
パンティオンのドーム内部の直径と頂部までの高さは共に43.3m。

これは内部に完全な球体を入れることが可能な形態なのです。
もしも後付けのコンセプトなのだとしたら、凄すぎる偶然の一致ですね。
頂部に開く円形窓 ( オキュラス ) の直径は9mで、神殿内唯一の光源です。
再建当初のドーム内部は青く塗られていて、プラネタニウムのように星が描かれ、円形窓は太陽を現わし、神殿全体が世界の中心であることを象徴的に表現していたと言われています。
ドームは重量を軽減する為に、下部は煉瓦の断片、中部は煉瓦の断片と凝灰岩、上部は凝灰岩と軽石で造って上部程軽い材料を混ぜたコンクリートが用いられいます。
更に格間と呼ばれる上部に行くほど窪みが小さくなる5層にからなる天井とし、重量を軽減させるとともに、意匠的な大きな特徴ともなっています。



入口方向を見る

ブロンズ製の扉は古代ローマ時代のものとされています。
玄関廊の天井梁や外壁の銅板のように、教皇に持ち去られずに幸いでした。

向かって右側の半円形の窪みが大壁龕 ( 主アプス ) 。
入口の正面に当たる大壁龕 ( 主アプス ) は礼拝堂になっています。
聖堂内部は入口と大壁龕 ( 主アプス )を含めた8ヶ所の大きな窪みと、各アプスの間間に設けられた8ヶ所のニッチから構成されています。

大壁龕 ( 主アプス )の両サイドを飾る紫色の円柱は小アジア産の大理石。

内部はほぼ創建時のものと言われているのですから、この美しい装飾は1900年以前のものと言うことです。 古代ローマの技術力や経済力のみならず、高度な芸術性も再認識させられます。

正面向かって右側 ( 3時の方向 ) のアプスはヴェットーリオ・エマヌエーレ2世の墓。
12時方向の大壁龕 ( 主アプス )と、3時と9時の方向は半円形のアプス。

こちらは10時半の方向の矩形のアプス。
他、1時半、4時半、7時半の方向も、矩形の壁龕 ( アプス )です。

パンティオンは608年,東ローマ帝国の皇帝によって教皇ボニファティウス4世に寄進され、全ての神々の神殿はキリスト教の聖堂に生まれ変った時に、アプスやニッチに飾られていた古代ローマの神々の像は、聖人や聖母の像に置き替えられ、アプスは礼拝堂に変えられました。
そして多くのキリスト教の殉教者の遺体が運び込まれたのです。

各アプス間にはニッチ ( 小さな窪み ) が配置されています。
ニッチはコリント式の円柱で支えられた破風 ( 入口と主アプスの両脇のニッチには三角破風が、その他のニッチにはボールト屋根の破風 ) が乗っており、各々に美しい彫刻が飾られています。
その一つには教皇に愛され 「 パンティオンに葬ってほしい 」 遺言を残して、像を依頼してから亡くなったと言うラファエッロの墓があります。
ラファエッロの墓の上に飾られた石の聖母像はロレンツエットの作。

ラファエッロの墓
ラファエッロと同時代を生きたルネッサンスの巨匠ミケランジェロには 「 天使の設計 」 と絶賛され、ラファエッロに至っては自らをそこに葬っ欲しいとまで言わしめたパンティオン。
全ての神々の神殿がキリスト教の教会となり、玄関廊を支える梁や外壁の銅板を剥されたり、一時は要塞として使われたこともあったそうですが、設計者のハドリアヌスは、さぞや満足しているのではないでしょうか?

こちらの彫刻はラファエッロ作の聖母子像。


このニッチには彫刻が置かれていませんでした。

円と四角の幾何学図形が交互に並ぶ大理石の床は創建当時もの。
ルネッサンス期の建築に、大きな影響を与えたと言われています。

最後にもう一度全体を見てましょう。
パンティオンの室内のデザイン構成が3層に分けられていることが分かります。
上層は格間天井のドームのエリア
中層は三角破風の施された14ヶ所のニッチが在るエリア
下層はアプスとニッチからなるエリアです。
下層は実際には、上の二層を支える厚さ6mの分厚い壁で出来ているのですが、巧みな設計によって、まるでコリント式の円柱とアプスの両脇に施された矩形の付け柱によって軽々と支えられているような錯覚に陥ります。
これは柱の直ぐ上のアーキトレーブとコルニス ( 軒蛇腹 ) の間のフリーズ部分に深い切り込みを入れる ( スリット状に見せる ) ことで、上・中層があたかも宙に浮いたように見せているのです。
ミケランジェロの言う通り、まさに天使の設計です。


勿論、憧れのパンティオンを背景に記念写真も撮りました。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 「ローマ人の物語」 等を参照しています。
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