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アクトデザイン凛太郎のブログ

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パリ旅行記 - 33 ( 三日目 ) コンシェルジュエリー

今回は コンシェルジュエリー を紹介します。

サント・シャペル の見学を終えて パレ・ド・ジュスティス の前へ出て来ました。

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パレ・ド・ジュスティス ( パリ司法宮 )

パレ・ド・ジュスティス は、かつての王会( 国王顧問会議 )の建物で、元はカペー朝時代の王宮 ( シテ宮 ) 。コンシェルジュエリー サント・シャペル など、様々な王宮当時の遺跡が残っています。

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サント・シャペル パレ・ド・ジュスティス 

コンシェルジュエリー1 

パレ・ド・ジュスティス コンシェルジュエリー  

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コンシェルジュエリー

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元はフィリップ4世の宮殿 ( シテ宮 ) として14世紀に創建。その後シャルル5世よって放棄され、1370年からは牢獄として使われました。フランス革命時には隣接する革命裁判所で2780名に死刑判決が下され、多くの王族・貴族が投獄されます。「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれる恐怖政治の象徴でした。1793年にはマリー・アントワネットも投獄されています。第一帝政期になっても牢獄として使用されますが、1934年に牢獄としての機能は停止され、現在はパリの パレ・ド・ジュスティス( 司法宮 )の一部として、観光名所となっています。

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ジャンジュ橋から見る

コンシェルジュエリー2

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シーザーの塔と銀の塔

コンシェルジュエリー の名は、旧王宮の司令官、守衛(コンシェルジュ)がいた場所からとったものです。

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衛兵の間

ゴシック様式で造られた衛兵の間は兵士達の食堂としても使われました。床面積は1800㎡もあり、4つの広間から出来ています。

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高さが8.5mあるリブヴォールトの天井が、柱頭部の照明によって美しく浮かび上がります。

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死刑執行準備室を再現したものです。

当時の牢獄は有料だった為、払った額に応じて監房にはランクがあり、最も貧しい者は「わら族」と呼ばれ、藁が敷かれた雑居房で寝かされ、非常に不衛生だったそうです。中流層の囚人の房には簡単なベッドが在り、4~5人で使用。富裕層や著名人の房は家具の在る独房だったとか。

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この部屋では、死刑執行のための準備が行われました。

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囚人用の礼拝堂

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ここが死刑囚達が断頭台へ向かう荷車を待つ場所だそうです。

コンシェルジュエリー の見学を終えたところで、この日も友人が施設の前に来てくれました。サン・ジェルマン・デ・プレ教会 に行こうかと思っていましたが、相談のうえ オペラ・バスチーユ へ向かうことにしました。

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  1. 2020/06/16(火) 08:00:00|
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