アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

公団烏山第一団地の解体-2

解体業者さん達の休憩している部屋はまだ作業がされていないようで、階段も2階も殆んど無傷の状態でした。
階段-1.
段板や側桁は建てられた時代を考えると安価なラワン材でしょうか?
公団団地に精しいでれすけさんも以前指摘していたように、「江戸東京たてもの園」に保存されている、この第一団地の設計に関った建築家の前川國男氏の自邸の階段を髣髴させるデザインになっています。

階段-2

階段-5.

段板や手摺から、このは建物の年輪の様なものを感じる事が出来ます。

階段-3
階段手摺を支える柱が、2階の踊り場も支えています。

階段-4
その踊り場は、小屋裏部分を利用した収納への入口になっています。

\2階寝室-1
2階には小屋裏の収納の他、寝室が2部屋あります。屋根が下がっているので、窓際には立つことが出来ず、バルコニーは後付けで、オリジナルは肘掛手摺でした。

良く分からないのが、浴室です。
浴室
この写真は玄関ポールから撮ったもの。
洗面所
そしてこの写真は浴室から脱衣室を撮ったものです。
つまり浴室には2方向に扉が付いているのです。これは見学した2室とも同じ造りになっていたので、入居者の改造ではありません。
オリジナルのプランはどうなっていたのか? 浴室は後からの増築なのか? 浴室の2つの扉の意味は何なのか??

解けない疑問も残りましたが、解体前に内部を見学出来たのは幸いでした。

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テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2008/06/24(火) 12:03:24|
  2. 建物探訪
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:16

コメント

前川さんの設計の公団なんて贅沢ですね!!
どのくらい前の建物なんですか?
まだまだ住めそうな気がします
もったいない・・・
  1. 2008/06/24(火) 17:15:46 |
  2. URL |
  3. sally #hy9433ho
  4. [ 編集]

sallyさんへ

確かにこの部屋は綺麗ですが、既に解体された22号館の外回りは、可哀想なくらいにボロボロでした。
建物の傷みかた以外に、烏山の駅から5分程度の好立地なのに、2階建ての上に、広い道路に広い空地が取られているので、建蔽率も20~30%程度であまりにゆったり建物が建っているので、敷地の有効利用を考えれば、建替え計画が持ち上がるのは無理ないと思います。
でも今でも烏山は団地やマンションにアパートだらけです。
これ以上住む人が居るのでしょうか?
  1. 2008/06/25(水) 09:32:29 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

写真から、まだまだ、この家で暮らしていた人たちの息吹が聞こえてきそうです…。

ちなみに、UR都市機構(旧公団)オリジナルの箱型のテラスハウスの間取り図を持っていますが、箱型のテラスハウスの浴室は、出入り口は1ヶ所です…v-12

前川設計は…今度調べて見ます。



  1. 2008/06/25(水) 14:05:25 |
  2. URL |
  3. でれすけ #-
  4. [ 編集]

なんだかものすっごく、懐かしい感じの浴室、浴槽です。
ガスの点火は、グルグル回してガッチャンとか?
都営住宅も、まだまだこんな浴槽使ってる団地、ありますよ。
(ええ、友人宅です)
  1. 2008/06/26(木) 00:37:06 |
  2. URL |
  3. Bonny #-
  4. [ 編集]

でれすけさんへ

もし前川さん設計棟の図面を見つけられたら是非浴室ドアの秘密を解き明かしてください。
でもどうやって探すのですか?
  1. 2008/06/26(木) 12:18:51 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

Bonnyさんへ

「ガスの点火は、グルグル回してガッチャン」と言うのは、バランス釜の事だと思いますが、写真でも釜が浴室内に無いのが分かるように、屋外に取り付けた給湯器からの給湯式だと思います。
ただこの団地の建てられた50年前のじょうが良くは分かりませんが、当時から浴室が有ったとすれば、やはりバランス釜が使われていたのではないかと想像出来ます。
なので今の状態は途中で改築したのではないでしょうか?
  1. 2008/06/26(木) 12:24:53 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

いつもは、国立国会図書館で公団関連の書籍を見て調べるのですが(「日本住宅公団年報」など)、実は、先日、URの都市住宅技術研究所の特別公開で、なんと「前川國男生誕100周年」と銘打って、前川國男設計事務所が携わって設定された公団住宅(①公団テラスハウス、②公団晴海高層アパート)の設計図が公開されていたのです。
(※ちなみに、前川氏の出生年は1905年なので、どう考えても100周年は過ぎているように思うのですが…。)
謎が解明され次第、また、お伝えします!!
  1. 2008/06/27(金) 10:19:25 |
  2. URL |
  3. でれすけ #-
  4. [ 編集]

でれすけさんへ

公団のテラスハウスもさることながら、公団晴海アパートの図面や写真(出来ればカラーがいいですね)も見てみたいですね。
レーモンドのペリーハウスのカラー写真が有ったら教えてください。
  1. 2008/06/30(月) 15:38:04 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

懐かしいです

中は、公団阿佐ヶ谷住宅と同じですね。階段や手すりの色が懐かしいです。私の住まいは、1階の廊下の床も階段と同じ色でした。写真では、廊下の床は階段より少し明るい色に見えますね。
阿佐ヶ谷の浴室は、私が住む少し前に、社宅として買い上げた会社がリフォーム工事をしてくれたのでユニットバスでした。階段を降りたところに洗面化粧台も付けてくれて、唐突でしたが便利でした(玄関を入ってすぐの洗面所、という意味で)。もともとは、そこから浴室に行けたのですね、写真を見ると。私たちは、台所の右手奥から浴室に出入りしていました(そこからしか行けませんでした)。洗面化粧台と背中合わせ(壁がありますが)に洗濯機を置くスペースがあって、そのせいで浴室への出入り口は隙間みたいでした。脱衣室をなくして、そこまで台所を広げてあったんですね。ずっと前に改装してあったのかな。
階段の踊り場の写真が、懐かしかったです。吹き抜けみたいで素敵でしたよね。小屋裏収納? 私の部屋(踊り場から向かって左側の4畳半)の押し入れのことかしら? 位置的にはそんな感じ。階段側からは開け閉めできなかったように思います。それも改装でしょうか。
なんにしても、懐かしいです。ありがとうございました。
(長くてすみません)
  1. 2010/08/10(火) 14:21:47 |
  2. URL |
  3. 澤本奈緒 #-
  4. [ 編集]

澤本奈緒 さんへ

廊下に貼られているフローリングは、明らかにリフォームしたものですので、オリジナルは階段と同じ、もっと濃い色だったと思われます。
もしかすると奈緒さんが住んでいた部屋は、オリジナルの床材だったのかも知れません。

この建物は1階部分に庭に向かって一部屋増築しています。
その時洗面所や浴室にも手を入れていると考えられますが、どの棟も階段部分の面影は残しているようです。
階段部分の味わいのあるデザインには、狭い空間を生かした前川さんの力量の高さが感じられます。
  1. 2010/08/10(火) 18:41:41 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

もと住民です。
私がすんでいた昭和30年代から40年ごろは風呂桶は木製の小判型の風呂おけでした。バーナーも風呂の中にあり、一部が区切られていて上がり湯が入るようになっていました。バーナーの煙突は風呂おけの上にでており、子供の私が長い時間入っていると気持ち悪くなりました。(たぶん一酸化炭素中毒の始まり)
今思うとよくあんな狭い浴室のなかで直火でガスを燃やしていたと怖くなります。
  1. 2011/02/20(日) 18:00:45 |
  2. URL |
  3. 信久 #-
  4. [ 編集]

信久さんへ

信久さん、書き込みありがとうございます。
昭和30年代から40年ごろまでお住まいで、小5までだとすると、僕とほぼ同年代だと思います。(ちなみに僕はS36年生まれです)
僕は烏山で生まれ育っていますので、烏山第一団地には同級生も何人か住んでたので、当時の建物にも何度も入っています。
あの頃はどこの家でも、たいてい浴室の中のバランス釜でお風呂を焚いていましたね。
確かに今思うと、良く一酸化炭素中毒にならなかったものだと思いますが、建物の機密性が今ほどではないので、窓の隙間から自然に換気がされていたのでしょう。
  1. 2011/02/24(木) 17:42:36 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

感無量

私もS36生まれで、8号棟に中学まで住んでました。たまたま調布の取引先に行ったので、懐かしさのあまり途中下車し散歩して見たらほとんど取り壊されていてショックでした。どうなるのか心配になり烏山団地でググッたところ貴兄のブログにたどり着きました。懐かしい画像本当にありがとうございました
  1. 2011/05/21(土) 10:56:15 |
  2. URL |
  3. Shige #-
  4. [ 編集]

Shigeさんへ

コメントへの書き込み、ありがとうございます。
S36年と言うことは、本当に同い年ですね。僕は芦花小中でしたがShigeさんはどちらでした?

8号棟ならフラットタイプの建物で、つい最近まで残っていましたが、今は基礎を残すのみだと思います。
第一団地全体でもあと数棟を残すのみになってしまったのは、本当に残念です。

僕の別ブログの「ちとから散策」では、烏山近辺の名所やお店を紹介しています。よろしかったら、そちらも除いてみてください。
  1. 2011/05/22(日) 23:08:27 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

感無量PartⅡ

先日は通りすがりでコメだけ残しっぱなしで失礼しました
私も芦花小で1-2年の担任は石渡先生、5-6年は宮部先生でした 芦花中に進学しましたが、6月には引越しで転校してしましました 芦花幼稚園から中学まで烏山団地で一緒だったO合君の表札がなくなっていたのも残念でした また、郷愁に触れるべく千歳烏山から芦花公園まで貴兄のブログを参考に散歩しに行きます ありがとうございました
  1. 2011/11/20(日) 21:58:56 |
  2. URL |
  3. Shige #-
  4. [ 編集]

Shigeさんへ

書き込みありがとうございます。
≫5-6年は宮部先生でした
と言うことは3組ですね。 僕は丘先生の5組でした。
一昨年の夏に丘先生もお招きして3年ぶりの同窓会を開きました。
3組だとたまに山田に会うのと、時々烏山で満田ともすれ違います。
O君の家はつい最近までお母さんが住んでいましたが、とうとう引っ越されたみたいですね。
女性陣では3組で今でも会う人はいないですね。
僕は高校も地元の都立千歳なので、今でも小中や高校の友達とも烏山の飲み屋や我が家に招いて飲んでます。

また書き込みをお願いします。
  1. 2011/11/22(火) 10:37:58 |
  2. URL |
  3. 凛太郎 #-
  4. [ 編集]

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