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アクトデザイン凛太郎のブログ

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パリ旅行記 - 50 ( 4日目 ) サン・ジャク塔、ノートル・ダム大聖堂

ルーヴル美術館 の見学を終え、次は火災で改修工事中の ノートル・ダム大聖堂 へ向かいます。

パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅からメトロー1号線に乗り、二駅目のシャトレ駅で下車します。時間に余裕が有れば、セーヌ川沿いの道を歩いてノートル・ダム大聖堂の在るシテ島まで最後のパリを感じて歩きたいところでしたが、辺りは既に夕暮れに近付いているので仕方ありません。

シャトレ駅を出ると、目の前にサン・ジャク塔が見えます。p2252078-1.jpgサン・ジャク塔

元は1514年建てられた サン・ジャック・ドゥ・ラ・ブシュリー教会 の鐘楼部分でしたが、フランス革命時に破壊され、この塔だけが残ったものです。その後1836年にパリ市が買い上げ、1850年代に建築家テオドール・バリュによって改築され、その周囲に広場も整備されました。p2252118-1.jpg

サン・ジャク広場に隣接するシャトレ広場にはp2252079-1.jpgシャトレ広場ナポレオンの時代に、要塞の跡地に造られた広場です。ナポレオンのエジプト遠征の勝利を記念して建てられた、黄金に輝く勝利の女神を頂く噴水と支柱が目印です。

p2252081-1.jpg直ぐ横の サンジュ橋 の袂から、セーヌ川に架かる ポン・ヌフ橋 越しに見えるのは、ゴシックドームの  コレージュ・デ・キャルト・ナシオン ( 四国学院 )エッフェル塔 を見る。

視線を左に振るとp2252080-1.jpgサンジュ橋 の向こうに コンシェルジュエリー が見えます。p2252083-1.jpgパリ市庁舎

少しだけセーヌ川沿いのジェヴル通りを歩き、ノートル・ダム橋 を通り過ぎ、アルコル橋 の辺りから パリ市庁 が見えました。p2252085-1.jpgアルコル橋 の袂から ノートル・ダム橋 方向を見る。中央のドームは 商業裁判所。その右隣は コンシェルジュエリー  細い塔は サント・シャペル です。

アルコル橋 を通ってシテ島に渡ります。そのままアルコル通りを直進すれば、ノートル・ダム大聖堂 前の広場に出られるのでしょうが、改修工事中なので、聖堂だけでなく広場も封鎖されていました。p2252087-1.jpgノートル・ダム大聖堂 の正面向かって左側の鐘塔を見上げる位置に出て来ました。p2252090-1.jpg正面向かって左側面 ( 北側 )

一昨年 ( 2019年 ) 4月15日の火災により、尖塔を始めとして木造の多くの部分が焼失しました。この時は火災から10ヶ月以上経っていましたが、改修工事の真っただ中でした。p2252088-1.jpg側廊の上部に架かるフライング・バットレスを支える袖壁上の装飾。 フライング・バットレスが無事か知りたかったのですが、このアングルでも良くは分かりませんでした。

p2252089-1.jpgp2252089-2.jpgキマイラ像

キマイラギリシャ神話に登場する怪物ですが、ここでは魔除けとして上部の回廊に並び、睨みを聞かせていますp2252091-1.jpg内部は入れないので、ここから反時計周りに聖堂の周りを歩いて行きます。p2252092-1.jpgノートル・ダム大聖堂 正面西側立面

ノートル・ダム大聖堂 が建つ場所はパリの歴史そのもの言っても過言ではない場所です。紀元前300年頃、シテ島に定住したケルト人のパリシィ族が彼らの守護神の祭壇を建てたことが始まりです。紀元前52年にはカエサルガリア ( 現フランス ) を征服し、ローマの神々を祀りました。ローマ帝国が滅びメロヴィング朝パリを都としてからは、古来の聖地にキリスト教の聖堂を建てたのです。パリは王宮と聖堂の在るシテ島を中心に発展し、12世紀には西ヨーロッパの文化の中心にまで成長します。そんな王都に相応しい大聖堂として、1163年に ノートル・ダム大聖堂 の建設が始まりました。その後182年の歳月を掛けて建設が行われ、1345年についに完成したのです。ノートル・ダムとは「われらが貴婦人」の意味します。空に向かって高らかに聳える2本の鐘楼には、優雅で美しい彫刻と沢山の窓が施され、西・南・北側のバラ窓の美しさは、写真で見ても息を飲む程です。遥々パリまでやって来たのに、ノートル・ダム大聖堂バラ窓を見られなかった事は残念でなりません。 

p2252095-1.jpgp2252095-2.jpg

西側のバラ窓の前には、キリストを抱く聖母マリア像が置かれています。聖母崇拝は中世ゴシック期の建築テーマの中心でした。聖堂内から見たバラ窓は手持ちの資料から南側バラ窓南側のバラ窓

以下4枚は数年前に娘が撮影したものです。1612764429653-1.jpg1612764435614-1.jpg1612764441076-1.jpg1612764446631-1.jpg


p2252092-2.jpg聖母マリアのポータル ( 正面玄関 ) 向かって左側の扉で「聖母マリアの戴冠」が描かれています。上段にはキリストから祝福を受ける聖母マリアが、中段では聖母マリアが地上に生を受ける場面が描かれています。p2252095-3.jpg最後の審判のポータル 中央の扉で「最後の審判」が描かれています。上部中央に鎮座するキリストが最後の審判を行い、中段の向かって左側には天国行の人々が、右側には地獄行の人々が描かれています。p2252095-4.jpg聖アンナ ( サン・タンヌ ) のポータル 向かって右側の入口には、他二つの入口と同様に、扉上部の重なっる尖頭アーチに囲まれた部分 ( タンパン ) には、細かい彫刻が施されています。上段には聖母子像、向かって右端にはルイ7世が跪く姿が、左には司教杖を携えたパリ司教モーリス・ドゥ・シュリーが描かれています。

p2252094-1.jpgp2252097-1.jpg正面広場を通り過ぎプチ橋から撮p2252099-1.jpgp2252100-1.jpg火災で崩れ落ちた尖塔はこの時点 ( 2020年2月末 ) では再建されていないようです。p2252102-1.jpg南側鐘塔に設置された13tの巨大な鐘は、17世紀にパリ市民の女性の寄進によって造られたものです。p2252103-1.jpgセーヌ川を渡り左岸から南側立面を撮る。北面のバラ窓も確認出来ませんでしたが、南面のバラ窓も無事だったのか分かりません。p2252101-1.jpgフライング・バッドレスを下から木トラス?で支えている事が分かります。p2252104-1.jpgフライング・バッドレスをは火災では崩壊を免れたようですね。p2252108-1.jpgこのアングルの ノートル・ダム大聖堂 の姿もポスト・カードなどで良く見掛けるのですが、足場で隠れてしまい、軽やかに中に並ぶフライング・バットレスを見ることは出来ませんでした。p2252109-1.jpgアルシェヴァシェ橋を通り、セーヌ川を渡って再びシテ島に戻ります。p2252110-1.jpg聖堂北東側、クロワトル=ノートル・ダム通りから撮る


左岸セーヌ川沿いモンテベロ通り沿いの路地と建物を撮る

p2252105-1.jpgp2252106-1.jpg


セーヌ川沿いのオー・フラール通りを歩いてアルコル橋へ向かいます。

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  1. 2021/01/13(水) 11:30:00|
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