スイス学生会館、ブラジル学生会館 のコルビジュエの設計した2棟の建築の見学を終え、次の予定の 凱旋門 へ向かう為、RER-B線の国際大学都市駅へ戻り、来た経路の反対にダンフェール・ロシュロー駅でメトロ-6号線に乗り換え 凱旋門 のあるシャルル・ドゴール・エトワール駅へ向かいました。
エトワール凱旋門
パリの 凱旋門 言えば通じるとは思いますが、正式には エトワール凱旋門 。
エッフェル塔 と並びパリを代表する建造物です。
この 凱旋門 を中心にシャンゼリゼ通りを初め、12本の街路が放射線状に延び、その平面が星の様に見えることから「星の広場 ( エトワール広場 ) の凱旋門」と言われていました。
( 現在この広場は シャルル・ドゴール・エトワール広場 となっています。)
ナポレオンは、1805年にアウステルリッツでオーストリアとロシアの連合軍との戦いに勝利したことを祝って ルーヴル宮殿 の前庭に 凱旋門 ( カルーゼルの凱旋門 ) を建築させました。
しかし、完成した 凱旋門 を見たナポレオンは、自分が考えていたよりも小さかった事を不満に思い、新たに建設を命じたのがこの エトワール凱旋門 です。
但しナポレオンがこの エトワール凱旋門 の下を実際に通る事が出来たのは1840年。彼の死後20年も後になってしまったのです。
設計者 / ジャン・シャルグラン
着工年 / 1806年 ~ 完成年 / 1836年
建築様式 / 新古典主義
所在地 / パリ 8区 シャルル・ド・ゴール広場
ナポレオンは古代ローマ帝国に倣った凱旋門を造ろうとしましたが、度重なる政変により工事は度々中断し、完成までに30年も掛かってしまったのです。
ナポレオンが完成を願った新しい凱旋門は、高さ50m、幅45m、奥行きは22m ので巨大なものになりました。
4本の柱には、ナポレオンの栄光の歴史を称える、4つの浮彫が施されています。
1814年抵抗
1815年平和
1792年の義勇兵の出陣 ( ラ・マルセイエーズ ) リュード作
1810年の勝利 コルトー作
凱旋門 の下には 無名戦士の墓 をはじめ多くの祈念のプレートが埋め込まれています。
凱旋門 の真下から4方向を見てみましょう。
シャンゼリゼ通り方向を見る 遠くにコンコルド広場の オベリスク と ルーヴル美術館 も見えます。
グランド=アルメ通り方向を見る 遠くに 新凱旋門 が見えます。
ワグラム通り方向を見る
クレベール通り方向を見る

当初は 凱旋門 の上にに登るつもりでしたが、疲れていたうえに屋上に登る階段の前に、長い列が出来ていたので諦めました。
今回も上手く手の平の上に乗せることは出来ませんでした。
記念写真も撮ったので、シャンゼリゼ通りをコンコルド広場に向かいます。
暫く憧れの シャンゼリゼ通り を楽しみます。
シャンゼリゼ通りの途中で 凱旋門 を振り返ってみました。
シャンゼリゼ通りを散策する途中で、この日も仕事終りの友人が来てくれました。
ウィンドーショッピングをしたり、実際にデパートに入ったりしながら、しばらくはシャンゼリゼ通りの雰囲気を楽しみました。
シャンゼリゼ通りからみた夕焼け空と 凱旋門
友人がこの夕焼けを見て「ラファイエット の屋上から夕焼けを見よう」と思い立ち、近くの停留所から路線バスに跳び乗って ラファイエット に向かいました。