アクトデザイン凛太郎のブログ

住まいのこと、ネコのこと、身の回りのこと、今思うことを綴っていきます

ヴェネツィア散策 - 5 広場を囲む建物② 新行政館・コッレール美術館・旧行政館・時計塔

サン・マルコ大聖堂 のテラスから サン・マルコ広場 を見る
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左 / 新行政館  中央 ( 奥 ) / ナポレオン翼  右 / 旧行政館
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サン・マルコ大聖堂 の正面に見る広場は、3棟の長大な建物がコ字形に配されています。
広場に面する1階に廻らされたアーケード ( ポルティコ ) の前には、レストランやカフェのテーブルが置かれ、世界一美しい広場を楽しみながら、食事をしたり、一休みする場を提供するとともに、広場の賑わいも増しているようです。


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ナポレオン翼
ナポレオンが舞踏会などの会場として建てさせた建物なので、この名前が付けられました。
サン・マルコ大聖堂 に対面して広場の西側に建ち、広場から外へ出られるアーケード内の通路 ( ピロティー部分 ) に コッレール美術館 の入口があります。
マルチアーナ図書館と酷似したデザインで、パラペットのデザイン以外はそっくりです。

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アーチを支える柱には、1階はドリス式、2階はイオニア式のオーダーが施されています。

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左 / 新行政館  右 / ナポレオン翼

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新行政官
マルチアーナ図書館ナポレオン翼 の間に在る三層の建物
この建物も1階と2階のデザインは、両側の建物とそっくりですが、2層のフリーズ部のデザインはナポレオン翼に、3階の手摺マルチアーナ図書館 と似ています。
2階にはコッレール美術館歴史館、3階は絵画館になっています。

1階のアーケードには、1720年開業のヴェネツィアに現存する最も古いカフェで、カフェ・ラッテの発祥店として有な カッフェ・フローリアン が在ります。
ヴェネツィアに現存する最も古い喫茶店-1

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カッフェ・フローリアン
今回は写真を撮れなかったので、上2枚の写真は、以前に妻が撮ったものです。

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1階アーケードを支えるアーチドリス式柱の詳細。

  1. 2016/12/27(火) 08:00:00|
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ヴェネツィア散策 - 4 広場を囲む建物① 鐘楼・サンソヴィーノの開廊・マルチアーナ図書館

サン・マルコ広場 を囲む建物を紹介していきます。

先ずは、広場のシンボルの一つと言える
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サン・マルコ鐘楼

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サン・マルコ広場ランドマークであるこの鐘楼が、最初に建てられたのは9世紀までさかのぼります。
何度も倒壊と再建が繰り返された後、1511~1514年にバルトロメオ・ボンジョルジョ・スバヴェント によって建てられ、現在の形の鐘楼として完成します。
その塔も1902年に鐘楼の北側に入ったひびの影響で完全に崩壊してしまい、現存する高さ98.6mのこの鐘楼は、1912年に再建されたものです。

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夕陽を浴びる サン・マルコ鐘楼

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鐘楼の下部6割程は、開口部の殆んど無い、重々しい煉瓦積みの外観ですが、4方に4連アーチの開口部のある鐘突堂の付近だけは、白色の石造で、頂部に大天使ガブリエルを冠した、緑色の尖った方業屋根と相まって、軽やかなと華麗さを演出しています。


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サンソヴィーノの開廊
サン・マルコ鐘楼 の足元にあるこの開廊は、ヤーコポ・サンソヴィーノ設計

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2本セットのコリント式の柱間の壁龕には、彫刻家でもあったサンソヴィーノの手による、「アポロ」「マーキュリー」「平和」「ミネルヴァ」の4つのブロンズ像が置かれています。


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マルチアーナ図書館
サンソヴィーノの開廊の左隣りの2階建ての建物。
ドゥカーレ宮殿の向いで大運河に面する位置に建つのは、サンソヴィーノの開廊と同じヤーコポ・サンソヴィーノが、1536年にヴェネツィア共和国に招かれて建てた図書館です。
ヴェネツィアに現存する最も古い公文書が数多く保存されており、66万点を超える蔵書を誇り、ラテン語、古典ギリシア語の写本、手稿本の豊富さに特徴があるそうです。

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マルチアーナとは聖マルコの事で、聖マルコの名を冠した、このマルチアーナ図書館は、イタリア国内だけでなく、世界で最も重要な図書館の一つです。 

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ご覧の通りの2階建ての建物で、アーチを支える列柱は壮観です。

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柱の上部に当たる屋上手摺には、それぞれに裸体の彫像が乗せられています。
フリーズアーチを飾る彫刻も見事です。

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1階はドリス式、2階はイオニア式のオーダーが施されています。

今回は内部の見学はしませんでしたが、図書館の中を紹介しているテレビ番組 ( 美の巨人たち ) を見て、見学しなかったことを後悔しています。
  1. 2016/12/26(月) 12:00:00|
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ヴェネツィア散策 - 3 サン・マルコ広場

ついに永年憧れた続けた 海の都 とも アドリア海の女王 とも呼ばれた ヴェネツィアの海の表玄関 サン・マルコ広場 へ上陸します。

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水上バスから見た サン・マルコ広場 ( 上下の写真は次の日に撮影 )

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サン・マルコ広場 付近には3ヶ所の水上バス乗り場があますが、最初の上陸は サン・マルコ・サン・ガッサリア乗り場から。

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旅人を初めに出迎えてくれるのは、マルチアーナ図書館ドゥカーレ宮殿

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その間に建つ 二本の巨大な円柱、そして 鐘楼 です。

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ドゥカーレ宮殿 側の柱の頂上には、聖マルコを象徴する 有翼の獅子像

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有翼の獅子像

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マルチアーナ図書館 側の柱には 聖テオドーロ像 が載っています。

サン・マルコ広場 は、イタリア語で書くと Piazza San Marco 。
ヴェネツィアでは広場は方言で カンポ ( campo ) と呼ばれますが、サン・マルコ広場 だけは別格扱いで、ピアッツァ ( piazza ) と呼ばれています。
かの ナポレオン に 「世界で最も美しい広間」 と絶賛されたこの広場は、9世紀に整備され、12世紀に2倍の広さに拡大されて以来、ヴェネツィア共和国 の政治の中心である ドゥカーレ宮殿 や、精神の拠り所である サン・マルコ寺院 をはじめ、回廊のある建物に囲まれたこの広場は、ヴェネツィア共和国の中心であり続けました。

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サン・マルコ大聖堂 のテラスから、二本の円柱 を見る。 ( 写真は次の日に撮影 )

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左 / 新行政館  中央 ( 奥 ) / ナポレオン翼  右 / 旧行政館
新行政館の1階には、18世紀に創業しカフェ・ラッテの発祥店として有名な カッフェ・フローリアンがあります。

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時計塔
旧行政館の更に右側に在る 時計塔
塔上の 鐘を突くムーア人像聖マルコ獅子像 も有名です。

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サンソヴィーノの開廊
サン・マルコ鐘楼 の足元にあるこの開廊は、サンソヴィーノの設計。
開廊の前には、塔に上る人達の列が出来ています。

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左 / サン・マルコ鐘楼  中央 ( 左 ) / 新行政館  
中央 ( 右 ) / ナポレオン翼  右端 / 旧行政館

ナポレオン翼 の前辺りから撮る
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左 / 旧行政館  中央 ( 左 ) / サン・マルコ大聖堂  
中央 ( 右 ) / サン・マルコ鐘楼  右 / 新行政館 

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夕方にほぼ同位置から

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サン・マルコ大聖堂 前で記念撮影。

  1. 2016/12/24(土) 12:55:55|
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ヴェネツィア散策 - 2 カナル・グランデ① フェローヴィア ⇒ サン・マルコ・サン・ガッサリア

ちょっと睡眠不足ですが、時間が惜しいので寝坊などしてはいられません。
ホテルで朝食を済ませ、サンタ・ルチア駅 駅前のフェローヴィアと言う乗り場から、水上バスに乗り込んで、カナル・グランデ ( 大運河 ) を下って サン・マルコ広場 へ向かいます。

写真に撮ったカナル・グランデ沿の建物の詳細は、分からないものが多くあります。
ストリートビューと手持ちの地図で調べることが出来た建物名、ネットで調べて分かる範囲で解説を書きますが、写真ノミの建物もあると思いますが、それでも、海の都ヴェネツィア の雰囲気は味わえるのではないかと思っています。

勇んで水上バスに乗り込んだものの、初めての乗船で勝手がつかめず、船の中央付近まで押し込まれてしまい、リアルト橋を過ぎる迄は、写真を撮るどころではありませんでした。

写真には大まかな位置と、水上バスの進行方向に向かっての、「左岸」「右岸」を記入します。

リアルト橋 を過ぎた当たり  左岸 / サン・マルコ地区
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左の白い建物 / ドルフィーン=マニーン館 
ヤーコポ・サンソヴィーノ設計 16世紀 
 カナル・グランデに面する1階部の大きな半円アーチが特徴的な、
 ルネサンス様式の建物。 
 1階の階高は右隣りのベンボ館 の2層分の高さとほぼ同じに見えます。
右のオレンジ色の建物 / ベンボ館 ( 現ホテル ) 15世紀
 2・3階の中央に開けられた、2対の5連窓が特徴的な、ほぼシンメト
 リーな立面を持つ、後期ゴシック様式の建物。 
 取って付けたようにも見える5階は、近年の増築だと思います。


リアルト橋 を過ぎた当たり  左岸 / サン・マルコ地区
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リアルト橋 を過ぎた当たり  左岸 / サン・マルコ地区
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中央の薄ピンクの建物 / コルネール・ロレダン館 ( 現市役所 ) 
12-13世紀
右の薄茶色の建物 / ダンドロ=ファルセッティ館  12-13世紀  
 1343年にドージェに選出された アンドレーア・ダンドロの邸宅。
 1670年にファルセッティ家が購入しています。
 2棟共に12~13世紀の典型的な商館邸宅

サン・ルーカ川 少し手前  左岸 / サン・マルコ地区
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中央左の薄ピンクの建物 / ダンドロ=ファルセッティ館  
中央の薄茶色の建物 / コルネール・ロレダン館 ( 現市役所 )
右の濃いオレンジ色の建物 /
コルネール=マルティネンゴ・ラヴァ館 16世紀
 かつてはカヴァッリ家の邸宅だったので、運河や路地に面する壁には
 カヴァッリの名前が書かれているそうです。
 他の建物と比べると、カナル・グランデに面する玄関にはアーチ
 なく質素な印象です。
 上階のデザインは、一見シンメトリーかと思いましたが、右側の壁が
 幅広で、窓の並びはランダムです。
 中央やや左よりに奥行の浅いロッジアがあり、4連の半円アーチ
 施されています。
 寄棟屋根の小屋裏部屋は増築かもしれません。 
 

サン・ルーカ川 少し手前  左岸 / サン・マルコ地区
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左側の濃いオレンジ色の建物 /
コルネール・ヴァルマラーナ館 16世紀建設 19世紀改修
 16世紀に建設されたルネサンス様式の建物
 カナル・グランデに面する1階の中央には、セルリアーナ式の玄関が
 あり、両側にも2個づつの半円アーチの開口が開けられています。
 2階の中央のロッジアには、3連の半円アーチが施され、直上にも似た
 デザインの3連窓があります。
 両側には2個づつの半円アーチ窓と、壁には彩色された大楯型や
 円形の装飾が施されています。
 白い水平方向のボーダーが施された、シンメトリーな立面の建物で、
 全体的に新しい建物の印象があるのは、19世紀に修復されたから
 だと思います。
 デザインの異なる最上階はこの時の改修によるもだと思います。  
中央右の白い建物 / グリマーニ館
右端の建物 / コルネール・コンタリーニ・ダイ・カヴァッリ館

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グリマーニ館 ( 現裁判所 ) ミケーレ・サンミケーリ設計   1575年  
コリント式オーダーの化粧柱と、大きな半円アーチが目を引く、堂々たる佇まいのパラッツオで、ルネサンス様式の傑作です。
設計者のサンミケーリは、カナル・グランデに面するポルティコ凱旋門の要素を取り入れ、上階にも同様のデザインを取り入れています。
1階2階を貫くコリント式オーダーの角柱は、3階のロッジアから張り出す露台を支えるようなデザイン。
3階4階の化粧柱は、コリント式オーダーの円柱で、3つの大きく開いた半円アーチは一際目を引き、大きく張出した軒蛇腹 ( コーニス ) も相まって、堂々たる印象を醸し出しています。


左端に観えるのが サン・ルーカ川  左岸 / サン・マルコ地区
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左端の運河 / サン・ルーカ川
左側の建物 / コルネール・コンタリーニ・ダイ・カヴァッリ館 
15世紀建設 17世紀改修
 カナル・グランデに面する1階の中心にはセルリアーナ式の玄関があり
 2階中央部のロッジアに6連の四つ葉状柱頭と、迫り出した露台
 施された、盛期ゴシック様式の建物
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 ロッジアの両側に施された紋章には、二頭の馬が彫られているため、
 dai Cavalli ( 馬の意 ) 館 と呼ばれています。
右側の白い建物 / トローン館 14世紀前半
 2・3階の中央部にゴシック様式の4連のオジーアーチ窓を持つ建物で、
 最上階はセルリアーナ式窓が見られますが、1階と4階は後の改修に
 よるものです。

サン・ルーカ川 を過ぎた辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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左の細い運河は カ・コルネール川  左岸 / サン・マルコ地区
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ランド・コルネール・スピネッリ館 
マーウロ・コドゥッシ設計? 1490年頃建設 18世紀改修
初期ルネサンス様式の建物
1・2階の外壁は、切り石積み、中央に半円アーチの大きな玄関を配し、左右の壁の凸凹位置に小さな窓が開けられています。
3・4階はほぼ同じデザインで、大きな半円アーチの中に2つの半円と小さな円を組み合わせた窓が、中央に2連、両側に1個づつ並んでいます。
このデザインは、後で紹介することになるヴェンドラミン・カレルジ館の窓にも観られるものです。
フリーズには花綵 ( はなづな ) 飾りの帯状装飾でが見られます。
頂部に見える、バロック風なデザインで造られた、小さな神殿の様な屋根裏部屋も特徴でしょう。
この建物は、15世紀の終わりにランド家の邸宅として建てられ、1542年にジョヴァンニ・グリマーニに持ち主が変り改築されます。
1700年代にはスピネッリ家が借り入れ、1850年にはマリーア・タッリオーニの所有となり、入口の階段脇に手摺が付けられますが、以後カ・ドーロに移されています。

サンタンジェロ停留所 辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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左端の建物 / 詳細不明
オレンジ色の建物 / バロッチ館 ( 現サンタンジェロ ホテル ) 19世紀
右隣の肌色の建物 / サンタンジェロ ホテル 20世紀
少し突き出した白い建物 / ガルゾーニ館 15世紀


サン・ポーロ川 辺り サン・トマ停留所 が見える 
右岸 / サン・ポーロ地区
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中央右のオレンジの建物 / ピザーニ・モレッタ館

左の細い運河は カ・グランツォニ川  左岸 / サン・マルコ地区
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ガルゾーニ館 ( 美術館? ) 15世紀
 ゴシック様式の建物
 正面の立面は完全なシンメトリー、2・3階の中央部に4連のオジー
 アーチ窓
を持つ建物で、両側にも連窓とほぼ同デザインの窓が2個づつ
 開けられ、2階の窓にだけ、細く白い矩形の額取りがされています。
 ヴェネツィアでは良く見るデザインの建物ですが、1階のセルリアーナ
 式風玄関アーチ
の左右に、楕円形窓であることでしょうか?
 矩形の窓のある最上階は後世の増築ではないかと思われます。


カ・グランツォニ川 を少し過ぎた辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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左側の建物 / コルネール・ゲルトフ・アルヴェラ館 
11世紀建設-16世紀改修
 ゴシック様式の建物を、16~17世紀に改築した建物。
 1・2階の中央にセルリアーナ式の開口があり、3階の中央には半円
 アーチの4連窓
があります。
 2・3階の両側には、左右対称に2個づつの半円アーチ単体窓を配して
 います。
 屋上にペディメントと妻壁を見せている、小屋裏部屋が目立っています。
中央から右側の建物群 / モチェニーゴ館 16世紀

サン・トマ停留所 辺り
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右岸 中央の肌色の建物 / ジュスティニアン館
右岸 上の右隣りの肌色の建物 /
カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )
右岸 右端の角のある建物 / バルビ館

サン・トマ~サン・サムエレ停留所 の中辺り  
右岸 / ドルソ・ドゥーロ地区
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左 / ジュスティニアン館  
右 / カ・フォスカリ館 ( 現ヴェネツィア大学・経済・商学部 )
ヴェネツィアで最も美しいと言われるゴシック盛期の様式で建てられています。
古くはジュスティニアン家の住居でしたが、政府所有の後はマントヴァ公、次いでフランチェスコ・スフォルッツァに贈られ、1452年にドージェだったフォスカリ家が買い取っています。

サン・トマ~サン・サムエレ停留所 の中辺り  
右岸 / ドルソ・ドゥーロ地区
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中央左の列柱のある建物 / カ・レッツォーニコ ( 18世紀博物館 )
上の建物の右隣の建物 / Ca' Bemarda
右端の建物 / ジュスティニアン館

カ・レッツォーニコ停留所 辺り  右岸 / ドルソ・ドゥーロ地区
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カ・レッツォーニコ ( 18世紀ヴェネツィア美術館 ) 1756年 
バルダッサーレ・ロンゲーナが着手し、ジョルジョ・マッサーリ が1745年に完成した、典型的な18世紀建築
バロック様式、ルネサンス様式、パラディオ様式など様々な特色を持つ建物。
カ・グランダ ( コルネル館 ) と似たイメージの建物です。

カ・レッツォーニコ~アカデミア停留所 の中辺り  
右岸 / ドルソ・ドゥーロ地区
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左側の低い建物 / マイネッラ館
右側の建物 / ロレダン・デッランバッシャトーレ館 1470年頃 
 3階の中央に露台のある4連の四つ葉状柱頭の開口を、4階のロッジアには
 4連のオジーアーチを施しています。
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 両側に2個づつのオジーアーチ窓を配し、3・4階の全ての開口部には、
 長方形の額縁がされています。
 シンメトリーな立面をもつゴシック様式の建物です。
 また、3階の左右の壁龕に、プットの彫像が飾られています。

サン・サムエレ~アカデミア停留所 の中辺り
左岸 / ドルソ・ドゥーロ地区
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サン・サムエレ~アカデミア停留所 の中辺り  左岸 /サン・マルコ地区
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ファリエール・カノッサ館 15世紀
建物の両側に突出したバルコニー付のロッジアと、カナル・グランデに直接面する前庭が特徴的な邸宅です。
2階の壁面中央に5連のオジーアーチ窓が見られます。
小さな建物ですが、カナル・グランデ沿いに建つ建物の中で、一際目を引く建物の一つです。

カ・レッツォーニコ~アカデミア停留所 の中辺り  
右岸 /ドルソ・ドゥーロ地区
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コンタリーニ・デッリ・スクリーニ・エ・コルフ館
異なる時代の二つの建物が隣接しています。
右側の建物 / フランチェスコ・ズメラルディ内装改修 17世紀改修
 3・4階の中央に4連のオジーアーチ窓があり、両側にも2個づつの同じ
 デザインの窓を配したシンメトリーな立面の建物です。
 オジーアーチ窓周りの長方形の額縁内に、淡い着色がされています。
 ネットで見付けた図面にはノビーレ階四つ葉状柱頭がありますが、
 現在は埋められています。
 後期ゴシックの建物を17世紀に改修した建物です。
左側の建物 / ヴィンチェンツォ・スカモッツィ設計 1609年
 1階は石積みの壁面で、2階には2本セットの化粧柱が施され、その間に
 半円アーチ窓が開けられ、屋根の上には切り妻の屋根裏部屋の小塔が
 あります。


アカデミア停留所 向い辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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左側のオベリスクのある建物 / ジュスティニアーン=ロリーン館
 バルダッサッレ・ロンゲーナ改修設計 14世紀建設-17世紀改修
中央のオレンジ色の建物 / チヴラーン・バドエール・バロッツィ館 
16世紀建設-18世紀改修
 ノービレ階の中央に半円アーチの3連窓がある建物。
 上階は後世の増築されたものです。
右側の庭のある建物 / 建物の詳細は不明です。


アカデミア停留所 を過ぎた辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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グッソーニ-カヴァッリ-フランケッティ館 1565年建設-19世紀改修
グッソリーニ家によって、15世紀末に建てられたゴシック様式の建物を、16世紀初頭にガヴァッリ家が購入します。
その後、何度か所有者は変わり、19世紀の後半にフランケッティ男爵の所有となりました。

シンメトリーな立面の美しい建物で、中央のロッジアに施された5連の四つ葉状柱頭は、3・4階でデザインが異なり、3階の四つ葉状柱頭、2スパン分の大きなアーチを組み合わせた極めて美しいデザインです。
中央の5連窓だけではなく、左右の単体窓にも長方形の美しい額縁が施され、特に3階の単体窓はデザインは素晴しく、欄間飾りの様に四つ葉飾りで飾られています。
他の開口と比べると一際大きい、オジーアーチの玄関も目を引く要素でしょう。

アカデミア停留所 を過ぎた辺り  左岸 / サン・マルコ地区
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バルバロ・クルティス館
左側 / ジョヴァンニ・ボン設計 ゴシック様式 15世紀建設-18世紀改修
右側 / アントーニオ・ガースパリ設計 バロック様式 17世紀
バルバロ家の邸宅であったこの建物は、時代の異なる二つの建物を繋げたものです。
2・3階の長方形の額縁のあるオジーアーチ窓が美しく、ファサードの彼方此方に、主に円形の装飾やレリーフが散りばめられています。

アカデミア~サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の中辺り  
左岸 / サン・マルコ地区
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ピザーニ館 17世紀建設-18世紀改修
カナル・グランデに面する1階には、中央に半円アーチの玄関を配していますが、2階以上は中央は壁で、左右に2連の窓を開けています。
3階の開口だけが、化粧柱が施された半円アーチ窓で、露台も見られます。

アカデミア~サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 の中辺り  
左岸 / サン・マルコ地区
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左側の建物 / ベンゾーン・フォースコロ館 17世紀
 2・3階の中央に3連窓、両側に2個づつの単独窓を配し、2階は窓枠に
 化粧柱半円アーチの縁取りと、露台を施しています。
中央の建物 / ピザーニ館
右側の建物 / スッチ館 17世紀
 シンメトリーに見えますが、微妙に左右のデザインは違っています。
 1階の玄関とノビーレ階の窓にだけ、半円アーチの縁取りがされ、
ノビーレ階の3連窓には露台が施されています。 

サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前 
左岸 / サン・マルコ地区
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カ・グランダ ( コルネル館 ) ( 現県庁 )
ヤコポ・サンソヴィーノ設計 1556年
通称のカ・グランダとは「立派な造り ( 大居館 )」 の意味。 
堂々たる3層構成のファサードを下から見てみましょう。
1・2階は中央に縦長の3連アーチのある荒壁造り
左右の窓は、他の建物では低層部は質素な造りのものが多いなか、大変凝った重厚な装飾がなされています。
3階にはイオニア式、4階にはコリント式オーダーが施された、2本対の化粧柱が、重厚な装飾の7個の半円アーチを挟む様に並び、大きく張出したエンタプラチュアを支えています。
特に最上階のフリーズに開いた、バロック風の楕円の窓も目を引きます。

サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前 左岸 / サン・マルコ地区
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左側の白い建物 / カ・グランダ ( コルネル宮殿 )
右側のオレンジの建物 / ミノット館 15世紀 
 3階の中心から右に少しずらした位置に、3連のオジーアーチ窓があり、
 左側に2個、右側には1個の単体窓が配されています。
 この階の窓にだけ、矩形の額縁が施されています。


サンタ・マリア・デル・ジリオ停留所 少し手前 左岸 / サン・マルコ地区
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左端のオレンジの建物 / ミノット館 
緑のテントの建物 / バルバリーゴ館 17世紀
 中心に計画されることの多いセルリアーナ式開口を、建物の左半面に
 1階から3階まで通して配置し、右半面の広い壁面との対比させて
 います。
中央右側のクリーム色の建物 / ヴェニエール・コンタリーニ館 15世紀
 ゴシック様式の建物
 カナル・グランデに出入り出来る1階に玄関は設けられていません。
 露台のある2・3階のロッジアは、建物の右端に寄せて造られています
 が、2階の4連の半円アーチと、3階の4連のオジーアーチの開口は、
 少しズレています。
 最上階の4連の三葉飾り窓は、大きく左にズレて開いていて、ファサード
 のバランスを壊しています。
屋上に小屋のある建物 / マニーン・コンタリーニ館 16世紀
 建物のほぼ中心に、露台を施した3連窓がある、シンメトリーに近い
 立面をもつ建物です。
トラゲット停留所前の茶色の建物 / ピザーニ・グリッティ館
( グリッティ・パレス・ホテル )
 14世紀
 ヘミングウェイが愛し、長期滞在したホテルで、その名を冠したスイート
 ルームがあるそうです。
 ゴシック様式のこの建物は、14世紀にはピザーニ家の所有ででしたが、
 1814年にグリッティ家が購入しました。 
 その後売却による所有者の変更を経て、ホテルに改修されています。
 2・3階の中央に5連のオジーアーチ窓を配し、両側には幅広の壁があり、
 2個づつの単独窓がます。
 カナル・グランデに面する立面は、横長で間延びした感がありますが、
 建物の両側には通りと運河があり、三方に開いたデザインになって
 います。
 
サンタ・マリア・デル・ジリオ~サルーテ停留所 の中辺り  
左岸 / サン・マルコ地区
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中央の建物 / フランジーニ・フィーニ館 
ピエートロ・ベッティネッリ設計 17世紀
 カナルグランデに面するセルリアーナ式の玄関は、右端と中央より
 左寄りの場所に2ヶ所あり、それぞれの玄関の真上の位置には、
 中央の窓幅がやや大きい半円アーチの5連窓と3連窓があります。
 また、キーストーン等のアーチ廻りの装飾露台の美しい建物です。
 この建物は19世紀にはホテルでしたが、現在は右隣のマノレッソ館
 共に、ヴェネト州所有の州議会となっています。 
中央右側のクリーム色の建物 / マノレッソ館 15世紀後半
 中心が少しだけ右にズレていますが、シンメトリーと言っても差し支え
 ない立面の建物です。
 1階の玄関は中央がやや大き目な3連の半円アーチが開いています。
 直上階の3連窓は、ランド・コルネール・スピネッリ館でも見られた、
 大きなアーチの中に、2個の細長のアーチと円を組み合わせたデザイン
 です。
 4階は尖頭アーチの中に人型を描いたように見える4連の三葉飾り窓
 5階には、4連の半円アーチ窓があり、各階の連窓の両側には、2個
 づつの単体窓を開けています。
 取って付けたように見える最上階は、最近の増築ではないでしょうか? 
間口の狭い建物 / コンタリーニ・ファサン館 15世紀
 イスラム風にも見える、美しい装飾の施されたオジーアーチ窓と、
 露台のデザインが特徴的な美しい建物。
 間口は狭いにも関わらず、周りの建物と比べると各階の階高の高いも
 特徴でしょう。
右側茶色い建物 / コンタリーニ館 15世紀
右端の建物 / ミキエール・アルヴィージ館 17世紀

サン・マルコ停留所 の少し手前  左岸 / サン・マルコ地区
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左のクリーム色の建物 / バドエール・ティエーポロ館 17世紀   
中央左のオレンジ色の建物
/ バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館
中央右の茶色い建物 / ホテル・バウアー・グリュンバルト 
上の建物の右隣の茶色い建物 / ジュスティニアン館 
左端の白い建物 / ホテル・モーナコ

サン・マルコ停留所 の少し手前  左岸 / サン・マルコ地区
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右端のオレンジ色の建物 /
バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館
中央右のクリーム色の建物 / バドエール・ティエーポロ館
中央左のクリーム色の建物 /
ウェスティン・エウローバ&レジーナ-ホテル 19世紀
上の左隣のオレンジ色の4階の建物 / ガッジャ館
上の左隣のオレンジ色の3階の建物 / ミキエール・アルヴィージ館
上の左隣の肌色の建物 / コンタリーニ館 15世紀
上の左隣の間口の狭い薄茶色の建物 / コンタリーニ・ファザーン館
左奥のクリーム色の建物 / マノレッソ館
左端の建物 / フランジーニ・フィーニ館

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バロッツィ・コルネール・エーモ・トレヴェス・ボンフィーリ館 17世紀

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右側の建物 / バドエール・ティエーポロ館 17世紀
左側の建物 / ウェスティン・エウローバ&レジーナ-ホテル 19世紀

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右端のオレンジ色の4階の建物 / ガッジャ館
上の建物の左隣りの建物 / ミキエール・アルヴィージ館 17世紀
上の左隣の肌色の建物 / コンタリーニ館 15世紀
上の左隣の間口の狭い薄茶色の建物 / コンタリーニ・ファザーン館
左奥のクリーム色の建物 / マノレッソ館


サン・マルコ停留所 の少し手前  左岸 / サン・マルコ地区
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左端の建物 / ホテル・バウアー・グリュンバルト 
ジョヴァンニ・サルディ設計 19世紀
 古い建物に見えますが、19世紀にヴェネツィアン・ネオ・ゴシック様式
 で建てられた建物。 
中央右の足場の掛かっている建物 /
ジュスティニアン館 15世紀建設-19世紀改修
 15世紀後半に建てられたこの建物は、17世紀に内部が改修され、
 1820年頃にホテルとなり、ジョヴァンニ・サルディーによって、
 ヴェネツィアン・ネオ・ゴシック様式に改修されています。
鐘楼の下に見える白い建物 / ホテル・モーナコ 19世紀
 
 
サン・マルコ広場の鐘楼が見えてきました。
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左から / 鐘楼   マルチアーナ図書館   ドゥカーレ宮殿

サン・マルコ乗り場辺りから対岸 ( 右岸 ) を見る。
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ドームのある聖堂 / サンタ・マリア・デッサ・サルーテ聖堂 1687年
先端の三角地帯に建つ建物 / 税関 1677年

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税関 1677年
ドルソ・ドゥーロ地区の先端に、水面ギリギリの土地に、矢のように突き出す様に建っています。
15世紀以降、オリエントから来る船は、ここで関税検査を受けました。
現在の建物は1677年に建てられたもので、先端に小さな塔のある柱廊があります。

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塔の上の、二人の奴隷が支える金の玉には 幸運の女神像 が載っています。
風向きによって向きを変えると言う女神の姿は、海洋貿易に生きた 海の都 ヴェネツィア の繁栄の象徴です。


サン・マルコ運河越しにサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を見る。
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サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂

さあ、いよいよ サン・マルコ広場 に上陸です。

  1. 2016/12/21(水) 12:59:18|
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ヴェネツィア散策-1 ヴェネツィア到着 

ローマ ~ フィレンツェ を散策しまくった今回のイタリア旅行も、最終目的地の ヴェネツィア にやって来ました。
フィレンツェを発ったのは夕方だったので、ヴェネツィア鉄道での表玄関 サンタ・ルチア駅 に到着したのは既に夜。
駅近くのホテルにチェックインした後、直ぐにホテルの近くを散策し、憧れの海の都のヴェネツィアでの最初の夜を楽しみながら、手頃なレストランを探しました。
細い運河に掛かる小さな橋を何回か渡り、カンナレジョ地区に入った辺りで、写真付きのメニューをもって、満面の笑顔と片言の日本語で手招きする店員さんに魅かれてレストランに入りました。

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ローマフィレンツェでは、かなり食費を倹約したので、ヴェ,ネツィアでは、レストランテと言ってもいい程度の店に入り、ワインも飲んで、初日から楽しい夜を過ごしました。

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ビールを買ってホテルに戻ります。
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IMG_3153 のコピー

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部屋の狭さは同じようなものですが、ローマフィレンツェで泊まったホテルと比べると、ロビーやレストランは、なかなか高級感のあるホテルでした。

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部屋から、隣の広場越しに カナル・グランデ を見る。

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カナル・グランデから見たホテル・プリンチペ

ヴェネツィアでは サン・マルコ大聖堂ドゥッカーレ宮殿 の他は数ヶ所の建物を見学するだけで、ローマフィレンツェの時ように、彼方此方の教会美術館を見学はせず、48時間使える水上バスのフリーパスを最大限利用して、カナル・グランデ沿いを埋め尽くす、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック等の様々な時代を飾る様式でデザインされた、教会パラッツォ ( 館 ) を見て回り、出来るだけ島の彼方此方を歩き回る予定です。

  1. 2016/12/21(水) 12:00:00|
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フィレンツェ散策 -20 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

いよいよ フィレンツェ の最終回です。

フィレンツェ 最後の訪問場所となる サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂 はフィレンツェ の表玄関 と言える サンタ・マリア・ノヴェッラ駅 に、背中を向けるように建つ ゴシック様式の聖堂 です。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
1246年にドミニコ修道僧によって建設が始められました。

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14世紀に入るとファサードの建築が始まり、14世紀中頃にはフィレンツェ式ロマネスク・ゴシックの下半分が完成します。
ファサード上層のデザインは、アルベルティの設計によるもので、ペディメント付け柱 等の古典的な要素とゴシックを融合し、下層部のデザインとも一体化させたもので、ルネサンス建築の完成型と言う人もいるようです。
現在見られる、緑と白の色大理石用いたファサードは、1458年に完成したのです。

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聖堂内部は、T字形 に近いラテン十字の平面を持つ三廊式

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アーチクロス・ヴォールト を支える、4本を束ねたようなデザインの柱は、祭壇に近づくにつれ間隔を狭めて、奥行きを実際よりも長く見せる効果を狙っています。

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トルナブォーニ礼拝堂  1485-1490年
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は、多くの優れた美術品を所蔵していることでも知られています。
この聖堂奥の中央礼拝堂には、礼拝堂全体に、ドメニコ・ギルランダイオが弟子のミケランジェロらと共同制作した、聖母伝洗礼者ヨハネ伝 等のフレスコ画が描かれています。
後で調べてみると、ルネッサンス期を代表する傑作だったらしいので、もっと詳しく見るべきでした。

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キリスト磔刑  ジョットー作  
広角レンズに撮っている為か、どの写真でも礼拝堂の直ぐ前に在るように見えますが、実際はかなり離れたところ、身廊の中心近くに吊り下げられていた筈です。

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身廊中央辺りすら、入口方向を見る

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正面ファサードの円形ステンドグラス

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側廊の奥からの見上げ
歪んだ写真になってしまいましたが、身廊側廊天井の交差ボールトの様子が良くわかります。

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側廊の壁に並ぶ絵画
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この教会の絵画の中で、一番有名なのは、左側廊の中央辺りにありました。
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聖三位一体  マザッチョ作  1426~1428年
マザッチオは初期ルネッサンスを代表する1人で、絵画に初めて遠近法を用いたと言われる、マザッチオの代表作の1つです。
遠近法を発見した建築家ブルネッレスキの協力があったと推測されています。
 
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身廊、入口横の壁

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翼廊
右翼廊から、左翼廊を見る。
左翼廊最奥に見えているのは、マントヴァのストロッツィ礼拝堂

中央礼拝堂の両側、翼廊に並ぶ礼拝堂にも、美しい美術品が一杯です。
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バルディ礼拝堂  右翼廊
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ロザリオの聖母  ヴァザーリ作

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フィリポ・ストロッツィ礼拝堂  右翼廊奥
ステンドグラス  フィリピーノ・リッピ作
左壁 ドルジアーナを蘇生する使徒ヨハネ
右壁 ヒエラポリスのマルス神殿の使徒フィリポ
ステンドグラス下の墓は フィリポ・ストロッツィの墓

教会を出て隣接する回廊へ。
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緑に覆われたこの回廊は、緑の回廊 と呼ばれ、その壁面はパオロ・ウッチェッロ等、15世紀の画家達による聖書からの物語 創世記フレスコ画が描かれています。
右奥に、大回廊への入り口が見えていますが、大回廊 は憲兵学校なので入場出来ません。

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スペイン人礼拝堂
中庭に面するこの礼拝堂は、壁・天井一杯に ボナイウート作フレスコ画 が描かれています。
もともとは聖堂参事会員室として1350年に建設されたもので、フィレンツェ大公国のコジモ1世の妃である エレオノーラ・ディ・トレド の随臣たち専用の礼拝堂として使用されたため、この名称になっています。

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礼拝堂奥の祭壇

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天井画は キリストの昇天


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そろそろ電車に乗る時間が近付いてきました。 建物を出て教会前の広場を見る。
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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場

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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場から、ホテルに戻る為、美しいゴシック風の尖頭アーチの塀を見ながら、アヴェッリ通りを通って駅方面へ。

この後は、ヴェネチアへ向かいます。
  1. 2016/12/13(火) 19:01:25|
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フィレンツェ散策 -19 サンティッシマ・アヌンツィアータ広場

サンタ・クローチェ聖堂の見学した後、この日も昼食はすっかり気に入ってしまった中央市場へ。

昼食後はミケランジェロダヴィデ像を見る為にアカデミア美術館に向かいました。
アカデミア美術館は、入口が分かり難いと聞いていたので心配していましたが、美術館の前には大行列が出来ていたので、心配することは無かったものの、あまりに長い行列だったので、見学を諦めざる終えませんでした。

そこで、近くに在る筈の、サンティッシマ・アヌンツィアータ広場へ。

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写真左側 騎馬像の後ろが サンティッシマ・アヌンツィアータ教会
右側は 孤児養育院 です。

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サンティッシマ・アヌンツィアータ教会

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孤児養育院
この孤児養育院 は、ヨーロッパ初と言われています。建設の依頼者は、祖国の父と呼ばれた コジモ・イル・ヴェッキオ が会長を務める絹織物組合で、ブルネッレスキ の設計により1419年に建設が始まり、1445年に完成すると、人間らしく生きることを肯定した人文主義を実践する、ルネサンスの精神を象徴する役割を担ったのです。

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孤児養育院 正面の回廊のアーチには、アンドレア・デッラ・ロッピアが白と青で装飾した産着に包まれた赤ん坊の装飾が並びます。

入場料がガイドブックに記されていた金額より全然安く、受付の女性が何やら色々説明してくれていましたが、何を言っているのか良くわからなかったのですが、内部は工事中だったのです。
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ブリネッレスキの2つの回廊ガレリアが在った筈なので残念です。


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この写真では右側が サンティッシマ・アヌンツィアータ教会
左側の建物も サンティッシマ・アヌンツィアータ教会孤児養育院 と似た回廊が見られますが、これは ブルネッレスキ孤児養育院 の建設時に、広場全体に回廊をつなげて、それまでは中世の雑居状態だったこの広場を、ルネッサンス様式の統一されたデザインでまとめもので、広場として落ち着きのある雰囲気を造り出しています。

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フェルディナンド1世の騎馬像  ジャンボローニャ作
広場の中央にある騎馬像は、コジモ大公の息子で、フランチェスコ1世の弟である フェルディナンド1世の騎馬像

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広場からは、セルビィ通りを通して、サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂を見ることが出来ます。

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この写真、気に入っています。

  1. 2016/12/13(火) 15:00:00|
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フィレンツェ散策 -18 サンタ・クローチェ聖堂

ウフィツィ美術館~ヴェッキオ宮殿の見学を終え、シニョリーア広場から東へ400m程離れたクローチェ広場に面して建つサンタ・クローチェ聖堂に向かいます。

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クローチェ広場

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サンタ・クローチェ聖堂
クローチェ とはクロス = 十字架 を意味します。
つまり、サンタ・クローチェ聖堂とは、聖十字架聖堂 と言うことになります。

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アッシジの聖フランチェスコ 自身によって建てられたと言われる聖堂で、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計により、1294年から1385年に掛けて建設された、ゴシック様式の聖堂です。
また、サンタ・クローチェ聖堂フランシスコ会 最大の教会であり、別名 フィレンツェのパンテオン と言われる程、聖堂の内部には多く著名人の墓があります。

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平面図構成は、エジプト十字、もしくはフランシスコ会の象徴である タウ十字 に近い十字形をしています。 
ようするに上部の出の少ないラテン十字形と言ったところでしょうか。
三廊式のバシリカの長さは115mもあり、特徴的な八角形の列柱が、尖頭アーチを支えています。
漆喰塗りの白壁木組を表した天井により、聖堂内部は全体として華美な印象は受けません。

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正面の祭壇に近付いて行きます。

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聖堂内が質素な分、ステンドグラスの美しさがより映えて感じられます。

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ステンドグラスを背景に黄金色に輝く美しい十字架
サンタ・クローチェ聖堂 = 聖十字架聖堂 たる所以でしょう。

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礼拝堂の側壁には、アーニョロ・ガッディ作聖十字架物語を主題とした、14世紀に描かれたフレスコ画が見られます。

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祭壇前から、入口方向を見返す。

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入口上部の円形のステンドグラス


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左右の側廊には、小さな礼拝堂著名人の墓石が並んでいます。
沢山のフィレンツェ人が、この聖堂に埋葬されることを希望したとか。

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ミケランジェロの墓碑  ヴァザーリ作

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ダンテの記念碑

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実はこのお墓は、私の大好きな作家でもある塩野七生さんの著書にもよく登場する、君主論マキャヴェッリの墓の墓だと思って撮ったのですが、どうも違ったみたいです。

他にガリレオ・ガリレイの墓も有ったのですが、イタリア語が読めなかった為に、残念ながら写真を撮りそこなってしまいました。

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身廊だけでなく翼廊の床にも、聖堂の床のいたるところに、墓碑らしきものが見られます。
人様のお墓の上を土足で歩くのはどうかと思ってしまいますが、人に踏まれることによって自分の罪が許され、天国行きが近づくと信じられていたとか。

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翼廊を見る

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聖具室

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聖具室にある礼拝堂の天井を見る


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バロンチェッリ礼拝堂  翼廊突き当たり?
祭壇の絵は聖母戴冠

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バロンチェッリ礼拝堂の天井


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パッツィの礼拝堂
サンタ・クローチェ聖堂の南側に隣接するフランチェスコ会修道院が在ります。
聖堂側の壁際に造られた回廊は、14~15世紀に建てられたもの。
回廊の奥に見える建物は、ブルネッレスキの設計で1444年に完成したパッツィの礼拝堂です。

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パッツィの礼拝堂前廊の天井を見上げる。
美しい彩色陶製丸天井は ルッカ・デラ・ロッピア作

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鐘楼は1842年に再建されたもで、
ゴシック・リヴァイヴァルの大理石のファサードは、ニッコロ・マタスの設計で、1857年から1863年に掛けて建設されたものです。

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ミケランジェロ広場から

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ジョットーの鐘楼から

  1. 2016/12/10(土) 15:22:36|
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フィレンツェ散策 -17 ヴェッキオ宮殿 ②

五百人広間の見学を終え2階に上がります。

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レオ10世の間

以下5枚の写真は、「レオ10世の間」の周りの部屋の写真だったと思うのですが、記憶違いでしたら御免なさい。
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四大元素の間  (上下共 )  ヴァザーリ作
四大元素とは、火、水、空気、土のことだそうです。  p3171313-1.jpg

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どの部屋も美しい絵画と天井画で飾られており、部屋ごとに格天井の形態が変えられています。


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イルカと戯れるプット像 ヴェロッキオ作 (中二階15室?)
ミケロッツィの回廊の噴水を飾る銅像のオリジナルはここに在りました。

この後も、美しい天井画の小部屋?が続きます。
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エレオノーラの礼拝堂  エレオノーラはコジモ1世の奥方
中央の絵は 十字架降下  ブロンズィーノ作
この部屋は、壁と天井に隙間なく絵画で埋め尽くされていて、部屋そのものが絵画で出来ているようです。

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この辺りの部屋の天井の構成は似ています。  上下は同じ部屋
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ヴォールト天井のこの部屋は、さしずめ黄金の礼拝堂とでも言ったところでしょうか?
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やや広めの部屋に出ました。 この部屋の装飾は一段と豪華です。
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天井の黄金は、眩いばかりに輝いています。


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ゆりの間
ゆりの間 とこの後に紹介する 地図の間 は、書記局に隣接していたことから、フィレンツェ共和国の事務官だったニコロ・マキャヴェリの過ごした場所だとか?
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ユディットとホロフェルヌス ドナテッロ作
壁のブルーが印象的です。
壁の模様が百合の模様だから、「ゆりの間」と呼ばれるらしいです。
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地図の間
3階を見学していくと、最後に壁に53枚の地図が飾られてる地図の間に出て来ます。
16世紀にフランチェスコ会修道僧エニャツィオ・ダンティステファノ・ブオンシニョーリによって描かれた作品です。
これらの地図は当時の地理学の重要な資料でもありますが、写真中央の地球儀は、紙が黒化してしまって真っ黒です。
黄金の天井ばかりを見続けてきたので、地図の間の天井はシックで、何とも居心地が良く感じられます。

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地図の間から続くこの部屋は、フランチェスコ1世の妻 ビアンカ・カッペッロの部屋でしょうか?

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これで ヴェッキオ宮殿 の散策は終わりです。
次は サンタ・クローチェ教会 へ向かいます。
  1. 2016/12/09(金) 15:32:10|
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フィレンツェ散策 -16 ヴェッキオ宮殿 ①

シニョリーア広場に面し建つヴェッキオ宮殿は、1299年から1314年にかけてフィレンツェ共和国の政庁舎として、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計によって建設され、メディチ家(現)ピッティ宮殿へ移るまでの一時期、メディチ家の住居としても使用されました。

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建設当初、この宮殿はシリニョリーア宮殿と呼ばれていましたが、メディチ家が住居をアルノ川対岸に移した為、「古い」と言う意味の「ヴェッキオ」宮殿と呼ばれるようになり、現在ではフィレンツェ市庁舎として使われています。

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外観は華麗とは言い難い武骨なデザインで、まるで要塞の様。
鋸壁 ( 鋸型狭間 ) のある張り出した回廊と、建物の中心からずらした位置に設置された、高さ94mの塔が特徴です。

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回廊を支えるアーチの下には、フィレンツェ市の9つの紋章が描かれています。

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ダビデ像の横を通って、入口を入ってみましょう。

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ミケロッツォの回廊
門を入ると直ぐに、美しい壁画で飾られた回廊のと噴水のある中庭に出ます。
ゴジモ一世は、息子のフランチェスコ一世オーストリア大公の娘との婚礼に備えて、1565年に建築家ジョルジョ・ヴァザーリ宮殿の大改修工事を依頼します。

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中庭の壁にはヴァザーリによって、花嫁の故郷である、オーストリアの14の都市が描かれています。

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回廊の柱や壁や天井には、美しく繊細なフレスコ画や、金粉を使用した殉爛な装飾が施されています。

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中庭の中央に、ヴェロッキオ作イルカを抱いた少年 の複製が置かれている筈でしたが、改修中なのかシートが掛かっていました。

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建物の中に入ると、有名な 五百人広間 が迎えてくれます。
幅23m、長さ54m、高さ18mのこの広間は、共和国時代には、500人が出席する市民会議が開催されたことから、五百人広間 と呼ばれました。

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天井にはコジモ一世の載冠の絵を中心に、フィレンツェの成立と歴史上の逸話を描いた、48枚のパネルが飾られています。

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コジモ一世の載冠

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広間の後方2階のバルコニーから 五百人広間 を見る。

右の壁面には、レオナルド・ダ・ビンチアンギアーリの戦い
左の壁には、ミケランジェロカッシーナの戦い を描く予定でしたが、ダ・ビンチ新技法に失敗したことで、制作を中断すると、ミケランジェロ も戦意を喪失してローマ教皇の招きに応じ、ローマへ去ってしまったのです。

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ピサへの勝利 ジョルジョ・ヴァザーリ作

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マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い ジョルジョ・ヴァザーリ作

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ヴアサーリが描いたこの絵の下には、ダ・ヴィンチの絵が隠されていると言われており、この拡大部分の中心辺りに、小さく 「 CERCA TROVA 」 ( 探しなさい、さすれば見つかるであろう ! ) と言う、暗号めいた文字が隠されているそうですが、残念ながら狙って撮った訳ではないので確認できません。

五百人広間の見所は絵画だけではありません。
広間の両脇に、見事な彫像も並んでいます。
左側の壁お奥から
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左 / アンタイオスを絞め殺すヘラクレス  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / ヘラクレスとケンタロウス  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
  
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左 / ピサを征服したフィレンツェ  ジャンボローニャ作
右 / ヘラクレスとカークス  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作


右側の壁奥から
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左 / アマゾン族の女王を倒すヘラクレス  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / 勝利像  ミケランジェロ作

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左 / エリュマントスの猪  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作
右 / ディオメデスを罰するヘラクレス  ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作

次回は2階へ上がります。
  1. 2016/12/05(月) 18:21:46|
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フィレンツェ散策 -15 ウフィツィ美術館 内部②

3階の展示室 ( 第1室 ~ 第45室 ) までを見学を終え、今回は2階へ下りて、改修中だった展示室の作品と特別展の作品を見学します。
西棟2階の第46室から東棟第84室まで、新設された展示室を見学します。

2階は部屋番号が分からないので、写真を撮った順番にアップして行きます。

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コジモ・デ・メディチの肖像画 ヤコポ・ダ・ポントルモ作 1518~19年頃

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聖母子と幼児聖ヨハネ ヤコポ・ダ・ポントルモ作 1529年 

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聖家族と幼児聖ヨハネ ( パンチャーティキの聖家族 ) 
アーニョロ・ブロンズィーノ作 1540年頃

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ローマ教皇 「 レオ10世の肖像 」 ラファエロ・サンティ作 1512年頃

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自画像 ラファエロ・サンティ作 1506年

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ひわの聖母 ラファエッロ・サンティ作 1507年

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幼いキリストを礼拝する聖母 アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ作
1524-1526年頃

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長い首の聖母 パルミジャニーノ作 1535年頃
マニエリスムを代表する作品の一つと言われているそうですが、聖母マリアの首が妙に長く、聖母に抱かれるキリストも赤ん坊にしては長細く、右下に描かれている小さな男性も変なポーズをとっていて、なんだかとても奇妙な作品です。

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受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1472-1475年
ダヴィンチデビュー作であり、大天使ガブリエルが聖母マリアに、神の子を宿していると告げる有名な場面を描いています。

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玉座の聖母子と天使と聖人たち ドメニコ・ギルランダイオ作 1484年

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ウルビーノのヴィーナス ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作 1538年

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メドゥーサの首 ( 自画像 ) ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作 
1598年頃
キャンバスにではなく、円形の盾に描かれています。

最後にウフィツィ美術館の3階から眺めたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂方向の風景です。
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次回はヴェッキオ宮殿を紹介します。
  1. 2016/11/30(水) 17:14:00|
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フィレンツェ散策 -14 ウフィツィ美術館 内部①

予約してあったので、全く並ぶことなく美術館内へ入ることが出来ました。
階段を上がり東棟の3階へ

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階段を上がりきった最初のホールにはローマ皇帝や聖人と思われる彫像が置かれています。
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確信はありませんがトライアヌス像かな?

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こちらはキリスト教の聖人像でしょうか?

ここからは東棟3階の第一回廊 廊下の北端には
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これはケンタウロスがギリシャ神話の神の誰かに、虐められてる場面か?

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第一回廊の階段近くから南側 ( 第二回廊方向 ) を見る
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廊下の展示室側の壁には彫像と絵画が
ウフィツィ広場側の壁には彫像が飾られています。

最初の扉から第2展示室へ入ります。
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荘厳の聖母 マエスタ  チマブーエ作  1279-1280年頃  第2室

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聖母子像 ドゥッチョ作 1285年頃 第2室

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東方三賢王の礼拝 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ作 第6室

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第5室

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聖母戴冠 ロレンツォ・モナコ作 1414年頃 第5室

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幾つかの展示室が改修工事で閉鎖されていて、絵画の展示してある部屋が、ガイドブックに載っている本来のものとは、かなり違っています。
以降は写真に収めた順序通りにアップして行きます。

一旦廊下に出てからトゥリブーナと呼ばれる、8角形のメディチ家秀作コレクションの飾られている部屋へ

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トゥリブーナ 第18室
この部屋には入れず、外から見るだけです。

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天井を真珠貝で飾った美しいトゥリブーナは、ブオンタレンティの設計。

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ウルビーノ公夫妻の肖像 ピエロ・デッラ・フランチェスカ作 1465-1466年 
本来は第8室に展示されている筈の作品ですが、第18室に当たるトゥリブーナの後に撮っているので

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東棟と西棟を結ぶ第二回廊も彫像が並んでいます。

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第二回廊の西端からヴァザーリの回廊ヴェッキオ橋を見る

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第二回廊から西棟の第三回廊を見る。

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聖母子と二天使 フィリッポ・リッピ作 1465年
本来は第8室に展示されている筈の作品ですが第34室辺りに展示してあったと思います。

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西棟第3回廊 第35室の前辺り

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第35室

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聖家族 ミケランジェロ作 1504年頃 第35室

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第38室

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ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェッリ作 1485年 
本来は第10-14室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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ポルティナーリ祭壇画 フーホー・ヴァン・デル・フース作 1476-1478年 
本来は第10室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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 サンドロ・ボッティチェッリ作 1477-1478年
本来は第10-14室の展示ですが、第41室の展示だったと思います。

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マニフィカトの聖母 サンドロ・ボッティチェッリ作 1483-85年

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西棟第3回廊 ニオベの間  第42室の前辺り

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ニオベの間 第42室
ニオベとはギリシャ神話に登場し、子沢山を自慢した為に、子供を全員殺されてしまった母親だとか?

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第3回廊の北端
バチカンピオ・クレメンティーノ美術館ラオコーンとそっくりな彫像です。

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フィレンツェ名物のイノシシ像も在りました。

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ここは何処だだったけ?

これで3階の展示室 ( 第1室 ~ 第45室 ) までを見学し終わりました。
次回は、西棟2階へ下りて、改修中だった展示室の作品と特別展の作品を見学します。
  1. 2016/11/29(火) 18:32:00|
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フィレンツェ散策 -13 ウフィツィ美術館 外観

今日はウフィツィ美術館を紹介します。
先ずは外観から。

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ウフィツィ美術館

ウフィツィとは、イタリア語で事務所を意味します。
ゴジモ一世建築家ヴァザーリに設計を依頼した事務所建築として建設されたもので、着工は1560年、完成したのは1580年でした。

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ウフィツィ広場と言われる細長い広場に面する1階部分は、古代ローマの宮殿を思わせるドーリス式の列柱が並んでいます。
2階、3階部分はルネッサンス様式で、建物全体はU字型をしています。

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ウフィツィ広場からヴェッキオ宮殿を見る。

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広場を囲う回廊には祖国の父コジモ・イル・ヴッキオ豪華王ロレンツォ・イル・マニーフィコの彫像が並んでいます。

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祖国の父コジモ・イル・ヴッキオ

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豪華王ロレンツォ・イル・マニーフィコ

コジモ一世の死後、後を継いだフランチェスコ一世建築家ベルナルド・ブオンタレンティを起用し、メディチ家歴代の当主達が蒐集した膨大な美術品を納める為に、1581年に3階を美術品収蔵の場所として改修させたもので、それが今や世界屈指の規模を誇る美術の殿堂となっています。

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アルノ川 南岸からの外観

次回はウフィツィ美術館を飾る、美術品の数々を紹介します。
  1. 2016/11/28(月) 16:45:53|
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フィレンツェ散策 -12 シニョリーア広場

フィレンツェの二日目は、まずはシニョリーア広場を通ってウフッツ美術館 ヴェッキォ宮殿を続けて見学する予定です。

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シニョリーア広場
写真中央の塔のある建物が ヴェッキォ宮殿、向かって右側のギャラリーの様な建物が ランツィの開廊、この二つの建物の間に、少しだけ ウフィッツ美術館 が見えています。
中世以来現在まで、市庁舎として使用されている ヴェッキォ宮殿に面するシニョリーア広場は、1385年に初めて舗装され、中世以来、フィレンツェ共和国の政治の中心であり、重要な式典や集会、演説が行われだけでなく、暴動の悲惨な事件の舞台ともた場所で、1498年に説教者ジロラモ・サヴナローナがし火刑に処された場でもあります。

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しかし、調和を考慮しない増築が続いたため、全体としての統一感に欠けると言われているようですが、多くの彫像や噴水が設置され、訪れる人の目を楽しませてくれています。

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ネプチューンの噴水  1575年 バルトロメオ・アンマンナーティ作
多角形の池の中央で海馬の曳く馬車に立つネプチューンは、この写真だと分かり難いかもしれませんが、相当の巨像であり、なかなかの迫力があります。
池の縁にはシャンボローニャ作ナイアス、トリトーン、サテュロスの銅像も置かれています。

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コジモ一世乗馬像 1594年 シャンボローニャ作

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ヴェッキオ宮殿の入口へ上る階段の両脇にも、巨大な胸像が並んでいます。
向かって左側 ダビデ像 ( レプリカ ) ミケランジェロ
向かって右側  ヘラクレスとカークス像 1533年 ヴァンディネッリ作

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ダビデ像のオリジナルはアカデミア美術館にあります。

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ランツィの開廊
行事の際に、君主 ( シニョリーア ) を屋根の下で迎える為に造られたのでシニョリーア開廊とも、また設計した建築家の名からオルカーニャ開廊とも呼ばれることもあります。
ランツィと言う名の由来は、コジモ一世に雇われたドイツ軍隊ランツケネッキが一時期この建物に駐屯していた事に由来し、広場がフィレンツェの表玄関の役割を担うようになると、開廊に彫刻が飾られるようになります。
広場に面して柱間の広いアーチが3つ並び、アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられています。

開廊の入口である中央のアーチを支える2本の柱の足元にはそれぞれにライオン像が置かれています。
ランツィの開廊5 ランツィの開廊6
向かって右側のライオン像は古代ローマ時代のもの、
左側は1598年に作成されたフラミニオ・ヴァッカが作成したものです。

向かって右側のアーチの下
ランツィの開廊2
サビーニの女たちの略奪 シャンボローニャ作 1583年

向かって左側のアーチの下
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ペルセウス ベンヴェヌート・チェリーニ作 1554年 が置かれています。

開廊中央
ランツィの開廊3
パトロクロスを抱きかかえるメネラウス 
後ろの壁際には6体のローマの女身像が並びます。

開廊の左側
ランツィの開廊1
ポリュクセネーの陵辱 ピオ・フェディ作

開廊右側
ランツィの開廊4
ヘラクレスとネッソス ジャンボローニャ作

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手前の彫像は ヘラクレスとカークス像

次回はウフィツィ美術館に入館します。
  1. 2016/11/24(木) 12:59:58|
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フィレンツェ散策 -11 ドゥオーモ美術館

ミケランジェロ広場からアルノ川北岸に戻り、サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂の東側、ドゥオーモ広場に隣接するドゥオーモ美術館を見学しました。
ドゥオーモ美術館には大聖堂と洗礼堂、そして鐘楼から集められた彫像などの作品の数々が陳列されています。
何も下調べをしないで来たので、何を見るべきなのかも分かりませんでした。
吹抜けの大空間の展示室には、大聖堂の何処かの部分を再現しているようですが、残念ながら分かりません。

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中央上ボニファティウス8世像

分からないものばかりですが、この扉だけは分かります。
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ここにはサン・ジョバンニ洗礼堂天国の門 の本物が展示されています。

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向かって左側はロレンッォ・ギルベルティ  
右側はヴィットーリオ・ギルベルティ ( ロレンッォの息子 )

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こちらの門は北側の扉でロレンツォ・ギルベルティキリストの生涯だと思いますが、確信は持てません。


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ブルネレスキが苦心の末に考案した巨大なクーポラの建築工法を表した展示もあります。
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こちらも詳細は分かりませんが、大聖堂のコンペ時のファサード模型だと思います。

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美術館から見たサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

この美術館にはミケランジェロピエタティカンピオ聖母子像ドナロッティマグダナのマリア像等の見るべきものが多々ありましたが、調べていなかったので特に気にしていなかったので写真は撮っておらず、見たのか見ていないのかもはっきり覚えていません。

まだ、午後の4時前だったのですが、ローマで歩き回った疲れが残っていた上に、この日も朝からジョットーの鐘楼に登ったり、アルノ川南岸の丘の上にあるミケランジェロ広場まで歩いたので、二人とも疲れ切ってしまい、夕食までホテルに戻って休むことにしました。
  1. 2016/11/22(火) 17:21:00|
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会津若松散策ダイジェスト ②

会津若松での二日目は、鶴ヶ城さざえ堂など、会津藩ゆかりの建物を中心に見学します。

先ずは鶴ヶ城へ向かいます。
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會津宮泉酒造
会津には沢山の酒蔵が在りましたが、會津宮泉酒造鶴ヶ城の目の前にあり、建物も特に立派な造りです。

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(株)會津葵本店
まだ詳しく調べていないので、古い建物だとの確信はありませんが、立派な蔵造りの建物です。

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鶴ヶ城のお堀

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鶴ヶ城
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麟閣
麟閣は場内の茶室です。
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鶴ヶ城を後にして、ホテルへの帰り道とホテルの周りを散策します。
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佐治呉服店
城下町だからなのか、会津若松には酒蔵の他に呉服店も目に付きます。

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神窺禧薬館

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旧若松庶民金庫

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松乃園斎藤茶舗

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旧会津実業信用組合

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鈴善漆器店

ホテルに戻り、チェックアウトを済ませてから松平家墓所へ
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松平家墓所
兄に是非にと言われて来てみましたが、辺りに民家はなく人っ子一人見当たりません。
「熊が出没するのでラジオラジオなど音の出るものを携帯してください」と言った趣旨の記された立て看板が在ったので、雨が降ってきたこともあり、残念ながら訪問は取りやめにしました。


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御楽園
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傘を指しながらの散策でしたが、雨の中の庭園の散策はなかなかに情緒のあるものでした。


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さざえ堂
今回の会津若松建築視察旅行での、主目的地の一つです。
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馬肉を使った うまうま丼       名物 ソースカツ丼


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新宮熊野神社
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新宮熊野神社長床

昼食を摂った、さざえ堂近辺で意外と時間が掛かり、ナビが古かった為に新宮熊野神社へ行く道を間違えてしまい、会津藩校日新館の見学は諦め、猪苗代湖畔へ向かいましたが、既にすっかり陽が沈んでいたので建物の見学は諦め、一時の間湖を眺めて帰路につきました。

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猪苗代湖畔

  1. 2016/11/05(土) 11:11:06|
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会津若松散策ダイジェスト ①

今週の月曜と火曜日、会津若松の七日町に点在する、大正及び昭和初期に建てられた、洋風商店建築の視察に行って来ました。
勿論、鶴ヶ城さざえ堂蔵造りの建物も見て来ました。

朝5時に自宅を出発し、東北自動車道を一路福島県を目指して北上します。
直接会津若松にには向かわずに、白川インターで東北自動車道を下り、先ずは甲子道路を通って茅葺き屋根の家並が残る大内宿を目指します。

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甲子道路の途中でトイレ休憩に立ち寄った 道の駅 しもごう から見た秋色に色付いた山並。

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国重要伝統建築物群保存地区に指定されている、大内宿茅葺き屋根の家並
大内宿葱蕎麦が名物なのですが、まだ昼食には少し時間が早かったので、会津若松に向かいます。

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二丸屋武蔵亭
昼食はネットで調べてあった会津若松市材木町の日光街道沿い蔵造りの蕎麦屋で食べました。

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賄い定食 キノコ御飯付山菜蕎麦    鰊山椒漬

二丸屋武蔵亭近くの日光街道沿いの建物
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林家住宅

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醤油醸造元 イケダ醤油 林合名会社

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日光街道沿いの建物。
蔵と洋風デザインが合体しています。

鶴ヶ城近くのホテルへ向かう前に、門田町の古い酒蔵へ寄り道します。
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高橋庄作酒造店

この後ホテルに車を止め、会津若松市役所の周辺と七日町の日光街道沿いのレトロな街並み群を散策しました。
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会津若松市役所

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うなぎ鯉料理 あら池

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鈴木屋利兵衛

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旧郡山商業銀行若松支店

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滝谷建設工業株式会社会津若松店

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白木屋資料館 ( 旧白木屋漆器店 )

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第二塚原呉服店 他

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レオ氏郷南蛮館

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尚信株式会社

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野球工房 バンダイスポーツ七日町店 ( 旧株式会社塚原呉服店 )

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池田種苗店

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渋川問屋

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阿弥陀寺の御三階

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只見線七日町駅 あいづふるさと駅cafe

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水だしコーヒー           会津産ワイン
あいづふるさと駅cafe で一休み

一本南の道を通って会津市役所方向へ戻ります。
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末廣酒造嘉永蔵
酒蔵を見学し、丁寧な説明を聞いた後、美味しい日本酒を何杯も試飲させてもらったので、お土産にお酒を買いました。

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旧黒河内胃腸病医院

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弘竜

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日本基督教団 若松栄町教会

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野口英世青春館・福西本店

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紀州屋

夕食はホテルの近くの出し桁造りの居酒屋で
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ゑびす亭
美味しい会津の日本酒と地元の素材使った料理を頂きました。

  1. 2016/11/04(金) 19:09:25|
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フィレンツェ散策 - 10 ミケランジェロ広場、アルノ川南岸

ヴェッキオ橋を渡ったアルノ川南岸は、北岸に比べると見所は少ないとは言え、時間があればピッティ宮ボーボリ広場位は見ておきたいところでしたが、まだローマ観光の疲れが残っていた上に、朝一でジョットーの鐘楼に上った疲れも重なって、ミケランジェロ広場に行くだけにしました。

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バルディ通り
ヴェッキオ橋を渡った辺りの風景

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日本では絶対に見ることの出来ない風景なので、名の無い路地の風景で絵になります。

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アルノ川岸の道から対岸のを見る
写真中央は、国立中央図書館、茶色の塔はサンタ・クローチェ聖堂の鐘楼

ヴェッキオ橋を渡り、アルノ川岸の道を1キロ程歩き、ジュセッペ・ポッチ広場から右手の丘に向かって、階段と坂道を交互に登ると、15分程でミケランジェロ広場が見えてきます。

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ミケランジェロ広場にも、シニョリーア広場と同様に、ダビデ像のレプリカが飾られています。

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左から ヴェッキオ橋ヴェッキオ宮、写真中央に ジョットーの鐘楼
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂サンタ・クローチェ聖堂
が見えます。
既にかなり疲れていたので、出来ればバスで来たかったのですが、バス乗り場と乗り方が分からなかったので、徒歩で上ってきましたが、この丘に建つと、美しいフィレンツェの街を一望することが出来るので、一時的にしろ、疲れを忘れる気分になりました。

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ヴェッキオ宮を中心にした一枚

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もう少しアップにして、フィレンツェを代表する ヴェッキオ宮サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 を撮ってみました。

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左から ヴェッキオ宮ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ジョットーの鐘楼の左下にメディチ家礼拝堂のクーポラも見えます。

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ヴェッキオ橋

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ヴェッキオ宮

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ジョットーの鐘楼サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

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サンタ・クローチェ聖堂

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丘を下りる前に、フィレンツェの街の全景をもう一枚

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レナイ通り沿いの街並み

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帰り道は、アルノ川沿いの道は歩かずに、レナイ通りを通り、アッレ・グラツィ橋を渡って北岸に戻りました。

  1. 2016/10/25(火) 15:07:38|
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フィレンツェ散策 - 9 ヴェッキオ橋、ヴァザーリの回廊 他

サン・ロレンツォ聖堂の見学を終え、共和国広場周辺で昼食をとろうと思っていましたが、手頃ないい店が見つからなかったので、シニョリ-ア広場近くのファストフードのピザ店で、安く昼食を済ませました。

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共和国広場
共和国広場と呼ばれる広場は、この広場の他にローマ、ナポリ、トリノにも在り、1946年6月2日にイタリア共和国が成立したことを記念して、この名前が付けられたそうです。
写真中央の凱旋門は、1865年にフィレンツェがイタリア共和国の首都に選ばれたことを記念して建てられたもので、広場の中心建てられた豊穣の円柱と、メリーゴーランドと共に、広場の目印となっています。
広場の周辺には、老舗のカフェや高級レストラン、ブランド店、お土産店などが並んでいます。

この後通ったシニョリ-ア広場周辺の建物 ( ヴェッキオ宮、ウフィツィ美術館 ) は後日紹介することにします。

細長い中庭のようなウフィツィ広場の中程を右折し、細い路地( ランベルテスカ通りジェオルゴフィリ通り ) を通ってアルノ川沿いの道に出ると
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ヴェッキオ橋が見えてきます。
ヴァザーリの回廊の下から撮った写真です。

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この写真は翌日に、ウフィツィ美術館から撮ったもので、右下に写っているのがヴァザーリの回廊です。

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ヴェッキオとは「古い」と言う意味で、フィレンツェでもっとも古い橋なので、この名前で呼ばれています。
洪水により流失と再建が繰り返され、3つのアーチを描く現在の橋は、1345年にネーリ・ディ・フィオラヴァンテの設計により建設されたものです。

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橋の両側には何件もの宝石店が建ち並んでいます。

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16世紀の半ば迄は、肉や野菜を売る商店が、軒を連ねていましたが、橋の2階部分にヴァサーリの回廊が造られると、それらの商店は退去させられ、代わりに金銀細工師の店が集められ現在に至っています。

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橋の両側にはびっしりと建ち並んだ宝石店により、橋と言うよりも、まるで街中の通りの様相ですが、橋の中央にだけは、アルノ川をながめることの出来るスポットが在ります。

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橋の中央に飾られた胸像は、メディチ家の誰かかと思っていましたが、金銀細工師出身のベンヴェヌート・ チェッリーニという彫刻家で、1800年代に金細工師の父を記念して設置したものだそうです。

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ヴェッキオ橋の中央から、ヴァザーリの回廊見る。
さらにその先に、ウフィツィ美術館も見えています。

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アルノ川南岸から見たウフィツィ美術館

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アルノ川南岸からヴェッキオ橋ヴァザーリの回廊を見る。

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最後はアッレ・グラツィ橋からの一枚

この後は歩いてミケランジェロ広場へ向かいます。
  1. 2016/10/22(土) 14:50:00|
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フィレンツェ散策 - 8 サン・ロレンツォ聖堂③

メディチ家礼拝堂メディチ家の墓廟である新聖具室を見逃してしまったことは、前に書きましたが、サン・ロレンツォ聖堂に付属する建築物には、その他にもラウレンツィーナ図書館、回廊、旧聖具室等の見所があります。

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サン・ロレンツォ聖堂の回廊
回廊の屋根越しに、少しだけサンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂大クーポラと、ジョットーの鐘楼の頂部が見えています。

サン・ロレンツォ聖堂に付属する中庭を囲むこの回廊について、言及しているサイトは少なく、一つだけ1475年のマネッティの作と記されているサイトを見付けました。 
また、手持ちの資料の一冊に、この回廊ブルネッレスキの回廊と記載しているものも見付けています。
ブルネッレスキの死後、聖堂建設の指揮はマネッティが引き継いでいるので、どちらも正解と言うことだと思います。

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2層の回廊には、1階・2階共に灰色のイオニア式円柱が施されていますが、シンプルなデザインのアーチで2階の回廊を支える、1階の円柱と比べ、瓦だけが載ったように見える、殆ど見付けのない木組の庇を支える2階の柱は大変細く、木製の柱に塗装したものかとも考えましたが、元画像を拡大して見てみると、やはり石材ではないかと思われます。

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丁寧に刈り込まれ、手入れの行き届いた植込みの中央に植えられている樹木には、オレンジのような果実が実っています。

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2層に巡らされた回廊の上部を見てみましょう。
向かって左側のラウレンツィーナ図書館には、三角やアーチのぺティメントが施されたの窓があり、
右側の聖堂には半円アーチ窓丸窓が加わり、静かな中庭に賑わいを感じさせています。

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実は今回、ラウレンツィーナ図書館も見逃してしまいました。
恐らくこの扉がラウレンツィーナ図書館の入口だった筈なのですが、下調べ不足で見逃してしました。
もしも気が付いてこの扉を開けていたら、目の前にミケランジェロの設計で滝の流れを模したと言われる、図書館への階段が在った筈なのです。


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旧聖具室
ミケランジェロが設計した新聖具室は見逃してしまいましたが、ブルネッレスキが設計した旧聖具室の方は見ることが出来ました。
1419年に依頼を受けたブルネッレスキは、1422年に建設を始め1428に完成させています。
この教会で最も古く、ブルネッレスキが生きている間に完成した唯一の場所で、壁にはドナテッロによる洗礼者聖ヨハネの生涯を描いた 8 つのレリーフが飾られています。

旧聖具室新聖具室は、聖堂メディチ家礼拝堂を中心軸に、左右に対象に造られ、どちらも四角い平面とドーム天井からなる空間構成で、メディチ家礼拝堂と共にメディチ家の代々の墓廟であります。
旧聖具室にはコジモ・デ・メディチ、ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ、コジモ3世・ディ・メディチ墓廟があり、
新聖具室には豪華王と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチと弟のジュリア―ノヌムール公ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチウルビーノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ墓廟があります。

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ジョットーの鐘楼から写した、サン・ロレンツォ聖堂メティチ家礼拝堂

  1. 2016/10/19(水) 00:00:19|
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フィレンツェ散策 - 7 サン・ロレンツォ聖堂②

前回に続き、サン・ロレンツォ聖堂を紹介です。 
今回は聖堂内部に飾られたの絵画の紹介します。

先ずは、この聖堂に飾られた絵画の中で、最も有名だと思われる
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受胎告知 1440~1442年頃 フィリッポ・リッピ作
奥に向かって右側の翼廊左側の礼拝堂に飾られています。

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聖堂中央奥の主祭壇にも、細やかに描かれた、色鮮やかな絵も見られます。

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聖ラウレンティウスの殉教 1569年 ブロンズィーノ作
奥に向かって左側廊の奥の壁に描かれたフレスコ画の大作で、このフレスコ画も多くのサイトで紹介されていました。


この後は、殆ど詳細は分かりませんでしたが、左右の側廊に並ぶ、礼拝堂に飾られた絵画です。
礼拝堂の並び順と、以下の絵画の画像の並びは一致しいません。

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マリアの結婚 フィオレンティーノ作

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  1. 2016/10/18(火) 00:00:00|
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フィレンツェ散策 - 6 サン・ロレンツォ聖堂① 

サン・ロレンツォ聖堂は、メディチ家の依頼でフィリッポ・ブルネッレスキの設計により、1419年から1442年に掛けて改修された教会です。
元は393年に献堂式が行われた、フィレンツェで最も古い教会で、1060年にロマネスク様式の教会として再建されています。

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サン・ロレンツォ聖堂

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二日目 朝日を浴びる サン・ロレンツォ聖堂

教会の後方に二つのドームが見えますが、大きい方のドームメディチ家礼拝堂
小さい方のドーム新聖具室です。

聖堂の後ろ側に回ってみましょう
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メディチ家礼拝堂

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新聖具室

メディチ家礼拝堂サン・ロレンツォ聖堂を拡張して、16世紀から17世紀にかけて建設された礼拝堂で、新聖具室 と共に是非見ておきたい建物でしたが、今回は入口が分からず、内部を見学することが出来ませんでした。

聖堂の正面に戻ります
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サン・ロレンツォ聖堂
ブルネッレスキの死後、メディチ家墓廟である新聖具室図書館聖堂の正面の設計はミケランジェロに委ねられますが、大理石の産地を巡るメディチ家との対立や職人達の作業拒否等により、ミケランジェロの設計案は実現することはありませんでした。
結局正面は未完成のまま、現在に至っています。


聖堂の内部は、未完成の武骨な正面とは見違えるような、端正で細やかな装飾で飾られていました。
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教会の内部は3廊式
水平に張られた格天井ルネッサンス様式が取り入れられ、前方へと視線が集中するようにデザインされています。

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身廊側廊とは、コリント式の円柱に架けられたアーチで仕切られています。
美しい連続アーチ円柱、高窓はブルネッレスキの設計。

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一見すると、木材に灰色の塗装を施したようにも見える円柱アーチは、ピエトラ・セレナと言う灰色の石材が使われていて、派手な色大理石の教会を見慣れていた眼には、とてもシックな落ち着いたデザインに感じられます。

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左右の側廊には礼拝堂があります。

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中央交差部 ( クロッシング : 身廊と翼廊の交わる部分 ) から美しいドーム天井を見上げる。

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フレスコ画ブロンズィーノ作

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正面の祭壇

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中央交差部から右翼廊奥の祭壇を見る

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翼廊左側の礼拝堂

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中央交差部から左翼廊奥の祭壇を見る

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中央交差部辺りから入口方向を見る。

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入口上部の紋章の詳細は不明。

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天井の彼方此方に飾られたメディチ家の紋章です。

  1. 2016/10/17(月) 16:51:01|
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フィレンツェ散策 - 5 サン・ジョバンニ広場⑤ 広場周辺の建物

サン・ジョバンニ広場と、その周辺には、サン・ジョバンニ洗礼堂、ジョットーの鐘楼、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の他にも、見逃せない建物があります。

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先ずは、広場北側のマルテッリ通りを見てみましょう。

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向かって左側の建物は、サン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会
元はゴーリ邸の在った場所に、1351年からは、プロテスタントのサン・ジョバンニのための小礼拝堂が組み入れられた、「 聖人にささげた 小さな教会 」 として知られていましたが、 1557年コジモ1世は、イエズス会の教会として新たに 教会の継承を認め、最終的に1661年に完成した教会です。

右側はメディチ・リッカルディ宮殿

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フィレンツェ・ルネサンス建築の代表格と言われているメディチ・リッカルディ宮殿は、元はコシモ・ディ・メディチの依頼によりミケロッツォ・ミケロッツィの設計で、1460年に完成したメディチ家の邸宅でした。
メディチ家の人々が1540年まで暮らし、1655年にリッカルディ侯爵が買い取ったので、メディチ・リッカルディ宮殿の名で呼ばれており、現在は県庁として利用されています。

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1階の外壁は粗い石積
2階はやや平らな石積
3階は目地が見えない程の平滑な仕上げの石積
と言う3層構造で、この後1世紀以上、この建て方が大流行したとか
外壁から大きく迫り出した軒蛇腹ミケランジェロの設計です。
宮殿の中も見学出来た筈なのですが、今回はスケジュール的に無理だったので諦めました。

広場の南側へ
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サン・ジョバンニ広場カルツァイウォーリ通りの交わる角の敷地に、軒の出の大きな、目に付く建物があったので写真を撮っておきましたが
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ビガッロの開廊
後で調べてみると、この建物は、アルベルト・アルノルディの設計で1358年に竣工した建物だと分かりました。
大きく張出した軒の出の他に、通りと広場に向かって開放した、大きなアーチに支えられた開廊が特徴の建物です。

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向かって右側の広場側のアーチの上には、殉教者ペテロと聖母子、聖ルチアの像が飾られています。

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ジョットーの鐘楼からサン・ジョバンニ広場を見る
サン・ジョバンニ洗礼堂の右上に見えるクーポラメディチ家礼拝堂
左下の茶色の瓦屋根の建物がビガッロの開廊

ビガッロの開廊の前から、カルツァイウォーリ通りを南へ200m程歩くと
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オルサンミケーレ教会


一見しただけでは、教会とは分かりづらい外観なのは、元は1337年に穀物倉庫として建てられ、14世紀に市場の移動に伴って、礼拝堂として利用されるようになったからです。

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教会の周囲の壁には、14体の守護聖人の彫像が飾られています。

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聖トマスの不信

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オルサンミケーレ教会は、たぶん入場無料だったと思いますが、時間がなかったのでこちらも外観だけ・・・。

※ この記事内の説明文は「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/10(月) 17:34:00|
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フィレンツェ散策 - 4 サン・ジョバンニ広場④ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 内観

内部空間は外部のド派手な装飾が嘘のような、シックなイタリア独特のゴシック様式

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3万人収容することが出来ると言われる聖堂内は、東西に153m、南北は90m。

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聖堂の構成は、身廊と左右の側廊からなる三廊式
平面の形状はラテン十字のバシリカ型です。
交差ヴォールトの天井も、ローマで派手な天井を見慣れた後なので、ちょっと物足りない感じさえあります。

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一段高くなったクロッシング ( 縦軸と横軸の交差部分 ) の祭壇場の十字架ベネディト・ダ・マイアーノ

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ドラム部の丸窓のステンドグラスは
「 聖母被昇天 」 「 ゲッセマネでの祈り 」 「 キリストの奉献 」 の下絵はロレンツォ・ギベルティ
「 聖母の戴冠 」 の下絵はドナテッロ
「 受胎告知 」 「 降誕 」 「 復活 」 「 昇天 」 の下絵はアンドレア・デル・カスターニョ、パオロ・ウッチェロ

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高さ107m、直径43mの大クーポラの天井には、ジョルジョ・ヴァザーリ作のフレスコ画 「 最後の審判 」 が描かれています。

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180°振り返り、大聖堂の入口方向を見る。

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正面入り口上部のステンドグラス

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ステンドグラスの下部に見える時計は、1443年に画家パウロ・ウッチェロが設計した24時間時計
一辺4.6mの正方形の時計の四隅には、遠近法を駆使した4人の預言者が描かれています。

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フィレンツェの周辺は、良質な大理石の産地として有名だそうです。
幾何学模様が描かれた大理石の床は、1526年から1660年にかけて造られました。

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※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/02(日) 18:00:00|
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フィレンツェ散策 - 3 サン・ジョバンニ広場③ サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 外観

フィレンツェの街ので、一際目を引く赤褐色のクーポラは、フィレンツェのランドマークであるばかりでなく、イタリア・ルネサンスのシンボル
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
巨大な美しいクーポラが特徴の大聖堂は、イタリアの晩期ゴシック建築および初期ルネサンスを代表する建築です。

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フィレンツェ 二日目に撮影
大聖堂の全体を捉えるには、私のカメラだと、広角レンズを使用しても、このアングルからこのショットが精一杯。

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サン・ピエトロ大聖堂の円蓋の設計をローマ教皇に依頼されたミケランジェロ 「 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂より美しいもの造れない 」 と語ったと言う話は、この大聖堂の美しさを表す逸話として、あまりにも有名。
この写真でその美しさが伝わるかが心配です。

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白、緑、ピンクの3色の大理石によって装飾された外壁と、内径42mの八角形の大クーポラは、フィレンツェの文化と繁栄のシンボルと言えるでしょう。

1296に建築家アルノルド・ティ・カンピオの設計により始まった工事は、1302年のディ・カンピオの死により中断されます。
1334年、建設責任者にジョットーが指名されますが、ジョットー鐘楼の建設中の1337年に死去します。
1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タランティによって、東端部をディ・カンピオの計画よりも拡張し、現在の形に変更。
1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ部分を残すのみとなりました。
しかし、ここに来て聖堂建設は、前例のない巨大クーポラの建設と言う、大難題に突き当たります。
当時の工法としては、先ず木材でアーチの型枠を組み、その上に石材とモルタルでドームを造るのが一般的でしたが、計画された大天蓋の直径は42m、高さは100mを超える巨大なもので、それ程の巨大な型枠や足場を組むことは、当時の技術では不可能だったのです。
しかし、この難題に挑戦したのが、サン・ジョバンニ洗礼堂扉のコンペギルベルティーに敗れ、彫刻家から建築家へ転身していたフィリッポ・ブルネレスキでした。
1418年に行われたクーポラの設計コンペに応募したブルネレスキは、足場は造らず、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提案し、実現させたのたのです。
この時の設計コンペにはギルベルティも参加しており、ブルネレスキは20年振りに、洗礼場の扉のコンペの雪辱を晴らしたのです。
1434年にはクーポラ頂頭部が完成。
献堂式は1436年に教皇エウゲニウス4世によって行われました。
着工から140年、花の聖母寺はついに完成したのです。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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ファサード ( 正面 ) はゴシック期でもルネサンス期に造られたものではなく、1887年に完成したものです。

この教会の前に立った時の第一印象は、その美しさよりも、3色の色大理石で装飾された、目眩がする程のド派手さです。
まさに開いた口が塞がらないと言う程の驚きで、圧倒されてしまいました。

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フィレンツェ 二日目に撮影

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どの写真を見ても、大聖堂と鐘塔は一体化した建物のように見えますが、実際には別棟になっていて、数m離れて建っています。

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ジョットーの鐘楼 3層目テラスから
上下どちらの写真も同じようなものですが、どちらか選べなかったので両方アップします。

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ジョットーの鐘楼 頂上テラスから
何処から見ても美しいクーポラですが、ここからのアングルが一番美しいかも・・・?

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大聖堂の裏 ( 西 ) 側から
広場の中央に建っているので、大聖堂の周りをぐるりと見て回ることが出来ます。
正面に劣らず、後側の立面のデザインにも、全く手抜きはありません。

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北側面

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ぐるりと回って再び正面 ( 東側・洗礼堂側 ) に戻ってきました。

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正面玄関

さあ、次回は大聖堂に入ります。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/10/01(土) 18:31:00|
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フィレンツェ散策 - 2 サン・ジョバンニ広場② ジョットーの鐘塔

ジョットーの鐘塔と呼ばれる、この鐘楼は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に隣接し、大聖堂と同じ赤・白・緑の3色の大理石で彩られた、高さ約84mのゴシック様式の美しい鐘楼です。

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ジョットーの鐘塔
サン・ジョバンニ洗礼堂天国の門の前辺りから見上げる。

この鐘塔サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計者、アルノルフォ・ディ・カンビオの構想に従い、1334年にフィレンツェ近郊出身の建築家(画家でもあった)ジョットー・ディ・ボンドーネの指揮によって建設が始められますが、ジョットーは基壇部の完成しか見ることなく、1337年に亡くなってしまいます。
ジョットーの死後、建設の指揮者は弟子のアンドレア・ピサーノ、フランチェスコ・タレンティと引き継がれ、この鐘楼は1387年に完成します。

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第2層はピサーノ
第3層から5層はタレンティの担当です。

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当初の計画にあった、塔頂部の尖塔は造られず、大聖堂よりも100年早く完成します。

基壇部と2段目には開口部はありませんが、美しい装飾により、重々しさは感じません。

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各層は上部に行くほど高くなっており、躍動感溢れる美しいランセット窓は、大聖堂のクーポラと共に、フィレンツェのランドマークになっています。

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東側の入口から塔の内部に入り、階段を登ってみましょう。

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3層目からの見上げ。

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階段室の壁に開けられた開口から大聖堂を見る。

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5層目に置かれた鐘

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サン・ジョバンニ広場サン・ジョバンニ洗礼堂を見る。

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414段の狭く急勾配の石段を登り切った頃には、もう一歩も歩けないと思う程、足は棒の様になり、疲れてクタクタになっていましたが、屋上のテラスからの眺めは絶景でした。

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東方向 高い場所から眺めるクーポラの何とも美しいこと・・・

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大聖堂クーポラの頂部にも、人影が見えます。
この後、クーポラに登ることも出来たのですが、今の足の状態では今後のスケジュールに係かかわるので、ここはきっぱりと諦めます。

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南東方向 サンタ・クローチェ教会

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南東方向 バルジェッロ美術館、Badia Fiorentina

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南方向 中央にヴェッキォ宮が見えます。

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同方向をアップ

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更にアップ ヴェッキオ宮がはっきり分かります。

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南西方向 サン・スピリト教会

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南西方向 共和国広場

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西方向 サンタ・マリア・ノッベラ教会

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北西方向 メディチ家礼拝堂、サン・ロレンツォ教会


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ジョットーの鐘楼の屋根を見る。
下から見ると陸屋根かと思っていましたが、瓦葺の方形屋根でした。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。

  1. 2016/09/28(水) 12:24:33|
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フィレンツェ散策 - 1 サン・ジョバンニ広場① サン・ジョバンニ洗礼堂

3月15日の夕方、ローマでの3日間の予定を全て終え、ホテルのフロントに預けていたスーツケースを受け取り、テルミニ駅へ急ぎます。

テルミニ駅からイタロを利用すると、約1時間半でフィレンツェの表玄関サンタ・マリア・ノッベラ駅に到着します。  
ホテル近くの中央市場2階のフードコートで食べることが出来るので、フィレンツェでの最初の食事は、ガイドブックにも載っている、出来たばかりの、このフードコートでとることにしました。
ここは安くて早くて美味しいので、我々のような旅なれない初心者にもお薦めです。

一夜明けて、フィレンツェでの1日目。
先ずはサン・ジョバンニ広場へと向かいます。

前日に夕食をとった、中央市場の横を通り、サン・ロレンツォ広場を過ぎると、通りの向こうにサン・ジョバンニ洗礼堂が見えて来ます。
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サン・ジョバンニ洗礼堂

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サン・ジョバンニ広場
写真中央がサン・ジョバンニ洗礼堂、向かって左がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、洗礼堂の屋根の向こうには、ジョットーの鐘塔が見えます。

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撮影位置を変えて、3ショット写真すをもう1枚。
3つの建物を1枚の写真に収めるには、私の腕だと、広角レンズを使ってもこれが精一杯。
しかも、かなり歪んだ写真になってしまいました。

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サン・ジョバンニ洗礼堂を広場北西側から見る
サン・ジョバンニ広場に建つ、フィレンツェを代表する、この3つの建物の中で、先ずは最初に建てられたサン・ジョバンニ洗礼堂から見てみましょう。

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サン・ジョバンニ洗礼堂ジョットーの鐘楼前辺り ( 南東側 ) から見る。

wikipediaには、この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀と記されていますが、手持ちの資料では、創建は恐らく7世紀だと記されています。
現在のロマネスク様式の姿となったのは、11世紀になってからで、内陣は1202年に完成しました。
その後、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって改修を行い、大聖堂の洗礼堂として使われるようになりました。
詩人ダンテも、ここで洗礼を受けた一人で、神曲 「 地獄篇 」 に、この洗礼堂が登場します。
また、ディカンピオ、ジョットー、ブルネッレスキ、アルベルティー、ダビンチ、ミケランジェロなどの、フィレンツェ在住のルネサンスの芸術家達に影響を与えたと思われています。

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北側の扉から洗礼堂に入り、正面の南側扉方向を見る。
洗礼堂の内部も外壁と同様に、色大理石で飾った幾何学模様が施されています。

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180°振り返って南側扉方向を見る。

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祭壇
祭壇の後壁には、独特の幾何学模様が施されれ、4本のコリント式オーダーが施された円柱で支えられたアーチ天井には、ビサンチン風のモザイクが施されています。

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モザイクの円の中心に描かれた子羊は、キリストを表しているそうです。

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祭壇の向かって右側、教皇ヨハネス23世の墓

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洗礼堂内には、半円アーチの高窓キューポラ頂部からも外光が差し込みます。

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8角形の天井には、1220年~1330年までの約100年の歳月を費やし、ヴェネツィアとフィレンツェの職人達によって制作された、聖ジョバンニの生涯最後の審判を描いた黄金に輝くモザイク画が飾られています。

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8角形の屋根の頂部の越屋根
キューポラ頂部に見えた明りは、この越屋根からの外光です。

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サンタ・マリア・ディル・フィオーレ大聖堂側 ( 東側 ) から見る。
そして、この洗礼堂で、何と言っても一番有名な見所は、ミケランジェロ天国の門と呼ばれた東門でしょう。

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1401年、世界最初と言われる設計コンペ ( コンクール形式 ) で製作者が選ばれた例と言われており、7人の技師や芸術家が応募し、リアルな作風の24歳の金銀細工師ブルネッレスキと、優美で繊細な作風の23歳の新人ギベルティーが最終選考に残り、長い協議の末、ロレンツォ・ギルベリティーが勝利を手にしました。
「天国の門」は1425年から1452に掛けて制作され、金塗りの10枚のパネルに旧約聖書の神話が描かれています。
但し、この東門はレプリカで、実物はドゥーモ美術館に展示されています。


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こちらは南側扉
1339年頃にアンドレア・ピサーノが作成した、28枚のパネルに描かれた洗礼者ヨハネの生涯です。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 「 全紹介 フィレンツェ 」 等を参照しています。
  1. 2016/09/24(土) 01:40:00|
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ローマ散策-39 ミケランジェロの回廊

ディオクレティアヌスの浴場の遺構を利用して建設された、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂と隣接した遺構の一角に、ミケランジェロは100本の柱と、それらを結ぶアーチとで構成された、正方形の中庭を囲む回廊の設計も手掛けています。

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ミケランジェロの回廊
広い正方形の中庭を囲む回廊は、ミケランジェロが1564年に亡くなった為、弟子のヤコポ・ドゥーカが師の構想を引き継いで、1565年に完成しました。

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ミケランジェロの回廊は、現在では、ディオクレティアヌスの浴場の遺構と共に、ローマ国立博物館の分館の一つとして利用されています。

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回廊の壁際には、彫像やオーダー柱、大小の石棺? 等が展示されています。

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中庭に出てみましょう。
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中庭の中心部には動物の彫像が見えます。
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貧乏旅行だったので、僕のローマ土産はこれだけで我慢しました。

これでローマでの3日間の全スケジュールを終了しました。
後はスーツケースを預けておいた駅の近くのホテルに戻り、テルミニ駅から電車でフィレンツェに向かいます。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」 「週刊ユネスコ 世界遺産」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/19(月) 08:12:23|
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ローマ散策-38 サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂

ディオクレティアヌスの浴場跡の遺構を利用して建設された教会です。

廃墟になっていたディオクレティアヌスの浴場に修復工事が始まったのは、1561年、建築家パラディオによる、遺跡保存の呼び掛けがきっかけでした。
修復を主導した教皇ピウス4世は、浴場の建設に駆り出された、殉教者天使に捧げる聖堂の建設を、ミケランジェロに依頼し、廃墟となっていた浴場の遺構を活かしたデザインで聖堂を完成させたのです。

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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂
廃墟となった外観をそのまま活かした入り口周りには、味も素っ気ありません。
この崩れかかったような弓形の壁は、ディオクレティアヌスの浴場熱浴室温浴室を隔てたものを、そのままデザインに取り込んだのです。

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ところが、一歩建物の中に足を踏み入れると、一転して古代の美しい装飾が蘇ります。

しかし、ローマでのこの3日間で見慣れてきた教会とは、少し形状が異なります。
前室は円形で、直接中央交差部に繋がり、身廊と呼べるような部分は殆ど在りません。

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前室のドーム天井の頂部には、パンティオンの様な明り取りが在ります。

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中央交差部から、内陣奥のアプス方向を見る。

    図面
  ディオクレティアヌスの浴場の平面図に、現在の地図を重ねた図面

横長だった浴場時代の建物を利用しているので、一般的なラテン十字形 ( 縦長の十字プラン ) とは異なり、身廊方向よりも翼廊方向が長く、横軸と縦軸が入れ替わった、見慣れない横長の十字プランになっています。

恐らくこの場所は、浴場時にはフリギダリウム ( 冷浴室 ) と呼ばれる中央大ホールだった所でます。
天井高は91mもあり、ハイサイドライトから、ふんだんに降り注ぐ外光は、この聖堂の特徴となっています。

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中央奥の祭壇


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中交差部に戻って前室方向を見る


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中央交差部から左翼廊の礼拝堂を見る

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左翼廊の礼拝堂
コリント式のオーダーが施された、緑色の大理石の円柱やその上のペディメントの装飾を良く見てください。
一見しただけでは、分かり難いかとま思いますが、これは壁に描かれた絵なのです。

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天井画を見上げる

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右翼廊の礼拝堂

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翼廊の側壁にも、ルネサンス期に描かれたと思われる、絵画が描かれています。

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この美しい大理石の床が、古代ローマ期の遺構なのか、ルネッサンス期に造られたものかに、言及した資料を見付けることは出来ませんでしたが、今回のローマ旅行で見た、何処の教会の床とも違うデザインだと思います。


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中央交差部から、前室方向のアーチ天井を見る。

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塩野七生さん著の 「 ローマ人の物語 ⅩⅢ 」 には
「 教会の本体は、かつての冷浴室そのものと言ってよい、おかげで、他の教会のような縦長の十字形ではなく、横長の十字形になっている。
内部に建つ8本の柱も、この教会が建設された年から1700年もの歳月、この同じ場所に建ち続けてきた。」

と記されています。
「 ローマ人の物語 」 以外の手持ちの資料には、この教会に関して詳しく解説したものがなく、ネットで検索しても、これ以上のものは見付けられなかったので、何処までが古代の遺構で、何処からがルネサンス期ミケランジェロによって改修されたものかの詳細は分かりませんが、ディオクレティアヌスの浴場想像復元図と見比べてみると、冷浴室だった部分の柱や壁の装飾の多くは古代の遺構で、祭壇周りや壁や天井に描かれた絵は、改修時に施されたものではないかと思われます。

無題-スキャンされたイメージ-01
ディオクレティアヌスの浴場想像復元図


教会内には、こんなものも展示されていました。
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ガリレオの振り子
2008年、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイ生誕445周年を記念して、飾られていた作品です。
法王ベネディクト16世は、ガリレオの地動説を正式に認め、この教会において、ガリレオ科学者としての業績を讃えるミサを行ったそうです。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「 ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/18(日) 08:00:59|
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ローマ散策-37 ディオクレティアヌスの浴場

ローマでの3日目も、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂~コロッセオ~フォロ・ロマーノ~フォーリ・インペリアーリ の見学を終え、ネルヴァのフォロの近くのカヴァール通りのレストランで遅い昼食を済ませて、ローマでの最終目的地になる ディオクレティアヌスの浴場サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 へと向かいます。

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ディオクレティアヌスの浴場
ローマには既に10ヶ所の公共浴場が在りましたが、305年に完成したディオクレティアヌスの浴場は、敷地の外郭は370m × 380m、建物面積は45,000㎡、3000人の収容が可能で、カラカラ帝の浴場をも凌ぐ巨大施設でした。

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1/高温浴室、 2/微温浴室、 
3/フリギダリウム (熱い風呂を楽しんだ後に入る、冷水プールがある部屋 )
4/大プール、 5/運動場、 6/入口、 7/エクセドラ

建物の構成は、カラカラ帝の浴場を踏襲したており、フリギダリウムと呼ばれる冷水プールが在る中央の巨大なホールの周囲には、大プールや温浴室や体育施設も備えられていました。

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古代ローマで最後に建設されたこの浴場は、537年にゴート族によって水道の供給が絶たれるまで使用されますが、帝国滅亡後の運命は、他の建物と同様に廃墟となることでした。

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現在は、浴場の一部はローマ国立博物館として利用されています。

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ローマ帝国末期皇帝ディオクレティアヌスのは、最もキリスト教徒を迫害した皇帝としても知られ、浴場の建設には、多くのキリスト教徒が駆り出されたと言われています。

※ この記事内の説明文は「Wikipedia」「週刊ユネスコ 世界遺産」 「ローマ人の物語 」 「わがまま歩き29 イタリア5都市」 等を参照しています。
  1. 2016/09/17(土) 11:09:13|
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