今回からパリ散策の二日目です。但しこの日も第一日目同様に、朝一番目の訪問地はパリから東に40~50分程離れた ル・ランシーの散策 から始めました。
事前に企てた計画では、先ずはメトロでパリ中心部のサン・ラザール駅まで行き、RER-E線を利用してル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅迄行くつもりでしたが、ホテルの在るガリエーニ駅前を通る路線バスを利用すれば、距離も時間も短く済むことが分かりました。教えてくれたのは勿論パリ在住の友人で、なんとこの日は朝から一日パリを案内してくれるのです。
迎えに来てくれた友人と一緒にホテルを出て、目の前の停留所からバスに乗って出発です。バスは出発すると直ぐに高速に入りました。これは予想外だったので友人も少し驚いていましたが、方向は間違いないようです。10数分程で高速を降り、しばらく一般道を走ってからル・ランシーに向かうロズニー通りに入り、ル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅の約600m南の停留所でバスを降りました。ここからはランシー通りを真っすぐ駅方向に歩いて行きます。
ランシー通り沿いの街並みは「閑静な住宅街」と言う言葉がぴったりの街並みで、新旧のお洒落なアパートメントや商店、古い住宅が心地よく入り混じって建っています。
ランシー通りを歩く途中、交差点の東の彼方に目指すノートルダム・ル・ランシー教会 に似た教会も見付けました。
サン・ルイドゥ・ヴィルモンブル教会
残念ながらこの教会の詳細は分かりませんでした。
ル・ランシー-ヴィルモンブル・モンフェルメイユ駅
10分程でRER-E線の駅に到着、線路を潜ると、ちょっとした広場とロータリーが在ります。
駅を過ぎても一直線の道が続き、心地よい風景の街並みが続きますが、通りの名前はレジスタンス通りに変わります。緩やかな上り坂の先に目指す ノートルダム・ル・ランシー教会 の鐘塔が見えて来ます。
鐘塔がどんどん大きくなって来ました。
ノートルダム・ル・ランシー教会
一見すると、豪華さに欠ける地味な灰色の教会と思われるかもしれませんが、鉄筋コンクリートの父と言われるオーギュト・ペレの代表作として、そしてコンクリート打ち放しで建築された世界最初の教会として、近代健築史上大変重要な建築なのです。
オーギュト・ペレは前日に訪問した フランクリン街のアパート の設計者です。フランクリン街のアパート が竣工たのが1903年ですのでこの教会はその20年後、1923年の竣工です。

鐘塔の高さは50m。 正面の横幅は20m。 聖堂の奥行きは56m。
ノートルダム・ル・ランシー教会 の建設は1922年にフェリックス・ネグル司祭が、第一次世界大戦中の1914年に行われたマヌルの戦いにおける、戦没兵士のための記念碑としての教会堂の建設を、ペレに依頼したことから始まります。ペレはキリスト教徒ではではありませんでしたが、自ら建設費の一部までも負担したとか。
フェリックス・ネグル司祭が何故キリスト教徒でもないペレに教会堂の建設を依頼したのか? その理由を記載した資料は見つけられませんでしたが、短い工期と低予算での教会堂の建設計画だった為に、従来の石造の教会では実現がな困難だった為、新工法の鉄筋コンクリート造の第一人者であったペレに白羽の矢が立ったのかも知れません。
設計者 / オーギュト・ペレ
建築年 / 1923年
所在地 / ル・ランシーレジスタン通り83
フランクリン街のアパートから20年。構造体や外装を覆っていた外装材はここでは全く見られません。ペレのデザインコンセプトである「最小限の材料と労力により最善の仕事をする」「構造の単純化」「コンクリートの美しさを生かす」が実現されたのです。
コンクリート打ち放しで建築された世界最初の教会として歴史に名を残しているこの教会は、他にも現代でも通用する先進的な工法を試みています。
それは工事のプレファブ化です。
この建物の場合も、構造体である柱と梁とシェル屋根は、現場で組み上げた鉄筋と型枠にコンクリートを打設していますが、
低層部の非構造の壁面や建物正面の開口以外の壁にはコンクリートブロックが、開口部には抽象模様の色ガラスを嵌め込んだコンクリートパネルを取り付ています。工場や作業場などで作っておいた部材を、現場では構造体に取り付けるだけにするのがプレファブなのです。
ここの時期既にプレファブの考えを取り入れていると言えそうです。
日本ではプレファブと聞くと、仮設現場事務所の様なものを連想しがちですが、プレファブとは prefabricate の略語で意味は pre-(既に) fabricate-(製造する、規格部品でつくる) であり、プレファブ化は工期の短縮には欠かせない考え方なのです。
19世紀までの石造の教会建築は、着工から完成までに数十年、場合によっては100年以上掛かる場合もありましたが、工事にプレファブ化も取り入れたことにより、僅か13ヶ月と言う超短期間の工期を実現させたのでしょう。
外部には幾何学的な装飾以外の物は殆ど見られません。
唯一がこのレリーフと鳥の彫刻だけ。
前日に見学した スイス学生会館 とは築後9年しか差はありませんが、庇や軒の出等が全く無いこの建物の外壁は、傷んでいる部分が目立ちます。
特に教会正面の鐘塔を支える5本づつ束になった、細い円柱の痛みが目立ちます。
もう一つのペレの遺した言葉に「私のコンクリートは石よりも美しい。私はそれを加工して削る(中略)。そして最も高価な化粧材の美しさに勝る素材にする。」と言うものがあるそうです。
残念ながら築後120年を経過した現状を見る限り、鉄筋コンクリート構造で実現した構造美は兎も角として、化粧材としての美しさは石の耐久性を上回ることは出来なかったようです。
短期間にローコストで建てられた教会だからか、教会前の広場の舗装には、河原で拾って来たかのような玉石がコンクリートに埋め込まれています。
次回は内部を紹介します。