アクトデザイン凛太郎のブログ

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ローマ散策-35 フォロ・ロマーノ ③

前回、前々回に続いてフォほロ・ロマーノの3回目。
ついに今回はフォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 ) の中心である 広場 にやって来ました。

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フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
草の生えている部分が フォロ・ロマーノ ( ローマ市民の広場 )
広場の奥にサトゥルヌスの神殿 、フォーカスの記念柱 、ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿 が見えます。
高台の上 ( カンピドリオの丘 ) の建物は カピトリーノ美術館

写真に写っていない広場の左側は バシリカ・ユリア
僅かに写真右端に写っている道は 聖なる道
聖なる道の奥に在るのは セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
聖なる道の右側には バシリカ・エミリア ( 写真に写っていない ) が在ります。

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左端の7本の柱は サトゥルヌスの神殿
1本の巨大な柱は フォーカスの記念柱
その右側、3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
右端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門

写真中央上部 高台の上の建物は カピトリーノ美術館
古代ローマ時代カンピドリオの丘最も神聖な聖域であり、ここにはかつてユピテル神殿が建っていました。
ハリウッド映画でもお馴染みの場面だと思いますが、戦争に勝利し、ローマに凱旋した古代ローマの皇帝や将軍は、市民達の歓喜の中、聖なる道を行進し、最後に勝利をユピテル神殿に報告して凱旋式を終えたのです。

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フォーカスの記念柱
7世紀初頭、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ロストラ ( 演説台 ) の前に建立された記念柱
フォロ・ロマーノに建てたられたローマ帝国による最後の建造物でもあります。
白大理石の基台上の縦溝の彫られた13.6mのコリント式の円柱の上には、金色に輝くフォカス帝の立像が置かれていました。

しかし本来、この円柱はディオクレティアヌス帝に献呈された像を支える為のものであり、銘は削り採られ転用されたと考えらています。

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以下9枚は、前日にカピトリーノ美術館から撮った写真
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写真中央の道の右側 バシリカ・ユリア
道の左側 フォロ・ロマーノ
左上に見える広場の左側の道は 聖なる道

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バシリカ・ユリア
紀元前54年、ガリア戦争の勝利で得た資金をもとに、カエサルが建設を始め、アウグストゥス帝が紀元12年に完成させた為、バシリカ・ユリア ( ユリウスのバシリカ ) と呼ばれています。
5廊式の巨大建築物で、中央広間は82m×16mもあり、周囲を大理石の円柱で支えられた回廊が取り囲んでいました。
バシリカ・ユリアの本来の目的は裁判所の法廷としてのもので、民事法廷等が開設されていましたが、食堂街や官公庁の事務所の他、ローマ市民の会合の場所としてもよく利用され、その為の部屋や店なども設けられていました。

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左から サトゥルヌスの神殿
その右の1本柱は フォーカスの記念柱
その右の緑の広場は フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノの上に アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
フォロ・ロマーノの左上、フォーカスの記念柱 からアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿に続く道が 聖なる道
フォロ・ロマーノの右側の道を挟んで バシリカ・ユリア

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左端の凱旋門は セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
凱旋門の後ろの切り妻屋根の建物は 元老院
その右の3本柱は ヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右の道は 聖なる道 
聖なる道の奥には アントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿
写真中央の1本柱は フォーカスの記念柱
写真中央の広場は フォロ・ロマーノ
その右の7本柱 ( 写真では2本に見える )は サトゥルヌスの神殿
その右の緑の部分は バシリカ・ユリア

聖なる道はアントニヌス・ピウスとファスティーナの神殿からセプティミウス・セヴェルスの凱旋門を経由しサトゥルヌスの神殿とヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿の間の坂道を上って、カンピドリオの丘に建つユピテル神殿へと繋がります。

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左端 3本の柱の残るヴァスパシアヌスとティトゥスの神殿
その右のバロッククーポラの建物 サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会
その右の凱旋門 セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
その右後方 元老院 
右端 サトゥルヌスの神殿

ジグザグに上がって来る坂道が ユピテル神殿に向かう 聖なる道

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セプティミウス・セヴェルスの凱旋門
セプティミウス・セヴェルス帝パルティア遠征の戦勝記念として、203年に建設された高さ23m、幅25mの白大理石の豪華な彫刻によって装飾された凱旋門です。

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セプティミウス・セヴェルス帝の死後、息子のカラカラゲタは共同皇帝として即位しますが、212年にカラカラは弟のゲタを暗殺した為、ゲタに関する彫刻は全て削り取られています。

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元々はトラバーチンの基礎の上に建っており、地面から階段で昇るようになっていました。
315年に建てられたコンスタンティヌスの凱旋門のデザインに、影響を与えたことは既に記述しましたが、中央のアーチ道と両脇のアーチ道との間に開口部を通じるデザインも、近代の凱旋門に模倣されています。


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元老院
この建物は20世紀に復元されたものです。


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道の左側 フォロ・ロマーノ
道の右側 バシリカ・ユリア
2本の柱は本来は7本在りました。
フォロ・ロマーノの南端にバシリカ・ユリアに平行して並んでいます。

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セプティミウス・セヴエルスの凱旋門の前辺りから、フォロ・ロマーノ越に、カストルとボルクスの神殿パラティーノの丘の方向を見る。


カエサルの神殿の前辺りから、聖なる道越しに見る
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バシリカ・アエミリア

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バシリカ・アエミリアマルクス・アエミリウス・レピドゥスによって、紀元前34年に建設されたバシリカで、建物の大きさは100m×30m。
バシリカ・ユリアと共に重要な裁判が行われ、正面には商店が並び、商取引にも使われていまた。
バシリカ・ユリアと同様に、基礎部分以外、ほとんど消失しています。


バシリカ・アエミリアの遺構の中の通路を通って、出口に向かいます。
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パラティーノの丘の方向を見る

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フォーリ・インペリアーリ通り側の出口辺りから、フォロ・ロマーノを振り返る。
復元作業が進んでいる列柱の右側に元老院、サンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会が見えます。

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元老院の手前、写真右端辺りはカエサルのフォロ ( 公共広場 ) が在ったところです。

次は、フォーリ・インペリアーリ に向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」「ローマ過去と現在」「ローマ昨日と今日」「ローマヴァティカン市国・システィーナ礼拝堂」 等を参照しています。
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  1. 2016/09/08(木) 11:32:30|
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