以下は一日目に撮影したセーヌ川沿いのアナトール・フランス通りからの写真

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p2211045-1_202006120930171fd.jpg p2211046-1_202006120930416ba.jpgオルセー美術館全景

セーヌ川対岸からの全景

内部に入りましょう。 

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オルセー美術館 の建物は、元は1900年にパリで開催された万国博覧会の際に、ヴィクトール・ラルーの設計により、オルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナル駅駅舎ホテル として建設されました。

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しかし1939年には駅施設を大幅に縮小して近距離列車専用駅となります。その後さまざまな用途に用いられ、一時は取り壊しの話も上がりますが、保存活用策が検討され、イタリアの建築家ガエ・アウレンティの設計ににより改修され、1986年に「19世紀美術を展示する美術館」 オルセー美術館 として生まれ変わったのです。

設計者 / ヴィクトール・ラルー  改修設計 / ガエ・アウレンティ

建築年 /  1900年  改修年 / 1986年 

所在地 / パリ市7区 

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ガラス屋根の中央ホールは、駅舎当時の地下ホームの吹き抜け構造活かしたデザインになっており、多くの彫像が展示されています。

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各所に駅舎当時の痕跡が見られます。 

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中央ホールには、主に彫像が展示されています。

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「地球を支える四つの世界」ジャン=バティスト・カルボー作 ( 1872年 ) 

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「ダンス」ジャン=バティスト・カルポー作 ( 1863-1869年 )

中央ホールの両脇は主に絵画の展示室になってます。

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「オランビア」マネ作 ( 1863年 ) 

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「笛を吹く少年」マネ作 ( 1866年 ) 

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「落穂拾い」ジャン=フランソワ・ミレー作 ( 1857年 ) 

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「牧羊場の羊の群れ」ジャン=フランソワ・ミレー作 ( 1861年 ) 

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「踊るジャンヌ・アヴリル」 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作 ( 1892年 )

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「オステリアのマリア-聖餅の聖母」

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル ( 1854年 ) 

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「ロベール・ド・モンテスキュー伯爵の肖像」

ジョヴアンニ・ボルディーニ作 ( 1897年 )

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「カフェにて ( アブサント ) 」エドガー・ドガ作 ( 1873年 )

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「14歳の踊り子」エドガー・ドガ作 ( 1881年 )

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「退廃期のローマ人たち」トマ・クチュール作 ( 1847年 )

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「草上の昼食」エドゥアール・マネ作 ( 1865-1866年 )

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「草上の昼食」エドゥアール・マネ作 ( 1862-1863年 )

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「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

ピエール=オーギュスト・ルノワール作 ( 1863年 )

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「田舎のダンス」ピエール=オーギュスト・ルノワール作 ( 1883年 )

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「都会のダンス」ピエール=オーギュスト・ルノワール作  ( 1883年 )

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「青い睡蓮」 クロード・モネ作 ( 1916-1919年 )

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「モネの家の庭」 クロード・モネ作 ( 1900年 )

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「ロンドン、霧の国会議事堂 」 クロード・モネ作 ( 1904年 )

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「日傘の女-左向き」クロード・モネ作 ( 1886年 )

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「日傘の女-右向き」クロード・モネ作 ( 1886年 ) 

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「リンゴとオレンジ」ポール・セザンヌ作 ( 1899年 )

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「弓を射るヘラクレス」アントワーヌ・ブールデル作 ( 1924年 )

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絵画や彫像だけでなく、アール・ヌーボーの美しい家具の展示もありました。

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最後に オペラ座 の模型を紹介します。

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かなり長い時間、どいてくれるを待ったのですが、この人も真剣に模型を眺めていたので諦めました。

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この絵は オペラ座 のホワイエを描いています。

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既に2時近くになっていたので、美術館のカフェで軽く昼食にしようかと思っていましたが、この混み用なので諦めて、次の目的地である サン・ジェルマン・デ・プレ教会 に向かいます。

  1. 2020/06/11(木) 18:12:00|
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パリ旅行記 - 30 ( 三日目 ) アンヴァリット

今回は アンヴァリッド を紹介します。

ブルボン宮殿 東裏側出入口の在るユニヴェルシテ通りのを西に進みむと、目の前に芝生の庭園が広がります。

右手 ( 北側 ) を見ると、セーヌ川の対 ( 右 ) 岸には

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グラン・パレ

グラン・パレ の巨大なガラス張りの屋根が見えます。

左手 ( 南側 ) には、目的地の黄金のドームが・・・。

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アンヴアリッド

横幅196mもの巨大な建物の中央に黄金のドームが輝いています。一見しただけでは一体の建物に見えますが、実際には黄金のドームを頂く サン・ルイ礼拝堂 はずっと後方に在るのです。

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設計者 / リベラル・ブリューアン

建築年 / 1674年

所在地 / パリ市7区

アンヴアリッド ナポレオンの墓所がある建物と知られていて、ガイドブック等にはジュール・アルドゥアン・マンサールの設計」と記されていることが多いですがマンサールが手掛けたのは黄金のドームの サン・ルイ礼拝堂 だけで、施設の大部分ルイ14世によって負傷したり年老いて引退した兵士 ( 廃兵 ) を収容するための療養施設 ( 廃兵院 ) で、1674年にリベラル・ブリューアンの設計で建てられました。

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門に近付くとドームが見えなくなりました。パリの歴史的建築物は、金を施した門が多い気がします。ブランス人はよっぽど金が好きなようです。

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この辺りにバロック建築の特徴がみられます。 

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入口から 廃兵院 の中庭へ

左右対称の広い中庭には、花壇や樹木は一切無く、隙間なく石畳が敷き詰められています。

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中庭を取り巻く回廊の二階から、中庭とドームを見る。

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黄金のドームはまだ先です。 

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昔は病院だったこの施設も、今では軍事博物館にもなっているので、中庭や回廊の彼方此方に、革命時代の大砲や第一次大戦時代の戦車も展示してあります。

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軍事博物館の入口は分かり難いところに在り、回廊を探しあるいて、やっと2階に見つけました。

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説明文が読めないので、個別に展示物の詳細は分かりませんが、フランス有史以来の武器や甲冑の他、ナポレオンの遺品も多く展示されているそうです。

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写真はごく一部だけで、相当量の剣や銃、そして軍服が展示してあります。

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人を殺す道具にも関わらず、まるで芸術品の様に見えてしまいます。

施設のさらに奥にある サン・ルイ礼拝堂 に向かいましょう。

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サン・ルイ礼拝堂

廃兵院 の後ろには、廃兵院 に背を向けるように黄金の サン・ルイ礼拝堂 が建っています。

設計者 / ジュール・アルドゥアン・マンサール

建築年 / 1706年

所在地 / パリ市7区

集中式プランの教会で,上部には巨大な木組み鉛板張りの円蓋を頂き、正面のデザインは2段オーダー,その上部に円蓋を支えるタンブール ( 円筒形の部分) のを重ねる構成はフランス古典主義建築の典型の一つとか。p2231551-1_20200530172747bdf.jpg

1層はドリス式、2層はコリント式の式のオーダー柱 が並ぶ二層構成になっています。これはルネッサンス様式の特徴でもありますが、フランス・バロック宗教建築の代表例とも言われています。

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ドーム教会 に入りましょう。

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聖堂内に入りドームを見上げる

天井画はシャルルド・ラ・フォッス作の「楽園の栄光」 ( 1692年 )。ルイ9世が、キリストに剣を差し出す場面を描いたものです。

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正面奥の祭壇

コリント式のオーダー柱がドームを支えています。

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ドームの真下、集中式プランの中心部分にナポレオンの棺が安置されています。

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うねるように曲がる大理石の柱に載る黄金の天蓋

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大理石貼りの床はローマで見た教会を思わせます。

地下に下りてナポレオンの棺を近くで見てみましょう。

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元はルイ14世ルイ9世の遺体を安置する為と、王家の礼拝堂として建てさせた教会でしたが、1840年には皇帝派と王家の和解の象徴として、セント・ヘレナ島から帰還していたナポレオンの遺体を、墓所が完成した1861年に移したのです。

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緑色の花崗岩の台座に赤茶色の斑岩で作られた棺が乗せられています。

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  1. 2020/06/01(月) 16:00:00|
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パリ旅行記 - 29 ( 三日目 ) マドレーヌ教会・オランジュエリー美術館・ブルボン宮殿

今回からパリ旅行の三日目です。

三日目と四日目は「ミュージアムバス」を利用するので、オランジュエリー美術館 ⇒ アンヴァリッド ⇒ オルセー美術館 ⇒ カルチェラタン散策 ⇒  サント・シャペル ⇒ コンシェルジュエリー 等を巡る予定です。

宿泊しているホテルの最寄り駅 ( ガリエーニ駅 ) からメトロ-3号線に乗り、オペラ駅で下車し、先ずはラ・ぺ通りを通って ヴァンドーム広場 へ向かいます。

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オテル ウェストミンスター

ラ・ペ通り沿いのホテルのエントランスにアールヌーボー風デザインの庇を見付けました。

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アールヌーボー全盛の頃の物ではなく、恐らくレプリカだと思いますが、パリの彼方此方でこの様なデザインの庇を見ることが出来ます。

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数分歩くと ヴァンドーム広場 です。

広場中央にそびえるのは オーステルリッツ記念柱。

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ヴァンドーム広場 を通り過ぎ、十字路を右折してサントノーレ通りを西に入ると、大きなドームの建物が見えて来ます。

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ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会

正方形の聖堂の上に、ほぼ同規模のドーム ( 直径24m ) が載っています。教会全体の規模に対してドームの割合が非常に高く、ちょっとアンバランスな感じもして、ぱっと見はドームに三角破風のポルチコが取り付いただけと言った印象です。

この教会が建てられたのは17世紀。今回は内部の見学はしていませんが、ネットで検索すると聖堂内部の平面はドームと同径の円形で、ローマの パンティオン とも似ていると感じる人も居るかもしれません。

サントノーレ通りノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン教会 の前で右斜め前に曲がるとギリシャ神殿の様な建物が見えて来ます。

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マドレーヌ教会

設計者 / ピエール・ヴィーニョン

建築年 / 1842年

所在地 / パリ8区、マドレーヌ広場

ルイ15世により、1764年に「聖マドレーヌに捧げるカトリック教会として建設が始められますが、フランス革命によって工事は中断。ナポレオン1世が「フランス軍の名誉を讃える栄光の神殿」とすることを決定し、建築家ピエール・ヴィーニョンにより古代神殿風のデザインに変更され、1806年に工事は再開。その後のナポレオンの失脚により、ルイ18世が元の聖マドレーヌに捧げる教会に用途を戻し、1842年に完成しました。

聖マドレーヌとはマグダラのマリアを指すのだそうです。p2231521-1.jpg

長方形の聖堂の周囲には高さ30m、52本のコリント式のオーダー柱が並ぶネオ・クラシック ( 新古典主義 ) 様式の建物です。ここも内部の見学はしていませんが、内部はギリシャ神殿とは全く異なる様相です。

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正面のペディメントには、ギリシャの神々の物語ではなく「最後の審判」のレリーフが施されています。

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マドレーヌ広場 からロワイヤル通りを通して コンコルド広場 に建つ オベリスク を見る。

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オベリスク の先には ブルボン宮 が見えます。黄金のドームは アンバリッドブルボン宮コンコルド広場 を中心に、マドレーヌ教会 と対に配置された建築物。この徹底した都市デザインが、パリの美しい街並みを造る要素の一つです。

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青空でなかったことが悔やまれます。

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一日目の夜に来た時には分かりませんでしたが、オベリスク のてっぺんは金色だったんですね。

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樹木の上に少しだけ グラン・パレ のガラスの屋根が見えます。

コンコルド広場 の隣の チュイルリー庭園 の一角に在る オランジュエリー美術館 に向かいます。

オランジュエリー美術館

オランジュエリー美術館

クロード・モネ1914年~1926年に掛けて、ジヴェルニーの自宅の庭の睡蓮をモチーフに描き上げた、「睡蓮」の連作を展示する為だけの美術館。元は チュイルリー宮殿のオレンジ温室 ( オランジュエリー ) でしたが、1927年に美術館として整備されたものです。

2階

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日没

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緑の繁栄

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3階

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明るい朝、柳

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二本の柳

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朝の柳

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木々の反映

京都の美術館でもモネ睡蓮を鑑賞したことがありますが、睡蓮の為に設計された美術館にも関わらず、絵画の鑑賞には適さない展示室でした。この美術館は何の飾り気も無いものの、とても鑑賞し易い空間でした。

オランジュリー美術館 の見学時間は、展示されている絵の数が少ないので、予想よりもかなり短く済みました。

コンコルド橋 を渡って左岸に移動します。

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コンコルド橋 からシテ島方向を見る。

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手前の鉄骨の橋は レオポール・セダール・サンゴール橋

橋桁だけ見えている石橋は ロワイヤル橋。

中央のドームは コレージュ・デ・キャルト・ナシオン

その左に ノートルダム大聖堂 が見えます。

更に左に見える尖塔は セント・シャペル でしょうか?

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コンコルド橋 を渡りきった辺りから レオポール・セダール・サンゴール橋ルーブル美術館を見る。

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ブルボン宮殿

ブルボン宮殿 ルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボンが建てた宮殿であり、1795年からは フランス国民議会議事堂 として使用されています。

設計者 / ジャック・ガブリエル

建築年 / 1728年

所在地 / パリ市7区、オルセー海岸通り

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正面の外観は マドレーヌ教会 と同様のギリシャ神殿風のデザインで、12本のコリント式のオーダー柱ペディメントを支えています。時代と共に改修が繰り返され、12本の列柱は1806年にナポレオンの命により取り付られたものです。

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裏側の出入口

フランス国下院議事堂だあって、後ろ側も立派です。写真に写る人の大きさを見れば、扉の大きさが分かると思います。

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左 Commission Européenne ( 州政府事務所 )

右 Quilvest Banque Privee ( 銀行 )

一つ上の写真の前に撮ったものです。

ブルボン宮殿 東側のサンジェルマン大通りの建物。

まだコロナの影響が殆どない時期だったので、人通りが少ないのは日曜の官庁街だからです。但しこの頃でも、既に中国人観光客は少なくなっていました。

ブルボン宮殿 の裏側をのユニヴェルシテ通りを通って アンヴァリット へ向かいます。

  1. 2020/05/26(火) 16:50:00|
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パリ旅行記 - 28 ( 二日目 ) モンマルトル散策 - 5 ( テアトル広場 ・他 )

モンマルトル散策の五回目は、テアトル広場 辺りを散策します。

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振り返ると サクレ・クール寺院 の大ドームと鐘楼が見える カルヴェール墓地 北側の路地を西に進み、モン=スニ通りとぶつかるT字路を左に曲がると、一分も歩かないうちに テアトル広場 が見えて来ます。

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この場所はモンマルトル村の村役場が在った場所で村の中心でした。

P2231492-1.jpgP2231493-1.jpgP2231494-1.jpg

モンマルトルは20世紀初頭、 ピカソ ユトリエ などの多くの画家が暮らしていた場所で、現在は沢山の似顔絵描きが集まる広場です。

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広場の周りには沢山の土産店やカフェが建ち並んでいます。似顔絵を描いてもらっている人達を、珈琲をすすりながら眺めるのも楽しそうです。

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Maison Maurice Neumont

テアトル広場西側の路地を奥に入ってみると、ちょっと変わった建物が在りました。住宅かと思っていましたが美術館の様です。

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壁への落書きは酷いですが、アール・ヌーボーの扉が素敵です。

この建物の前の小さなカルヴェール広場を抜け、狭いブルボ通りを通ってノルヴァン通り

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ブルボ通り

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ノルヴァン通りとのT字路を左折して

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Le Consulat Restaurant

100年前には芸術家達が出入りした溜り場だったとか。

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ユトリロも描いたモンマルトル最古のサン=ルスティック通り

キャプチャ2

サン=ルスティック通り

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ユトリエの描いた「サン=ルスティック通り」

キャプチャ3

ストリートビューで同じアングルを探してみました。

ソル通りに戻って北上し、静かな石畳の坂道を下ります。

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ソル通りコルト通りアブルヴォワール通りの交わるところ。

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ルト通りを見る。

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La Maison Rose

左はアブルヴォワール通り、右はソル通り。

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モンマルトル 葡萄園

モンマルトルの丘はかつては葡萄園で覆われていましたが、その名残ががこの葡萄園。
この葡萄園で収穫された葡萄から作られたワインは、周辺のレストランで飲むことが出来るそうです。ブラタモリで紹介されていました。

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右手にモンマルトル葡萄園を見ながらソル通りを下り、サン=ヴァンサン通りとの十字路。P2231514-1.jpg

十字路を通り過ぎ、坂のソル通りを更に下って行くと階段も見えて来ました。

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通りの両側にはレトロな建物が並んでいます。

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ル・ランシーの街やパリ市内の彼方此方でも見かけた石積の外壁。

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ソル通りを進むとコーランクール通りに出て来ました。

夕食は友人がレストランを予約してくれていますが、まだ少し時間があります。

朝から歩き詰めで、もう体力の限界を超えていたのでコーランクール通り沿いで一休み出来るカフェを探すことに。

コーランクール通りを東へ少し歩き、最初に見つけた VICKALUNZO と言うカフェに入り30~40分程休み、バスと歩きでフェルディナン・フロコン通りのレストランに向かいました。

キャプチャ4

Ⅼe Réciproque ( 14 Rue Ferdinand Flocon,75018 Paris )

キャプチャ5

内装も素敵です。

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この日も何の心配もなく、安心して美味しいディナーを楽しむことが出来ました。

一日付き合ってくれたうえに、レストランの予約までしてくれた友人には感謝の言葉も見つかりません。


  1. 2020/05/22(金) 15:48:00|
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パリ旅行記 - 27 ( 二日目 ) モンマルトル散策 - 4 ( サクレクール寺院・外観 )

モンマルトル散策の四回目は、サクレ・クール寺院 の外観を紹介します。

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高さ83mの卵型の大ドームを中央に据え、取り囲むように4つの小ドームを配しています。後陣の高さ85mの鐘楼に納められた重さ19tの鐘は世界最大級らしいです。

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ガイドブックの写真や観光ポスターで見たように、晴天なら白い大理石の外壁が青空に映えて、さぞや美しかったろうと思うと少し残念です。

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正面出入口屋根の上の銅像は、ルイ9世ジャンヌダルク

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聖王 ルイ9世           ジャンヌダルク

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窓や出入口に多用される半円アーチロマネスク様式の特徴であり。

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少ない開口部と重々しい外壁に

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軒部に施されたロンバルディア帯ロマネスク様式の特徴です。

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正面出入口の屋根を支えるアーチと柱 

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展望台で見たガーゴイルゴシック様式で見られるものです。

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内陣後方の周歩廊のチャペル ( 放射状祭室 )と鐘楼。

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高さ85mの鐘楼の鐘は重さ19tで世界最大級。

サクレクール1

テアトル広場 に向かいます。

  1. 2020/05/21(木) 12:39:00|
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パリ旅行記 - 26 ( 二日目 ) モンマルトル散策 - 3 ( サクレクール寺院・内部 )

モンマルトル散策の三回目は、サクレ・クール寺院 の内部を紹介します。

サクレクール教会航空写真-3

平面は高さ83mの卵型の大ドームを中心に据えた二廊式十字型プラン

大ドームの周りに4つの小ドームと後方に高さ85mの鐘楼を配しています。

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① 正面の入口付近から、中央の大ドームを見上げる。

先程登ったのは、ドームの天井辺りのです。

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①② 中央交差部から内陣天井のキリストのモザイク画を見る。

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②  

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② 

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①②

入口付近から 身廊 ⇒ 中央交差部 ⇒ 内陣 越しに 祭壇 を見る。

設計者 / ポール・アバディー

建築年 / 1919年

所在地 / パリ市18区

普仏戦争の敗戦、その後の市民騒乱によるパリ市民の傷心を癒す為に、1876年に建設が始まり4千万フランの費用と40年の歳月を掛けて、1919年に完成しました。

エッフェル塔やエトワール凱旋門と並んで、パリのランドマークになっているので、てっきりもっと古い建物かと思っていたので、僅か100年前に建てられた教会堂とは驚きです。歴史的建築物ではなかったんですね。

建築様式は過去の様式を折衷させた折衷主義によるもので、ビサンチン様式 + ロマネスク様式の特徴があり、ゴシック様式の要素も垣間見えます。

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③ 入口を入って左 ( 西 ) 側小ドーム下の祭壇を見る。

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④ 同じ場所から左側、入口横の祭壇を見る。 

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⑤ 入口を入って右 ( 東 ) 側小ドーム下の祭壇を見る。

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⑥ 同じ場所から右側、入口横の祭壇を見る。

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⑧⇒⑦ 中央交差部越しに、左 ( 西 ) 側翼廊のステンドグラスを見る。

窓や出入口には半円アーチが多様されています。

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⑦ ステンドグラスのアップ。 

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⑦⇒①⑧ 中央交差部から中央ドームと右 ( 東 ) 側翼廊を見る。

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⑦⇒⑧ 中央交差部越しに、右 ( 東 ) 側翼廊のステンドグラスを見る。

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⑦⇒⑨⑪ 周歩廊方向を見る。 

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⑨ 左 ( 西 ) 側奥の小ドーム下の祭壇を見る。

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⑨⇒⑩ 右 ( 東 ) 側奥の小ドーム下の祭壇方向を見る。 

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⑩ 右 ( 東 ) 側奥の小ドーム下の祭壇を見る。

内陣後方の周歩廊には7つのチャペル ( 放射状祭室 ) が在ので、時計回りに歩いてみましょう。

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⑪ 周歩廊から内陣天井を見る。

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⑪ 左から二つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑪ 同じ場所から内陣側を見る。

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⑫ 左から三つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑬ アプス真後ろ、左から四つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑬ 天井のモザイク画のアップ

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⑬ 同じ場所から内陣側を見る。

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⑭ 左から五つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑭ 同じ場所から内陣側を見る。

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⑮ 左から六つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑮ 同じ場所から内陣側を見る。

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⑯ 左から七つ目のチャペル ( 放射状祭室 )

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⑯ 同じ場所から内陣側を見る。

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⑯ 同じ場所からアプス真後 ( 四つ目のチャペル ) を見る。

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⑯ 同じ場所から東側側廊を通して入口横の祭壇を見る。

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⑯ 同じ場所から⑨の左 ( 西 ) 側奥の小ドーム下の祭壇方向を見る。

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最後にもう一度中央大ドームを見上げて、聖堂を後にします。

  1. 2020/05/20(水) 19:08:00|
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パリ旅行記 - 25 ( 二日目 ) モンマルトル散策 - 2 ( モンマルトルの丘からの眺め )

モンマルトル散策の二回目です。

今回はモンマルトルの丘の上に建つ サクレクール教会 から眺めた、パリ市内の風景を紹介します。

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先ずは サクレクール寺院 の前のテラスから見たパリ中心部の眺めです。

天気の悪さは残念ですが、ここからの眺めも充分綺麗なのですが、この日も朝からパリ観光案内をしてくれている友人が「ドームの上からだと、もっといい眺めだから登ろう」と提案。朝から歩き詰めだったうえに、ピカソ美術館で買った陶器のカップの重さも、この頃になって辛くなり始めていたので、長い階段を登る体力が残っているとは思えませんでした。ただ横に居た妻の顔を見ると、私より疲れていた筈なのに、断る様子はありません。ここで男の私が音を上げる訳にも行かず ( 昭和の考え )、腹を括って登ることにしました。

サクレクール教会航空写真

ドームへ上るには、教会西側の階段を一階分地下に下た、地下一階が入口なので一階分損をした気分です。

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何処がゴールか分からない、狭くて長い薄暗い螺旋階段を登るのはまるで苦行の様で、カバンの中のピカソのカップも肩に食い込みます。何度も立ち止まりながら、やっと明るい所に出て来ました。でもここはゴールではなく航空写真の矢印の部分で、北西の小さなドームから中央ドームへ移動する屋根の上だったのです。更に中央のドームを登らなければなりません。

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ルーブル美術館方向 ( 南 ) 。目前の緑地はウォレット公園です。

再び苦行の続きを味わった後には、こんな素晴らしいご褒美が待っていました。

曇天なのは残念ですが、パリを一望できる素晴らしい眺めです。

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モンパルナスタワーエッフェル塔が見えます。( 南南西方向 )

じっくり景色を見る前にドームを一周してみましょう。

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東側の小ドームを見る

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イタリア旅行の時は、バチカンでもフィレンツェでもドームには登らなかったので、ドームに登ったのは初めての体験です。

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2月のパリ、しかも丘の上に建つ吹き曝しのドームの上が暖かな筈はありません。私だけ上着を脱いでいるのは、人一倍汗っかきで汗びっしょりになっていたからです。

ここでは エッフェル塔 を摘まみ上げてみました。

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南西 ( エッフェル塔 ) 方向を見る。

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南南西 ( ンパルナスタワーエッフェル塔 ) 方向を見る。p2231424-1.jpg

よく見るとモンパルナスタワーの下辺りから

ルーブル美術館 ⇒ オルセー美術館 ⇒ オペラ座 ⇒ アンバレットが見えます。

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金のドームの アバリッド の右下に ブルボン宮 も見えます。

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南方向を見る。

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拡大すると、左側に サン・ジャック塔 ⇒ ノートルダム大聖堂  右側には パンティオン ⇓ サント・シャペル ⇓ サン・トゥスタッシュ教会 見えます。

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南南東 ( ポンピドゥーセンター ) 方向を見る。

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拡大すると ポンピドゥーセンター がはっきりと見えます。

次回は内部を紹介します。

  1. 2020/05/15(金) 14:30:00|
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パリ旅行記 -24 ( 二日目 ) モンマルトル散策 - 1 ( アベス駅~サン・ピエール広場 )

今回からモンマルトル散策です。

パリに在住している友人と一緒だったので、移動時は彼女の後ろを付いて行くだけで、どこをどう乗り継いだかはよく覚えていませんが、恐らくマドレーヌ駅で8号線から12号線に乗り換えて、アベス駅まで行ったのだと思います。

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トロ・アベス駅 出入口

モンマルトルに来た理由には「モンマルトルの丘の上からパリの街を眺めたい」「テアトル広場 に行ってみたい」「サクレ・クール教会 を見学したい」などの理由がありましたが、一番の目的は、近代建築史の本でアール・ヌーヴォーを解説する際には必ず登場する パリ・メトロ出入口 を見たかったからです。旅行の直前まで、パリの何処でも見ることが出来ると思っていたアール・ヌーボー メトロ出入口 は、この アベス駅出入口 の他は「2号線-ポルト・ドーフィヌ駅」と「シャトレ駅」だけだと分かりました。シャトレ駅 はこの日の午前中に利用しするも見付けられず、ポルト・ドーフィヌ駅 には行く予定が無かったので、アール・ヌーボー メトロ出入口 を見られるのは、ここ アベス駅 が唯一の場所なのです。

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アール・ヌーボーの意味は「新芸術」。

19世紀末期から20世紀初期に掛けてヨーロッパで発生し流行した芸術運動で、植物や動物をモチーフとした自由曲線で描かれているのが特徴です。

パリ・メトロ出入口 は、1900年に開催されたパリ万博に合わせて開通したメトロのもの。設計者はデザインコンペによって選ばれたエクトール・ギマールです。

以前から奇抜なデザインで話題になっていたギマールのデザインは、賛否両論を巻き起こすこととなりますが、アールヌーボーはパリでも流行し、ギマールが手掛けた パリ・メトロ出入口 は、最盛期には166ヵ所も在りましたが、第一次大戦混乱による不況もあり「金が掛かり過ぎる」と否定され、ギマールの出入口 も取り壊されるなど、やがて半減してしまいます。1960年代に入ると再評価されますが、現在は上記の3ヵ所だけになってしまったのです。

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駅前広場には、可愛らしいメリーゴーランドも設置されてます。

広場に面する公園には

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ジュテームの壁 

ジュテームとはご存知の通り「愛してる」の意味。フレデリック・バロンの作品で、612枚の青いタイルに、300以上の言語で「愛しています」の意味の言葉が綴られています。勿論日本語も・・・。縦書きされているので見つけ易いので、クリック ( 拡大 ) して探してみて下さい。

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サン・ジャン・ド・モンマルトル教会

設計者 / アナトール・ド・ボド

建築年 / 1904年

所在地 / パリ18区

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一見煉瓦造の教会に見えますが、外壁は鉄筋コンクリート造で、パリで最古の鉄筋コンクリート造の教会堂建築だったのです。

サン・ジャン・ド・モンマルトル教会-3

驚いたことに、柱とアーチは鉄骨を剥き出しにした斬新過ぎるデザイン。尖頭アーチなどゴシック様式の特徴に幾何学模様を織り交ぜたデザインも独特です。

( 内部の柱も鉄筋コンクリート造と記されたサイトもありました。実際に触って確認してくればよかったです。)

サン・ジャン・ド・モンマルトル教会-1

恥ずかしながら、今回この記事を書く為に改めて調べるまでは、この教会の事もアナトール・ド・ボドと言う建築家の名前も全く知らなかったので、写真も数枚しか撮っていません。もう一度パリを訪れる機会があれば、じっくり見学してみたい建物です。

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更に驚いたのは、この教会堂の玄関を飾るセラミックタイルを担当したのは、フランクリン街のアパート のタイルを担当したアレクサンドル・ビゴだと言う事です。

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やはりビゴは重要人物だったみたいです。

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サン・ピエール広場に向かいます。

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さりげない飾り付けも色鮮やかで素敵です。

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数分で サクレクール教会 を見上げるサン・ピエール広場に到着します

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サン・ピエール広場で、サクレクール教会 をバックに記念撮影。

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アベス駅前のものよりも本格的なメリーゴーランドが在ります。ヨーロッパの広場にはメリーゴーランドが付き物のみたいです。

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ここから見ると サクレクール教会 は目の前にあるように見えますが、サン・ピエール広場 との間にはウォレット公園と言う斜面を利用した公園が在り、 サクレクール教会 までたどり着くには、公園内の長い階段を登るか、メリーゴーランドの裏から乗るケーブルカーを利用するしかありません。

サクレクール4

20年若ければ、一気にこの階段を駆け上がりたいところですが、かなり疲れていたのでケーブルカーで登りました。

  1. 2020/05/12(火) 11:41:00|
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パリ旅行記 - 23 ( 二日目 ) マレ地区散策 - 4

今回はマレ地区散策の4回目。

マレ地区地図-4

今回はヴォージュ広場から、バイティーユ広場までの道のりです。

⑮

K ヴォージュ広場 北側の建物の回廊

広場の四方は、同じデザインの建物が囲んでいて、全ての建物は広場に面して回廊が在り、骨董店やアートギャラリー、カフェ等の飲食店で賑わっています。

⑬

30 J 広場北側は 王妃の館

ヴォージュ広場 アンリ4世が造られたパリ最古の公園の一つ。

アンリ4世は「パリを世界一美しい都にしたい」と望みましたが、暗殺によって1612年の完成を見ることは出来ませんでした。この公園は完成当初は「ロワイヤル広場 ( 王の広場 ) 」と呼ばれ、フランス革命の際に、現在の ヴォージュ広場 改名されます。

四方の建物は、南棟の「王の館」北棟の「王妃の館」を含め、36もの館で囲われ、ヴィクトル・ユゴーをはじめ、多くの貴族や政治家、作家等が住んでいました。

設計者 / Louis Me'tezeau

建築年 / 1612年

所在地 / パリ3・4区

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30 K 広場西側の建物

四方の建物のデザインは、アンリ4世の命により統一されていて

1階は半円アーチのアーケード。

2・3階は赤煉瓦に、窓廻り等には白い石材でアクセントを施した外壁。

急勾配の屋根面には、ドーマーウィンドゥーを施しています。

東京駅のデザインに似ている気がします。

⑭

L 広場南側は 王の館

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30 ヴォージュ広場 のベンチで一休み。石はアスファルトよりも固く、しかも凸凹しているので、石畳の道を歩くのは、慣れないとかなり辛いです。

西棟の回廊を南に進むと、南棟に抜け道のような通路が空いています。

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31 シュリー館 / オテル・ド・シュリー庭園 庭園南側の棟。

通路を抜けるとまた小ぶりなフランス式庭園に出て来ました。

ヴォージュ広場 の南西に隣接するこの館も同時期に建築されました。アンリ4世ルイ13世に仕えたシュリー公の邸宅です。

建物中央に中庭を通ってサン=タントワーヌ通り抜ける通路が見えます。

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31 オテル・ド・シュリー庭園 振り返って庭園北側の棟を見る

写真右下の出入口がヴォージュ広場に繋がっています。

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32 シュリー館 オテル・ド・シュリー庭園から、通路を抜けてシュリー館中庭に入り建物を見返す。

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通り抜けて来た通路の出入口の両側に、奇妙な像が

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頭と胸は女性で、その他の体はライオンでしょうか?

マレ-1

33 シュリー館 サン=タントワーヌ通りから見る。

サン⁼タントワーヌ通りを東へ進み バスチーユ広場 へ向かいます。

ちょっと寄り道して

⑯

M サン・ポール・サン・ルイ教会

完成は1641年。パリでは唯一のバロック様式で建てられた教会堂らしいです。

サン=タントワーヌ通り沿いの建物を見て行きましょう。 

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34 JACADI PARIS SAINT ANTOINE  ( 子供服店 ) 

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N Hotel de Mayenne 

建築年は1617年。ヴォーグ広場の建物とデザインも似ていますが、時期も一致しています。

設計者 / アンドルーエ・デュ・セルソー

建築年 / 1617年

所在地 / パリ地区

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35 サント・マリー教会

プロテスタントの教会らしいですが、詳細は不明です。

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36 バスティーユ広場  7月革命記念柱 が見えて来ました。

4区11区12区の3つの区に跨っているこの広場は、元はバスティーユ牢獄があった場所。

1789年7月14日のフランス革命の発端となったバスティーユ襲撃事件発生した場所で、バスティーユ監獄は1792年に取り壊されます。この記念柱1830年の7月革命を記念する 7月革命記念碑 として1846年に建てられました。

p2221403-1.jpgimg_1139-1.jpgimg_1140-1.jpg

天使の像はオーギュストデュモン作

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37 Banque de France ( 金融機関 )

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38 飲食店やモデル事務所が入居する建物

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39 オペラ・バスティーユ ( 新オペラ座 )

バスティーユ広場 に面して建つ建物でもっとも有名なのが、この 新オペラ座

設計者 / カルロス・オットー

建築年 / 1989年

所在地 / パリ12区

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1982年に当時のミッテラン大統領によって建設計画が始まり、翌1983年に設計コンペが行われ、建物が完成したのは1989年。2005年には改修工事も行われています。

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バスティーユ駅からメトロに乗ってモンマルトルへ向かいます。

  1. 2020/05/11(月) 15:50:00|
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パリ旅行記 -22 ( 二日目 ) マレ地区散策 -3

今回はマレ地区散策の3回目。

マレ地区地図-3

スービーズに接するフラン・ブルジュワ通りを南東方向に進みますが、

ここではちょっと寄り道して

⑪

H ロアン館 ( 国立公文書館 )

スービーズ館 の裏側に在り、同じ区画内で隣接しています。p2221354-1.jpg

17 Hôtel d’Almcras

堂々たる構えの建物ですが、窓から室内を覗いてみると、現在は使用されている様子は無く、建物の奥に中庭が在るのが見えます。

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歴史的建築物だと言う事は分かったのですが、ネットで検索しても詳細は分かりません。入口の横に貼られたプレートを見ると Hôtel d’Almcras と読めるのが唯一の情報です。
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更にフラン・ブルジュワ通りを進んで行くと

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18 Hôtel d’Albret ( ダルブレ館 )

この建物も、残念ながら詳細不明です。

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道路が狭かったので、扉の下から屋根まで一枚の写真では撮影出来ませんでした。 

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フラン・ブルジュワ通りパヴエ通り~パイエンヌ通りとの交差点まで進んで行くと、右手には ラモワニョン館 、左手には カルナヴァレ館 が在ります。

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19 ラモワニョン館 ( パリ市歴史図書館 ) 

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この館は、16世紀にアンリ2世王女ディアヌ・ド・フランスによってルネッサンス様式で建てられました。 

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また、この館はルイ16世の弁護人を引き受けたことで知られる クレティアン=ギヨーム・ド・ラモワニョン・ド・マルゼルブが生まれた館とか。

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⑰

I カルナヴァレ館 ( カルナヴァレ博物館 )

カルナヴァレ館 と隣接する ル・プルティエ・ド・サン=ファルジョー館 という2つの建物で構成されている博物館。

カルナヴァレ館 は1548年にルネサンス様式により建てられた建物を、17世紀中頃にフランソワ・マンサールの設計で改修工事が行われています。

ル・プルティエ・ド・サン=ファルジョー館 は1688年に建てられました。

⑫ 

交差点に戻り、パイエンヌ通りを北に向かって進むと、左手に小さな公園が在ります。

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20 ラザール=ラッシュリーヌ庭園

庭園と言うよりも、中庭と言った感じでしょうか?

奥に見える建物は1598年に建てられた ドノン館 ( コニャック=ジェイ美術館 ) です。

ラザール=ラッシュリーヌ庭園 の右隣には

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21 Institut Tessin

アートギャラリーらしいのですが、詳細は分かりません。ドノン館 の建物とは外壁が接していて、デザインも酷似しています。

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Institut Tessin の向いの公園 ( Square George Cain ) から

⑱

22 Square George Cain

この公園に面する建物の外壁には、色々な装飾が施されています。

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イオニア式のオーダー柱ペディメントを支えるギリシャ神殿風の装飾 

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Lycée Victor Hugo, Paris 

この隣の建物も詳細は不明ですが、高校の校舎のようです。

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23 Hotel Chatillon  Institut Tessin の右隣の建物

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24 Aldo Pellas   Hotel Chatillon の右隣の建物。アンティーク・ショップのようです。

パイエンヌ通り突き当りのT字路を左折し、パルク・ロワイヤル通りに入ります

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Hôtel de Bonneval

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この建物も、歴史的建築物と言うこと以外は詳細不明です。

道なりに進んでトリニ広場からトリニ通りに入りピカソ美術館

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26 ピカソ美術館 ( Hôtel Sale' )

言わずと知れたパブロ・ピカソのコレクションを展示する美術館。

建物は オルテ・サレ ( 塩の館 ) と呼ばれた17世紀中頃に建てられました。

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⑳

27 ピカソ美術館ミュージアムショップ

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美術館には入館しませんでしたが、向に在ったミュージアムショップは覗いてみました。

このカップの柄が気に入り、自分の為にマグカップとコーヒーカップを、娘夫婦の為のカップも買ったので、陶器の重さがこの後私を苦しめることになります。

この後はドベレム通りを経てへ出ました。右折してティレンヌ通りを南へ進むと

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28 サン・ドニ・デュ・サン・サクルマン教会

ポルチコと呼ばれる正面入り口が特徴的。6本のイオニア式オーダー柱ペディメントを支えるている姿は、ローマの パンティオン を思わせます。

設計者 / Étienne-Hippolyte Godde

建築年 / 1835年

所在地 / パリ3区ティレンヌ通り

建築様式 / ネオ・クラシック様式

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正面の壁面にはペテロパウロの彫像がが飾られています。

ティレンヌ通りを南下します。

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29 Hotel du Grand Veneur

設計者 / Michel Villedo

建築年 / 1637年

所在地 / パリ3区ティレンヌ通り

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更にティレンヌ通りを南下し、ヴォージュ広場へ向かいます。

  1. 2020/05/09(土) 14:50:00|
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パリ旅行記 - 21 ( 二日目 ) マレ地区散策 - 2

今回はマレ地区散策の2回目。

マレ地区地図-2

青い線が今回歩いたコースです。

目指す ポンピドゥーセンター が見えて来ました。

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9 ジョルジュ・ポンビドゥー国立芸術文化センター

ポンピドゥーセンター の北西側に出たみたいです。建物の西側にはちょっとした広場が在りますが、建物が大きくて全体を写すことが出来ません。

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一部改修工事中でしたが、元々が仮設足場のようなデザインなのでそれ程違和感がありません。エスカレーターを覆うガラスのチューブも目を引きます。

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北側も鉄骨剥き出しのデザイン。築後40年以上を経た現在でも、充分斬新性が感じられます。

設計者 / レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース

建築年 / 1977年

所在地 / パリ4区、サン=メリ地区

1969年、近代芸術の愛好家であったジョルジュ・ポンピドゥー大統領が、近現代芸術拠点を設ける構想を発表し、1977年ジスカール・デスタン大統領により落成式が行われました。当初はエッフェル塔の完成当時と同様に、デザインが斬新過ぎて歴史的建築物が建ち並ぶ、パリの美観を損ねるなどの批判が噴出させた話題文化施設です。80年代前半に大学で建築を学んだ私達の年代の者にも、思い入れの深い建築の一つです。

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10 ポンピドゥーセンター 北側のランビュート通り

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11 今ではマレ地区の街並みに、すっかり馴染んだ感があります。

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北東側 ( ランビュート通りボーブール通り) の交差点から。

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建物全体を捉える為に広角レンズに変えてみます。

西・北の両面はシルバーに塗装されたスチールトラスや露出された巨大なブレースが特徴でしたが、ボーブール通りに面する東面は露出され青や緑や赤に塗装された設備配管が特徴です。アスファルトから突き出た白い巨大な吹出口を、オブジェとして協調しています。

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シルバーの鉄骨とガラスチューブのエスカレーターが印象的だった西側とは、かなり印象が異なります。 

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南東側 ( サン=メリ通りルナール通り) の交差点から。

南側の立面は、西・北側とお同じような、スチールトラスを露出させたデザインです。

ルナール通りからサン=メリ通りに入りストラヴィンスキー広場へ。

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13 ストラヴィンスキー広場

広場には長方形の池が在り、お隣の ポンピドゥーセンター の派手な色彩にも負けない、派手な色彩のオブジェが並んでいます。

ストラヴィンスキーとはロシアの作曲家の名前で、1913年に「春の祭典」をパリで上演します。当時としてはあまりに前衛的な内容だったらしく、全くパリ市民に受け入れませんでしたが、現在では偉大な作曲家として認められています。彼のチャレンジ精神がポンピドゥ・センターのコンセプトに合致したのでしょう。

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派手な色彩のキッチュなオブジェは、スイスの芸術家ジャン・ティンゲリーとフランスの画家ニキ・ド・サンファル夫妻よる「自動人形の噴水」と言うアート作品。

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ストラヴィンスキー広場越しに ポンピドゥ・センター の南側立面を見る。

広場の南側は サン・メリー教会 の側面に面しています。

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14 サン・メリー教会 

創建は13世紀初頭で、現在の教会は16世紀に建てられました。

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ラテン十字型 - 五廊式 ゴシック様式 の教会堂

パリの美しい教会の1つとして知られ、小ノートルダムとも呼ばれているそうです。紀元700年にパリに巡礼に訪れたあと死亡した聖メリが名前の由来で、その遺骨は教会の地下室に埋葬されています。

サン=メリ通りルナール通りの交差点に戻り、サン=メリ通りを東に歩いて行きます。

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15

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16 アルシーヴ通りとの交差点

この交差点を右(南)に少し入ったところに

③

B ビレット教会

16 の交差点に戻りアルシーヴ通りを左 ( 北 ) に向かいます。

④

C Maison dite de Jacques Coeur ( ジャック・クールの家 )

⑤

D 建物の名前も建設された年代は不明ですが、素敵な建物です。 パリ市内では少し歩けば、この建物のように歴史やロマンを感じさせる建物に出会うことが出来ます。

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装飾も凝っています。

フラン・ブルジュワ通りとの交差点まで進みます。

⑥

E スービーズ館 ( フランス歴史博物館・国立公文書館 )

この交差点を右折してフラン・ブルジュワ通りに入りますが、ちょっとだけこの先のアルシーヴ通りをSVで見てみましょう

⑦

F Convent of Mercy

アルシーヴ通り左 ( 西 ) 側、スービーズ の向の建物 

⑧

E 再び スービーズ館 まるで城の様ですね。

⑨ 

オドゥリエット通りとの交差点

右側が スービーズ まさに城壁です。左に見えるのが ゲネゴー館

⑩

G ゲネゴー館 ( 狩猟自然博物館 )

設計者 / フランソワ・マンサール

建築年 / 1655年

所在地 / パリ3区

アルシーヴ通りフラン・ブルジュワ通りとの交差点に戻り、フラン・ブルジュワ通りに入って行きます。

⑥-2

E スービーズ ( フランス歴史博物館・国立公文書館 )

設計者 / ピエール・アレクシス・ドラメール

内部装飾設計 / ジェルマン・ボフラン

建築年 / 1709年

所在地 / パリ3区

スービーズ館 は、ルイ14世の時代、建築家ドラメールによってロココ様式で建てられましたロココ様式の豪華な内部装飾はジェルマン・ボフランが行っています。16世紀にスービーズ侯爵買い取って改装が加えられ、18世紀には多くの文化人によるサロンや演奏会の場となりますが、フランス革命の時代に政府に没収され、現在は国立古文書館として利用されてます。

  1. 2020/05/06(水) 12:28:00|
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パリ旅行記 - 20 ( 二日目 ) マレ地区散策 - 1

パリ旅行の二日目も ノートルダム・ル・ランシー教会サン・トゥスタッシュ教会 の見学を終えた頃には12時を回っていたので レ・アル駅 の北側の飲食店の並んでいるモントルゲイユ通りを散策しながら、入れそうな店を探します。

マレ地区地図-1

 

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① 

先ずは サン・トゥスタッシュ教会 の東側から、小規模な飲食店や店舗が並ぶモントルゲイユ通りを北上します。シャンゼリゼ大通りも素敵でしたが、この様なゴチャゴチャッとした繁華街もパリの魅力ですね。

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② 

細い路地 ( モーコンセイユ通り ) を覗き込む。

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② 

L'Escargot Montorgueil 有名なフレンチ料理店らしいです。

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③ 

エティエンヌ・マルセル通りとの交差点を通り過ぎ、更にモントルゲイユ通りを進みます。

何軒か料理の美味しそうな店を覗きましたが、良さそうな店は何処も満席で、なかなか昼食にあり付けません。

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⑦ 

サン=ソヴァール通りと言う細い路地に入って行きます。

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⑧ 

去年の秋に放映していたキムタク主演のドラマで、ロケ地になった店らしいです。

この通りの人気のハンバーガー店に入ることが出来ましたが、店内が狭いうえに相席だったので、写真を撮ることが出来ませんでした。

来た道をエティエンヌ・マルセル通りとの交差点まで戻り左折します。

①

A エティエンヌ・マルセル通り 

パリの街並みは何処を通っても美しい!!

次回はポンピドゥーセンター を目指します。

  1. 2020/05/05(火) 12:33:00|
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パリ旅行記 - 19 ( 二日目 ) サン・トゥスタッシュ教会

ル・ランシーの散策を終え、トラムとRER-B線を乗り継ぎ、シャトレ・レ・アル駅にやって来ました。

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シャトレ・レ・アル駅は3本のRER線と1本のメトロ交差する大きな駅で、ショッピングとも一体化していて、巨大な鉄とガラスの屋根に覆われています。

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レ・アル駅前に広がる緑地はネルソンマンデラ公園。次の目的地は公園の北側に接して建つ教会です。

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サン・トゥスタッシュ教会

沢山のステンドグラスフライングバットレスが施された、見るからにゴシック様式と思われる サン・トゥスタッシュ教会 は、パリのノートルダム大聖堂 の平面を意識したと言われるラテン十字型の教会です。

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南 側面ファサード

一見しただけではどこが正面なのか分かりませんでしたが、向かって左側が正面のようです。

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西側正面ファサード

鐘塔ノートルダム大聖堂 の様な高さが無く、一層はドリス式、二層はイオニア式オーダー柱ペディメント ( 三角の破風 ) を支えています。

このデザインはゴシック様式とは思えません。調べてみるとこの教会は、16世紀になってもゴシックの伝統が根強く支配していたフランスの教会建築において、この時期イタリアから入って来たルネッサンス様式の影響を受けた珍しい教会だと分かりました。

着工は1532年。1637年に献堂式が行われました。ファサードは構造上の問題で一度取り壊され、現在のファサードは ジャン・アルドゥアン=マンサール が設計し、1754年に完成しています。

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言われてみれば、側面の一層二層の開口部は、ゴシック建築の特徴である尖頭アーチではなく、半円アーチで造られています。

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教会建築の事を詳しく知らないと、正面の入り口に思えるかもしれないこの立面。一見しただけではゴシックに見えるんですけどね。

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東 ( 内陣 ) 側立面

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ドリス式の柱頭にガーゴイルが巧みに融合されています。

いよいよ聖堂の中に入ります。入場口が教会の正面ではなく、内陣の斜め後ろの周歩廊からだった為に、聖堂中に入っても、暫く聖堂の全体像が把握出来ずに戸惑いました。

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 正面からの入場なら、奥正面に内陣が見えるところですが、いきなり林立する太い列柱に視線を塞がれてしまい、イタリアで見て来た教会のイメージとはかなり異質に感じます。

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奥行き100m、幅44m、高さ39m。

ラテン十字型-五廊式 の教会堂です。 

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 アプス 真後ろの祭室   3つ上の写真の室内側にあたります。

トゥスタッシュ-4

 

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ステンドグラスのアップ

左へ移動 祭壇 右斜め後ろには

トゥスタッシュ-6

 ジャン・バティスト・コルベールの墓廟  コワズヴォー作

棺の上にはコルベール自身の像が載っています。左右の像は「忠誠」と 「豊穣」

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後方のステンドグラスのアップ

入場口から周歩廊を反時計回り進み側廊を見る。

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 聖堂の平面構成はラテン十字型-五廊式なので柱が多く、その太さもあって間隔が狭く感じられ、見通しが効かず、なかなか全体像が掴めません。写真は正面入口に向かって右側、内側の側廊から撮ったもの。

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 同じ場所から身廊の天井を撮る。

交差するリブ・ヴォールトが蜘蛛の巣の様も、樹木の枝の様にも見えます。クリアストリーステンドグラスから光が降り注ぎ、聖堂に神秘的な雰囲気を作り出しています。

アーケードクリアストリーの間に見える4連の半円アーチの開口部をトリヴューン ( ギャラリー) と言います。

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 同じ場所から、外側の側廊を撮る。

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④ 

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 身廊内陣、左右の翼廊が交わる部部分 ( 中央交差部-クロッシング ) からアプスの天井を見る。 

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 視線を少し下へ移動して内陣方向を見る

中央交差部に立っても、それ程広々とした感じがしません。高い天井を支える為に、柱が太く造られているからでしょうか? 実際に身廊の幅が狭いようにも見えます。15m程でしょうか?

この森の中に居るかのような感覚が、ゴシック様式の聖堂の特徴なのかもしれません。代表的ゴシック様式である ノートルダム大聖堂 の見学が出来ないことが本当に残念です。

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 中央交差部から、 南側翼廊 (ネルソンマンデラ公園方向 ) を見る。

公園から見えたバラ窓が見えます。 

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 中央交差部から、身廊 ( 教会正面・西方向 ) を見る

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 正面入口の上部に設置された8000本のパイプを持つパイプオルガンは、屈指の名器と言われているそうです。 

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 中央交差部から、北側翼廊を見る。

トゥスタッシュ-5

 

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バラ窓のステンドグラスのアップ 

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 ゴシック様式では通常は尖頭アーチとなるところですが、この教会堂では半円アーチリブ・ヴォールトが用いられています。

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 まるで深い森の中に居るかの様な感覚です。 

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 この聖堂の内部は、ステンドグラスもさることながら、林立する列柱の存在感が圧巻です。 

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⑨  ゴシック建築の特徴の一つにピアと呼ばれる細い円柱を束ねた様な柱 ( 束ね柱 ) があります。ここではピアを形成する細い円柱となるところに、コリント式のオーダーが施されています。

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 外側の側廊には、柱間に鮮やかな絵画や彫刻で飾られています。 

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 祭壇 左斜め後ろ

並ぶことも無く見学出来る教会ですが、ノートルダム大聖堂 が改修工事中で内部の見学が出来ない今は、訪れる価値はあると思います。

  1. 2020/04/28(火) 19:00:00|
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パリ旅行記 - 18 ( 二日目 ) ノートルダム・ル・ランシー教会 - 4 ( 街並み )

ル・ランシーの街並みがあまりに素晴らしかったので、行き帰りの道で目に留まった建物と、ストリートビューで見付けた ノートルダム・ル・ランシー教会 近辺の魅力的な住宅も併せて紹介します。

先ずはレジスタンス通りの建物から

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この建物は ノートルダム・ル・ランシー教会 に来る道の途中で見掛けた建物です。

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古いアパートメントだと思いますが、特に最上階の張り出した庇のデザインが目を引きます。

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かなり庇が張り出していますね。

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こちららはその向かいの建物。

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最上階の角部屋の屋根には、角の様に2本の煙突が突き出しています。どちらの建物も間取りが気になります。

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こちらは ノートルダム・ル・ランシー教会 の向に建つ建物群。

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どの建物もかなり古そうですが

ランシー21

向かって右側の建物が、特に年季が入っているように見えます。

どちらの建物も、1階は店舗。上階はアパートメントでしょうか?

低層部・中層部・高層部のデザインを変えた三層構成のデザインになっています。

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この住宅はレジスタンス通りの東側に入った場所で見掛けた住宅です。

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ボゥウインドー風に張り出した部屋が特徴的。

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更に細い路地に入った場所に建つ住宅。

この建物の様に、外壁に不正形な10cm程度の石を、恐らく2~5cmの厚みに割って貼ったものを多く見掛けます。と言うよりも、古そうな建物の殆どがそうかもしれません。

色は薄い茶系です。

下の4枚は ノートルダム・ル・ランシー教会 西側の住宅地に建つ、お洒落な住宅達。

ランシー14 ランシー15

ランシー16 ランシー17

どの住宅も、外壁は同じような茶系の石貼りです。

レジスタンス通りに戻ります。

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メリー Mairie Le Raincy ( 市役所 or 区役所 )

ご覧の通り堂々たる構えの立派な建物です。残念ながらネットでも詳細を調べることは出来ませんでしたが、さぞや歴史のある建物ではないかと思います。

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建物裏には公園もあり、公園の周りには素敵な建物が並んでいます。

メリー の両隣の建物はコーナー部のデザインに特徴があります。

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パリ市内でも最上階角部屋の屋根形状が、まるで帽子かヘルメットをかぶった様なデザインの建物を幾つも見掛けました。

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どちらの建物も全体のデザインは三層構成。特に最上階角部屋のデザインが目を引きます。

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奥の公園に面した住宅もレトロでお洒落です。この住宅は特にハイレベルと言えます。 

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上の住宅と比べてしまうと、やや新しくシンプルな感じもしますが、どの建物も住棟間隔がたっぷりで造りも豪華です。この町はやはり高級住宅街なんでしょう。 

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更にレジスタンス通りを北に進み、ロータリーを左折しティエール通りに入ります。

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ロータリーに面して建つ建物。この建物はロータリーの円形に合せて、壁面を湾曲させています。

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角部屋のドームも特徴的で、まるでロケットの先端かイギリスの近衛兵がかぶっている毛皮の帽子の様です。

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向の建物も外壁がカーブを描いています。

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ティエール通りから、石張りの住宅が建並ぶプルーズ通りを見る。

茶系の石張りの住宅が殆どです。

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ティエール通り沿いのピザ店

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レ・パビヨン=ス-=ボア駅近付いて来ました。このアパートメントも1階は店舗です。 

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もうすぐ レ・パビヨン=ス-=ボア駅ですランシー34  

駅に面した建物だったので、駅舎かと思いましたが、レストラン等の店舗かも知れません。

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レ・パビヨン=ス-=ボア駅 からトラムに乗り、オルネー・スー・ボワ駅でRER-B5線に乗り換えてパリ市内に戻ります。

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パリ郊外を走るトラムの線路沿いにも、このような可愛らしい住宅を沢山見かけました。

  1. 2020/04/26(日) 18:15:00|
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パリ旅行記 - 17 ( 二日目 ) ノートルダム・ル・ランシー教会 - 3 ( 内観 - 2 )

今回はステンドグラスと言うべきか、ガラスブロックと言うべきか微妙な感じの美しい開口部を中心に紹介します。何と呼ぶのが正確な呼び方なのかは定かではありませんが、ここではこの抽象模様の入った色ガラスステンドグラスと呼ばせてもらいます。

コンクリート打ち放し と並んでこの教会を構成する要素は、ご覧の通りの色鮮やかなステンドグラスです。

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ここでは一枚が50cm足らずの四角いコンクリートパネルに、10cm角程度のステンドグラスを4枚づつ嵌め込んでいます。

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正方角形と長方形だけでなく、三角形や円形を組み合わせたコンクリートパネルには、その形に合わせた様々な模様のステンドグラスが嵌め込まれています。

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数えてみるとコンクリートパネル種類は数種類しかありませんが、パネルの組み合わせと嵌め込めれたステンドグラスの模様によって、限りなく変化に富んだ模様に見えるのです。

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ステンドグラスの色合いは、入口に近い部分は淡い黄色・黄緑・水色。奥に行くに従って オレンジ・ピンク・赤 ⇒ 紫 ⇒ 青 と変化して行きます。

ステンドグラスの色合いは1スパンごとにの変化していますが、変わっているのは色合いと十字が重なる部分のモーリス・ドニが描いた「受胎告知」などのキリストの逸話を描いた部分だけで、その他の小さなブロックの幾何学模様はどれも同じ構図が使用されているようです。

このステンドグラスパイプのマドモアゼルと言われたマルグリルト・ユレの手により作成されました。

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北側壁面 入口側から1スパン目 淡い色合いのステンドグラス

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受胎告知

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北側壁面 2・1スパン目

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北側壁面 3・2・1スパン目

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北側壁面 2スパン目 このスパンは薄緑の十字架が目立ちます。

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北側壁面 3スパン目

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北側壁面 5・4・3スパン目

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北側壁面 4スパン目

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北側壁面 5スパン目

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南側壁面へ

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南側壁面 1スパン目

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南側壁面 1・2・3スパン目

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南側壁面 2スパン目 

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南側壁面 2・3・4スパン目

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南側壁面 3スパン目 

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南側壁面 3・4・5スパン目

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南側壁面 4スパン目  

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南側壁面 5スパン目

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聖堂の最奥。祭壇後方のステンドグラスは濃い青色です。

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海の底の様でもあり、夜空の様にも見える濃いブルーに、赤く縁取られた十字架が浮き上がって見えます。

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もう一つのサント・シャペルと言われるに相応しい美しさです。

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  1. 2020/04/20(月) 22:00:00|
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パリ旅行記 - 16 ( 二日目 ) ノートルダム・ル・ランシー教会 -2 ( 内観 - 1 )

コンクリート打ち放し仕上の質素で地味な外観から受けていた印象が、一歩聖堂内に足を踏み入れた途端に一変します。

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少しずつ前に進んで行きます。

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この画像からは、緩いカーブを描くシェル屋根コンクリート打ち放しだと良く分かります。

直径43cm高さ11mのコンクリート打ち放しの柱のあまりの細さは、耐震設計の鉄筋コンクリート造の柱を見慣れている日本人には、信じられない程の細さです。

巾20m×奥行き56mの聖堂は、28本のこの細長い柱で支えられているのです。

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何と質素であり禁欲的でありながら美しい聖堂でしょう。

4年前に訪れたローマフィレンツェで見た、あまりに豪華で華美な装飾で溢れた教会堂も圧倒されながらも、違和感を感じずには居られませんでした。

この聖堂から感じられる美しさは、清貧の美学とも言える美しさであり、この美しさこそが教会に求められる本来の姿ではないかと思うのです。

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聖堂入り口左側から

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あまりに柱が細いゆえに、平面的には身廊側廊の区別が明確ではないので、三廊式と言えるかどうか?

一般的な三廊式の石造教会では、中央の身廊の屋根と壁の荷重を、一段低く造られた側廊の屋根と壁が、身廊を両側から挟み込むようにして支えていました。

ペレ鉄筋コンクリート構造を用いることで、側廊の担っていた身廊を支えると言う役割りを無くした事で、天井高さを身廊と同等としたばかりか、側廊の外壁を重力から解放させ、光溢れる聖堂を造り出すことに成功したのです。

僅かに側廊を思わせるのは、アーケードの代わりに、波のように連続するヴォールト天井だけです。

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少しずつ前に進んで行きます。

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聖堂内にはステンドグラスを通して美しい光が差し込みます。

この教会は「もう一つのセント・シャペル」とも「コンクリートのセント・シャペル」とも言われる所以です。

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なんの飾り気の無い柱は、まるで針葉樹の幹の様です。コンクリート打ち放しの武骨な表情と直径43cmと言う細さが、かえって強く自己主張をしているようです。

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祭壇に上がる手摺も外壁のコンクリートパネルに似たデザイン。

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ここでも乾式工法が取り入れられていると思われます。

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緩いカーブを描くシェル屋根にも同じデザインのコンクリートバネルが嵌め込まれています。一部は照明器具が組み込まれているように見えます。

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照明器具も豪華なものではありませんが、味わい深さがあります。

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聖堂入り口右側から

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一気に奥へ

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奥に進んで祭壇横から入り口方向を見る。

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反対に回って祭壇横から入り口方向を見る。

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入り口方向を見る

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2階にパイプオルガンが見えます。

コンクリート打ち放しの円柱が大樹に見え、まるで針葉樹の森の中に居る様です。

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友人が神父さんに「塔に上れないか?」と聞いてくれたのですが「倒壊の危険があるので、塔には登れない」と言われました。但し2階までなら案内しますと言って下さいました。

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螺旋階段は鉄骨で造った方が合理的だと思うのですが、厚さ数cm程度の薄いコンクリート製の螺旋階段は、かなり傷んだ印象です。

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2階から塔に上る階段を見上げる。

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鐘塔を支える対の丸柱

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2階から聖堂を見る

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  1. 2020/04/19(日) 12:31:00|
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パリ旅行記 - 15 ( 二日目 ) ノートルダム・ル・ランシー教会 - 1 ( 外観・街並み )

今回からパリ散策の二日目です。但しこの日も第一日目同様に、朝一番目の訪問地はパリから東に40~50分程離れた ル・ランシーの散策 から始めました。

事前に企てた計画では、先ずはメトロでパリ中心部のサン・ラザール駅まで行き、RER-E線を利用してル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅迄行くつもりでしたが、ホテルの在るガリエーニ駅前を通る路線バスを利用すれば、距離も時間も短く済むことが分かりました。教えてくれたのは勿論パリ在住の友人で、なんとこの日は朝から一日パリを案内してくれるのです。

迎えに来てくれた友人と一緒にホテルを出て、目の前の停留所からバスに乗って出発です。バスは出発すると直ぐに高速に入りました。これは予想外だったので友人も少し驚いていましたが、方向は間違いないようです。10数分程で高速を降り、しばらく一般道を走ってからル・ランシーに向かうロズニー通りに入り、ル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅の約600m南の停留所でバスを降りました。ここからはランシー通りを真っすぐ駅方向に歩いて行きます。

ランシー1 ランシー2


ランシー3 ランシー4


ランシー5 ランシー6

ランシー通り沿いの街並みは「閑静な住宅街」と言う言葉がぴったりの街並みで、新旧のお洒落なアパートメントや商店、古い住宅が心地よく入り混じって建っています。

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ランシー通り歩く途中、交差点の東の彼方に目指すノートルダム・ル・ランシー教会 に似た教会も見付けました。

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サン・ルイドゥ・ヴィルモンブル教会

残念ながらこの教会の詳細は分かりませんでした。

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ル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅

10分程でRER-E線の駅に到着、線路を潜ると、ちょっとした広場とロータリーが在ります。

ランシー8 ランシー9

駅を過ぎても一直線の道が続き、心地よい風景の街並みが続きますが、通りの名前はレジスタンス通りに変わります。緩やかな上り坂の先に目指す ノートルダム・ル・ランシー教会 の鐘塔が見えて来ます。

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鐘塔がどんどん大きくなって来ました。

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ノートルダム・ル・ランシー教会

一見すると、豪華さに欠ける地味な灰色の教会と思われるかもしれませんが、鉄筋コンクリートの父と言われるオーギュト・ペレの代表作として、そしてコンクリート打ち放しで建築された世界最初の教会として、近代健築史上大変重要な建築なのです。

オーギュト・ペレは前日に訪問した フランクリン街のアパート の設計者です。フランクリン街のアパート が竣工たのが1903年ですのでこの教会はその20年後、1923年の竣工です。 

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鐘塔の高さは50m。 正面の横幅は20m。 聖堂の奥行きは56m。

ノートルダム・ル・ランシー教会  の建設は1922年にフェリックス・ネグル司祭が、第一次世界大戦中の1914年に行われたマヌルの戦いにおける、戦没兵士のための記念碑としての教会堂の建設を、ペレに依頼したことから始まります。ペレはキリスト教徒ではではありませんでしたが、自ら建設費の一部までも負担したとか。

フェリックス・ネグル司祭が何故キリスト教徒でもないペレに教会堂の建設を依頼したのか? その理由を記載した資料は見つけられませんでしたが、短い工期と低予算での教会堂の建設計画だった為に、従来の石造の教会では実現がな困難だった為、新工法の鉄筋コンクリート造の第一人者であったペレに白羽の矢が立ったのかも知れません。

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設計者 / オーギュト・ペレ

建築年 / 1923年

所在地 / ル・ランシーレジスタン通り83

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フランクリン街のアパートから20年。構造体や外装を覆っていた外装材はここでは全く見られません。ペレのデザインコンセプトである「最小限の材料と労力により最善の仕事をする」「構造の単純化」「コンクリートの美しさを生かす」が実現されたのです。

コンクリート打ち放しで建築された世界最初の教会として歴史に名を残しているこの教会は、他にも現代でも通用する先進的な工法を試みています。

それは工事のプレファブ化です。

この建物の場合も、構造体である柱と梁とシェル屋根は、現場で組み上げた鉄筋と型枠にコンクリートを打設していますが、

低層部の非構造の壁面や建物正面の開口以外の壁にはコンクリートブロックが、開口部には抽象模様の色ガラスを嵌め込んだコンクリートパネル取り付ています。工場や作業場などで作っておいた部材を、現場では構造体に取り付けるだけにするのがプレファブなのです。

ここの時期既にプレファブの考えを取り入れていると言えそうです。

日本ではプレファブと聞くと、仮設現場事務所の様なものを連想しがちですが、プレファブとは prefabricate の略語で意味は pre-(既に) fabricate-(製造する、規格部品でつくる) であり、プレファブ化は工期の短縮には欠かせない考え方なのです。

19世紀までの石造の教会建築は、着工から完成までに数十年、場合によっては100年以上掛かる場合もありましたが、工事にプレファブ化も取り入れたことにより、僅か13ヶ月と言う超短期間の工期を実現させたのでしょう。

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外部には幾何学的な装飾以外の物は殆ど見られません。

唯一がこのレリーフと鳥の彫刻だけ。

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前日に見学した スイス学生会館 とは築後9年しか差はありませんが、庇や軒の出等が全く無いこの建物の外壁は、傷んでいる部分が目立ちます。

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特に教会正面の鐘塔を支える5本づつ束になった、細い円柱の痛みが目立ちます。

もう一つのペレの遺した言葉に「私のコンクリートは石よりも美しい。私はそれを加工して削る(中略)。そして最も高価な化粧材の美しさに勝る素材にする。」と言うものがあるそうです。

残念ながら築後120年を経過した現状を見る限り、鉄筋コンクリート構造で実現した構造は兎も角として、化粧材としての美しさは石の耐久性を上回ることは出来なかったようです。

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短期間にローコストで建てられた教会だからか、教会前の広場の舗装には、河原で拾って来たかのような玉石がコンクリートに埋め込まれています。

次回は内部を紹介します。

  1. 2020/04/18(土) 12:41:00|
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パリ旅行記 - 14 ( 一日目 ) コンコルド広場・エッフェル塔 の夜景

ラファイエット に向かうバスの窓から、薄紅色に染まって行く空を見た友人は「間に合わないかもしれないから、ここで降りよう」と言って コンコルド広場 の近くでバスを飛び降りて噴水に向かって走って行きます。同い年の女性とは思えない素早さだったので付いて行くのも必死でした。

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コンコルド広場の夜景

オベリスク 噴水 エッフェル塔 のスリ-ショット。

コンコルド広場マドレーヌ聖堂 ブルボン宮 を結ぶ 南北の線 と、ルーヴル美術館チュイルリー庭園シャンゼリゼ通り 凱旋門 へと続く 東西の線 の交点に位置する、まさに パリの中心に位置する広場 なのです。

設計者 / ジャック・ガブリエル

建造年 / 1755年

所在地 / パリ8区

オベリスク の両側に配置された 噴水 は、サン・ピエトロ大聖堂 の噴水を模したものです。

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噴水 と エッフェル塔 -1

色々な角度と組み合わせで夕焼けを撮影してみました。

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コンコルド広場から見たエッフェル塔 -1

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コンコルド広場から見たエッフェル塔 -2

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噴水 と エッフェル塔 -2

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コンコルド広場から見たエッフェル塔 -2

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オベリスク と エッフェル塔 -1

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オベリスク と エッフェル塔 -2

広場は1755年に建築家のジャック・ガブニエルによって設計され、ルイ15世の騎馬像が設置されていた為 ルイ15世広場 と呼ばれていました。

ルイ15世の騎馬像は、フランス革命後に 革命広場 と呼び名が変わりルイ15世の騎馬像は取り払われます。1795年には一度、調和を意味する コンコルド広場 となります。

しかし、王政復古の際には ルイ16世広場 となり、1830年の7月革命経て、やっと コンコルド広場 に落ち着くのです。

フランス革命際には、処刑場として使用され、ルイ16世マリー・アントワネットを初め1343人の貴族や庶民までもがこの広場で処刑されたのです。

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オベリスク と エッフェル塔 -3

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オベリスク と シャンゼリゼ通り と 凱旋門 -1

オベリスク 越しシャンゼリゼ通りの奥に 凱旋門 が見えます。

高さ22.55mのこの オベリスク は、紀元前1279~1213年頃に造られた ルクソール神殿 の対のオベリスクの一本で、7月革命 ( 1830年 )の後、1836年にムハンマド・アリー王から送られたものです。

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オベリスク と シャンゼリゼ通り と 凱旋門 -2

セーヌ川に移動しましょう。

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セーヌ川 と エッフェル塔 -1

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セーヌ川 と エッフェル塔 -2

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セーヌ川 と エッフェル塔 -3

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セーヌ川 と エッフェル塔 -4

夜景の撮影は得意でないので、旨く撮れなかった事が残念です。

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エッフェル塔

上下の2枚はモード変えて撮影したものです。

通常のモードの方がよかったですね。

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セーヌ川 と エッフェル塔 -4


1時間に1度のシャンパンフラッシュも丁度始まりました。

この日の昼に見た エッフェル塔 は、曇天だったこともあり、思ったような写真は撮れませんでしたが、友人のお陰で一生の思い出になるような 美しいパリの夜景 を見ることが出来ました。感謝しかありません。

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最後にはちゃんと記念撮影もしておきます。

この夜景を見ることで、この日の運は使い果たしてしまったのでしょう。どこの店も満員でなかなか夕食に有り付けません。最後に友人が行き付けの中華料理店に落ち着いたのですが、疲れて写真を撮り忘れてしまいました。


  1. 2020/04/14(火) 17:32:00|
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パリ旅行記 - 13 ( 一日目 ) 凱旋門

スイス学生会館、ブラジル学生会館コルビジュエの設計した2棟の建築の見学を終え、次の予定の 凱旋門 へ向かう為、RER-B線の国際大学都市駅へ戻り、来た経路の反対にダンフェール・ロシュロー駅でメトロ-6号線に乗り換え 凱旋門 のあるシャルル・ドゴール・エトワール駅へ向かいました。

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エトワール凱旋門

パリの 凱旋門 言えば通じるとは思いますが、正式には エトワール凱旋門

エッフェル塔 と並びパリを代表する建造物です。

この 凱旋門 を中心にシャンゼリゼ通りを初め、12本の街路が放射線状に延び、その平面が星の様に見えることから「星の広場 ( エトワール広場 ) の凱旋門」と言われていました。

( 現在この広場は シャルル・ドゴール・エトワール広場 となっています。)

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ナポレオンは、1805年にアウステルリッツでオーストリアとロシアの連合軍との戦いに勝利したことを祝って ルーヴル宮殿 の前庭に 凱旋門 ( カルーゼルの凱旋門 ) を建築させました。

しかし、完成した 凱旋門 見たナポレオンは、自分が考えていたよりも小さかった事を不満に思い、新たに建設を命じたのがこの エトワール凱旋門 です。

但しナポレオンがこの エトワール凱旋門 の下を実際に通る事が出来たのは1840年。彼の死後20年も後になってしまったのです。

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設計者 / ジャン・シャルグラン

着工年 / 1806年 ~ 完成年 / 1836年

建築様式 / 新古典主義

所在地 / パリ 8区 シャルル・ド・ゴール広場

ナポレオンは古代ローマ帝国に倣った凱旋門を造ろうとしましたが、度重なる政変により工事は度々中断し、完成までに30年も掛かってしまったのです。

ナポレオンが完成を願った新しい凱旋門は、高さ50m、幅45m、奥行きは22m ので巨大なものになりました。

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4本の柱には、ナポレオンの栄光の歴史を称える、4つの浮彫が施されています。 

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1814年抵抗 

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1815年平和

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1792年の義勇兵の出陣 ( ラ・マルセイエーズ ) リュード作  

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1810年の勝利 コルトー作

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凱旋門 の下には 無名戦士の墓 をはじめ多くの祈念のプレートが埋め込まれています。

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凱旋門 の真下から4方向を見てみましょう。 

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シャンゼリゼ通り方向を見る 遠くにコンコルド広場オベリスク ルーヴル美術館 も見えます。

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グランド=アルメ通り方向を見る 遠くに 新凱旋門 が見えます。

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ワグラム通り方向を見る 

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クレベール通り方向を見る

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当初は 凱旋門 の上にに登るつもりでしたが、疲れていたうえに屋上に登る階段の前に、長い列が出来ていたので諦めました。

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今回も上手く手の平の上に乗せることは出来ませんでした。

記念写真も撮ったので、シャンゼリゼ通りコンコルド広場に向かいます。

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暫く憧れの シャンゼリゼ通り を楽しみます。

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シャンゼリゼ通りの途中で 凱旋門 を振り返ってみました。

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シャンゼリゼ通りを散策する途中で、この日も仕事終りの友人が来てくれました。

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ウィンドーショッピングをしたり、実際にデパートに入ったりしながら、しばらくはシャンゼリゼ通りの雰囲気を楽しみました。  

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シャンゼリゼ通りからみた夕焼け空と 凱旋門

友人がこの夕焼けを見て「ラファイエット の屋上から夕焼けを見よう」と思い立ち、近くの停留所から路線バスに跳び乗って ラファイエット に向かいました。

  1. 2020/04/13(月) 09:52:00|
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パリ旅行記 -12 ( 一日目 ) ブラジル学生会館

国際大学都市 には スイス学生会館 の他にも ル・コルビジュエ が設計した学生会館が在ります。

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ブラジル学生会館

設計者 / ル・コルビジュエ

建築年 / 1959年

所在地 / パリ14区国際大学都市

スイス学生会館 の完成後30年近い歳月を経ての完成です。

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プラン構成は スイス学生会館 の物を踏襲していますが、鉄骨フレームの軽やかなイメージの スイス学生会館 に対し、コンクリートの醸し出す重厚なイメージの建築です。

ブラジル学生会館 


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西側立面は

スイス学生会館 の北側立面の構成を踏襲しています。

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低層の付属棟は スイス学生会館 と同様の荒々しい野積みのです。

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派手な原色に近い黄色や赤の着色は、30年前には見られない点でしょうか?

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建物の規模の違いからでしょうか、ホールのある低層の付属棟は広めに計画されているようです。

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鉄骨フレームで組まれた鳥籠のような軽い上総階を、やや不安定に見えながらも軽々と持ち上げているような印象の スイス学生会館 に対し、ブラジル学生会館 では太い3本のコンクリートの梁の上に乗せた重たいコンクリートの塊りを、まるで高速道路の橋脚の様な柱が支えています。

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柱と言うよりは壁と言っていいでしょう。

この建物もコンクリートの状態は非常に良好です。

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やはり高速道路の橋脚の様に見えます。

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バルコニー側 ( 東側 ) の立面は一部が着色されたコンクリート打ち放し仕上

鉄骨フレームの スイス学生会館 とは全く異なる印象です。

この立面は第二次世界大戦後の1940年代後半から計画が始まり、50年代にマルセイユやベルリンをはじめとし、フランス各地で実現された ニテ・ダビタシオン 彷彿させるデザインです。

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通常のレンズでは建物全体が撮れなかったので、ゆがみは出ますが高角レンズでも撮ってみした。

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ブラジル学生会館 にはバルコニー側にも一部2階建ての低層の付属棟が在ります。

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こちらの付属棟には図書室、館長室、秘書室の他に館長用の住宅があるようです。

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この部分は館長用の住宅です。

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1階ホール

天井はコンクリートの打ち放し仕上げ。天井高は決して高いとは言えないものですが、梁型などの出っ張りが一切ないオールフラットなデザイン。


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壁は一切なくフラットな天井は黄色や緑や青に着色された円柱のみに支えられているので、明るくて開放的な空間が出来上がっています。

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中庭に置かれたオブジェが コルビジュエ に関係があるかは不明です。


  1. 2020/04/11(土) 12:32:00|
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パリ旅行記 - 11 ( 一日目 ) スイス学生会館

フランクリン街のアパート を見学した後、予定では妻の希望で 凱旋門 に登る予定でしたが、トロカデロ庭園 の少ない階段を登っただけで既にクタクタになっていたので、この日は 凱旋門 は眺めるだけにしてもらい、少し時間に余裕があったので予定には無い 国際大学都市 に行くことにしました。

パッシー駅からメトロ-6号線でダンフェール・ロシュロー駅でRERに乗り換え国際大学都市駅へ向かいました。メトロ-6号線はメトロにも拘らず、地上を走っていたので歩かずにパリ(15区)の街並みを眺めることが出来てラッキーでした。

国際大学都市駅を出ると、ジュルダン通り腰にキャンパスの入り口らしき建物が在ります。

国際大学都市

実は今回のパリ旅行は、妻が積極的に企画したものでした。地図を見るのが苦手な妻に変わって、散策コースは私が決めたのですが、妻の行きたい場所をメインに計画し、私の希望はなるべく少なくしていたので、国際大学都市の見学は「絶対に行きたい場所」には入れていなかったのです。

国際大学都市は都市と言うだけあって世界各国の学生会館や施設が建ち並び、広さは37ヘクタールもあるので、目的のスイス学生会館まで行きつくのにかなり時間が掛かってしまいました。

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スイス学生会館

設計者 / ル・コルビジュエ

建築年 / 1932年

所在地 / パリ14区国際大学都市内

ル・コルビジュエ フランク・ロイド・ライトミース・ファン・デル・ローエ と並ぶ近代建築の三大巨匠の一人。

但し、近代建築に与えた影響力は他の二人と比較して群を抜いていると言えるでしょう。彼の唱えた「近代建築の5原則」「住宅は住むための機械である」 と言う言葉はあまりにも有名です。

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1905年頃から約10年間に設計した住宅は、コルビジュエの設計とは思えない住宅ばかりですが、1914年にあの有名ドミノ・ハウスを発表し、その後はドミノ・システムの思想に基づく住宅や集合住宅の計画案を発表、1917年に永住の為にパリに移住します。

1922年には「300万人の為の現代都市」プロジェクト案を発表。同年にブノ邸を完成させ、この住宅を期に実施作品の傾向が転換されたと言われています。

1920年代にはパリ近郊を中心に、ラ・ロッシュ邸サヴォア邸を始めとした白い外壁の住宅を次々に設計し、30年に近付くとジュネーブの集合住宅(クラルテ)、救世軍ホテルなど建物の規模は一気に大きくなりました。

このスイス学生会館はそんな時期の作品の一つです。


スイス学生会館


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この建物はこの北側立面と後で紹介する南側立面が同じ建物とは思えない程異なります。

主棟と付属棟のデザインもまるで異なるのです。

主棟の北側は大盤石張りの外壁に正方形に近い気窓が整然と並ぶ端正な印象の立面を、階段室の曲線を帯びた窓の無いマッシブな面がアクセントのように存在し、更に低層の共用室は反りあがった屋根の主張もさることながら、荒々しい野積みの外壁のインパクトは衝撃的でもあります。

これが「自由な立面」なのでしょう。

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少し見る角度を変えると、マッシブに見えた階段室の西立面は全面ガラスブロックです。

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そして コルビジュエ と言えば、その代名詞はピロティーです。

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洗い出しの敷盤

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ピロティーを支える柱は、構造的と言うよりはコンクリートのもつ彫塑性を芸術的に表現したものです。

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丹下さんや前川さんのピロティー柱とは、大分印象が異なります。

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直接雨架かりが有る場所ではない為か、コンクリートの状態は驚くほど良好です。

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こちらの柱も構造的と言うよりも、芸術的な印象です。

軒天の目を引く青い部分は配管カバーでしょうか?

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主棟の2階意匠の寮室は、1階の柱からは大きく張り出しているので、構造的にはかなり不安定な印象を受けてしまいます。

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南西側外観

この様に開口部の多い南側立面は、北側とは全く異なる印象です。

2~4階の上総階は鉄骨フレームで組まれた軽さを強調したデザイン。

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こちらから見ると、少ない柱と片持ち梁でも軽々と持ち上げているように感じられます。

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所々屋根や外壁に開口のある5階部分は如何使われているか知りたいです。


室内-6

ロビーにはコルビジュエの作品の写真や図面を描いた楕円の柱が目を引きます。

室内-7

スチール部への着色は、派手さを抑えたクールな印象です。

室内-8

階段を上がった奥には、ガラスブロックの階段室が見えます。

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鉄骨階段とガラスブロックで明るく軽快な印象を受けます。

室内-1

サロンの内部は荒々しい野積の外壁から受ける印象とは真逆のデザインです。

室内-9

野積の壁の裏側には、画家でもある コルビジュエ の派手派手な壁画が壁一面に描かれています。

室内-4

ロビー側は細い鉄骨柱とガラスで構成され、ピロティーの彫塑的な力強いデザインとは逆に、軽々とした軽快なデザインです。

  1. 2020/04/10(金) 12:30:00|
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パリ旅行記 - 10 ( 一日目 ) フランクリン街のアパート

シャイヨー宮 の広場を抜けてパリ有数の高級住宅街と聞くパッシー地区へ。

シャイヨー宮 西棟の直ぐ北側のフランクリン通りを歩くと直ぐに、一般の方にはそれ程は知られていないかもしれませんが、近代建築史を学んだものなら誰もが知る建物が在ります。

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フランクリン街のアパート

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両側の建物と全く隙間なくこの建つこのアパートメントは1903年に建てられました。

設計はオーキュスト・ペレーとギュスターヴ・ペレーベレー兄弟

父親の建設会社を受けついだペレ-兄弟は、著名に A . G . Perret とするほど常に協力し、19世紀の後半に先ずは土木界に徐々に広まり、19世紀末期には建築界にも取り入れられ始めた鉄筋コンクリート構造の可能性の追求に勤めました。

ペレー兄弟のデザインの考え方は「最小限の材料と労力により最善の仕事をする」「構造の単純化」「コンクリートの美しさを生かす」ことでした。

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フランクリン街のアパート は初期の鉄筋コンクリート造の建築として、ペレー兄弟のデザイン思想を実践した建築として、多くの近代建築史の本に登場する、大変重要な建物なのです。

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セットバックしている7階と8階はペレー兄弟の自邸でもあります。

屋上には、後にル・コルビジュエ近代建築の5原則の中でも挙げた屋上庭園を連想させる屋上植栽が、既に試みられています。

アトリエ

1階はペレー兄弟のアトリエだった時期もあり、若き日のコルビジュエも働いていました。

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2~6階は賃貸アパート。

周りのアパートと比べ、鉄筋コンクリート造の特性を最大限に活かした開口部の非常に多いデザインとなっています。

建築学体系-近代建築史 によると、あまりに開口部が多いデザインは、壁ばかりの組積造の建物に慣れ親しんでいる人々にの目には弱い建物と映ったらしく、専門家でさえ早期の倒壊を予想した為に、銀行はこのアパートへの抵当権の設定を拒絶したとか。

ただ、学生の頃に読んだこの文献に書かれていたものとは、外壁のイメージが大分違っている部分があります。

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建築学体系-近代建築史 には「ここで驚かされるのは、鉄筋コンクリートの骨組みが、粉飾 ( 装飾の誤記かも? ) されずに建物の構成要素としてはっきり外面に現れていることである。

事実正面にわたって通った垂直および水平の柱や梁は、目を奪うほどであり、その間には何の装飾もなくて、ただ2階から7階までの階を街路上に片持梁で突き出した部分だけが、この装飾なしのファサードをいっそう軽快なものにするのに力をかしている。」と記されているのです

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実際に見た フランクリン街のアパート は、コンクリートが剥き出しになっているところはなく、様式的な装飾ではないものの、壁と言う壁には派手な花柄のタイルで飾られているじゃありませんか!!

勿論、事前にネットでカラー画像を見ていたので、建築学体系の文章から連想されるような無装飾なファサードとは思っていまんでしたが、花柄のPC板の様なものかと思っていました。

「見ると聞くとは大違い」とはまさにこのことです!!

キャプチャ

構造設計を担当したのは フランソワ・エンヌビック 資料には鉄筋コンクリート ラーメン構造と記されていますが、ラーメン構造と言うにはあまりの柱の細さに驚かされます。

この基準階のプランはネットに載っていた資料を私がトレースしたものですが、寸法や縮尺の記載が無かったので、グーグルアースで間口寸法をを推測して作図しました。私の推測が正しければ柱の直径は40cm足らずです。

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この派手な陶器のタイルを担当したのは アレクサンドル・ビゴ

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実際に見るまでは、現存する世界最古のコンクリート造のアパートと言う事に注目していましたが、この建物が100年以上もこのように綺麗な状態で維持されていると事実も含めて、構造体である鉄筋コンクリートを外気から守るタイルのデザインを担当したビゴの果たした役割は、非常に大きいのではないでしょうか。

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こんなタイルは日本では見たことがありません。 

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意匠設計者 / オーキュスト・ペレー、ギュスターヴ・ペレー

構造設計者 / フランソワ・エンヌビック

竣工年 / 1903年

所在地 / パリ16区フランクリン通り

通り

 

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最後に比較対象として、同じフランクリン通り沿いの他のアパートの画像もアップしておきます。

  1. 2020/04/08(水) 19:05:00|
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パリ旅行記 - 9 ( 一日目 ) エッフェル塔

RER-C線を ポン・ド・ラルマ駅で下車し直ぐに地上に上ると、目の前にパリのシンボル エッフェル塔 が見えて来ます。

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エッフェル塔

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塔先端までの高さは300m、1889年にフランス革命100周年を記念して開催された第4回万国博覧会の際に建てられたものです。

1886年の設計コンペによって、既に鉄橋建設で定評のあったエッフェル社の案が選ばれました。

設計はエッフェル社の技師 モーリス・ケクランエミール・ヌーギエに、建築家のステファン・ソーヴェストルが共同で行います。

旅に出る前の計画では エッフェル塔 に登るか登らないかを悩みましたが、エッフェル塔 は上るよりも眺めた方が良いと判断して、上るのは 凱旋門 にして エッフェル塔 は諦めることにしました。

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現在では誰もがパリのシンボルと認める存在ですが、建築当時はそのあまりに奇抜な外観の為に賛否両論があり、文学者のモーパッサンは「パリの中で、忌々しい エッフェル塔 を見なくて済む唯一の場所だから」と言う理由で、エッフェル塔 1階のレストランに通ったと言う話は有名です。

とても楽しみにしていた エッフェル塔 でしたが、近過ぎて塔全体がフィルターに収まらないうえに、天気が悪く曇り空が背景では塔が映えずに綺麗な写真が撮れません。

ジャン・ド・マルス公園にも行こうかと思っていましたが、この天気ではいい写真が撮れる筈はないと諦めて、次の目的地へ向かう為にイエナ橋を渡ります。

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シャイヨー宮 イエナ橋からシャイヨー宮を見る

対岸 ( 右岸 ) には エッフェル塔 と向き合うように建つ シャイヨー宮 が見えます。

右に視線を振って

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イエナ橋 から ドゥビリ橋 方向を見る。

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イエナ橋 を渡り エッフェル塔 を見返す。

アングルは良くなりましたが曇天が如何ともし難いです。

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トロカデロ庭園 の階段を登って シャイヨー宮 の前から。シャイヨー宮1

シャイヨー宮

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シャイヨー宮 は左右対称に配置された二棟で構成されていて、二棟の間は広場になっていてます。この広場は エッフェル塔 を見る絶好のビュースポットで、沢山の大道芸人や土産売りで賑わっています。

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この写真は、3日後に シャイヨー宮 内の 建築博物館 から撮影した写真。

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黒い高層ビルは モンパルナスタワー

金色のドームは アンヴァリッド

そり左に小さく パンティオン のドームも見えます。

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記念写真とちょっとしたお遊びも

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指先で エッフェル塔 を挟んだように撮ろうとしましたが、これが意外と難しかった!!

この後は シャイヨー宮 の直ぐ裏に在る フランクリン街のアパート へ向かいます。

  1. 2020/04/05(日) 17:40:00|
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