
大天蓋の後側、内陣には黄金に輝く聖ペテロの司教座が置かれています。
この司教座もベルニ-ニの作品で、沢山の天使が鳩をとり囲むように配されています。
教皇ウルバヌス八世は 「 ベルニーニはローマの為に生まれ、ローマはベルニーニ為に在ったのだ 」 と言って称えています。


大天蓋の置かれている、ラテン十字の縦軸と横軸の交差する部分 ( クロッシング ) から、入口から見て右側の翼廊をみる。

こちらは左側の翼廊。
元々が十字型集中式プランの聖堂なので、両翼廊と内陣側のデザインは全く同じです。

教皇ユリウス二世により決定したサン・ピエトロ大聖堂の建替え計画は、1506年に建築設計競技によってドナト・ブラマンテが主任建築家に任命されます。

ブラマンテの設計案
ブラマンテの案はギリシア十字の集中式プランで、1512年に内陣部分の構造が完成したところで、ユリウス2世は1512年、ブラマンテは1514年にそれぞれ死去してしまうので、彼らが成したものは4本の柱とアーチだけでした。
次の教皇レオ十世 はラファエロを起用します。
ラファエロは新教皇の希望により、身廊のあるラテン十字形プランに変更しますが、工事は殆ど進行しないうちに、1520年にラファエロが、1521年にはレオ十世が亡くなり、次の教皇ハドリアヌス六世が「芸術は虚飾だ」と嫌ったことや、ルターの宗教改革、1527年にローマを襲う ローマ略奪 ( サッコ・ディ・ローマ ) により、この時期、大聖堂の建設はほとんど進みませんでした。
教皇パウルス三世の時代なると、工事は再開されますが、財政が好転したわけではないので、免罪符の発行により資金を集めたり、石材をフォロ・ロマーノから切り出すなどの暴挙も行われ、古代ローマの遺跡破壊をもたらします。
ラファエロの死後、主任建築家はサンガッロ、ジュリオ・ロマーノに引き継がれ、ついにミケランジェロに白羽の矢が立つことになります。
ミケランジェロは、ラテン十字のプランをブラマンテの計画した集中式プランに戻すとともに、サンガッロの設計で完成していた2/3を破壊するまでして規模を縮小し、コストを切り詰めただけでなく、無給で晩年の17年間を大聖堂建築に捧げます。
現在のサン・ピエトロ大聖堂は、後の計画変更で追加されたファサードを除けば、基本的な部分はミケランジェロによるものです。

ミケランジェロの設計案
頑強な精神と肉体の持ち主だったミケランジェロも、1564年大クーポラの完成を見ることなく亡くなります。
以後の工事はピッロ・リゴーリオを経てジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラに引き継がれますが、トルコとの戦争による出費により、またも工事の進行は鈍くなります。
しかしいっこうに進まなかった大聖堂の工事は、グレゴリウス十三世からシクストゥス五世が教皇の時期に活発になり、1593年、主任建築家のジャコモ・デッラ・ポルタにより、ついに頂塔 ( ランタン ) まで完成します。
1606年には大聖堂の最終的な建築計画がコンペティションで競われた際、集中式プランに対する欠点が指摘され、その結果、カルロ・マデルノに対してミケランジェロのプランを変更する命が下されます。
マデルノはに出来上がってる聖堂の身廊を延長させ、礼拝堂や聖具室など実用的な空間も加え、列柱だけのファザードも通廊式のポルティコ ( 玄関廊 ) に変更しました。

1608年から始められたこの工事は、1612年に完成します。
大クーポラの内側をモザイク装飾に変更する工事も、1612年に完成したのです。
マデルノによる設計変更により延長された身廊のヴォールト屋根も1614年に完成。
献堂式はついに1626年、ウルバヌス八世によって行われたのです。

カルロ・マデルノにより延長された身廊から、大聖堂の入り口方向を見る。

大天蓋の前辺り、クロッシング部から、身廊と左側廊を隔てる柱壁を見る。
巨大な建築物を支える為に、巨大なスケールにせざるおう得なかった柱壁は、角に角柱の装飾を施し、合間にニッチを設けて聖人達の彫像で飾ることで、あまりの重々しさを和らげられています。

縦軸と横軸交わるクロッシング部 ( 翼廊 ) より、一つ入り口側の通り。
180度振り返り右側を見る

翼廊の前後の通りの両脇には、聖堂中央の大クーポラに次ぐ大きさの、中クーポラがあります。
左翼廊側の側廊

更に奥 へ

大天蓋の左側奥の中クーポラ
右翼廊側の側廊

更に、集中式プランの身廊を延長し、側廊も付け加える計画変更により、側廊と共に、その天井に楕円形のクーポラも付け加えられます。





側廊の見どころは、いかにもバロック的なデザインの楕円形のクーポラだけではなく、各クーポラ間のアーチやボールト天井は眩いばかりの装飾で飾られています。


右側廊

右側廊 サン・セバスティアーノ礼拝堂
美しいアーチやペディメントを支える、コリント式の大理石の円柱や様々なレリーフで飾られた角柱の付け柱の装飾も見事です。

右側廊 奥を見る

左側廊 奥を見る

左側廊
しかし、あまりの巨大さと度重なった設計の変更に加え、華美を通り過ぎた豪華な装飾は、宗教建築に必要な厳粛さや神性さには、やや欠ける気がするのは、私だけではないと思います。
次回大聖堂内を飾る、彫像や絵画を紹介します。
※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「Wikipedia」「ローマ過去と現在」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」「建築学建系5西洋建築史」 を参照しています。
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