廃墟になっていたディオクレティアヌスの浴場に修復工事が始まったのは、1561年、建築家パラディオによる、遺跡保存の呼び掛けがきっかけでした。
修復を主導した教皇ピウス4世は、浴場の建設に駆り出された、殉教者と天使に捧げる聖堂の建設を、ミケランジェロに依頼し、廃墟となっていた浴場の遺構を活かしたデザインで聖堂を完成させたのです。

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂
廃墟となった外観をそのまま活かした入り口周りには、味も素っ気ありません。
この崩れかかったような弓形の壁は、ディオクレティアヌスの浴場の熱浴室と温浴室を隔てたものを、そのままデザインに取り込んだのです。

ところが、一歩建物の中に足を踏み入れると、一転して古代の美しい装飾が蘇ります。
しかし、ローマでのこの3日間で見慣れてきた教会とは、少し形状が異なります。
前室は円形で、直接中央交差部に繋がり、身廊と呼べるような部分は殆ど在りません。

前室のドーム天井の頂部には、パンティオンの様な明り取りが在ります。

中央交差部から、内陣奥のアプス方向を見る。

ディオクレティアヌスの浴場の平面図に、現在の地図を重ねた図面
横長だった浴場時代の建物を利用しているので、一般的なラテン十字形 ( 縦長の十字プラン ) とは異なり、身廊方向よりも翼廊方向が長く、横軸と縦軸が入れ替わった、見慣れない横長の十字プランになっています。
恐らくこの場所は、浴場時にはフリギダリウム ( 冷浴室 ) と呼ばれる中央大ホールだった所でます。
天井高は91mもあり、ハイサイドライトから、ふんだんに降り注ぐ外光は、この聖堂の特徴となっています。

中央奥の祭壇

中交差部に戻って前室方向を見る

中央交差部から左翼廊の礼拝堂を見る

左翼廊の礼拝堂
コリント式のオーダーが施された、緑色の大理石の円柱やその上のペディメントの装飾を良く見てください。
一見しただけでは、分かり難いかとま思いますが、これは壁に描かれた絵なのです。

天井画を見上げる

右翼廊の礼拝堂

翼廊の側壁にも、ルネサンス期に描かれたと思われる、絵画が描かれています。





この美しい大理石の床が、古代ローマ期の遺構なのか、ルネッサンス期に造られたものかに、言及した資料を見付けることは出来ませんでしたが、今回のローマ旅行で見た、何処の教会の床とも違うデザインだと思います。

中央交差部から、前室方向のアーチ天井を見る。

塩野七生さん著の 「 ローマ人の物語 ⅩⅢ 」 には
「 教会の本体は、かつての冷浴室そのものと言ってよい、おかげで、他の教会のような縦長の十字形ではなく、横長の十字形になっている。
内部に建つ8本の柱も、この教会が建設された年から1700年もの歳月、この同じ場所に建ち続けてきた。」
と記されています。
「 ローマ人の物語 」 以外の手持ちの資料には、この教会に関して詳しく解説したものがなく、ネットで検索しても、これ以上のものは見付けられなかったので、何処までが古代の遺構で、何処からがルネサンス期にミケランジェロによって改修されたものかの詳細は分かりませんが、ディオクレティアヌスの浴場の想像復元図と見比べてみると、冷浴室だった部分の柱や壁の装飾の多くは古代の遺構で、祭壇周りや壁や天井に描かれた絵は、改修時に施されたものではないかと思われます。

ディオクレティアヌスの浴場の想像復元図
教会内には、こんなものも展示されていました。

ガリレオの振り子
2008年、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイの生誕445周年を記念して、飾られていた作品です。
法王ベネディクト16世は、ガリレオの地動説を正式に認め、この教会において、ガリレオの科学者としての業績を讃えるミサを行ったそうです。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「 ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
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