細い鉄骨で出来た ボン・デ・ザール ( 芸術橋 ) を渡って左岸へ。
ボン・デ・ザール ( 芸術橋 )
ポンデザールは1804年にルイ・アレクサンドル・セザールの設計でパリで初めての金属製の橋として架けられました。
当初は9連アーチでしたが1852年にはコンティ通りを拡幅するために左岸の2つのアーチが1つに変更さます。
20世紀前半の2度の大戦中の爆撃と、その後に起こった2度の船の衝突による損傷により、1977年に橋は閉鎖され、1979年に船が衝突した際についに崩壊してしまったのです。
現在の橋は1984年に架けられたもので、旧ポンデザールに似せて造られ隣のポンヌフの7連アーチ橋に合わせてアーチの数は9から7に減らされています。
ポンデザール から 右岸~シテ島 を結ぶ ポンヌフ を見る。
ポンデザール から 右岸~シテ島~左岸 を結ぶ ポンヌフ を見る。
右岸 (北 ) 側にはアーチが7つ、左岸 ( 南 ) 側にはアーチが5見えます。
竣工は1607年で、アンリ3世の命により、ジャック・アンドルーエ・デュ・セルソーの設計により建設されたパリ最古の橋。その全長は238mあります。
ポンデザール に戻りましょう。
ポンデザール は 愛の南京錠 でも有名です。
2008年頃から南京錠に恋人達が二人の名前を書いて欄干の金網に取り付けて鍵をかけ、セーヌ川に投げ込むことが流行しはじめ、錠の重さで欄干の金網が崩れて一時橋が閉鎖され、南京錠が取り付けられないように、金網を撤去してアクリル板やガラス板に変わっています。
それでもこれ位はOKの様です。今でも南京錠を売る人も居ました。
橋を渡った左岸には バロック風のドームの載った建築が在ります。
コレージュ・デ・キャルト・ナシオン ( 四国学院 )
四国学院 の四国とは、1659年にマゼラン枢機卿の主導のもと、スペイン王国からフランス領となった四つの地方 ( アルトワ、アルザス、ピエモンテ、ローシヨン ) を指しており、この地方出身の学生を受け入れ1688年に開校しました。
設計者 / ルイ・ル・ヴォー
建築年 / 1668年
所在地 / パリ6区
建築様式 / イタリア風バロック建築
設計者は ヴェルサイユ宮殿 も手掛けた建築家ルイ・ル・ヴォー。中央のクーポラと、左右に伸びる湾曲した壁面など、サンピエトロ大聖堂 を彷彿とさせるデザインは、当時はまだフランスでは珍しかったイタリア式バロック建築の典型です。
入口の在るペディメントを支えるコリント式のオーダー柱はジャイアント・オーダーと呼ばれるもので、16世紀前半にミケランジェロが用いたデザインでバロック建築の特徴の一つです。
今回は内部は見学出来ませんでしたので、パリ在住の友人がヨーッパ文化遺産の日に撮影した写真から
フランス最古の公立図書館、マザラン図書館 にはヨハネス・グーテンベルクの聖書が保存されています。
ポンデザール を渡った辺りから、セーヌ川越しに右岸 ( 北側 ) の ルーヴル美術館 を見る。
セーヌ川左岸 ( 南側 ) のコンティ通りを西へ歩いて行きます。
コンティー通りの歩道には、古書や絵を売る出店が並んでいます。
セーヌ川と ロワイヤル橋 越しに、対岸 ( 右岸・北側 ) の ルーヴル美術館 を見る。
レオポール・セダール・サンゴール橋
この橋も鉄骨造。マルク・ミムラムの設計で1999年の竣工です。
コンティー通りには二日後に見学予定の オルセー美術館 が見えて来ました。
オルセー美術館 は1900年のパリ万博の際に建設された オルセー駅を、1986年にガエ・アウレンティの設計により改修工事を行行われ、現在の美術館に生まれ変わりました。
ルーヴル美術館 や ヴェルサイユ宮殿 程では無いにしても オルセー美術館 も実に巨大な建築物です。
パリには エッフェル塔 をはじめ、何度も開催された万国博覧会の遺構と言える巨大建築物が幾つも在るのです。
アールヌーボーのガラス庇
本当はセーヌ川沿いの道をこのまま エッフェル塔 迄歩きたかったのですが、この日の予定を消化するには諦めるしかありません。ミュゼ・ドルセー駅からRERを利用してポン・ド・ラルマ駅に向かいました。RERはメトロとは少し乗り方が違うので、まだ時間に余裕のある時に一度乗って慣れておくと言う目的もあります。
RER車内
ミュゼ・ドルセー駅 で待っていると ヴェルサイユ宮殿 行きの列車がやって来ました。
なんと2階建ての車両です。私達はパリ市内からバスツアーに参加しましたが、このRERを利用すればツアーに参加しなくても ヴェルサイユ宮殿 に行けるのです。
次回は エッフェル塔 と シャイヨー宮 辺りを散策します。