今回の旅行はこのパンティオンを見に来たと言っても言い過ぎではありません。


パンティオンとは全ての神々の神殿を意味します。
大学時代に神田の古本屋街で少しでも安い建築史の本を探し回り、独学で建築史を勉強していた頃から、パンティオンはどうしても訪れてみたい建物の筆頭でした。
その理由はパンティオンが今から1900年前、古代ローマ時代に建てられた建築としては、ほぼ完璧なままで当時の姿を残す唯一の建築物と言うことと、古代の建築物にもかかわらず、ドームの直径と内部の頂部までの高さが、共に43.3mもあり、鉄筋を用いない石造建築物としては、世界最大の建築物であると言うことです。
ローマが誇る土木建築の技術水準は驚くべきハイレベルなものであり、特にコンクリート技術は現在と比較しても遜色のないレベルに達しているとも言われています。
ただ、私が感じる最大の魅力は、パンティオンが全ての神々に捧げられた神殿であると言う点です。
キリスト教やイスラム教のような一神教の寺院に限らず、多神教のギリシャやローマでさえ特定の神を本尊としている神殿が殆どであるのに対し、全ての神々を祀ったパンティオンは世界の宗教建築中でも特異な存在と言えるのです。

パンティオンの目前に広がるロトンダ広場の中央にも、御多分に漏れずにエジプトのイシス神殿に在ったオベリスクと噴水が設置されています。

巨大なドームをの重量を支える壁面は、厚さが最大6.2mもあり、壁の内部にはアーチが埋め込まれています。

画像をクリックして拡大して見てみください。
拡大してみると壁の中に埋め込まれたアーチが確認できます。

古いコンクリートと煉瓦がむき出しになっています。
部分的なものなのかもしれませんが、古代には外壁に銅板が貼ってあったらしいです。

この日はミサが行われており、内部に入ることが出来ませんでした。
仕方がないので裏側に回ってみました。
正面に戻ります。

16本の花崗岩で支えられた三角破風の下には 「 M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT ⇒ ルキウスの息子にして3度執政官を務めしマルクス・アグリッパこれを造る 」 と刻まれています。

初代皇帝アウグウストゥスの右腕だったアグリッパが、紀元前27年に創建した初代パンティオンは80年後に落雷による火災により焼失してしまいます。
現在のパンティオンは建築家としても知られ五賢帝の一人である皇帝ハドリアヌスによって、125年に再建されたものです。
フリーズに刻まれた碑文は、初代のパンティオンに刻まれたものをハドリアヌス帝が敬意を込めて、再建したパンティオンにも刻んだものと考えられています。
現在は何の装飾も施されていない三角破風には、以前は神々と巨人族との戦いを描いた青銅製の深浮彫が飾られていました。

高さ12.5mのコリント式の柱は、継ぎ目のない1本物のエジプト産の花崗岩です。


パンティオンはローマ帝国滅亡後の608年、東ローマ帝国の皇帝によって教皇ボニファティウス4世に寄進され、全ての神々の神殿はキリスト教の聖堂に生まれ変わることによって、奇跡的に破壊と略奪を免れたのですが、1625年、教皇ウルバヌス8世の命によりサン・ピエトロ大聖堂の天蓋を造る為、三角破風に施された青銅製のレリーフや玄関廊の天井梁から200t以上のブロンズ板が剥されてしまいました。

妻が片言のイタリア語で、警備員らしき人に聞いたところ、明日は通常通り内部も見学出来ると分かり一安心。
後日になりますが、ロトンダ広場に面したレストランでパンティオンを眺めながらとった昼食は、私にとって至極一時となりました。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」 等を参照しています。
スポンサーサイト