アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

フィレンツェ散策 - 10 ミケランジェロ広場、アルノ川南岸

ヴェッキオ橋を渡ったアルノ川南岸は、北岸に比べると見所は少ないとは言え、時間があればピッティ宮ボーボリ広場位は見ておきたいところでしたが、まだローマ観光の疲れが残っていた上に、朝一でジョットーの鐘楼に上った疲れも重なって、ミケランジェロ広場に行くだけにしました。

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バルディ通り
ヴェッキオ橋を渡った辺りの風景

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日本では絶対に見ることの出来ない風景なので、名の無い路地の風景で絵になります。

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アルノ川岸の道から対岸のを見る
写真中央は、国立中央図書館、茶色の塔はサンタ・クローチェ聖堂の鐘楼

ヴェッキオ橋を渡り、アルノ川岸の道を1キロ程歩き、ジュセッペ・ポッチ広場から右手の丘に向かって、階段と坂道を交互に登ると、15分程でミケランジェロ広場が見えてきます。

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ミケランジェロ広場にも、シニョリーア広場と同様に、ダビデ像のレプリカが飾られています。

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左から ヴェッキオ橋ヴェッキオ宮、写真中央に ジョットーの鐘楼
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂サンタ・クローチェ聖堂
が見えます。
既にかなり疲れていたので、出来ればバスで来たかったのですが、バス乗り場と乗り方が分からなかったので、徒歩で上ってきましたが、この丘に建つと、美しいフィレンツェの街を一望することが出来るので、一時的にしろ、疲れを忘れる気分になりました。

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ヴェッキオ宮を中心にした一枚

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もう少しアップにして、フィレンツェを代表する ヴェッキオ宮サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 を撮ってみました。

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左から ヴェッキオ宮ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ジョットーの鐘楼の左下にメディチ家礼拝堂のクーポラも見えます。

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ヴェッキオ橋

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ヴェッキオ宮

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ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

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サンタ・クローチェ聖堂

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丘を下りる前に、フィレンツェの街の全景をもう一枚

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レナイ通り沿いの街並み

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帰り道は、アルノ川沿いの道は歩かずに、レナイ通りを通り、アッレ・グラツィ橋を渡って北岸に戻りました。

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  1. 2016/10/25(火) 15:07:38|
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フィレンツェ散策 - 9 ヴェッキオ橋、ヴァザーリの回廊 他

サン・ロレンツォ聖堂の見学を終え、共和国広場周辺で昼食をとろうと思っていましたが、手頃ないい店が見つからなかったので、シニョリ-ア広場近くのファストフードのピザ店で、安く昼食を済ませました。

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共和国広場
共和国広場と呼ばれる広場は、この広場の他にローマ、ナポリ、トリノにも在り、1946年6月2日にイタリア共和国が成立したことを記念して、この名前が付けられたそうです。
写真中央の凱旋門は、1865年にフィレンツェがイタリア共和国の首都に選ばれたことを記念して建てられたもので、広場の中心建てられた豊穣の円柱と、メリーゴーランドと共に、広場の目印となっています。
広場の周辺には、老舗のカフェや高級レストラン、ブランド店、お土産店などが並んでいます。

この後通ったシニョリ-ア広場周辺の建物 ( ヴェッキオ宮、ウフィツィ美術館 ) は後日紹介することにします。

細長い中庭のようなウフィツィ広場の中程を右折し、細い路地( ランベルテスカ通りジェオルゴフィリ通り ) を通ってアルノ川沿いの道に出ると
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ヴェッキオ橋が見えてきます。
ヴァザーリの回廊の下から撮った写真です。

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この写真は翌日に、ウフィツィ美術館から撮ったもので、右下に写っているのがヴァザーリの回廊です。

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ヴェッキオとは「古い」と言う意味で、フィレンツェでもっとも古い橋なので、この名前で呼ばれています。
洪水により流失と再建が繰り返され、3つのアーチを描く現在の橋は、1345年にネーリ・ディ・フィオラヴァンテの設計により建設されたものです。

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橋の両側には何件もの宝石店が建ち並んでいます。

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16世紀の半ば迄は、肉や野菜を売る商店が、軒を連ねていましたが、橋の2階部分にヴァサーリの回廊が造られると、それらの商店は退去させられ、代わりに金銀細工師の店が集められ現在に至っています。

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橋の両側にはびっしりと建ち並んだ宝石店により、橋と言うよりも、まるで街中の通りの様相ですが、橋の中央にだけは、アルノ川をながめることの出来るスポットが在ります。

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橋の中央に飾られた胸像は、メディチ家の誰かかと思っていましたが、金銀細工師出身のベンヴェヌート・ チェッリーニという彫刻家で、1800年代に金細工師の父を記念して設置したものだそうです。

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ヴェッキオ橋の中央から、ヴァザーリの回廊見る。
さらにその先に、ウフィツィ美術館も見えています。

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アルノ川南岸から見たウフィツィ美術館

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アルノ川南岸からヴェッキオ橋ヴァザーリの回廊を見る。

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最後はアッレ・グラツィ橋からの一枚

この後は歩いてミケランジェロ広場へ向かいます。
  1. 2016/10/22(土) 14:50:00|
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フィレンツェ散策 - 8 サン・ロレンツォ聖堂③

メディチ家礼拝堂メディチ家の墓廟である新聖具室を見逃してしまったことは、前に書きましたが、サン・ロレンツォ聖堂に付属する建築物には、その他にもラウレンツィーナ図書館、回廊、旧聖具室等の見所があります。

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サン・ロレンツォ聖堂の回廊
回廊の屋根越しに、少しだけサンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂大クーポラと、ジョットーの鐘楼の頂部が見えています。

サン・ロレンツォ聖堂に付属する中庭を囲むこの回廊について、言及しているサイトは少なく、一つだけ1475年のマネッティの作と記されているサイトを見付けました。 
また、手持ちの資料の一冊に、この回廊ブルネッレスキの回廊と記載しているものも見付けています。
ブルネッレスキの死後、聖堂建設の指揮はマネッティが引き継いでいるので、どちらも正解と言うことだと思います。

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2層の回廊には、1階・2階共に灰色のイオニア式円柱が施されていますが、シンプルなデザインのアーチで2階の回廊を支える、1階の円柱と比べ、瓦だけが載ったように見える、殆ど見付けのない木組の庇を支える2階の柱は大変細く、木製の柱に塗装したものかとも考えましたが、元画像を拡大して見てみると、やはり石材ではないかと思われます。

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丁寧に刈り込まれ、手入れの行き届いた植込みの中央に植えられている樹木には、オレンジのような果実が実っています。

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2層に巡らされた回廊の上部を見てみましょう。
向かって左側のラウレンツィーナ図書館には、三角やアーチのぺティメントが施されたの窓があり、
右側の聖堂には半円アーチ窓丸窓が加わり、静かな中庭に賑わいを感じさせています。

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実は今回、ラウレンツィーナ図書館も見逃してしまいました。
恐らくこの扉がラウレンツィーナ図書館の入口だった筈なのですが、下調べ不足で見逃してしました。
もしも気が付いてこの扉を開けていたら、目の前にミケランジェロの設計で滝の流れを模したと言われる、図書館への階段が在った筈なのです。


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旧聖具室
ミケランジェロが設計した新聖具室は見逃してしまいましたが、ブルネッレスキが設計した旧聖具室の方は見ることが出来ました。
1419年に依頼を受けたブルネッレスキは、1422年に建設を始め1428に完成させています。
この教会で最も古く、ブルネッレスキが生きている間に完成した唯一の場所で、壁にはドナテッロによる洗礼者聖ヨハネの生涯を描いた 8 つのレリーフが飾られています。

旧聖具室新聖具室は、聖堂メディチ家礼拝堂を中心軸に、左右に対象に造られ、どちらも四角い平面とドーム天井からなる空間構成で、メディチ家礼拝堂と共にメディチ家の代々の墓廟であります。
旧聖具室にはコジモ・デ・メディチ、ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ、コジモ3世・ディ・メディチ墓廟があり、
新聖具室には豪華王と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチと弟のジュリア―ノヌムール公ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチウルビーノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ墓廟があります。

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ジョットーの鐘楼から写した、サン・ロレンツォ聖堂メティチ家礼拝堂

  1. 2016/10/19(水) 00:00:19|
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フィレンツェ散策 - 7 サン・ロレンツォ聖堂②

前回に続き、サン・ロレンツォ聖堂を紹介です。 
今回は聖堂内部に飾られたの絵画の紹介します。

先ずは、この聖堂に飾られた絵画の中で、最も有名だと思われる
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受胎告知 1440~1442年頃 フィリッポ・リッピ作
奥に向かって右側の翼廊左側の礼拝堂に飾られています。

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聖堂中央奥の主祭壇にも、細やかに描かれた、色鮮やかな絵も見られます。

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聖ラウレンティウスの殉教 1569年 ブロンズィーノ作
奥に向かって左側廊の奥の壁に描かれたフレスコ画の大作で、このフレスコ画も多くのサイトで紹介されていました。


この後は、殆ど詳細は分かりませんでしたが、左右の側廊に並ぶ、礼拝堂に飾られた絵画です。
礼拝堂の並び順と、以下の絵画の画像の並びは一致しいません。

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マリアの結婚 フィオレンティーノ作

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  1. 2016/10/18(火) 00:00:00|
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フィレンツェ散策 - 6 サン・ロレンツォ聖堂① 

サン・ロレンツォ聖堂は、メディチ家の依頼でフィリッポ・ブルネッレスキの設計により、1419年から1442年に掛けて改修された教会です。
元は393年に献堂式が行われた、フィレンツェで最も古い教会で、1060年にロマネスク様式の教会として再建されています。

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サン・ロレンツォ聖堂

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二日目 朝日を浴びる サン・ロレンツォ聖堂

教会の後方に二つのドームが見えますが、大きい方のドームメディチ家礼拝堂
小さい方のドーム新聖具室です。

聖堂の後ろ側に回ってみましょう
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メディチ家礼拝堂

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新聖具室

メディチ家礼拝堂サン・ロレンツォ聖堂を拡張して、16世紀から17世紀にかけて建設された礼拝堂で、新聖具室 と共に是非見ておきたい建物でしたが、今回は入口が分からず、内部を見学することが出来ませんでした。

聖堂の正面に戻ります
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サン・ロレンツォ聖堂
ブルネッレスキの死後、メディチ家墓廟である新聖具室図書館聖堂の正面の設計はミケランジェロに委ねられますが、大理石の産地を巡るメディチ家との対立や職人達の作業拒否等により、ミケランジェロの設計案は実現することはありませんでした。
結局正面は未完成のまま、現在に至っています。


聖堂の内部は、未完成の武骨な正面とは見違えるような、端正で細やかな装飾で飾られていました。
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教会の内部は3廊式
水平に張られた格天井ルネッサンス様式が取り入れられ、前方へと視線が集中するようにデザインされています。

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身廊側廊とは、コリント式の円柱に架けられたアーチで仕切られています。
美しい連続アーチ円柱、高窓はブルネッレスキの設計。

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一見すると、木材に灰色の塗装を施したようにも見える円柱アーチは、ピエトラ・セレナと言う灰色の石材が使われていて、派手な色大理石の教会を見慣れていた眼には、とてもシックな落ち着いたデザインに感じられます。

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左右の側廊には礼拝堂があります。

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中央交差部 ( クロッシング : 身廊と翼廊の交わる部分 ) から美しいドーム天井を見上げる。

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フレスコ画ブロンズィーノ作

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正面の祭壇

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中央交差部から右翼廊奥の祭壇を見る

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翼廊左側の礼拝堂

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中央交差部から左翼廊奥の祭壇を見る

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中央交差部辺りから入口方向を見る。

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入口上部の紋章の詳細は不明。

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天井の彼方此方に飾られたメディチ家の紋章です。

  1. 2016/10/17(月) 16:51:01|
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フィレンツェ散策 - 5 サン・ジョバンニ広場⑤ 広場周辺の建物

サン・ジョバンニ広場と、その周辺には、サン・ジョバンニ洗礼堂、ジョットーの鐘楼、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の他にも、見逃せない建物があります。

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先ずは、広場北側のマルテッリ通りを見てみましょう。

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向かって左側の建物は、サン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会
元はゴーリ邸の在った場所に、1351年からは、プロテスタントのサン・ジョバンニのための小礼拝堂が組み入れられた、「 聖人にささげた 小さな教会 」 として知られていましたが、 1557年コジモ1世は、イエズス会の教会として新たに 教会の継承を認め、最終的に1661年に完成した教会です。

右側はメディチ・リッカルディ宮殿

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フィレンツェ・ルネサンス建築の代表格と言われているメディチ・リッカルディ宮殿は、元はコシモ・ディ・メディチの依頼によりミケロッツォ・ミケロッツィの設計で、1460年に完成したメディチ家の邸宅でした。
メディチ家の人々が1540年まで暮らし、1655年にリッカルディ侯爵が買い取ったので、メディチ・リッカルディ宮殿の名で呼ばれており、現在は県庁として利用されています。

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1階の外壁は粗い石積
2階はやや平らな石積
3階は目地が見えない程の平滑な仕上げの石積
と言う3層構造で、この後1世紀以上、この建て方が大流行したとか
外壁から大きく迫り出した軒蛇腹ミケランジェロの設計です。
宮殿の中も見学出来た筈なのですが、今回はスケジュール的に無理だったので諦めました。

広場の南側へ
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サン・ジョバンニ広場カルツァイウォーリ通りの交わる角の敷地に、軒の出の大きな、目に付く建物があったので写真を撮っておきましたが
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ビガッロの開廊
後で調べてみると、この建物は、アルベルト・アルノルディの設計で1358年に竣工した建物だと分かりました。
大きく張出した軒の出の他に、通りと広場に向かって開放した、大きなアーチに支えられた開廊が特徴の建物です。

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向かって右側の広場側のアーチの上には、殉教者ペテロと聖母子、聖ルチアの像が飾られています。

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ジョットーの鐘楼からサン・ジョバンニ広場を見る
サン・ジョバンニ洗礼堂の右上に見えるクーポラメディチ家礼拝堂
左下の茶色の瓦屋根の建物がビガッロの開廊

ビガッロの開廊の前から、カルツァイウォーリ通りを南へ200m程歩くと
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オルサンミケーレ教会


一見しただけでは、教会とは分かりづらい外観なのは、元は1337年に穀物倉庫として建てられ、14世紀に市場の移動に伴って、礼拝堂として利用されるようになったからです。

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教会の周囲の壁には、14体の守護聖人の彫像が飾られています。

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聖トマスの不信

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オルサンミケーレ教会は、たぶん入場無料だったと思いますが、時間がなかったのでこちらも外観だけ・・・。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/10(月) 17:34:00|
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フィレンツェ散策 - 4 サン・ジョバンニ広場④ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 内観

内部空間は外部のド派手な装飾が嘘のような、シックなイタリア独特のゴシック様式

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3万人収容することが出来ると言われる聖堂内は、東西に153m、南北は90m。

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聖堂の構成は、身廊と左右の側廊からなる三廊式
平面の形状はラテン十字のバシリカ型です。
交差ヴォールトの天井も、ローマで派手な天井を見慣れた後なので、ちょっと物足りない感じさえあります。

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一段高くなったクロッシング ( 縦軸と横軸の交差部分 ) の祭壇場の十字架ベネディト・ダ・マイアーノ

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ドラム部の丸窓のステンドグラスは
「 聖母被昇天 」 「 ゲッセマネでの祈り 」 「 キリストの奉献 」 の下絵はロレンツォ・ギベルティ
「 聖母の戴冠 」 の下絵はドナテッロ
「 受胎告知 」 「 降誕 」 「 復活 」 「 昇天 」 の下絵はアンドレア・デル・カスターニョ、パオロ・ウッチェロ

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高さ107m、直径43mの大クーポラの天井には、ジョルジョ・ヴァザーリ作のフレスコ画 「 最後の審判 」 が描かれています。

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180°振り返り、大聖堂の入口方向を見る。

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正面入り口上部のステンドグラス

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ステンドグラスの下部に見える時計は、1443年に画家パウロ・ウッチェロが設計した24時間時計
一辺4.6mの正方形の時計の四隅には、遠近法を駆使した4人の預言者が描かれています。

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フィレンツェの周辺は、良質な大理石の産地として有名だそうです。
幾何学模様が描かれた大理石の床は、1526年から1660年にかけて造られました。

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※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/02(日) 18:00:00|
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フィレンツェ散策 - 3 サン・ジョバンニ広場③ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 外観

フィレンツェの街ので、一際目を引く赤褐色のクーポラは、フィレンツェのランドマークであるばかりでなく、イタリア・ルネサンスのシンボル
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
巨大な美しいクーポラが特徴の大聖堂は、イタリアの晩期ゴシック建築および初期ルネサンスを代表する建築です。

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フィレンツェ 二日目に撮影
大聖堂の全体を捉えるには、私のカメラだと、広角レンズを使用しても、このアングルからこのショットが精一杯。

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サン・ピエトロ大聖堂の円蓋の設計をローマ教皇に依頼されたミケランジェロ 「 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂より美しいもの造れない 」 と語ったと言う話は、この大聖堂の美しさを表す逸話として、あまりにも有名。
この写真でその美しさが伝わるかが心配です。

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白、緑、ピンクの3色の大理石によって装飾された外壁と、内径42mの八角形の大クーポラは、フィレンツェの文化と繁栄のシンボルと言えるでしょう。

1296に建築家アルノルド・ティ・カンピオの設計により始まった工事は、1302年のディ・カンピオの死により中断されます。
1334年、建設責任者にジョットーが指名されますが、ジョットー鐘楼の建設中の1337年に死去します。
1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タランティによって、東端部をディ・カンピオの計画よりも拡張し、現在の形に変更。
1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ部分を残すのみとなりました。
しかし、ここに来て聖堂建設は、前例のない巨大クーポラの建設と言う、大難題に突き当たります。
当時の工法としては、先ず木材でアーチの型枠を組み、その上に石材とモルタルでドームを造るのが一般的でしたが、計画された大天蓋の直径は42m、高さは100mを超える巨大なもので、それ程の巨大な型枠や足場を組むことは、当時の技術では不可能だったのです。
しかし、この難題に挑戦したのが、サン・ジョバンニ洗礼堂扉のコンペギルベルティーに敗れ、彫刻家から建築家へ転身していたフィリッポ・ブルネレスキでした。
1418年に行われたクーポラの設計コンペに応募したブルネレスキは、足場は造らず、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提案し、実現させたのたのです。
この時の設計コンペにはギルベルティも参加しており、ブルネレスキは20年振りに、洗礼場の扉のコンペの雪辱を晴らしたのです。
1434年にはクーポラ頂頭部が完成。
献堂式は1436年に教皇エウゲニウス4世によって行われました。
着工から140年、花の聖母寺はついに完成したのです。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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ファサード ( 正面 ) はゴシック期でもルネサンス期に造られたものではなく、1887年に完成したものです。

この教会の前に立った時の第一印象は、その美しさよりも、3色の色大理石で装飾された、目眩がする程のド派手さです。
まさに開いた口が塞がらないと言う程の驚きで、圧倒されてしまいました。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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どの写真を見ても、大聖堂と鐘塔は一体化した建物のように見えますが、実際には別棟になっていて、数m離れて建っています。

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ジョットーの鐘楼 3層目テラスから
上下どちらの写真も同じようなものですが、どちらか選べなかったので両方アップします。

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ジョットーの鐘楼 頂上テラスから
何処から見ても美しいクーポラですが、ここからのアングルが一番美しいかも・・・?

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大聖堂の裏 ( 西 ) 側から
広場の中央に建っているので、大聖堂の周りをぐるりと見て回ることが出来ます。
正面に劣らず、後側の立面のデザインにも、全く手抜きはありません。

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北側面

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ぐるりと回って再び正面 ( 東側・洗礼堂側 ) に戻ってきました。

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正面玄関

さあ、次回は大聖堂に入ります。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/01(土) 18:31:00|
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