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アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

東京駅~皇居~千鳥ヶ淵~靖国神社~市ヶ谷 散策Ⅴ 皇居内の建物

今年の4月に皇居乾門通りが一般公開され、通り抜けして来た時のものです。

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先ずは、石垣の上に咲くソメイヨシノの写真から

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坂下門 

東京駅から行幸通りを真直ぐ皇居方面に進めば、直ぐに皇居に入れると思ったのですが、日比谷方向に大きく迂回させられ、かなり遠回りして坂下門にたどり着きました。

坂下門西の丸大手門桔梗門との間にあり、宮内庁への出入り口としても利用されています。

坂下門西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられ、公武合体論を推進した老中安藤信正が、文久2年(1862)水戸浪士を中心とする尊王攘夷派の志士に坂下門外で襲われた坂下門外の変でも知られています。  

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宮殿長和殿

坂下門から皇居の敷地内に入ると、直ぐ左手の奥に僅かに宮殿長和殿が見えます。

宮殿に近付いて行く人もなく、近付ける雰囲気でもないので、かなり距離はありましたが、乾通りからシャッターを押してみました。

写真では巨大な宮殿の一部しか見えていませんが、建物の全長は160mで、廊下の長さは100mもあるそうです。

この場所は、新年と天皇誕生日の年2回、天皇皇后両陛下と皇族方が中央バルコニーから手を振られている映像などで、私達にも馴染みのある場所です。皇居宮殿長和殿・豊明殿

グーグルアースの航空写真を見ると、長和殿の巨大さと、坂下門と宮内庁との位置関係が分かります。

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宮内庁庁舎

設計者 / 宮内省内匠寮

建築年 / 昭和10年(1935年)

改修年 / 昭和27年(1952年)

この建物は、昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間,仮宮殿としても使用されて いました。

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先代の宮内省庁舎はJ・コンドルの設計による純然たる洋風建築でしたが、関東大震災により損傷して建て替えられたこの新庁舎は、ご覧のように和風の要素を取り入れた、帝冠式と言ってもいいような、微妙なデザインの建物になっています。

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富士見櫓

坂下門から入ると直ぐに、左手に宮殿長和殿宮内庁、右手には富士見櫓が見えます。

江戸城旧本丸の東南隅に位置し、かつては品川の海や富士山を見ることが出来たそうです。

現存の三重櫓は、万治2年(1659年)に再建されたもので、江戸城本丸の貴重な遺構言われています。

蓮池濠を右手に見ながら、乾通りを進むと左手に和瓦葺きの門が見えて来ます。

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局門

大奥に最も近いところに位置し、主に大奥女中の通用門として使われたことから、局門と呼ばれたそうです。 

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局門の隣には

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長屋門

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門の両側には武士が控える板張りの長屋が在ります。

蓮池濠越しの石垣の上には

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富士見多門櫓 

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多聞とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。

鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて敵を狙い撃つことが出来ました。

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乾濠越に北橘橋門方向の石垣を見る。

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乾門

宮殿がある旧西の丸の裏門であり、皇居の乾の方角に位置することが名の由来です。

建設は明治以降なので、京風のデザインで建てられています。


この春に撮影した乾通り沿いの建物は以上ですが、良い機会なので、紹介出来ずにいた以前 ( 2008年11月22日 )に撮った皇居内の写真も紹介しましょう。

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大手門  旧江戸城正門

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建設指揮 / 藤堂高虎  建築年 / 慶長12年(1607年)  

修復指揮 / 伊達政宗、相馬利胤  修復年 / 元和6年(1620年)

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元和6年に行われた江戸城修復の際、現在のような桝形形式の城門になったそうです。 

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パレスサイドビル前の内堀通りから、濠越に平川門を見る。

平川門江戸城の裏門に当たります。大奥女中達の通用門で、御三卿の登城口でもあったそうです。

私が通っていた大学がお茶の水に在ったので、学生時代らこの門から入って、何度か皇居を散策したことがあります。

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天守閣跡

建設者 / 二代将軍徳川秀忠  建築年 / 慶長12年(1607年)

改修年 / 元和8年(1622年)、承応2年(1635年)

天守閣改修

建設者 / 三代将軍徳川家光  改修年 / 寛永14年(1637年)

江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣は、高さ地上58m。

天守閣の基礎石積みの広さは44m×44m、高さ18mで、頂部に金の鯱を頂く、6層の天守が聳えていました。

しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は再建さず、石垣だけが残っています。

現在の石垣の高さは約10mです。

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石垣からの眺め

丸の内方向を撮影したものですが、10年前に撮った写真なので、高層ビルが増えているので、現在とはかなり違った風景かと思います。

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九段方面を見ると、日本武道館の屋根が見えます。

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百人番所

大手門から本丸に入るときの最大の検問所

大手三之門の前に設けられたのがこの百人番所で,甲賀組,根来(ねごろ)組,伊賀組,二十五騎組の4組が昼夜交代で護りを固めていました。

各組に,同心百人ずつが配属されていたところから百人番所の名が生まれそうです。

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大番所

他の番所より格上で,位の高い与力,同心が詰めていたとか。

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以前に紹介した建物も、改めて紹介しましょう。 

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桃華楽堂

設計者 / 今井兼次

建設年 / 1966年 ( 昭和41年 )

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香淳皇后の還暦記念として建設された、収容人員は200名の音楽堂。

モダニズム建築がしきりに建てられていた時期に、鉄仙の花弁を形どった屋根と八面体の珍らしい建物。

八面ある外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅が描かれています。

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  1. 2018/07/08(日) 17:16:00|
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