
七日町レンガ通り
左端に見えるのが、前回紹介した渋川問屋

(有)澁川問屋

この建物も(有)澁川問屋の一部だと思います。
新しい建物ですが、蔵造りを踏襲したデザインの素敵な建物です。
上の建物の角を曲がって北小路通りに入ります。

蔵元 鶴の江酒造
所在地 / 会津若松市七日町2−8
何軒かの白壁の漆喰塗りの蔵をがありますが、七日町通りとは違う静かな通りです。

この蔵のある建物もいい感じですね。

ここで少し北小路通りを離れて酒蔵を見学します。

末廣酒造 嘉永蔵


建築年 / 新蔵:1892年 ( 明治25年 )
その他の建物:1902年 ( 明治35年 ) ~ 1922年 ( 大正11年 )
所在地 / 会津若松市日新町12−38
会津若松市歴史的景観指定建造物平成9年
末廣酒造は1850年 ( 嘉永3年 ) に創業した老舗で会津を代表する酒蔵です。
明治期には杜氏による酒造りを福島県で初めて実現し、大正期には山廃造りの創始者嘉儀金一郎氏により、山廃造りの試験醸造を試み、現在まで伝承されています。
1892年 ( 明治25年 ) に建てられた新蔵以外の建物は1902年 ( 明治35年 ) の大火で消失した以降、1922年( 大正11年 ) 間での館に建てられたものです。
末廣のH.Pには
「現在7つの建物からなる末廣酒造の嘉永蔵。
シンボリックなのは創業時の面影を色濃く残し、圧倒的な存在感でたたずむ木造三階建ての建屋である。
さらに明治時代、大正時代それぞれの伝統的な風格をたたえた建屋がそこに連なり、今やつくることが困難な鬼瓦だけがその歴史を見守ってきた。
かつて幕末に向かう江戸時代にあっては、旨い酒が人々の賑わいを呼び込んだことだろう。
医聖・野口英世に愛され、そして今日に続く悲喜こもごもの人間ドラマにあっては、暮らしの拠り所として心強い存在だったことだろう。
酒造りの魂だけでなく、酒がもたらす幸福も150年以上宿り続けている嘉永蔵。
歴史的な資産価値もかなり高く、城下町・会津の美しい景観づくりに欠かせない存在となっている。」
と記されています。

硝子引き戸の連続する、本格的な総三階の木造建物が見事です。

母屋に前面には 酒林 が下がり印象的な風景となっています。
酒林とは造り酒屋の看板として、杉の葉を球形に束ねて軒先 につるしたもので、仕込が終り香りゆたかな新酒が出来ると酒蔵の前に杉の門を建て新酒販売の合図にしていたものを、後になって杉の葉で玉を造り軒下に下げる様になったそうです。



優雅に曲線を描いたアイアンに取付けられた球形の照明器具

中央やや左下の小さな戸口から、お酒の販売をしていたそうです。

中に入ると直ぐに3層吹抜けのホールです。
木造3階建てだけでも珍しいのに、3層を貫く吹抜け空間には驚かされました。


ここからは無料の酒蔵見学コースです。

仕込み蔵 内部
見学コースに参加すれば、酒づくりの行程や、酒づくりの歴史、昔の住まいなどを説明を聞きながら見学する事も出来ます。



コンサートホール
この日は展示に使用されていましたが、普段はコンザトホールとして使われています。

昔の御主人の住まい
外から見て、硝子引き戸の連続する、総三階の木造建物だった建物だと思います。

天井の低い廊下を進むと、昔の蔵主の住まいを見られます。
約100年前の木造3階建ての住居部です。
ここからは天井が高くなります。

大広間
三間通しの長押、欄間は優雅な扇子の彫刻が施された贅沢な造りです。



大広間 床の間


最後の会津藩主松平容保や最後の将軍徳川慶喜の書も飾られています。
この他にも、高羽哲夫記念館 や 酒蔵カフェ 「杏」 や 酒蔵ショップ が併殺されていて、立ち寄ってみる価値充分の酒蔵でした。
勿論、お土産の日本酒も買って帰りました。
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