

建設当初、この宮殿はシリニョリーア宮殿と呼ばれていましたが、メディチ家が住居をアルノ川対岸に移した為、「古い」と言う意味の「ヴェッキオ」宮殿と呼ばれるようになり、現在ではフィレンツェ市庁舎として使われています。

外観は華麗とは言い難い武骨なデザインで、まるで城か要塞の様。
鋸壁 ( 鋸型狭間 ) のある張り出した回廊と、建物の中心からずらした位置に設置された、高さ94mの塔が特徴です。

回廊を支えるアーチの下には、フィレンツェ市の9つの紋章が描かれています。

ダビデ像の横を通って、入口を入ってみましょう。

ミケロッツォの回廊
門を入ると直ぐに、美しい壁画で飾られた回廊のと噴水のある中庭に出ます。
ゴジモ一世は、息子のフランチェスコ一世とオーストリア大公の娘との婚礼に備えて、1565年に建築家ジョルジョ・ヴァザーリに宮殿の大改修工事を依頼します。

中庭の壁にはヴァザーリによって、花嫁の故郷である、オーストリアの14の都市が描かれています。

回廊の柱や壁や天井には、美しく繊細なフレスコ画や、金粉を使用した殉爛な装飾が施されています。

中庭の中央に、ヴェロッキオ作の イルカを抱いた少年 の複製が置かれている筈でしたが、改修中なのかシートが掛かっていました。

建物の中に入ると、有名な 五百人広間 が迎えてくれます。
幅23m、長さ54m、高さ18mのこの広間は、共和国時代には、500人が出席する市民会議が開催されたことから、五百人広間 と呼ばれました。

天井にはコジモ一世の載冠の絵を中心に、フィレンツェの成立と歴史上の逸話を描いた、48枚のパネルが飾られています。

コジモ一世の載冠


広間の後方2階のバルコニーから 五百人広間 を見る。
右の壁面には、レオナルド・ダ・ビンチ が アンギアーリの戦い を
左の壁には、ミケランジェロ が カッシーナの戦い を描く予定でしたが、ダ・ビンチ が新技法に失敗したことで、制作を中断すると、ミケランジェロ も戦意を喪失してローマ教皇の招きに応じ、ローマへ去ってしまったのです。

ピサへの勝利 ジョルジョ・ヴァザーリ作

マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い ジョルジョ・ヴァザーリ作

ヴアサーリが描いたこの絵の下には、ダ・ヴィンチの絵が隠されていると言われており、この拡大部分の中心辺りに、小さく 「 CERCA TROVA 」 ( 探しなさい、さすれば見つかるであろう ! ) と言う、暗号めいた文字が隠されているそうですが、残念ながら狙って撮った訳ではないので確認できません。
五百人広間の見所は絵画だけではありません。
広間の両脇に、見事な彫像も並んでいます。
左側の壁お奥から


左 / アンタイオスを絞め殺すヘラクレス ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / ヘラクレスとケンタロウス ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作


左 / ピサを征服したフィレンツェ ジャンボローニャ作
右 / ヘラクレスとカークス ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右側の壁奥から


左 / アマゾン族の女王を倒すヘラクレス ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / 勝利像 ミケランジェロ作


左 / エリュマントスの猪 ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / ディオメデスを罰するヘラクレス ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
次回は2階へ上がります。
スポンサーサイト