アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ローマ散策 - 6 パンティオン内部

日にちは前後してしまいますが、続けてパンティオンの内部を紹介します。

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パンティオンドーム内部の直径頂部までの高さは共に43.3m

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これは内部に完全な球体を入れることが可能な形態なのです。
もしも後付けのコンセプトなのだとしたら、凄すぎる偶然の一致ですね。
頂部に開く円形窓 ( オキュラス )直径は9mで、神殿内唯一の光源です。
再建当初のドーム内部は青く塗られていて、プラネタニウムのように星が描かれ、円形窓は太陽を現わし、神殿全体が世界の中心であることを象徴的に表現していたと言われています。
ドームは重量を軽減する為に、下部は煉瓦の断片、中部は煉瓦の断片と凝灰岩、上部は凝灰岩と軽石で造って上部程軽い材料を混ぜたコンクリートが用いられいます。
更に格間と呼ばれる上部に行くほど窪みが小さくなる5層にからなる天井とし、重量を軽減させるとともに、意匠的な大きな特徴ともなっています。

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入口方向を見る

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ブロンズ製の扉古代ローマ時代のものとされています。 
玄関廊の天井梁や外壁の銅板のように、教皇に持ち去られずに幸いでした。

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向かって右側の半円形の窪みが大壁龕 ( 主アプス )
入口の正面に当たる大壁龕 ( 主アプス )礼拝堂になっています。

聖堂内部は入口と大壁龕 ( 主アプス )を含めた8ヶ所の大きな窪みと、各アプスの間間に設けられた8ヶ所のニッチから構成されています。

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大壁龕 ( 主アプス )の両サイドを飾る紫色の円柱は小アジア産の大理石

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内部はほぼ創建時のものと言われているのですから、この美しい装飾は1900年以前のものと言うことです。 古代ローマの技術力や経済力のみならず、高度な芸術性も再認識させられます。

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正面向かって右側 ( 3時の方向 ) のアプスヴェットーリオ・エマヌエーレ2世の墓。
12時方向の大壁龕 ( 主アプス )と、3時と9時の方向は半円形のアプス

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こちらは10時半の方向の矩形のアプス。 
他、1時半、4時半、7時半の方向も、矩形の壁龕 ( アプス )です。

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パンティオンは608年,東ローマ帝国の皇帝によって教皇ボニファティウス4世に寄進され、全ての神々の神殿キリスト教の聖堂に生まれ変った時に、アプスニッチに飾られていた古代ローマの神々の像は、聖人や聖母の像に置き替えられ、アプス礼拝堂に変えられました。 
そして多くのキリスト教の殉教者の遺体が運び込まれたのです。

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アプス間にはニッチ ( 小さな窪み ) が配置されています。
ニッチコリント式の円柱で支えられた破風 ( 入口と主アプスの両脇のニッチには三角破風が、その他のニッチにはボールト屋根の破風 ) が乗っており、各々に美しい彫刻が飾られています。

その一つには教皇に愛され 「 パンティオンに葬ってほしい 」 遺言を残して、像を依頼してから亡くなったと言うラファエッロの墓があります。
ラファエッロの墓の上に飾られた石の聖母像ロレンツエットの作。

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ラファエッロの墓
ラファエッロと同時代を生きたルネッサンスの巨匠ミケランジェロには 「 天使の設計 」 と絶賛され、ラファエッロに至っては自らをそこに葬っ欲しいとまで言わしめたパンティオン
全ての神々の神殿がキリスト教の教会となり、玄関廊を支える梁や外壁の銅板を剥されたり、一時は要塞として使われたこともあったそうですが、設計者のハドリアヌスは、さぞや満足しているのではないでしょうか?

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こちらの彫刻はラファエッロ作の聖母子像

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このニッチには彫刻が置かれていませんでした。

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円と四角の幾何学図形が交互に並ぶ大理石の床は創建当時もの。
ルネッサンス期の建築に、大きな影響を与えたと言われています。

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最後にもう一度全体を見てましょう。
パンティオンの室内のデザイン構成が3層に分けられていることが分かります。
上層は格間天井ドームのエリア
中層は三角破風の施された14ヶ所のニッチが在るエリア
下層はアプスニッチからなるエリアです。
下層は実際には、上の二層を支える厚さ6mの分厚い壁で出来ているのですが、巧みな設計によって、まるでコリント式の円柱アプスの両脇に施された矩形の付け柱によって軽々と支えられているような錯覚に陥ります。
これは柱の直ぐ上のアーキトレーブコルニス ( 軒蛇腹 ) の間のフリーズ部分に深い切り込みを入れる ( スリット状に見せる ) ことで、上・中層があたかも宙に浮いたように見せているのです。
ミケランジェロの言う通り、まさに天使の設計です。

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勿論、憧れのパンティオンを背景に記念写真も撮りました。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」 等を参照しています。
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  1. 2016/04/25(月) 00:00:24|
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ローマ散策 - 5 パンティオン外観

ついに憧れのパンティオンが目の前に見えて来ました。
今回の旅行はこのパンティオンを見に来たと言っても言い過ぎではありません。

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パンティオンとは全ての神々の神殿を意味します。

大学時代に神田の古本屋街で少しでも安い建築史の本を探し回り、独学で建築史を勉強していた頃から、パンティオンどうしても訪れてみたい建物の筆頭でした。

その理由はパンティオンが今から1900年前、古代ローマ時代に建てられた建築としては、ほぼ完璧なままで当時の姿を残す唯一の建築物と言うことと、古代の建築物にもかかわらず、ドームの直径と内部の頂部までの高さが、共に43.3mもあり、鉄筋を用いない石造建築物としては、世界最大の建築物であると言うことです。
ローマが誇る土木建築の技術水準は驚くべきハイレベルなものであり、特にコンクリート技術は現在と比較しても遜色のないレベルに達しているとも言われています。
ただ、私が感じる最大の魅力は、パンティオン全ての神々に捧げられた神殿であると言う点です。
キリスト教イスラム教のような一神教の寺院に限らず、多神教ギリシャローマでさえ特定の神を本尊としている神殿が殆どであるのに対し、全ての神々を祀ったパンティオンは世界の宗教建築中でも特異な存在と言えるのです。

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パンティオンの目前に広がるロトンダ広場の中央にも、御多分に漏れずにエジプトのイシス神殿に在ったオベリスクと噴水が設置されています。

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巨大なドームをの重量を支える壁面は、厚さが最大6.2mもあり、壁の内部にはアーチが埋め込まれています。

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画像をクリックして拡大して見てみください。
拡大してみると壁の中に埋め込まれたアーチが確認できます。

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古いコンクリート煉瓦がむき出しになっています。
部分的なものなのかもしれませんが、古代には外壁に銅板が貼ってあったらしいです。


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この日はミサが行われており、内部に入ることが出来ませんでした。
仕方がないので裏側に回ってみました。

正面に戻ります。
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16本の花崗岩で支えられた三角破風の下には 「 M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT ⇒ ルキウスの息子にして3度執政官を務めしマルクス・アグリッパこれを造る 」 と刻まれています。

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初代皇帝アウグウストゥスの右腕だったアグリッパが、紀元前27年に創建した初代パンティオンは80年後に落雷による火災により焼失してしまいます。
現在のパンティオンは建築家としても知られ五賢帝の一人である皇帝ハドリアヌスによって、125年に再建されたものです。
フリーズに刻まれた碑文は、初代のパンティオンに刻まれたものをハドリアヌス帝が敬意を込めて、再建したパンティオンにも刻んだものと考えられています。
現在は何の装飾も施されていない三角破風には、以前は神々と巨人族との戦いを描いた青銅製の深浮彫が飾られていました。

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高さ12.5mのコリント式の柱は、継ぎ目のない1本物のエジプト産の花崗岩です。


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パンティオンローマ帝国滅亡後の608年、東ローマ帝国の皇帝によって教皇ボニファティウス4世に寄進され、全ての神々の神殿キリスト教の聖堂に生まれ変わることによって、奇跡的に破壊と略奪を免れたのですが、1625年、教皇ウルバヌス8世の命によりサン・ピエトロ大聖堂天蓋を造る為、三角破風に施された青銅製のレリーフ玄関廊の天井梁から200t以上のブロンズ板が剥されてしまいました

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妻が片言のイタリア語で、警備員らしき人に聞いたところ、明日は通常通り内部も見学出来ると分かり一安心。
後日になりますが、ロトンダ広場に面したレストランでパンティオンを眺めながらとった昼食は、私にとって至極一時となりました。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」 等を参照しています。
  1. 2016/04/24(日) 12:37:47|
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ローマ散策 - 4 マルクス・アウレリウスの記念柱

トレビ泉からパンティオンへ向かう途中コロンナ広場に立ち寄りました。

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コロンナ広場の中央に聳え立つ高さ30mの柱はマルクス・アウレリウスの記念柱
記念柱としてはフォーリ・インペリアーリトライアヌスの記念柱の方が有名ですが、ここの記念柱もなかなかのものです。
後に見えるのはキージ宮殿。 内閣総理府が置かれています。

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マルクス・アウレリウスは後に5賢帝と呼ばるローマ帝国の名皇帝の一人で、5賢帝の中では最後の皇帝です。
つまり、マルクス・アウレリウス亭の治世の後、ローの帝国の衰退が始まったとも言えるのです。
映画 「グラジエーター」 や 「ローマ帝国の滅亡」 にも登場する皇帝です。

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最上部に立つ青銅像は、当然マルクス・アウレリウスの像かと思いましたが、ローマ皇帝と言うよりも聖人に見えます。
検索してみると、やはり聖パーオロの像であることが分かりました。
元々はもちろん皇帝像でしたが、教皇シクストゥス5世が1588年に聖パーオロの像取り替させたのでした。

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高さ30mの柱は、ドイツ遠征の勝利を記念して建てられたもので、柱の表面には戦いのエピソードが螺旋状に浮き彫りにされています。

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ショッピングモールのあるガレリア側からコロンナ広場を見る。

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ガレリア

ガレリアリバティ様式で建てられた、2003年にオープンしたショッピングモール。 

コロンナ広場から、直ぐ隣のモンテチトリオ広場
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モンテチトリオ宮殿
表面の装飾はベルニーニのもの。 現在も国会の下院として使われています。

オベリスクアウグストゥス帝がエジプトから運ばせた紀元前6世紀ころのもので、18世紀末にこの場所へ移されたそうです。

ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは500年前のオベリスクをエジプトから持ち出し、ローマ教皇は1500年前のローマ皇帝の偉業を描いた記念柱上の皇帝像を、そこに描かれている物語とは全く関係の無い聖人像にすげ替えたのです。
皇帝がエジプトからオベリスクを盗み出した行為は、良くあることのような気がしますが、記念柱の像のすげ替えは、徳の高い方の行為としてはいささか理解に苦しみます。

いよいよ次はパンティオンです。
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建物の合間に、ドームの一部が見えてきました。

※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」の内容を参照しています。
  1. 2016/04/21(木) 08:00:17|
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住吉の長屋

昨日は嫁の実家が所有するアパートの改修工事の立ち合いに、大阪の住之江まで、義父と一緒に行って来ました。

一人ではなかったので、大阪を彼方此方散策することは出来ませんでしたが、隣駅に在る安藤忠雄氏の出世作「住吉の長屋」だけは見てきました。

住吉のな長屋-1
住吉の長屋

住吉の長屋-2

設計者 / 安藤忠雄
竣工年 / 1976年 ( 昭和51年 )
所在地 / 大阪市住吉区住吉2丁目
1979年日本建築学会賞


近所に在るだろうことは分かっていましたが、今まで見けられませんでした。
今回試しに検索してみると、住所まで載っているサイトがあり、グーグルマップでも地図上に「住吉の長屋」と明記されていました。

住吉の長屋-3
道路からのセットバックも最小限。

住吉の長屋-4
建設当初は長屋の一戸を取り壊して建てた住宅でしたが、今は両隣りの長屋も普通の住宅に建て替えられ、隣り合う建物の隙間も広くなっているようです。
外壁のコンクリート打ち放し面は補修工事がなされたようで綺麗でした。

  1. 2016/04/20(水) 14:51:02|
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石神井台の家 外観写真

抜けるような青空 とまでは行きませんでしたが、今日は朝から晴天だったので、自転車を飛ばして外構工事後の外観写真を撮りに石神井台の家まで行って来ました。

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やっぱり青空だと建物が良く映えます。

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  1. 2016/04/15(金) 15:50:11|
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ローマ散策 - 3  ミニャレッリ広場~トレヴィの泉

改修工事中だったスペイン広場からトレヴィの泉へ向かいます。

スペイン広場からほんの2~3分歩くと、直ぐにまた広場に出ます。
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ミニャレッリ広場 
この広場の中央にも、彫刻とコリント式の柱と噴水が一体化したモニュメントが
後に見えるのはスパーニャ宮殿

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ブロパガンダ通りの建物

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サンタ・ドレア・デッラ・フラッテ教会

ナザレーノ通りから、スタンペリア通りへ進むと、またも人だかりが見えて来ました。
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トレヴィの泉
初代皇帝アウグストゥスの右腕だったアグリッパが、紀元前19年に20kmに及ぶ水道を建設し、その末端に造った噴水の一つがトレヴィの泉の始まりです。
帝政末期に異民族の侵入で破壊されてしまいますが、1762年に教皇クレメンスの命により建築家ニコラ・サルヴィの設計で再建されました。

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彫刻はピエトロ・ブラッチらの作品。 後ろの建物はポーリ宮殿
ポーリ宮殿凱旋門に見立てたサルヴィの設計ははいかにもバロック様式の噴水らしい壮麗で劇場的な空間を作り上げています。

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海神ネプチューン

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ブラッチ作の海神ネプチューンは足元に二人のトリトンを従え、左右の「豊穣」と「健康」を表す寓意像はフィリッポ・デラ・ヴィレの作品。

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 またここ来ることが出来るように、ちゃんとコインを投げて来ました。

トレヴィの泉に面して建つ
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サンタ・ヴィンチオ・アナスタシア寺院

この建物の詳細は不明ですが、密集して並ぶコリント式の列柱が特徴的な建物です。

※ この記事内の説明文は 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」の内容を参照しています。
  1. 2016/04/13(水) 14:14:06|
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ローマ散策 - 2 ポポロ広場~スペイン広場

宿泊していたホテルの近くだったサンタ・マリア・マジョーレ聖堂を朝一番で見学した後、テルミニ駅から地下鉄でフラミニオ駅へ移動しました。
地上に出るとそこはフラミニオ広場です。

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フラミニオ広場からポポロ門を見る

ポポロ門は鉄道が出来るまでは、フラミニア街道を通ってやってくる多くの人屋馬車が行きかうローマ巡礼者の北の玄関口でした。
帝政ローマ時代のアウレリアヌスの城壁の一部であるフラミニア門が前身で、現在の門は1562年に建てられたものです。

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ポポロ門を潜るとポポロ広場です。
映画 「 天使と悪魔 」 にも登場する双子の教会は、何と一棟が改修工事中。

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双子の教会のうち、向かって右側の改修工事中の教会がサンタ・マリア・ディ・ミラコリ教会

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向かって左側がサンタ・マリア・イン・モンテサント教会です。
そっくりに見える二棟の教会ですが、右の教会は正円、左は楕円と言う具合にクーポラの形状が実際には異なります。
見た目が同じになるように設計されているそうで、17世紀後半に建てられたバロック後期の秀作です。

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広場中央に立つ高さ36mのオベリスクは初代皇帝アウグストゥスがエジプトから持ち帰ったラメセス2世時代のもので、16世紀にチルコ・マッシモの競技場から移築されました。
古代ローマ人はエジプトからオベリスクを奪い去り、教皇は古代ローマの遺跡から彫刻や石材を剥ぎ取って、教会の建設に使用したのですが、ここではオベリスクの使いまわしが行われたんですね。

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オベリスクの左側に見えているのがポポロ門

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ポポロ広場側から見たポポロ門サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
ポポロ門内側の装飾は1655年にペルニーニの設計で完成。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会は、暴君と言われた皇帝ネロの魂が悪霊となったと言う噂を、鎮める目的で1099年に教皇パスカリス2世によって創建されとか?

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楕円形のポポロ広場の両脇には他のローマの広場と同様に、彫刻に飾られた噴水が在ります。
ローマの長い歴史が息づくポポロ広場は、1824年に新古典様式で整備されています。

ポポロ広場を後にし、バブィーノ通りを通ってスペイン広場へ向かいました。
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ローマでは何気ない普通の通りなのですが、日本人の私にとっては普通ではありません。
どの建物も素敵なので、全部の建物の写真を撮りたくなってしまいます。

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オンニッサンティ教会

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Sant'Atanasio教会
少し歩くと何棟もの教会に出会います。

人だかりが見えて来たのでそろそろスペイン広場か・・・・?

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スペイン広場

双子の教会に続いてなんとスペイン広場も工事中。
映画 「 ローマの休日 」オードリー・ヘップバーンがをジェラート食べたシーンで有名ですが、今はここでジェラートを食べることは禁止です。
まさか、ジェラートを食べられないどころか、階段に上れないとは思いませんでした。

残念なから階段に咲いている筈のつつじの花を見ることも出来ませんでしたが、ローマの広場に付き物の噴水とオベリスクは見ることが出来ました。

気を取り直してトレヴィの泉へ向かいます。

※ この記事内の説明文は 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」の内容を参照しています。
  1. 2016/04/10(日) 12:37:38|
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石神井台の家 一ヶ月訪問

先月竣工した 石神井台の家へ行って来ました。
普段は施主からの問い合わせや相談がない限り、一ヶ月で訪問することは無いのですが、別途工事になっていた植祭工事後の様子が気になったのと、イタリア旅行のお土産をお渡しするのも目的で来た。

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生憎の曇り空で写真の出来は今一でしたが、緑が加わると建物が一段と映えます。

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このアングルは青空なら映えるんですが残念です。


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悔しいので、晴れた日にまたお邪魔したいと思っています。
  1. 2016/04/08(金) 19:12:37|
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ローマ散策 - 1 サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂

建物探訪としては初めての海外編です。
石神井台の家の竣工後の先月12日から10日間、ローマ~フィレンツェ~ヴェネツィアをめぐるイタリア旅行に行って来ました。

先ずはローマでの第一日目、最初に訪れたサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂を紹介します。
ローマの教会と言えば、何と言ってもサン・ピエトロ大聖堂が有名ですが、このサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂は、聖母マリアに捧げられた教会の中で、ローマ最大の教会でありローマ4大教会の一つでもあります。

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352年夏、教皇リベリウスの夢に現れた聖母から「真夏に雪の降った地に教会を建てよ」と言うお告げがあり、数日後この地に雪が降った為、教皇はこの聖堂を建てたと言われています。
当初は別の場所に在ったと言う説もありすが、今でもローマ市民から雪の聖マリア聖堂と言う愛称で呼ばれているそうです。
431年のエフェソス公会議聖母崇拝が認められ、教皇シクストゥス3世によって再建されました。
ローマ4大教会 のうち他の3教会が、皇帝により建てられたのに対し、このサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂だけは教皇によって建てられた教会です。
バロック様式のファサードは18世紀の改築時に造られたものです。

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イオニア式の列柱に囲まれ、古代聖堂建築様式が色濃く残る身廊から祭壇方向を見る。
壁面に見られる36面のモザイク画も、5世紀に描かれた旧約聖書の物語です。
しかし、13世紀以降に増改築が繰り返され為、四角い天井模様や豪華な装飾には、ルネッサンスやバロック様式の特徴が見られます。

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広角レンズで撮っているので、実際はここまでの奥行はありませんが、金色の天井の装飾の豪華さに圧倒されます。

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180°振り返って出入口方向を見る。 ステンドグラスも見られます。

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側廊の天井でもこの装飾です。

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側廊に置かれた彫刻

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天蓋はフェルディナンド・フーガによる1740年代の作品。

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天蓋は赤味を帯びた斑岩とブロンズの円柱が特徴。
身廊と祭壇を区切る凱旋アーチのモザイク画5世紀の作品。

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16世紀、ドメニコ・フォンターレが設計した礼拝堂の中のクーポラ

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祭壇下の礼拝堂

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幼子のイエスが寝かされたと言う飼い葉桶の断片を納めたと言う銀製の聖遺物

聖堂後方 ( 後陣 )
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オベリスクは16世紀に建てられました。

サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂はローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物です。

現在のサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂古代ローマルネッサンス&バロック芸術の結晶と言えるでしょう。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/04/07(木) 14:51:52|
  2. イタリア旅行記
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