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アクトデザイン凛太郎のブログ

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パリ旅行記 - 37 ( 三日目 ) パンティオン 他

オペラ・ガルニエ の見学を終え、この日本来なら昼食をとりがてら散策をする予定だった、カルチェ・ラタン方面に向かうことに。メトロ-オペラ駅からメトロ-7号線に乗り、はっきりとは覚えていないのですがシャトレ駅辺りで下車し、サンミッシェル通りを通ってエドモン・ロスタン広場辺りまで、路線バスを利用して南下したのだと思います。

カルチェ・ラタン地域で最初に向かったのは パリの パンティオン です

エドモン・ロスタン広場からスフロ通りに入ると、正面に パンティオン が見えて来ます。

パンティオン遠景

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パンティオン ( 旧サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂 )

入口に近付くと建物から出てくる人はいますが、中に入ろうとしている人は警備員に制止されているようです。どうやら入場は17時45分までだったらしく、既に閉館時間だったのです。残念!!

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パリの パンティオン は、1744年に瀕死の病床から回復したルイ15世が、回復を神に感謝し、パリの守護神である聖ジュヌヴィエーヴを祀る為の聖堂を建設したものです。1755年に設計コンペが行われ、設計者はパリの国王の建築物の監督官だったジャック・ジェルマン・スフロに決定しました。しかし、資金不足や構造的な不備 ( 1778年にドームを支える主ピアに亀裂が見つかり、スフロの死の後、外壁の開口部は塞がれています。) などで完成が遅れ、竣工したのは1792年でした。完成が遅れたことで、フランス革命の波に飲み込まれ、革命政府が聖堂の建築を好まなかったことから、修道士の墓所となる予定だった地下納骨堂は、革命の英雄たちを祀ることとなり「フランス史における自由の時代に活躍した偉人を祀る万紳殿 = パンティオン 」とすることが決められたのです。

万紳殿 として造られた ローマのパンティオン が、キリスト教の聖堂に変えられることでキリスト教徒からの破壊を逃れた歴史とは、逆のケースと言えそうです。

パリのパンティオン には、ジャン・ジャック・ルソー、ヴォルテール、ヴィクトール・ユゴーキュリー夫妻が埋葬されています。ナポレオン政権下では一時聖堂としての役割を回復したことも有った様ですが、現在は「フランスの為に尽くした功労者の為の廟所」に落ち着いています。

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ペディメントに施された浮彫は、フランスを表す女神が偉人たちに月桂樹を与える姿が描かれているそうです。フリーズ部に刻まれた文字は「偉大なる人々に祖国より感謝を」と記されています。 

設計者 / ジャック・ジェルマン・スフロ

建築年 / 1792年

所在地 / パリ5区 パンティオン広場

建築様式 / 新古典主義

残念ながら パンティオン の内部の見学が出来なかったので、パンティオン広場に面する酷似したデザインの二棟の建物の写真を撮ってみました

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パリ5区 区役所

パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて左側。

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ソルボンヌ大学

パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて右側。

よく見ないと、同じ建物を撮影したかと勘違いするほど酷似した二棟の建物です。

時間は既に18時を回っていたのでじきに暗くなる筈です。急いで来た道 ( スフロ通り ) をエドモン・ロスタン広場まで戻りバス停を探します。カルチェ・ラタン辺りで見たかった建物は パンティオン 以外に サン・ジェルマン・デ・プレ教会、サン・シュルピス教会、リュクサンブール宮殿と公園 など幾つも在りましたが、全て廻る時間も体力も残っていません。

サンミッシェル通りをでバスに乗ったのは確かなのですが、パリ在住の友人と合流した後は、着いて行くだけで何処に向かっているのか分からなくなっていました。友人が乗るバスを間違えたのか、バスの窓からリュクサンブール公園を見学出来るようにしてくれたのかは分かりませんが、バスはサンミッシェル通りを南へ向い、モンパルナス通りを右折、次はラスパイユ通りも右折して、リュクサンブール公園を大きく回ってヴォージラール通りとの交差点辺りまでやって来ました。途中でバスを乗り継いだのか、所々歩いたのかははっきりとは覚えていません。

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写真に撮ったこの街並みが何処なのか、全く分からなかったのですが、時間を掛けて記憶をたどり、ストリートビューを駆使して探し回り、ラスパイユ通りヴォージラール通りとの交差点辺りだと分かりました。この後はヴォージラール通りに入り進んで行くと。

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パリ・カトリック学院

赤煉瓦と白い石のツートンカラーの外壁に

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窓下のデザインが目を引きます。

ヴォージラール通りリュクサンブール宮殿 方向に進み、アッサス通りとの交差点には、ついシャッターを押したくなる建物が並んでいます。

アッサス通り2

アーサーベルネ医院 

斜向かいのこの建物の赤煉瓦と白い石のツートンカラー。

アッサス通り3 

この建物の装飾も見事です。

更にヴォージラール通りリュクサンブール宮殿 方向に進むと左手に

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サン・ジョセフ・デ・カルム教会

この教会にはベルニーニ作の「聖母子と幼子」が在るそうです。p2241810-1.jpg

残念ながら今回はスルーしました。

更に直進してギヌメ通りとのT字路には 

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Crédit du Nord ( 金融機関 )

この建物も見事な装飾とデザインの建物です。

右手にはリュクサンブール公園が見えて来ました。

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リュクサンブール美術館

1750 リュクサンブール宮殿 の東棟内に設置され、当初は、ルーベンスレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロヴェロネーゼティツィアーノレンブラントといった王室コレクションを展示していましたが、ルーヴル美術館 に移管され、1818年リュクサンブール美術館は 生存する芸術家のための美術館となり、アングルドラクロワの作品が展示されます。現在の建物は、元老院リュクサンブール宮殿と庭園 の管理をすることになった1886年にを建築されました。1937年に国立近現代美術館が建設されると閉館されますが、1979年に再び公開され、2000年らは再び元老院が管理を行なっています

リュクサンブール美術館 の前で、左折してフェルー通りにを1~2分進むと、お目当ての サン・シュルピス教会 が見えて来ました。

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サン・シュルピス教会

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次回は サン・シュルピス教会 の内部を紹介します。

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  1. 2020/08/13(木) 15:43:00|
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