忙しにかまけて パリ旅行記 の更新が前回から2ヶ月以上も空いてしまいました。
先ずは前回の最後に引き続き 教会前の広場から観た サン・シュルピス教会 の外観から。

左右の鐘塔のうち、向かって左側の塔が僅かに高く見えます。
塔の高さは34ⅿ。
左右に鍾塔が聳えるシルエットから、ノートルダム大聖堂の様なゴシック教会かと思ってしまうかもしれませんが、よく見てみると一層目はドリス式、二層目はイオニア式の古典的なオーダー柱を施したローマ式コロネードを用いた重々しいデザインの新古典主義様式の教会であることが分かります。

高さが違って見える鍾塔は、デザインも左右で異なります。
向かって左側の鍾塔は、4方に三角のペディメントを設けた正方形の小神殿風の下部層に、イオニア式の半円形の付柱を施した下部層よりも一回り小さな円形の上層が載っています。

向かって右側の鍾塔は、下部層は4角の面をとった8角形の平面で、ペディメントは半円形になり、上層の付柱が、やけにあっさりとした物足りない仕上がりなのは、未だに未完成だからだという事です。
建設は1646年にのルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュの命により、ルイ・ル・ヴォーを中心に設計が始められます。正面はロココ様式を得意とする建築家メソニエによって1726年によってデザインされますが、後に古典主義様式のジャン・ニコラ・セルヴァンド-ニの案が採用されます。工事は何度も中断されながらも、1745年に完成しますが、1762年には火災、1770年には落雷により正面が破損され、最終的にはシャルグランによって修復されたそうです。何故右側の鍾塔の最上部が、未だに未完成なのかに言及する資料は見付けられませんでした。

A. 出入口の両側の壁龕には、二人の聖人と思われる凛々しい彫像が置かれています。写真は向かって右側の彫像です。

B. 中央出入口辺りから身廊を通して中央祭壇方向を見る。
聖堂の奥行きは最長部で113ⅿ、幅は58mあり、パリではノートルダム大聖堂に次ぐ大きさです。

2. 聖堂内部の平面構成は身廊の両側に側廊を配した3廊式。 短い翼廊的な部分があるので、十字型プランと言えそうです。

側廊の外側に大中小づらりと祭室 ( チャペル ) が並んでいます。どの写真がどの祭室か分かる範囲で、写真に上の図面の番号を記入してゆきます。
先ずは入り口から側廊を時計回りに進んで行きます。

24.

J.

22.

20.

20. キャンドルの光に浮かび上がった彫像が美しいのでアップでもう一枚。

C. 左側周歩廊を見る

D. 中央祭壇 の上部見上げ

D. 中央祭壇

キリスト像

19. ぺテロ像 ?
左側翼廊部に置かれているのは ぺテロ像 でしょうか?

19. ローマのサン・ピエトロ大聖堂内のペテロ像に、顔が似ている気がしますが真偽は分かりません、ただ、右足の足先だけが光っているのは、サン・ピエトロ大聖堂と同じで、皆が御利益御利益を願って触っているからでしょう。
ペテロ像らしき彫像の隣には、この教会が再注目されたきっかけになったものがあります。

19. グノモンの日時計
サン・シュルピス教会 がにわかに再注目されたのは、2003年に出版され、トム・ハンクス主演で映画化もされた ダン・ブラウン作の ダ・ヴィンチ・コード の中で、この白い大理石で造られたオベリスクとその足元から一直線に伸びる真鍮製の子午線が ローズ・ライン と呼ばれて、劇中で重要な要素として登場してからです。

ダン・ブラウンは大好きな作家の一人なので、ローズラインにはちょっと興奮しました。

17. 中央祭壇の後方の周保廊を時計回りに進みます。

16.

15.


13. 教会内で最奥部にある礼拝堂

13. 光に照らされた美しい 聖母子像 が目を引きます。
ジャン・バティスト・ピガール作
美しい模様が現れるコリント式の大理石柱はローマ時代の遺跡だそうです。

13. 天井画は 聖母被昇天 フランソワ・ルモワール作

13.

12. 12・11・10・9 は自信がありませんが前後からたぶん・・・。

11.

10.

9.

8.

E.

F. 右側翼廊辺りから中央祭壇を見る。

6.

H. 説教壇

G. 説教壇

G. 中央祭壇方向を見る

G. 同じ場所から振り返って出入口方向を見る パイプオルガン
1862年にアリスティド・カヴァイエ・コルによって製作されたもの。


5.

4.

3. この彫像も サン・ピエトロ大聖堂 にあった ミケランジェロ作のピエタ に似た雰囲気です。調べてみると、やはり題材はミケランジェロと同じ ピエタ でした。

3. ピエタ オーギュストクレシンガー作

3. 有名な彫像ではないようですが、悲しくも優しい表情が印象的です。

1. 内部の最大の見どころは ドラクロワ のフレスコ画だと思います。

悪魔を撃つ大天使ミカエル ( 天井画 )
天使とヤコブの戦い ( 壁画 )

悪魔を撃つ大天使ミカエル ( 天井画 )

天使とヤコブの戦い ( 壁画 )

I. の位置から前室を見る

B. 中央出入口扉

柱頭部はドリス式見えましたが、足元はオニア式のような・・・?

外はますます暗く成って来ました。


サン・シュルピス教会 の右に見える噴水はヴィスコンティ作の 四人の枢機卿の噴水
ヴィスコンティの噴水 とも呼ばれているそうです。

サン・シュルピス教会 の前から広場と ヴィスコンティの噴水 見る。
- 2020/10/24(土) 16:07:00|
- パリ旅行記
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久し振りに目黒区役所に法令現調へ行って来ました。
目黒区役所は1966年に故村野藤吾氏が、千代田生命保険本社ビルとして設計したもの。
2000年に千代田生命は経営破綻しますが、2003年からは目黒区役所として利用されています。

今回はこの後の予定がありましたので、久し振りの訪問を楽しむことは出来ませんでしたが、何時の間にか庁舎機能を移転してしまった同じ村野藤吾氏が設計した横浜市役所の例もあるので、近いうちにまたやって来たいと思います。
以前の記事は ⇒ 《 こちら 》
- 2020/10/02(金) 17:44:58|
- 建物探訪
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つい10日程前までは家では裸足・袖なし・半ズボンで過ごていて、就寝時もタオルケットだけで充分だったのに、今朝は夏用の布団を掛けても寒く感じるようになりました。
今年は彼方此方で豪雨の長梅雨で、このまま梅雨明けしないのでは? と思わせる程でしたが、いざ梅雨明けしてみれば近年にない猛暑に襲われ、滅多にエアコンを点けない我が家でも、ほぼ点けっぱなしの状態でした。それでも思ったほどは電気代は上がらず、この程度なら来年からは我慢はしないで暑いと思ったら、迷わずエアコンのお世話になろうと思います。
今年の夏はコロナ + 猛暑による熱中症に対する心配など、ストレスの溜まる心配事ばかりだった気がします。
普段は近所の温水プールで週2回は泳いでいるのですが、プールが半年ほどコロナの影響でクローズになってしまい、運動不足で20年振りにギックリ腰になったり、軽い熱中症のような症状になったりもして、健康上にもやや問題ありでした。
どんな時でも疲れた心や体を癒してくれる愛猫が、新たなストレスに襲われているようです。
先輩猫の 蘭 はやっと過ごし易い気持ちの良い季節になったと言うのに、後輩猫のエナに付き纏われているのです。
以前から蘭の寝床に、後からエナが強引に入り込んで、先に寝た居た蘭を追い出してしまう事はありました。それだけなら見ようによっては好きな蘭姉さんに寄り添っているようにも見えなくはありませんが、この態度はちょっと頂けません。


( 蘭 )「おっ重い。ちょっとこの子何時の間に?」
( 父 )「エナ!! 先輩を枕にするのは良くないのでは?」

( エナ )「エナはラン姉ちゃんが大好きニャのね」
( 父 )「それは分かる気がするけど、蘭は迷惑してるようだぞ」
蘭のストレス解消と私運動不足解消を兼ねて、蘭と散歩にでも行ければいいのですが・・・。
- 2020/09/30(水) 10:39:03|
- 猫
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名建築を見て回ることと、猫を可愛がること以外にはこれと言った趣味の無い私ですが、ここ数年は少ない小遣いで手に入る程度ではあるものの、ウイスキーの収集にも手を染めています。

手頃な値段で購入出来るウイスキーの中で、今のところ一番のお気に入りなのが、昔ながらのブレンデッドウイスキーの名酒 オールドパー です。

左側の特級の明記があるボトルは施主からの頂き物。他の2本はリサイクルショップで見付けたものです。
両サイドのボトルはほぼ同じですが、真ん中のボトルはロゴが違います。

真ん中のボトルは後姿も違いが分かります。

真ん中のボトルはなかなかに立派な箱付きです。
上の3本のボトルはどれも「12年」の明記がありますが

こちらのボトルは「12年」の明記がありません。

最初の「特級」の明記のあるボトルと並べてみます。

「12年」以外はかなり近いようです。

最後は Superior と 18年 ラベルは勿論、ボトルのデザインも上のボトルとは違い、栓もコルクです。

後ろにパー爺さんの肖像画が無いのが、ちょっと寂しい気もします。
- 2020/09/27(日) 16:47:48|
- グルメ
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8月末、外構工事が完了し、ついに 大井町の家 が竣工しました。

植物の緑が加わると、外観が映えて見えます。

斜路と玄関、ポーチは洗い出し仕上















リビング前のウッドデッキとルーバ



中庭の白石の竜の髭も映えてます。


- 2020/09/06(日) 11:12:00|
- 最新現場状況
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お盆休み中も外構工事は進行していました。

ヒートポンプ式給湯器と貯水タンクを隠す為の板塀は焼杉です。思った以上に斑の無い焼き目になり、キシダデコール塗りに見えます。



斜路と緑地廻りの縁石の設置もかなり進んでいます。



区画整理地域の為、現在は周りに建物が建っていないので、360°の写真撮影が可能です。





内部の工事は前回の時点で既に終了していますが、まだ撮っていなかったアングルの画像を紹介します。

玄関ポーチから中庭を見る。

障子を開けて中庭を見る。砂利の白が眩しいです。

和室から中庭を見る。

施主自らボルダリングウォールにクライミングホールドを設置。

2階からの見下げ

リビングから和室を見る



間接照明を点灯したところ。

納戸のカーペットも施主自ら行ったDIY
施主の夢と拘りで一杯のこの住宅はもう少しで完成します。
- 2020/08/23(日) 11:10:00|
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蘭は相変わらずエナに付きまとわれて迷惑顔です。

階段で涼んでいても、何時のまにか後ろに・・・

猫台でのんびりくつろいでいた時も

目ざとく蘭を見付けたエナが階段を上って来て

何時の間にか強引に猫台に載り、蘭を追い出してしまいました。

なのでダンボール箱は、喧嘩にならないように2個用意しました。

娘が使っていた本棚の空を見付けて、つかの間の安らぎを感じでいた時も

大急ぎで下の段も空にしたので一安心?

あちこちの椅子もエナが制覇?


テラスでも新米のエナが幅を利かせているようです。

蘭 哀愁の後姿
- 2020/08/14(金) 14:20:00|
- 猫
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オペラ・ガルニエ の見学を終え、この日本来なら昼食をとりがてら散策をする予定だった、カルチェ・ラタン方面に向かうことに。メトロ-オペラ駅からメトロ-7号線に乗り、はっきりとは覚えていないのですがシャトレ駅辺りで下車し、サンミッシェル通りを通ってエドモン・ロスタン広場辺りまで、路線バスを利用して南下したのだと思います。
カルチェ・ラタン地域で最初に向かったのは パリの パンティオン です。
エドモン・ロスタン広場からスフロ通りに入ると、正面に パンティオン が見えて来ます。

パンティオン ( 旧サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂 )
入口に近付くと建物から出てくる人はいますが、中に入ろうとしている人は警備員に制止されているようです。どうやら入場は17時45分までだったらしく、既に閉館時間だったのです。残念!!

パリの パンティオン は、1744年に瀕死の病床から回復したルイ15世が、回復を神に感謝し、パリの守護神である聖ジュヌヴィエーヴを祀る為の聖堂を建設したものです。1755年に設計コンペが行われ、設計者はパリの国王の建築物の監督官だったジャック・ジェルマン・スフロに決定しました。しかし、資金不足や構造的な不備 ( 1778年にドームを支える主ピアに亀裂が見つかり、スフロの死の後、外壁の開口部は塞がれています。) などで完成が遅れ、竣工したのは1792年でした。完成が遅れたことで、フランス革命の波に飲み込まれ、革命政府が聖堂の建築を好まなかったことから、修道士の墓所となる予定だった地下納骨堂は、革命の英雄たちを祀ることとなり「フランス史における自由の時代に活躍した偉人を祀る万紳殿 = パンティオン 」とすることが決められたのです。
万紳殿 として造られた ローマのパンティオン が、キリスト教の聖堂に変えられることでキリスト教徒からの破壊を逃れた歴史とは、逆のケースと言えそうです。
パリのパンティオン には、ジャン・ジャック・ルソー、ヴォルテール、ヴィクトール・ユゴー、キュリー夫妻らが埋葬されています。ナポレオン政権下では一時聖堂としての役割を回復したことも有った様ですが、現在は「フランスの為に尽くした功労者の為の廟所」に落ち着いています。

ペディメントに施された浮彫は、フランスを表す女神が偉人たちに月桂樹を与える姿が描かれているそうです。フリーズ部に刻まれた文字は「偉大なる人々に祖国より感謝を」と記されています。
設計者 / ジャック・ジェルマン・スフロ
建築年 / 1792年
所在地 / パリ5区 パンティオン広場
建築様式 / 新古典主義
以下の画像は、パリを案内してくれた友人が、先月パンティオンを訪れた時の画像です。
広間
真上に地上80mのドームを頂く広間は奥行き110mあり、平面形状や縦横の大きさの割合などは全く異なるものの、どことなくローマのパンティオンの雰囲気を感じさせる内部空間です。
フ
フーコーの振り子
ドームの真下はフーコーの振り子の実験が行われた場所で、一日を刻む振り子が設置されています。

地下納骨堂
残念ながら パンティオン の内部の見学が出来なかったので、パンティオン広場に面する酷似したデザインの二棟の建物の写真を撮ってみました

パリ5区 区役所
パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて左側。

ソルボンヌ大学
パンティオンを背にしてスフロ通り方向を向いて右側。
よく見ないと、同じ建物を撮影したかと勘違いするほど酷似した二棟の建物です。
時間は既に18時を回っていたのでじきに暗くなる筈です。急いで来た道 ( スフロ通り ) をエドモン・ロスタン広場まで戻りバス停を探します。カルチェ・ラタン辺りで見たかった建物は パンティオン 以外に サン・ジェルマン・デ・プレ教会、サン・シュルピス教会、リュクサンブール宮殿と公園 など幾つも在りましたが、全て廻る時間も体力も残っていません。
サンミッシェル通りをでバスに乗ったのは確かなのですが、パリ在住の友人と合流した後は、着いて行くだけで何処に向かっているのか分からなくなっていました。友人が乗るバスを間違えたのか、バスの窓からリュクサンブール公園を見学出来るようにしてくれたのかは分かりませんが、バスはサンミッシェル通りを南へ向い、モンパルナス通りを右折、次はラスパイユ通りも右折して、リュクサンブール公園を大きく回ってヴォージラール通りとの交差点辺りまでやって来ました。途中でバスを乗り継いだのか、所々歩いたのかははっきりとは覚えていません。

写真に撮ったこの街並みが何処なのか、全く分からなかったのですが、時間を掛けて記憶をたどり、ストリートビューを駆使して探し回り、ラスパイユ通りとヴォージラール通りとの交差点辺りだと分かりました。この後はヴォージラール通りに入り進んで行くと。

パリ・カトリック学院
赤煉瓦と白い石のツートンカラーの外壁に

窓下のデザインが目を引きます。
ヴォージラール通りを リュクサンブール宮殿 方向に進み、アッサス通りとの交差点には、ついシャッターを押したくなる建物が並んでいます。

アーサーベルネ医院
斜向かいのこの建物の赤煉瓦と白い石のツートンカラー。
この建物の装飾も見事です。
更にヴォージラール通りを リュクサンブール宮殿 方向に進むと左手に

サン・ジョセフ・デ・カルム教会
この教会にはベルニーニ作の「聖母子と幼子」が在るそうです。
残念ながら今回はスルーしました。
更に直進してギヌメ通りとのT字路には

Crédit du Nord ( 金融機関 )
この建物も見事な装飾とデザインの建物です。
右手にはリュクサンブール公園が見えて来ました。

リュクサンブール美術館
1750年に リュクサンブール宮殿 の東棟内に設置され、当初は、ルーベンス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、レンブラントといった王室コレクションを展示していましたが、ルーヴル美術館 に移管され、1818年に リュクサンブール美術館は 生存する芸術家のための美術館となり、アングル、ドラクロワ等の作品が展示されます。現在の建物は、元老院が リュクサンブール宮殿と庭園 の管理をすることになった1886年にを建築されました。1937年に国立近現代美術館が建設されると閉館されますが、1979年に再び公開され、2000年からは再び元老院が管理を行なっています。
リュクサンブール美術館 の前で、左折してフェルー通りにを1~2分進むと、お目当ての サン・シュルピス教会 が見えて来ました。

サン・シュルピス教会

次回は サン・シュルピス教会 の内部を紹介します。
- 2020/08/13(木) 15:43:00|
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先週には建物本体の工事は完成し、工事はいよいよ大詰めの外構工事が始まっています。


内部の工事は先週の段階で99%以上完成していたので、殆ど変わりはありませんが、この日は時間があったのでゆっくり写真を撮ることが出来ました。

リビングスペース

ダイニングスペースからキッチンとリビングを見る。

システムキッチンはサンワカンパニー製。お洒落でリーズナブル。

リビングスペースから和室を見る

和室~リビングスペース間の木製建具

和室からリビングスペースを見る
LDKに戻ってブルーライトの間接照明を点灯してみましょう。

照明計画 及び 照明器具 は施主自ら考えて選定したものを使用しています。




梁から吊るされている金属板はプロジェクター設置用です。



食器棚の上下に間接照明を設置。

食品庫

玄関ホール

玄関土間は洗い出し仕上

玄関に隣接するシューズクローク

洗面ボールは施主支給品



鏡と窓の高さを合わせるのも施主が拘ったデザイン。

トイレの壁の突起はオブジェ。


主寝室

予備室の部屋ですが勾配天井、壁仕上、ボルダリングウォール等遊び心溢れる部屋になっています。

2階の床は施主がDYIにより施工する予定です。

台形の開口部はボルダリングウォールの部屋に繋がっています。

納戸のボルダリングウォール用の開口からの見下げ。

納戸からLDKを見下げる。

ルーフバルコニーから、中庭越しに納戸と洋室を見る。

ダイニングスペースの高窓を見る。
- 2020/08/12(水) 12:57:00|
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オペラ・ガルニエ の三回目です。
グラン・ホアイエ の見学を終え、太陽の間 へ向かいます。

太陽の間 ( SALON DU SOLEIL )
太陽の間は小さな円形のサロンで、天井には夜空に光る星空のようにも見えますが、太陽の間 と言うからには、太陽が描かれているのでしょう。( 今回は見学していないのですが 月の間 と言う対の間が在るようです 。)
( GALERIE DU GLACIEL ) を通って
グラシエの間 ( SALON DU GLACIER )
と比べると、広い円形の グラシエの間 は、淡い色使いとぐるりと周囲に配された窓の為に明るい空間です。
ジョルジュ・クレラン作の天井画は酒の神であるバッカスの巫女などが描かれているそうです。

シャンデリアや天井の装飾も見事です。

オペラ座図書館・博物館
フランスのオペラやバレーの楽譜など、貴重な資料が収められているそうです。

アヴァン・ホワイエ ( AVANT FOYER )
アヴァン・ホワイエ は 大階段 の吹抜けに面し グラン・ホワイエ との間に位置します。
左に見える吹抜け空間が、大階段 の在る吹抜けです。

アヴァン・ホワイエ のバルコニーから 大階段 の吹抜けを見る。



アヴァン・ホワイエ のや大階段廻りの回廊にはオペラやバレーの衣装が展示されています。


階段を下りながら、大階段 の詳細と吹抜けの周りをじっくりと見て回ります。

大階段 の側面。

このフロアレベルにも色々な衣装や覆面が展示されています。


大階段 の裏側も改めてじっくり見てみましょう。
人も少ないし 裏側は見応えのある場所です。



最初に見た ピュティアの泉 です。



もう一度 大階段 の前に戻って来ました。




最後にイジドール・ピウス 作の天井画アポロンの勝利とエントランスホールの美しい大理石の床を紹介して オペラ・ガルニエ を後にします。

- 2020/08/10(月) 15:43:00|
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梅雨明けと同時に、外構工事を残し、建物本体の工事が完了しました。

この建物はZEH支援事業対象建物なので、屋根には太陽光発電パネルが設置されます。











- 2020/08/03(月) 17:45:31|
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現場の工事はいよいよ大詰めです。先週は木製建具・造作家具の取付と衛生・電気設備機器の取付工事が行われました。


シーリングファンも設置済みです。


木製建具・造作家具の取付もかなり進んでいます。


この木製建具は引込部分に上枠や吊レールがありません。当初は上部ガイドとVレールとで対応しようかと思っていましたが、創建の野原社長と建具屋さんの提案で、Vレールは取止め、引出し用のスライド金物で上部のぐらつきを最小限にすることが出来ました。



勾配天井最低部には間接照明が設置されています。


天井仕上げは構造用合板やOSBにクリアー仕上




洗面ボール・洗面水栓、洋風便器や手摺、タオル掛け、換気扇も設置されています。
内部の工事は大詰めです。来月から外構工事が始まります。
- 2020/07/27(月) 11:25:47|
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オペラ・ガルニエ の二回目です。

観客席を見学出来る、1階のバルコニー席に向かいましょう。

バルコニー席は升席の様に個々に仕切られているので、各々に専用の扉があります。

床はモザイクタイル貼り

左端の開いている扉から客席を見学出来るようです。

早速客席に入ってみましょう。

劇場内は赤い座席と金色の装飾で眩いばかりの豪華さです。

観客席は奥行き巾共に31m。高さは20mです。

「夢の花束」マルク・シャガール作
現在の天井画はシャガールによるもので古典的なものではなく、1964年にオペラ座やエッフェル塔、凱旋門等のパリの名所が描かれています。以前はジュール=ウジェーヌ・ルヌヴーによって描かれたものでした。

中央のシャンデリアの重量は7tと記されている資料と8tと記されているものも有ります。1896年には落下事故も起こったそうです。


ドーム天井を支える2本で一対の柱の頭部を飾る黄金の装飾のは、目を引かずにはいられません。



座席だけでなく隣との仕切り壁の赤い布クロスも豪華さを強調しています。赤い壁ってあまり見たことはありません。

もう一つの見どころ グラン・ホワイエ に移動する前に オルセー美術館 にあった オペラ・ガルニエ の断面模型をご覧ください。

グラン・ホワイエ は写真向かって右端の縦長の吹き抜け空間で、正面出入口の直上に当たります。

ホワイエとは劇場建築において、エントランスホールと観客席の中間地点に位置する人溜まりのスペースで、公園時間の前後や休憩時間に、観客が休憩する為の空間です。

勿論、この グラン・ホワイエ は他に例を見ない豪華な装飾が施され、まるで ヴェルサイユ宮殿の鏡の間 を彷彿とさせる空間で、広さは幅13m、長さ54m、高さは18mあり、ミューズ達が描かれた天井画や、2本で一対のコリン式の双子柱をはじめとした、黄金に彩られたスタッコ装飾で飾られたネオ・バロック様式の空間です。

天井画は観客席と同様の シャガール の作品。





息を飲むような美しく豪華な装飾です。


- 2020/07/26(日) 11:11:00|
- パリ旅行記
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7月23日だと言うのに、梅雨が明ける気配がありません。新型コロナウイルスが無ければ、今日はオリンピック開幕の筈でした。テレビもオリンピックの話題で持切りになっていたところでしょうが、「GO TO トラベル」を「GO TO トラブル」やら、「観光拡大キャンペーン」を「感染拡大キャンペーン」やらのネガティブな報道ばかりがです。速報でも「東京の新規感染者が360人」との驚きのニュースも飛び込んで来ました。

二度目の梅雨体験のエナは、陽の当たっていない出窓でゴロゴロしています。
エナ 「コロナででテラスに出してもらえないので、つまらないニャン」
父 「コロナでじゃなくて雨だからだよ」

雨で寒かったのか、何時の間にかエナは先輩猫の 蘭 が寝ていたベッドにもぐり込んでいます。

蘭 が他のベッドに移動すると、エナ も後を追って移動します。
蘭 「 濃厚接触で、迷惑ニャネ!! 」
- 2020/07/23(木) 10:18:00|
- 猫
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セント・シャペル と コンシェルジュエリー の美しさを満喫したところで、この日も仕事を終えた友人が施設の前に来てくれました。午前中に行く予定だった カルチェラタン辺り を散策し、サン・ジェルマン・デ・プレ教会 や パンティオン を見学しようかとも考えましたが、妻と友人と相談のうえ オペラ・ガルニエ へ向かうことにしました。
サンジュ橋を渡り、シャトレ駅からメトロ-7号線に乗車、オペラ駅で下車すると オペラ・ガルニエ の目の前の広場に出ます。

オペラ駅は宿泊しているホテルから、メトロ-3号線で乗り換え無しで直通で来れるので、この場所から オペラ・ガルニエ を見るのは三度目でしょうか?

同じ場所から ルーブル美術館 方向を見る。
ルーブル美術館 に真っすぐ続くオペラ大通りは、19世紀後半にセーヌ県知事オスマン男爵によって行われた、都市改造計画の一環として造られたものです。

半円アーチの出入口の間に有名作曲家の胸像が並びます。中央がモーツアルトの胸像、その向かって左はベートーベンの胸像です。
半円アーチに支えられる2層レベルのバルコニーには、2本一対のコリント式のジャイアントオーダーに一回り小さなコリント式のオーダー柱が添えられています。
日程に余裕があれば、安い座席も在るのでオペラ観劇を勧められたのですが、日程に余裕は無く、建物の見学だけで諦めました。
オペラ観劇の場合は、この正面からの入場になりますが、見学ツアーは西側の出入口からの入場になります。

西側立面は中央のバロック調のドームが印象的です。
建物の中心の大ドームが少しだけ見えています。大ドームの背後の切妻の頂上に立つアポロンの像も少しだけ見えます。

小さくて分かり難いですが、左右の斜路の中心に設置されているのは、設計者の シャルル・ガルニエ の銅像です。

西側出入場口から入場する前に、北側の立面も見てみましょう。

北側の立面は、正面 ( 南側 ) ・側面 ( 西・東側 ) とは全く違うデザインで、巨大な切妻は迫力満点です。

西側の入り口を入るとチケット売り場の窓口があり、その奥に 円形ロビー( ロンド・デ・サンテ ) が現れます。このホールは建物の中心にある大ドームの真下、また観客席の直下に当たる場所で、車で直接乗り付けられるので、上流階級の為の特別室でもあります。
大階段の在る建物正面の玄関ホール方向へ進みます。

ピュティアの泉
美しい大理石で造られた左右の階段を上ると玄関ホールです。この天井は 大階段 の裏側に当たります。

向かって左側の階段

向かって右側の階段を上って玄関ホールへ

見どころばかりの オペラ座 ですが、 大階段 は一・二を争う見事な空間です。柱・壁・天井の全てに見事な装飾が施されていますが、色彩がシックなので、意外にやり過ぎ感はありません。

大階段 ( GRAND ESCALIER )
階段を上った踊り場状のレベルに、観客席に向かう出入口が在ります。そこから左右に分かれる階段の構成が、この美しい 大階段 の特徴です。

この絵は オルセー美術館 に展示されていたものです。

大階段 の吹き抜けの高さは30mあるそうですが、圧倒的な迫力の前に、私にはそれ以上に感じました。

大階段 を上がります。

カリアティードの門
踊り場の正面には、悲劇と喜劇を表す美しい彫像が支えるペディメントをくぐり、観客席に向かうことになりますが、もう少し 大階段 の周りを見学します。

踊り場から登って来た階段 ( 正面玄関 ) 方向を見返す。

トップライトと天井画に飾られた大天井は、連続する半円アーチとそれを支える2本または4本一対で、大理石で造られたイオニア式のオーダー柱で支えられています。

天井画は イジドール・ピウス 作の アポロンの勝利 等
オペラ・ガルニエ は1989年に、バスティーユ広場に面して建てられた 新オペラ座 ( オペラ・バスティーユ ) に対し、旧オペラ座 または単に オペラ座 、または設計者の シャルル・ガルニエ の名前から オペラ・ガルニエ と呼ばれています。
1860年に ナポレオン3世 の発案により行われた設計コンペに寄せられた171案の中から、若干35歳の シャルル・ガルニエ が採用されたのです。バロック様式から新古典主義までが混在する建築様式を設計者の ガルニエ は ナポレオン3世様式 と言ったらしいです。
設計者 / シャルル・ガルニエ
建築年 / 1875年
所在地 / パリ6区 オペラ広場
- 2020/07/21(火) 12:25:00|
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先週は主に内装のクロス貼りの作業が行われました。

建物本体の外観は2週間前から殆ど変わりがありません。


変化があったのは、ヒートポンプ式給湯器の室外機と貯湯タンク、
エアコンの室外機が設置されたことでしょうか。
断熱材同様にZEH支援蒔事業には大変重要な機器なので、写真撮影し、報告書を提出する必要があります。

先週雨の為に延期になった、バルコニーの笠木&手摺も設置が完了しています。


内部の工事はクロス貼りの作業が9割程度が終了していました。



右上の写真。狭い壁の窪みに、這いつくばって作業をしてくれています。「ありがとうございます。」

壁に白いクロスが貼られることによって、木部が鮮やかに見えるようになります。



天井のフックはハンモック吊り下げ用。



このロングアイボルトはボルダリングウォール補助ロープ用。

- 2020/07/20(月) 13:04:34|
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今回は外部の工事の進行は無し。現場に着く少し前までルーフバルコニーのアルミ手摺の取付をしていたらしいのですが、雨の為に延期になりました。
アルミ手摺の他は、外部は外構工事を残すのみです。
内部は塗装工事が完了し、今週はクロスなどの内装工事が始まります。

リビング & ホームシアター スペースはウエスタン・レッド・シダー張り。
ウエスタン・レッド・シダーはクリアー塗装を施すと落ち着いた色合いになります。

貼りは米松、束は杉を使用しているので、今はそれ程色味に違いはありませんが、数年すると松は赤茶に変化します。施主はその変化を楽しみたいと言っています。
天井に使用したOSBはクリアー塗装を施すと、ウエスタン・レッド・シダーと同様にいい感じに落ち着いた風合いになりました。







二層吹き抜けの部屋にはボルダリングウォールを設置。壁の一部は木毛セメント板にローラーで白色塗装を施しました。
天井はラーチ合板にクリアー塗装です。
- 2020/07/13(月) 18:23:44|
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外部の工事はほぼ完了し足場とシートが外され、建物の全貌を見ることが出来るようになりましたが、先週に続いて雨混じりのスッキリとしない天候なのが残念です。









耐久性を重視し、玄関庇の破風にもガルバニウム鋼板を巻く予定でしたが、施主の希望もあって、このまま木部現しになりました。




内部の工事は大工さんによる木工事が終了し、昨日の現場は塗装工事を行っています。


木部には着色はせず、クリアー塗装ノミとして木そのものの持つ色合いと、経年変化を楽しむことになりました。ただ一口に木部と言っても「杉」「松」「ウエスタンレッドシダー」「ゴム集成材」「針葉樹合板」「シナ合板」「OSB」など色々あるので、同じ色合いになるわけではありません。

和室前の庇は施主の遊び心






- 2020/07/05(日) 18:13:00|
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コロナ渦で憂鬱で心配な日が続いていますが、我が家はニャンコのこの表情に癒されてます。

「ニャッ!!」 ( エナ )
- 2020/07/03(金) 16:52:07|
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大工さんによる木工事、外壁サイディング工事が大詰めです。

2階部分の白いサイディングもほぼ張り終わっています。



区画整理内の近所の工事中の新築建物は、住宅密集地に建つ都市型住宅の様なデザインの建物ばかりなので、2階は一部屋だけのほぼ平屋に近い大屋根の外観は、目を引く存在になっていると思います。








ラワン合板の部分はボルダリングウォール。梯子が立掛けてある壁は木毛セメント板張りで、ローラーで白くペイントする予定です。

毎回紹介している階段手摺も完成しています。

納戸からLDKを見る。天井はOSB + 有孔OSB貼り (CL) 仕上げ。
木工事の完成が近いので、塗装と木製建具の打ち合わせも行いました。

塗装業者さんに塗装サンプルを作成してもらい、施主に決めて頂きます。
- 2020/06/29(月) 10:51:17|
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今回は大工工事 ( 内部造作工事 ) と破風板金と外部金物取付工事等を紹介します。
先ずは外部から

外壁仕上げ材として採用したガルバニウム鋼板製金属サイディング ( ガルステージ )は、施工済みま黒色の部分と白色の部分のツートンカラーとなり、白色部分の設置工事が進行中です。





屋根周りの工事は9割程度完了し、破風板金や各換気金物の設置、軒天の設置も大詰めです。





LDKの天井材設置工事が完了しました。OSBにクリア塗装仕上げとなる予定です。


和室の造作工事も順調です。

各室の木製建具枠、家具工事も順調で今月中には終了出来そうです。


- 2020/06/22(月) 11:01:56|
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若さ故の身軽さで、エナが勢力拡大を狙っています。

猫台も

ロフトも

丸窓も

子供部屋の洋服ダンスの上まで、高い場所はと言う場所は、今やエナの勢力範囲になってしまいました。

負けるな!! 蘭!!
「高い場所は暑いのにニャ。涼しい階段は死守するニャネ!!」
- 2020/06/17(水) 17:59:45|
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今回は コンシェルジュエリー を紹介します。
サント・シャペル の見学を終えて パレ・ド・ジュスティス の前へ出て来ました。
パレ・ド・ジュスティス ( パリ司法宮 )
パレ・ド・ジュスティス は、かつての王会( 国王顧問会議 )の建物で、元はカペー朝時代の王宮 ( シテ宮 ) 。コンシェルジュエリー 、サント・シャペル など、様々な王宮当時の遺跡が残っています。

サント・シャペル と パレ・ド・ジュスティス
パレ・ド・ジュスティス と コンシェルジュエリー

コンシェルジュエリー

元はフィリップ4世の宮殿 ( シテ宮 ) として14世紀に創建。その後シャルル5世によって放棄され、1370年からは牢獄として使われました。フランス革命時には隣接する革命裁判所で2780名に死刑判決が下され、多くの王族・貴族が投獄されます。「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれる恐怖政治の象徴でした。1793年にはマリー・アントワネットも投獄されています。第一帝政期になっても牢獄として使用されますが、1934年に牢獄としての機能は停止され、現在はパリの パレ・ド・ジュスティス( 司法宮 )の一部として、観光名所となっています。

ジャンジュ橋から見る


シーザーの塔と銀の塔
コンシェルジュエリー の名は、旧王宮の司令官、守衛(コンシェルジュ)がいた場所からとったものです。

衛兵の間
ゴシック様式で造られた衛兵の間は兵士達の食堂としても使われました。床面積は1800㎡もあり、4つの広間から出来ています。

高さが8.5mあるリブヴォールトの天井が、柱頭部の照明によって美しく浮かび上がります。






死刑執行準備室を再現したものです。
当時の牢獄は有料だった為、払った額に応じて監房にはランクがあり、最も貧しい者は「わら族」と呼ばれ、藁が敷かれた雑居房で寝かされ、非常に不衛生だったそうです。中流層の囚人の房には簡単なベッドが在り、4~5人で使用。富裕層や著名人の房は家具の在る独房だったとか。


この部屋では、死刑執行のための準備が行われました。

囚人用の礼拝堂
ここが死刑囚達が断頭台へ向かう荷車を待つ場所だそうです。
コンシェルジュエリー の見学を終えたところで、この日も友人が施設の前に来てくれました。サン・ジェルマン・デ・プレ教会 に行こうかと思っていましたが、相談のうえ オペラ・バスチーユ へ向かうことにしました。
- 2020/06/16(火) 08:00:00|
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今回は大工工事 ( 内部造作工事 ) を中心に紹介しますが、先ずは外部から

西面・南面
画像ではシートで良くは見えませんが、1階部分の工事は完了しています。

外壁サイディングは、1階が黒、2階は白のツートンカラーになります。


東面

手間の掛かった腕木周りも綺麗に納まりました。

LDKは木製建具枠や家具工事が少し始まった程度で、画像では先週とそれ程変わった感じはしませんが、外壁に面する石膏ボードの二重張りなど、着実に工事は進んでいます。


ラワン合板の部分はボルダリングウォール。

階段の設置も進んでいます。

主寝室は窓下カウンターの工事が進行中。
天井はこのまま構造材表しとします。

階段腰壁兼小物棚。

この部屋は小屋梁の下端ノミを表します。

納戸は壁・天井共に石膏ボード貼りが完了しています。
- 2020/06/15(月) 12:00:10|
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今回は サント・シャペル を紹介します。
当初の予定では、この後はカルチェラタン辺りを散策しがてら昼食をとり、サン・ジェルマン・デ・プレ教会 を見学する予定でしたが、 アンヴァリッド と オルセー美術館 の見学に時間をとり過ぎたので、予定を大きく変更して サント・シャペル へ向かうことにしました。
オルセー美術館 前のミュゼ・ドルセー駅からRER-C線に乗り、サン・ミシェル・ノートルダム駅で下車し、サン・ミシェル橋を通ってシテ島に渡ります。

サン・ミシェル橋から、修復工事中の ノートルダム大聖堂 を見る。
サン・ミシェル橋を渡り、そのままパレ通りを進んで サント・シャペル へ

サント・シャペル
パレ・ド・ジュスティス の門前から サント・シャペル を見る。
サント・シャペル は現在は パレ・ド・ジュスティス の一部となっています。
高さ75mの尖塔は、落雷や革命の為に何度も倒壊し、現在の尖塔は19世紀に再建されたものです。

サント・シャペル とは「聖なる礼拝堂」という意味で、ルイ9世がラテン帝国皇帝から譲り受けた「キリストの荊の冠」と「磔刑の十字架の断片」の聖遺物を安置することを目的に建てれた礼拝堂で、ゴシック建築の傑作として知られる建物です。
昨年発生した火災により ノートルダム大聖堂 の内部の見学が出来ない今回のパリ旅行では、この サント・シャペル が最も見てみたい建物と言えるでしょう。


サント・シャペル は、1239年から1248年の10年間に、巨額の建設費を投じて建設されますが、王が聖遺物を手に入れる為にラテン帝国皇帝に支払った金額の1/3だったとか。

さあ、いよいよ内部の見学です。

下部礼拝堂
先ずは1階の 下部礼拝堂 から見てみましょう。

宮廷の廷臣や使用人だけでなく、一般庶民も利用出来る礼拝堂であり、上部礼拝堂 と比べ天井高は7mしかありませんが、眩いばかりの美しい礼拝堂です。



この小さな通路から 上部礼拝堂 へ登って行きます。

上部礼拝堂
天井高さは20m。「キリストの受難」「黙示録の書紀者聖ヨハネ」「キリストの幼少時代」時代などが描かれたステンドグラスは、ゴシック建築の最高峰と言っても言い過ぎではないと思います。




息を飲むような美しさです。




15世紀にシャルル8世が献上したバラ窓には「黙示録の主題」が描かれています。





- 2020/06/12(金) 16:30:00|
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今回は オルセー美術館 を中心に紹介します。
アンヴァリッド広場からサン・ドミニク通りを通って オルセー美術館 へ向かいます。サン・ドミニク通りは ブルボン宮殿 裏口の在るユニヴェルシテ通りの一本南側の通りです。
休日の官庁街だからか、時折車が通るだけで殆ど人は歩いていません。そんな静かなサン・ドミニク通りを歩いていると、右手に小さな公園が在り、その奥に高さ69メートルの2つの尖塔とバラ窓を持つゴシック教会の見本の様な教会堂が聳えています。

サント・クロチルド教会
設計者 / フランツ・クリスティアン・ガウ
建築年 / 1857年
所在地 / パリ市7区
フランツ・クリスティアン・ガウはパリにおけるゴシック復興に尽力したドイツ出身の建築家で、サント・クロチルド教会 はパリ市で最初のネオゴチック建築です。
ガウの設計・監理により、1846年に着工されますが、病気の為にテオドール・バリューが監理を受け継ぎ1857年に完成します。
もしもう一度パリを訪れる機会があれば、是非内部を見学してみたい教会堂です。
更にサン・ドミニク通りを東に進み、左手に在るジャック・バンヴィル広場を通り抜けます。

国防省 ?
ジャック・バンヴィル広場とサンジェルマン通りの角地に在る時計塔。
ソルフェリーノ通りを北に進み、リール通りとの交差点を右折すると

レジオン・ド・ヌール勲章博物館
リール通り沿いに在る、まるで 凱旋門 のような入口の両側には、イオニア式オーダーを施した列柱が配されています。
サルム館 として18世紀に建設され、1804年にレジオン・ドヌール勲位局に制定され、以来 レジオン・ドヌール館 となっています。
設計者 / ピエール・ルソー
建築年 / 18世紀
所在地 / パリ市7区
レジオン・ドヌール勲章とは、ナポレオン1世により制定され、国家に功績をもたらした人に与えられる名誉ある称号です。館内には歴史ある多くの勲章が展示され、フランスのみならず世界各国の勲章も見ることが出来ます。

オルセー美術館 ( 西南西側立面 ) が見えて来ました。
以下は一日目に撮影したセーヌ川沿いのアナトール・フランス通りからの写真


セーヌ川対岸からの全景
内部に入りましょう。

オルセー美術館 の建物は、元は1900年にパリで開催された万国博覧会の際に、ヴィクトール・ラルーの設計により、オルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナル駅駅舎兼ホテル として建設されました。

しかし1939年には駅施設を大幅に縮小して近距離列車専用駅となります。その後さまざまな用途に用いられ、一時は取り壊しの話も上がりますが、保存活用策が検討され、イタリアの建築家ガエ・アウレンティの設計ににより改修され、1986年に「19世紀美術を展示する美術館」 オルセー美術館 として生まれ変わったのです。
設計者 / ヴィクトール・ラルー 改修設計 / ガエ・アウレンティ
建築年 / 1900年 改修年 / 1986年
所在地 / パリ市7区
ガラス屋根の中央ホールは、駅舎当時の地下ホームの吹き抜け構造活かしたデザインになっており、多くの彫像が展示されています。

各所に駅舎当時の痕跡が見られます。

中央ホールには、主に彫像が展示されています。
「地球を支える四つの世界」ジャン=バティスト・カルボー作 ( 1872年 )





「ダンス」ジャン=バティスト・カルポー作 ( 1863-1869年 )
中央ホールの両脇は主に絵画の展示室になってます。

「オランビア」マネ作 ( 1863年 )
「笛を吹く少年」マネ作 ( 1866年 )
「落穂拾い」ジャン=フランソワ・ミレー作 ( 1857年 )


「牧羊場の羊の群れ」ジャン=フランソワ・ミレー作 ( 1861年 )

「踊るジャンヌ・アヴリル」
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作 ( 1892年 )

「オステリアのマリア-聖餅の聖母」
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル ( 1854年 )


「ロベール・ド・モンテスキュー伯爵の肖像」
ジョヴアンニ・ボルディーニ作 ( 1897年 )

「カフェにて ( アブサント ) 」エドガー・ドガ作 ( 1873年 )

「14歳の踊り子」エドガー・ドガ作 ( 1881年 )



「退廃期のローマ人たち」トマ・クチュール作 ( 1847年 )

「草上の昼食」エドゥアール・マネ作 ( 1865-1866年 )

「草上の昼食」エドゥアール・マネ作 ( 1862-1863年 )

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
ピエール=オーギュスト・ルノワール作 ( 1863年 )

「田舎のダンス」ピエール=オーギュスト・ルノワール作 ( 1883年 )

「都会のダンス」ピエール=オーギュスト・ルノワール作 ( 1883年 )

「青い睡蓮」 クロード・モネ作 ( 1916-1919年 )

「モネの家の庭」 クロード・モネ作 ( 1900年 )

「ロンドン、霧の国会議事堂 」 クロード・モネ作 ( 1904年 )
「日傘の女-左向き」クロード・モネ作 ( 1886年 )

「日傘の女-右向き」クロード・モネ作 ( 1886年 )

「リンゴとオレンジ」ポール・セザンヌ作 ( 1899年 )

「弓を射るヘラクレス」アントワーヌ・ブールデル作 ( 1924年 )

絵画や彫像だけでなく、アール・ヌーボーの美しい家具の展示もありました。











最後に オペラ座 の模型を紹介します。

かなり長い時間、どいてくれるを待ったのですが、この人も真剣に模型を眺めていたので諦めました。

この絵は オペラ座 のホワイエを描いています。


既に2時近くになっていたので、美術館のカフェで軽く昼食にしようかと思っていましたが、この混み用なので諦めて、次の目的地である サン・ジェルマン・デ・プレ教会 に向かいます。
- 2020/06/11(木) 18:12:00|
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最新の断熱性能を有する足柄上郡大手町の住宅と比べると、今年で築25年を迎えた我が家では、発泡ウレタンを外壁では20㎜、屋根は60㎜吹付けただけ、窓もペアガラスではないので、断熱材は無いに等しい状態です。

それでも冬場は日当たりの良さ、夏場は風通しの良さで、意外と快適に過ごせています。
ニャンズも満足してくれていると良いのですが・・・。
とは言え陽当りの良い出窓でこの状態では、暑くない訳はありません。

最初は蘭が寝ていたところに、新参者のエナが「どけっ」とばかりにベッドに乱入!!

何時もなら、あっさりとベッドを譲る蘭なのですが、この日は頑張ってます。

仲がいいのか悪いのか? 良く分からないニャンズです。

- 2020/06/10(水) 07:30:00|
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(株)創建の野原社長の段取りの良さもあり、この現場では新型コロナウイルスの影響を殆ど受けることもなく、6月に入っても現場は順調に進行しています。

ガルバニウム鋼板製金属サイディング ( ガルステージ ) の設置工事の進行状況は50%程度でしょうか?

アイジー工業のガルステージは表面材の遮熱性フッ素樹脂塗装ガルバニウム鋼板に、約15mmのポリイソシアヌレートフォームが裏打ちされた金属製サイディングで、それ自体に断熱性能がある外壁材です。この建物は通期工法を採用しているので、外壁材の裏には外気に通じる通気層があるり、ガルステージ自体の断熱性能を、外壁全体の断熱性能にカウントする事は出来ませんが、特に夏期において、外壁面に直射日光を受けた場合に、通気層の温度上昇を軽減する効果を期待出来るので、当事務所では頻繁に採用している外壁材です。
窯業系サイディングとの比較では、軽さもメリットの一つです。短所としては、窓周りなどの切断部の納めには手間が掛かる事があげられます。

庇を支える腕木や小窓が多い東面は手間が掛かるところです。
窓や換気扇などの開口部周りの防水処理もしっかりと行われています。

基礎・土台水切り
この建物は「長期優良住宅」の認定を受けているので、外壁と基礎を見切るこの水切りは必須です。
主な役割としては、外壁を伝う雨水が、外壁と基礎の接合部から雨水の侵入を防ぐ役割や、通気層と外気を結ぶ役割などがあります。

屋根周りでは軒天工事が進行中で、軒先換気金物の設置が終わっていました。
外壁の通気層や小屋裏の換気を担う、空気の出入口になります。

勾配天井部の断熱材の設置状況。
外壁同様に隙間なく防湿シートを設置します。

この工事はZEH支援事業による工事ですので、施工状況の写真やメーカー出荷証明書などの提出が必要になります。

天井断熱部。
断熱性能を高める為、厚さ100mmと89mmの高性能グラスウール16 を重ねて設置します。


壁面は石膏ボード、天井面は断熱材と石膏ボード貼りが進行中で、所々カウンター取り付けなどの木工事も行われています。

- 2020/06/09(火) 11:28:00|
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今回は アンヴァリッド を紹介します。
ブルボン宮殿 東裏側出入口の在るユニヴェルシテ通りのを西に進みむと、目の前に芝生の庭園が広がります。
右手 ( 北側 ) を見ると、セーヌ川の対 ( 右 ) 岸には

グラン・パレ
グラン・パレ の巨大なガラス張りの屋根が見えます。
左手 ( 南側 ) には、目的地の黄金のドームが・・・。

アンヴアリッド
横幅196mもの巨大な建物の中央に黄金のドームが輝いています。一見しただけでは一体の建物に見えますが、実際には黄金のドームを頂く サン・ルイ礼拝堂 はずっと後方に在るのです。


設計者 / リベラル・ブリューアン
建築年 / 1674年
所在地 / パリ市7区
アンヴアリッド はナポレオンの墓所がある建物と知られていて、ガイドブック等には「ジュール・アルドゥアン・マンサールの設計」と記されていることが多いですが、マンサールが手掛けたのは黄金のドームの サン・ルイ礼拝堂 だけで、施設の大部分はルイ14世によって負傷したり年老いて引退した兵士 ( 廃兵 ) を収容するための療養施設 ( 廃兵院 ) で、1674年にリベラル・ブリューアンの設計で建てられました。

門に近付くとドームが見えなくなりました。パリの歴史的建築物は、金を施した門が多い気がします。ブランス人はよっぽど金が好きなようです。
この辺りにバロック建築の特徴がみられます。
入口から 廃兵院 の中庭へ
左右対称の広い中庭には、花壇や樹木は一切無く、隙間なく石畳が敷き詰められています。

中庭を取り巻く回廊の二階から、中庭とドームを見る。
黄金のドームはまだ先です。
昔は病院だったこの施設も、今では軍事博物館にもなっているので、中庭や回廊の彼方此方に、革命時代の大砲や第一次大戦時代の戦車も展示してあります。






軍事博物館の入口は分かり難いところに在り、回廊を探しあるいて、やっと2階に見つけました。

説明文が読めないので、個別に展示物の詳細は分かりませんが、フランス有史以来の武器や甲冑の他、ナポレオンの遺品も多く展示されているそうです。



写真はごく一部だけで、相当量の剣や銃、そして軍服が展示してあります。
人を殺す道具にも関わらず、まるで芸術品の様に見えてしまいます。
施設のさらに奥にある サン・ルイ礼拝堂 に向かいましょう。

サン・ルイ礼拝堂
旧廃兵院 の後ろには、旧廃兵院 に背を向けるように黄金の サン・ルイ礼拝堂 が建っています。
設計者 / ジュール・アルドゥアン・マンサール
建築年 / 1706年
所在地 / パリ市7区
集中式プランの教会で,上部には巨大な木組み鉛板張りの円蓋を頂き、正面のデザインは2段オーダー,その上部に円蓋を支えるタンブール ( 円筒形の部分) のを重ねる構成はフランス古典主義建築の典型の一つとか。
。
1層はドリス式、2層はコリント式の式のオーダー柱 が並ぶ二層構成になっています。これはルネッサンス様式の特徴でもありますが、フランス・バロック宗教建築の代表例とも言われています。

ドーム教会 に入りましょう。

聖堂内に入りドームを見上げる
天井画はシャルルド・ラ・フォッス作の「楽園の栄光」 ( 1692年 )。ルイ9世が、キリストに剣を差し出す場面を描いたものです。

正面奥の祭壇
コリント式のオーダー柱がドームを支えています。

ドームの真下、集中式プランの中心部分にナポレオンの棺が安置されています。

うねるように曲がる大理石の柱に載る黄金の天蓋



大理石貼りの床はローマで見た教会を思わせます。
地下に下りてナポレオンの棺を近くで見てみましょう。

元はルイ14世がルイ9世の遺体を安置する為と、王家の礼拝堂として建てさせた教会でしたが、1840年には皇帝派と王家の和解の象徴として、セント・ヘレナ島から帰還していたナポレオンの遺体を、墓所が完成した1861年に移したのです。

緑色の花崗岩の台座に赤茶色の斑岩で作られた棺が乗せられています。


- 2020/06/01(月) 16:00:00|
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現場は予定通り順調に進行中です。

比較的天候に恵まれていることに加え、コロナの影響も殆ど受けなかったことは幸いと言うよりも、施工会社の株式会社 創建の野原さんの段取りの良さによるものでしょう。

外壁の仕上材 ( ガルスパン ) の下地となる透湿防水シート ( タイベック ) は貼り終わり、縦胴縁の施工も一部を除いて完了しています。

透湿防水シートとは防水性能だけでなく、室内から壁の内部に入り込んだ湿気を、断熱材 ( グラスウール ) 内に留まらないように、通気層を通して外部に排出する為のもので、気密性能や断熱性能が高い現代の木造建築には、欠かせないアイテムと言うるでしょう。シートの上に取り付けられた木材 ( 縦胴縁 ) は、通気層 ( 仕上げ材の裏側にある通気の為の空間 ) を作るのに必要な部材です。

玄関ポーチとスロープ上の庇の施工も順調です。


屋根仕上のガルバニウム鋼板は葺き終り、屋根換気金物の施工中でした。


室内では1階部分の断熱材の設置は終了しています。

断熱材は高性能グラスウールを使用。断熱材自体にも防湿シートが付帯されていますが、更に防湿シートを貼り込みます。断熱材内に湿気が入り込まないように細心の注意を払い、それでも湿気が入り込んだ場合には、断熱材内に留まらないように、上で説明したように、通気層を通して外部に湿気を出す仕組みです。


この工事はZEH支援事業による補助金の対象となる工事ですので、施工状況の写真やメーカー出荷証明書などの提出が必要になります。

勿論天井部分にも断熱材を施工します。

電気配線やCD管の配管も周利用しています。


- 2020/05/29(金) 11:18:00|
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