
ディオクレティアヌスの浴場
ローマには既に10ヶ所の公共浴場が在りましたが、305年に完成したディオクレティアヌスの浴場は、敷地の外郭は370m × 380m、建物面積は45,000㎡、3000人の収容が可能で、カラカラ帝の浴場をも凌ぐ巨大施設でした。

1/高温浴室、 2/微温浴室、
3/フリギダリウム (熱い風呂を楽しんだ後に入る、冷水プールがある部屋 )
4/大プール、 5/運動場、 6/入口、 7/エクセドラ
建物の構成は、カラカラ帝の浴場を踏襲したており、フリギダリウムと呼ばれる冷水プールが在る中央の巨大なホールの周囲には、大プールや温浴室や体育施設も備えられていました。

古代ローマで最後に建設されたこの浴場は、537年にゴート族によって水道の供給が絶たれるまで使用されますが、帝国滅亡後の運命は、他の建物と同様に廃墟となることでした。


現在は、浴場の一部はローマ国立博物館として利用されています。




ローマ帝国末期の皇帝ディオクレティアヌスのは、最もキリスト教徒を迫害した皇帝としても知られ、浴場の建設には、多くのキリスト教徒が駆り出されたと言われています。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
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