アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ローマ散策 - 15 ヴァティカン美術館 ① ピナコテカ、ピーニャの中庭

ローマでの二日目はヴァティカン美術館から紹介します。
宿泊しているホテル近くのテルミニ駅から、地下鉄でオッタヴィアーノ・サン・ピエトロ駅まで移動。
地下鉄は東京のラッシュ時間並みの大混雑で、終始すし詰め状態なのには驚きました。
9時に予約をしていましたが、美術館を取り巻くような大行列が出来ていて、何処に並んでいいのか分からなかったので、とりあえず入口まで行って、係員らしき人にチケットを見せると、予約時間の30分も前だったのにも関わらず、館内に入ることが出来ました。
大変ラッキーだったのですが、急いでいたのと、あまりにすんなり入館出来てしまったので、入り口付近の写真を撮る機会を逸してしまいました。

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エジプト美術館の入り口辺り
チケット売り場を通り、エントランスホールのある階から階段とエスカレーターで上階へ上ると、中庭のようなところ、恐らく屋上なのだと思われる場所に出られます。

トイレに探してミュージアムショップの方へ行くと
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ジョゼッペ・モーモの螺旋階段
1932年にジョゼッペ・モーモがデザインした華麗な螺旋階段です。
降りてみようかと思いましたが、誰も人が居ないのと、時間がないので諦めました。
メインの同線とは外れた場所に在ったので、トイレに行こうと思わなければ、見逃してしまうところでした。

先ずはピナコテカ ( 絵画館 )
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18の展示室があり、中世からルネサンス期の絵画やタペストリーが展示されています。

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第8室

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第8室にはラファエロの作品が並んでいます。
「フォリーニョの聖母」 「キリストの変容」  「聖母の載冠」

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「キリストの変容」は上下構成の作品
上部 / キリストが神の子であると告げられ3人の弟子がひれ伏す場面。
下部 / 悪魔に取り憑かれた少年に奇跡を起こす場面。

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「聖ヒエロニムス」
第9室のレオナルド・ダ・ヴィンチ作の未完成のも必見です。

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他にも沢山の名画が展示されていますが、絵の写真を撮っているときりがないので、次はピーニャの中庭
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ピーニャの中庭
中央に置かれた 直径4mのブロンズ製の球体のオブジェは、1990年に制作されたアルナルド・ポモドーロ作の球体のある球体(Sfera con sfera)

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ピーニャとは松ぼっくりのこと
巨大な壁龕に、ブロンズ製のピーニャが設置されています。
1~2世紀に噴水の吹き出し口として作られ、旧サン・ピエトロ大聖堂の中庭に移設、1608年に現在の位置に設置されました。

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ピーニャのある壁龕と対面部

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「イタリア旅行記 ヴァチカン美術館」 「ROMAの休日」「早春のイタリア旅行記」を参照しています。
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  1. 2016/05/29(日) 15:14:55|
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ローマ散策 - 14 アウレリウス城壁 と サン・ジョバンニ門、ラテラノ宮殿

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノとは「ラテラノに建つ聖ヨハネに捧げられる聖堂」と言う意味になるのだと思います。
大聖堂の前の広場の名称は、ガイドブックやサイトによって、ラテラノ広場と記載されているものもあれば、サンジョバンニ門広場と記載されているものあります。

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アウレリアヌス城壁とサンジョバンニ門
アウレリアヌス城壁は北方からの異民族の侵入を防ぐ為、3世紀後半に皇帝アウレリアヌスによって建てられた城壁です。
この門はアッピア新街道からのローマへの出入口として造られました。

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皇帝アウレリアヌスは、全長19Kmにも及ぶ城壁を、僅か5年 (271~275年 ) で造らせました。
パスクロマーナ ( ローマによる平和 ) を謳歌したローマ帝国も、この頃には蛮族の侵入に脅かされていたんですね。

ラテラノ広場からの写真は撮り損ねてしまったので、大聖堂を撮った写真から
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ちょっとしか写っていませんが、サン・ジョバンニ・ラテラノ大聖堂の右隣に接して建つ黄土色の建物がラテラノ宮殿です。

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ラテラノ宮殿

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宮殿の中は見学していませんが、ラテラノ宮殿は、これも世界史の教科書に出てくる、アヴィニョン捕囚(1309年)まで教皇庁として使用され、歴代の教皇はここを住居としていました。
アヴィニョン捕囚以降、荒れ果てていたこの聖堂と宮殿は、16世紀、教皇シクストゥス5世によって修復されますが、元は一体化していたラテラノ大聖堂ラテラノ宮殿はこの時切り離されます。
また、近代においても、1929年にこのラテラノ宮殿で、教皇とムッソリーニとの間でラテラノ条約が結ばれて、ヴァティカン市国が誕生することになった歴史的場所なのです。
ラテラノ宮殿は現在では教皇庁立博物館となっています。

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サンジョバンニ門をくぐって、地下鉄の駅に向かう前に、サン・ジョバンニ門広場の中心から、最後にもう一度夕陽をバックにしたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見てみました。
 
この後地下鉄でテルミニ駅まで移動しましたが、もはやレストランを探す元気は残っていなかったので、駅に隣接するスーパーでお酒と食料を買ってホテルへ帰りました。
寝る前に万歩計を見てみると、初日の歩数は32000歩になっていました。
これでローマでの初日は終了です。

※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/28(土) 22:23:00|
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ローマ散策 - 13 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 ②

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の二回目です。
前回は外観と拝廊、身廊、側廊、クロッシング部の教皇専用の祭壇などを紹介したので、今回は翼廊、中陣、後陣と聖堂内を飾る彫像を紹介します。

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祭壇の後ろのクロッシングから、内陣越しに半円形のアプス部 ( 後陣 ) を見る。

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アプスの半円球上部に描かれた神と天使のモザイク画は4世紀のもので、その下の部分は13世紀のもの。

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向かって右側の袖廊 ( 翼廊 )。 この天井の装飾も豪華です。

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19世紀の改修時に造られたオルガンだそうです。

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これは向かって左側の袖廊 ( 翼廊 )

近くに寄ってみると
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ドームの乗った黄金の聖堂のミニチィアのようなものがありますが、これは何なのでしょう?

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左側袖廊 ( 翼廊 )礼拝堂

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祭壇の後から、クロッシング内陣との境界部分の天井を見上げる。


両脇の側廊にある、7つの礼拝堂の一つ。
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見事な彫刻です。


身廊側廊を分ける列柱には1本おきにニッチを設け、12使徒の彫像が置かれています。
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身廊中央辺りから、入口方向を見る。

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反時計回りに、祭壇に向かって右側の彫像から見て行きます。

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ここからは祭壇に向かって左側の彫像です。
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何とも豪華で華麗な聖堂でした。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/24(火) 08:00:00|
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ローマ散策 - 12 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 ①

イタリア旅行のローマでの一日目の締めくくりに、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に向かいました。
カラカラ浴場から宿泊しているテレミニ駅近くのホテルに帰る途中に在るので、歩こうかとも思いましたが、万歩計の数字は既に3万歩近くになっていたので、ローマパスを使ってバスで移動することにしました。
イタリア語の分からない私でも、なんとかサン・ジョバンニと書かれているらしきバス停でバスを降りると、そこはオベリスクの在る広場でした。
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中央にオべリスクの立つサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場
後で調べてみると、ローマでは最も背の高いでオベリスクで、エジプトから運びこまれた最後のオベリスクだと分かりました。

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このオベリスクは、紀元前14世紀にトトメス4世によって建てられたテーベのカルナック神殿に在ったもので、357年にエジプトから持ち出され、チルコ・マッシモに設置されました。
ローマ帝国滅亡後、競技場は廃墟と化して永く放置されますが、1587年に3つに壊れたものが発見され、翌年この場所に移されたのです。

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広場に面して教会らしき建物がありましたが、事前に調べてあった外観とは少し違う気がします。
とりあえず中を覗いてみようかと思いましたが、扉は閉まっていて中に入れる様子はありません。
疲れていたこともあり、諦めて地下鉄でホテル帰ろうと、建物の裏側に歩いてゆくと、裏側にも広場 ( サン・ジョバンニ門広場 ) があり、何とそちらが教会の正面でした。

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サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
この教会もローマ四大教会の一つで、バチカンに教皇庁が移る1377年までは、カトリックの総本山だった大聖堂なのです。
ローマの4大聖堂とは サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂です。

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ローマ帝国末期の313年頃にコンスタンティヌス帝によって教皇に寄進され、世界史の教科書にも載っている、ミラノ勅令よってローマ帝国はキリスト教を公認しました。
正式な献堂式は324年に行われ、ローマで最大の聖堂であることから、世界の母なる聖堂と称され、聖堂の中の聖堂としての栄誉を受けます。
聖堂正面の銘文には「ローマ、そして世界の聖堂の母」と記される世界で最初に建てられたキリスト教の聖堂なのです。

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バチカンサン・ピエトロ大聖堂に、どことなく似た雰囲気の正面のデザインですが、屋根には15体の巨大な聖人達の彫像がのっています。
教会内部の大改修は、17世紀にボッロミーニの設計によって行われていますが、正面のファサードは、1735年にガリレイの設計により、現在見ることが出来る、聖人達が立ち並ぶ外観が完成しています。

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このファサードの改修によって、教会の正面に残っていたローマ帝国時代のバジリカ聖堂の面影は全て失われたと言われています。

コロッセオバチカントレビの泉真実の口のような人気の観光地ではないので、すんなり教会内部も見学出来ると思っていたのですが、何と200人近い大行列が出来ていて、セキュリティーチェックもやっていて、中に入るまでには相当時間が掛かりそうです。
この日は諦めてホテルに帰ったので、実際に内部を見学したのは、二日後のローマ滞在の最終日になりました。
なのでこの後の写真は、二日後のものです。

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先ずは聖堂の前のポーチ部分、拝廊から。

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この日の朝、最初に訪れたサンタ・マリア・マジョレー大聖堂にも勝る荘厳な聖堂内部の装飾。

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特に、16世紀に改修された、黄金に輝く各天井の豪華さは圧巻です。

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表側 ( 外側 ) から撮り忘れてしまいましたが、この大きな扉はフォロ・ロマーノ元老院から持ち出されたものです。

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地震や火災により、何度も改修が行われたこの教会は、17世紀にボロッニーミによって大改修が行われ、現在のバロック様式に整えられました。
それでも五廊式、十字形平面構成の室内からは、全体の空間構成をはじめ、ところどころに古代ローマ建築の残像見ることが出来ます。

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コスマーティ模様の床モザイクもその一つ。

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側廊 ( 身廊の両隣り )
五廊式とは、聖堂内を縦に5つの廊下で区画したもので、祭壇と対峙する中央の幅の広い区画を身廊と言い、身廊の外側の2列の区画を側廊と言います。

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側廊 ( 更に外側 )

身廊に戻ります。
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十字型平面中央のクロッシングと呼ばれる部分には、1367年に造られたジョヴァンニ・ディ・ステーファノ作の祭壇があります。

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教皇ウルバヌスの為に造られたゴシック様式の祭壇は教皇専用のもので、一面に3枚ずつ、計12枚のフレスコ画で飾られています。

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祭壇内部 ( たぶんこの部分 ) には、聖ペテロ聖パオロの頭蓋骨の一部が収められているらしいです。

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祭壇の前には地下に降りる階段があります。

長くなったので次回に続きます。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/23(月) 14:30:00|
  2. イタリア旅行記
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浅草文化観光センター

イタリア旅行の後と言うこともあり、今年のゴールデンウィークは特に遠出をすることもなく、出掛けたのは二日に浅草に行っただけでした。

勿論、浅草の近辺は何度も散策したことはありましたが、今何かと話題の隈研吾さんが設計したこの建物を見る為です。
浅草観光案内所-1
浅草文化観光センター

設計者 / 隈研吾
竣工年 / 2012年
所在地 / 東京都台東区雷門2-18-9


浅草観光案内所-2
最近、さんが多用している木製ルーバーがこの建物でもふんだんに使用されています。

浅草観光案内所-3

浅草観光案内所-4
見る人によっての好き嫌いはあるのは当然ですが、私は好きなデザインです。

ゴールデンウィークなので、中は国内外の観光客でごった返していると覚悟していましたが、それ程の混雑ではありませんでした。
浅草観光案内所-17
中央に吹抜けがあり、内部階段で繋がれてている1・2階は観光案内所。
室内にも垂木風に木材がふんだんに使われています。

浅草観光案内所-7
階段を上った中2階には窓際にベンチを置いたスペースがあります。
ベンチは少ないですが、階段を上がってくる人は殆どいないので、ここで一休みすることが出来ます。

浅草観光案内所-6

浅草観光案内所-8
いい感じのスペースだと思うのですが、利用している人は私を含めて2組 ( 4人 )だけ。

更に上階へ上ってみましょう。
階段で上るには、ここからは一般の利用客の使用は想定していないような、窓のない狭い階段を利用することになります。
3階は事務所、4・5階は会議室と研修室で、窓のない鉄の扉が閉ざされていて、途中でエレベーターに乗ることも出来ません。
閉所恐怖症とまでは言いませんが、窓のない閉ざされた空間が苦手な私にはちょっと辛い時間です。
外観のデザインから、勝手に各階ともが案内所や土産物の販売や飲食店か休憩所になっていると思っていたので、階段を利用したことをちょっと後悔です。

浅草観光案内所-9
6階まで上るとやっと扉があいていて、多目的スペースが在りました。
浅草の紹介らしき映像が上映されていましたが、だれも見ている人はいません。

     浅草観光案内所-10
7階の展示スペースはには伝統的な人形などの展示があり、ここには10人以上の人が居ました。
鉄骨の外部階段を上って最上階へ

浅草観光案内所-11
8階の展望テラス
冬場はともかくとして、眺めは抜群、他の3シーズンには涼しくて気持ちの良いスペースです。
抜群の眺望と居心地にも拘らず、ここも人が少なくて吃驚です。
浅草観光案内所-15

浅草観光案内所-12

浅草観光案内所-13  浅草観光案内所-14
覗いてみると、一組しか客が居なかったので展望テラスの直ぐ隣にある喫茶店にも入ってみました。
折角なのでビールも頼んじゃいました。

浅草観光案内所-16
喫茶店からの眺め
雷門、仲見世通り越しに浅草寺を見る。 

浅草観光案内所-5
杉集成材のルーバー
雨が直接当たり難い場所なので、変色は僅かです。
たぶん特殊な処理がされているのだと思います。
  1. 2016/05/16(月) 12:33:51|
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ローマ散策 - 11 カラカラ浴場

今回のイタリア旅行でのローマの滞在予定は3日間。
見てみたい建物や遺跡の全てを見て回ろうと思えば、速足でざっと眺めるだけだったとしても、少なくともプラス2日は必要です。
なので、ローマの遺跡群の端に位置するカラカラ浴場の見学は諦めようかと思っていましたが、この日は、じっくり時間を掛けるつもりでいたパンティオン内部の見学が出来なかったことから、少し時間の余裕がありました。
万歩計の歩数は既に2万歩を超えていたので、2日目以降の体調に少々不安は有ったものの、頑張って散策を続けることにしました。

チルコ・マッシモ競技場跡から歩いて直ぐだと思っていましたが、足の疲れが出ていたせいか、実際以上に時間が掛かった気がしたのかもしれません。

カラカラ帝の浴場遺構の入口近く、浴場遺跡の北側の角から、反時計周りに、遺跡の外周を見学していきます。
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西側体育場の外壁
やっとたどり着いたカラカラ浴場は想像以上似に壮大な建築物でした。

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西側の壁の向いにもかなり大きな建物の遺構があります。
この遺構は、城壁のように浴槽施設の敷地をとり囲む回廊の一部に設けられた、弓形をした、二つの美術館の内の一つです。

西側の角を曲がり、大庭園側に出ます。
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カラカラ帝の浴場の平面は、左右対称なので、中央に在る部屋以外は、左右に1ヶ所ずつ配置されています。
この半円形の部分は、西側のサウナ室

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大庭園から浴室を見る。
「でかい!!」 とにかく 「でかい建築物」 です。

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216年にカラカラ帝の時代に建てられたこの浴場は、現在の施設だったとしても、稀に見る巨大豪華レジャー施設なのではないでしょうか。
その広さはなんと 337m × 333m、総面積は約11万㎡もあって、一度に1600人の入場が出来たそうです。
浴場のあるメインの建物は、熱浴室を中心に、温浴室、冷浴室、プール、マッサージ室、体育室、脱衣室が等の施設が在り、このメインの建物を取り巻くように庭園競技場が配され、その更に外周には列柱のある回廊の他美術館、図書室体育室が配置されています。
古代ローマ時代、カラカラ浴場は午前中に仕事を終えた、多くののローマ市民が訪れる一代社交場でもありました。

カラカラ浴場

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温浴室
最も暑い湯を張った温浴室は、浴槽だけでなく壁や床も温められ、サウナ効果も高かったとか?

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西側の体育室
体育室は列柱回廊で囲まれ、一部には彫像が飾られていました。
半円形の壁はエセドラと言われ、壁に沿って彫像が置かれ、朗読会などに行われたとか。

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冷浴室の端からプールを見る。
あまりに壮大なこの施設を見ていると、恥ずかしながら 「でかい」 とか 「凄い」 とかしか言葉が出てきません。

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浴室施設の中心である冷浴室からプールを見る。
パンティオンのところでも触れましたが、古代ローマの土木建築の技術水準は驚くべきもので、コンクリート造の技術は驚愕に値します。
現代のコンクリート造の建物が、1800年もの時を経ても、果して残れるものかどうか?

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東側の体育室

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東側の脱衣室

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建物内部の大理石モザイクの床で飾られていました。

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プールの壁

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パンティオンと同様に、壁の内部にもアーチを多用しています。

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※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「 ローマ人の物語 」 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/15(日) 12:23:28|
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ローマ散策 - 10 ヴィスタ神殿 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 チルコ・マッシモ

ローマ市街の地図を見ると、テヴィレ川に架かるパラティーノ橋を渡ると、直ぐ目の前にパラティーノの丘が在るように見えますが、最初に出会ったのは、小さな円形の神殿でした。

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かまどの女神ウェスタを祀るヴェスタ神殿は、ローマに現存する大理石の神殿としては最も古い遺跡で、紀元前2世紀後半に建てられた20本のコリント式の柱で囲まれた神殿です。

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最初の写真は神殿の裏側でしたが、表側に回ってみても、縦長の開口部以外のデザインは裏側と同じでした。

振り返ると、背が高くて美しいロマネクス様式の鐘楼が目を引く教会が在ります。
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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会

教会の前には行列が出来ています。
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この教会の創建は6世紀頃、8世紀に教皇ハドリアヌス1世によって増築されました。
12世紀に正面入り口と7層の鐘楼がつけ加えられ、その後、正面ファサードは一時バロック様式に改築されますが、1899年に元のロマネスク様式に復元されたそうです。

行列の理由は
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真実の口
ウソつきがこの口の中に手を入れると噛む」という言い伝えがある「真実の口」は、映画「ローマの休日」でも有名ですね。
しかし、その実態は柱廊玄関にあった下水道マンホールの蓋と言う説が有力で、海神トリトーネの顔が彫られています。

行列に並ぶと時間が掛かりそうなので、自分が嘘つきかどうかを確かめるのは諦めて、教会の中に入ってみました。
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聖堂の内部は三廊式のバシリカ式、床はコズマーティ様式大理石モザイクで飾られています。
地味な印象を与える木造トラス構造の小屋組ですが、当時のまま残っていることから貴重とされているそうす。

パラティーノの丘を左手に見ながら、古代の競技場跡をカラカラ浴場へ向います。
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チルコ・マッシモ
チルコ・マッシモ最大の競技場を意味するそうですが、その名の通り、目の前に広がる競技場の跡地は実に広大です。

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競技場跡の左手に見えるバラティーノの丘には、初代皇帝アウグストゥス帝の邸宅跡の他、皇帝たちの邸宅跡が並びます。
皇帝たちはパラティーノ丘の邸宅から競技の模様を眺めることが出来たとか・・・?

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競技場は中央分離帯の柵が設けられただけの仮設の木造競技場として、すでに紀元前7世紀後半から6世紀にかけて存在していました。
紀元前4世紀には木造出走門が設けられ、大きく発展したのはカエサルの時代以降。
壮大な常設競技場を造るために何度も改修や増築が行われ、アウグストゥス帝はエジプトから運び出した紀元前13世紀のオベリスクを、競技場の中央分離帯に立てたり、アウグストゥス帝の右腕であったアグリッパは、周回数カウント装置青銅像を加えました。
トラヤヌス帝の時代には、コンクリートの躯体を大理石化粧漆喰で仕上げた想定収容人数30万人という世界最大の公共娯楽建造物になっていました。

トライアヌス帝の時代には全長620m、幅200mもあり、「ローマの休日」と同じ、巨匠ウイリアム・ワイラー監督の映画「ベン・ハー」でも知られる4頭立ての馬車による戦車競技も行わました。

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ディオクレティアヌス帝の時代には、観客席の上層部が崩壊して1万3000人が死亡するという事故が起りますが、357年にはコンスタンティウス2世がこの地を訪れた際に、ローマ最高のオベリスクを建てています。

しかしその後は、破壊と教会等の建設用の建材として略奪され続けた為、今では過去の栄光の面影は、競技場のコーナー部分のごく一部にしか見ることは出来ません。

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ローマの彼方此方で見掛ける松の木らしき木
チルコ・マッシモの横の道路沿いにも植えられていて
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競技場跡には大きな松ぼっくり ( ピーニャ ) が沢山落ちていました。

※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/06(金) 11:41:38|
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ローマ散策 - 9 サンタ・マリア・イン・トラステヴィレ教会 他

ジャニコロの丘を下り、下町情緒あふれる「庶民的な下町」と言われるトラステヴェレ地区を散策します。

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下り坂の途中 のゴッフレード・マメリ通り


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サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会

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創建は西暦221年、ローマでも最古級とされるロマネスク様式の教会です。

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ファサードを飾る金モザイクとフレスコ画が目を引くこの教会は、ローマにおいて聖母マリアに捧げられた最初の教会とされていますが、最初に紹介したサンタ・マリア・マッジョーレ教会も、ローマで初とされており、真偽のほどははっきりしません。

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3世紀、民家を改造しただけの質素な造りのこの教会堂は、聖母マリアに捧げる教会となった後も、たびたびの改修や放置された時期を経て、12世紀半ばに教皇インノケンティウス2世によって、ファサードの金モザイク鐘塔も含めた改築がなされ、現在のものに近い姿になりました。

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聖堂内は、ちょうどミサが終わったところでした。
三廊式でバシリカ式の平面を持ち、イオニア式の列柱と金色の格天井が特徴です。
花崗岩の柱はカラカラ浴場の部材が転用されたということです。

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高窓から聖堂内に注がれる日射しにより、黄金の格天井が更に光輝きます。
この金箔で彩られた格天井は16世紀初めに改修されたものです。

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内陣には天蓋に覆われた祭壇があり、祭壇前面にはイエスのイコンが描かれています。

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祭壇後方のドームを飾る黄金のモザイクに画には、キリストと王冠を装備する聖母の図戴冠の聖母」が描かれています。


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サン・クリソゴノ教会
トラステヴィレ通り沿いに建つこのロマネスク様式の鐘楼をもつ教会。
地下に更に古い聖堂が眠っているそうです。

カラカラ浴場へ向かう為、パラティーノ橋を渡ります。
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パラティーノ橋からティベリーナ島を見る。

「ローマ人の物語」の著者塩野七生さんの本にも、たびたび登場するティベリーナ島
時間が許せば寄りたいところでしたが、今回は諦めて眺めるだけにしました。

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アエミリウス橋
テヴェレ川に架けられた古代ローマ時代の橋で、石橋の中で最も古い橋です。

※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/04(水) 10:08:27|
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ローマ散策 - 8 サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会 & テンピエット

テヴェレ川を渡ってトラステヴェレ地区にやってきたのは、サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会内の、ルネサンス建築の最高傑作と言われているブラマンテが設計したテンピエットを見る為です。
長い階段と坂道を息を切らして登ってやっとたどり着いたジャニコロの丘の頂上に、その教会は在りました。

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サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会
ルネサンス期の建物らしいシンプルなデザインのこの教会は、 9世紀頃に建てられたものを、15世紀後半にスペイン王フェルナンド2世と 王妃イザベラによって建て直されたものです。

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ここからはローマ市街を一望することが出来ます。

テンピエットは教会内に幾つか在る、中庭の一つにひっそりと建っていました。
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小さくてシンメトリー、よくあるデザインに見えても、滲み出る気品と美しさを感じさせずにはおかない、この宝石箱のような殉教者記念礼拝堂は、セント・ポール大聖堂サン・ピエトロ大聖堂までも、このもテンピエットを参考にして建設されたと言われています。
そもそも設計者のブラマンテは、サン・ピエトロ大聖堂の設計者でもあり、彼の死後、ラファエロへと引き継がれ、ミケランジェロが大クーポラを完成させたのです。
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パンティオンのミニチアを思わせるドームは、天空を思わせるブルーに塗られています。

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聖ペテロの殉教の地と伝えられる場所に建てられたこの建物は、ルネサンス建築の中で最も調和の取れた建築の一つと言われ、西洋建築史の本には必ず登場するブラマンテの傑作です。

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細かい大理石貼りのモザイクの床のなんとも美しいこと。

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ドーリア式の16本の柱が支えるエンタブラチュアの上の円盤状の床には、手摺が付いてバルコニーになっていますが、バルコニーに登れる階段は見当たりません。

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テンピエットブラマンテによって、古代ローマ建築の荘厳さと精密さを蘇らせた、完璧なプロポーションをもつ建築と言えそうです。

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外部から後ろにまわると階段があり、階段を降りると地下にはこんな空間が在ります。
一般的には、聖ペテロは当時はカリギュラとネロの円形競技場であり、現在はサン・ピエトロ大聖堂の建つ地で処刑されたと伝えられていますが、ペテロが殉教した場所は、本当はこの床の中心、大理石の黒い円の部分だと言うことらしいのです。
真偽のほどは私には分かりませんが、大理石の床の美しさは理解できます。

設計者 / ドナト・ブラマンテ
竣工年 / 1502年
所在地 / サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の中庭



ちょうどミサが終わったので、サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の聖堂内も見学することが出来ました。
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シンプルな外観とは異なり、色遣いに派手さは少ないものの、聖堂内に隙間なく施された彫刻が美しい教会です。

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聖堂内の礼拝堂は、16世紀〜17世紀の巨匠たちの彫刻やフレスコ画等、数々の美術作品で装飾されています。
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1640年頃の作と言われる 「聖フランチェスコの法悦」

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他にも、幾つもの巨匠達の描いたフレスコ画を見ることが出来ます。

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テンピエットが在る中庭、以外の中庭

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※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
  1. 2016/05/02(月) 00:10:00|
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ローマ散策 - 7 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂   アルジェンティ-ナ神殿跡

今日は サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂アルジェンティ-ナ神殿跡を見学してから、テヴィレ川を渡ってトラステヴェレ地区へ向かいます。

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正面は実にシンプルな矩形の外観です。

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この聖堂はパンティオンのすぐ裏手に在るので、聖堂前の広場からパンティオンの後姿が見えます。

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広場の中央のオベリスクは小さめで、噴水はありませんが象の背中に乗っています。

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シンプルで地味な印象の外観とは対照的な美しい聖堂内部。
「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ」とは「ミネルヴァの上のマリア」と言う意味で、カエサルのライバルだったポンペイウスが建てたミネルヴァ神殿跡に建てられた、三廊式ラテン十字の聖堂です。

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ここには、ミケランジェロ作の彫刻「十字架を負うキリスト」の他、多くの絵画収蔵されているそうですが、この日はミサを行っていいて、見学することは出来ませんでした。


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アルジェンティ-ナ神殿跡
1927年、ここで大理石像の大きな頭部と腕部が見つかり、考古学的調査により、4つの神殿ポンペイウス劇場の一部が見つかったことで、共和政ローマ時代の聖域だったことが判明しました。

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4つの神殿は北 ( この写真では向かって右 ) から順に A、B、C、D とアルファベットが振られています。
紀元80年に火災があり、ローマ帝国時代に再建されました。
この写真では向かって右が神殿A、左の円形の遺跡が神殿Bです。

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神殿Aは紀元前3世紀の建築で、紀元前241年にカルタゴに勝利したことを記念して建てたユートゥルナの神殿と言われています。
後に教会に転用され、現在残っているのはそのころの後陣です。

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6本の柱が残っている円形の神殿Bは、紀元前101年キンブリ人に勝利したことを記念して建てた神殿で、フォルトゥーナを祭っていました。
発掘時に見つかった巨大なフォルトゥーナ像は、カピトリーノ美術館に収蔵されています。

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神殿C女神フェーローニアの神殿ではないかと言われていて、紀元前4世紀から紀元前3世紀のもので、紀元80年の火災後に再建されたものと考えられています。

最も大きな神殿Dは航海の守護神 ラレース の神殿で、紀元前2世紀の建築。
今だほとんどは道路の下にあり、一部しか発掘されていません。

アルジェンティ-ナ神殿跡は、猫の楽園になっていて沢山の猫達が暮らしていました。
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トラステヴェレ地区へ向かう途中でも思わずシャッターを押したくなってしまう建物に出会います。
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San Carlo Catinari教会
ローマではこのレベルの建物を、街の彼方此方で見掛けることが出来ます。

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ガリバルティ橋からシスト橋を見る。

ティベレ川を渡ればトラステヴェレ地区に入ります。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」「過去と現在 ローマ」 を参照しています。
  1. 2016/05/01(日) 12:49:34|
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