今回はマレ地区散策の4回目。
今回はヴォージュ広場から、バイティーユ広場までの道のりです。
K ヴォージュ広場 北側の建物の回廊
広場の四方は、同じデザインの建物が囲んでいて、全ての建物は広場に面して回廊が在り、骨董店やアートギャラリー、カフェ等の飲食店で賑わっています。
30 J 広場北側は 王妃の館
ヴォージュ広場 はアンリ4世が造られたパリ最古の公園の一つ。
アンリ4世は「パリを世界一美しい都にしたい」と望みましたが、暗殺によって1612年の完成を見ることは出来ませんでした。この公園は完成当初は「ロワイヤル広場 ( 王の広場 ) 」と呼ばれ、フランス革命の際に、現在の ヴォージュ広場 へ改名されます。
四方の建物は、南棟の「王の館」北棟の「王妃の館」を含め、36もの館で囲われ、ヴィクトル・ユゴーをはじめ、多くの貴族や政治家、作家等が住んでいました。
設計者 / Louis Me'tezeau
建築年 / 1612年
所在地 / パリ3・4区
30 K 広場西側の建物
四方の建物のデザインは、アンリ4世の命により統一されていて
1階は半円アーチのアーケード。
2・3階は赤煉瓦に、窓廻り等には白い石材でアクセントを施した外壁。
急勾配の屋根面には、ドーマーウィンドゥーを施しています。
東京駅のデザインに似ている気がします。
L 広場南側は 王の館
30 ヴォージュ広場 のベンチで一休み。石はアスファルトよりも固く、しかも凸凹しているので、石畳の道を歩くのは、慣れないとかなり辛いです。
西棟の回廊を南に進むと、南棟に抜け道のような通路が空いています。
31 シュリー館 / オテル・ド・シュリー庭園 庭園南側の棟。
通路を抜けるとまた小ぶりなフランス式庭園に出て来ました。
ヴォージュ広場 の南西に隣接するこの館も同時期に建築されました。アンリ4世やルイ13世に仕えたシュリー公の邸宅です。
建物中央に中庭を通ってサン=タントワーヌ通りへ抜ける通路が見えます。
31 オテル・ド・シュリー庭園 振り返って庭園北側の棟を見る。
写真右下の出入口がヴォージュ広場に繋がっています。
32 シュリー館 オテル・ド・シュリー庭園から、通路を抜けてシュリー館中庭に入り建物を見返す。
通り抜けて来た通路の出入口の両側に、奇妙な像が
頭と胸は女性で、その他の体はライオンでしょうか?
33 シュリー館 サン=タントワーヌ通りから見る。
サン⁼タントワーヌ通りを東へ進み バスチーユ広場 へ向かいます。
ちょっと寄り道して
M サン・ポール・サン・ルイ教会
完成は1641年。パリでは唯一のバロック様式で建てられた教会堂らしいです。
サン=タントワーヌ通り沿いの建物を見て行きましょう。
34 JACADI PARIS SAINT ANTOINE ( 子供服店 )
N Hotel de Mayenne
建築年は1617年。ヴォーグ広場の建物とデザインも似ていますが、時期も一致しています。
設計者 / アンドルーエ・デュ・セルソー
建築年 / 1617年
所在地 / パリ地区
35 サント・マリー教会
プロテスタントの教会らしいですが、詳細は不明です。
36 バスティーユ広場 7月革命記念柱 が見えて来ました。
4区、11区、12区の3つの区に跨っているこの広場は、元はバスティーユ牢獄があった場所。
1789年7月14日のフランス革命の発端となったバスティーユ襲撃事件が発生した場所で、バスティーユ監獄は1792年に取り壊されます。この記念柱は1830年の7月革命を記念する 7月革命記念碑 として1846年に建てられました。
天使の像はオーギュストデュモン作
37 Banque de France ( 金融機関 )
38 飲食店やモデル事務所が入居する建物
39 オペラ・バスティーユ ( 新オペラ座 )
バスティーユ広場 に面して建つ建物でもっとも有名なのが、この 新オペラ座
設計者 / カルロス・オットー
建築年 / 1989年
所在地 / パリ12区
1982年に当時のミッテラン大統領によって建設計画が始まり、翌1983年に設計コンペが行われ、建物が完成したのは1989年。2005年には改修工事も行われています。
バスティーユ駅からメトロに乗ってモンマルトルへ向かいます。