アクトデザイン凛太郎のブログ

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ローマ散策-31 コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオの直ぐ隣りに在るコンスタンティヌスの凱旋門は、高さは21m、幅25.7m、奥行きも約7.4mもあり、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門と共に古代の凱旋門では最大級の規模を誇っています。

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コンスタンティヌスの凱旋門

当時、西ローマの副帝だったコンスタンティヌスムルヴィウス ( 現ミルヴィオ ) 橋の戦いにおいて、正帝マクセンティウスに勝利したことを記念して、315年に建てられました。

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3つの門を有する構成は、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門のものを踏襲したもので、中央の門は高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さは約7m、幅3mです。
フォロ・ロマーノ内に残る二つの凱旋門と比べても、規模・装飾共に一際立派なコンスタンティヌスの凱旋門ですが、永く栄華を誇ったローマ帝国も、この頃には度重なる北方蛮族の浸入や、キリスト教の隆盛により衰退する一方で、その立派な装飾の殆どは200年前の五賢帝の時代の建物から移設した ( 剥しとってきた ) ものなのです。

五賢帝の時代の建物から移設したレリーフや彫像を列記すると、
南北両面共に 
コリント式オーダー柱の上部に立つ彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代

南面 右側
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上部の彫像はトライアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 演説する皇帝 ・ 犠牲の場面
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 熊狩り ・ ディアーナ神犠牲

南面 左側
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上部の彫像はトラスアヌス帝時代
彫像間の長方形のレリーフはマルクス・アウレリウス帝時代 / 皇帝がゲルマン人と引見する姿 ・ 捕虜を見分する姿
コリント式の柱の間の円形のレリーフはハドリアヌス帝時代 / 出陣 ・ シルヴァヌス神犠牲

基礎と下部構造は石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、円柱は黄色大理石、それ以外は白大理石から構成されています。
装飾は南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から
最上層の8枚のパネルは176年に建設されたマルクス・アウレリウス帝の凱旋門から
同じく最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トライアヌス帝が建設したトライアヌスのフォルムからの転用材と考えられています。
8本の黄色大理石の円柱も、どこかの建物からもたらされたものと考えられ、これら以外の彫刻だけが、コンスタンティヌス帝の時代のものなのです。

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近年では、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌス帝はこれを改変しただけであるとする説も提唱されているそうです。

中世以降のキリスト教の教皇達が、信ずる神を同じくせず、ある時は自分達を迫害もしたローマ帝国の建てた建物から、装飾や彫刻等を奪い去り、自分達の建てる教会に転用する行為は、現代の文化財保護的視点から見れば、如何なものかと思わざるを得ませんが、古代ローマ時代とは比べるべくないほど、国力も技術も美意識も衰退してしまった中世という時代背景を考えると、仕方がないことなのかもしれません。
しかし、コンスタンティヌス帝は末期とは言え、同じローマ帝国の皇帝です。
偉大なる先人達を称え祀った記念碑を破壊し、自らの凱旋門を造ってしまう神経には、とても共感出来ません。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 等を参照しています。
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  1. 2016/08/21(日) 16:41:26|
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