テルミニ駅からイタロを利用すると、約1時間半でフィレンツェの表玄関サンタ・マリア・ノッベラ駅に到着します。
ホテル近くの中央市場2階のフードコートで食べることが出来るので、フィレンツェでの最初の食事は、ガイドブックにも載っている、出来たばかりの、このフードコートでとることにしました。
ここは安くて早くて美味しいので、我々のような旅なれない初心者にもお薦めです。
一夜明けて、フィレンツェでの1日目。
先ずはサン・ジョバンニ広場へと向かいます。
前日に夕食をとった、中央市場の横を通り、サン・ロレンツォ広場を過ぎると、通りの向こうにサン・ジョバンニ洗礼堂が見えて来ます。

サン・ジョバンニ洗礼堂

サン・ジョバンニ広場
写真中央がサン・ジョバンニ洗礼堂、向かって左がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、洗礼堂の屋根の向こうには、ジョットーの鐘塔が見えます。

撮影位置を変えて、3ショット写真すをもう1枚。
3つの建物を1枚の写真に収めるには、私の腕だと、広角レンズを使ってもこれが精一杯。
しかも、かなり歪んだ写真になってしまいました。

サン・ジョバンニ洗礼堂を広場北西側から見る
サン・ジョバンニ広場に建つ、フィレンツェを代表する、この3つの建物の中で、先ずは最初に建てられたサン・ジョバンニ洗礼堂から見てみましょう。

サン・ジョバンニ洗礼堂をジョットーの鐘楼前辺り ( 南東側 ) から見る。
wikipediaには、この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀と記されていますが、手持ちの資料では、創建は恐らく7世紀だと記されています。
現在のロマネスク様式の姿となったのは、11世紀になってからで、内陣は1202年に完成しました。
その後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって改修を行い、大聖堂の洗礼堂として使われるようになりました。
詩人ダンテも、ここで洗礼を受けた一人で、神曲 「 地獄篇 」 に、この洗礼堂が登場します。
また、ディカンピオ、ジョットー、ブルネッレスキ、アルベルティー、ダビンチ、ミケランジェロなどの、フィレンツェ在住のルネサンスの芸術家達に影響を与えたと思われています。

北側の扉から洗礼堂に入り、正面の南側扉方向を見る。
洗礼堂の内部も外壁と同様に、色大理石で飾った幾何学模様が施されています。

180°振り返って南側扉方向を見る。

祭壇
祭壇の後壁には、独特の幾何学模様が施されれ、4本のコリント式オーダーが施された円柱で支えられたアーチ天井には、ビサンチン風のモザイクが施されています。

モザイクの円の中心に描かれた子羊は、キリストを表しているそうです。

祭壇の向かって右側、教皇ヨハネス23世の墓

洗礼堂内には、半円アーチの高窓やキューポラ頂部からも外光が差し込みます。

8角形の天井には、1220年~1330年までの約100年の歳月を費やし、ヴェネツィアとフィレンツェの職人達によって制作された、聖ジョバンニの生涯と最後の審判を描いた黄金に輝くモザイク画が飾られています。


8角形の屋根の頂部の越屋根。
キューポラ頂部に見えた明りは、この越屋根からの外光です。

サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂側 ( 東側 ) から見る。
そして、この洗礼堂で、何と言っても一番有名な見所は、ミケランジェロに天国の門と呼ばれた東門でしょう。

1401年、世界最初と言われる設計コンペ ( コンクール形式 ) で製作者が選ばれた例と言われており、7人の技師や芸術家が応募し、リアルな作風の24歳の金銀細工師ブルネッレスキと、優美で繊細な作風の23歳の新人ギベルティーが最終選考に残り、長い協議の末、ロレンツォ・ギルベリティーが勝利を手にしました。
「天国の門」は1425年から1452に掛けて制作され、金塗りの10枚のパネルに旧約聖書の神話が描かれています。
但し、この東門はレプリカで、実物はドゥーモ美術館に展示されています。

こちらは南側扉
1339年頃にアンドレア・ピサーノが作成した、28枚のパネルに描かれた洗礼者ヨハネの生涯です。
※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
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