日光東照宮 の3回目は、⑧
二の鳥居 ( 唐銅鳥居 ) と
二の鳥居 前後からから見た
陽明門 の風景。
そして、⑨ 鼓楼 と ⑩ 鐘楼 を紹介します。
三猿 で知られる 神厩舎 前から、振り返って 石階段 の上の 陽明門 を見る。
左端に ⑧二の鳥居、右端に 上神庫 が見えています。
陽明門 遠景。左端に在るのは ⑨ 鼓楼。
⑧ 二の鳥居 を通して 陽明門 を見る。
向かって左が ⑨ 鼓楼、右が ⑩ 鐘楼。
左右二つの塔が 陽明門 とその後ろの 本殿 を護っているようです。
ここからのアングルが、一番絵になる気がします。
⑧ 二の鳥居 ( 唐銅鳥居 )
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
奉納者は 三代将軍 徳川家光
日本で造られた初の青銅製の鳥居で、高さは約6mあります。
⑨ 鼓楼
創建年 / 1635年 ( 寛永12年 )
様式・型式 / 楼閣造り、袴腰形式
屋根 / 銅瓦葺、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
⑨ 鼓楼 とはその名の通り、太鼓を収納しておく為の建物です。
⑨ 鼓楼 と ⑩ 鐘楼 の共通の特徴は、豪華賢覧で煌びやかな装飾や、楼閣建築 の特徴の一つである 袴腰 は勿論、四隅の軒裏にも有ります。
⑨ 鼓楼 の右奥に在るのは 薬師堂
薬師堂 前から 陽明門 と ⑨ 鼓楼 を見る
五重塔 の所でも触れましたが、社寺建築 では主流である、垂木を真っすぐ平行に配する 平行垂木 - 和様 ではなく、垂木を放射状に配した 隅扇垂木 - 唐様 を用いています。
⑨ 鼓楼 に寄り添うように配された 八角形の建物も気になります。
オランダ燈籠 ( シャンデリア釣燈籠 ) 覆屋
日本との貿易を独占しようと、オランダが親善を兼ねて 徳川家康 の霊廟である 東照宮 に奉献したものの一つ。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 八角円堂
屋根 / 銅瓦葺き
⑩ 鐘楼
⑨ 鼓楼 と殆ど同じ形状ですが、撞木 ( しゅもく ) とよばれる 鐘つき棒 と棒を振る為の開口が有るか無いかで見分けるそうですが、確認出来ませんでした。
輪王寺 大猷院 の 鐘楼・鼓楼 とも立面は酷似していますが、大猷院 の物は、周り縁 を支える 斗組 ( ますぐみ ) が黒一色だったのに対し、こちらは色とりどりの着色です。
陽明門 向かって右側の 廻廊 と ⑩ 鐘楼
廻廊
朝鮮鐘 ( 鐘楼側 )⑩ 鐘楼 と ⑨ 鼓楼 の間には、オランダ燈籠 の他にも 左右に一個づつの銅製の鐘が有ります。
1643年 ( 寛永20年 ) に、後の 四代将軍徳川家綱 の誕生を祝して 朝鮮通信使 により贈られたものです。
朝鮮鐘 ( 鼓楼側 )
四角に飾られた動物の装飾は 獏 だそうです。
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- 2023/05/30(火) 11:11:00|
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日光東照宮 の2回目も、表門 から 中鳥居 のあるレベルに建つ建物を紹介します。
先ずは 上神庫 の妻面の向にに在る

⑤ 神厩舎 ( しんきゅうしゃ )
東照宮 の境内唯一の 素木造り の建物なので、つい通り過ぎてしまいそうな地味な印象の建物ですが、ご覧の様に人だかりが出来ています。
創建年 / 1636年 ( 元和3年 )
様式・型式 / 素木造、前切妻-流造
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
流造 の形状が分かる全景を撮っていなかったのでストリートビューから
神厩舎 とは 神馬 ( しんめ ) と呼ばれる神に仕える馬の家のこと。
ただ、実際にこの場所で 神馬 が生活して居た訳では無く、実際の馬小屋は別に在ったらしいです。
向かって左側の土間部分が 馬立場 ( うまたてば ) と呼ばれる馬の為の空間で、右側の 濡れ縁 の在る部分は畳敷きで、馬を扱う武士の為の詰所です。

しかし、この質素な造りの建物に観光客が集まっているのは、神厩舎 を見る為と言うよりは 三猿 ( さんざる ) と呼ばれる猿の彫刻を見る為でしょう。
三猿 をとは、猿の一生をもって人間の生涯を風刺した、8面の彫刻の中の一つで、子供を悪事から遠ざけるべきこと教える「見ざる言わざる聞かざる」のこと。
長押の上部に飾られた猿の彫刻は、正面妻壁に5面、西側桁壁に3面あり、全部で16匹の猿の生涯が描かれています。
正面妻壁の5面の彫刻
西側桁壁の3面の彫刻
「赤子の時期」 親猿が子供の将来を見つめる ( 妻壁左端 )
手をかざし、遠くのビワの実と朱色の雲を見る母猿は、「バラ色で実り豊か」な子供の未来を表現しています。
「幼少の時期」見ざる言わざる聞かざる - 三猿 ( 妻壁左から2番目 )
子供のうちは、純真で周囲の影響を受けやすいので、世の中の悪事は見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良い物だけを与えよ。この時期に、良いものを身に付けて置けば、悪いものに触れても正しい判断が出来る。
「青年の時期」 一匹の座った猿 ( 妻壁左から3番目 )
孤独に耐えつつも、将来を考えている。未だ立ってはいないが、やがて立ち上がれば「自立・一人立ち」する。
「大人の時期」青雲の志 ( 妻壁左から4番目 )
希望をもって上を見上げる青春期のイメージ。
「青雲の志」を抱いた若い猿。
御遺訓に言う「上を見な・身の程を知れ」
「大人の時期」仕事の悩み ( 妻壁左から5番目 )
左側の二匹の猿は、岩の上に居る。下を向く猿の背中にもう一匹が手を当てて慰め、または励ましている様子。
「大人の時期」結婚の悩み ( 桁壁左端 )
右側の座って正面を凝視している猿は、結婚の決心を固めているが、左側の猿は決断を迫られ迷っている様子。
「大人の時期」パートナーを得る ( 桁壁左から2番目 )
腕組みをして波にもまれる猿に、頭上に赤い雲のかかった右側の猿が、長い腕を差し出している。
二人で力を合わせれば「人生の荒波」も乗り越えられる。
「大人の時期」親になる ( 桁壁左から3番目 )
結婚した二人が協力して荒波を乗り越え、平安な家庭環境を整え、子宝に恵まれ、子供が生まれれば、親となり、最初の面の子育てへと辿る事となり、永遠の生命が受け継がれていく。
⑥ 御水舎
三本一対の白御影石の角柱を四隅に配し、唐破風造 の重そうな屋根を支えています。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 十二脚、妻入-唐破風造
屋根 / 銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
御水舎 の向かって右隣り、上神庫 の向に在るのが
⑦ 輪蔵 ( 経蔵 )
経蔵 とは、経典を収納する為の蔵の事で、別名で 輪蔵 と呼ばれるのは、8角系の回転式の本棚が設置されていたからだそうです。
回転式の本棚が設置されていたから、平面が正方形なんですね。
経蔵 の内部には、この様な本棚を考案した 傳大士の親子の像 が安置されていて、子供の方の像が笑顔を浮かべていることから、 笑い堂 とも呼ばれているそうです。
輪蔵 には仏教の聖典が収められていたと言われていますが、本来なら 経蔵 は、寺院の境内にある施設の筈ですが、神仏習合 の名残りだそうです。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 重層方形造、一重もこし付
屋根 / 銅瓦葺 方形屋根
重要文化財 / 1908年指定
裳階 ( もこし ) があるので二階建てに見えますが、内部に2階部分の床は無く、1階建ての建物です。
裳階 ( もこし ) がは寺院建築ではよく見られる建築様式で、雨除けの為だけてなく、建物を豪華に見せる役割も果たしています。
- 2023/05/26(金) 15:42:00|
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早目の昼食を
明治の館 でとり、午後は50年振りの
東照宮 を見学します。
①表門
東照宮拝観券受付所 でチケットを購入し、最初の階段を登って 表門 へ
日光東照宮 表門 は、神社にも関わらず 仁王像 が護っています。
その為、創建当時は 仁王門 と呼ばれていたそうです。
「神仏分離令」により、明治4年に一時 輪王寺大猷院 に移されていましたが、明治30年に戻されています。
1636年 ( 元和3年 ) に三代将軍の 徳川家光 が行なった 東照宮再建 の際に建てられました。
阿形 ( 向かって右側 )
吽形 ( 向かって左側 )
境内側は 唐獅子 が護っています。
創建年 / 1636年 ( 元和3年 )
様式・型式 / 八脚門
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化財 ( 1908年指定 )
阿形の唐獅子 ( 向かって右側 )
吽形の唐獅子 ( 向かって左側 )
表門 の四角を護るのは聖獣 獏。
通路の四隅にも 金色に塗られた 獏
獏 は邪気を祓い、邪気を食べる聖獣と言われています。
軒の上の白っぽい動物の彫刻は ヒョウ。
花の様な彫刻は 牡丹 でしょうか?
表門 を潜って直ぐ左側には、赤い木塀に沿って燈籠が並んでいます。
①表門 を潜って右側には ②下神庫、正面には ③中神庫 、中神庫 の左隣には ④上神庫 が並びます。
3棟の 神庫 を総称して 三神庫 と呼ばれています。
神社の宝物を納める為の倉庫で、通常は 宝物殿 と呼ばれる建物。
②下神庫
下神庫 は工事中でシートが掛かっていたのでストリトビューから
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
向かって左側が ③中神庫 、右側が ②下神庫
この画像もストリートビューから
向かって左側が ④上神庫 、右側が ③中神庫
③中神庫
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重、向拝付
屋根 / 銅瓦葺き-入母屋屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
④上神庫 の左に 銅鳥居 と 輪蔵 が見えます。
中紳庫 は 入母屋屋根 ですが、この 上神庫 と 下神庫 は 切妻屋根。
上神庫 のこの面だけが、参道に面して 妻面 を見せた配置となり、派手な装飾が施されています。
葵の御門 の施された金色の 破風 や 下魚 も鮮やかですが、狩野探幽 が下絵を描いた向かい合う二頭の像の彫刻は 想像の像 と呼ばれ、三猿 や 眠り猫 と共に 東照宮 の見所の一つです。
このアングルだと、2個目の階段の上に 鼓楼 と僅かに 陽明門 も
石階段の上に 陽明門 と 鐘楼 が見えます。
上神庫 右奥が 中神庫
上神庫 の妻部詳細
上神庫
創建年 / 1635年頃 ( 寛永12年頃 )
様式・型式 / 校倉造、一重、向拝付
屋根 / 銅瓦葺き-切妻屋根 ( 反り有り )
重要文化材 ( 1908年指定 )
三神庫 は 外壁を木材を井桁に組んで積み上げて造る 東大寺-正倉院 に代表される 校倉造 で建てられています。
- 2023/05/25(木) 10:50:00|
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90分程掛けて
輪王寺大猷院 の見学を終え、ランチの整理券1番をゲットしてある
明治の館 へ向かう途中、まだ少し時間に余裕が有ったので
日光二荒山神社 の境内を、やや急ぎ足で散策して来ました。
二荒山神社 の 大鳥居 は大猷院 常行堂 の前に在り、二荒山神社 へと続く階段に続いています。
二荒山神社 大鳥居 ( 別名:良い縁鳥居 )
二荒山神社 は縁結びの神様である 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) を祀っていることから、西参道の富士観光センター方面に続く緩い坂道は 良い縁坂 と呼ばれ、この 大鳥居 は 良い縁坂 の終着点に在ることから 良い縁鳥居 とも呼ばれています。
鳥居に向かって左側の、鳥居の足元には 良い縁打ち出の小槌、右下には むすび大国 が置かれています。
階段の途中 ( 写真に写っていない右側 )に、縁結びの御神木 も有ったみたいです。
写真を撮り忘れたのでストリートビューから
杉 に 楢 が宿り木として生えているので「スギ ナラ ば一緒に」という事らしいです。駄洒落なんですね。
神門
木造・四脚・切妻屋根 / 昭和52年建立
神門 から覗き見えているのは 拝殿
拝殿
神門 を潜ると、正面に間口5間大きな構えの 拝殿 が在ります。
素人目には、神社と言うよりは寺院の様な雰囲気です。
拝殿 前に置かれた金色の像は 良い縁うさぎ
創建年 / 1619年
再建年 / 1645年 ( 正保2年 )
様式・型式 /
屋根 / 銅瓦葺き-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
神門 から境内に入って左側には、手水舎 と神楽殿 が在ります。
手水舎 ・ 良い縁うさぎ ・ 神楽殿
手水舎
屋根 / 銅板葺き- ( 反り有り ) 切妻屋根
神楽殿
屋根 / 銅板葺き- ( 反り有り ) 入母屋屋根
神楽殿 の右側に写っている 神苑拝観受付 より奥がが有料の 神苑エリア 。
今回は時間が無いので 神苑エリア の見学は諦め、無料エリアのみの見学です。
神苑エリア には 本殿 も含め、見どころが沢山在り、見学出来ないのは残念です。
昨年9月、二荒山神社 の新しい名物として登場したのが
良い縁うさぎ
両手で持っているのは幸福と成功をもたらすと言われるラピスラズリと言う鉱石で、勝道上人 が 男体山 山頂に神を祀って1240年を記念したもの。
古事記の「因幡の白うさぎ」の中で、大國主命 と 八上姫 の縁を結んだとされています。
二荒山神社 には、縁結びにちなんだ御神木が彼方此方に
神門 を潜って右側の二本の杉の大木は
夫婦杉
主祭神の 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) は 縁結びの神様。
妃神の 田心姫命 ( たごりひめのみこと ) も祀られています。
親子杉
根を一つにした三本杉の御神木。
主祭神の 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) と、妃神の 田心姫命 ( たごりひめのみこと ) の他に子供の神様である 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)も祀られています。
社務所
二荒山神社 の建物は、朱色の着色 が基本の様です。
輪王寺 大猷院 を見学する前に見た 楼門 を潜って 東照宮 に向かいます。
※ この記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「読売新聞オンライン-2022.09.01」「トラベルJP」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/15(月) 18:46:00|
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輪王寺・大猷院 の四回目は、いよいよ 唐門 から 拝殿・本殿、皇嘉門 のエリアに入ります。

拝殿 の内部は見学は出来ますが撮影は禁止、勿論
本殿 の内部は非公開です。
唐門
この写真だと、門と言うよりも、お堂の入口の様に見えます。
唐門 + 袖塀 と後ろの 拝殿・相の間・本殿 とは、一体の建物ではありません。
袖塀 は 正面だけでなく、拝殿・相の間・本殿 の四方を、ぐるりと囲んでいます。
ここまで見て来た3つの門と比べると、小さな門と言えますが、一段と精密な彫刻と惜しみなく使われた 金の透かし彫り飾り が輝く 黄金の門 です。
金の材質や加工技術は 東照宮 を超えるとも言われているそうです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 二脚門
屋根 / 向唐門唐破風付
重要文化財 ( 1908年指定 )
豪華な金細工の合間に施された繊細な彫刻。
軒の直ぐ下には左右に鶴。マグサの上には白い竜の彫刻が飾られています
唐門 を入った所で靴を脱ぎ、拝殿 で参拝出来ます。
拝殿 内の撮影は禁止来なので、パンフレットから
拝殿 正面の軒を伸ばした 向拝 を横から見る
拝殿 横の 皇嘉門 へ続く通路
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 権現造り
屋根 / 向唐門唐破風付
重要文化財 ( 1908年指定 )
拝殿 出角部の彫刻
寺社建築 で良く見る 周り縁 ( お堂周りの外廊下の部分 ) は、通常は束立ですが、ここ 輪王寺・大猷院 では 斗組 ( ますぐみ ) で支えられています。
通路を進み、相の間 と 本殿 を見る
本殿 は 三間四方、屋根の下にもう一段の屋根を設ける 一重もこし付 の 禅宗様仏殿風建築 です。
学生時代に買った手持ちの資料に、立面図が載っていました。
通路の突き当りの右の門を出ると 皇嘉門
通路の右側の木塀は、唐門 両脇から繋がる 袖塀 の続きです。
袖塀 の内側は、装飾も着彩い地味な仕上げです。
突き当りから、通路を見返す。
この門の正面が、いよいよ 皇嘉門 です。
皇嘉門
皇嘉門 は 三代将軍徳川家光 の墓所である 大猷院 奥院 への入口。
中国明朝建築 の 竜宮造り で、別名 竜宮門 とも言われています。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 竜宮造り、楼門造り
屋根 / 銅板葺き 切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
入口でもらったパンフレットの表紙
奥院 も非公開なので、ここから引き返します。
通って来た通路ではなく、袖塀 の外側の通路を通って 唐門 前に戻ります。
袖塀 は本堂側とは打って変わって、彫刻 や着彩で飾られています。
夜叉門 と 唐門 の間の、沢山の燈籠が並ぶ広場に戻って来ました。
唐門 の前と
夜叉門 の前での記念撮影もお忘れなく。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/11(木) 16:00:00|
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輪王寺・大猷院 の三回目は、夜叉門 前後のエリアを紹介します。
二天門 から
夜叉門 へ至る長い石階段を登ると、踊り場の辺りから
鐘楼 と
鼓楼 に挟まれて
夜叉門 が見えて来ます。

向かって左側が 鼓楼、中央が 夜叉門、右側が 鐘楼 です。
夜叉門
出来ればこの位置から、左右の 鼓楼 と 鐘楼 も同じフレームに収めたかったのですが、レンズを広角に変えてもこれが精一杯。
スマホで撮ってもほぼ同じでした。
夜叉門 の 斗組 ( ますぐみ ) は、金色の着色。
軒裏部分は、主に朱色と金色の塗装がされた木部に金細工も施されています。
中央のむくり部分には 唐獅子 の彫刻が見られます。
徳川家の葵の御門が施された、金色の破風は眩いばかりです。
斗組 の間には牡丹の彫刻も見られます。
夜叉門 は 三代将軍 徳川家光 の霊廟を守護する為に建てられた門。
左右に連なる側廊、そして鼓楼・鐘楼 を含めたこの景観は、重要文化財 及び 世界文化遺産 に指定されるに相応しいものです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・形式 / 八脚門
屋根 / 表裏軒唐破風付 切妻屋根、銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
三棟一緒は無理なので、せめて 鼓楼 と 夜叉門 をフレームイン
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・形式 / 楼閣造り、はかま腰形式
屋根 / 入母屋、銅瓦葺
重要文化財 ( 1908年指定 )
鼓楼
夜叉門 に向かって左側に建つ 楼閣。
その名の通り太鼓を収納しておく建物です。
鐘楼 はよく聞きますが、鼓楼 は聞いたことがありませんでした。
鼓楼・鐘楼 共に、袴の様に下層の裾の広がった 袴腰形式 。
袴腰形式 は、法隆寺東院鐘楼 にも見られる形式で、中世以降の 鐘楼建築 の主流となった形式です。
鐘楼
黒漆の垂木に、色とりどりのに着色された 斗組 ( ますぐみ ) の取り合わせは 夜叉門 ではなく 二天門 に近いデザインです。
袴腰 の上、手摺の在る 周り縁 を支える 斗組 ( ますぐみ ) には、 夜叉門 とは異なり、黒漆だけで金の縁取りがなく目立ちません。金の縁取りが有るか無いかでかなり印象が違うようです。
夜叉門 に戻ります。
仁王門 、二天門 そして 鼓楼・鐘楼 とも異なり、垂木には黒漆ではなく、朱色が塗られています。
夜叉門 には 家光 を始め、歴代の徳川家の将軍達が眠る 大猷院 を守護する4体の 夜叉像 - 四夜叉像 が安置されています。
毘陀羅 ( ひだら )
阿跋摩羅 ( あばつまら )
犍陀羅 ( けんだら )
鳥摩勒伽 ( うまろきゃ )
夜叉門 を潜ります。
夜叉門 には、牡丹の花模様 と 唐草模様 の彫刻が彫られており、別名 牡丹門 とも言われています。
唐門 の前から 夜叉門 を見る。
内側も外側と同じデザインに見えます。
夜叉門 の周りの多くの燈籠は、江戸時代の大名達が奉納したもの。
平日とは言え、既に11時近くになっています。
大河ドラマの影響で「徳川ブーム」だと聞いていたので、こんなにゆったりと見学出来るとは思いませんでした。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/11(木) 10:56:00|
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輪王寺・大猷院 の二回目は、前回紹介した 仁王門 を潜り、 二天門 前後のエリアを紹介します。
仁王門 を潜り境内へ入ります。
御水舎
仁王門 を潜ると正面に在るのが、この 御水舎 です。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式・型式 / 十二脚
屋根 / 銅瓦葺、前後軒唐破風付 切妻屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
黒漆に金細工を施した華麗で豪華な屋根は、手水舎 の屋根としては少し重々しく見えます。
三本一対の白御影石の角柱を四隅に配し、その重そうな屋根を支えています。
普通は 手水舎 と呼ばれる手や口を洗い清める場所ですが、ここ 輪王寺 大猷院 では 御水舎 と呼ばれています。
水は背後の岩場から湧き出る聖水を集め、龍の口から流れ出したもの。
上の写真を龍を拡大
こちらの方は何方でしょう?
仁王門 を潜って左側には
宝庫
その名の通り 大猷院 に伝わる宝物が保管されています。
普通の寺社建築なら、この建物の装飾だけでも見る価値がありそうです。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 校倉造
屋根 / 銅瓦葺、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
御水舎 の前から 二天門 を見る。
2つ上の写真の右奥を見る。
輪王寺 大猷院 龍光院 へ続く石灯籠の並ぶ石畳の通路
立ち入り禁止なので、ここより奥には入れません。
二天門
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 八脚楼門
屋根 / 銅瓦葺、前後軒唐破風付 入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
上部の軒桁を支える 斗組 ( ますぐみ ) は、緑・青・朱等の色とりどりに着色され、下部の回廊を支える 斗組 は黒漆に金の縁取りがされた、やや落ち着いた塗装です。
この門には186個もの彫刻で飾られているそうですが、とても数え切れません。
四角の 枓栱 ( ときょう ) に施された彫刻や着色は一段と目を引きます。
持国天
増長天
雷神
風神
風神・雷神象 は傷みが激しかったことから、2019年の改修時に 宝物殿 で補修塗装が施され、そのまま 宝物殿 に展示されてり、この 風神・雷神象 はレプリカだそうです。
二天門 を潜ると、左と正面は苔の生えた石垣で塞がれ、左手には燈籠、右には直ぐに石階段があります。
足元には 幡の礎石 と言われる半球常の石が有ります。
門を潜ってからの見返し。正面と同じデザインです。
石段を登ります。
石階段は20段程上ると踊り場が在り、左に90度曲がります。
その踊り場辺りから、振り返って 二天門 を見返す。
側面の意匠もきらびやかです。
下から見上げた 二天門 はかなり雰囲気が違って見えます。
踊り場から 輪王寺 大猷院 龍光院 を見る。
踊場から、更に数段石段を上がった所から、もう一度 二天門 を見る。
振り返れば、長い石段の上に 夜叉門 が見えます。
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/09(火) 18:03:00|
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日光の世界遺産と言えば、何と言っても 徳川家康 を祀る 日光東照宮 が有名でしょう。
私が小学校の修学旅行の行先は日光でしたが、日光東照宮 ( 特に 陽明門 や 眠り猫 ) は覚えていますが、輪王寺 を知ったのは割と最近の事で修学旅行の時に、輪王寺 を見学したかどうかも覚えていません。

これから紹介する 輪王寺・大猷院 は、三代将軍徳川家光 の霊廟であり、東照宮 に隣接し、東照宮 と見紛う程の豪華絢爛な装飾が施され、世界遺産 であるにも関わらず、東照宮 と比べると訪れる人は少ないのが不思議な気がします。
輪王寺・大猷院 の最大の見所は、仁王門、二天門、夜叉門、唐門、皇嘉門 の5つの門。
東照宮 とは趣が違うらしいので、じっくりと見学したいと思います。
先ずは、最初の門である 仁王門 の手前に在る二棟の御堂から。
常行堂 
右奥に 法華堂 が見えています。
日光山の開山 は8世紀後半。
この地で修業を重ね括約した 勝道上人 が、766年 ( 天平神護2年 ) に、現在 神橋 の在る川岸に 草庵 を建て、修行中に紫の雲がたなびく石 ( 紫雲石 ) の近くに 紫雲龍寺 ( 現 四本龍寺 ) を創建したのが 日光山の開山 と言われてるそうです。
829年~833年 ( 天長6年~10,年 ) には、円人 ( 慈覚大師 ) が入山し、天台密教 を布教します。
その影響を受けて創建したのが 日光山輪王寺・常行堂 です。
現存する 常行堂 は、1649年 ( 慶安2年 ) に再建されたものです。
今回は内部の見学はしていませんが、創建時の様式を残すように意識して再建したそうです。
創建年 / 848年 ( 嘉祥元年 )
再建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 和洋、向拝付 宝形屋根
屋根 / 銅板葺き-宝形屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
常行堂 と 法華堂 を繋ぐ 渡廊
円仁 は 比叡山延暦寺・にない堂 を模して、阿弥陀如来 を本尊とする 常行堂 と 普賢菩薩 を本尊とする 法華堂 の2棟の御堂を 渡郎 で繋ぐことにより「 法華と念仏が一体である と言う比叡山の教えを体現した」と言われています。
創建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 前後軒唐破風付 切妻屋根
屋根 / 銅板葺き-切妻屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
法華堂
法華堂 の 法華 とは、仏の周りを歩いたり座禅をしたりする「法華三昧」と言う修行をするお堂であることから名付けられました。
創建年 / 1100年代 ( 平安時代後期 )
再建年 / 1649年 ( 慶安2年 )
様式・型式 / 唐様 ( 禅宗様 )、向拝付 宝形屋根
屋根 / 銅板葺き-宝形屋根
重要文化財 ( 1944年指定 )
常行堂 と 法華堂 の 建築様式 は
常行堂 = 純和風
法華堂 = 純唐様 ( 禅宗様 ) と記しました。
「法華堂 の造りは、屋根に強い反りのある 純唐様 ( 禅宗様 ) 」と記された資料がありましたが、外観からはどちらの御堂も反りがあり、私には違いが分かりませんでした。
ここまでは無料見学出来るところでしたが、以降は有料のエリアに入ります。

仁王門
仁王門 を潜る前に、この辺りの燈籠や石橋や石垣と、それに生える苔を撮ってみました。
⇑ この画像は、階段を上がり 仁王門 を潜って右側
いよいよ 仁王門 に至る、最初の石段を登ります。
仁王門
仁王門 は 日光輪王寺・大猷院 の正門で、1653年の 大猷院 造営の際に建てられました。
創建年 / 1653年 ( 承応2年 )
様式 / 八脚門
屋根 / 両妻流破風造り・銅瓦葺き
重要文化財
門を潜ると、左右の 仁王像 が出迎えてくれます。
左右2体の 仁王像 が置かれていることから、仁王門 と呼ばれています。
密迹金剛力士 ( みっしゃくこんごうりきし )
向かって右側は、口を開けた 阿形 の 仁王像
那羅延金剛力士 ( ならえんこんごうりきし )
向かって左側は、口を開けた 吽形 の 仁王像

まさに「阿吽の呼吸」で門を守っています。
軒桁より下部は、朱色を基調とし
垂木等の軒裏部は、黒漆の黒を基調に金飾りが施されています。
各柱の頭部を守る、金に塗られた獅子の彫刻が眩しいです。
軒桁の上の 蟇股 に彫られているのは、何の彫刻でしょうか?
※ 「日光 輪王寺 大猷院 」の関連の記事の説明文は、「日光東照宮・御朱印」「Wikipedia」「建築史-オーム社」「みんなの一人旅【世界遺産】日光山輪王寺:大猷院の見所徹底ガイド」等を参考にさせて頂きました。
- 2023/05/08(月) 17:43:00|
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直ぐにで階段を登って
東照宮 を見学したいところですが、昼食までにそれほど時間が無いので昼食後にたっぷり見学することにします。
先ずは 五重塔 と 東照宮拝観券受付所 の間の 日光二荒山神社 へ通ずる 上神道 を通って 輪王寺 大猷院 へ向かいます。
上新道 ( うわしんみち )
上新道 は 石鳥居と表門の広場 から 日光二荒山神社 楼門 へ通づる約200m程の道で、例大祭の際には神輿が通る神聖な道です。
37の燈籠は古いものではなく、1966年の 日光東照宮350年記念祭 の際に奉納されたものだそうです。
道の両側に樹勢する杉の大木も、神聖なる道の雰囲気を造ります。
石垣を覆う苔も同様です。
塀越しに見えるのは 東照宮境内 日光輪王寺薬師堂 の屋根でしょうか?
日光東照宮陽明門 や 輪王寺 の拝観を前に、逸る気持ちを盛り上げる最高のプロローグです。
日光二荒山神社 楼門
この門を潜ると 日光二荒山神社 の境内ですが、日光二荒山神社 の見学は後にして、門は潜らずに左に曲がり、駐車場を通り抜けて 輪王寺大猷院 へ向かいます。
- 2023/05/04(木) 12:12:00|
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明治の館 から車を止めた駐車場を抜け、武徳殿 へ至る階段を登り、武徳殿~日光宝物館 の横を通って道幅の広い 東照宮正面の参道 へ出ます。
石鳥居 ( 一の鳥居 )
一の鳥居 を通して 表門 が見えて来ました。
一の鳥居 を潜り、直ぐ左手をみると
日光東照宮 五重塔
日光東照宮 五重塔 は 36m 東日本で最高、日本全体では6番目の高さを誇ります。
現在の 五重塔 は、1818年 ( 文政元年 ) に、若狭小浜藩第十代藩主-酒井忠進 の寄進によるもので、初代の塔は、1650年 ( 慶安3年 ) に、当時4代将軍家綱の時代に大老でもあった、若狭小浜藩初代藩主-酒井忠勝 の寄進したのが始まりでした。
初代の塔は1815年 ( 文化12年 ) に落雷により焼失。
そこで、寺社奉行、京都所司代、老中を歴任した 酒井忠進 は、若狭小浜藩御用達の江戸神田の 大工-大久保喜平次 を棟梁とし、現在の 五重塔 を再建しています。
創建者 / 初代 - 酒井忠勝 再建 - 酒井忠進
棟梁 / 初代 - 再建 - 大久保喜平次
建築年 / 初代 - 1650年 再建 - 1818年
所在地 / 栃木県日光市山内2301
国指定重要文化財 ( 1908年 )
この断面図を見ても分かるように、塔の中心を貫く 心柱 と呼ばれる一本柱が、4層部分から吊り下げられています。
これは 懸垂式 と言う工法で 心柱 を振り子の様に左右に揺らすことで、地震時等に起こる振動を緩和する免震機能で、東京スカイツリーの 制振システム( 心柱制振 )にも応用されているそうです。
1層目から4層目までは垂木がまっすぐ平行に配された 平行垂木 - 和様。
5層目だけが垂木を放射状に配した 隅扇垂木 - 唐様 にしたのは、陽明門 の 逆さ柱 と同様に、「建物は完成したときから朽ち始める、完成していなければ崩壊は起こらない」と言う思想に基づくものと推測する人も居る様です。
ご覧の様に、軒下の垂木は密に施されている場合は 繁垂木 と呼び、反対に垂木の数が少ない場合は 疎ら垂木 と呼ぶそうです。
また、二重の垂木が屋根を支えていますが、内側の垂木は 地垂木、外側の垂木は 飛燕垂木 呼ぶそうです。
初層軒下の 蟇股 には、名工・後藤正秀 が手がけた十二支の彫刻が配されています。
- 2023/05/02(火) 12:30:00|
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