陽明門 を潜ると直ぐに、正面に ⑯ 唐門 と その後方には ⑰ 御本社 の屋根が見えます。
写真左側の 唐破風 を持つ門は ⑯ 唐門
⑯ 唐門 の後ろに見える 千鳥破風 の建物は ⑰ 御本社
御本社 は 拝殿・幣殿・本殿 の三つの部分から成り立っていて、
前面の屋根が見えている部分が 拝殿
最奥部の御本尊をお祀りしてある部分は 本殿
拝殿 と 本殿 を繋ぐ中間地点を 幣殿 と言います。
写真右端の建物は ⑬ 祈祷殿
⑯ 唐門 を正面から見る
唐門 は 日光東照宮 の 本殿 を守護する為の最終の門となります。
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 四方唐破風造り
屋根 / 銅瓦葺
国宝 ( 1951年指定 ) 重要文化財 ( 1953年指定 )
唐門 正月や例大祭以外の時期のみ解放される門で、普段は神職でも通ることは出来ません。
江戸時代では、勅使・幕臣・大名などの将軍に拝謁出来る程の身分高い者だけが潜ることが許されたそうです。
唐門 から左右に伸びる 玉垣 は総延長160m。 以前は 御本社 をロの字型に取り囲んで造られていましたが、現在は本殿の背後の塀は撤去され、コの字になっています。
塀全体に透かし彫りが施されている事から 透塀 ( すきべい ) とも言われています。
透塀 の 欄間部分 には鳥や植物の彫刻、腰羽目部分 はに水鳥や波の彫刻が飾られています。
この門の第一の特徴は、正面だけでなく、四方に 唐破風 が施された 四方唐破風造り
唐門 の柱には 地紋彫り の龍が彫られています。
左右の 唐破風 の頂部にも龍が乗っています。
正面 唐破風 の頂部には唐獅子 が見えます。
向かって左側の柱「降龍」 向かって右側の柱「昇龍」
左右の柱に施越された、地紋彫りの龍だけでなく
正面唐破風の下には 611体 もの彫刻が施されています。
こけらの彫物は、胡粉でコーティングされていて、金色とのコントラストに新鮮さを感じます。
( 胡粉とは 陽明門 の所でも紹介した貝をすり潰して作った白色の塗料 )
唐門 + 透塀 の後方に見える屋根は 御本社-拝殿
拝殿
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、平入り、正面千鳥破風・唐破風付向拝
屋根 / 銅瓦葺き、入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
見えているのは 拝殿 の屋根だけで、後方の本殿は見えません。
手持ちの資料に 全体の断面図が有ったので紹介します。

本殿 石の間 ( 幣殿 ) 拝殿
御本社 は 拝殿・幣殿・本殿 の三つの部分から成り立っていて、
前面の屋根が見えている部分が 拝殿
最奥部の御本尊をお祀りしてある部分は 本殿
拝殿 と 本殿 を繋ぐ中間地点を 幣殿 と言います。
権現造り は 本殿 と 拝殿 を結合する 石の間 ( 幣殿 ) が特長であることから、石の間造り と呼ぶことも有るそうですが、東照宮 の 石の間 は、現在は畳敷きになっていました。
石の間 ( 幣殿 )
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、両下造り
屋根 / 銅瓦葺き
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
本殿
創建年 / 1617年 ( 元和3年 )
再建年 / 1636年 ( 寛永13年 )、 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 権現造り、背面向拝付き
屋根 / 銅瓦葺き、入母屋屋根
御祭神 / 東照大権現 ( 徳川家康 ) 相殿 / 豊臣秀吉、源頼朝
重要文化財 ( 1908年指定 ) 国宝 ( 1951年指定 )
勿論、本殿 の内部には入れません。拝殿 と 石の間 と呼ばれる幣殿 までなら参拝可能ですが、残念ながら撮影は禁止なので写真は有りません。
このアングルの 唐門 は散々撮影していましたが、誰も居なくなったのでもう一枚。
⑭ 神楽殿 前から、陽明門 越しに ⑫ 神興舎 を見る
⑫ 神興舎
陽明門 を入って 唐門 の前に立ち、左手に建つ神輿を収納する為の建物です。
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
様式・型式 / 唐様 ( 禅宗様 ) + 和風 の「折衷様」
妻入、正面軒唐破風付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
説明文にある、唐破風 下に施された 家康 の干支である虎の彫刻が、長押の上部の彫刻は「鳳凰」や「鶴」。
欄間左側
欄間右側
⑫ 神興舎 に収められた 徳川家康 の神輿です。
陽明門 を挟んで、⑫ 神輿舎 の反対側に、ほぼ同じ大きさの ⑭ 神楽殿 が在ります。
写真左側が ⑬ 祈祷殿 右側が ⑭ 神楽殿
⑫ 神輿舎 ⑬ 祈祷殿 ⑭ 神楽殿 は反りのある 入母屋屋根 で規模も三間四方と同じなので、アップの写真だけだと見分けるのが難しいです。
⑬ 祈祷殿 ( 上社務所 )
創建年 / 1635年 ( 寛永12年 )
様式・型式 / 平入り、前面・背面 向拝付 ( 正面:1間・流れ向拝 )
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
重要文化財 ( 1908年指定 )
創建当初は、輪王寺 の 護摩堂 として建てられました。
明治期に入り、神仏分離令 により、社務所として利用されています。社務所は既に存在していたので、それまでの社務所は 下社務所、この建物は 上社務所 と命名されました。
東照宮 を詳しく紹介するサイト「日光東照宮・御朱印」には、
「神楽殿 や神興舎 と比較すると若干、全体的に 唐様 ( 禅宗様 ) が強めになっている」
「中備え は 詰組 を用いながらも、間に 蟇股 を挿入れるなど、和風 の一面も醸す。」
「組物 は 禅宗様 の 尾垂木1本付き の 二手先斗栱 を用い、屋根は 入母屋造り、平入り、正面向拝 は流麗な色彩が施された1間の 流れ向拝。」
「柱の間を 頭貫・虹梁 を通し、向拝柱 に対して 海老虹梁 などの横架材を用いない。角柱上部には 金襴巻 を施す。」
と記されています。
⑬ 祈祷殿 の正面向拝下の彫刻
欄間中央には 蟇股。左右には波間を泳ぐ鯉の姿が見られます。
⑬ 祈祷殿 を側面から見ると、背面の 向拝 が分かります。
側面にも多くの彫刻が飾られていて、中でも鳥の彫刻が目立ちます。
端部の彫刻は牡丹。牡丹は平和の象徴らしいです。
左端 / 神楽殿 建物の間に見える / 御本社 右側 / 神興舎
有名な 眠り猫 は、上の写真 神興舎 の更に右側、奥院に向かう坂下門 前の 東廻廊 の 蟇股 に施されています。
小学校修学旅行の際に見ていたので、驚きはしませんでしたが、とても小さく目立たない彫刻です。
左 甚五郎 の作かどうかは、今もはっきりと分かっている訳では無いそうです。
坂下門 を潜って長い階段を登って 奥院 を見学しようと思いましたが、1/3位上ったところでギブアップ!
諦めて 坂下門 へ戻りながら、重なり合う東照宮境内建物群の屋根を撮影。
この後、鳴き龍 で知られる 日光輪王寺-薬師堂 も見学していますが、内部の撮影は禁止で、外観も良い写真が撮れなかったのでストリートビューから外観だけ。
日光輪王寺-薬師堂
創建年 / 1636年 ( 寛永13年 )
再建年 / 1963~68年 ( 昭和38~43年 )、修繕年 / 2013年 ( 平成25年 )
様式・型式 / 平入り、向拝付
屋根 / 銅瓦葺-入母屋屋根
御本尊 / 薬師如来像
鳴き龍作者 / 左甚五郎 か?
薬師堂 の前から 陽明門 と 鼓楼 を見る
※ 「日光東照宮⑤ 」の関連の記事の説明文は「日光東照宮・御朱印」「建築史 / オーム社」を参照・参考させて頂きました。
スポンサーサイト