先ずは、二の鳥居 を通しての正面遠景から
陽明門 ( 陽明門 の建つ地盤レベルより二段下のレベルから )
二の鳥居 の在るレベルから石階段を登り
鼓楼 と 鐘楼 の中間辺りから撮る
左右の入母屋屋根の建物は 廻廊

陽明門 前の石階段の下から正面見上げ
創建年 / 1617年 ( 元和 3年 )
棟梁 / 中井大和守正清
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、1973年 ( 昭和48年 )、2017年 ( 平成29年 )
棟梁 / 甲良豊後守宗弘
彫刻・色彩 / 狩野探幽
総指揮 / 南光坊天海
様式・型式 / 八脚・楼門、四面唐破風付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )、国宝 ( 1951年指定 )
現在の 陽明門 は、1636年に 三代将軍 徳川家光 によって大改修された際のものです。
陽明門 と言う名前は 京都御所 の12ある門のうち、東の門 ( 陽明門 ) の名を朝廷から頂いたもので、
「一日見ていても、飽きずに日が暮れてしまう程美しい」事から、別名で 日暮し門 とも呼ばれているのは有名な話。
陽明門 には、建築・彫刻・工芸・絵画 など 江戸文化の全てが詰め込まれていると言えるでしょう。
他に類を見ない、鮮やかで豪華賢覧な装飾を拡大して見てみましょう。
「金」と「黒」そして 龍馬 と 唐獅子 の彫刻に塗られた「白」の三色が基調になっています。
龍馬 や 唐獅子 等、508体もの美しい彫刻が 陽明門 を飾ります。
金色の 唐破風 の頂部を飾る 鬼瓦 にも、金に着色されています。
巴紋軒瓦 や 唐破風、棟の側面に 葵の御門 が施されています。よく探すと他にも 葵の御門 が見付けられます。
「東照大権現」と書かれた 勅額 ( ちょくがく ) の文字は 後水尾天皇 の書を元に造られています。
上下に二に列施された白く塗られた動物の彫刻は、
上列 は 龍 と 龍馬 で 下列 には 唐獅子 です。
上列の 頭貫 中央に施された 龍 の浮彫は、陽明門 の中央にあるので 目貫の龍 と呼ばれています。
目貫の龍 の左右に施されているのは 龍馬 。
下列の 頭貫 の先端に取付けられた 唐獅子 の上半身像は階段の下方向を見下ろすようです。
龍馬・唐獅子 共に、口を開けたものと閉じたものが並んでいるのは「阿吽」を表しているだと思います。
白の着色は、全て白色の胡粉で塗られていますが、江戸時代後期以降から塗られ始めたもので、それ以前は欅の素地を唐木風に色付けしてそうです。見た目の印象が今とはかなり違っていたかも知れません。
更に前へ
南東方向から見上げ
南西方向から見上げ
上の写真を拡大し、彫刻を上から調べてみました。
通路西側上部
縁 の 高欄 に施されているのは、唐子遊び ( 中国の子供が遊んでいる様子 ) を描いた彫刻。
組物拳鼻 にも 唐獅子 が施されています。
頭貫 の上、組物間 に施された人物の彫刻は 聖賢・仙人 。
頭貫 と 頭貫鼻 に施されているのも 唐獅子
通路中央上部
通路東側上部
正面 ( 南面 ) の軒下を見上げる
丸桁 を支える 組物 から突き出した 尾垂木 にも、霊獣 の彫刻が施されたています。
似ているので見分けはつき難いですが、上は 龍、下は 息 ( いき or そく ) の彫刻です。
こうして画像を拡大すると分かりますが、肉眼だと、下の 頭貫鼻 の 唐獅子とも見分けがつきません。
南東角の見上げ
南東角の詳細
上から 風鈴、隅尾垂木 ( 上・龍 ) ⇒ 隅尾垂木 ( 中・雲 ) ⇒ 隅尾垂木 ( 下・息 ) ⇒ 頭貫鼻 ( 龍馬 ) ⇒ 唐子遊び
南西角の見上げ
正面 ( 北側 ) の 唐獅子 は、階段の下方向を見ている。
中央の通路の左右の 脇の間 には、弓矢を帯びた 随身 と呼ばれる、警護と威儀を兼ねる近衛府の官人が、守護神として安置されています。
東側 脇の間 の 随身
西側 脇の間 の 随身
通路の天井を見上げると
北側の天井には 昇り龍
南側の天井には 降り龍 が描かれています。
龍の絵は、元は 狩野探幽 が描いたものとされていますが、昭和の大修理で 羽石光志 の複製画に、平成の大改修では、日光社寺文化財保存会の 澤田了司 技師の複製画に取り換えられています。
通路を通り抜け、門北側の 脇の間 は 狛犬 が護ります。
東側 脇の間 の 狛犬 ( 西側の 狛犬 は撮り忘れました )
北側面 の4本の柱のうち、通路脇の向かって右 ( 西 ) 側の柱だけは、地紋 ( グリ紋 ) が他とは上下が逆さに彫られています。
魔除けの逆柱
陽明門 を北西方向から見る
北西角詳細
北面にも、南面同様に 唐獅子 が並びますが、南面 ( 正面 ) の 唐獅子 が下を向いているのに対し、首をもたげています。
陽明門 を北東方向から見る
北東角詳細
記念撮影
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