今回からモンマルトル散策です。
パリに在住している友人と一緒だったので、移動時は彼女の後ろを付いて行くだけで、どこをどう乗り継いだかはよく覚えていませんが、恐らくマドレーヌ駅で8号線から12号線に乗り換えて、アベス駅まで行ったのだと思います。
メトロ・アベス駅 出入口
モンマルトルに来た理由には「モンマルトルの丘の上からパリの街を眺めたい」「テアトル広場 に行ってみたい」「サクレ・クール教会 を見学したい」などの理由がありましたが、一番の目的は、近代建築史の本でアール・ヌーヴォーを解説する際には必ず登場する パリ・メトロ出入口 を見たかったからです。旅行の直前まで、パリの何処でも見ることが出来ると思っていたアール・ヌーボーの メトロ出入口 は、この アベス駅出入口 の他は「2号線-ポルト・ドーフィヌ駅」と「シャトレ駅」だけだと分かりました。シャトレ駅 はこの日の午前中に利用しするも見付けられず、ポルト・ドーフィヌ駅 には行く予定が無かったので、アール・ヌーボーの メトロ出入口 を見られるのは、ここ アベス駅 が唯一の場所なのです。
アール・ヌーボーの意味は「新芸術」。
19世紀末期から20世紀初期に掛けてヨーロッパで発生し流行した芸術運動で、植物や動物をモチーフとした自由曲線で描かれているのが特徴です。
パリ・メトロ出入口 は、1900年に開催されたパリ万博に合わせて開通したメトロのもの。設計者はデザインコンペによって選ばれたエクトール・ギマールです。
以前から奇抜なデザインで話題になっていたギマールのデザインは、賛否両論を巻き起こすこととなりますが、アールヌーボーはパリでも流行し、ギマールが手掛けた パリ・メトロ出入口 は、最盛期には166ヵ所も在りましたが、第一次大戦混乱による不況もあり「金が掛かり過ぎる」と否定され、ギマールの出入口 も取り壊されるなど、やがて半減してしまいます。1960年代に入ると再評価されますが、現在は上記の3ヵ所だけになってしまったのです。
駅前広場には、可愛らしいメリーゴーランドも設置されてます。
広場に面する公園には
ジュテームの壁
ジュテームとはご存知の通り「愛してる」の意味。フレデリック・バロンの作品で、612枚の青いタイルに、300以上の言語で「愛しています」の意味の言葉が綴られています。勿論日本語も・・・。縦書きされているので見つけ易いので、クリック ( 拡大 ) して探してみて下さい。
サン・ジャン・ド・モンマルトル教会
設計者 / アナトール・ド・ボド
建築年 / 1904年
所在地 / パリ18区
一見煉瓦造の教会に見えますが、外壁は鉄筋コンクリート造で、パリで最古の鉄筋コンクリート造の教会堂建築だったのです。
驚いたことに、柱とアーチは鉄骨を剥き出しにした斬新過ぎるデザイン。尖頭アーチなどゴシック様式の特徴に幾何学模様を織り交ぜたデザインも独特です。
( 内部の柱も鉄筋コンクリート造と記されたサイトもありました。実際に触って確認してくればよかったです。)

恥ずかしながら、今回この記事を書く為に改めて調べるまでは、この教会の事もアナトール・ド・ボドと言う建築家の名前も全く知らなかったので、写真も数枚しか撮っていません。もう一度パリを訪れる機会があれば、じっくり見学してみたい建物です。
更に驚いたのは、この教会堂の玄関を飾るセラミックタイルを担当したのは、フランクリン街のアパート のタイルを担当したアレクサンドル・ビゴだと言う事です。
やはりビゴは重要人物だったみたいです。
サン・ピエール広場に向かいます。
さりげない飾り付けも色鮮やかで素敵です。
数分で サクレクール教会 を見上げるサン・ピエール広場に到着します。
サン・ピエール広場で、サクレクール教会 をバックに記念撮影。
アベス駅前のものよりも本格的なメリーゴーランドが在ります。ヨーロッパの広場にはメリーゴーランドが付き物のみたいです。
ここから見ると サクレクール教会 は目の前にあるように見えますが、サン・ピエール広場 との間にはウォレット公園と言う斜面を利用した公園が在り、 サクレクール教会 までたどり着くには、公園内の長い階段を登るか、メリーゴーランドの裏から乗るケーブルカーを利用するしかありません。
20年若ければ、一気にこの階段を駆け上がりたいところですが、かなり疲れていたのでケーブルカーで登りました。