ラファイエット に向かうバスの窓から、薄紅色に染まって行く空を見た友人は「間に合わないかもしれないから、ここで降りよう」と言って コンコルド広場 の近くでバスを飛び降りて噴水に向かって走って行きます。同い年の女性とは思えない素早さだったので付いて行くのも必死でした。
コンコルド広場の夜景
オベリスク 噴水 エッフェル塔 のスリ-ショット。
コンコルド広場 は マドレーヌ聖堂 と ブルボン宮 を結ぶ 南北の線 と、ルーヴル美術館 ⇒ チュイルリー庭園 ⇒ シャンゼリゼ通り ⇒ 凱旋門 へと続く 東西の線 の交点に位置する、まさに パリの中心に位置する広場 なのです。
設計者 / ジャック・ガブリエル
建造年 / 1755年
所在地 / パリ8区
オベリスク の両側に配置された 噴水 は、サン・ピエトロ大聖堂 の噴水を模したものです。
噴水 と エッフェル塔 -1
色々な角度と組み合わせで夕焼けを撮影してみました。
コンコルド広場から見たエッフェル塔 -1
コンコルド広場から見たエッフェル塔 -2
噴水 と エッフェル塔 -2
コンコルド広場から見たエッフェル塔 -2
オベリスク と エッフェル塔 -1
オベリスク と エッフェル塔 -2
広場は1755年に建築家のジャック・ガブニエルによって設計され、ルイ15世の騎馬像が設置されていた為 ルイ15世広場 と呼ばれていました。
ルイ15世の騎馬像は、フランス革命後に 革命広場 と呼び名が変わりルイ15世の騎馬像は取り払われます。1795年には一度、調和を意味する コンコルド広場 となります。
しかし、王政復古の際には ルイ16世広場 となり、1830年の7月革命経て、やっと コンコルド広場 に落ち着くのです。
フランス革命際には、処刑場として使用され、ルイ16世やマリー・アントワネットを初め1343人の貴族や庶民までもがこの広場で処刑されたのです。
オベリスク と エッフェル塔 -3
オベリスク と シャンゼリゼ通り と 凱旋門 -1
オベリスク 越しシャンゼリゼ通りの奥に 凱旋門 が見えます。
高さ22.55mのこの オベリスク は、紀元前1279~1213年頃に造られた ルクソール神殿 の対のオベリスクの一本で、7月革命 ( 1830年 )の後、1836年にムハンマド・アリー王から送られたものです。
オベリスク と シャンゼリゼ通り と 凱旋門 -2
セーヌ川に移動しましょう。
セーヌ川 と エッフェル塔 -1
セーヌ川 と エッフェル塔 -2
セーヌ川 と エッフェル塔 -3
セーヌ川 と エッフェル塔 -4
夜景の撮影は得意でないので、旨く撮れなかった事が残念です。
エッフェル塔
上下の2枚はモード変えて撮影したものです。
通常のモードの方がよかったですね。
セーヌ川 と エッフェル塔 -4
1時間に1度のシャンパンフラッシュも丁度始まりました。
この日の昼に見た エッフェル塔 は、曇天だったこともあり、思ったような写真は撮れませんでしたが、友人のお陰で一生の思い出になるような 美しいパリの夜景 を見ることが出来ました。感謝しかありません。
最後にはちゃんと記念撮影もしておきます。
この夜景を見ることで、この日の運は使い果たしてしまったのでしょう。どこの店も満員でなかなか夕食に有り付けません。最後に友人が行き付けの中華料理店に落ち着いたのですが、疲れて写真を撮り忘れてしまいました。