アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

フィレンツェ散策 - 2 サン・ジョバンニ広場② ジョットーの鐘塔

ジョットーの鐘塔と呼ばれる、この鐘楼は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に隣接し、大聖堂と同じ赤・白・緑の3色の大理石で彩られた、高さ約84mのゴシック様式の美しい鐘楼です。

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ジョットーの鐘塔
サン・ジョバンニ洗礼堂天国の門の前辺りから見上げる。

この鐘塔サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計者、アルノルフォ・ディ・カンビオの構想に従い、1334年にフィレンツェ近郊出身の建築家(画家でもあった)ジョットー・ディ・ボンドーネの指揮によって建設が始められますが、ジョットーは基壇部の完成しか見ることなく、1337年に亡くなってしまいます。
ジョットーの死後、建設の指揮者は弟子のアンドレア・ピサーノ、フランチェスコ・タレンティと引き継がれ、この鐘楼は1387年に完成します。

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第2層はピサーノ
第3層から5層はタレンティの担当です。

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当初の計画にあった、塔頂部の尖塔は造られず、大聖堂よりも100年早く完成します。

基壇部と2段目には開口部はありませんが、美しい装飾により、重々しさは感じません。

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各層は上部に行くほど高くなっており、躍動感溢れる美しいランセット窓は、大聖堂のクーポラと共に、フィレンツェのランドマークになっています。

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東側の入口から塔の内部に入り、階段を登ってみましょう。

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3層目からの見上げ。

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階段室の壁に開けられた開口から大聖堂を見る。

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5層目に置かれた鐘

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サン・ジョバンニ広場サン・ジョバンニ洗礼堂を見る。

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414段の狭く急勾配の石段を登り切った頃には、もう一歩も歩けないと思う程、足は棒の様になり、疲れてクタクタになっていましたが、屋上のテラスからの眺めは絶景でした。

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東方向 高い場所から眺めるクーポラの何とも美しいこと・・・

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大聖堂クーポラの頂部にも、人影が見えます。
この後、クーポラに登ることも出来たのですが、今の足の状態では今後のスケジュールに係かかわるので、ここはきっぱりと諦めます。

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南東方向 サンタ・クローチェ教会

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南東方向 バルジェッロ美術館、Badia Fiorentina

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南方向 中央にヴェッキォ宮が見えます。

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同方向をアップ

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更にアップ ヴェッキオ宮がはっきり分かります。

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南西方向 サン・スピリト教会

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南西方向 共和国広場

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西方向 サンタ・マリア・ノッベラ教会

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北西方向 メディチ家礼拝堂、サン・ロレンツォ教会


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ジョットーの鐘楼の屋根を見る。
下から見ると陸屋根かと思っていましたが、瓦葺の方形屋根でした。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。

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  1. 2016/09/28(水) 12:24:33|
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フィレンツェ散策 - 1 サン・ジョバンニ広場① サン・ジョバンニ洗礼堂

3月15日の夕方、ローマでの3日間の予定を全て終え、ホテルのフロントに預けていたスーツケースを受け取り、テルミニ駅へ急ぎます。

テルミニ駅からイタロを利用すると、約1時間半でフィレンツェの表玄関サンタ・マリア・ノッベラ駅に到着します。  
ホテル近くの中央市場2階のフードコートで食べることが出来るので、フィレンツェでの最初の食事は、ガイドブックにも載っている、出来たばかりの、このフードコートでとることにしました。
ここは安くて早くて美味しいので、我々のような旅なれない初心者にもお薦めです。

一夜明けて、フィレンツェでの1日目。
先ずはサン・ジョバンニ広場へと向かいます。

前日に夕食をとった、中央市場の横を通り、サン・ロレンツォ広場を過ぎると、通りの向こうにサン・ジョバンニ洗礼堂が見えて来ます。
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サン・ジョバンニ洗礼堂

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サン・ジョバンニ広場
写真中央がサン・ジョバンニ洗礼堂、向かって左がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、洗礼堂の屋根の向こうには、ジョットーの鐘塔が見えます。

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撮影位置を変えて、3ショット写真すをもう1枚。
3つの建物を1枚の写真に収めるには、私の腕だと、広角レンズを使ってもこれが精一杯。
しかも、かなり歪んだ写真になってしまいました。

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サン・ジョバンニ洗礼堂を広場北西側から見る
サン・ジョバンニ広場に建つ、フィレンツェを代表する、この3つの建物の中で、先ずは最初に建てられたサン・ジョバンニ洗礼堂から見てみましょう。

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サン・ジョバンニ洗礼堂ジョットーの鐘楼前辺り ( 南東側 ) から見る。

wikipediaには、この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀と記されていますが、手持ちの資料では、創建は恐らく7世紀だと記されています。
現在のロマネスク様式の姿となったのは、11世紀になってからで、内陣は1202年に完成しました。
その後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって改修を行い、大聖堂の洗礼堂として使われるようになりました。
詩人ダンテも、ここで洗礼を受けた一人で、神曲 「 地獄篇 」 に、この洗礼堂が登場します。
また、ディカンピオ、ジョットー、ブルネッレスキ、アルベルティー、ダビンチ、ミケランジェロなどの、フィレンツェ在住のルネサンスの芸術家達に影響を与えたと思われています。

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北側の扉から洗礼堂に入り、正面の南側扉方向を見る。
洗礼堂の内部も外壁と同様に、色大理石で飾った幾何学模様が施されています。

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180°振り返って南側扉方向を見る。

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祭壇
祭壇の後壁には、独特の幾何学模様が施されれ、4本のコリント式オーダーが施された円柱で支えられたアーチ天井には、ビサンチン風のモザイクが施されています。

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モザイクの円の中心に描かれた子羊は、キリストを表しているそうです。

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祭壇の向かって右側、教皇ヨハネス23世の墓

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洗礼堂内には、半円アーチの高窓キューポラ頂部からも外光が差し込みます。

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8角形の天井には、1220年~1330年までの約100年の歳月を費やし、ヴェネツィアとフィレンツェの職人達によって制作された、聖ジョバンニの生涯最後の審判を描いた黄金に輝くモザイク画が飾られています。

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8角形の屋根の頂部の越屋根
キューポラ頂部に見えた明りは、この越屋根からの外光です。

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サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂側 ( 東側 ) から見る。
そして、この洗礼堂で、何と言っても一番有名な見所は、ミケランジェロ天国の門と呼ばれた東門でしょう。

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1401年、世界最初と言われる設計コンペ ( コンクール形式 ) で製作者が選ばれた例と言われており、7人の技師や芸術家が応募し、リアルな作風の24歳の金銀細工師ブルネッレスキと、優美で繊細な作風の23歳の新人ギベルティーが最終選考に残り、長い協議の末、ロレンツォ・ギルベリティーが勝利を手にしました。
「天国の門」は1425年から1452に掛けて制作され、金塗りの10枚のパネルに旧約聖書の神話が描かれています。
但し、この東門はレプリカで、実物はドゥーモ美術館に展示されています。


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こちらは南側扉
1339年頃にアンドレア・ピサーノが作成した、28枚のパネルに描かれた洗礼者ヨハネの生涯です。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/09/24(土) 01:40:00|
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ローマ散策-39 ミケランジェロの回廊

ディオクレティアヌスの浴場の遺構を利用して建設された、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂と隣接した遺構の一角に、ミケランジェロは100本の柱と、それらを結ぶアーチとで構成された、正方形の中庭を囲む回廊の設計も手掛けています。

地図
この航空写真を見れば、前回と前々回に紹介したディオクレティアヌスの浴場の遺構サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂と、今回紹介するミケランジェロの回廊の位置関係が分かると思います。

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ミケランジェロの回廊
広い正方形の中庭を囲む回廊は、ミケランジェロが1564年に亡くなった為、弟子のヤコポ・ドゥーカが師の構想を引き継いで、1565年に完成しました。

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ミケランジェロの回廊は、現在では、ディオクレティアヌスの浴場の遺構と共に、ローマ国立博物館の分館の一つとして利用されています。

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回廊の壁際には、彫像やオーダー柱、大小の石棺? 等が展示されています。

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中庭に出てみましょう。
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中庭の中心部には動物の彫像が見えます。
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貧乏旅行だったので、僕のローマ土産はこれだけで我慢しました。

これでローマでの3日間の全スケジュールを終了しました。
後はスーツケースを預けておいた駅の近くのホテルに戻り、テルミニ駅から電車でフィレンツェに向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/19(月) 08:12:23|
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ローマ散策-38 サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂

ディオクレティアヌスの浴場跡の遺構を利用して建設された教会です。

廃墟になっていたディオクレティアヌスの浴場に修復工事が始まったのは、1561年、建築家パラディオによる、遺跡保存の呼び掛けがきっかけでした。
修復を主導した教皇ピウス4世は、浴場の建設に駆り出された、殉教者天使に捧げる聖堂の建設を、ミケランジェロに依頼し、廃墟となっていた浴場の遺構を活かしたデザインで聖堂を完成させたのです。

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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂
廃墟となった外観をそのまま活かした入り口周りには、味も素っ気ありません。
この崩れかかったような弓形の壁は、ディオクレティアヌスの浴場熱浴室温浴室を隔てたものを、そのままデザインに取り込んだのです。

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ところが、一歩建物の中に足を踏み入れると、一転して古代の美しい装飾が蘇ります。

しかし、ローマでのこの3日間で見慣れてきた教会とは、少し形状が異なります。
前室は円形で、直接中央交差部に繋がり、身廊と呼べるような部分は殆ど在りません。

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前室のドーム天井の頂部には、パンティオンの様な明り取りが在ります。

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中央交差部から、内陣奥のアプス方向を見る。

    図面
  ディオクレティアヌスの浴場の平面図に、現在の地図を重ねた図面

横長だった浴場時代の建物を利用しているので、一般的なラテン十字形 ( 縦長の十字プラン ) とは異なり、身廊方向よりも翼廊方向が長く、横軸と縦軸が入れ替わった、見慣れない横長の十字プランになっています。

恐らくこの場所は、浴場時にはフリギダリウム ( 冷浴室 ) と呼ばれる中央大ホールだった所でます。
天井高は91mもあり、ハイサイドライトから、ふんだんに降り注ぐ外光は、この聖堂の特徴となっています。

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中央奥の祭壇


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中交差部に戻って前室方向を見る


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中央交差部から左翼廊の礼拝堂を見る

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左翼廊の礼拝堂
コリント式のオーダーが施された、緑色の大理石の円柱やその上のペディメントの装飾を良く見てください。
一見しただけでは、分かり難いかとま思いますが、これは壁に描かれた絵なのです。

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天井画を見上げる

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右翼廊の礼拝堂

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翼廊の側壁にも、ルネサンス期に描かれたと思われる、絵画が描かれています。

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この美しい大理石の床が、古代ローマ期の遺構なのか、ルネッサンス期に造られたものかに、言及した資料を見付けることは出来ませんでしたが、今回のローマ旅行で見た、何処の教会の床とも違うデザインだと思います。


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中央交差部から、前室方向のアーチ天井を見る。

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塩野七生さん著の 「 ローマ人の物語 ⅩⅢ 」 には
「 教会の本体は、かつての冷浴室そのものと言ってよい、おかげで、他の教会のような縦長の十字形ではなく、横長の十字形になっている。
内部に建つ8本の柱も、この教会が建設された年から1700年もの歳月、この同じ場所に建ち続けてきた。」

と記されています。
「 ローマ人の物語 」 以外の手持ちの資料には、この教会に関して詳しく解説したものがなく、ネットで検索しても、これ以上のものは見付けられなかったので、何処までが古代の遺構で、何処からがルネサンス期ミケランジェロによって改修されたものかの詳細は分かりませんが、ディオクレティアヌスの浴場想像復元図と見比べてみると、冷浴室だった部分の柱や壁の装飾の多くは古代の遺構で、祭壇周りや壁や天井に描かれた絵は、改修時に施されたものではないかと思われます。

無題-スキャンされたイメージ-01
ディオクレティアヌスの浴場想像復元図


教会内には、こんなものも展示されていました。
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ガリレオの振り子
2008年、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ生誕445周年を記念して、飾られていた作品です。
法王ベネディクト16世は、ガリレオの地動説を正式に認め、この教会において、ガリレオ科学者としての業績を讃えるミサを行ったそうです。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「 ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/18(日) 08:00:59|
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ローマ散策-37 ディオクレティアヌスの浴場

ローマでの3日目も、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂~コロッセオ~フォロ・ロマーノ~フォーリ・インペリアーリ の見学を終え、ネルヴァのフォロの近くのカヴァール通りのレストランで遅い昼食を済ませて、ローマでの最終目的地になる ディオクレティアヌスの浴場サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 へと向かいます。

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ディオクレティアヌスの浴場
ローマには既に10ヶ所の公共浴場が在りましたが、305年に完成したディオクレティアヌスの浴場は、敷地の外郭は370m × 380m、建物面積は45,000㎡、3000人の収容が可能で、カラカラ帝の浴場をも凌ぐ巨大施設でした。

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1/高温浴室、 2/微温浴室、 
3/フリギダリウム (熱い風呂を楽しんだ後に入る、冷水プールがある部屋 )
4/大プール、 5/運動場、 6/入口、 7/エクセドラ

建物の構成は、カラカラ帝の浴場を踏襲したており、フリギダリウムと呼ばれる冷水プールが在る中央の巨大なホールの周囲には、大プールや温浴室や体育施設も備えられていました。

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古代ローマで最後に建設されたこの浴場は、537年にゴート族によって水道の供給が絶たれるまで使用されますが、帝国滅亡後の運命は、他の建物と同様に廃墟となることでした。

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現在は、浴場の一部はローマ国立博物館として利用されています。

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ローマ帝国末期皇帝ディオクレティアヌスのは、最もキリスト教徒を迫害した皇帝としても知られ、浴場の建設には、多くのキリスト教徒が駆り出されたと言われています。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/17(土) 11:09:13|
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ローマ散策-36 フォーリ・インペリアーリ ( 皇帝達の公共広場 )

フォーリ・インペリアーリの建設は、共和政末期には手狭になっていたフォロ・ロマーノを拡張することを目的に、ユリウス・カエサルによって、北側に隣接した土地に、新たな政治・経済・宗教の中心施設を造ることを目的に始まりました。

白黒
最初に建てられたカエサルのフォロは、紀元前54年に建設が始められ、カエサルの死後、後継者のオクタビアヌス(後のアウグストゥス帝)によって、紀元前46年に竣工します。

前回の最後に紹介した写真です。
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元老院の手前、写真右端辺りがカエサルのフォロ ( 公共広場 ) が在ったところです。
この近くにカエサルの銅像も在った筈なのですが、場所を思い違いしていて、カエサルの公共広場の写真も、銅像の写真も撮り損なってしまいました。


約40年後の紀元前2年、カエサルの公共広場の北西側に、ほぼ同面積の公共広場が建設されます。
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アウグストゥスのフォロー ( アウグストゥスの公共広場 )
カエサルを暗殺したブルータスらを打ち破ったフィリッピの戦勝 ( 紀元前42年 ) を記念して、初代ローマ皇帝アウグウストゥスによって建設されました。
広場の両脇には半円形の大ホール(エクセドラ)が在り、そこには彫像が並んでいたと考えられています。

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広場の奥の復讐神マルテ ( マルス ) 神殿 は、美しい色大理石を用いて建てられ、新君カエサルや伝説上の英雄の像が納められていました。

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広場後方の壁の向こう側は、名門貴族でありながら、けして裕福とは言えなかったカエサルの家の在ったスッブラ ( 庶民の暮す下町 ) 地区でした。
スッブラでは度々大火が発生した為、この壁は防火壁の役割も果たしていました。

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アウグウストゥス帝の銅像


紀元75年には、アウグウストゥスのフォロに続いて、ヴァスパシアヌス帝によって、少し離れた東側に平和の神殿と広場が建設されます。
しかし、平和の神殿と広場は現在は道路に埋まっていて、全く見ることが出来ません。

このアウグウストゥスのフォロ平和の広場の間に残った空間にネルヴァのフォロ ( ネルヴァの公共広場 ) が完成すると、フォロ・ロマーノから、増幅するように建設された3つの公共広場に連続性が生まれ、総合公共広場の感を呈するようになります。

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               深緑 カエサルのフォロ
               薄緑 ネルヴァのフォロ
               肌色 アウグウストゥスのフォロ

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ネルヴァのフォロ ( ネルヴァの公共広場 )
広場にはミネルヴァ神殿がありましたが、17世紀にジャニコロの丘の噴水の材料にするため壊されてしまい、現存するのはこの壁だけになってしまいました、

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ネルヴァの銅像

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私も五賢帝の一人だったネルヴア帝の銅像と記念撮影してみました。
背景はアウグストゥスのフォロ ( アウグストゥスの公共広場 )


公共広場の拡張事業は、まだ終わった訳ではありません。

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トライアヌスのフォロ と トライアヌス帝の市場

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黄色 トライアヌスのフォロ
薄オレンジ トライアヌスの市場
濃オレンジ バシリカ・ウルピア

ダキア戦役に勝利をおさめ、ダキアの属州化を祝って、107年から112年に掛けて、ダマスカスの建築家アポロドロスによって建設されたトライアヌスのフォロ一帯の建築物は、皇帝達の公共広場の中でも最大の規模を誇り、全体で縦300m × 横185mと広大なもので、バシリカ・ウルピア二つの図書館に囲まれた場所に、記念柱も建てられました。

広場の周囲は柱廊で囲われ、東西の両脇にはエクセドラと呼ばれる半円形の部分があります。
広場の中央にはトラヤヌス帝の騎馬銅像が置かれ、広場南側の凱旋門の上には六頭立ての戦車に乗ったトラヤヌス帝の銅像も設置されていたそうです。

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バシリカ・ウルピア
トライアヌスのフォロ ( 公共広場 )の北側にはバシリカが建てられ、バシリカの北側に接して、二棟の図書館があり、図書館の間には、高さ40mのトライアヌスの記念柱が聳え建っています。
記念柱の更に北には、神格化されたトライアヌスに捧げられた神殿も在ったようです。

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トライアヌスの記念柱

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ダキア戦役の勝利を記念して建てられた記念柱には、2世紀のダキア戦役の物語が絵巻物のように螺旋状にビッシリと刻まれています。
柱の内部は空洞になっていて、螺旋階段で頂部まで上ることが出来ます。

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トライアヌスの市場
トライアヌスのフォロに沿って造られた、 この半円形の煉瓦造りの建物には、数多くの通路や店舗が機能的に配置されていました。
また、建設に必要な平地を確保する為に、クイリナーレの丘カンピドリオの丘を繋いでいた丘を、切り崩した斜面に沿って建てられたこの市場は、土留めの役割も果たしています。

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※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」等を参照しています。 
  1. 2016/09/11(日) 01:03:52|
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ローマ散策-35 フォロ・ロマーノ ③

前回、前々回に続いてフォほロ・ロマーノの3回目。
ついに今回はフォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 ) の中心である 広場 にやって来ました。

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フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
草の生えている部分が フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
広場の奥にサトゥルヌスの神殿 、フォーカスの記念柱 、ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿 が見えます。
高台の上 ( カンピドリオの丘 ) の建物は カピトリーノ美術館

写真に写っていない広場の左側は バシリカ・ユリア
僅かに写真右端に写っている道は 聖なる道
聖なる道の奥に在るのは セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
聖なる道の右側には バシリカ・エミリア ( 写真に写っていない ) が在ります。

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左端の7本の柱は サトゥルヌスの神殿
1本の巨大な柱は フォーカスの記念柱
その右側、3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
右端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門

写真中央上部 高台の上の建物は カピトリーノ美術館
古代ローマ時代カンピドリオの丘最も神聖な聖域であり、ここにはかつてユピテル神殿が建っていました。
ハリウッド映画でもお馴染みの場面だと思いますが、戦争に勝利し、ローマに凱旋した古代ローマの皇帝や将軍は、市民達の歓喜の中、聖なる道を行進し、最後に勝利をユピテル神殿に報告して凱旋式を終えたのです。

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フォーカスの記念柱
7世紀初頭、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ロストラ ( 演説台 ) の前に建立された記念柱
フォロ・ロマーノに建てたられたローマ帝国による最後の建造物でもあります。
白大理石の基台上の縦溝の彫られた13.6mのコリント式の円柱の上には、金色に輝くフォカス帝の立像が置かれていました。

しかし本来、この円柱はディオクレティアヌス帝に献呈された像を支える為のものであり、銘は削り採られ転用されたと考えらています。

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以下9枚は、前日にカピトリーノ美術館から撮った写真
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写真中央の道の右側 バシリカ・ユリア
道の左側 フォロ・ロマーノ
左上に見える広場の左側の道は 聖なる道

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バシリカ・ユリア
紀元前54年、ガリア戦争の勝利で得た資金をもとに、カエサルが建設を始め、アウグストゥス帝が紀元12年に完成させた為、バシリカ・ユリア ( ユリウスのバシリカ ) と呼ばれています。
5廊式の巨大建築物で、中央広間は82m×16mもあり、周囲を大理石の円柱で支えられた回廊が取り囲んでいました。
バシリカ・ユリアの本来の目的は裁判所の法廷としてのもので、民事法廷等が開設されていましたが、食堂街や官公庁の事務所の他、ローマ市民の会合の場所としてもよく利用され、その為の部屋や店なども設けられていました。

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左から サトゥルヌスの神殿
その右の1本柱は フォーカスの記念柱
その右の緑の広場は フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノの上に アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
フォロ・ロマーノの左上、フォーカスの記念柱 からアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿に続く道が 聖なる道
フォロ・ロマーノの右側の道を挟んで バシリカ・ユリア

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左端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
凱旋門の後ろの切り妻屋根の建物は 元老院
その右の3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右の道は 聖なる道 
聖なる道の奥には アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
写真中央の1本柱は フォーカスの記念柱
写真中央の広場は フォロ・ロマーノ
その右の7本柱 ( 写真では2本に見える )は サトゥルヌスの神殿
その右の緑の部分は バシリカ・ユリア

聖なる道はアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿からセプティミウス・セヴェルスの凱旋門を経由しサトゥルヌスの神殿とヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿の間の坂道を上って、カンピドリオの丘に建つユピテル神殿へと繋がります。

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左端 3本の柱の残るヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右のバロッククーポラの建物 サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会
その右の凱旋門 セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
その右後方 元老院 
右端 サトゥルヌスの神殿

ジグザグに上がって来る坂道が ユピテル神殿に向かう 聖なる道

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セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
セプティミウス・セヴェルス帝パルティア遠征の戦勝記念として、203年に建設された高さ23m、幅25mの白大理石の豪華な彫刻によって装飾された凱旋門です。

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セプティミウス・セヴェルス帝の死後、息子のカラカラゲタは共同皇帝として即位しますが、212年にカラカラは弟のゲタを暗殺した為、ゲタに関する彫刻は全て削り取られています。

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元々はトラバーチンの基礎の上に建っており、地面から階段で昇るようになっていました。
315年に建てられたコンスタンティヌスの凱旋門のデザインに、影響を与えたことは既に記述しましたが、中央のアーチ道と両脇のアーチ道との間に開口部を通じるデザインも、近代の凱旋門に模倣されています。


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元老院
この建物は20世紀に復元されたものです。


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道の左側 フォロ・ロマーノ
道の右側 バシリカ・ユリア
2本の柱は本来は7本在りました。
フォロ・ロマーノの南端にバシリカ・ユリアに平行して並んでいます。

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セプティミウス・セヴエルスの凱旋門の前辺りから、フォロ・ロマーノ越に、カストルとボルクスの神殿パラティーノの丘の方向を見る。


カエサルの神殿の前辺りから、聖なる道越しに見る
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バシリカ・アエミリア

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バシリカ・アエミリアマルクス・アエミリウス・レピドゥスによって、紀元前34年に建設されたバシリカで、建物の大きさは100m×30m。
バシリカ・ユリアと共に重要な裁判が行われ、正面には商店が並び、商取引にも使われていまた。
バシリカ・ユリアと同様に、基礎部分以外、ほとんど消失しています。


バシリカ・アエミリアの遺構の中の通路を通って、出口に向かいます。
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パラティーノの丘の方向を見る

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フォーリ・インペリアーリ通り側の出口辺りから、フォロ・ロマーノを振り返る。
復元作業が進んでいる列柱の右側に元老院、サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会が見えます。

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元老院の手前、写真右端辺りはカエサルのフォロ ( 公共広場 ) が在ったところです。

次は、フォーリ・インペリアーリ に向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/09/08(木) 11:32:30|
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ローマ散策-34 フォロ・ロマーノ ②

前回に続いてフォロ・ロマーノの2回目です。
前回紹介した、ロムルスの神殿前辺りからパラティーノの丘の方向 ( 南南西 ) を見る。

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パラティーの丘の手前に 乙女たちの家 の跡が在ります。
パラティーノの丘の法面と一体化するかのような、3階建てに見える建物は、丘の北西角に建つドムス・ディベリアナ

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アントニヌス・ピウスとファウスティーナの神殿前からパラティーノの丘の方向 ( 南 ) を見る。


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巫女たちの家
写真上半分はドムス・ティベリアナ。 
池の在る中庭を取り巻く基壇だけになっているのが巫女たちの家です。
ここはかまどの女神ヴェスタに仕え、聖なる火を守る巫女たちの住居です。

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巫女たちの家は、池のある中庭を囲む2階建ての建物で、中庭に面した回廊を支える列柱の間には、女神(?)の彫像が置かれています。

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左側 カストルとポルックス神殿
右側 ヴィスタ神殿

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ヴィスタ神殿
205年にセプティミウス・ゼヴェルス帝によって建造されたもので、フォロ・ロマーノで唯一の円形神殿
20本のコリント式の柱で囲まれた神殿の中には、聖なる火が灯されていました。

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カストルとポルックス神殿
紀元前495年、レギッルス湖畔の戦いでローマを勝利へ導いた伝説上の双子カストルとポルックスを称えて建設された神殿。
現存する3本の大理石製のコリント式の円柱は、紀元前12年の火事の後、ティベリウス帝が再建したものです。


この基壇しか残っていない建物は、敬愛するユリウス・カエサルを祀った神殿です。
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カエサルの神殿
紀元前44年3月15日ブルータスらに暗殺された ユリウス・カエサル の遺体が火葬された場所に、カエサルの後継者に指名されたオクタビアヌス ( アウグストゥス帝 ) によって、紀元前29年にカエサル神格化されたことを記念して、神君カエサルの神殿として建設したものです。
フォロ・ロマーノに面して建つカエサルの神殿は、前柱廊下式の以外な程小さな神殿でした。

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基壇の半円形に窪んだ場所には祭壇が残っており、この場所でカエサルの遺体を火葬したと考えられています。
後で分かったことですが、この地を訪れた3月15日は、きしくもカエサルの命日でした。  
カエサルの命日をねらって来ようとしても、日程の都合やら何やらで、そう簡単には実現出来るものではありません。
この偶然には感動せずにはいられませんなでした。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
  1. 2016/09/07(水) 11:27:56|
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ローマ散策-33 フォロ・ロマーノ ①

パラティーノの丘の見学も終わり、ついにフォロ・ロマーノにやって来ました。
フォロ・ロマーノとはローマ市民の広場を意味しjます。
フォロ・ロマーノパラティーノ、カンピドリオ、クイリナーレの三つの丘谷間に位置し、広さは東西約300m、南北約100mと小さいながら、約1100年に渡って、古代ローマの政治、宗教、司法、行政の中心であり続けたのです。

コロッセオ ( 東側 ) から見たフォロ・ロマーノ
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ヴィーナスとローマ神殿
中央の10m程高くなった人口地盤の様な緑の部分がヴィーナスとローマ神殿
今ではただの空き地のようにも見えますが、ここには135年にハドリアヌス帝によって建てられた、150本もの円柱からなる回廊に囲まれた巨大な神殿 ( 145m × 100m ) が在ったのです。
ヴィーナスとローマ神殿の西側半分、巨大なアプスの向こう側には、10世紀に建てられた、ロマネスク様式の鐘楼が印象的なサンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂が在ります。
その左側にはティトゥスの凱旋門
右側にはマクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカが見えます。

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巨大なアプスは、実は建物の中心に、背中合わせに二つ在ったのです。

    ヴィーナスとローマ神殿
ヴィーナスとローマ神殿は、ローマの女神神殿ヴィーナス神殿が一つの神殿の中に背中合わせに祀られた、他に例のない形式の神殿だったのです。
現存しているのはヴィーナス神殿アプスです。


こちらは反対 ( 西 ) 側、前日に撮ったカピトーリノ美術館から見たフォロ・ロマーノです。
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中央の7本の柱はサトゥルヌスの神殿
その左、3本(2本に見えるが)の柱がヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿

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左端のバロッククーポラの建物 サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会
その右の凱旋門はセプティミウス・セヴェルスの凱旋門
凱旋門の後ろの切り妻屋根の建物は 元老院
その右の3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右の道は 聖なる道 
聖なる道の奥に アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
写真中央の1本柱は フォーカスの記念柱
写真中央の広場は フォロ・ロマーノ
その右の7本 ( 写真では2本に見える ) サトゥルヌスの神殿
その右の緑の部分は バシリカ・ユリア

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この写真だとサトゥルヌスの神殿の7本の柱が分かります。
手前に上って来る坂道は、ユピテル神殿に向かう聖なる道


ここで、コロッセオ側、ティトゥスの凱旋門の所に戻ります。

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ティトゥスの凱旋門
現存するローマ市最古の記念門
ユダヤ戦争の戦勝記念として紀元81年に建立されたもので、高さは15.4m、幅1は3.5mです。

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アーチの内側にティトゥス帝の勝利のエピソードが刻まれた浮き彫りがあります。


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ティトゥスの凱旋門辺りから、フォロ・ロマーノの中心部方向を見る

ここから右側を見ると
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マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ
マクセンティウス帝が308年に建設を始め、ミルウィウス橋の戦いマクセンティウス帝を破って帝国を再統一したコンスタンティヌス1世が、312年に完成させた為、マクセンティウスのバシリカともコンスタンティヌスのバシリカとも呼ばれています。
見ての通り、古代ローマ時代の伝統的なバシリカ建築とは全く異なるスタイルで、その形態からローマ浴場の形態から着想したのではないかと考えられています。

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バシリカは幅65m×高さ100mの規模を誇り、 身廊は幅25m×奥行き80m×高さ39mと言う巨大なもので、古代ローマ最大の、そして最後のバシリカです。
身廊は4本の巨大な柱で支えられた交差ヴォールトの天井となっており、西端部のアプスには、高さ12mもの巨大なコンスタンティヌス1世像が置かれていました。 ( この巨像はカピトリーノ美術館で紹介済み )
現在残っているのは北側の側廊のみ。

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マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカの前辺りから、、フォロ・ロマーノの中心部方向を見る。

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手前から ロムルス神殿  
その左 アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 

ロムルス神殿はマクセンティウス帝が、夭折した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設した神殿。


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アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 
五賢帝の一人、アントニヌス・ピウス帝が紀元141年に、先逝した皇妃ファスティーナの為に建設した神殿ですが、後にアントニヌス・ピウス自身もここに葬られています。
中世初期にはキリスト教の教会として使われるようになり、11世紀に神殿跡にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ聖堂が建設され、1602年に神殿の一部を再建するかたちで設計しなおされ、現在のような状態になっています。

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高い階段と美しい雲母大理石の列柱が残っています。

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再び、反対 ( 西 ) 側、前日に撮ったカピトーリニ美術館から見た写真です。
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左から アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 
その右 ロムルス神殿
その上 マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ
その右 コロッセオ

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」等を参照しています。
  1. 2016/09/06(火) 19:07:59|
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