フランクリン街のアパート を見学した後、予定では妻の希望で 凱旋門 に登る予定でしたが、トロカデロ庭園 の少ない階段を登っただけで既にクタクタになっていたので、この日は 凱旋門 は眺めるだけにしてもらい、少し時間に余裕があったので予定には無い 国際大学都市 に行くことにしました。
パッシー駅からメトロ-6号線でダンフェール・ロシュロー駅でRERに乗り換え国際大学都市駅へ向かいました。メトロ-6号線はメトロにも拘らず、地上を走っていたので歩かずにパリ(15区)の街並みを眺めることが出来てラッキーでした。
国際大学都市駅を出ると、ジュルダン通り腰にキャンパスの入り口らしき建物が在ります。
実は今回のパリ旅行は、妻が積極的に企画したものでした。地図を見るのが苦手な妻に変わって、散策コースは私が決めたのですが、妻の行きたい場所をメインに計画し、私の希望はなるべく少なくしていたので、国際大学都市の見学は「絶対に行きたい場所」には入れていなかったのです。
国際大学都市は都市と言うだけあって世界各国の学生会館や施設が建ち並び、広さは37ヘクタールもあるので、目的のスイス学生会館まで行きつくのにかなり時間が掛かってしまいました。
スイス学生会館
設計者 / ル・コルビジュエ
建築年 / 1932年
所在地 / パリ14区国際大学都市内
ル・コルビジュエ は フランク・ロイド・ライト、 ミース・ファン・デル・ローエ と並ぶ近代建築の三大巨匠の一人。
但し、近代建築に与えた影響力は他の二人と比較して群を抜いていると言えるでしょう。彼の唱えた「近代建築の5原則」や「住宅は住むための機械である」 と言う言葉はあまりにも有名です。
1905年頃から約10年間に設計した住宅は、コルビジュエの設計とは思えない住宅ばかりですが、1914年にあの有名なドミノ・ハウスを発表し、その後はドミノ・システムの思想に基づく住宅や集合住宅の計画案を発表、1917年に永住の為にパリに移住します。
1922年には「300万人の為の現代都市」プロジェクト案を発表。同年にブノ邸を完成させ、この住宅を期に実施作品の傾向が転換されたと言われています。
1920年代にはパリ近郊を中心に、ラ・ロッシュ邸やサヴォア邸を始めとした白い外壁の住宅を次々に設計し、30年に近付くとジュネーブの集合住宅(クラルテ)、救世軍ホテルなど建物の規模は一気に大きくなりました。
このスイス学生会館はそんな時期の作品の一つです。
この建物はこの北側立面と後で紹介する南側立面が同じ建物とは思えない程異なります。
主棟と付属棟のデザインもまるで異なるのです。
主棟の北側は大盤石張りの外壁に正方形に近い気窓が整然と並ぶ端正な印象の立面を、階段室の曲線を帯びた窓の無いマッシブな面がアクセントのように存在し、更に低層の共用室は反りあがった屋根の主張もさることながら、荒々しい野積みの外壁のインパクトは衝撃的でもあります。
これが「自由な立面」なのでしょう。
少し見る角度を変えると、マッシブに見えた階段室の西立面は全面ガラスブロックです。
そして コルビジュエ と言えば、その代名詞はピロティーです。
洗い出しの敷盤
ピロティーを支える柱は、構造的と言うよりはコンクリートのもつ彫塑性を芸術的に表現したものです。
丹下さんや前川さんのピロティー柱とは、大分印象が異なります。
直接雨架かりが有る場所ではない為か、コンクリートの状態は驚くほど良好です。
こちらの柱も構造的と言うよりも、芸術的な印象です。
軒天の目を引く青い部分は配管カバーでしょうか?
主棟の2階意匠の寮室は、1階の柱からは大きく張り出しているので、構造的にはかなり不安定な印象を受けてしまいます。
南西側外観
この様に開口部の多い南側立面は、北側とは全く異なる印象です。
2~4階の上総階は鉄骨フレームで組まれた軽さを強調したデザイン。
こちらから見ると、少ない柱と片持ち梁でも軽々と持ち上げているように感じられます。
所々屋根や外壁に開口のある5階部分は如何使われているか知りたいです。
ロビーにはコルビジュエの作品の写真や図面を描いた楕円の柱が目を引きます。
スチール部への着色は、派手さを抑えたクールな印象です。
階段を上がった奥には、ガラスブロックの階段室が見えます。
鉄骨階段とガラスブロックで明るく軽快な印象を受けます。
サロンの内部は荒々しい野積の外壁から受ける印象とは真逆のデザインです。
野積の壁の裏側には、画家でもある コルビジュエ の派手派手な壁画が壁一面に描かれています。
ロビー側は細い鉄骨柱とガラスで構成され、ピロティーの彫塑的な力強いデザインとは逆に、軽々とした軽快なデザインです。