アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ローマ散策-32 パラティーノの丘

長い列を一時間ほど並び、ついに、フォロ・ロマーノの敷地内に入ることが出来ました。
直ぐにでもフォロ・ロマーノを見学したいところでしたが、この後の行程を考えて、直ぐにはフォロ・ロマーノへは行かず、左に曲って、先ずはパラティーノの丘へ向かいます。

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ティトゥスの凱旋門マクセンティウス ( コンスタンティヌス ) のバシリカの中間辺りから見たパラティーノの丘

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チルコ・マッシモから見たパラティーノの丘
( ローマ散策 - 10 ) で紹介済み

パラティーノ丘は、古代ローマの政治経済などの中心であるフォロ・ローマノに隣接することから、古代ロマーの住宅地のなかでは、最も高級な住宅街であり、共和政時代はキケロ等の財を成した元老院達住み、帝政に移行した後は、初代皇帝アウグゥストゥスが居を構えたことから、以後、皇帝達の住まいともなったのです。

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スタディオン
第11代皇帝ドミティアヌスが、東側に隣接するドムス・フラウィアドムス・アウグスターナーと同時期に建てた施設です。
ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に、ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられました。
 
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陸上競技のトラックの様な平面ですが、スタディオンは競技場ではなく、古代ローマ時代には皇帝の私庭 ( 庭園 ) として使われていたようです。
地面に楕円形の建物跡が残っていますが、これは東ゴート王国初代国王テオドリックの時代 ( 6世紀 ) に造られたアンフィテアトルム ( 円形闘技場 ) の跡です。


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ドムス・アウグスターナ 
ドムス・アウグスターナ皇帝公邸として使われていました。
パラティーノの丘の中央部のほぼすべてを占めており、アウグストゥスティベリウスネロ等が建てた建物群を撤去した跡に建てられています。

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泉のある半地下の庭ペリスティリウム

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目線を変えれば、この辺りからは、チルコ・マッシモを一望することが出来ます。

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チルコ・マッシモを見る。


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ドムス・フラウィア 
ドムス・フラウィア皇帝官邸としての機能を持っていました。
ドミティアヌス帝就任直後に建設され、以降約300年間、ローマ帝国皇帝の官邸として利用されています。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「ローマ過去と現在」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。 
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  1. 2016/08/26(金) 15:07:04|
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ローマ散策-31 コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオの直ぐ隣りに在るコンスタンティヌスの凱旋門は、高さは21m、幅25.7m、奥行きも約7.4mもあり、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門と共に古代の凱旋門では最大級の規模を誇っています。

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コンスタンティヌスの凱旋門

当時、西ローマの副帝だったコンスタンティヌスムルヴィウス ( 現ミルヴィオ ) 橋の戦いにおいて、正帝マクセンティウスに勝利したことを記念して、315年に建てられました。

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3つの門を有する構成は、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門のものを踏襲したもので、中央の門は高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さは約7m、幅3mです。
フォロ・ロマーノ内に残る二つの凱旋門と比べても、規模・装飾共に一際立派なコンスタンティヌスの凱旋門ですが、永く栄華を誇ったローマ帝国も、この頃には度重なる北方蛮族の浸入や、キリスト教の隆盛により衰退する一方で、その立派な装飾の殆どは200年前の五賢帝の時代の建物から移設した ( 剥しとってきた ) ものなのです。

五賢帝の時代の建物から移設したレリーフや彫像を列記すると、
南北両面共に 
コリント式オーダー柱の上部に立つ彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代

南面 右側
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上部の彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 演説する皇帝 ・ 犠牲の場面
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 熊狩り ・ ディアーナ神犠牲

南面 左側
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上部の彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 皇帝がゲルマン人と引見する姿 ・ 捕虜を見分する姿
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 出陣 ・ シルヴァヌス神犠牲

基礎と下部構造は石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、円柱は黄色大理石、それ以外は白大理石から構成されています。
装飾は南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から
最上層の8枚のパネルは176年に建設されたマルクス・アウレリウス帝の凱旋門から
同じく最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トライアヌス帝が建設したトライアヌスのフォルムからの転用材と考えられています。
8本の黄色大理石の円柱も、どこかの建物からもたらされたものと考えられ、これら以外の彫刻だけが、コンスタンティヌス帝の時代のものなのです。

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近年では、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌス帝はこれを改変しただけであるとする説も提唱されているそうです。

中世以降のキリスト教の教皇達が、信ずる神を同じくせず、ある時は自分達を迫害もしたローマ帝国の建てた建物から、装飾や彫刻等を奪い去り、自分達の建てる教会に転用する行為は、現代の文化財保護的視点から見れば、如何なものかと思わざるを得ませんが、古代ローマ時代とは比べるべくないほど、国力も技術も美意識も衰退してしまった中世という時代背景を考えると、仕方がないことなのかもしれません。
しかし、コンスタンティヌス帝は末期とは言え、同じローマ帝国の皇帝です。
偉大なる先人達を称え祀った記念碑を破壊し、自らの凱旋門を造ってしまう神経には、とても共感出来ません。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 等を参照しています。
  1. 2016/08/21(日) 16:41:26|
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ローマ散策 -30 コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )

ローマでの3日目 ( 最終日 ) は、朝食を早めにとり、チェックアウトを済ませたホテルにスーツケースを預けて、ローマでの最終日を満喫すべく、早々に街へ出ました。
初日に訪れた時には、大聖堂の前に出来ていた行列を見て、中に入るを諦めたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見学し、その後、ついに念願のコロッセオへ向かいました。
( サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は第一日目のところで紹介済みです。)

地下鉄の駅を出た時には、少し強めの雨が降っていたので、外観の撮影は後回しにして、雨宿りも兼ねてチケット売り場へ
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コロッセオ ( フラヴィウス円形闘技場 )
チケットの列に並んでいる間に、雨はすっかり上がり、青空さえ見えていて、競技場の中は蒸し暑い程でした。

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私がコロッセオを初めて知ったのは、子供の頃にテレビで観たオードリー・ヘップバーン「 ローマの休日 」か、中学1年の時に大ブームだったブルース・リー「 ドラゴンへの道 」だったかもしれません。

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コロッセオローマの七つの丘のうち、パラティーノ、チェリオ、エスクイリーノの三つの丘に囲まれた谷の中央に在り、ネロ帝ドムス・アウレア ( 黄金宮 ) の庭の人口湖の在った場所に建てられました。
ヴェスパシアヌス帝の治世だった紀元72年に着工し、8年の歳月を掛けてティトゥス帝治世の80年に完成し、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、観客席の最上層部と天幕が完成します。
コロッセオヴェスパシアヌス帝からティトゥス帝ドミティアヌス帝までのフラウィウス朝の皇帝達が建設者であることから フラヴィウス円形闘技場 が本来の名前になります。

この巨大な競技場の長径は188m、短径は156mの楕円形で、周囲の長は527m、高さは48mもあり、約5万人を収容出来たと言われています。
最上階の周囲には日除けの天幕が張られていたらしく、現在の競技場建築の原型と言えるでしょう。

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コロッセオでは、宗教的な祝祭や凱旋式などの祝い事、演劇等の他、映画 「 グラジエーター」 でも描かれているような剣闘士同士の戦いや、猛獣狩り、罪人の処刑までもが見世物として行われていました。
水を張って模擬海戦までも行ったと言うのですから驚きです。

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アリーナの地下には控室や倉庫、通路が配置され、現代の劇場の奈落のように昇降機も備えられていて、そこからアリーナ上に猛獣登場させたり、舞台装置を地上へ運ぶのにも使われました。
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写真のように、今はアリーナの 1/4 程にだけ復元された木製の床が張ってありますが、本来のアリーナの面積は、長径76m × 短径46m あって、木製の床の表面には砂を撒いた舞台が設置され、剣闘士同士の戦いや、猛獣達との戦いも繰り広げられたのです。

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コロッセオの主要な構造材はローマン・コンクリートと言われる火山灰を利用したコンクリート。
煉瓦を積んでいるように見えますが、煉瓦はコンクリートの型枠として用いられ、そのまま取り外されることなく、コンクリートと一体化して建物の構造体の一部になっているのです。

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どの写真を見ても分かるように、コロッセオローマンコンクリートによるアーチ構造で構成されていると言えます。
ローマンコンクリートと共に、ローマの土木建築を支えたのがアーチ構造で、水道橋や橋、凱旋門等でも見られる構造です。
これはエトルリア人から受け継いだ技術で、ローマ独自の技術ではありませんが、ローマにより大いに活用され、また発展させたと言えるでしょう。

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6世紀に修復の記録が残っていることから、古代末期までは競技場として使用されていたと分かっていますが、外壁を覆っていた美しい白大理石は、中世を通じて教会等の建築材料として流用され続け、コロッセオの一部は、サン・ピエトロ大聖堂にも使用されています。
今のコロッセオの姿は、永い年月、風雨にさらされた風化した後の姿ではなく、取り外せる物は全て持ち去られ、身ぐるみはがされた後の痛々しい姿なのです。

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この辺りは、かなり修復されているようです。

さて、ここからは外観です。
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競技場は4層構成の建築物で、1層から3層のアーチ構造アーチのにはそれぞれ1体ずつの彫像が飾られていました。
1階の周囲には80のアーチがめぐらされ、化粧付柱にはドーリス式、2階はイオニア式、3階はコリント式のオーダーが施され、最上部までの高さは48mもあります。

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4層部分はドミティアヌス帝の時に増築した部分だと思います。
4層部だけはアーチ構造ではありません。
化粧付柱も、1~3層が半円形であるのに対し角柱で、オーダーはコリント式です。

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1階のアーチの上部には番号が刻まれていて、観客はチケットの番号とアーチの番号を確認しながら、自分の観客席に向かう仕組みになっていたそうです。
今とほとんど変わらないシステムだったんですね。

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反対側は2層しか残っていません。

少しづつ右に回って行きます。
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この辺りは改修が進んでいるように見えます。

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最後にもう一度地下鉄の駅の出入口あたりから
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さてこれからついに フォロ・ロマーノ に向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/08/13(土) 12:10:58|
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ローマ散策 -29 マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )

カピトリーニ美術館の見学を終えた頃には、時計はすでに夕方の5時を少し回っていたでしょうか? 
ローマの日没時間を事前に調べていなかったのですが、そろそろ陽が暮れる時間に近づいているようです。
次は、既に紹介済みのサン・タンジェロ城の夜景の撮影をする為に、テヴェレ川沿いの道へ向かう途中、コロッセオを一回り小さくしたようなマルチェッロ劇場に立ち寄りました。

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マルチェッロ劇場 ( マルケッルス劇場 )
マルチェッロ劇場カエサルが、宿敵であり親友でもあったポンペイウスが建てた、ローマで最古の恒久劇場である、ポンペイウス劇場に対抗するかのように計画した石造の恒久劇場です。
しかし、カエサルは暗殺された為、完成は紀元前10年頃。
初代皇帝アウグストゥスの時代に規模を拡大して完成します。

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質実剛健を旨としたローマでは、ギリシャ的な演劇は軟弱と嫌う風潮から、劇場は木造の仮設的なものが利用されていました。

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アポロン神殿の円柱
ギリシャ文化を踏襲し、取り入れてきたローマ人にしては興味深い傾向ですが、軟弱との批判をそらす為に、ポンペイウス劇場にはウェヌス・ウィクトリクス神殿が、マルッチエロ劇場アポロ神殿に隣接して建てられています。

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マルチェッロ劇場の直径は111m。
収容観客数は当初11000人とも15000人とも言われています。

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アーチを多用した半円形の大構造で、オーダーの様式は1層がドーリア式、2層がイオニア式
一番上の3層はコリント式の円柱があったと思われますが、中世に修理された際に、最上部の客席や円柱が除去されたため、詳細は不明です。

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ローマ帝国崩壊後は廃墟となり 、中世初期にファビウス氏族が要塞として使用します。

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この写真でも分かりますが、3層より上階には現代的な窓がはめ込まれています。
これは16世紀に、バルダッサーレ・ペルッツィが設計したオルシーニ家の住居として改築されたもの。
現在では、上層階はアパートに分割されていて、人が住んでいるそうです。
古代の遺跡がアパートになっているなんて驚きです。

この後バスを利用してサン・ンジェロ城で夜景を撮影し、二日目の予定は全て終了です。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」 等を参照しています。
  1. 2016/08/11(木) 15:00:19|
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ローマ散策 -28 カピトリーノ美術館 パラッツォ・ヌーボー館

地下通路を通ってコンセルヴァトーリ館からパラッツォ・ヌーボー館へ移動し、先ずは中庭に出てみましょう。

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パラッツォ・ヌオーヴォの中庭の噴水

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マルフォーリオ
川の陰喩か、海の神ネプチューンを表したものではないかといわれています。
16世紀、フォロロマーノで、噴水の一部となっている花崗岩の巨大な杯と一緒に発見されました。

2階に上がると、そこはリアルで美しい彫像で一杯です。
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パラッツォ・ヌーボー館の館内も、ローマ期の彫像が一杯です。

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ファウヌス神の像
ティヴォリで発見された赤大理石の彫像

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瀕死のガリア人
ギリシャ人 プラクシテレスが紀元前3世紀に作成した彫刻をローマ時代に模索したもの

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この彫像のモデルの情報は見付けられませんでした。

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狩りをするセウェルス帝
3世紀に造られた、大理石の彫像です。

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負傷した戦士
紀元前460年のミローネ作の「円盤投げの選手」の胴体部分を使い、紀元1世紀に「負傷した戦士」として、造りかえられた作品です。

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カピトリーニのヴィーナス
この彫像もギリシャの彫刻を、ローマ時代に模したものです。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「わがまま歩き29 イタリア5都市」「カピトリーニ美術館1・2・3・4」「観るのに5時間かかった圧巻のカピトリーノ美術館の見どころ・主要作品」 等を参照しています。
  1. 2016/08/01(月) 00:00:37|
  2. イタリア旅行記
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