石鳥居 ( 一の鳥居 )
一の鳥居 を通して 表門 が見えて来ました。
一の鳥居 を潜り、直ぐ左手をみると
日光東照宮 五重塔
日光東照宮 五重塔 は 36m 東日本で最高、日本全体では6番目の高さを誇ります。
現在の 五重塔 は、1818年 ( 文政元年 ) に、若狭小浜藩第十代藩主-酒井忠進 の寄進によるもので、初代の塔は、1650年 ( 慶安3年 ) に、当時4代将軍家綱の時代に大老でもあった、若狭小浜藩初代藩主-酒井忠勝 の寄進したのが始まりでした。
初代の塔は1815年 ( 文化12年 ) に落雷により焼失。
そこで、寺社奉行、京都所司代、老中を歴任した 酒井忠進 は、若狭小浜藩御用達の江戸神田の 大工-大久保喜平次 を棟梁とし、現在の 五重塔 を再建しています。
創建者 / 初代 - 酒井忠勝 再建 - 酒井忠進
棟梁 / 初代 - 再建 - 大久保喜平次
建築年 / 初代 - 1650年 再建 - 1818年
所在地 / 栃木県日光市山内2301
国指定重要文化財 ( 1908年 )
この断面図を見ても分かるように、塔の中心を貫く 心柱 と呼ばれる一本柱が、4層部分から吊り下げられています。
これは 懸垂式 と言う工法で 心柱 を振り子の様に左右に揺らすことで、地震時等に起こる振動を緩和する免震機能で、東京スカイツリーの 制振システム( 心柱制振 )にも応用されているそうです。
1層目から4層目までは垂木がまっすぐ平行に配された 平行垂木 - 和様。
5層目だけが垂木を放射状に配した 隅扇垂木 - 唐様 にしたのは、陽明門 の 逆さ柱 と同様に、「建物は完成したときから朽ち始める、完成していなければ崩壊は起こらない」と言う思想に基づくものと推測する人も居る様です。
ご覧の様に、軒下の垂木は密に施されている場合は 繁垂木 と呼び、反対に垂木の数が少ない場合は 疎ら垂木 と呼ぶそうです。
また、二重の垂木が屋根を支えていますが、内側の垂木は 地垂木、外側の垂木は 飛燕垂木 呼ぶそうです。
初層軒下の 蟇股 には、名工・後藤正秀 が手がけた十二支の彫刻が配されています。
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