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アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

パリ旅行記 - 51 ( 4日目 ) パリ市庁舎

ノートル・ダム大聖堂 をあとにし、セーヌ川沿いのオー・フラール通りアルコル橋 に向かいます。p2252111-1.jpgセーヌ川対岸 ( 右岸 ) パリ市庁舎 が見えます。P2252112-1.jpgオー・フラール通り沿を背にして、人が一人やっと通れる程の道幅のシャントゥル通りと、ユルサン通りが交わる辺りの建物。

同じ位置からサン・ルイ島を見る。p2252113-1.jpg右岸サン・ルイ島に架かるのは ルイ・フィリップ橋 を見る。p2252114-1.jpgアルコル橋 からサン・ルイ島を見る。向かって左側に見えるのは、右岸サン・ルイ島に架かる ルイ・フィリップ橋。向かって右側に見えるのは、サン・ルイ島シテ島に架かる サン・ルイ橋 です。p2252116-1.jpgアルコル橋 から ノートル・ダム橋 方向を見る。向かって左側の塔は サント・シャペル。中央の ドームは 商業裁判所 。右端が コンシェルジュエリー

p2252086-1.jpgパリ市庁舎

再び パリ市庁舎 の前に戻って来ました。p2252084-1.jpgフランソワ1世は1533年、ヨーロッパ最大の都市にふさわしい市庁舎の建設を目指し、イタリア人建築家 ドミニク・デ・コルトーネ と フランス人建築家 ピエール・シャンビージュ の2人を任命。ルネサンス建築に傾倒していたドミニクの設計により、高く広々とした、光に溢れる市庁舎の建設が始まり、約100年の歳月を掛け、ルイ13世の治世下の1628年に完成します。

その後200年間は、市庁舎に大きな改修は成されていませんでしたが、1835年に エティエンヌ=イポリット・ゴデジャン=バティスト・ルシュール の二人の建築家の設計により、正面ギャラリーに接続する二つの翼棟が建設され、広々とした市庁舎に生まれ変わりました。

しかし、1871年にプロイセンへの降伏を予測した群衆による抗議に端を発した暴動による火災により、石造の部分を残し焼失してしまいました。

市庁舎の再建は1873年から行われ、1892年に完成します。設計者は公開コンペで選ばれた テイオドール・バリューエドゥアール・デペルト により行われます。二人の建築家は火災から残った石造りの基礎を利用した上、火災以前のフランス・ルネサンス様式に新しいデザインも取り入れて市庁舎の内部を再建しています。p2252083-1_20210114100001d25.jpg市庁舎前の広場では、市庁舎が建てられる以前、砂の広場 と呼ばれていた頃から公開処刑場として利用され、絞首刑、ギロチン、火あぶり刑、などが見世物的に行われ、中でも手足を四頭の馬に結びけて四方に走らせる、4つ裂きの刑が最も人気の的だったと言われています。p2252117-1.jpg建物正面は多くの精巧な彫刻で飾られています。p2252117-2.jpg中央の大時計の下には「自由・平等・博愛」文字が刻まれています。

建物中央の扉の前にも銅像2芸術 ローラン・マルケスト作  市庁舎に向かって右側

銅像1科学 ジュール・ブランシャール作 市庁舎に向かって左側 

建物内部は外観と同様に、宮殿の様な雰囲気を醸し出し、フレスコ画やロダン作の「共和国女神像」も高い芸術性が評価されています。内部を見学出来なかったことは残念です。

ここで、この日も仕事を終えた友人と合流しバスを利用して ギャラリー・ラファイアット へ向かいます。

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  1. 2021/01/14(木) 14:20:00|
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