大聖堂の前の広場の名称は、ガイドブックやサイトによって、ラテラノ広場と記載されているものもあれば、サンジョバンニ門広場と記載されているものあります。

アウレリアヌス城壁とサンジョバンニ門
アウレリアヌス城壁は北方からの異民族の侵入を防ぐ為、3世紀後半に皇帝アウレリアヌスによって建てられた城壁です。
この門はアッピア新街道からのローマへの出入口として造られました。


皇帝アウレリアヌスは、全長19Kmにも及ぶ城壁を、僅か5年 (271~275年 ) で造らせました。
パスクロマーナ ( ローマによる平和 ) を謳歌したローマ帝国も、この頃には蛮族の侵入に脅かされていたんですね。
ラテラノ広場からの写真は撮り損ねてしまったので、大聖堂を撮った写真から

ちょっとしか写っていませんが、サン・ジョバンニ・ラテラノ大聖堂の右隣に接して建つ黄土色の建物がラテラノ宮殿です。

ラテラノ宮殿

宮殿の中は見学していませんが、ラテラノ宮殿は、これも世界史の教科書に出てくる、アヴィニョン捕囚(1309年)まで教皇庁として使用され、歴代の教皇はここを住居としていました。
アヴィニョン捕囚以降、荒れ果てていたこの聖堂と宮殿は、16世紀、教皇シクストゥス5世によって修復されますが、元は一体化していたラテラノ大聖堂とラテラノ宮殿はこの時切り離されます。
また、近代においても、1929年にこのラテラノ宮殿で、教皇とムッソリーニとの間でラテラノ条約が結ばれて、ヴァティカン市国が誕生することになった歴史的場所なのです。
ラテラノ宮殿は現在では教皇庁立博物館となっています。

サンジョバンニ門をくぐって、地下鉄の駅に向かう前に、サン・ジョバンニ門広場の中心から、最後にもう一度夕陽をバックにしたサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂を見てみました。
この後地下鉄でテルミニ駅まで移動しましたが、もはやレストランを探す元気は残っていなかったので、駅に隣接するスーパーでお酒と食料を買ってホテルへ帰りました。
寝る前に万歩計を見てみると、初日の歩数は32000歩になっていました。
これでローマでの初日は終了です。
※ この記事内の説明文は 「Wikipedia」 を参照しています。
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