
シニョリーア広場
写真中央の塔のある建物が ヴェッキォ宮殿、向かって右側のギャラリーの様な建物が ランツィの開廊、この二つの建物の間に、少しだけ ウフィッツ美術館 が見えています。
中世以来現在まで、市庁舎として使用されている ヴェッキォ宮殿に面するシニョリーア広場は、1385年に初めて舗装され、中世以来、フィレンツェ共和国の政治の中心であり、重要な式典や集会、演説が行われだけでなく、暴動の悲惨な事件の舞台ともた場所で、1498年に説教者ジロラモ・サヴナローナがし火刑に処された場でもあります。


しかし、調和を考慮しない増築が続いたため、全体としての統一感に欠けると言われているようですが、多くの彫像や噴水が設置され、訪れる人の目を楽しませてくれています。

ネプチューンの噴水 1575年 バルトロメオ・アンマンナーティ作
多角形の池の中央で海馬の曳く馬車に立つネプチューンは、この写真だと分かり難いかもしれませんが、相当の巨像であり、なかなかの迫力があります。
池の縁にはシャンボローニャ作のナイアス、トリトーン、サテュロスの銅像も置かれています。

コジモ一世乗馬像 1594年 シャンボローニャ作

ヴェッキオ宮殿の入口へ上る階段の両脇にも、巨大な胸像が並んでいます。
向かって左側 ダビデ像 ( レプリカ ) ミケランジェロ
向かって右側 ヘラクレスとカークス像 1533年 ヴァンディネッリ作

ダビデ像のオリジナルはアカデミア美術館にあります。

ランツィの開廊
行事の際に、君主 ( シニョリーア ) を屋根の下で迎える為に造られたのでシニョリーア開廊とも、また設計した建築家の名からオルカーニャ開廊とも呼ばれることもあります。
ランツィと言う名の由来は、コジモ一世に雇われたドイツ軍隊ランツケネッキが一時期この建物に駐屯していた事に由来し、広場がフィレンツェの表玄関の役割を担うようになると、開廊に彫刻が飾られるようになります。
広場に面して柱間の広いアーチが3つ並び、アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられています。
開廊の入口である中央のアーチを支える2本の柱の足元にはそれぞれにライオン像が置かれています。


向かって右側のライオン像は古代ローマ時代のもの、
左側は1598年に作成されたフラミニオ・ヴァッカが作成したものです。
向かって右側のアーチの下

サビーニの女たちの略奪 シャンボローニャ作 1583年
向かって左側のアーチの下

ペルセウス ベンヴェヌート・チェリーニ作 1554年 が置かれています。
開廊中央

パトロクロスを抱きかかえるメネラウス
後ろの壁際には6体のローマの女身像が並びます。
開廊の左側

ポリュクセネーの陵辱 ピオ・フェディ作
開廊右側

ヘラクレスとネッソス ジャンボローニャ作

手前の彫像は ヘラクレスとカークス像
次回はウフィツィ美術館に入館します。
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